モルガンが出立し、アルトリアが嘔吐してから半年。両者の状況は完全に逆転していた。
誰もモルガンを覚えていない。誰もがアルトリアを、否、アーサーを知っている。にもかかわらず、前者は希望を掴み、後者は絶望に追われていた。
◇
私は今、生を実感している。これまで学んできたその全てが、誇りとする剣技を除いて全て無に帰したと言うのに。私は今や、自由だった。
何処へでも行けて、様々な物を見聞きした。
野山を駆けずり回り、剣を活かして狩猟によって金銭を稼いで旅の資金とした。旅は楽しかった。私は王太子としてではなく、ただのモルガンとして民の口にするパンを食べたのだ。ようやく食べることが出来たのだ。その感動と言えば、何物にも代えがたい感慨深さだった。
私は兎を狩り、或いは鹿を狩った。皮を剥ぎ、鞣したりもした。獲れたての肉を削ぎ、洗い、肉の油で粥を作った。肉を焼き、野草と和えて食べたりもした。何もかもが新鮮だった。
古代ローマの遺跡を回り、古代人の息吹を感じた。
方々の街を訪れて黒曜石の人を探し、その先々でも多様な人と物を視た。ピクト人やサクソン人も見た。彼らとも言葉を交わし、酒を酌み交わしたりもした。
私は自由なのだ。そして、少しずつ少しずつ…私は近づいていることを実感していた。
日々埋まっていく思考と記憶、そして懐かしい薫りの螺旋を辿りながら、私は生に明け暮れた。あぁ、なんと素晴らしい実感か。この実感を、私はいずれあの方と共に。
私の目的地は近い。もう直に、私は旧ティンタジェル公領に入るのだ。
この思い出を全てあの方に語り聞かせよう。あの方なら聞いてくれるから。私の事を視てくれるから。
私は夢の中にいるような心地で旅の日記を積み上げた。これまで見たことも聞いたこともなかったことの経験を重ねた。
私は王太子であった頃よりも、はるかに幸福を感じていた。充実を感じていた。このことを、父王は知らぬままに亡くなったことを思えば…なんとも切なさを感じる。
父王ウーサーよ、貴方は見ておられるだろうか?
私は全てを失い、貴方が残した何をも手に入れなんだ。しかし、現に私は自ら選び取り、切り拓いた運命の道の途上で確かな意味を掴みました。生きる目的を見つけたのです。私は王である以上に、私であることを誇りに思います。
父王よ、ご覧になっていて下さい。貴方の娘は全てを失って尚、未来に向けて逞しく進んでおります。ブリトン人の誇れる勇者として、見知らぬ世界に果敢に挑み、こうして勝利を重ねているのです。
私の声が天に届こうが届くまいが、私にはどうでもよかった。だが、私を見限った天に嫉妬させてしまうほどには、私は幸福を手にしたいと願ってやまないのだ。
◇
ピクト人やサクソン人との戦いは断続的だ。終わることは無く、かと言って絶え間ない訳ではない。
私は冷静にならざるを得なかった。いつもいつも、熱狂に浮かされたままに剣を振るえればどれだけよかっただろう。
死臭の海の直中で、呆然と立ち尽くすしか私には能が無かったのだ。
あぁ、なんたる非業。私は王に成ったが、依然として王たるものには成り得ない。それどころか、今や私は味方の兵を殺し、敵の兵を殺す、大量殺人鬼に成り下がったのだ。
私は大義の為に剣を掲げ、その大義の元に日々人が死んでいく。ただ大義の為に死ねれば寝覚めは好い方だが、現実では大義なき小競り合いの中であっても兵は死んでいく。村や町が荒らされ、或いは私の手のものが荒らしまわることで荒廃する。
荒涼たる大地は血を吸い、草を生やし、或いは泥濘となる。腐臭が生む地獄は自然の中に溶け込み、何れ私たちの跡形をも奪い去っていくのだろう。
宿老たちは私利私欲のために働き、略奪を戦果と呼んで論功行賞を行う。私はただ彼らの蛮行を見ているだけなのだ。
搔き集められた富が下々に行き渡ることは無く、極一部の者達の安寧の為に独占されている。
私はもはや限界だった。この狂気の淵で、私は王に成ることも、はたまた誰でもなかったアルトリアに戻ることさえもできない。
そんな中、私の元に手紙が届いた。差出人は「私の事をよく知る者」から、らしい。
あやしい手紙には毒が塗ってあるだのと、言われてはいたが好奇心を殺すことは出来なかった。
開封するなり紙の代わりに煙が舞い上がり私を包んだ。
煙の中で白髪の人とも魔ともつかぬ人が現れ、私に言った。
「君が本当に王に成りたければ、それこそウーサーのように王に成りたければ、泉の聖女を訪ねると好い。旧ティンタジェル公領で待つ。」
簡潔にして明瞭なメッセージは、限界だった私にとって一縷の希望に見えたのだ。
この差出人が誰であれよかった。私は宿老に黙って、城から出た。供はいない、私独りだ。
あぁ、例えこれが無駄足だったとしてもいい。少しの間だけ、私はアルトリアに戻ることが出来るのだから。