参考までに両手の花   作:氷の泥

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04 思い出し笑い

 倉田海(くらた・かい)……人間界にて社会人二年目。人間。男性。

 クナリ……人間界にて社会人?年目。サキュバス。大人っぽい方の先輩。

 カルタ……人間界にて社会人?年目。サキュバス。子供っぽい方の先輩。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 始業してまだ二時間も経っていないある日、どこからも電話のかかってこない束の間の静寂の中で、「ふひっ」という不気味な笑い声が倉田の耳に入った。

 PC画面上の業務に釘付けだった彼が思わず顔を上げ、首をめぐらせて笑い声の出どころを探る。いつもの無表情でそれをする彼の姿は、さながら監視ロボのようだった。……そしてその監視ロボの目に、バツの悪そうな顔であわてて顔を伏せるクナリの姿が映る。

「(さっきのはクナリさんの声……?)」

 まだ勤め始めて丸一年が過ぎたくらいなので、ただ単にそういう巡り合わせだっただけなのかもしれないけれど。倉田は、クナリが一人で突然笑い始めるという光景を今日まで見たことがなかった。

「(クナリさん、おかしくなっちゃったのかな……)」

 過労死ラインには程遠いにせよ、まだまだ新人の部類である倉田にも毎日の残業がある。そして彼はこれまでに一度も、自分より早く帰るクナリというものを見たことがなかった。

 ……という出来事を経ての、その日の昼休みのこと。いつもの休憩スペースにいつものサキュバス二人はいた。何やら楽しそうに談笑している。

「クナリさん」

「おお、倉田くん」

 談笑からの惰性による笑みを浮かべたまま、クナリはいつものように椅子を引いて倉田を迎え入れる。

「ちょっと聞きたいことがあるんですけど」

 神妙な面持ちで、あるいは日頃と全く変化がない仏教面で、倉田はそう切り出した。

「私に?」

「そうです。……午前中、急に笑ってませんでした?」

「ふひっ」

 あの時と全く同じ笑い声がした。彼もまさか今時、アイドルはトイレに行かないだなんてことを思っているわけではないけれど、倉田はクナリのその笑い声を聞いて「美人からもそんな声が出るんだな」と、この世の真実に一歩近づいたような気分になった。

「やっぱりバレてたんだ」

「おかしくなったのかと思いましたよ」

「否めないかも」

「えぇ……」

 なぜかクナリの隣でニヤついているカルタが気になりつつも、倉田はひとまず会話を進めることを選ぶ。

「おかしくなっちゃったんですか……?」

「いい歳して仕事中に思い出し笑いすることを、そう捉えるなら」

「思い出し笑い?」

「そう。この前の土日にね、面白いことがあったんだよ。聞いてくれる?」

「いいですけど」

「えー、カルタその話もう聞いたんだけどー」

 と言いつつさほど不満でもなさそうなカルタを「まぁまぁ」となだめながら、クナリは語り始める。

「この前の土日に、マッチングアプリで知り合った男の子とホテルに行ったんだけど」

「ちょっと待ってください」

 倉田は深呼吸をした。「いつかどこかであったのだろう性的な出来事」ならまだしも、「目の前の相手に最近確実にあった性的な出来事」を女性の口から聞く時、彼にはその深呼吸が必要なのだ。

「どうぞ」

「いやそんな大した話ではないんだけど。えっとね、マッチングアプリで知り合った男の子と会ってみたんだ、この前の土日に。そしたら、いざ会ってみた相手がなんというか、すごく、こう……、……ぬぼーっとした人だったの」

「ぬぼーっと……?」

 ぬぼー、という響きから、倉田の中に一つの具体的なキャラクターがイメージされる。それは「ヌオー」という名のポケモンだった。

「うーんとね、なんかこう、……語弊がある言い方でもいい?」

「どうぞ」

「倉田くんみたいな人だったの」

「えっ」

 語弊ってこっちに来るのかよ、とか、自分ってぬぼーっとしてるのか……とか、今晩眠る前の布団の中で思い出しそうな感情が倉田の中を駆け巡る。

 しかし一番の大問題は、この前の土日に「自分に似ている自分ではない相手」が、クナリとホテルに行ったらしいことだった。ほぼドッペルゲンガーじゃないか、と倉田は思った。

「いや、雰囲気がね? 無表情なところとか、喋り方の抑揚が薄いところとか」

「よく言われます」

「でしょうね。……まぁ、大体そういう人だったのよ。倉田くんと違ってつまらない人だったけど」

「えっ」

 お世辞だ、と思いつつも倉田の口角が、心の中でだけ少し上がる。現実の表情筋は、大半を母親の腹の中に置いてきてしまった。

「なに話しても「うん」とか「別に」しか言わないし、ハズレ引いちゃったなーと思いつつ、まぁ一応約束だからホテルに行ったのね」

「はぁ」

「そしたらその人、もうどの段階まで行ってもぬぼーっとしてるのよ。ホテルに入る時も、エレベーターの中でも、部屋に入ってからも、脱ぐ時も」

「緊張してたんですかね?」

「いやあれは絶対に違う。むしろリラックスしてたと思う。そういうところは倉田くんと同じよ」

「俺はそわそわしますよ」

「本当かなぁ」

 疑いの視線が倉田に向く。カルタに至っては疑いどころか「いやいや、ないない」みたいな目をしていた。倉田はそれらを心外に思った。

「で、まぁそれで脱いだんだけど、そしたらきっちり勃ってはいたのね、その彼も」

「じゃなかったら意味不明ですもんね」

「まぁね。で、だからその時私は、つまんなさそうにしてる癖にしっかり期待してるんじゃん、って思ったんだけど、そう思ったからにはからかうしかないでしょ?」

「そういうものですか……?」

「うん。だから言ったの。「あらあら、こんなに大きくなって」って」

「はぁ」

 そんな漫画みたいな台詞を本当に言う人がいるんだな……と倉田は、この世の真実にさらに一歩近づいた気分になった。

「そしたら彼、なんて言ったと思う?」

「えぇ……? 見当もつきませんけど……」

「じゃあ倉田くんならなんて言う?」

「俺ですか。…………「すみません」、ですかね」

「あはっ!」

 クナリはその答えを非常に気に入ったようだった。カルタはどちらかというと苦笑いしている。

「なるほど、言いそうだ。……まぁでも、その時の彼はそうは言わなかったの」

「なんて言ったんですか?」

「そんな、親戚の子に久しぶりに会った時みたいな。……って言ったのよ」

「…………」

「…………」

「……えっ」

 沈黙によって話の完結を悟った倉田は、そのあんまりな出来のオチにむしろ自分自身を疑った。何か大切なことを聞き逃していたのではないかと。

 けれどいくら考えても何が面白いのか全く分からなかったので、素直にそれを口にすることにする。

「あの、お言葉なんですけど」

「うん」

「つまらなくないですか……?」

「本っっっっ当に、私もそう思った」

 本気で言ってんのか? と言われるのではないかと、倉田は一瞬マジでビビったが、その真逆の答えが来たことで(内心で)ほっと胸をなでおろす。表情は相変わらず変わらなかったが、ため息は出た。

「じゃあなんでそれで笑ってたんですか……」

「いや、「当時は」本当にそう思ったのよ。なんか、なんで、なんで? なんでそんなつまんないことをこのタイミングで言えるの……? って、正気を疑ったわ。当時はね」

「「うん」と「別に」しか言わない人だったんですもんね」

「そうなの! ずっとつまんない芸人みたいなノリだったらまだ分かるんだけど、本当に不可解だったわ。そんなだからもう気が散っちゃって、結局彼はハズレだったのよ。エッチも平凡中の平凡って感じだったし」

「災難でしたね」

「まぁ私が誘ったんだけどね」

「えっ」

 怖っ、と倉田は思った。ドッペルゲンガーがここまで酷評されているのだから、明日は我が身だ。

「けどね、その日家に帰ってから寝る前に、布団の中で考えたの。親戚の……こう……高校一年生くらいかな? そのくらいの男の子に数年ぶりに会って、あら~大きくなって~、みたいなことを言う自分を想像してみたの」

「ははぁ」

「そしたらさ、気づいたのよね。……「大きくなって~」って言われる年頃の子って、実際にそっちの方も成長してるはずだよなぁ……って」

「あぁ」

 たとえば小学生男児と男子高校生の下半身のそれを見比べれば、それはまぁ当然に成長が見受けられることだろう。だからなんだという話だが。

「そう考えたらさ、すごい面白くない? 確率的に考えてさ、毎年全国のどこかで、親戚のお姉さんと男子高校生の間にそういうやり取りが生まれてるのよ? もちろんその「お姉さん」たちはみんな、普通の方の意味で言ってるんでしょうけど、でも状況だけ見たら、状況だけ見たらよ? 実は内心では下半身に向けて言っていたとしても、そのまま意味は通ってしまうわけでしょう?」

「まぁ」

「いや、そう考えたらもう面白くって! そんな親戚の子に会った時みたいな、ってツッコミがさ〜!」

 ひっひっひっ、とまたなぜか不気味な声で、クナリが思い出し笑いを始める。それを眺めているカルタは、倉田に対して向けたような苦笑いではなく、嬉しそうなニヤニヤ笑いを浮かべていた。

 次に口を開いたのは、そのカルタだった。

「ってことでね倉田くん、クナリはおかしくなっちゃったんだよ」

「否めませんね……」

「カルタはね、こういう時のクナリが一番好き」

「えぇ……」

 おかしさで言えばどっちもどっちなんじゃないか……? と思いつつ、一人笑い続けるクナリを見ながら、倉田はその笑いの中身に思いを馳せた。

 彼女にも「親戚の男の子」はいるのだろうか?

 

 

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