ペルソナ4~迷いの先に光あれ~   作:四季の夢

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あくまで総司達が見ているのは、洸夜の視点だけです。


外伝 : 影の終演、霧の開演 【前編】

二年前……。

 

現在、辰巳ポートアイランド【ポロニアンモール】

 

辰巳ポートアイランドの一部であり、ムーンライトブリッジを渡った人口島にここは存在する。

桐条グループが出資し、作られたショッピングモール。

円上の形、それに沿って存在する店の数々。

老若男女拘らず、あらゆる人々がここを訪れる。

そして、今はまだ昼ぐらいの時間。

まだ、街も人も明るい雰囲気だが、中央に存在する噴水のベンチに座る一人の少年がいた。

服装は学生服で月光館の制服を着こなすこの少年の名は"瀬多 洸夜"。

昨日、月光館学園を卒業したばかりの少年である。

しかし何かあったのか、洸夜は両手を握り、それをおでこに付けながらも顔を下げている為、表情は分からないが少年は時折肩と拳を震わせ、泣いているかの様にも見える。

周りの通行人や買い物客も、そんな洸夜を気にして敢えて触れずにそのベンチを避けて歩いていた。

そして、洸夜自身も周りのそんな様子に気付いたのか、静かに顔を上げるが、洸夜の瞳は軽く充血していた。

 

「どうする事も出来なかったのか? 本当に……俺は……俺達は『アイツ』に何もしてやれなかったのか……!」

 

屋上でアイギスの膝枕で安らかな表情で眠る『彼』。

その様子が鮮明に洸夜の頭に写し出され続ける。

眠る『彼』、最初は洸夜もただ眠っている様に思えてしまったが、異変に気付くのに時間は然程掛からなかった。

目を覚まさない。

起きろと言っても起きない。

気付けば洸夜は、自分の目から涙が流れている事に気付くが、はっきり言って訳が分からない。

何故、自分は涙なんて流しているのか?

流す理由なんてない、なのに何故流す?

アイギスの目にも雫が流れている。

何故、彼女も泣いている?

そして、何故……『彼』は全く目を覚まさない?

洸夜は認めたくなかった、知りたくなかった。

自分が泣いている理由を。

だが、今日全てが分かってしまった。

だから、洸夜は自分がこの場所にいるのだと分かっていた。

このショッピングモールの奥にあるあ青い扉。

契約した者のみが招かれる場所。

そこで、洸夜はイゴールから聞いてしまった。

 

「……『宇宙』のアルカナ……"ユニバース"……!」

 

ワイルドを超える力。

だが、洸夜はそれを扱えなかった。

理由は分かる訳がない。

 

「……『■■■』、お前は後悔はなかったのか? 」

 

"恨んではいないか?"

 

その言葉だけが洸夜は言えなかった。

『彼』の性格を知っているからだ。

だが、『彼』が後悔していなかったのかは分からなかった。

両親が死に、その体内に"デス"を封印され、今度は自分の命を……。

 

「お前……本当にそれで良かったのか……!」

 

ショッピングモールに洸夜の悲痛な叫びが響く。

だが、お客さんはいつの間にか消えており、それを聞く者は誰もいなかった。

しかし、洸夜も頭では分かっている。

そういなければ、世界が滅んでいたのだから。

 

「俺は……一体、これからどうすれば良い……? 『お前』、総司と会ってみたいって言ってたろ……」

 

洸夜はニュクスとの戦いの前にした『彼』との約束を思い出す。

どこか似ている弟の総司に会ってみたい、『彼』がそう言ったから、洸夜は色んな意味で楽しみにしていた。

だが、もうその約束は叶わない。

『彼』がいないから……。

その事実が洸夜の胸を締め付け、どうしようもない想いで胸が苛つき始めた、洸夜は思わず苦しみで表情を歪ませ、身体を一旦立たせた。

そんな時だった。

 

チリーン!

 

「!……鈴?」

 

身体を動かした事で、洸夜のベルトに付けている黒い鈴が鳴った事で洸夜は我に帰る。

色んな人に渡した鈴。

絆を結んだ人に渡した鈴。

それを見て、洸夜は思い出した。

 

「こんな所で、俺一人だけが悲しんでいる訳にはいかない……か」

 

洸夜は指で涙を掬うと、静かに立ち上がった。

自分一人だけが悲しんでいる訳にはいかない。

自分と同じ、またはそれ以上に悲しみ、傷付いている者達がいる。

悲しむのなら、その者達を支えた後でいくらでも出来る。

 

「寮に帰ろう……あいつ等を支えずに一人で悲しんで、何が兄貴分だ」

 

洸夜は静かに歩き出す。

今の自分の帰る場所へ。

支えなければならない者達の下へ。

 

「帰るまでに、涙を拭かないとな……」

 

優しい笑みを浮かべ、洸夜は己へ言い聞かせる。

洸夜自身も立ち直った訳ではないが、行かなければならない。

ここで一人で悲しむだけで終わるなら、『彼』が化けて嫌味でも言ってくるかも知れないが、その時は此方も何か言ってやれば良い。

 

「案外、俺自身は受け止めているのかも知れないな……」

 

そんな事を考えてしまう自分に、洸夜は先程まで泣いていた自分を思い出しながらも、そう呟いていた。

強がりと本心の両方かも知れないが、少なくとも、今は受け止めようと洸夜は思う。

そうでもしなければ、寮に帰ってもメンバー達に何も言えないから……。

そして、洸夜は前へと歩き出す。

優しい笑みを浮かべ、支えてやらねばならぬ仲間の下へ。

再び頬を蔦る雫を、何度も拭きながら……。

 

▼▼▼

 

現在、巌戸台分寮【エントランス】

 

ポートアイランド駅から少し離れた場所に、そこは存在した。

寮と言われているが、見た目は完全に洋風の屋敷にしか見えない建物、そう、ここは対シャドウ本部でもあるペルソナ使い達の住んでいる場所。

この寮の住人がペルソナ使いである事を知っているのがごく一部であり、一般の人には当たり前だが知らされてない事。

そして、その寮のテーブルや椅子、受付、裏口、トイレと二階への階段がある一階のエントランスでは、四人の男女が集まっていた。

メンバーの代表格の美鶴、古株の明彦、そして間も無く三年生になるゆかりと純平の四人。

その他のメンバーは皆、自室に閉じ籠っている為、エントランスにはいない。

だが、集まっている四人もまた、仲良しの雑談をしている訳ではない。

それを証拠に、ゆかりは椅子に座って泣き崩れていた。

 

「……うぅ……ぐっ……どうして……どうして……なんで『彼』だけが……!」

 

「ゆかりっち……ズズ……あの、バカ野郎……!」

 

泣き崩れるゆかりを隣で見ている順平も、親友への悲しみで鼻をすすりながら涙を流している。

当初は皆から認められて行く『彼』に嫉妬に近い感情を抱いていた順平だが、今はそんな感情もなく、ただ純粋に『親友』を思っての涙だ。

また、その二人の向かいの席では明彦が眼を閉じ、腕を組ながら座っていた。

文字通り、明彦は冷静な様子を保っており、まるで眠っている様にも見えるが、組んでいる明彦の腕は微かに振るえている。

そして、そこから少し離れた場所で壁に寄り添いながら三人を美鶴は見ていた。

その表情は、一見明彦同様に冷静に見えるが、その眼には悲しみと後悔の色が宿っていた。

しかし、美鶴はそれを表に出さない様にと唇を微かに噛み、痛みでその感情を抑えつける。

自分さえも、あからさまに悲しんでしまえば他のメンバー達へどの様な影響が出るかは目に見えている。

ならば、美鶴はそれに耐えようと己に言い聞かせる。

例え非道だと言われようが、それがS.E.E.Sを作り、メンバー達を勧誘した自分に今出来る責任の取り方。

このメンバーの中に、彼女に対してその様な事を言う者はいないが、美鶴も悲しんでいる事は変わりない。

そして、美鶴はそんな内心の葛藤に悩みながら、外へ出ているもう一人の仲間にし、『彼』と同じワイルドを持つ少年の帰りを待っていた。

 

「……洸夜。(情けない話だが、私では皆の心を埋められない。早く、戻って来てくれ……!)」

 

美鶴は分かっていた。

自分よりも、洸夜の方が皆のケアが出来る事を。

S.E.E.Sの縁の下の力持ち、影のリーダーの名に相応しい活躍をし、メンバーに親身に相談を聞く事もあった。

美鶴自身の洸夜への信頼も含まれているが、他のメンバーも口には出さないだけで洸夜の帰りを待っている。

まさにそんな時だった、玄関の扉が開き、両手に買い物袋を持った洸夜が入って来た。

 

「……ただいま」

 

そう言って他者を安心させる優しい笑顔を浮かべる洸夜の姿に、順平が一番早く立ち上がる。

 

「瀬多先輩!」

 

「洸夜さん……!」

 

駆け寄る順平に続く様に、ゆかりも立ち上がり洸夜の下へ近付いて行く。

しかし、悲しみによって心身共に疲れたのか、ゆかりの足は少しフラついており危なっかしく見え、逆に洸夜が素早く二人の下へ駆け寄った。

そして、洸夜が目の前に来た事で安心したのか、ゆかりの目に再び涙が溢れ出す。

 

「洸……夜さん……!『彼』が……『彼』が……どうして!」

 

悲しみに染まる妹分であるゆかりの姿に、洸夜はそっと肩に手を置いて静かに語り掛ける。

 

「分かってる……分かっている、ゆかり、今は全部吐き出せ。溜め込んでも溢れ出すなら、いっその事、全部出してやれば良い。思う存分、泣いて良いんだ」

 

「うっ……うぅ……うわぁぁぁん!」

 

洸夜の言葉を皮切りに、ゆかりは洸夜の胸に顔を押し付けながら再び泣き出した。

悲しみや後悔、その全てを涙と叫びに変換したかの様に大きく泣いた。

中々、耳に響くものがあるが、その泣き声を鬱陶しく思う者はこの場にはいない。

場合によっては、自分がゆかりの様に泣いていたかも知れないのだから。

 

「先輩……俺……」

 

目の前でゆかりが泣いている中、今度は順平が洸夜に話し掛ける。

帽子の鍔を持って深く被って顔を見えなくする順平。

このままでは、自分も涙を見せそうだからかも知れないからの隠しなのかは分からないが、それを見て洸夜は、やれやれと言った様に笑みを浮かべて順平へ言った。

 

「もう少し待ってろ。今は先客がいる、ゆかりが終わったら次はお前に貸してやる」

 

「……へ?」

 

何気なく言う洸夜の言葉に順平は、最初意味が分からなかったが、すぐにその意味が分かると同時に無意識に笑みが生まれた。

 

「流石に……それはハズ過ぎっすよ!」

 

鍔を上げ、片眼だけで順平はそう言って洸夜を見る。

今度は完全に照れ隠しがある。

簡単に言えば、ゆかりの次に胸を貸してやると言っているのだ。

弟分とは言え、流石にそれは恥ずかしい……プライド等の色々な面で。

しかし、更に順平は気付いた。

自分が笑っていると言う事に。

洸夜がそれを狙ったのかどうかは分からないが、少なくとも洸夜にその事を言ってもはぐらかすだろう。

順平はそう思いながら、再び帽子を深く被る。

今度は笑みを隠す為に。

そんな順平の表情に今は満足したのか、洸夜は再び自分の胸で泣いているゆかりに語り掛ける。

 

「落ち着いたか……?」

 

洸夜のその言葉に、ゆかりは顔を静かに上げた。

眼はやはり充血している。

 

「すいません……もう少しだけ……!」

 

気持ちの整理がまだ出来ないのだろう。

無理もない話と言える。

ゆかりは『彼』に特別な感情を抱いていたのだから。

洸夜はゆかりに短く、分かった……とだけ言い、再び胸を貸すとそのまま明彦と美鶴の二人の方を向く。

それに応える様に、明彦と美鶴も洸夜を見て、そして気付いた。

 

「!」

 

「!?……洸夜」

 

笑みを浮かべているが、洸夜の眼が赤く充血している事に二人は気付いた。

泣いた為になった充血、そして、洸夜の笑みが多少無理をしての事だとも気付いてしまった。

ゆかりと順平は気付かなかったが、およそ三年も共にいる美鶴と明彦にはそれが分かった。

洸夜も当たり前だが悲しんでいる、しかし、それを自分達の前で見せない様に我慢している。

 

"すまない……"

 

美鶴と明彦は、この様な状態になっても洸夜に無理をさせてしまっている事に、そう心の中で呟いた。

 

「明彦、美鶴……アイギス達は?」

 

「……アイギス達なら、自室にいる。『あいつ』の事を聞いてから、出て来ていない」

 

「今は、無理に出てこさせる必要はないからな……」

 

洸夜の問いに明彦と美鶴は答え、その答えに対し洸夜は困った様な笑みを浮かべて肩の力を抜いた。

 

「そうか、後で話ぐらい聞いてやらないとな……ゆかり、どうだ?」

 

後でアイギス達の所へ向かう様な事を口にし、洸夜はゆかりに再び語り掛ける。

只の勘だが、そろそろ大丈夫な気がしたのだ、洸夜的に。

ゆかり、彼女もまた成長し強くなっている。

そう思っている洸夜の気持ちを知ってか知らずか分からないが、洸夜の予想通り、ゆかりは静かに洸夜から離れて頷いた。

 

「その……す、すいませんでした」

 

今更になって恥ずかしくなったのか、ゆかりの頬は微かに赤くなっていた。

泣いていた事も理由と思われるが、恥ずかしそうに視線を逸らしている事から、強ち間違いではないと洸夜は思った。

 

「ゆかりっち、別に恥ずかしい事じゃないんだから……なんなら、次は俺がゆかりっちみたいに瀬多先輩の胸にーーー」

 

「うるさい!」

 

順平なりに、ゆかりを励まそうとしていたのだろうが、流石にしつこかった。

ゆかりは左足で順平の右足を素早く踏みつけた。

 

「……あ~。(これは痛い)」

 

文字通り他人事なので、洸夜は客観的にゆかりと順平の様子を見ていたが、案の定、順平の痛みによる叫びが一階に響き渡る。

 

「ぎゃあぁぁぁぁ!? ひでぇ!ゆかりっち、いくらなんでもこれは酷い!」

 

「しつこいあんたが悪いのよ!」

 

当然の制裁と言った様に順平に言い放つゆかりだが、雰囲気は先程よりも明るい。

勿論、この場の雰囲気も含めての事だ。

全部が戻った訳ではないが、洸夜が戻って来た事で雰囲気が確かに変わった。

その事実に、明彦は静かに自分の考えに同意する様に頷くと、洸夜の買い物袋が明彦は気になった。

 

「洸夜? そのビニール袋はなんだ?」

 

「?……ああ、これか? 見れば分かる。順平、片方持ってくれ」

 

「へ? 別に良いっすけど……これって……?」

 

渡された袋を順平は受け取ると、それは結構な重量があった。

順平は不思議そうに中身を覗くと、中には卵や牛乳、小麦粉を始めとした何かの材料一式が入っていた。

 

「まあ、ケーキの材料だな。皆で作るぞ……」

 

材料をテーブルの上に並べて洸夜は言ったが、ゆかりは少し気まずかった。

 

「洸夜さん、その……多分、作っても私、食べられそうにないです」

 

洸夜が自分達の事を考えて、お菓子作りをしようとしているのはゆかりも分かっている。

だが、流石にそこまでの元気は自分に戻っていない事も分かっていた。

しかし、洸夜はゆかりの思いを分かっていたのか、静かに語り掛けた。

 

「別にそんな表情をする事はないぞ? それが本来なら普通の感情だ。だけど、俺も流石に一人じゃ、この人数分作るのは大変だ。だから、皆で作らないか?」

 

「皆で……?」

 

反応した美鶴の言葉に、洸夜はゆっくりと頷く。

 

「ああ、こんな状況で気分転換……って言ったら不謹慎だが、いつまでも、俺達は立ち止まる訳には行かない。乗り越えないと行けないんだ……」

 

"真次郎や……親父さんの時の様に……"

 

静かに、そして小さくそう呟いた洸夜の言葉だが、それは確かにメンバー達の耳へ届いた。

ずっと苦しんだ親友、暴走とは言え、一人の命を奪ってしまい最後は、それが原因で己に復讐しようとしていた乾を庇って死んだ。

メンバー達に道を開いてくれた美鶴の父親、父の生んだ罪の清算の為に生き、最後は幾月の野望を阻止する為に命を掛け、娘である美鶴の目の前で死んだ。

洸夜が出した人はこの二人だが、本当ならばもっといる。

『彼』の両親、ゆかりの父親や沢山の研究員や関係者。

生きている人もいるが、人生を大きく狂わされた人達も多くいる。

自分達は、そんな人達の犠牲の上でこの場にいる。

勿論、『彼』や他の人の命を比べる訳ではないが、それでも自分達は前に進まなければならない。

生きている限り前に進む、それは命ある全ての者達の責任や義務、そして……"特権"なのだ。

亡くなった者たちを忘れろとは言わない、忘れたら、本当の意味でその者との別れを意味するのだから。

洸夜の言葉に、美鶴達はそれを思い出した時だ。

洸夜は不意に卵のパックを掴み、口を開いた。

 

「それに、ケーキの匂いに釣られて『アイツ』が戻ってくるかも知れないしな……」

 

寂しそうに呟いたその洸夜の言葉は、洸夜がメンバー達の前で見せる唯一の弱さだったのかも知れない。

少なくとも、この場にいるメンバー達は全員が口には出さないが、そう思っている。

そして、洸夜の姿と言葉を聞いていると、順平が牛乳を手に掴み立ち上がった。

 

「よっしゃ! そうと決まったら作ろうぜ皆で! こうなったら、『アイツ』に自慢する気持ちで作ってやろうじゃんかよ、ゆかりっち!」

 

「順平……はぁ、仕方ないわね」

 

満面のスマイルを自分へ向ける順平に、ゆかりは言葉通り仕方ない、と言った様に肩を落としながらも立ち上がった。

しかし、その表情にはやはり笑みがあり、少しは立ち直れたのだと分かる。

 

「やれやれ、柄に合わないが俺も手伝おう」

 

「プロテインは、自分のだけにしてくれよ明彦」

 

「当然だ」

 

「やっぱり、入れるんですね……」

 

洸夜と明彦の会話に溜め息を吐くゆかりだが、そんな時、美鶴が何か考え事をしている事に気付いた。

 

「どうしたんですか、美鶴さん? なにか、考え事をしてるようですけど?」

 

「ん?……ああ、いや別に大した事じゃないんだが……ただ」

 

ゆかりからの言葉に、美鶴は言葉の通り焦り等の様子が見られない為、本当に大した事ではないとは分かるが、美鶴は口ごもり、少し間を開け、こう言った。

 

「ケーキとは……自宅で作れるものなのか?」

 

その言葉に美鶴を除く全員の動きが一瞬、固まってしまった。

桐条 美鶴、桐条グループの令嬢、才色兼備、文武両道、性格も問題なし、誰にでも基本的には平等の一見完璧な人間だが、一部、欠点と呼べるものが存在する。

それが先程の発言が示す様に、彼女は一般的常識が欠落している部分が存在しているのだ。

学ぶ機会がなかったのも原因だが、皆からすれば沈黙してしまうレベルもよくある。

その為、洸夜、明彦、真次郎の三人がそれで苦労したことも実はあったりする。

そして、今の発言を聞き、洸夜は溜め息を吐きながら美鶴へ指示を出した。

 

「美鶴……お前は他のメンバーを呼んで来てくれ。ケーキの作り方ぐらい、その時に教えてやるよ」

 

「?……そ、そうか? じゃあ、少し待っていてくれ」

 

何故、洸夜が疲れた表情をしているのか美鶴は分からなかったが、まずは行動する事にした。

そんな一連の事をしている間にも材料にダメージがあったら困る。

洸夜は順平に材料の一部を渡した。

 

「順平、これ運ぶの手伝ってくれ」

 

「了解っす」

 

やっと普通の会話らしくなってきた。

二人の会話にゆかりは、そう思っていた。

たまに強引な所がある兄の様な存在の洸夜。

先程よりは立ち直ったとは言え、恐らく部屋に戻れば再び泣いてしまうだろうが、今は笑っていたい。

順平も同じ事を思っていると思うが、洸夜の頼りなる魅力に安心感等を覚えていたと思う。

現に、自分は洸夜が帰ってきた瞬間、確かに安心していた。

そう、ゆかりは心の中で呟き、自分を安心させると洸夜と順平と明彦の手伝いをしようと、三人の前へ歩き出した。

何も変鉄もない、生活し慣れた寮を……普通に歩いた、まさに、その時だ。

 

"また守らなかった。同じ力が合ったのに……洸夜は守らなかった。いや、守る気がなかった"

 

「え……?」

 

声が聞こえた様な気がした。

男か女か分からないが、多分、男だと分かる。

それ程までに曖昧な感じの声が、ゆかりは聞こえた様な気がした。

目の前の三人を見るが、材料を持ったりしており、誰も自分に話し掛けていないのがゆかりにも分かり、疲労による幻聴ではないかと疑いを持った……だが。

 

"約束したろ? 洸夜は皆に……なのに『アイツ』は死んだ……"

 

「!?……いや……いや!」

 

違う、これは幻聴ではない。

一回だけなら幻聴だと思ったが、二回目はしっかりと分かる、これは幻聴ではないと。

ゆかりは突如、寒気を覚え、思わず自分を抱き締める様に両腕をそれぞれの腕で掴んだ。

言い方一つ一つが気にさわる。

洸夜も他のメンバーも『彼』の死について、あからさまに言わないようにしてくれていたにも関わらず、この謎の声は平然と"死んだ"と言ってくる。

 

嫌だ、嫌いだ……この声は好きになれない。

 

ゆかりは胸の中に、モヤモヤした途方もない怒りの様なものを感じた。

だが、そんなゆかりの想い等、知ったことではないと言わんばかりに謎の声は更に続く。

 

"悲しいな……寂しいな……父親も死に、母親とは疎遠に、そして今度は愛した『男』が消えて行くのか"

 

「!?……はぁ……はぁ……。(聞きたくない……黙れ……黙ってよ……お願いだから……!)」

 

息が乱れる、呼吸がしずらくなっている。

それ程までに、ゆかりの精神は乱されていた。

乗り越えた筈だが、また自分を襲う新たな心の傷が過去の傷も抉り出し、彼女のトラウマを甦らせる。

そして、それは一時的だろうがどうだろうが、確かに彼女を弱らせていっている。

 

"思い出してみろ? 瀬多 洸夜……あの男は『アイツ』と同じ"ワイルド"を持っているんだぞ?"

 

「だから……なによ……?」

 

ゆかりはいつの間にか、その幻聴と自分が会話している事にすら気付いていなかった。

そんな事自体、最早、どうでも良かった。

とっとと、この悪夢を終わらせたい。

それが、ゆかりの願いであったが、次の幻聴の言葉を聞いた瞬間、彼女の心に異変が起きる事となる。

 

"本当だったら、今、目の前にいるのは……『アイツ』だったかも知れなかった。……お前が愛した『男』……だが、目の前にいるのは同じ力を持った別の人間だ。何故だ?"

 

「……」

 

その言葉に対し、ゆかりは何も言わなかったが、だからと言って無視しようとしている訳ではない。

ゆかりの瞳には力も、先程までの明るい色は消えていた。

その代わり、別の色が徐々に染まっていっていた……"怒り"……"憎しみ"の負の色が。

そして、その瞳には目の前にいる洸夜の姿を写してゆく。

 

"……もう一度だけ言おう。『アイツ』死んだのは何故だ?目の前に同じ力を持っている別人がいるのは何故だ?……それはな、目の前の男がーーー"

 

「……!」

 

もう、駄目だった。

彼女の心は沈んで行く。

一時的なものとしても、ゆかりの心は堕ちた。

目の前の男が憎く思えた。

笑顔が憎い、腹が立つ。

本来ならば、今、自分に向けていたかも知れない『彼』の笑顔。

それは、もう無い、存在しない。

そして、時が来た。

 

"守る気がなかった……"殺した"様なものなんだよ!!"

 

ゆかりは堕ちてしまった……その負の色の瞳に洸夜を写したまま。

そんな状況を知らないまま、洸夜の隣で順平は騒いでいる。

 

「瀬多先輩……『アイツ』の好きなケーキってなんでしたっけ?」

 

「多分……強いて言えば、何でも食っていたと思ったが……すまん、スイーツについては、好みは"覚えてない"」

 

覚えてない。

たわいもない、ただの言葉。

たわいもない、ただの会話。

洸夜も思い出話の感覚で言っており、隣にいた順平も似た様な感覚で聞いていて、この程度の事で何か言う者は、恐らく誰もいないだろう。

そう……"恐らく"。

 

「……そんなんで、よく家族だなんて言えますね」

 

冷めた言葉。

まさに、そんな感じの雰囲気を纏った言葉が洸夜と順平の背後から掛けられる。

洸夜と順平は振り向いたが、誰が言ったのかは元から分かっている。

背後にいるのは一人しかいないからだ。

 

「……ゆかり?」

 

「へ?……ゆかりっち?」

 

洸夜と順平、後ろを振り向いた二人は困惑した。

先程まで、多少なりとも笑顔が戻っていた筈のゆかり。

しかし、今二人の目の前に写るゆかりは冷めた瞳を宿し、何処か怒りを見せる姿で洸夜を見ている。

一体、何がおこったのか分からず、順平が洸夜へ視線を送るが、洸夜も分からず首を横へと振る中、ゆかりは静かに口を開いた。

 

「前に言ってましたよね? 先輩……私達の事、本当の家族みたいに思ってる……妹や弟の様に思っているって」

 

ゆかりの雰囲気はやはり異常だった。

口調も何故か、咎める様に何処か口調に敵意がある。

 

「岳羽? 一体、どうしたんだ?」

 

「ゆかり……?」

 

騒ぎを聞き付けたのか、荷物を調理場へ運んでいた明彦と、皆を呼びに行く筈だった美鶴が戻って来た。

二人が来た事で何かしら状況に変化が起きるかと洸夜は思ったが、ゆかりは特に二人に気にせずに話を続けて行く。

 

「家族とか言って、好みすら分からないんですか?」

 

「……すまん。確かに、デザートの好みぐらい知っておくべきだったな」

 

「ああ……でも、ゆかりっち? 『アイツ』って基本的に好き嫌いとかなかったじゃんか? だから、デザート好みぐらい分からなくてもしょうがないって」

 

順平が洸夜のフォローへ回り、ゆかりをあまり刺激しない様に言い回して行く。

美鶴と明彦も、ゆかりが『彼』の事で情緒不安定になっていると思い、下手に刺激せず様子を見ている。

ゆかりも今はまだ頭に血が昇っているだけで、すぐに冷静になる。

そう、誰もが思っていて下手な行動も言動もしなかった。

それが、取り返しのつかない事態に陥るとも知らずに。

 

「じゃあ、それは別に良いとしても……なんで……」

 

ゆかりはそう言い、一瞬だけ顔を下げ、そしてまたすぐに顔を上げると洸夜を見て言った。

 

「『彼』を守ってくれなかったんですか……!」

 

「……!」

 

鋭い視線を向けるゆかりからの言葉に、洸夜は思わず辛そうに瞳を閉じてしまう。

口は閉じているが、口内では歯を食い縛っており、洸夜自身がその事を深く考えているのが分かる。

同じワイルドを持つと言う事だけでも、今の洸夜には後悔してしまう理由になるのだ。

そして、ゆかりの言葉に美鶴達はと言うと、咄嗟の事に驚き言葉が出なかったが、ゆかりは口を閉じず、洸夜の胸を掴んだ。

 

「先輩……言ってたじゃないですか! 戦いの前、私達を守ってやる。もう一度、この寮に帰って来ようって!」

 

「……すまない」

 

ゆかりから揺らされる中、洸夜はそれしか言えなかった。

確かに、自分はそう言った。

そして、自分の言った事に責任を取れなかった。

洸夜はそんな想いを胸に抱きながら、ゆかりからの言葉を聞き続けていると、順平が洸夜の服を掴むゆかりの手を離しながら間に入った。

 

「落ち着けって、ゆかりっち! 俺達だって、あの時は何も出来なかった。だから、瀬多先輩だけを責めるのはお門違いだぜ? 守ってやれなかったのは……俺達も同じーーー」

 

「同じじゃないわよ!」

 

「!……ゆかり!?」

 

順平の言葉を遮って叫ぶゆかりの姿に、美鶴すらも驚いてしまった。

ゆかりは何処か感情が不安定な時もあったが、ヒステリックと呼べる程のものではなかった。

だが、今は感情しか表に出さず、洸夜しか見えてない事に美鶴と明彦は驚き、呆気にとられ、ゆかりは順平の手を払い退け、再び洸夜に掴み掛かり、己の胸の縁を叫んだ。

 

「私達には『彼』と同じ力がなかった!? でも、瀬多先輩にはあった! しかも、私達よりも二年も前にペルソナに覚醒して、私達の中で一番『彼』を助ける事が出来たのよ!!」

 

ゆかりの口調は既に自棄に近い物だった。

これでは最早、冷静な話は出来る訳がない。

そして、そんなゆかりの言葉に、遂に順平の堪忍袋の尾が切れ、順平がゆかりを強く睨む。

 

「おい! ゆかりっち! 幾らなんでもいい加減にーーー」

 

"本当にいい加減にするのは誰なんだろうな?"

 

「……は?」

 

頭に響く謎の声。

男か女かと言えば男だと順平は思った。

何処か喧嘩腰の様な不快、そして苛つかせる口調。

周囲を目線だけで見るが、話し掛けて来た者はいない。

順平は呆気にとられた様にそう呟き、一瞬ボーっとしてしまうが、謎の声が止まる訳ではなかった。

 

"ゆかりの言葉は最もだろ? 目の前の男には力があった……"

 

「……! (なんだこの声!?……いやそれよりも、まさかコイツ……ゆかりっちにも似たような事を!)」

 

伊達にペルソナ使いではなかった様だ。

順平はゆかりの様に謎の声の出現に精神を乱さず、目の前のゆかりの変化にこの声が絡んでいると睨んだ。

勿論、それを裏付ける根拠も無ければ証拠も無く、謎の声の正体等知った事かと言わんばかりに順平は己の中でそう決め付ける。

単純に物事を考える順平らしいと言えば、順平らしい。

そして、そうと決めた順平の行動は早く、心の中で謎の声に食って掛かった。

 

「……。(テメェ……ゆかりっちに何を言ったんだ!)」

 

"真実さ、目の前の男は何も守れなかった。だから『彼』は死んだ、違うか?"

 

順平の言葉に一切怯まず、平常的な口調を維持する謎の声。

自分を眼中に入れているのかどうかも分からない感じに、順平は更にボルテージを上げた。

 

「!……。(ふざけんな! 『あいつ』の事は先輩だけの責任じゃねえ! 責任があるとしたら、それは俺達全員だ!それに、瀬多先輩はチドリを助けてくれたんだぞ!?)」

 

"……成る程"

 

チドリ……彼女の命を助けたのは間違いなく洸夜であり、それは覆らない真実。

順平は謎の声が口ごもり、言葉を論破したと思って内心で微かに勝ち誇った。

だが、それは論破処か、まともな反論にもなっていない事を順平は思い知る事となる。

 

"つまり……都合の良い"偽善"だな"

 

「……。(はぁ?)」

 

何を言ってるんだコイツは?

謎の声に今まで優勢だと思っていた順平はそんな事を思い、謎の声のその言葉の意味が全く理解する事が出来なかったが、怒りは覚え、目付きを厳しくした。

 

「……。(もう一度言ってみろ……! 瀬多先輩の何が偽善だってんだよ!)」

 

心の中の会話とは言え、順平の口調は荒々しく尚且苛立っている事が分かる。

洸夜の事を理解している順平だからこその感情。

だが、謎の声は怯む事もなく、ただ静かに、そして馬鹿にするかの様に笑い出した。

 

"ハハ……だってそうだろ? チドリを助けたのは助けられたからだ。目の前にゴミ箱があった、だからゴミを拾って捨てた。似てるだろ……?"

 

挑発的な言葉。

いつの間に謎の声と順平の立場は変わっていた。

順平もそれを察知したのか、ゆっくりと息を呑み、精神を安定させ、謎の声へ聞き返した。

 

「……。(何が言いてぇんだよ……!)」

 

"……本当の"善"なら、無理でも何かしら行動するだろ? だが、目の前の男は何もしなかった。無理だと思ったからだろ? なあ? お前は出来る事だけが善……って言わねえよな?"

 

声だけなのに、まるで視線を送られている様な寒気を順平は感じ取った。

同時に品定めをしている様にも思う。

まるで、洸夜と自分が別々と区別している様な感じ。

当たり前の事なのだが、その言葉に対し順平は何故か自分が嬉しく感じてしまった。

もし、ここで謎の声の言葉を肯定すれば、良い意味で洸夜と区別出来る。

それは同時に、絶対に敵わなかった『彼』への忘れていた嫉妬等の感情からの解放を約束された様に思えてならない。

そんな順平に、謎の声は嬉しそうな口調で話を続けて行く。

 

"覚えてるか?……お前が洸夜に言われた最初の言葉を?"

 

「ハァ……ハァ……! (最初の……言葉?)」

 

まるで誘導されているかの様に、順平は息を乱しながら謎の声の言われるがままに過去の事を思い出して行く。

あれは、明彦に連れられて順平が寮に来て影時間の説明等を受けた時の事だった。

ペルソナ・シャドウ・影時間。

まるでゲームの様な話。

アニメ・ゲーム・漫画、これ等の主人公の様に特別な力を持つ選ばれた人間。

金を払っても得られる訳ではなく、意識していた訳でもない。

ただ、普通に生きて来ただけ。

それだけなのに、自分は特別、選ばれた人間だった。

当時の美鶴達の話を聞いていた順平は、内心でまさにそう感じてならなかった。

そして、待ち望んだ問い。

 

『共に戦ってくれ』

 

順平の心は跳び跳ねた。

最高の刺激になろう事、この上ないのは考えるまでもない。

順平は即答した。

断る理由が何処にあると言うのだ?

学園で有名人の美鶴と明彦が頼んでいる。

雲の上の人間にしか思えなかった先輩が、自分を必要としている。

 

『まるでヒーローみたいじゃねえっすか!』

 

その言葉を切っ掛けに、順平はS.E.E.Sに参加する事となり、先輩や理事長達、全員が自分の参加を望んでいると、順平は思っていた。

だが、そんな時だった。

洸夜が順平に忠告したのは。

 

『伊織 順平……だったよな? 間違いが起きる前に言っとく。お前、シャドウとの事"ヒーローごっこ"か何かと思ってるなら悪い事は言わない。退部しろ』

 

順平は意味が分からなかった。

確かに洸夜は何も言わなかったが、誘ってきたのはそちら側だ。

それに美鶴達と理事長は同意しているのに、何故、この先輩だけが一人否定するのか。

洸夜は付け足す様に"ペルソナとシャドウは甘いものじゃない"と言ったが、当時の順平にとって、その時の洸夜の言葉を反発的にしか受け取れず、結局は深く考えなかった。

だが、段々と分かる現実が順平へと突き付けられていく事になる。

洸夜が先程の様な言葉を言ったのは自分だけだと、口だけの先輩かと思えば自分以上に特別だった事や真次郎と乾の過去。

順平は少し恥ずかしく、そして情けなく思えてきてしまった。

やがて色々とあり、忘れて行った記憶だが、謎の声によって甦って来たのだ。

自分よりも特別だった洸夜が出来なかった。

順平の心は乱れ始め、そして、そんな順平の様子に謎の声は止めを差した。

 

"誰かを救える"ヒーローごっこ"……誰も守れない"偽善"……お前はどっちを取る?"

 

いつの間にか話は最初より代わり、いつの間に内容がすり代わっていたが、今の順平にはそんな事に気付かなければ、どうでも良い事だった。

順平は崩れ、彼の目には洸夜しか写っていない。

暗く、薄暗い様にしか……。

そして、順平がそうなっている間にもゆかりの八つ当たりは洸夜へ続いている。

 

「どうして!どうして?!嘘つき! 」

 

洸夜の胸を感情的に叩くゆかりに、洸夜は眼を閉じて黙って受けていた。

まるで、それが己の罪の精算の一つだと言わんばかりに。

 

「落ち着けゆかり!」

 

黙ったままになった順平を隣に、美鶴はゆかりと洸夜の間に入り二人を引き離し、ゆかりは美鶴に掴まれた状態になる。

それで大人しくなるならば良いのだが、ゆかりはそのまま美鶴の腕の中でもジタバタと暴れ,そんな現状を打開する為、明彦もゆかりの前に出た。

 

「冷静になれ岳羽!お前は自分が今、何を言っているのか分かっているのか!?」

 

ゆかりの言葉は既に言い過ぎたでは済まない程にエスカレートしており美鶴と明彦は、洸夜と、言っている当人であるゆかりの為になんとかこの場を治めようとした。

『彼』の事があったとはいえ、自分達が仲間割れを起している場合ではない事は美鶴と明彦の二人は理解していた。

ならば、この場を治めるのは自分達の最低限の義務だと二人は感じ、洸夜とゆかりを更に引き離そうとした正にその時だった。

 

「……真田先輩こそ、自分が何を言ってるのか分かってんすか?」

 

暗く重い口調の声が辺りに響き、明彦達、そして洸夜も声の主の方を向いた。

 

「順平……?」

 

洸夜達が向いた先には、先程まで突然黙った順平がおり、今は帽子を深く被っており顔は見えない。

だが、先程の言葉には今まで感じさせなかった暗さがあったのは間違いない事実であり、順平の暗い何かは洸夜に向けれられている事に洸夜自身と美鶴達は感じ取った。

 

「どう言う意味だ順平? 言い方によっては只では済まさないぞ……!」

 

自分の言葉への反論、友への否定、掌返しの様な順平の態度に明彦は小さな声でありながら、確かに順平に聞こえる様に力の入った口調で順平を睨んだ。

口調には静かな闘志が、眼は獣すら睨み殺すと言わんばかりの鋭さを見せる明彦の姿に本来ならば順平は恐怖で怖じ気づいたり、冗談だと言うのであろうが、今回の順平は全く違うものであった。

明彦の言葉と視線に順平は、恐怖する処か特に気にする様子もなく洸夜の方を向く。

まるで、洸夜しか見えていないと思わせるかの如く、無駄のない動きで。

 

「瀬多先輩……結構前、俺に言ったすよね? ヒーローごっこなら辞めろって」

 

順平の言葉に、洸夜は彼の様子の変化に多少の驚きを見せながらも、その言葉の意味は覚えていた。

順平が入部する時、明らかにペルソナやシャドウを甘く見ている順平の言動を危うく思い、洸夜自身が順平に言った事だ。

今となってはチドリや色々な経験を積んだ事で、しっかりと成長した事で洸夜も順平にそんな事を言う事は無くなった。

しかし、何故今更、そしてこのタイミングでその話が出るのかは洸夜自身にも分からないでいる中、順平が静かに語り始めた。

 

「ずっと思ってたすけど……今回の一件で、俺の中で確信に変わったんすよ。瀬多先輩って、いっつも綺麗事しか言ってないすよね?」

 

「!?……」

 

洸夜は思わず息を呑む。

先程までゆかりを説得していた順平の変化での事も原因だが、それを踏まえても突然過ぎた。

順平達の前で弱さを見せまいと思い、平常心を保っている洸夜だが、『彼』の事を完全に乗り越えている訳ではない。

それ故に、ゆかりの事もあり洸夜は受け止めきれなかった。

 

「順平! お前まで……お前まで洸夜に責任を押し付けるつもりか!」

 

ゆかりと順平の変化に、遂に美鶴の堪忍袋の緒が切れようとしていた。

ここまで来れば冗談の域をとっくに越えている。

二人の変化は平等的な第三者が見れば不自然極まりないが、今のメンバー達の中にはそんな冷静な者は存在する筈がなく、美鶴の強い口調に噛み付くかの様に順平も強い口調で言い放った。

 

「だってそうじゃねすか! 満月の大型シャドウもニュクスも、全部『アイツ』がいたから勝てた様なもんじゃねえか!! 瀬多先輩はいつも、ここぞと言う時はいつも無力で……なにより『アイツ』がこの場にいない事が瀬多先輩の責任である証拠だ! どうせ、何かあったらヤバいとか思って力を出し惜しんでたんじゃねえのかよ!!」

 

「!……順平! お前、人が黙って聞いてれば好き勝手言いやがって! 誰が力を出し惜しんだって!? もう一回言ってみろ! 誰があの状況で好き好んで力を出し惜しむんだ……!」

 

今まで黙っていた洸夜だが、ゆかりと順平の言葉に遂に限界を越え、順平の首筋の服を掴んだ。

誰が好き好んで力を抑えるものか。

シャドウやペルソナの事については、洸夜はメンバーの中で最も考えていた人物の内の一人であり、中途半端な真似は自分と周りすらも傷付ける事を分かっている。

なによりも、あの状況で出し惜しみなど出来る訳もなければする気は微塵もありはしない。

洸夜は全力でニュクスに挑んだ、そして他のメンバー同様にやられた。

その時の事がどれ程、今に悔やんだ事だろう。

『彼』がいない事は、洸夜だって悲しい。

それ故に、洸夜は順平の発言が許せなかった。

だが、順平の存在だけではなく、洸夜は自分に向けられているもうひとつの敵意の存在を忘れていた事に気付かされた。

 

『じゃあなんで『彼』がいないんですか!? 全力でやったんでしょ! だったらこの場にいない方がおかしいのよ!?』

 

順平同様にヒステリックに近い感じに感情を爆発させ、それをゆかりは洸夜にぶつけた。

ゆかりの眼からは大量の涙が溢れていた。

それはまるで、最後の望みにすがる人間の様に必死に思える。

だが、目の前の友への理不尽な状況に明彦も美鶴も黙っている訳がなく、順平とゆかりを睨み付けた。

 

「二人共、いい加減にしろ! 自分達がどれ程『アイツ』と同じ位、洸夜に助けられたか思い出してみろ! 自分達の事だけ棚に上げるな!」

 

「君達の成長を間近で見てきたのは間違いなく洸夜であり、あの状況の中で洸夜だけを責める事がどれ程に愚かか考えてみろ!」

 

明彦と美鶴の激が飛んだ。

内心でこの場の雰囲気が悪くなるのを感じ取ったのも理由の一つ。

そして、先輩二人の怒りに順平とゆかりも一瞬だが動きを止めた。

中々の迫力であり、流石は明彦と美鶴。

このままこの場を収めると、明彦と美鶴もそう思っていた……だが、この二人だけが例外になる訳がなかった。

 

"……守れない力。そんな力に意味ってあるのか?"

 

「「……!?」」

 

頭に流れる悪魔の囁き。

悲しそうな、そして無性に相手の心を逆撫でする様な口調。

突然の事に、美鶴と明彦は驚きで一瞬だが言葉が出せなかったが、明彦と美鶴は何かに気付いた様に眼を開くと、そのまま眼を険しくして謎の声を問いただした。

 

「……。(何者だ……そして、岳羽と順平に何を言った……!)」

 

「……。(二人の心変わりは……一体、誰だ貴様は!?)」

 

謎の声に対し、明彦と美鶴は相手の正体について問いただした。

シャドウ関連、 まだ知らぬペルソナ使い、桐条の何者か?

頭に直接声をかける異常な方法を持つのだ、二人は可能性のある物を全て頭の中に出したが、今一ピンと来ず、来たとしても余計に悩むだけ。

だが、二人は気付いていない。

そんな悩んだ瞬間が、心の隙を作った事に。

 

"力とは……使う為にある。時には傷付け、時には守る。それが力だ、そうだろ?……明彦"

 

謎の声は二人の言葉を無視し、静かな感情での突然の問い掛けに明彦は思わず身体を強張らせた。

客観的に見ればそれは、学校でボーっとしている時に先生に突然、問い掛けられた時の様な感じだが、実際はそんな笑える様なものではない。

全身が氷の様に冷たくなったと思えば、まるで別の誰かに自分の身体と意思を奪われた様な錯覚を明彦は覚えてた。

先程まで明彦が感じていた感情や考えをバッサリ切り捨てられた様になり、謎の声に明彦はまんまと意識を持ってかれてしまった。

 

「……。(なんだ……俺に何が言いたいんだ!)」

 

意識が持っていかれたとは言え、突然の感情の変化に明彦は困惑によって声を上げたが、謎の声は怯むどころか、寧ろ楽しそうに話し出した。

 

"明彦……お前は力を欲しているんだろ? 妹を守れなかったから、親友を救えなかったから、お前は力を求めた"

 

「く……! (だからなんだ……! それがお前に何の関係がある?!)」

 

謎の声の姿があったならば、明彦は睨み殺すかの様な目付きで睨んでいただろう。

明彦にとってそれは親友や仲間達ならばつい知らず、訳も分からない存在に触れられて良いものではなかったのだ。

 

"関係はないな……だが、力について聞きたくてさ。明彦、何も出来ない、しない力に意味ってあるか?"

 

明彦はその言葉に表情を歪める。

何も出来ない力、何もしない力について等、明彦にとっては既に答えが出ている存在だ。

それは何も"意味もない"ものであり、一言で言うならば"無力"。

明彦が最も嫌いな言葉の一つだ。

だが、明彦が表情を歪める理由は別にその事ではない。

何故、そんな事を自分に聞いて来た事に疑問を思ったからだ。

明彦は謎の声の意図が分からず、言葉を出さずにいると軈て謎の声が言葉を発した。

 

"目の前を見てみろ"

 

「?……。(目の前?)」

 

明彦は不安定な意識の中、謎の声に誘導される様に言われるがまま目の前を見た。

本来の明彦ならば、そんな事にも反発していただろうが、ゆかりや順平と同じ、謎の声に意識を持っていかれている為、そんな事はしない。

そして、明彦の目の前に写ったのはゆかりと順平の二人に八つ当たりの様に何か言われている親友である洸夜の姿があった。

何故か、目の前で起きている声が聞こえないが明彦は不思議と気にする事はなかった。

それはまるで、それが当然の事の様に明彦が感じていたからだった。

 

「はぁ……はぁ……! (洸夜がどうかしたのか……?)」

 

何故か、息がキレて仕方ない。

明彦は呼吸が苦しくなっている事に気付くも、それと同時に洸夜の事も気になり、息を乱しながらも謎の声に洸夜の聞き返し、それに対し謎の声は先程から全く口調を変えずに楽しそうに話した。

 

"無力だと思わないか? 『アイツ』を守れなかった哀れな愚者だ。昔にお前に似てるかもな?"

 

その瞬間だった。

その言葉を聞いた瞬間、明彦は意識を無理矢理自分の下へと戻す事に成功した。

自分は今、目の前の親友の事を守ろうとしていたのに、危うく目的を忘れそうだった事に気付くが出来たのだ。

いつの間にか、まんまと誘導されてしまった自分に対し、明彦は自分と謎の声に対し怒りを露にする。

 

「クッ! (二人にも同じ事をしたのか!? 洸夜へ何かぶつける様に!……ふざけるなっ! 洸夜は強い! 力も心も! 『アイツ』の事で洸夜一人が背負う事は何一つありはしない!!)」

 

"……"

 

感情的になった明彦だが、謎の声には届いていなかった。

寧ろ、謎の声の雰囲気が変わった気がした。

そう思った瞬間、明彦の景色が変わった。

 

"これを見ても同じ事が言えるか?"

 

謎の声が明彦にそう呟いた気がしたが、明彦は目の前の光景に先程の比ではない程に意識を持って行かれてしまっていた。

なにせ、それは明彦にとって忘れる事の出来ない光景なのだから。

 

「ここは……。(孤児院……!)」

 

明彦の目の前に写り出されたのは、いつもの寮ではなく、明彦の原点である孤児院。

妹、真次郎、この二人と共に過ごした場所であり、そして……その妹を失った場所。

目の前の燃え上がる孤児院は明彦から大事な者を奪い去った。

火事を起こした孤児院か、妹を助けに行こうとしたのを止めた孤児院の人か、明彦は一体、何を恨めばいいか分からなくなった。

だが、結局のところ明彦が誰かを恨む事はなく、自分の無力を恨んだ。

妹を助けられなかった、自分自身の無力を。

そして明彦は過去を思い出しながらも、何故、自分が今この光景を見ているのかを考える。

 

「……。(何故、この光景が……)」

 

幻覚、幻、色々とあるが、光景は妙にリアルだった。

燃える孤児院からの熱も感じる。

一体、これはなんなのか?

考える明彦だが、彼は全く気付いていなかった。

自分がまた、謎の声に誘導されていると言う事に。

そして、明彦は目の前で思いもしない人物を目撃する事になるのだった。

 

「!……。(まさか!……洸夜……?)」

 

明彦の目の前に写った人物は、自分の親友、瀬多 洸夜その人だった。

その姿は、今の高校生ぐらいの姿の洸夜。

実際ならばあり得ない光景、それは明彦と真次郎が子供の時の事だからだ。

その為、洸夜がいるのはおかしい事なのだが、明彦に写る洸夜は目の前の燃える孤児院をただジッと眺めるだけ。

その姿に、明彦は本当ならば変に思う筈が、まるで頭が麻痺したかの様に別の事しか考えられなくなっていた。

 

「洸夜……! (何故だ、何故何もしてくれない! お前なら助けれらる筈だ!)」

 

気付けば明彦は、目の前の洸夜に助けを求めていた。

まるで、心も当時の子供時代に戻ったかの様に。

だが、洸夜はと言うと明彦の声が聞こえなかったかの様に何も反応を示さない。

ただ、何かを見ているかの様に視線すら動かさない。

その反応に明彦は、もう一度言葉を発しようした時だった。

 

パァーン!

 

耳に響く破裂音。

爆竹か何かかと思うが、妙に鼻にくる火薬臭が気になる。

明彦は破裂音のする方を見た。

その光景に、明彦は言葉を失った。

 

「!?……。(シンジ!)」

 

明彦の目に写ったのは、燃える孤児院を背景に白い髪や身体に刺青を入れた男"タカヤ"に撃たれ倒れた少年"荒垣 真次郎"の姿だった。

そして、その瞬間、孤児院は崩れ去り、それに呑まれて真次郎とタカヤは消え、明彦の光景は戻り始めた。

光景が消える瞬間、何もしない洸夜の姿が嫌に明彦の印象に残ってしまったが。

そして、我に返った明彦の光景は元の寮へと戻る。

目の前では先程と変わらず、ゆかりと順平が未だに洸夜に何か言っている。

まるで、先程の光景を見ていた間、全く時間が流れていなかったかの様に何も変わっていなかった。

 

"なあ、明彦? 別に洸夜を責めろとは言わない。だが、洸夜の力は大きいものだった。なのに、この様だ……なあ、洸夜の力って一体何の為にあったんだ?"

 

先程とは打って変わって優しい口調の謎の声。

まさに飴と鞭。

その一言一言が明彦の脳へと染み渡って行き、明彦へ洸夜の事を考えさせた。

もう既に、明彦に先程までの勢いはなく、静かにゆかりと順平同様に堕ちて行くのだった。

そして、それは隣にいる美鶴も同じ事。

明彦と同時進行で、美鶴もまた謎の声によってとある光景を見せられていた。

美鶴にとっての最大の悲しき過去を。

 

『幾月ぃぃぃっ!!』

 

ペルソナを封じる十字架に縛られた美鶴と洸夜達を背景に、桐条 武治は幾月修司へ拳銃を向け引き金を引いた。

 

パァン!

 

破裂音がタルタロスに響き渡ると同時に、血を流しながら倒れる武治と脇腹から出血しながらよろめく幾月。

撃ったの武治だけではなく、幾月もまた拳銃を所持しており、武治へ反撃したのだ。

武治はそのまま力尽きたが、無駄死にではなく、致命傷を負った幾月もまた己の妄想を叫びながらタルタロスの奈落へと消えて行った。

これは、美鶴が父を目の前で失った時の出来事にし、美鶴にとって最大の心の傷であった。

父の為にペルソナ使いとなった美鶴だが、その父が死んだ。

その事実は美鶴を深く傷付け、もう戦う事すらやめようとまで思う程だった。

そんな過去の事を、美鶴は静かに第三者の形で眺めていた。

 

「……。(お父様……)」

 

今は乗り越えた過去とは言え、美鶴にとって父が全てだったのは紛れもない事実。

その光景に美鶴は父の事を呟き、謎の声は美鶴へ三人と同様に語り始めた。

 

"どう思う? 先程の光景を見る限り、洸夜がどれ程に無力だったか分かる筈だがな?"

 

「……。(……黙れ! こんな光景を見せてまで私に洸夜へ悪意を向けさせたいか!)」

 

謎の声に反発するかの様に強い口調で言い返す美鶴。

先程からこの様な事が続いていた。

光景が色々と変わり、謎の声が洸夜について悪い印象へと誘導する様に語る。

一部、 無理矢理に近い感じの所もあり、美鶴は当初、謎の声に耳を貸そうとしなかった。

だが、それで終われ良いが、頭では分かっているのにも関わらず、気付けば謎の声の言葉に誘導され洸夜へ負の感情を向けていた。

その事に美鶴は気付き、なんとか我に変えるが気付けば再び同じ感情を洸夜へと向けている。

まるで、決められた終着点への道を拒絶すれば、その終着点を選ぶまでずっと同じ所を歩かされると言う途方もない事をしている様だ。

同じ事、途方もない事、これだけでも人は疲れるものだが、美鶴はなんとか強い口調で反論し己を保ち続けてはいるが、確実に心は疲労して行く。

それを分かっているからか、謎の声も手を休める素振りがなく、声のトーン等が最初の時からずっと一定を保ち続けている。

それは端から見れば、入口付近にいる、村の名前しか言わないゲームキャラにずっと話し掛けている様にしか見えない。

 

"強がるな、お前も内心では一瞬でも思った筈だ。洸夜なら父親を助けられたかも知れなかったと……"

 

「くっ……! (違う、あれは全て……私が招いた事だ!)」

 

父の為にと思い、幾月に言われるままにS.E.E.Sを組織した美鶴は、父の死も自分が招いた事だと心では思っており、今でもやるせない気分が内側を今でも微かに覆っている中、己を見失わない様に謎の声に強気の姿勢を崩さなかった。

だが、そんな美鶴に謎の声は楽しそうな口調をやめなかった。

 

"そう自分を卑屈するな。……桐条 美鶴、お前は洸夜を信頼していた筈だよな?"

 

「……。(だからなんだ? 確かに信頼しているが、別に洸夜だけではない、私は全員を信頼している)」

 

美鶴のその言葉は嘘ではない。

洸夜と明彦の様に初期メンバーもそうだが、ゆかり達にも随分と助けられている。

自分と一人では、決して解決出来なかっただろうと、美鶴も分かっているからこその言葉だった。

 

"ふ~ん、まあ良いが……"

 

美鶴の言葉が気に食わなかったのか、謎の声はあからさまに口調を変えた。

つまらなそうであり、どうでも良いと言った様な感じにだ。

 

「……。(一体、なんだコイツは先程から)」

 

姿は見えないと言っても口調だけでも相手の気分が分かるものだ。

元生徒会長と言う事もあるのだろうが、やはり此方が話しているのにその態度は美鶴は気に入らなかった。

だが、そんな呑気な事を考えている暇等はなかった事を、美鶴はすぐに知る事となった。

謎の声は、今度は少し小馬鹿にする様に口調で美鶴に話し掛けるが、その内容に美鶴は思わず反応する事となる。

 

"結局の所、洸夜はお前を"裏切った"んだな"

 

「!?……。(どう言う意味だ……!)」

 

その言葉に美鶴は反応してしまった。

洸夜の今までの頑張りを考えれば、裏切り等と言う言葉は全く縁遠い言葉だからだ。

それを理解しているからこそ、美鶴の口調は少し強くなるが、謎の声は怯む事もなく話を続けて行く。

 

"洸夜は強い、洸夜は頼りになる、洸夜は安心できるよな? "

 

「……! (まどろっこしい! 言いたい事があるならハッキリ言えば良い!)」

 

"ならば言おう。お前は洸夜を信頼していた。ペルソナ使いとしても特殊であり、実戦経験も多く時には臨機応変にメンバーを手助けする……正に影のリーダーだ。だが、そんな洸夜は結局、お前の信頼を裏切ったんだ"

 

「なに……?」

 

その言葉に美鶴も思わず直接、口に出してしまった。

洸夜が自分の信頼を裏切った等と、美鶴には少なくとも心当たりがまるでなかったからだ。

 

"良く考えて見ろよ? 真次郎、父親、ストレガ、そして『アイツ』……一体、誰を守った? ペルソナを多数同時に召喚出来る程の力持っているんだぞ? あの時、洸夜がもう少し動きを見せていれば、お前の父親はもしかしたら……"

 

「ッ!……。(止めろ!! あの時、幾月の装置で私達は全員ペルソナを封じられていた! それは洸夜も例外ではなかった!)」

 

美鶴は強く首を振り、その言葉を否定する。

自分の言った言葉通りの意味であり、洸夜もアイギスのせいだとも思っていないからだ。

しかし、同時に美鶴は今、後悔の渦に呑まれようともしていた。

もし、あの時に何かしらのアクションをしていれば父は死ななかったかも知れない。

あと少しでも違えば、命だけでも助かったのかも知れない。

その様な考えが、美鶴の中で膨らんでいき、最早ギャンブルやクジ引きの感覚に近いモノとなっている。

負けていて引き上げようとしても、あと一回だけお金を入れれば負け分すらも取り返せる当たりが来るかも知れない。

あの時、別のクジを引けば一等だったかも知れない。

第三者では感じる事が決して出来ず、当事者にしか感じる事しか出来ない後悔。

当事者であり、目の前で起こったからこそ、不可能ではなかったかも知れないからこその後悔程、人は諦め切れず、前を見る事も曇らせ、やがて膨らみその人の心の重荷となって行くのだ。

今の美鶴はまさに、謎の声の言葉によってその後悔に呑まれており、その感覚とも共に嘗て抱いた父への想いも膨らませて言った。

父に褒められたい、父に甘えたい、父の力になりたい。

美鶴は後悔と、自分の原点の想いが甦った事で胸の中の違和感が強くなり、胸糞悪くなったみたいに胸の真ん中を右手で掴んだ。

まるで、心臓を握り潰すかの様に。

 

「ウグッ……! (お父様……お父様……! あの時、何か一つでも違っていれば、お父様は生きていたのか……!)」

 

"それが出来たのは洸夜だっ! 『アイツ』でも明彦でも、ゆかり達でもない! 瀬多 洸夜! アイツだけだったんだよ! だが、アイツもまんまと皆と同じ様に捕まった! 特別だったにも関わらずな!"

 

謎の声が美鶴の頭へ直接響き渡った。

ここぞとばかし言わんばかりに、強く、ハッキリと心に刻み込むかの様に。

 

"本当に守って欲しい時は無力! その時点で瀬多 洸夜は、お前の信頼を裏切ってたんだよ!!"

 

「あぁ……私は……洸夜……。(お……父様……)」

 

美鶴は静かに堕ちてゆく、皮肉な事に大切な父への想いがトリガーとなって。

 

"脆い絆だな……"

 

美鶴の意識が洸夜へ向かう最中、皮肉めいた謎の声の言葉が聞こえた気がしたが、今の美鶴の意識には残る事はなく、明彦と美鶴の心が堕ちた時、ゆかりと順平は未だに洸夜と揉めていた。

 

「誰も助けれらない善よりも、俺は誰かを助けられるヒーローごっこの方がマシだぜ!」

 

順平は心の底から叫び、その叫びを洸夜へとぶつけているがその言葉は洸夜達、そして順平自身の今までの成長を否定している事に本人は気付いていない。

最早、苛烈な感情でしか行動しておらず、頭では行動していない。

周りを気にせず、感情のみの行動は、一歩間違えれば只の駄々っ子と変わらないのかも知れない。

そんな順平の言葉に、洸夜は疲れた様に右手を額に当て、顔を少し歪ませた。

 

「いい加減にしろ……頼むから、落ち着いてくれ」

 

感情的な言葉は、言っている方は気にしていないと言うより、気にする気もないが聞いている方からすれば場合によるが、多大なストレスを相手に与える。

何度も言うが洸夜も『彼』の事で完全に立ち直っている訳ではなく、あくまで美鶴達を支える為に無理矢理に心を保たせているに過ぎない。

そして、順平達の言葉に洸夜の心の補強は確実に削られており、洸夜は何とかそれを阻止する為に説得しようとする。

これ以上は、自分も冷静ではいられなくなる、内心で洸夜はそう思っていた。

その時だった、順平に更に触発されたのか、感情的なゆかりが言ってはいけない事を言ってしまう。

 

「何でそんな風に冷静で要られるんですか! 『彼』……死んじゃったんですよ? 守らなかった癖に……助けられた癖に……先輩が……先輩が……『彼』を"殺した"様なものじゃないですか!!」

 

感情的な言葉。

それは己を淵を代弁しているとも言っている言葉。

何も考えずに、己の事しか考えておらず、誰も味方も敵も関係なく発し続ける。

だから当然の事なのだろう、その言葉が"過ち"と気付き、後悔と変わってしまうのは。

 

「あっ……」

 

「!……あっ……」

 

ゆかりと順平は漸く落ち着き、自分達の言った事の重大性に気付いた。

だが、遅かった、なにもかも遅かった。

 

「……今、なんて?」

 

洸夜はゆかりの眼を見て、そう言った。

恐ろしい程に虚ろな眼で。

顔は無表情だが眼は笑ってない。

怒っているのかどうかも分からない。

ただ、ゆかりと順平が分かるのは自分達が言ってはいけない事を言った事だけだった。

しかし、だからと言ってその現実にすぐに向かい合えるかと言うと別の話だ。

 

「あっ……いや……い、行こうぜ……ゆかりっち! ここに居たって、何もなんねえし」

 

「……う、うん」

 

感情的な言葉が生む過ちは、後悔等も生むが同時に引っ込みがつかなくなり、当事者を意地にしてしまう。

間違いと思っていても、相手がどう思っているのか分からない為に不安になり、保留や自然消滅を願う。

自分が傷付きたくないからだ。

何もしなければ、下手に傷付く事はない。

弱い人間と言えばそれまでだが、自分を守ろうとするのは皆同じ、その点を否定する事は誰にも出来ないのだ。

今の順平とゆかりも、この境遇に近い状況となっており、まるで洸夜から逃げる様に階段を昇り自室へと帰って行った。

一度も、洸夜の方を振り向かずに。

そして、今この場にいるのは静かに順平達が消えていった階段の方を眺めるながら佇む洸夜と、美鶴と明彦の三人だ。

 

「洸夜……一つ、聞きたい」

 

「……なんだ?」

 

洸夜へ背を向けながら、明彦は洸夜へ問い掛け、洸夜も覇気が薄れた声で答える。

明彦のその様子は順平とゆかりとは違い、あからさまに態度には出ていないが雰囲気は暗かった。

 

「別に俺は『アイツ』の事はお前の責任とは思わん。だが……お前の……お前の"力"は一体、何の意味があったんだ?」

 

明彦は悲しそうな表情を浮かべながら振り返り、洸夜へそう告げる。

まるで、弁護出来ないと言っている様なその表情は、匙を投げた医者の様にも思える。

明彦が自分に対して何を言っているのかは、洸夜自身にも理解出来ていないが、聞きたくないと言う事実は変わらなかった。

しかし、明彦は言葉は止めなかった。

先程の事も踏まえて洸夜は困惑していて返答が遅れただけなのだが、明彦は沈黙と言う名の返答と受け取ってしまったのだ。

 

「思えば、満月のシャドウやストレガ、そしてニュクス……全部『アイツ』が解決した。洸夜、お前は……お前の力は本当に必要だったのか?」

 

「!……待て!何が言いたい、明彦!?」

 

背を向けたまま立ち去ろうとする明彦に、洸夜は右手を前に出しながらそう言って止めた。

しかし、明彦は今度は振り返らず、ただ一人ごとの様に小さく呟いた。

 

「洸夜……何も守れない力に"意味"なんてない」

 

そう言って、明彦は今度こそこの場を去って二階へと上っていった。

そして、洸夜はそんな明彦の背中を見ながらも、何も言う事は出来なかった。

失望したと言わんばかりに拒絶の意味での迫力が明彦の背から放たれていたからだ。

そんな友の後ろ姿に、洸夜の心も限界に近付いていた。

 

「なにが……一体、なにが? 俺は……! 俺は……俺が『アイツ』を!? 」

 

ゆかりも順平も明彦も、一体、何故あんな事を自分へ言ったのか? 洸夜は考えようとするが、頭も心を支え様としている為に冷静な答えが浮かばない。

と言うよりも、洸夜の眼も視点が定まっておらず、冷静な考え等は最初から出来ないのは誰の眼から見ても明らかだ。

心は強く保とうとするとそれを実行するが、崩れれば何処までも堕ちて行く。

『彼』を殺した。

その言葉だけが洸夜に頭に残り響き続ける。

鐘か何かの様に反響の様に何度も何度も、頭に響きながら。

余りの事に洸夜は思わず、頭を抑えた、その時だった。

 

「洸夜」

 

洸夜は背後から声を掛けられ、反射の様にバッと首だけ動かして背後を見た。

実際には見なくても誰かは分かっていたが、見ずにはいられなかった。

何でも良い、このジワジワと込み上がってくる苦しみから気を逸らせるなら、そんな思いで洸夜は背後の人物の名を呟く。

 

「……美鶴」

 

そこには、一人残された美鶴の姿があったが、何故か洸夜から眼を全く逸らさずにいた。

普通より逆に不気味だったが、今の洸夜にそんな事を考える余裕はなかった。

 

「美鶴……! 俺は!俺の力は……! 俺は『アイツ』をーーー」

 

頭で考えるより、感じているままに喋ろうとしている為、洸夜はテンパる様に喋っていた。

洸夜はただ、否定して欲しいだけだ。

自分の力と『彼』を殺したのが自分ではないと言う事を。

それを否定してくれるならば、小さな子供だろうが小動物だろうが何でも良かった。

ただ、自分が"崩れる"前に否定してくれれば誰でも。

そんな風に洸夜が喋る中、願いが通じたのか美鶴は静かに洸夜の近付いてきて、一言呟いた。

 

「洸夜、今は喋らなくて良い」

 

優しい口調だった。

美鶴のその言葉に、洸夜は少しだけ安心して心に僅かなゆとりが生まれた。

美鶴の話す内容によって"最悪のタイミング"となって。

 

「お前を信じた……私達がいけなかったんだ」

 

洸夜は思わず頭が真っ白になった。

人間って、本当に頭が真っ白になるんだ……等と考える余裕もない程に唐突に。

別に、言葉の理解出来なかったか訳ではない、寧ろ理解してしまったからこそに真っ白になったのだろう。

不思議と分かってしまったのだ。

先程の美鶴の言葉の真意が別に洸夜を慰めるつもりで言った訳ではないと言う事に、その逆の感情の中の"失望"と言う真意が。

洸夜はその場で佇みが、美鶴は特に気にする事もなく二階へと消えて行き、こに場には文字通り洸夜一人だけになってしまった。

テーブルに置かれているケーキの材料の入った袋は何とも場違いだが、そんな事を言う者すらこの場にはいない。

 

「……『■■■』、俺は……お前を……一体、なんで……」

 

眼に力が入っておらず、光も覇気も消えたまま洸夜はその場で膝をついてしまう。

大切な者の"死"の中で、言葉の集団攻撃を受ければ心が折れるのは容易であり、洸夜の心は静かに折れていった。

 

『我は汝……汝は我……。汝、新たなる絆……見出だしたり』

 

一瞬、何かの声が聞こえた気がしたが、洸夜の意識からはすぐに消えて行き、やがて洸夜は立って冷蔵庫に材料を入れると、寮の自室へと消えていった。

 

「クゥ~ン……」

 

テーブルの下から出てくる、一匹の目撃者の存在に気付かないまま……。

 

 

End【後半に続く】


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