05黄金色の希望
思うに「ギルガメシュ叙事詩」とは、永遠の名作だろう。
その主人公ギルガメシュが人間である限り、彼を物語るこの叙事詩は最高の名作の座にあり続けるだろう。
古代の人々もまた今の人々と物語の好みに大きな違いはないことがよくわかる。
ギルガメシュは誰よりも逞しく、誰よりも美しく、誰よりも賢かったかもしれないが、決して完璧ではなかった。
完璧な人を好む人がいたとして、その人は好むだけであって共感ゆえの好みではないだろう。
人々はいつの時代も共感を求める。自身がより多くの人々と共感を共にできるものに心突き動かされてしまうのだ。
ギルガメシュは王としてだけでなく、神としてだけでなく、何より人間として鮮烈に描かれている。よく笑い、よく泣き、よく食べて、よく飲み、よく楽しみ、よく愛したから、彼は今もなお愛され続けている。
難しさはそこにない、彼は誰よりも人間臭かったのである。
しかし、昨今の研究により偉大なギルガメシュの伝説にも他の伝説同様に特異点が存在していることが明らかとなった。以前紹介した古石板の複写文書にも描かれていた通り、なんでも黒曜石の希望を継承する一続きの系譜を、ギルガメシュもまた受け継いでいたのである。
[黄金の詩〜愛の章〜]より
ルガルバンダ王は偉大なウルクの君主であった。彼は女神リマトニンスンを妻とし、太陽神シャマシュやその他の偉大なる神々によく仕えた。
彼が治めるウルクには王宮を越える巨大な神殿があった。その神殿には国唯一の大神官として黒曜石の希望、アマロが祭られていた。
古のバビロニア国の王マルドゥークはアマロへの厚遇により、末永い国家の繁栄を許された。賢いマルドゥークは彼の血を引く者達に、この神秘に愛された大切な存在を、国を挙げて厚遇するように、と言い遺して神の元へと昇天した。
偉大な、また賢い歴代のバビロニア王達はこの大切な言葉を守り続け、その言葉通りに黒曜石の希望に世の中で最も素晴らしいものを貢ぎ上げた。
ある時、時の王は最も上質の小麦で焼かれたパン一千斤と、最も芳しい葡萄から作られた葡萄酒百樽をアマロに捧げた。
アマロは言って曰く、「ありがとう。いや、すごい嬉しいんだけどさ、でもこんなに一度にもらっても食べきれないや…その、皆んなにも、それこそ風邪とか引いてる人に分けてあげて。」アマロの慈悲に全バビロニアが涙した。
アマロの言葉に従い病に打ちひしがれる民に分けたところ、腰が曲がっている者達は若く逞しい戦士の勇猛も霞むほどに筋肉が盛り上がり着ていた服は全て弾けて全裸になると、戦士が三人がかりでも持ち上げられない岩を叩き割り、これで新しい宮殿を建ててしまった。この者は国一番の大工の棟梁になった。
肺に病を持ち、立ち上がることもできないでいた者に葡萄酒を一杯与えると、服が弾け飛び、忽ち立ち上がり雄大な川の一際流れの早いところへ迷いなく飛び込み、息継ぎをすることもなく魚も流される流れに逆らって、雄大なその川の始まりから終わりまでを泳ぎきった。口には見たこともない大きな魚を咥えていて、この魚はアマロに献上され、アマロは王に譲り渡した。魚を食べた王は魚の言葉がわかるようになり、生涯溺れることがなかった。魚を捧げた者は国一番の漁師になった。
他にも数限りない弱々しい民が活力漲る健やかな姿に変態した。生まれる子供は前の年の倍に増え、実りの月に獲れた小麦と豆は前の年の四倍に膨れ上がった。
またある時、バビロニアの街の荒くれの男達は協力して、素手で、縄すら使わずに筋肉で、獰猛な肉食の獣を逞しい腕の筋肉で、全て筋肉で絞め殺すと、これをアマロへと貢物として捧げた。
アマロは喜び、「これを素手で!?すごいね君たち……これを素手で!?」と男達を誉め称えた。祝福された男達の筋肉は盛り上がり服は下着に至るまで弾け飛んだ。全裸になったこの者達は皆国一番の戦士になった。捧げられた獅子の革は鞣されてアマロの毛布に加工された。
このように数々の祝福をバビロニアにもたらした黒曜石の希望たるアマロの存在は、彼の平穏と喜びは、国家の繁栄の最大の根拠として世界に認められたのだ。
古の語手曰く、バビロニア王国は繁栄の絶頂を極めたが、ある時遂に愚かな王が生まれ、アマロを追放し、その財を恣にして清くない酒食に耽った。
愚王は強大な敵の進行を前になす術なく朽ち果てた。人々は王のことを懐かしむことが終ぞなかった。
愚かな王が再び現れるまで平穏が訪れたが、アマロは現れなかった。
愚王が再び現れ、国が滅び、文明は衰退し、人々の暮らし向きは貧しくなり、飢えや心の貧しさにつけいられて悲しみがバビロニアの末裔達の悉くに降りかかった。
ある時、新たな王朝がウルクに開かれた。
神々は喜んだが、そこにアマロがいないことに気持ちを落としてしまった。神々は不満げに頭を掻き、そのフケが大地を覆い隠してしまったがために賢き王が何人立ち上がれど、ウルクの国は豊作の喜びを共にすることができなかった。
そして遂に偉大な王が立った。王の名はルガルバンダといい、彼は古の王の、神々の王であり人間の王であるマルドゥークの遺言を発掘し、これに倣うことを家臣達に命令した。
王が命じて曰く、「黒き希望を、豊穣の女神イナンナが次の夫を見つけるより先に、私の子供が生まれるよりも先に見つけ出し、黒曜石の希望を、このウルクにお迎えせよ。」と。
また、王は続けて「さすれば、我がウルクは以前の如何なる王朝よりも豊かな、太陽よりも眩い黄金に満ち溢れた、民も、その家畜すら飢えることのない偉大な国に生まれ変わるであろう。」とも言った。
家臣達は大いに喜び勇み、その武勇と、その賢明と、古の王の言葉を忘れることなく今に伝えた偉大なるルガルバンダ王に敬意を表して言って曰く、「我々は必ずや、かの豊穣の女神イナンナ様が次の夫君を見つけるよりも早く、偉大なる我らがルガルバンダ王様の御世継ぎがお生まれになるよりも早く、伝説に名高い黒曜石の希望を我がウルクへとお迎えして見せましょうぞ。」と。
王はこの忠義の者達の存在に喜び、「お前達には太陽神シャマシュの加護がある。お前達が眠らぬ間、天から太陽が隠れることは決してない。お前達には知恵の神エンキの加護がある。お前達が惑った時、決して諦めなければ、必ずや素晴らしい閃きが与えられるであろう。」と家臣達に賞賛と祝福を贈り、同時に「ただし、決して、間違っても眠ることはならぬぞ、眠れば昼にも夜にもなく冷たい風が大地を覆うだろう。惑った時、もしも諦めれば、そこには決して解けぬ謎解きが待ち受けるであろう。決して神々の期待を裏切るでないぞ。」と警告した。
家臣達は旅立つ際に、シャマシュ神とエンキ神に割れた杯で葡萄酒を供え、硬く焼いたパンを一切れ、旅の食糧の中から取り出して、これを半分に分け、それぞれの口に放り込み、残りの半分を神の祭壇に供えた。
十人が旅立ち、永い寒冷と、過ちを顧みる暇もない飢えが人々を襲った。
王は悲しみ、「肉体がどれだけ強くても眠らねばならない。どれだけ賢く心が強くても、諦めずにいることは難しい。おお、我が忠臣達よ、お前達は英雄になること叶わなかったのか。」と嘆いた。
王の悲しみが癒える頃、すっかり痩せ細り、荒廃したウルクはしかし、まだそこに確かに存在していた。
王は神々に祈った。「黒曜石の希望の方は何処へおられるのでしょうか。偉大なる、慈悲深き神々よ、どうか我々を導いて下さい。私は一日として、あなた方が好まれる葡萄酒の杯を干上がらせたことがありません。私は一度としてあなた方が口にされるパンに口をつけたことはありません。今、ウルクは飢えております。希望に飢えております。私もこの通り、葡萄酒も、焼いたばかりのパンすらも口にできないようになってしまいました。神々よ、私たちにどうか希望を。」
王の祈り通じ、神々は祭壇を介して伝えた。「おぉ、志し高い、賢きルガルバンダよ。お前に希望を与えよう。お前の子がいずれ生まれる。お前の子は、我々と、神々とお前たち人間を繋ぐ楔となるはずだ、また、再びマルドゥーク王や歴代の偉大な王たちが、地上の神秘を糧に、人間を豊かにしてくれるだろう。お前の子には強い力があるのだ、お前の子には使命があるのだ。」
神々の言葉に王は大いに喜び、神々は王ルガルバンダに女神リマトニンスンを出会わせた。
王ルガルバンダは一目でこの女神に心奪われ、やがてリマトニンスンは豊穣の女神イナンナが新しい夫を見つけるより先に子供を産んだ。
子供が生まれ、神々はこの力強い、黄金色の希望に名前をつけた。
神々の声を聞いた者が伝えて曰く、「おぉ!偉大な祖先神よ!賢明な祖先王よ!この者はあなた方の素晴らしい後継者に相応しい!!地上に再び豊かさを広め、神々を微笑ませ、人間と我らを繋ぎ止める楔となれ!!祖先に誉あるお前にはギルガメシュと名を与えよう!!この者に賢き神の瞳を与えよ!この者に猛き神の勇気を与えよ!この者に美しき神の美を与えよ!この者に偉大なる者の力を与えよ!」
神々の祝福を受けて美しい子供が生まれた。
子供の名前はギルガメシュ。ギルガメシュの誕生はウルクの民に希望を与えた。民は「おぉ!偉大な黄金色の希望の誕生だ!!」と口々に王と神と若きギルガメシュを讃えて歌った。
また、神々はギルガメシュの誕生と共に、彼に天上で最も価値のあるものを一つ授けた。
神々は「この古の宝具を用いて、天と地を、神と人間とを繋ぎ止めよ。この宝を持つものは、必ずや黒曜石の希望と出会うことができるだろう。」と言い、ギルガメシュは生まれてすぐ、煌々と輝く一辺の美しい鎖を与えられた。ギルガメシュは物心がつくとすぐに、この素晴らしい鎖をより長く、より力強く操り伸ばすことが出来るようになった。
ギルガメシュは歴代のどんな王より美しく賢く育った。その賢さは賢王ルガルバンダを超えていた。ギルガメシュは5つの時にウルクの端から端までに賢いものがいないかと聞いて周り、全くの他人が5人続けて、口を揃えて賢いと言った古老と幾月もの時間をかけて問答を行った。
ギルガメシュはどのような質問にも答えて見せた。古老たちは驚きのあまり昇天してしまった。
ギルガメシュは武芸も素晴らしかった。6才の時に指南の戦士を剣も無しに倒してしまった。次に指南役となった将軍は王の前で模擬試合を行った。将軍は銅で出来た素晴らしい剣を選び、ギルガメシュは枯れ木の枝を選んだ。王も将軍も、大臣たちも司祭たちも皆驚き、ギルガメシュを除いた全員が、ギルガメシュのために薬と盾を用意した。
ギルガメシュは薬を放り捨て、盾を将軍に与えた。王は顔を顰めた。模擬試合が始まり、ギルガメシュは軽やかに舞うと将軍の首に枝の鋭い先を突きつけた。王は喜び、ギルガメシュに金の短剣を与えた。将軍は恥入り自害してしまった。ギルガメシュは将軍の妻と子に、褒美に貰った短剣を譲った。
人々はこれを大いに誉めたが、王と王の心を深く知る廷臣たちは将軍の死とギルガメシュの奔放で、人を見下した影に気づいて心を痛めた。
ギルガメシュは賢いが傲慢で、勇猛だが奥ゆかしさが足りず、自らを褒め称える民を笑顔で見下し、使命を忘れて横柄に振る舞う自らを思いやる王や臣を見下していた。
ギルガメシュが7つの時、彼は深い森へと入り、そこで運命と出会った。
ギルガメシュはある時、王や家臣達に許可を貰うことなく神聖な森へと狩りに出かけた。
このことはすぐさま王ルガルバンダはもちろんのこと、口さがない民や心の余裕のない廷臣達の元へさえ届けられた。そのもの達は口を揃えて「おぉ、ギルガメシュ、祖先にも勝る英雄の器よ、貴方はどうしてそう、奥ゆかしさが足りないのだ。父上のルガルバンダ様は王として誰より賢く、誰より奥ゆかしさを重んじられるのに。」と嘆いては、日がな一日酒浸りになってしまった。
王はその日一日を定休日として、自らは早くに祭殿へと祈りを捧げた。
ルガルバンダは父親として、神の僕として、神と人間を繋ぐであろうギルガメシュのことを信じていた。
ギルガメシュが鬱蒼とした森を分入ることしばらく。太陽神シャマシュの加護が最も美しく、天高く昇り詰めた時のことであった。
ギルガメシュはその日、中々目的の獲物を見つけることができず、悔しがり、それゆえ、常ならば歩くことのない獣の中でも特に権勢の大きなもの達が通り、人の恐れを誘うような臭いがする道を探した。
森は一層深く、薄暗くなり、まるで太陽神シャマシュがおやすみになったかのように辺りは肌寒くなった。
更に進むと、今度はやや光が差し、程よく暖かくなり、ギルガメシュは穏やかに感じられ、また太陽神シャマシュが慈悲深く輝いていることに安堵を覚えた。
不思議な森を、その豪胆さに恃んで更に進んだギルガメシュは、腹拵えに自ら焼いてきたパンを二つ、それぞれ半分に割って食べた。
ギルガメシュはパンを食べ終えると、再び勇気ある旅を続けることにした。鬱蒼と茂る草木はギルガメシュの動きを邪魔したので、彼は嵩張る狩の道具を、弓と矢を木に立てかけて、美しい神の宝具の鎖だけを頼りに進むことにした。
ギルガメシュは更に、更に進んだ。そこは、もはやウルクにいる誰もが至ったことのない程に森の奥深くだった。
見たこともない鳥や獣が悠々としていて、幼くも賢いギルガメシュに新鮮な喜びを与えた。世界の広さをギルガメシュは知り、この穏やかな、あるいは凶暴なもの達へ敬意を払った。
ギルガメシュは喉が渇いていた。焼き固められたパンは、彼の口の中から凡ゆる潤いを奪い、噛むごとに出る唾液はパンを食べ終えた後、あまり心地よいものではない感触をギルガメシュの口の中に残していた。
パンを葡萄酒も無しに食べたギルガメシュは困り果てて言った、「口の中がパサパサする。」と。
森深くに素晴らしい小川が流れることを、知恵の神エンキから授かった千里眼で見通したギルガメシュは、大いに喜び、喉の渇きを癒そうと、駆け足で向かった。
小川にたどり着いたギルガメシュは、水の神でもあるエンキに感謝の祈りを捧げると、懐からパンを取り出して半分に割り、片方の一切れを盛り土の上に供えた。
手を小川に浸し、数度、掬い上げては浸しを繰り返し、手を清めてから、直接この川に口をつけて、その、清涼な味わいを喉で知った。
ギルガメシュは笑顔になり「ボクが知る中で、この小川の水よりも美味しいものは知らない。どんな葡萄酒よりも、価値があるに違いない。」と言った。
たらふく水を飲み、喉の渇きを癒したギルガメシュはふと辺りを見渡した。辺りは太く立派な幹を持つ大樹が何柱となく立っている、とても雄大な力を感じる場所であった。
奥に向かおうと、口を拭い立ち上がり、膝の泥を払ったギルガメシュは、すぐ近くの木に腰掛ける人の気配を見つけた。
ギルガメシュは不思議に思いこの気配を探し当てた。そこにはこの世に在ることが決して信じられない、完璧という言葉では謙遜がすぎる、常人にはその目鼻立ちすら知ることのできないほど、美の概念を後光として処構わず放出して憚らない、ただただ美しい存在が木にもたれて眠っていた。
ギルガメシュは少しの間立ち尽くしていたが、懐から取り出した、複製でない、神より直接授けられた一欠片の鎖の宝具を取り出し、その鎖身が煌々と輝いていることに気がついて、我を引き寄せた。
ギルガメシュは、たったひと目見ただけで、この美しい、ただ美しい黒曜石の後光に包まれた存在に、心を奪われ他の如何なる美しいものや価値あるものにも揺るがないほど夢中になり、肉体の持つすべての素晴らしい権能をこの存在のためだけに使いたくて仕方がなくなってしまった。
そして、ギルガメシュは生まれた時のことを思い出し、初めて自分の使命と、自分が鎖を与えられたことの意味を自覚した。そして、相手が黒曜石の希望で在ることすらも悟った。
ギルガメシュは同時に、どうすれば自分が、出来うる限り長く、何人の、例え神であっても、からの妨害すら受け付けずに、この美しい方と共に時間を過ごせるのかについて考えた。