07黄金色の凱旋
ウルクへ帰還したギルガメシュは多くの期待を背負っていたことに目を向けた。
多くの心あるもの達からの心配りと、多くの口さがない、言葉を選べば最もらしい人々がそれぞれウルクで、それでも自分のことを待っていたことに気づいた。
父のルガルバンダ王は丸一日帰らなかったことをいたく心配していた。ルガルバンダは太陽神シャマシュの加護無き暗闇の世界に、息子が飲まれてしまったのでは、と思い、日が昇り、月が昇るまでの間に昼食のパンが乾いてひび割れることにも気づかないほど祈り続けた。
ルガルバンダ王は、見違えて聡い瞳をした息子ギルガメシュの帰還に大いに喜び、神々に自らの痩せた体を顧みることなく太った山羊を捧げた。
ギルガメシュはウルクに帰るとまず、父王に自分の体験した神秘について事細かに説明した。
黒き後光を纏いし美しい人。その話にルガルバンダ王は驚き、喜び、「その方こそが我々の探していた、古代より伝えられる、黒曜石の希望の御方に違いない!」と叫び、「ギルガメシュよ、お前はその御方を我がウルクに迎え入れるために、再びその方の元へ向かいなさい。」と言いつけた。
ギルガメシュは微笑むと、真面目な顔で「父よ、王よ、迎え入れるためには、二度と古代の愚かな王がバビロニアからアマロ様を追放した時のような、恐ろしい真似を、後の世の愚かなもの達が出来ないように、王の力で禁じなければなりません。それがなくしては、アマロ様は決して、このウルクに訪れては下さらないでしょう。」と進言した。
王は「確かにそうであるな。よし、アマロ様を迎えるために、私は新しく禁じられるべき行いを民に教えよう。」と言った。
ギルガメシュはそれがよろしい、と言い一度退出した。
ギルガメシュの帰還は神々の耳にも届いた。
神々は口々に、「聖なる森に入り込んだことは許されないことだ。」と言ったり、「いいや、そのお陰でアマロ様に出会うことができたのだからギルガメシュは使命を果たしたのだ。」と言ったりした。
神々の王エンリルと主神アヌは、ギルガメシュの誓いを他の神々に伝えた。他の神々は「なるほど、そうであるならば仕方ない。我々は誓いに従おう。」と言って、後は何も言わなかった。
ただ、アヌの娘の、豊穣と美の神であるイナンナ…あるいはイシュタル…と呼ばれる女神が一人、「私はギルガメシュがどのような者なのか見てみたいわ。そして、ギルガメシュが誓いを立てたその黒曜石の希望とやらもこの目で見てみたいわね。」と興奮して言った。
父親である主神アヌは娘の激しい性格を知るが故に困り、イナンナと仲が良くも悪くもなかった神々の王エンリルは「誓いを破らない限り、イナンナ殿の行いを咎めるものでもあるまい。」と言った。
豊穣と美の神イナンナは「月の神が眠りについた、次の最も美しい新月の夜に、私はウルクの巫女の体を借りるの、そしてルガルバンダの息子ギルガメシュと、黒曜石の希望をこの目で見てくることに決めたわ!」と言った。
父親の主神アヌは「誓いをもう一度よく確かめて向かうが良い。」と娘に言った。興奮したイナンナはそんなことに耳を貸すまでもなく、次に最も美しい新月を心待ちにした。
次の最も美しい新月の夜は、10数年先のことである。
ギルガメシュはウルク中の名士たちを呼びあつめ、素晴らしい宮殿を建てるように命じた。
名士たちは日照りや洪水で飢えているウルクにあって、王に次いで豊かな者たちだったが、それでも皆痩せていた。ギルガメシュからの命令に名士たちは反発した。
宮殿が建てられれば、より完璧に近い形でアマロを迎えることができる、とギルガメシュは説明したが、名士たちはギルガメシュの言葉を信じずに、昼間だというのに地べたで眠り始めたり、前に座る名士の背中を貸してもらい、パン生地を捏ね始めるものもいる始末だった。
ギルガメシュはこの分からず屋たちには、何かを与えなければ言葉に耳を傾けてくれないと分かっていたから、自身の懐を探った。
すると、懐から乾いた豆と麦が一粒ずつ、果実の種が一粒落ちてきた。
名士たちは見たこともないそれに好奇心が刺激されて「王の子よ、賢いギルガメシュよ、それは何なのですか。なんの種なのですか。」と問わずにいられなかった。
10人、100人と集まってきた名士たち。ギルガメシュは「この種は、ボクがアマロ様からいただいた大切な実りの種なのです。」と言った。
名士たちは噂に聞いていた黒曜石の希望、アマロの話に興味をそそられ、また実りという、なんとも甘美な響きに釣られて「では、賢いギルガメシュよ、私たちは貴方の命令に従おう、だが、もしも貴方が慈悲深く、豊かなその実りを分けて下さるような、真に良心に認められた御方であるのならば、私たちはより短い時間で、最も素晴らしい神殿をアマロ様にご用意しようではないか。」と言った。
ギルガメシュは「あなた方も、また、飢えているのですから、そういうのも無理が無い話でしょう。」と言うと、惜しみつつも手の平に乗せた種を其々の名士達の代表者に貸し与えた。
「もしも、貴方達が実りを心から求め、民とその豊かさを分かち合おうと思う方々であるなら、この種はどのような種よりも立派な身をつけるでしょう。ボクの話を信じるなら、その種に、この国で最も清涼な水を捧げるのを忘れてはなりませんよ。」と警告したギルガメシュは、王宮に戻り、最も素晴らしい土地と、最も素晴らしい湧水の在処を父王ルガルバンダから教えてもらい、これを名士たちに教えた。
麦を植えた名士たちは、自分で水をやることがなかったので、物を知らない雇われの農人が、温くてあまり良くない水を捧げているのを知らず、普通の実りしか得られなかった。
果実を植えた名士たちは、最も肥えた土に種を蒔いて、最も良い水を使い、大いに実りを得た。しかし、手に入れた実りを、飢えた民や、物乞いの老人たちに分けることをしなかったので、二度と大きな実りを得られなかった。
豆の種を植えた名士は、自分の手で水遣りを手伝い、水は最も良いものを、土も最も良いものを用意していた。とても大きな実りが手に入ったので、名士たちはお互いの家族だけでなく、遠縁の若い夫婦や、年老いて貧しいものたち、子供のいる民の家に実りを分け与えた。豆は名士たちが実りを民に分け与えるたびに増え続け、次の年には初めて収穫した時の10倍に増した。
豆を作った名士たちは民から尊敬され、天に昇れば必ず沢山の、彼らの顔を知らぬ民さえもがその死を悲しみ、その慈悲深さを讃えて歌にした。
麦と果実を作っていた名士たちは豆を作っていた名士たちの成功を妬んだが、妬めば妬むほどに家が貧しくなり、ますます妬んだので遂には物乞いの老人の敷物の隣に、掘建小屋を建てなければならないほどになった。
物乞いに慣れていなかった名士たちは日々の糧を得られることができなかったため、すぐさま飢えた。飢えた名士たちは豆を作る名士たちや、物乞いの老人たちに糧を分けてもらい、生きながらえた。
慈悲深い人々に感謝した麦と果実の名士たちは、雇い入れていた農人に無礼を謝り、豆の名士と物乞いの老人たちに跪いて感謝した。
心を入れ替えた麦と果実の名士たちは自分で、最も良い土に、最も良い水で育てた麦と果実を、どんなに微々たる量であっても物乞いの老人や農人達、貧しく飢えた民達に分け与えた。
すると、一日で種は芽吹き、二日で大きく成長し、三日で収穫できるようになった。種を蒔いていないところからも、水を撒いてすらいないところからも黄金色の麦と、艶やかで丸々とした果実が実った。
民も名士達も喜び、名士たちは自分がすっかり豊かさを共にすることが楽しみになっていることに気づき、新しい楽しみを知る機会を与えてくれた、アマロとギルガメシュに厳かに感謝した。
名士たちは宮殿に集まり、ギルガメシュとルガルバンダにアマロを迎えるための神殿を建てたいと申し出た。
ルガルバンダは喜び、「おぉ、ギルガメシュよ、お前のおかげで我が国の繁栄は夢では無くなったぞ。お前は偉大な王になれるだろう。」と言った。
また、続けてルガルバンダは「ギルガメシュよ、お前はこれよりアマロ様をお迎えに行くのだ。」と言った。
名士達の気持ちが変わる前に、民が再び飢える前にとルガルバルダは、そう思ったのだ。
ギルガメシュは父親の思いを悟り、「分かりました。ボクはすぐにでも出立したいと思います。月がその体を起こすより前に、神々の宝具であるこの鎖と、知恵と水の神エンキがボクをアマロ様の元へと導いてくれるでしょう。」と自信を感じさせる声で宣言した。
名士たちは恭しくギルガメシュとルガルバンダ王に礼をすると、ギルガメシュに「未来の王よ、偉大なる賢き人ギルガメシュよ、どうか我がウルクに繁栄をもたらしてください。」と祈りを捧げた。
ギルガメシュは太陽神シャマシュが体を起こす前に宮殿を出て、そな恩寵が最も天高くに輝く頃に森に辿り着いた。
ギルガメシュは以前来た通りに進み、以前来た通りにパンを食べ、水を飲み、そして神秘の場所へと舞い戻った。
ギルガメシュがたどり着いた時、アマロは以前のように木にもたれて昼寝をしていた。
ギルガメシュは心が騒めくのを覚えて、衝動的にアマロの側に寄りかかった。
耳元から「おや、早かったね。それじゃあ、私も誓いを果たそう。」というギルガメシュが最も聞きたかった声が聞こえた。
ギルガメシュは驚きを上回る喜びを、共に過ごせる時間を瞼の裏に思い浮かべて、我慢できずにアマロへと抱きついた。
ギルガメシュは嬉し涙を瞳に浮かべて、「あぁ!嬉しい!アマロさん!ボクは貴方を迎えに来ることができました!もう、離れる必要はありません!ずっと、ずっと一緒です!」と言って、顔をアマロの腹に押しつけた。
アマロは笑顔になり、ギルガメシュのひと回り小さな手を、優しく重ねるように握ると、「ギル君…ギルガメシュ、君の気持ちを私は受け止めるよ。さぁ、私をウルクへ案内しておくれ。私は、君が私に誓ってくれた通りに、君が私を必要としなくなるまで、ずっと、君のそばに居るからね。」と優しく言い聞かせた。
ギルガメシュは号泣して、自身の手に重ねられたアマロの手に何度も口づけた。
アマロは「オマセさんだね。」と苦笑しながら言うだけで、嫌そうにする素振りもなく、ただその美と愛を振り撒いてギルガメシュの心を甘く溶かした。
アマロを連れたギルガメシュが凱旋した。門を抜けてウルクに入っても、アマロとギルガメシュの手は決して解けないように、溶け合うように握られていた。時は既に太陽神シャマシュが眠りにつき、月の神が仕事を始めており、松明がウルクの最も広い道の両脇に延々と焚かれ、火の道をアマロとギルガメシュは共に宮殿に向かって歩いた。
アマロの姿を初めて目にした民や名士達、様子見に使わされた王の廷臣達は、その美しさに瞳を焼かれた。驚いたことに、誰もがこのアマロの美しい姿に心を奪われ、心の臓は心を奪われている間完全に動きを止め、人々の声も、呼吸の音も、生活の営みの音も聞こえなくなった。
そして、次に瞬いた時、眠りについている神々までを起こしかねないほど、まさに天地を震わせる大歓声がウルクの街の隅々から上がった。
老いも若いも、女も男も関係がなく、中には赤子までが母の乳から口を離し、涙してアマロを見つめて夢中で手を振った。
熱狂に包まれた民は「ギルガメシュよ!英雄よ!繁栄をウルクに!!」と祝福を叫んだ。ウルクの民はそれまでの全ての困難と飢えと苦しみとが、すべてこの瞬間のためであったと、神すら足元に寄せ付けない美しさを人間の身で一眼見るためだったのだと確信せずにはいられなかった。
涙する老人達は豊かなものも、貧しいものも肩を寄せ合って建造中の神殿とアマロへ交互に祈りを捧げた。街の職人達は出来たばかりの袋や、焼けたばかりの器を砕いたり破いたりしてしまった。あまりにも美しいものを見た彼らは、物を作るものとして、今まで自分達が作っていた物の没美へと憤り、恥入り、憤激のあまり作品を砕かずにはいられなかったのである。
名士たちは民の先頭に立つと「おぉ!偉大なる祖先が奉りし、慈悲深き美しき御方よ!!ウルクは国を挙げて貴方に豊かさを約束しよう!!黒曜石の希望の御方よ、我々は貴方の叡智を尊び、その穏やかな繁栄に服するお許しをいただきたいのです!!」と声を合わせて言った。
民は、その敬虔により豊かさを共にしてくれた良心に認められた名士たちに追従して、彼らの言葉を復唱した。
民は跪いて、両手を合わせて「おぉ!偉大なる祖先が奉りし、慈悲深き美しき御方よ!!ウルクは国を挙げて貴方に豊かさを約束しよう!!黒曜石の希望の御方よ、我々は貴方の叡智を尊び、その穏やかな繁栄に服するお許しをいただきたいのです!!」と叫んだ。
民の声は神々の瞼を軽くしてしまうほどに高らかで、月の神は胸をムカつかせたが、松明に沿って人間の宮殿に向かう二人から立ち昇る、神々ですら感知できない、いや、そもそも、全く知らない神秘の力に気圧されて、怒りの気力も失せてしまった。
やる気を無くした月の神は供えられていた酒を飲んでしまったので、気象の神アダドが雲を引き連れて、月の神の怠惰を咎めたために、月が隠れてしまった。
真っ暗になったので、民の声に起こされた神々も、殆どが二度寝を始めたが、松明を従えた火の神だけは人間に、その目にアマロの美しい姿を映すことを許した。
火の神は眠ることのない慈悲深く気持ちの激しい神だったが、今日ばかりはアマロの姿に人間と同じように、いや人間以上に見惚れて、すっかり骨抜きになっていた。
民の声は月が隠れてからより一層に高まり、月の神にもう眠るようにと叱りつけた気象の神アダドも、この小五月蝿い小さな者どもを、どうしてくれようかと腹を立てた。
アダドの気分があまりよろしくなかったのだから、アダドに従う雲たちは怯えて泣き出してしまった。鳴き声は風に、涙は雨になった。
人々は、恵みの雨だと更に声を大きくした。風が吹いて、ウルクに蔓延っていた飢えと寒さと病の不安を、その源ごと全て洗い流してしまった。人々は更に声を上げて、神々と、王ルガルバンダと、勇敢で聡明なギルガメシュと、そして蕩けるように美しいアマロへの賛辞を声を揃えて謳った。
アマロの姿を見たいがために風が吹いても雨が降っても消えない火の神が従える松明は人間達を大いに喜ばせた。
アマロとギルガメシュが宮殿に入るまで騒ぎは続き、宮殿の中でアマロを歓迎し、ギルガメシュの勇気と賢さを讃える廷臣と王の詩が聞こえてくると、ぴたりと民の声は止んだ。火の神がアマロを追い、宮殿の方へと向かったのである。
月の神さえも眠りに着いた晩、民達はお互いの家々に遊びに行くこともなく、泥のように眠った。それまで抱いていたウルクの未来への不安がすっかり押し流されてしまい、重い荷物を置いたからか、安心していびきも聞こえないほど眠ったのだ。
どれほど小さな者達も、どれほど大きな者達も、皆同様にして、互いのこれまでの懸命を、沈黙で労いあった。
太陽神シャマシュが欠伸をしながら仕事に取り掛かるまで、ウルクの心ある人間達は力と希望を蓄えることができたのだった。
しかし、神々の中には民の声に起こされて寝覚が悪い者達も、いない訳ではなかったのだ。
例えば、そんな神々の中でも、夜の睡眠を美貌に良いとする、真夜中に揺り起こされることを嫌う、豊穣と美の女神イナンナがいるように。