06黄金色の出会い
知恵の神エンキや神々の王エンリルから授けられた全ての力を注ぎ、ギルガメシュは考えた。そして、結論が出すか早いか、彼は言葉をかける余裕もなく、その美しい貌をぐっすりと眠る黒曜石の希望の顔に寄せて、この唇にむしゃぶりついた。
眠る黒曜石の希望の口の中に舌で分け入り、口の中の、比喩ではなくあらゆる果実よりも甘く、上等な香辛料を使った肉の料理よりも刺激的で、良質な葡萄酒よりも中毒性を持ち、後味爽やかな唾液を、地上の美しい者にのみ許された、唯一の、混じり気のない幸福の結晶を、己の舌で絡め取り、一度口を離した。
ギルガメシュはその幼い、戦士にも聖女にも傾き得る美貌を、蠱惑的に歪めて、甘美で聖なる蜜を絡めた舌を収めた口で、この素晴らしく美しい御仁の、これまた地上のどんなものより美しい形と香りの耳を、一思いに食んだ。
口の中で、ギルガメシュは、その蜜を絡めた舌を、黒曜石の希望の耳の裏へ回し、これに舌先の蜜を塗った。
ギルガメシュは一度、この絶対的な吸引力の権化から離れる覚悟を決めた。そして、離れた。
ギルガメシュは荒々しく息を吐き、胸を押さえて、その場で蹲り、すぐさま恵まれた根性で立ち上がり、鎖を天に向けて解き放つと、「ボクは神々に誓う!この美しい黒曜石のお方がボクから離れるのであれば、その時は神々がウルクを滅ぼすことを許そう!だが、この美しいお方がボクのそばにいる限りは、何人たりともウルクを滅ぼすことはできない!」と宣誓した。
天の神々の王エンリルはこれを聞き届け、「よくわかった。お前の言う通りにしよう。」と言い、誓約の証に、気象の神アダドに頼んでウルクに恵みの雨を降らせた。
ギルガメシュは次に、地下深くへと鎖を差し込み、こう言って曰く「冥界の偉大なる覇者よ!ネルガルよ!!ボクは貴方に誓いを立てる用意がある!!」と言った。
すぐに返事は来なかったが、代わりに美しい女性の声で、「冥界の外のことは私にはわからないのだわ。だけれど、どうしてこんなにも芳しい香りがするのかしら。私に、嘘をつかないで教えてくれれば、夫と合わせてあげてもいいのだわ。」と聞こえた。
ギルガメシュは正直に言おうか迷い、美しい声を持つものならば、この黒曜石の希望の御方のかんばせに見えることが出来るだろうと、不安になり言って曰く「いいや、それは貴女の勘違いですよ。ここには何もありませんよ。貴女の居られるその冥界にあるものよりも、尚素晴らしいものなど、ここには鷹の鋭い爪先より細くともありませんよ。」と嘘をついた。
ギルガメシュはこの世で、いや、例え凡ゆる伝説や神話に登場する美しいもの全てを合わせても、足元にも及ばない美しい唯一のものを目の前にしていると、そう確信していたが、自分以外の誰かに見初められたり、或いは自分以外をその目覚めに際して瞳に映して欲しくないと、幼心に、一心に想い募って、冥界の孤独な女主人に、そう嘘を返した。
女主人は「そぅ…それは、本当に残念なことだわ。もしも、貴方の言葉が嘘でないならば、私は貴方が冥界に渡って来た時に、貴方の大切なものを、最も大切なものを、イナンナの爪研ぎに残された爪の粉ほども、取り上げないであげると約束するわ。でも、もしもそうでないなら、貴方は私に、その、嘘をついていたとして、私との約束よりも大切にしたものを、私が全て貰うわ。いいわね。」と嬉しそうに、楽しそうに、だが偏屈に言った。
ギルガメシュは「ボクは、決してウソなんかついたりしませんよ。」と言い張った。
女主人は「わかったわ。なら好きになさい。」と言って、代わりに彼女の夫であり冥界の王であるネルガルが現れて言った。「おぉ、神と人の子よ、まだ生を湛えし者よ、冥界の王たる私に、何の用があるのかな。」
ギルガメシュは「一つ、とても重大な誓いを立てたく思います。」と言った。
ネルガルは「誓い、それはどのようなものなのか。生きているお前が、どうして死んだもの達の世界の王に誓いを立てるのか…。」と不思議そうな声で聞いた。
ギルガメシュは「どうか、どうか聞いていただきたいのです。このようなお願いは、偉大で、寛大な、冥界の主人であるネルガル様にしかお話できませんから。」と言い、ネルガルは「そこまで言うならば、仕方あるまい。何でも、然るべき誓いを、私の前で立てるが良い。」と言った。
ギルガメシュはすかさず「ボクが冥界の女主人様を王とお呼びしませんでしたら彼の方に大層嫌われておりますから、どうか女主人様には内密にお願いします。」と願った。
ネルガルは「冥界の主人であり王であるのは私だけである、だから当然だ。さぁ、誓いを立てるが良い。」と上機嫌に答えた。
ギルガメシュは鎖を持っていない手を胸に当てて言って曰く、「ネルガルよ、冥界の王よ、どうかボクとの誓いを守ってください。たとえこの世に最も美しいものが在るとして、そのものが自分の耳の裏を嘗めることが出来ない限りは、誰が欲しがったとしても之を人間から奪わないと。」
続けてギルガメシュは言って曰く、「たとえ冥界の女主人が欲しがったとしても、冥界の王はこの美しい存在を女主人に渡さないと、もし、天界の神々が欲しがったとしても、その時は冥界の王がその美しいものを冥界に一時だけ匿い、神々が退散すれば、必ず人間の元へと、地上へ返してくれると。」
ネルガルは「もしも、この世に自身の耳の裏を嘗めることができるものが本当にいないならば、その限りは私はその約束を守ろう。たとえ、私以外のものが冥界の王となっても、これは冥界が結んだ約束であるから、お前が言ったことが守られる限りは、その通りにしてやろう。」と笑いながら言った。
ギルガメシュは安心し、ネルガルは誓いを聞き届けて帰っていった。
鎖を引き抜いたギルガメシュは、木にもたれて眠る、須臾の間にまた一際、すっかり美しく、愛おしくなった人に初めて声をかけた。
ギルガメシュは赤い瞳に無垢を宿して、色恋を知らぬ、全くの白くて汚れのない幼子の快活さを音に込め「お兄さん!こんなところで眠るとお風邪を召しますよ?」と声をかけた。
黒曜石の愛し人は瞳をゆっくりと開けると、その美しい、後光が眩しいあまり常人には何色とも測れない、才能ある美しいもの達にのみ見ることが、知ることが許された二つの瞳に、ギルガメシュを認めた。
ギルガメシュを認めた黒曜石の希望は「おや、可愛らしいお客さんだね。心配してくれてありがとう。私は少し前からここで過ごしているのだけれど、人間にあったのは久しぶりのことだよ。」と言った。
ギルガメシュはニコニコと、純真を全面に出して、「不思議なお兄さん。ボクはギルガメシュと申します。少し離れたウルクからこの森に、遊びにお邪魔しました。よければお名前を教えていただけませんか。」と上目遣いで言った。
黒曜石の希望は人好きする笑顔で、「久しぶりに名前を聞かれたよ。嬉しいものだね、人とお話しするのは。君は、ギルガメシュ君と言うのかカッコいい名前だね。申し遅れました、私はアマロ。アマロ・カジャタムと申します。どこから来たのか…については少し説明しづらいかな…バビロニアに住んでいたんだけれど、その前はとってもとっても遠くにいたとしか私もわからないからね。」と快く答えた。
ギルガメシュは「すごいです!そんな遠くからいらしたんですね…もしよければ、何かのご縁ですから、ボクの住むウルクに一緒に来てくれませんか。ボクがウルクをご案内しますよ。」と満面の笑みを浮かべて、更に両手を胸の前で握る、懇願するような可愛らしい手振りまでつけて之を言った。
アマロは、大層寂しがりやであるようで、ギルガメシュとの会話に楽しみを見出して、この可愛らしいギルガメシュからの誘いに、「う〜ん。嬉しいお誘いだけど…迷惑にならないかな。」と前向きな気持ちを隠せずに答えた。
ギルガメシュは目を、獰猛な鷲のように瞬き光らせると、すかさず幼子の柔和な微笑で、しかし色恋の良識ある人が見れば熟れた色気が溢れた、興奮を隠し切れない面持ちで、背丈が頭二つ分ほど違うアマロに、アマロが木にもたれていることを利用して、飛び込むようにしがみついた。
アマロに抱きついて、その芳しさに痺れを覚えながらギルガメシュは、「是非!!皆んな必ずアマロさんとお会いできるのを楽しみにしてます!!ですから、是非、一緒にウルクへ行きましょう!迷うことがないように、ボクが手を固く繋いでひいて差し上げますから!」と叫ぶように言った
つい先ほどまで眠っていたアマロはしかし、眠たそうであったし、実際、まだまだ彼は眠たかった。
アマロは「うん。そうしようね。でも、私はまだ少し眠くてね…そう急ぐ必要もないのなら、私と一緒にお昼寝でもしようよ。」とギルガメシュに返した。
アマロはそう言うと外套がわりに羽織っていた、何時ぞやに貰った獅子の革を鞣した、上質の毛布を捲り、自身の胸元に頭を擦り付けて離れない、愛らしいが鼻息の荒い子供ギルガメシュごと、自分の身を包むと、木にもたれ直してまた目を瞑ってしまった。
ギルガメシュは気を失った。
ギルガメシュが目を覚ますと、空は火のような赤い色に変わっていた。
ギルガメシュは、毛布に包まれているのが自分だけだと気づくと、すぐにアマロを探した。
アマロは「おや、目が覚めたかな。かなり疲れていたんだね、ゆっくり休めたかな。ところで、ギル君はお腹空いてたりする。」と、何処からか獲ってきた果実や、豆と麦の汁物が煮込まれた、使い古した青銅の鍋を、木の大きな匙でかき混ぜながら、目をパチパチとさせたギルガメシュに声をかけた。
ギルガメシュは「あぁ、よかった。ボクはアマロさんがいなくなってしまったのかと。」と安堵の息を漏らし、同時にギルガメシュの腹の虫が鳴いてしまい、ギルガメシュは赤面した。
アマロは「ギル君はお腹が空いているみたいだね。作っている粥が無駄にならなくて良かったよ。」と言って朗らかに微笑した。
ギルガメシュはアマロの一挙手一投足に雷に打たれたような衝撃を受けては、心が軋むほどに甘く締め付けられるのを感じた。ただそこにアマロが存在しているだけで、意識せずとも、ギルガメシュは自分の心身が熱を帯び、息を吐くのと心の臓が忙しなくなり、指先や掌に汗を帯びるのを感じていた。
ギルガメシュの赤く色づいて中々冷めない顔に気づいたアマロは、「大丈夫!熱でもあるのかな、こっちにおいで!ほら、私におでこを貸してごらん。」と言うが早いか、親心もあってか、何か惹かれるものに突き動かされてか、鍋をかき混ぜていた匙を放ると、優しくギルガメシュを抱き寄せ、この大人びた悩みを秘めた少年の額に、自分の額を触れ合わせ、その体の赤みが、病や何か危ういものでないことを確認した。
力なく、アマロに解放されるがままに任せたギルガメシュは「あぁ、ボクは何て欲深いのでしょう…。」とうわ言を漏らしていた。
結局アマロに最初から最後まで、粥の最初の一匙から果実の最後の一切れまで「はい!あ〜ん。」で食べさせられたギルガメシュは、幸福に満ちた、実にあどけない寝顔で、アマロに抱きついて眠りについた。
次の朝、目を覚ましたギルガメシュは名残惜しいが、実に残念でならないが、血を吐く思いで、アマロに一度ウルクへ帰る旨を伝えた。
ギルガメシュは「一緒に来て下さらないのですか?」と上目遣いで、本物の、血の涙を滲ませてアマロに迫ったが、アマロが「ごめんね、また来て欲しいな。私はもう少し、ここで過ごしてから行くよ。前にバビロニアから追い出されてしまった時のことが不安でね…。」とギルガメシュに申し訳なさそうに謝ると何も言えなかった。
「お詫びに、良いことがありますようにの口付けを贈ろう。」と言って、ギルガメシュが何か言う前に、その額に口づけた。
ギルガメシュは自身の体に渦巻く力が瞬く間に爆発するのを幻視して、ついでそれが確信であることに気づいた。
ギルガメシュは、「次にお会いする時は、ウルクが美しい貴方のことをお迎えする用意が整った時です。ボクは既に二つの誓いを立てました。貴方とも、一つだけ誓いを立ててもよろしいですか?」と敬虔な眼差しでアマロの手を両手で握りしめて言った。
アマロは「もちろんだよ。私が君に差し上げられるものもそうないけれど、誓いを立てることはできるとも。」と快くこの申し出を受け入れ、頭二つ分は低いギルガメシュに視線を合わせるために中腰になった。
ギルガメシュは跪き、「どうかボクの傍に居てください。ボクが貴方を迎えに来ることができたら、どうかボクの傍にずっと寄り添ってくださいませんか。ボクはその誓いを果たすために、この世の全てをアマロさんに捧げます。」と神殿の巫女に婚約を申し込むような誠実さと善良さでもってアマロに誓いを立てた。
アマロは微笑むと、「ギル君の誓いを受けよう。私は、君が望む限り、君が私を必要とする限り、いつまでも君の傍に寄り添うと誓うよ。」とさっぱりと応えた。
ギルガメシュは心から喜び、「豊穣のイナンナ神が神々の主となるより先に、貴方をお迎えにあがります。」と宣言して、一度ウルクへの帰路についた。