運命のヒモ男《ヒモ・ファタール》   作:ヤン・デ・レェ

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B17魚と茨 前編

城下の催し物を一通り満喫したモーサン一行は広場の中心地に戻った。

 

そこでは丁度、自らの腕に自信のある者達による競技会が開かれていた。

 

 

疎ら(まばら)に聞こえる剣戟。民は怖いもの見たさで遠くから見守る様に、各地から集まった騎士や貴族の従者達は品定めする様な余裕の観戦に興じていた。

 

雇われた酌婦や町民らしい淑女から賞品が受け取れるからと、参加者の中には無頼の者も紛れていそうだった。

 

名だたる貴族もちらほらと見えたため、乗り気なケイと義兄を心配するアーサーとは他所に不安を抱えたモーサンはその場から離れたがった。

 

 

モーサンはケイに向かって焦りを隠しつつやや早口に言った。

「ケイ殿、実は私はこれからパン屋にいきたくてだな、申し訳ないがそろそろ広場から城の方へ行こうと思うのだ。」

 

モーサンの手は腰の剣を按じていた。ひそひそと告げられた言葉にケイは純粋に疑問に感じたことを問うた。

「勿論構いませんが、折角ですから私と一試合是非。それにしても、モーサン殿はパン屋に用事があるのですかな。」

 

ケイは握手するように手を差し出してモーサンを誘った。

 

アーサーは何も言わなかったが、モーサンが左右に揺れていることに気がついて義兄に耳打ちした。

「ケイ、モーサン様は何か急がれているのではないのですか。引き留めるにしても、少々手短に。」

 

ケイはこれに心底不思議だという様子で返した。

「しかしだな、アルトリアは不思議には思わないのか。道中で聞いたモーサン殿の言うパンは民の常食する分厚くて黒いパンのことだったぞ。」

 

「私たちの様に農夫の隣で暮らしていれば食べるものだが、モーサン殿は経験が無いというし、それに言葉遣いも流麗だ。」

 

「最寄りの農村には馬でも夜になるまでかかるだろうに。しかし、モーサン殿は従者を連れて居られぬ。もしや、(うまや)に待たせておいでなのか。」

 

「それとも、都会のパン屋ともなれば敢えて街中で黒パンを店頭に並べる物なのか。私にはさっぱりだよ。」

 

ケイに悪意は皆無であった。しかし本気で声を殺したつもりなのだろうか。掠れるように囁いたせいで高く裏返って寧ろ丸聞こえであった。

 

アーサーは半目でケイの肩を叩くと、義兄の体越しに立腹気味の御仁へ気不味げに頭を下げた。

 

瞳を閉じて顔を羞恥に染めたモーサンが言った。

「なるほど、ケイ殿が申し上げたいことはよくよく承知した。」

 

明らかに纏う雰囲気が異なっていた。

 

ケイが後ずさると、モーサンが追う様に一歩前に出た。

 

モーサンはケイの肩に手を置いて言った。

「さて、それは然う(そう)と先ほどのお話、死合いでしたかな。」

 

モーサンに問われてケイは真剣な顔で言った。

「忘れられよ。モーサン殿はお忙しい身でありましょう。さあ、我ら兄妹には構わず。」

 

ケイの言葉には突然迫られたことへの驚きがあった。しかし、ケイはまだモーサンが試合に乗り気になった理由を理解していなかった。

 

モーサンは更に一歩間合いを詰めると言った。

「いやいや、先ほどのお誘い是非ともお受けしたい。」

 

モーサンのあまりの変わり様にケイはたじろいだ。しかし、道中を共にしつつ期待していた試合が実現することは喜ばしかった。

 

気を引き締めつつも喜びが隠せていない顔でケイは言った。ほんの少し場を和ませる茶目っ気を含ませて。

「それは重畳。ところで、モーサン殿はパンをご存じか?」

 

モーサンは困惑した。

「如何されたケイ殿。いや、成るほど挑発か。流れる様な場外戦術とは恐れ入った。」

 

ケイは言った。

「いいえ、そうではなくて。モーサン殿はどうして苦労してまで民の食むパンを口にされたいのかと不思議でして。」

 

モーサンは努めて余裕を保ちつつ言った。

「ふふふふ、流石と言うべきか。敢えて続けるのですな、だが私も忍耐には自信がある。」

 

「私が民草の食うパンに興味があってもおかしくはないでしょう。ただ、純粋に食べてみたい。」

 

ケイは頷くと、自然な動作で剣の柄に手を掛けた。

 

 

ケイの質問は謂わば、「モーサン殿は民の食されるパンを口にした経験がおありですか。」という問いであった。

 

しかし、ケイは高揚していた。

 

気分の高揚はケイに小事を省かせてしまい、結果的に重要な配慮が省略されてしまった。

 

完全に凶刃と化した一言によって、意図せずに試合の火ぶたを切って落としたことにケイは気づいていなかった。

 

傍から見れば満足げな表情で毒を吐いたケイ。流石のアーサーの顔にも困惑が浮かんだ。

 

問答が終わり空気が変わる前にアーサーが言った。

「兄上、空気を読まれよ。」

 

ケイは鼻息荒く答えた。

「無論だ、モーサン殿は手練れに違いない故に、気を読まねばな。」

 

余裕の素振りに見えたモーサンは感心して言った。

「早くも機先を制するだけでは飽き足らず目の前で私の分析までするとは、ケイ殿は剛毅であるな。」

 

ケイは首を傾げた。

 

 

広場の片隅で始まった試合の観戦者は一人きり。ケイの従僕(サーヴァント)であるアーサーだけだった。

 

地は石畳。天は曇天。周囲には焦げ茶色の木造家屋が立ち並び、その中で灰白色の石造建築の頭に突き立つ十字架が目立っていた。

 

モーサンが言った。

「では、お誘いになったケイ殿から仕掛けられよ。」

 

ケイは頷くと剣を抜き、石畳を摺り足でにじり寄った。

 

息を吸い込む音が、風を切る矢羽根が奏でる高音のように聞こえた。ケイが踏み込んだ。

 

アーサーが叫んだ。

「危ない。抜かれよ、モーサン殿。」

 

寸前で止めるのが決まりだった。だが、ケイは足を滑らせてしまった。

 

目を見開くアーサーとモーサン。二人は突然前に飛び込んだケイの足元を見た。

 

果たして、ケイの一歩目が踏みしめた筈の、其処には何処からか滑り込んだが落ちていた。

 

弾力に富むの身とよく滑る(ぬめる)鱗に唆されて(そそのかされて)、ケイの踏み込みの型は崩れた。

 

崩れるままに、剣を突くように突き出した態勢でケイは剣を按じてすらいないモーサンの胸に飛び込む様に迫った。

 

(つるぎ)の先は鋭かった。大気を引き裂いて進んだ其れは、迷いなくモーサンへと向かっていた。

 

上段で構えられて、そして振り下ろす型は見る影もない。

 

ケイの呆然とした顔は遠くで(もや)に包まれていた。

 

 

束の間に剣に満ちたのは光だった。其れは燦然と呼ぶに相応しい。

 

不機嫌に曇る(そら)が見せる筈のない光景だった。

 

 

嗚呼、(そら)よ。汝は何を寿がん(ことほがん)というのか。

 

 

誰に問うでもない。

 

モーサンが言った。アーサーが言った。

 

「何故?」と。

 

気重(きおも)な雲が二つの顔を覗かせていた。

 

心底、癪に障る顔だった。

 

天に満ちていた雲の海は割れて。鬱蒼とする下界に一筋、栄光の(きざはし)賜し(おろし)た。

 

割かれた曇天は嘆いた。歪んだ顔を隠す素振りもない。

 

そして、忌み子を憐れむ(あわれむ)様に一筋の(なみだ)降し(おろし)た。

 

しかし、その(なみだ)は冷たく無力だ。怠惰にも荒れ地に堕ちて、人の身の上に降るものでなし。

 

 

何故かと問われれば、両者は首を傾げるしかない。

 

逃れるべき道も、術も、未だ彼らには与えられていないから。まだ知らないのだから。

 

今の両者が答えを導けば。それは同じものになるだろう。

 

そして、然う(そう)。きっと彼女らはこう答える筈だ。

 

「それが、私の運命(Fate)だから。」と。

 

 




では、また。もんなみはー!

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