ペルソナ4~迷いの先に光あれ~   作:四季の夢

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後編です。


外伝 : 影の終演、霧の開演 【後編】

二年前……。

 

同日。

 

現在、私立月光館学園・巌戸台分寮【各自室】

 

あの後、各メンバーは黙って己の自室へと戻って行った。

だが、メンバー全員の顔は暗く、雰囲気も覇気が全くなかった。

最初に戻った順平とゆかりですら、エントランスでは色々と言っていたが、二階へ上がった後は互いに何も言わずに自室へと戻った。

明彦と美鶴も同じだった。

しかし、そんな全員にも共通する事はある。

それは、全員が自室へと戻り、部屋の入口で扉に背を向けたまま、ゆかり、順平、明彦、美鶴の四人全員が言った言葉だ。

 

「わ、私……洸夜さんに何て事……!」

「ハァ……!ハァ……! 俺……俺……先輩に……なんであんな事、言ったんだよ……!?」

 

「なんで俺は……洸夜にあんな事を……!」

 

「私は……一体、何を……何故、洸夜を……!」

 

全員が後悔していた。

顔色が青白く、視点も揺れ、ゆかりに関しては罪悪感によって己の両腕を掴んでいる。

四人共、一体自分が何であんな事を洸夜へ言ったのか分からないのだ。

『彼』に対して、洸夜だけの責任なんてありはしない。

自分達は洸夜に何回も守られて来たのは、自分達が一番良く分かっている事実。

なのに、あの時はそんな事、微塵も考える事は出来なかった。

 

「私は、洸夜……すまない……!」

 

美鶴も後悔の渦にいた。

他の仲間以上に洸夜に支えられて来たのにも関わらず、自分はとんでもない事を洸夜へ言ってしまった。

 

「どうして……! どうしてだ……私は!」

 

美鶴は両手で眼から上を隠す様に掴み、悲痛の叫びをあげる。

全部、己のせいだと思い込む美鶴。

"謎の声"の存在等、とても薄い存在と言わんばかりに記憶から消えている事にさえ気付かずに。

そして、時間の流れも美鶴は感じる事も出来ず、自室に戻ってから一時間近くも扉の前で佇んでいた時だった。

 

buuuuu!buuuuu!

 

「っ!?……電話か?」

 

意外にも、スカートのポケットに入れていたマナーモードにしていた携帯が美鶴を現実へと戻す切っ掛けとなる。

罪悪感や後悔の気持ちの中では電話に出たくなかった美鶴だが、それで出ない訳にはいかなかった。

宗家の者からの連絡の可能性もあるからだ。

影時間と言った桐条の罪の一つの終焉を迎えた今ならば、尚の事。

美鶴は静かに、そして迅速に携帯を取り出しディスプレイを見た。

そこには『桐条宗家』の文字が写し出されていた。

 

「……。(やはり宗家か……)」

 

写し出される文字に、美鶴はやはりかと思いながらも電話に出る事にした。

 

「私だ」

 

凛とした口調で電話に出る美鶴。

この番号を知っているのは一部の者達だけである為、これだけの短い言葉でも十分なのだ。

相手が宗家の人間ならば尚更だ。

そして、宗家の者からの話を聞く事数分後。

 

「なに……?」

 

美鶴はその電話の内容に、表情を僅かに歪ませたがすぐに表情を直す。

当然の内容だったからだ。

"宗家に一旦、戻って来て欲しい"……そう言う予想の範囲内過ぎる内容に、美鶴は一旦は戸惑うものの、拒否等出切る訳もなく承諾するのには時間は掛からなかった。

 

▼▼▼

 

数日後。

 

現在、桐条宗家【とある部屋】

 

あれから少しの日数が経った。

美鶴は電話の通り宗家へと戻り、グループの事を始め、影時間やS.E.E.S解散の事を中心に話をしていた。

今は一旦、話が纏まり美鶴はとある一室で腰を掛けて紅茶を飲みながら一息着いていた。

また、この一室は流石は桐条宗家と言うべきか、誰が見ても高級だと分かる装飾や家具が置かれており、普通の者ならばお世辞に一息等は着けない。

しかし、昔からこれが普通の美鶴は話が別で、静かに一息着いている。

だが、その表情はどこか暗いものだった。

 

「……洸夜」

 

宗家からの迎えは早く、あの電話からすぐに迎えの者が寮へ訪れた為、洸夜の下へ向かう事は愚か、どの様な状態なのかも分からないまま来てしまった。

しかも、あの一件から数日経っているが、美鶴に寮へ帰る暇等あるわけもなく、更に洸夜へ会う事は出来なかった。

電話とて例外ではなく、少しでも早く話し合いを終わらす為に美鶴はこの数日をそれだけに費やした。

早く、寮へと帰る為に。

 

「後悔しか残ってないか……」

 

美鶴はそう呟くと、独特な模様とお洒落な装飾をしたのティーカップと受け皿をテーブルの上へと置いた。

この数日、寮へと帰る為に休む時間を無くしてまで費やしていたが、話し合いの時等、全ての時に頭の片隅には洸夜がいた。

プライベートと仕事を分ける。

美鶴はまさにそんな人間だが、美鶴自身も困惑する程に頭の中には少しでも洸夜の事を考えてしまっていた。

やはり、後悔しているのだ。

自分から洸夜を勧誘しておいて、勝手な事ばかり言ってしまった事に後悔ばかりが生まれる。

 

「……許してもらえるのだろうか」

 

独り言を呟き、美鶴は気分を少しでも紛らわす為に再びティーカップを持ち上げ時だった。

コンコンと、扉を叩く音が部屋へ響き、それは当然美鶴の耳にも入り、美鶴は思わずティーカップと受け皿を持つ手を止め、目付きを少し厳しくして扉を睨んだ。

 

「菊乃には誰も近付けるなと言ったんだが……」

 

少しだけ一人になりたかった為、決めた時間までは誰であろうと通さない様に幼なじみであり、メイドの菊乃に言っていた美鶴。

だが、時間はまだにも関わらず、目の前で扉は叩かれた。

菊乃の性格から本人ではないと美鶴は予想し、親族の誰かかと予想する。

親族の者ならばしそうな事だからだ。

美鶴は、やれやれと言った感じに疲れた表情で扉の前へと移動し、一体誰かと聞こうとした時だった。

扉の向こう側から、菊乃ではない女性が話し掛けてきたのだ。

 

「美鶴、今大丈夫かしら?」

 

「!?」

 

女性の声と口調は優しそうで、そしてどこかおっとりとした感じのものであった。

そして、同時に美鶴はその声の持ち主が誰かすぐに分かった。

この声と雰囲気の持ち主は、美鶴の記憶の中で一人しか該当せず、美鶴は慌てて扉を開き、その女性の事を呼んだ。

 

「お母様……」

 

開いた扉の前に立っていたのは、今は亡き桐条 武治の妻であり、美鶴の実母『桐条 英恵』だった。

身体が弱い為、基本的には空気の綺麗な場所で静養していたが、武治が亡くなった事で宗家に帰って来る事が多くなっていたが、この数日間は少なくとも宗家にはいなかった為、帰って来たのはついさっきと言う事になる。

勿論、美鶴も何も聞いていない。

 

「久し振りね、美鶴」

 

「お母様……どうなされたんですか? 戻って来るなんて話は……それにお身体は大丈夫なんですか?」

 

突然の来訪での困惑と、身体が弱い事を知っている為に美鶴は英恵の事を心配する様に近付くと、英恵の後ろにいた菊乃が美鶴と英恵に黙って一礼すると、静かにその場を後にした。

明らかに気を効かせたとしか思えない菊乃の行動はともかくとして、美鶴は母親である英恵を室内へ通し、向かい会う様に座りながら美鶴は英恵にも紅茶を入れ、英恵は静かにそれを口にして一息着いた。

 

「ふぅ……美味しい。紅茶を入れるのが上手いのね美鶴」

 

自分しか飲まないと思って準備し、そんなに手の込んだ事はしていない為に味には自信が無かったが、少なくとも美鶴は誉められるのは悪い気がしなかった。

しかし、美鶴が母から聞きたいのは紅茶の感想ではない。

 

「あの……それでお母様、どうなされたんですか。何か急用でも?」

 

美鶴は身体が弱く、先代の当主である武治の妻であり、美鶴の母と言う桐条でも重要な位置にいる英恵が何の意味もなく宗家の戻って来るとは思えなかった。

その為、自分には知らない何か特別な事でも起こったのではないかと、内心で警戒をしていた。

しかし、そんな美鶴の内心とは裏腹に英恵は、娘の堅苦しい反応を見て、あらあら……と困った感じに言うが表情は楽しそうに笑っている。

そんな母の様子に美鶴は更に状況が分からなくなった。

 

「お、お母様……?」

 

「ふふ……安心して、少なくとも一族の事とかではないわ。ただ、大切な一人娘と話がしたかったの」

 

「話? そんな……お母様、御身体の事もあるのに、わざわざそんな事だけの為に宗家へ戻られたのですか!?」

 

母の意外な言葉に、美鶴は思わず椅子から立ち上がってしまった。

別に美鶴は母と話すのが嫌な訳ではない。

ただ純粋に、身体の弱い母を想っての事だ。

気持ちは嬉しいが、自分と話す為だけに来た事で万が一が起こってしまえば、少なくとも美鶴は父である武治に顔向けが出来ない。

そして、そんな娘の想いは勿論、英恵にも伝わっていたが、その表情はどこか寂しそうな表情だ。

 

「……ありがとう、美鶴。私の身体を気遣ってくれてるのね。でも、近頃は体調が良いから大丈夫よ」

 

英恵はそう言って紅茶の入ったティーカップと受け皿を膝へ置くが、内心では違う想いがあった。

はっきり言えば、娘の言葉が寂しかったのだ。

一般の家庭では、親子で会話したり相談を聞いたりするのが普通の事で、それが本来の家族と言う形だと英恵は口にはしないが思ってはいた。

だが、只でさえ"桐条"と言う特別な中にも関わらず、亡くなった夫は多忙、当の自分は身体が弱い為に静養地から出るだけでも大事だ。

その為、まもとに親子の会話等、殆ど出来た試しがない。

頭では理解していたとは言え、英恵はそんな想いを胸にしまいながら目の前の娘を見る。

一般から見れば普通ではない状態を、美鶴からすれば"普通"にしてしまったのは間違いなく自分達と"桐条"だと、英恵は分かっている。

故に悲しかった。

まともに、一人娘と話も出来なかった事を。

そして、美鶴もそんな母の真意は分からずとも、母が何かを思っている事は察すると静かに腰を掛け直したが同時に部屋に少しだけ重い空気が流れ始めた。

そんな時だ、英恵は再び一息入れて肩の力を抜くと、静かに自分がここに来た真意を語り始めた。

 

「……美鶴。私が此処に来たのは、貴女と話したかったって言う事は本当なの」

 

「それは分かりました。ですが、何故急に? 今回、宗家で話した事は時期を見計らってお母様にも伝えるおつもりでしたが……」

 

「実はね、貴女が宗家へ戻って来た日に菊乃さんから連絡を頂いたの」

 

「菊乃から……?」

 

美鶴は頷く母の言葉に、思わず頭を押さえてしまった。

美鶴と菊乃のは昔ながらの関係で、長年桐条のメイドをしているが実は彼女のとある経歴から桐条と言うよりも、"美鶴"個人を第一の行動をする為、美鶴の障害となるならばそれが美鶴の身内でも容赦はしない。

勿論、美鶴自身もそれを察しているが、今度は何の目的で実の母である英恵を呼び出したのかと言う問題が発生する。

美鶴からすれば自分の為とは言え、菊乃が美鶴に直接彼女に自分の行動の思惑や真意を語る事はまず無いからだ。

その事もあり、美鶴は今回の一件に菊乃が絡んでいると知って頭痛を覚えてしまった。

 

「……はぁ。(菊乃め、今度は何を考えている?)」

 

問い詰めた所で吐く様な者で無いのは美鶴が良く知っており、答えを知るのは先になるかも知れない、と美鶴は思った。

しかし、美鶴は答えを案外早く知る事となる。

やれやれと言った娘の姿に、再び、あらあらと言った様子の実の母によって。

 

「美鶴、菊乃さんは別に何も企んでいないわ」

 

そう言ってティーポットも持ち、高く上げて空になったティーカップへ注ぐ英恵。

その紅茶の入れる無駄のない動作から、案外日頃から自分で入れているのかも知れない。

そして、そんな優雅にティータイムを楽しむ母の姿に、美鶴は菊乃は本当に関与しているのだろうか? と思い始めた時だった。

 

「先ほど言った菊乃さんからの連絡と言うのはね、美鶴……貴女についてよ。宗家に戻った貴女の様子がおかしい、それが菊乃さんが私に教えてくれた内容よ」

 

「っ!?」

 

美鶴は思わずハッとなった。

宗家へ戻って来てから、洸夜の事や残して来たメンバー達の事で少し様子がおかしかったのかも知れない。

しかも、特に周りが気付かなかった事は愚か、美鶴自身も気付く事は出来なかった。

だからこそ、ずっと美鶴を見てきた菊乃だけが気付き、静養中の英恵に連絡をとり現在に至らせたのだろう。

 

「……。(菊乃には気付かれていたのか……だがーーー)」

 

美鶴は己の私情を抑えきれなかった事、そして菊乃の洞察力を評価する反面、静養中の母を宗家へわざわざ呼んでしまった事に罪悪感を覚える。

はっきり言えば、今回の美鶴の異変の中心点は洸夜との一件だ。

つまり、完全に自分が招いた事なのは明白であり、そんな事の為に母が来てくれた事が美鶴にとって申し訳なかった。

 

「……いえ、特におかしい事はありません。私は菊乃の気のせいだと思いますが?」

 

美鶴は誤魔化す事を内心で決め込んだ。

こうなればこの話題を迅速に終わらせ、宗家で少し休んで頂いた後に母には静養地に戻って安静にして貰おう。

そう考えた美鶴は、身体の弱い母に余計な心配をさせまいと頭の中でシナリオを考え、場を誤魔化す為にティーカップを口へと運んだ。

だが、そんな娘の行動に英恵は何かに気付くと小さく微笑み、まるで小さなイタズラを叱る様に美鶴へ優しく言った。

 

「中身が空よ、美鶴」

 

「っ!」

 

美鶴は母に言われて自分でも初めて気が付いた。

己のティーカップの中身が空っぽである事に。

中身の存在にすら気付かなかった等、これでは説得力がまるで無い。

 

「お、お母様……こ、これはその……!」

 

生涯で最後となるであろう、見事なまでの墓穴に美鶴自身も困惑を抑える事は出来なかったが、それでも何とか言い訳を考えようとする。

しかし、英恵はそんな娘の様子に楽しそうに見ており、最早何を言っても無駄なのは分かりきっていた。

それでも尚、美鶴は言い訳を考えようとするが、軈てそんな自分が惨めだと気付き、静かに椅子に座り直し、そんな我が子を見て英恵も助け船を出した。

 

「美鶴、貴女と一緒にいた時間は少なかったけど、話してくれないかしら? こんな私でも、少なくとも聞いてあげる事はできるわ」

 

そう言って静かに、そして優しい眼差しで美鶴を見る英恵。

最早、美鶴が何かで悩んでいるのは完全にバレている。

その事は美鶴自身も気付いており、母である英恵の言葉に美鶴が折れるのに、そう時間は掛からなかった。

 

「……聞いて頂けますか、お母様?」

 

そう言って、漸く素直になった娘に英恵は優しい微笑み頷いた。

 

「ええ、その為に来たんですもの」

 

母の言葉に美鶴はすぐに言おうとしたが、やはり少しだけ戸惑ってしまうが、おっとりとした英恵の雰囲気が背中を押し、ゆっくりとだが母へ語った。

自分が一人の少年をS.E.E.Sに勧誘した事から始め、自分がその少年から色々と教えてもらった事、その少年や仲間から沢山助けて貰い、同時に支えられた事。

だが、自分がその少年に酷い事を言ってしまい、何も言えないまま宗家へ戻って来てしまった事。

美鶴はが起こった事、思った事を出来るだけ、そして言えるだけ母に伝えた。

伝える間は吐き出した事で胸が楽になっていったが、同時に楽になっていく事への罪悪感が生まれるが、美鶴は全部伝えた。

全部、母に聞いて欲しかったから。

そして、軈て美鶴が全部言い終わると、英恵はティーカップをテーブルに置き、膝に両手を被せる様に置くと真剣な表情で何かを考え始め、そんな母に対して美鶴は口を開いた。

 

「……私は、どうすれば良いのか分からないのです。お母様」

 

「そうね、難しい問題だけど……美鶴、貴女は自分がその方に言った事はどう思っているの?」

 

その言葉に、美鶴は少しだけだが俯いてしまう。

 

「……間違った事です。洸……その者は、ずっと周りを支えてくれていました。勿論、私の事も……なのに私は……!」

 

思わず洸夜の名を言いそうになったが、思わず言い直した美鶴。

理由は自分でも分からなかったが、今は自分の思った事を口にし、その美鶴の様子に英恵は再び何かを考え始めると落ち着いた様子で呟いた。

 

「……そうね、なら美鶴。まずはーーー」

 

「……。(お母様が言おうとしている事は分かる。まずは謝罪だ)」

 

英恵の話の途中に美鶴は母が何を言わんとしようとしているのか悟った。

手遅れになる前に御詫びしなさい、謝罪しなさい。

美鶴の頭の中で、母の声でそんな言葉を脳内再生してしまう。

思わず、自分の手を握る力が強まる美鶴だったが、母英恵の言葉は美鶴の考えていたものとは少し違うモノだった。

 

「その方に……"会いなさい"」

 

「……え?」

 

会いなさい。

母は自分にそう言ったと、美鶴は認識すると同時に意味が理解できない事で困惑してしまう。

だが、娘のそんな反応は予想の範囲内だったのか、英恵は更に話し出した。

 

「美鶴……もう一つ聞いて言いかしら?」

 

「っ! は、はい……なんでしょうか?」

 

「人が最も恐れるのは何だと思うかしら?」

 

おっとりした口調の割りに中々に深い事を美鶴へ問い掛ける英恵に、美鶴はすぐにその答えを考えた。

大切な物を無くす、己が傷付く、誰かを亡くす、己の死。

美鶴は色々と候補を頭の中に浮かべるが、答えが一つに絞る事が出来なかった。

恐らく、人それぞれによって答えが異なる。

美鶴はそう思ってしまい、中々答えが言えなかった。

 

「ふふ、難しく考えてしまっているのね」

 

「!」

 

まるで己の心を読まれた様に思い、母の言葉に美鶴が思わず頬を仄かに赤らめる中で英恵は静かに答え合わせを始めた。

「それはね、美鶴……自分の"心"が傷付く事なの」

 

「心が……傷付く?」

 

美鶴の言葉に、英恵は静かに頷く。

 

「その人にとって大切な人や物を亡くしたり、自分の体が傷付けば、人は寂しさや悲しさ、痛みや恐怖が不安になって心を傷付ける。怪我と違って目に見えないから、人は余計に心が傷付く事を恐れる……」

 

英恵はそこまで言うと、少し悲しそうな表情になりながらも再び語りだした。

 

「小さな子から、お年老いた方は勿論、権力を持つ人達だって……今の地位や生活を失いたくな、結果が出せない……そんな風な想いから自分の心が傷付かない為に許されない事をする人も大勢いるわ。それによって、別の誰かが傷付く事になっても……」

 

「お母様……」

 

美鶴は母の言葉に、その真意を察した。

静養地に日頃いるとは言え、英恵が武治の妻であり桐条の人間なのは変わりない事実。

色々と、そう言う者も見てきたのだろう。

美鶴はそう思う中、父が母を静養地に住まわせ、宗家から遠ざけていたのは身体が弱い事だけが理由ではなく、そう言う者達から遠ざけるのも目的だったのかも知れないとも思った。

そんな風に、美鶴が色々と考えていた時だった。

英恵が静かに美鶴を見た。

 

「美鶴、貴女……その傷付けてしまった方に会うのが恐いのね」

 

誰も傷付けない様な優しい雰囲気のまま、英恵は美鶴へそう言った。

同時に、美鶴はその言葉を聞いた瞬間、自分の胸に刺さる小さな針が抜けた様な感覚を覚え、漸く気付く事が出来た。

寮を出る時、急いでいたと言うのは言い訳で、本当は自分が洸夜に会うのが恐かったのだと美鶴は母の言葉で気付く事が出来たのだ。

 

「美鶴、私はこう思っているの……心が傷付くのは辛い事だけれど、全く傷付かない者にはその苦しみを知る事は絶対に出来ない。そして、誰かの為に傷付く事が出来る人が本当に強い人だと私は思います」

 

「誰かの為に……傷付く事が出来る人」

 

その言葉に美鶴は、咄嗟に『彼』と洸夜の姿が思い浮かんだ。

戦いの時、あの二人の姿は後ろ姿しか基本的に見た事がなかったからだ。

最後の最後まで。

 

「勿論その方と会う事でその人が傷付くかも知れない。けれど、何もしなければ何も変わらず、お互いに傷付き続ける事にもなるわ。でも、お互いに誰かの心の痛みを分かってあげられる同士なら、きっと仲直りが出来るわ。だって、少なくとも貴女は誰かの心の痛みを分かってあげられる子ですもの」

 

「お母様……」

 

心が楽になった気がした。

すっと、重りの様に取れなかったモヤが全部ではないが、話を聞いて貰い助言をもらった事で美鶴はそう思った。

いや、もしかしたら母と話したからかも知れない。

美鶴に漸く笑顔が戻り始めた。

宗家に戻ってから、始めての笑顔だった。

そして、同時に美鶴は決心する、洸夜に会うと。

本当ならばすぐにでも寮に戻りたかったが、今はそうも行かない。

決心はしたが、再び問題が出来た事で美鶴の笑顔が若干だが曇る。

しかし、何かを決心した娘の姿と笑顔をみた英恵は、美鶴の姿を見ると満足したかの様に微笑んだ後、部屋の扉の方を向き、ある人物の名を呼んだ。

 

「菊乃さん」

 

英恵の声と共に静かに扉が開き、そこには礼儀正しく綺麗に頭を下げる菊乃の姿があり、菊乃は頭をあげると静かに言った。

 

「御車の準備は整って下ります」

 

そう言って再び頭を自分に下げる菊乃の姿に、美鶴は困惑気味に楽しそうに笑っている母の方を向いた。

 

「行きなさい、美鶴。宗家の事は私に任せなさい」

 

まるで、最初からこうなる事を知っていたかの様な反応の母の姿に、菊乃が席を外した時から二人の掌で踊っていたのだと理解する美鶴。

 

「ですが……!」

 

だが、その言葉に美鶴は躊躇した。

宗家での話等、身体の弱い母には只のストレスにしかならないと知っているからだ。

だが、英恵はそんな娘の反応に首を横へと振った。

 

「大丈夫よ。少しは母親らしい事をさせてちょうだい」

 

「しかし、お母様のお身体は……!」

 

「ちゃんと終わったら、また話を聞かせてね?」

 

部屋に入ってきた時から変わらない母の優しい雰囲気の言葉に、美鶴はそれ以上は何も言わなかったが、静かに、そして深く母の頭を下げると部屋を後にし、皆のいる寮へと戻っていった。

そして、美鶴が出て行った後、菊乃が英恵の方を見るが、もう少しだけこの部屋で休むと伝えると菊乃は頭を下げると扉をしめて再び、その場を後にした。

 

「明るくなったわね、美鶴……」

 

一人になった部屋で英恵は嬉しそうに呟くが、実は英恵には少しだけ気になる事があった。

それは、今回の美鶴の話してくれた内容。

ずっと一生懸命に影時間で戦ってくれていた仲間に、美鶴が傷付く事を言ったと言う事だ。

親馬鹿と思われるかも知れないが、少なくとも自分の知る美鶴は理由も無しにそんな事を言う娘ではない。

そう思う英恵は、少し嫌な予感がした。

シャドウ等が関わっているのではないかと言う予感を。

だが、今そんな事を自分が考えても仕方ないとも思い、英恵はもう一つ気になる事を思い出すと、持ってきていた小さなバックから一枚の写真を取り出した。

 

「聞きそびれてしまったわね」

 

少し残念そうに言う英恵が持っていた写真には、灰色の色の少年の姿が写っており、英恵はこの写真を貰った時の経緯を思い出した。

それは、夫である武治が亡くなる少し前、静養地に突然武治が来た時の事だった。

頻繁にとは言わないが、武治はよく妻の様子を見に来ていた為、英恵はその日もそれだ思っていた。

突然来た夫が、それまた突然美鶴の"許嫁"を白紙にして来たと聞くまでは。

英恵と武治も政略結婚が目的の許嫁で結婚し、美鶴も同じ様に許嫁はいたが歳の差は二回りも違う男である為、美鶴に辛い思いをさせると思っていた英恵だったが、夫の言葉で状況は変わってしまった。

理由を聞けば、その許嫁の父は有能だったが息子は無能である為、継げば会社が打撃を受けるのは目に見えており、政略的にも意味を成さないと言って強引に白紙にして来たとの事。

相手側の苦情が気になった英恵だが、本気で圧力を掛ければすぐに黙ると言い捨てる夫の言葉に何も言わなかった。

しかし、英恵は美鶴の婚約者はどうするのかを気になり夫に聞くと、武治は少し間を開けた後にこう言った。

 

『興味深い少年を見つけた』

 

そう言って、英恵は武治から手渡された資料と写真の束を受け取っていた。

その時の写真の一枚が、今英恵が持っている写真だ。

資料は高校の履歴書、写真はまるで盗撮したかの様に遠目であり、被写体である少年は一回もカメラを見ていなかった。

恐らく、この少年を観察したのだろうと英恵は思う反面、夫らしくないとも思っていた。

罪の清算の為とは言え、桐条がしていた事は多少は知っていたが、何も関係ない人を巻き込む様な事はしない人だからだ。

しかし、当時の武治はそんな妻の疑問を知ってか知らずか、勝手に色々と話し出した。

 

『彼の御両親には話はしてある。落ち着いた頃にお見合いをさせようと思う』

 

表情を変えなかったが、真剣な夫の姿に当時の英恵は一つだけ聞いた。

相手の御両親の返答についてだ。

 

『流石は国際的な仕事をしている方々だ。桐条の噂を良くしっていて、かなり警戒された』

 

そう言いながらも、どこか満足感溢れる表情をしていたのを英恵は覚えている。

それからすぐに武治は帰らぬ人となり、お見合いの話がどうなったかは知らない。

自然消滅したかも知れなければ、美鶴も知らなそうだった為、下手に考えなかったが英恵は写真の少年だけは気になっていた。

 

「どんな方なのかしら……瀬多 洸夜さん?」

 

そう言って英恵は、美鶴にアイスキャンディーを手渡す洸夜と、それを受け取り困惑している美鶴の写真を楽しそうにしながら見ているのだった。

 

▼▼▼

 

同日

 

現在、私立月光館学園・巌戸台分寮

 

宗家を出て数時間後、美鶴は寮へと戻って来た。

今の時間はお昼過ぎ程度、母と菊乃の準備の良さのおかげで美鶴は自分でも思った程早く帰る事が出来、そのまま入口で降ろしてもらうと運転手に指示を出して寮へと入って行った。

そして、寮へと帰って来た美鶴を出迎えたのは、まるで火でも消えた様な寂しく、静かな寮だった。

エントランスには誰もおらず、誰かと散歩に出掛けているのかコロマルすら姿がなかった。

 

「……誰かいないのか?」

 

美鶴は独り言を呟き、気晴らしと同時に誰かが自分の声に反応してくれると思ったが、残念ながら誰も出て来なかった。

我ながら馬鹿馬鹿しい事をしている。

美鶴は自分の事にも関わらず小さく笑うと、上の階へ、つまり洸夜の自室へ向かう為に階段へと歩き出したが、その途中で美鶴はある事を思い出し、足をキッチンへと向ける。

そして、美鶴はキッチンの冷蔵庫の前で足を止めると、冷蔵庫を開けて中身を覗くとそこには洸夜が買っていたケーキの材料だけが置かれていた。

丁寧に並べられている無駄のない配置を見て、美鶴はそれを洸夜を入れたのだと察し、同時に手を付けられていない事でケーキを作らなかったのだとも分かった。

だが、よくよく中を見ていれば、冷蔵庫の他の中身にもこの数日間、中身に触れた痕跡が見当たらない事が分かり、この数日、誰も冷蔵庫を開けていないのだと理解出来た。

前ならば考えられない事であり、食欲が無いのか、寮に帰って来たくないのか、答えは分からないが少なくとも、美鶴は寮の静かで寂しい雰囲気の理由の全貌を理解した気がした。

 

「……行かねば」

 

美鶴は一言、決意表明の様に呟くと静かにそこを後にし、洸夜の自室のある三階へと向かうのだった。

 

▼▼▼

 

現在、私立月光館学園・巌戸台分寮【三階フロア】

 

コツ……コツ……と、階段を上がる度に靴との衝撃音が美鶴の耳に届く。

静寂故に辺りに聞こえる音をBGMにしながら美鶴は階段を上り、途中で自販機の商品の一つ"モロナミンG"に意識を向けてしまう。

 

「モロナミンG……。(洸夜が良く飲んでいたな)」

 

洸夜はモロナミンGの愛飲者であり、他の飲料水同様にまとめ買いは勿論、夏にはかき氷にすら掛けていたのが美鶴には印象的であった。

それに対して明彦が引いてはいたが、かき氷に水で溶かしたプロテインをかけている時点で自分も同類であると皆から思われていたのを明彦は知らない。

そんな事を思い出しながら、美鶴は三階へと到着する。

 

『三階は面倒だ』

 

美鶴は洸夜がこの寮に来て、部屋が三階と伝えた時の言葉を思い出しながら洸夜の部屋の前まで着くと、そこには"三人"の先客がいた。

 

「ゆ、ゆかりっちが先陣をきってくれよ!」

 

「わ、私!?……あ、あんたがやりなさいよ!」

 

「二人が行かないなら俺が行くぞ?」

 

洸夜の部屋の前には、手土産なのか何やら大小色々な大きさの袋を持った明彦達の姿があった。

しかし、何やら部屋の前で揉めており、話の内容から察するに誰が洸夜に最初に話し掛けるか揉めていた様だ。

一体、部屋の前で何をしているのやら、美鶴がそんな事を思っていると、ゆかりが美鶴の存在に気が付いた。

 

「あっ! 美鶴先輩!?」

 

「なんだ美鶴、こんなに早く戻るなら連絡すれば良かったろ?」

 

ゆかりの後に続いた明彦は、美鶴の登場にバツが悪そうに頭を掻きながら言った。

 

「色々とあってな。それよりも、君達はどうして?」

 

「その、俺……あれから気まずくって瀬多先輩に会わないように寮を出入りしてたんすけど、やっぱりこのままじゃいけねえって思って……御詫びを兼ねてたこ焼き買って来たんすよ」

 

そう言って皆にたこ焼きが入っているであろうビニール袋を見せる順平。

高さがある為、数パックは買った様だった。

どうりで独特なソースの匂いがすると思ったと、順平を除くその場の全員が思う中、順平は話を続けた。

 

「えっと……まあ、そんな感じで俺、一人で瀬多先輩の部屋に来たんすけど、そこには既にゆかりっちがいたんです」

 

「なんだ、最初は岳羽が最初だったのか?」

 

明彦は美鶴とタッチの差だったのか、明彦は順平とゆかりが一緒に来ていたのだと思っていたらしく意外な顔でゆかりを見た。

 

「そ、その……私も順平と同じで予備校の方の手続きとかで寮から離れてて、でも……瀬多先輩の事から逃げるのが嫌で……」

 

頭を下に向けながら言うゆかりの両手には、可愛らしい紙袋が握られている。

ソースの匂いに混じってする甘い匂いを察するにお菓子の様だった。

 

「なあ、ゆかりっち。それっていくらしたんだ?」

 

平然とそんな事を聞く順平に、ゆかりはこれ以上にない程に不快な表情を露にした。

この場ではこの男ぐらいなものだろう。

御詫びの品の値段を平然と聞いてくる者は。

 

「……そう言うあんたのは?」

 

「確か……八パックで二千四百円」

 

「順平……それは自ら、恥を晒している事だと分かっているのか?」

 

「え? なんでっすか?」

 

美鶴の言葉の意味を本当に分かっていないらしく、素で頭を傾げる順平の姿にこの場の全員が溜め息を吐いた。

しかし、同時に美鶴は自分が手ぶらである事に気付いてしまった。

 

「しまった。急いでいたから、そこまで気が回らなかった……」

 

「別に大丈夫だろ? 土産があるないで洸夜は何か言う奴じゃないだろ?」

 

明彦の言う通りだが、美鶴にとってはそう言う問題ではなかった。

 

「そう言う問題ではない。私の気持ちの問題であり、これでは洸夜に申し訳ない」

 

謝罪しようとしているのに、自分だけが何も持っていない事は美鶴のプライドも許す事は出来ないのだ。

しかし、今から買いに行くとしてもそんな時間はない。

買いに行っている間に明彦達に待っていて貰うのは申し訳なく、だからと言って買いに行っている間に洸夜が戻ってくればかなり気まずく、ちゃんと話に持っていけるか疑問だ。

すると、暫し考える美鶴の様子に順平がある提案を出した。

 

「じゃあ、代わりって言えばおかしいすけど、桐条先輩が瀬多先輩に呼び掛けてもらえば良いんじゃね?」

 

「……順平、あんた、自分だと気まずいから美鶴先輩にやってもらおうと」

 

「違う違う!? いや、だって、桐条先輩なんか悩んでんだろ? だったら、敢えて先陣を斬ってもらって、何も悩む事なく瀬多先輩に会ってもらった方が良いだろ?」

 

ゆかりの言葉に順平は筋は通っている事を言うが、かなり必死な動きをしている為、少しは図星であったのが分かる。

だが、結局の所、元々そのつもりで来たのが目的であった為、美鶴は頷いた。

 

「どの道、洸夜に会うのが目的だったのだからな……」

 

「良いのか美鶴?」

 

明彦が心配そうに美鶴へ問い掛けるが、美鶴は静かに微笑みもう一度だけ頷いた。

 

「その為に早く戻ってきたからな」

 

美鶴はそう言って洸夜の部屋の扉の前に立った。

作りは皆、同じ扉にも関わらず、洸夜の扉はまるで大手銀行の金庫の様に分厚い扉に思えてしまう。

だが、逃げる訳には行かない。

美鶴は冷静に扉を叩き、コンコンと言う音が四人の耳に届いたが、扉の向こうからは反応はなかった。

 

「……洸夜。今大丈夫か?」

 

返事がなかった為、美鶴は自分から問い掛ける事にした。

その様子に他の三人は息を呑み、順平に関して冷や汗までかいていた。

しかし、洸夜からの反応はない。

 

「瀬多先輩、もしかして寝てる?」

 

ゆかりの意見にそうかも知れないと言う思いが美鶴達に芽生えたが、どうにもそんな感じでは無い気がしてならない。

美鶴は嫌な胸騒ぎを覚え、ドアノブへと手を伸ばし、回してみるとドアノブは糸も簡単に回って扉が少し開いた。

その事で、明彦達も思わず困惑してしまうが、美鶴は静かに扉を開いた。

 

「洸夜……? すまないが、入るぞ……」

 

そう言って扉を開けた美鶴達の前に、当然の如く洸夜の部屋が視界へと入った。

だが、それは予想外の光景であった。

何故ならば、その部屋には殆ど物が無く、"空き部屋"同然の部屋だったから。

その光景に、美鶴は思わず思考が止まりかけ、順平達はそれぞれの土産を部屋の床へと落としてしまった。

 

「これ……は?」

 

美鶴が何とか出した言葉がそれだった。

それで精一杯だった。

今の現状の答えが分からないのだから。

先程まで一番騒がしかった順平ですら、殆ど空になった本棚を見て呆気に取られていた。

 

「ほ、殆ど何もねえじゃん……な、なんだよこれ? テレビもパソコンもプラモも、先輩の私物が何もねえじゃんかよ!?」

 

そう言って順平は辺りを見回すが、あるのは元々桐条側が部屋に置いていた家具や一部の参考書ぐらいしか無く、洸夜の私物は何も見当たらなかった。

 

「……」

 

明彦も黙りながらクローゼットを開けて見たが、そこにはハンガーが数個だけ掛かっていただけで、ゆかりもベッドへ視線へ向けるが、そこはプロの従業員が整えたかの様に整理された物だった。

 

「こ、これって……」

 

ゆかりは表情を青くしながら部屋を出て、この部屋が本当に洸夜の部屋なのか確認するが残念ながら洸夜の部屋で間違いは無かった。

その時だった、何も残っていない綺麗な机で美鶴はある物を見付けた。

 

「これは……」

 

綺麗に掃除された机の上に置かれていたのは、S.E.E.Sメンバーが持っている銃型召喚器、その横には白い縦長の封筒。

そして、最後は洸夜が愛用していた刀が机に立て掛ける形で置かれており、美鶴の声に気付いて明彦達も机へと集まり、美鶴は一番気になった白い封筒を手に取って見た。

そこには達筆な字で『皆へ』とだけ書かれており、美鶴は不安な思いを抱きながらも封筒の中身を取り出し、一枚の折られた紙が出て来た。

 

「これは、洸夜が書いた……手紙?」

 

「……美鶴。一体、何が書いてあるんだ?」

 

明彦に問われながら、美鶴は静かに手紙を読み上げる。

そこには以下の事が書かれていた。

両親がまた引っ越す事になり、卒業した後、すぐに合流する様に言われていた為、寮をすぐに出て行かなければならなかった事。

寮を出て行く際に自分で必要な事は既に済ませた事。

影時間関連の道具は全て置いていった事。

美鶴達との一件は、美鶴達が自分にああ言う事で前へ進めたと解釈する事で何とか心を落ち着かせたが、次に会う時は"恨み"等、負の感情を抑えられないと思い、誰にも言わないで出た事。

そして、最後に自分がこの街に二度と来る事はない事。

洸夜の手紙にはそう書かれていたが、美鶴は気付かなかった。

自分が途中から声が出ていなかった事に。

 

「美鶴先輩! なんて書かれているんですか!?」

 

痺れを切らしたゆかりが美鶴へ問い掛け、美鶴はその声で我に帰ったがショックは大きく、美鶴にはそれを読み上げる気力は既に無かった。

そして、美鶴はやがて首を下へと向け、弱々しく手紙をゆかりへと手渡し、ゆかりを挟む様に順平と明彦も覗き込む様に読んで行った。

それから、美鶴の様に弱々しくなっていったのに、そう時間は掛からず、軈て時間だけが経って行き、その中で順平が恐る恐ると喋り出した。

 

「これよ……その……やっぱり……! 俺等が瀬多先輩を……!」

 

順平の言葉は途中から涙声になっていき、それを聞き、ゆかりは拳を握り締めながら下を俯いて行った時だった。

ガンッ!! と衝撃音が部屋に響き、美鶴達は音の出所の方を向くとそこでは明彦が壁に拳を叩き付けていた。

皮が捲れたのか、明彦の拳からは仄かに血が流れていた。

 

「本当なら……本当ならば……! 俺達は洸夜をちゃんと送り出してやるべきだった!なのに、俺達は『アイツ』の事を洸夜全てに!」

 

洸夜が寮を早めに出て行く事を知らなかったとは言え、明彦はあんな事を言った自分を恥じた。

真次郎、『彼』、洸夜、三人の友が自分から去り、洸夜に関しては自業自得である為、明彦はやるせない思いで一杯だった。

そして、ゆかりもまた、脱力したかの様に涙を流しながら床に腰を着けてしまった。

 

「私……私ぃ……! 洸夜さん……瀬多先輩にとんでもない事を……!」

 

ゆかりは思い出す、最後に自分が洸夜に言ってしまった言葉を。

殺した様なもの、確かに自分はそう言ってしまった。

ゆかりは『彼』のが重なった後悔の念によって泣く事しか出来なかった。

少なくとも彼女にはそれしか出来ない。

愛した『人』も、謝らなければいけない人も、この場には存在しないのだから。

そして、後悔が高まる部屋の中で美鶴は封筒の小さな異変に気付いた。

 

「埃がある……」

 

洸夜の置き手紙が入っていた封筒には、多少の埃がついていたのだ。

その事から、洸夜が寮を去ったのが今日より前だと分かる。

情けなかった、馬鹿みたいだった。

会いたかった人物は、当の前にいなかったのだから。

美鶴は歯を食い縛り、己を保とうとする中で携帯電話に手を伸ばし、洸夜の番号へと掛けた。

何もしないと自分が許せなくて仕方なかったからだ。

そして、五回程コールが鳴った後、ガチャッと音がし、美鶴は思わず肩に力が入ってしまう。

だが……。

 

『お掛けになった電話番号は、現在電波の届かない地域か、電源がーーー』

 

美鶴の耳に届いたのは非常にも洸夜ではなく、今は何の意味もない知らせだった。

そして、お決まりな声で言い続ける携帯を美鶴は思わずそのまま机に叩き付けてしまう。

ただの八つ当たりだ、そう自分の心に言い聞かせると同時に、母へ申し訳ないと言いながら。

 

「……。(遅すぎましたお母様……全部……)」

 

この部屋にいる四人とも後悔しか出来ず、もう真次郎も助言はくれず、『彼』も支えてくれない。

 

「ど、どうすれば良いんだよ……! 風花達だってすぐ気付くじゃんか……」

 

「ッ!?」

 

順平の言葉に美鶴はハッとなる。

何の連絡も無かったと言う事は、少なくとも風花達も洸夜が去った事を知らないと言う事だ。

『彼』の事から洸夜の一件。

まだ、風花達が背負いきれるものではない。

風花と乾は洸夜と色々と親しかった為、このタイミングで言える訳がない。

 

「情けない……」

 

一体誰に対してなのかは美鶴にしか分からないまま、美鶴はある決断をしてしまう事になり、この事が二年後へも続く事となったのだった。

 

▼▼▼

 

数日前

 

現在、ポロニアンモール

 

少しだけ朝霧があり、朝日によって反射する中、大きなスポーツバックを肩に掛け、四泊五日は出来そうな大きなキャリーバックを引きながら洸夜はポロニアンモールにいた。

そして、辰巳東交番と眞宵堂の間にある長い通路へと白く分厚い本を持ちながら進んで行く。

本来ならば、そこには契約した者だけが招かれるベルベットルームへ通じる蒼い扉が存在している。

しかし、洸夜は途中でその足を止め、ゆっくりと自分のポケットへ手を入れる。

いつもならば、意識していなくてそこにある筈だからだ。

ベルベットルームへの鍵が……。

しかし、洸夜のポケットには鍵はなく、道の先にはベルベットルームの扉すら消えており、本来の行き止まりの壁だけが存在している。

 

「お前等も消えたのか……イゴール、エリザベス」

 

不気味で訳の分からない様で的を得た助言やペルソナの手助けしてくれた男も、世間知らずで色々と危なっかしいのにとんでもなく強いエレベーターガールも、もう会えない。

無表情ながらも、何処か寂しそうに空を眺める洸夜。

風が心地良く、霧も晴れて青空が顔を出し始めていた。

数分程、洸夜はずっとそんな事をしていたが、軈て壁まで歩くとゆっくり壁の下に立て掛ける様に先程持っていた本"ペルソナ白書"を置くと、そのまま振り返らずに駅へと歩いて行く。

 

 

▼▼▼

 

現在、巌戸台駅。

 

洸夜は駅へと来ていた。

今から自分はこの街を出て行く。

洸夜はそんな思いを胸に入れならがら、駅のホームへと歩いていた時だった。

洸夜は駅の隅にいる数人の男達に目を向けてた。

理由はなく、少し目立っていたからだ。

若い成人男性、中年男性、そんな人達の集まりだが、その男達はなにやらぶつぶつと何かを言っていた。

 

「ニュクス様……ニュクス様……」

 

「お願いします……妻と娘ともう一度だけ……ニュクス様……!」

 

「わ、私は信じ続けるぞ……ニュクス様を!」

 

その言葉を聞き、洸夜は彼等の言っている事を理解した。

ストレガが広めたオカルトだ。

何も知らず、その口にしている存在がどの様な存在なのか心の底から本当に理解等している訳がない。

洸夜は彼等を鼻で笑うと、音楽機器にさしたイヤホンを耳へと入れる。

まるで彼等の言葉等、聞きたくないと言っている様に。

 

▼▼▼

 

現在、電車。

 

洸夜は向かいあった形の四人が乗れる席にいた。

荷物が大きく、朝が早い為、乗客が少ないからだ。

そして、スポーツバックを荷物棚に置き、キャリーバックを側に寄せると洸夜は窓際に体重を掛けて外を見ていた。

最初にこの街へ来た時を思い出していたのだ。

行き交う人々、社会人や学生。

色々な人が生きている街。

自分も今日からここに住み、暮らして行く。

まさか、シャドウ等と言った非現実に巻き込まれるとは思わなかったが、確かに自分はこの街で色々と得たのは間違いない。

同時に、失った事も。

軈て、電車の扉が閉まると同時に洸夜は眼を閉じた。

朝が早く、電車で眠るつもりだったのだ。

最後になるかもしれないが、この街の景色を見納める気はない。

虚しくなるからだ。

電車に揺られながら、洸夜は静かに眠りについていった。

 

『どうして……先輩だけが生きているんですか?』

 

「ッ!?」

 

洸夜はハッとなって意識を覚醒させ、辺りを見回した。

そこは、普通の光景、電車で自分と同じ様に寝ている人が殆どの電車内の光景だった。

しかし、先程の声は確かに『■■■』の声。

洸夜は息が乱れる自分を落ち着かせながら、再び瞳を閉じる。

眠っていたい。

休みたい。

今だけでも良いから、休んでいたい。

そう自分に言い聞かせながら、洸夜は再び夢の中へと意識を落としていった。

 

『今だけは……お休みなさいませ、洸夜様。そして、またお会いする時までお元気で……でございます』

 

夢の中でメギドラオンを撃ちまくる、たちの悪いエレベーターガールの声が聞こえた気がしたが、洸夜の意識は静かに消えて行く。

隣の座席の上で揺れる一冊の"白い本"と共に、電車の揺れを揺りかごの様にしながら。

 

そして、黒い仮面使いは暫しの休息へ入った。

影が終演を迎え、霧の開演までの二年と言う時間の間。

静かだが、苦しくないかと言われれば断言出来ない、曖昧な休息を……。

 

End


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