目を覚ましたらそこは見たこともないところだった。目の前には焚き火の炎が揺らめいて、周囲を照らしている。洞窟のような場所に、木製の檻が二つほどあった。その中には、一つ数人の子どもが入っている。
泣いている子、膝を抱えている子、疲れてぐったりしている子。
それをホムラはぼんやりする頭で、見ていた。
腕は縛られているのか動かせない。
お腹が痛い。
そういえば誰かに殴られた。
何でここにいるんだろう。
勝手に動いたら、怒られてしまう。
あの人に怒られちゃう。
「う………」
少女の小さな呻き声に、その場にいた男が反応した。
屈強な身体を持つ男が後ろ手に縛られた少女を覗き込む。ニヤニヤと不気味な笑みを浮かべて彼女を見下ろす。
「お、起きたな。お前くらいの女は高く売れるんだよ。悪く思うなよ」
「………っ」
知らない人。
それに彼女は震える。
「おい、起きてんだろ?」
と、男は彼女の胸ぐらを掴んだ。
その時だった。彼女が被っていたフードが外れる。
少女の顔を見た男は驚いたように目を見開くも、すぐに笑い始めた。
「お前、よく見たらグーラの女神様じゃねえか」
「……?」
「へえ、聞いていたよりよガキじゃねえか。しかもそれがアッサリと手に入るなんてなあ」
下卑た笑い声が薄暗い洞窟内に響く。
男は一頻り笑ったあと、ホムラを地面に放り出した。その拍子に頬を地面に打ちつけ、彼女は小さく呻いた。
顔が痛い。
帰りたい。
怖い。
あの人はどこにいるんだろう。
ずっと傍にいてくれた、あの金色の人は……。
ビャッコさんも殴られてた。
痛そうだった。
大丈夫かな。
彼女はなんとかこの場から逃げようと、もがいた。
それに気がついた男が、
「おい、妙な真似すんじゃねえぞ?」
と彼女の土手っ腹を蹴り上げる。
「……うぁ………っ」
あまりの痛みにホムラはうずくまる。
ズキズキと腹の傷が主張している。それにホムラは目に涙を浮かべる。
丸まって震える少女に、男は可笑しなものを見たように笑う。
「あははは、女神様もカタなしだな。噂じゃあ、かなり強いって聞いてたんだけどよ。たいしたことねえじゃねえか」
腹を抱えて笑う男に、別の男が言った。
「おい、あまりソイツに傷をつけるな。値が下がる」
「何言ってんだ。コイツはブレイドだろうが。たとえ傷ついてもすぐに治る。その包帯の下だって、どうせもう治ってるに決まってる」
そう言って男は彼女の右目を覆う包帯を乱暴に取り去り、頬を掴んでその顔を見た。
「ほらな」
男は得意げに笑うと、もう一人は呆れたように肩を竦ませて入り口へ向かった。
ホムラの右目は再生出来ていないが、目に見える傷はもうなかった。片目を閉じたまま天井を見ていた。そして再び地面に顔を打ちつける。その痛みに呻きながら、彼女は目を閉じた。
暫くして、子どもの泣き声と男の怒鳴りつけるような声がした。檻の中の子どもは、家に帰して、と泣き喚いていた。そんな子どもに男は、うるせぇ、黙ってろ、と怒鳴りつけていた。
ホムラはそれを聞いて緩慢な動きで頭を動かして、それを見た。
男は顔を真っ赤にさせて、檻の中で泣いている子どもをそこから引き摺り出した。嫌がる子ども、泣き叫ぶ子ども。
そんな子どもに、とうとう男は拳を振り上げた。
「………っ」
果たして、殴られたのはホムラだった。
子どもの前に飛び出した彼女は男の屈強な拳を顔面で受け止め、地面に転がる。泣いていた子どもも、殴った男も驚きで言葉を失った。だが、正気を取り戻した男は、
「てめぇ、俺のやることに文句あんのかよ。ああ?」
ブレイドの武器を手に取る。槍を逆手に持って、振り下ろす。刃先を彼女に向けていないため、殺すつもりはないのだろう。男はホムラの脇腹を一度殴ると、彼女が庇った子どもに対してニヤリと笑う。
「よかったな。お前の代わりに、コイツが殴られてくれるってよ」
そして、殴りつける。
何度も何度も何度も何度も。
脇腹や肩、腰、腕……左足を殴られた時、何かが砕ける音がした。
「……っああああああああ!!」
ホムラの悲鳴が洞窟内に響き渡る。
足が痛い。
痛みで気が遠くなる。
でも、すぐに別の場所が殴られて引き戻される。
何で子どもを庇ったのか、彼女には分からなかった。
気が付いたら身体が動いていて、顔を殴られていた。
後悔しているか、と問われれば、後悔はしていなかった。
身体中痛いし、目の前が真っ暗になりそうだけど。
それでも、彼女は子どもを庇ったことを後悔していなかった。
きっと、あの人も、あの人たちも同じことをするだろうから。
そして………。
「………うぅ……ああっ」
頭を激しく殴打されて少女の頭部から鮮血が迸る。
頬に生暖かい何かが伝うのを感じて、彼女はぼんやりと焚き火を眺めた。
―――たぶん、
ホムラは痛みに身体を震わせ、蹲って動かなくなった。
そんな彼女を見下ろして、男が言った。
「―――お前がいなければ!」
先程よりもずっと高く、そして激しく振り下ろされる。
ホムラはそれをぼんやり眺めて、静かに目を閉じた。
刹那、金属が激しくぶつかる音が洞窟内に劈く。
彼女は目を見開いた。
目の前にいたのは――――。
◆
ギリギリ激昂する男とホムラの間に身体を滑り込ませ、振り下ろされた武器を手製の剣で受け止めた。
突然現れた青年に、男は一瞬動きが止まった。
受け止めた攻撃を青年は押し返し、男の体勢を崩した。よろめく男を睨みつける。
そして後ろにいる少女をチラリと見た。
頭部からの出血で額が血に濡れている。左頬は赤く腫れていて、鼻血も出ている。
そんな彼女の有様に、彼は奥歯を噛み締め顔を顰めた。
「遅くなってごめん」
レックスは小さく彼女に言った。
男を鋭く睨め付けた。
青年の顔に、男は言った。
「お前がソイツのドライバーか?」
「だったらなんなんだ!」
「ハッ、ソイツ全然戦えないじゃねえか。傍にいたトラ型のブレイドの方がよっぽど強かったぞ?」
「だからなんだよ」
「戦えないブレイドに価値なんてねえだろ。それこそ、ソイツにかけられた二つ名さえなければ、な」
「……ブレイドは道具じゃない!」
レックスに叫び声に男はせせら笑う。
「道具じゃなきゃ、なんだって言うんだ? 戦うためにお前だってブレイドの力使ってんだろが」
男は武器を構えて彼に切りかかった。
それをレックスは受け止めて、弾く。地面に着いていた膝を上げて、体勢を整える。
相手は一人と言えども、ドライバーだ。傍らにはブレイドもいる。
対してレックスはが持つ武器は何の力も付与されていない、ただの剣である。近くに彼のブレイドであるホムラはいるが、現在戦える状況ではない。
俺が何とかしないと。
いつも助けられてるんだ。こういう時くらい、俺がホムラを守るんだ。
レックスは自分を鼓舞して、剣を構える。
周りには子どもだっている。負けるわけにはいかない。
相手の槍の攻撃をなんとかいなしながら、間合いを詰めていく。殺すわけにはいかない。急所に決定打を与えて、気絶させたい。その隙に、子どもたちを解放してホムラを連れて、街に戻る必要がある。今は敵が一人だが、ビャッコの話ではあと何人かいるはずだ。そいつらが戻ってきたら、厄介だ。
長柄の武器に対して、彼の武器はリーチが短かった。間合いを詰めたいが、ホムラから離れすぎるのもよくない。相手の狙いはホムラだ。彼女を取られてしまえば、彼の負けともとれる。
いや、二度と彼女を奪わせはしない。
男の横への大振りを、彼は姿勢を低くして躱し、その隙に相手の懐に飛び込んで剣の柄で鳩尾を殴った。
「ぐうっ」
男は腹を押さえて蹌踉めく。
それにレックスは歯がみする。浅かった。
そうこうしている内に、
「おい、何ガキ一人相手に手間取ってるんだ」
二人のドライバーが帰ってきてしまった。
レックスの頬に汗が伝う。
流石に、歴戦を潜り抜けてきたレックスでも、ブレイドなしでドライバー三人を相手にするのは勝ち目がない。
レックスは内心焦りながら、背後のホムラを気遣う。離れていた彼女との距離を少しずつ縮めて、目の前のドライバーを警戒する。
片膝をついていつでもホムラを抱き抱えて走れるように、準備しておく。
ゆっくりと左手を腰の小物入れへと伸ばしていく。
「ホムラを手に入れて、どうするつもりなんだ?」
レックスは気を逸らすため、適当に問いかけた。
それに、後からやってきた男が答えた。
「そんなものは決まっている。売るんだよ。俺たちはそういう商人なんだから」
「子どもを攫って、売るのがか?」
「前は傭兵だったんだが、職を失ってね。人攫いで得られる報酬はかなり大きいんだよ。それに、その女は引く手数多だ。売れば俺ら全員一生遊んで暮らしても、有り余るくらいの金が手に入る」
「……ホムラが手に入れば、子どもたちは解放するのか?」
レックスの提案に男は片眉を上げた。
「お前が大人しくソイツを渡してくれるってんなら、お前も子供も解放してもいい」
男の発言に残りの二人が驚いたように声を上げる。だが、彼らはそれを無視して睨み合う。
暫しの沈黙の末、レックスが言った。
「―――お前らには、これで十分だ!!」
彼は言いながら、左手で何かを投げた。男は驚いてそれを武器で弾いた。
刹那、周囲が白い煙で覆われて彼らは咽始める。
「ックソ、煙幕か⁉︎」
ドライバーたちは腕を振って、煙を払おうとしている。
レックスは煙が上がった途端、後ろにいるホムラを抱き抱えて、洞窟を走り抜けた。
「逃すかよ!」
三人のうち、一番冷静そうな男が叫びながら、煙幕の中弓を構えて矢を放った。
逃げ走るレックスの左肩に矢が刺さる。
「―――ぐっ」
だが彼の足は止まらない。
煙幕が解けたのか、背後から矢が飛んでくる。矢だけではない。激しい旋風や雷が襲ってくる。レックスは何とかそれらを交わしながら、道を抜けていく。
しかし、ジリ貧であることには間違いない。
彼ら相手に少女一人を抱えて、トリゴの街まで走り抜けるのは不可能だ。
彼は一直線に街を目指すのを諦めて、薄暗い大木の影に逃げた。人二人が入れる木の幹の間に身体を滑り込ませ、ホムラを自らの足の間に座らせた。幹に背を預け、追っ手を隠れながら見ると、彼らはレックスたちを見失ったようだった。
だが、すぐに諦めるような奴らではない。
冷静そうな男が言った。
「まだ、街までは逃げてないだろう。探すんだ」
「置いてきたガキたちはどうすんだ?」
「アイツらは放っていても問題ない。逃げられても、たいした損失ではないからな」
どの道、檻の中にいる子どもたちに逃げる手段はない。
ホムラを渡せば、子どもは解放するとまで言った男だ。彼女さえ手に入れば、子どもたちは必要ないのだろう。
レックスたちは息を潜めて、彼らの足音が遠ざかっていくのを聞いていた。足音が遠ざかり、完全に気配が消えたのを感じてレックスは全身の力を抜いた。
そして、腕の中のホムラを見下ろして、彼女の腕がまだ後ろ手に縛られていることに気がついた。慌てて手首を縛っている縄を解いてやった。
自由になった手を彼女はさすり始める。
縛られていたせいで手首に赤い痣が出来ていた。
レックスはそれを見て顔を顰めた。彼女の両手を優しく取って、彼は言った。
「ごめん、痛かっただろう?」
彼女はそんな彼の顔をキョトンと見て、すぐに目を逸らした。彼女の様子に苦笑しながら、レックスは小物入れからハンカチを取り出して、血に濡れてしまっている彼女の額を傷に障らないよう、そっと拭った。
あらかた、顔中の血を拭い終わると、頭に別のハンカチを巻いて縛った。
「キツくない?」
彼が聞くと、彼女は黙って頷く。
それにレックスは微笑んで、頭を撫でた。
ホムラはまだ彼と目を合わせようとしなかった。彼女が怯えている理由が、彼の目の色にあるから仕方のないことだった。
レックスは再度、心の中で「ごめん」と謝って、ホムラの頭にフードを被せた。
彼女は最近傷ついてばかりだ。一週間くらい前だって、謎の男に身体中切り刻まれて、重傷を負ったばかりだ。それなのに、たまたま今日外に出ただけでこの仕打ちだ。
各地には天の聖杯である彼女たちを邪視する人たちもいる。街のトラブルを解決してきた功績があるからこそ、グーラでは高評価だが一歩他の街に出ればその限りではない。
三年前にできたばかりの村や町では、天の聖杯を敵視する人たちもいる。傭兵団の任務で彼女らと共に行動していると、よく分かる。人によっては、
楽園を目指して旅していたときもそうだったが、天の聖杯に関する噂は悪いものばかりだ。
どうにかならないものか……。
レックスが思案していると、腕の中の少女が小さく呟いた。
「ごめんなさい」
静寂の中、彼女の小さな声はレックスの耳にしっかりと入った。
耳を疑うような囁き声に、
「何で、君が謝るんだい?」
と聞いた。
すると彼女はレックスの胸から顔を上げて、申し訳なさそうな顔をする。
「私は、ブレイド……なんですよね? 私が戦えたら、こんなことにならなかったのかなって……」
「………」
レックスは洞窟での男の言葉を思い出す。
戦えないブレイドに価値はない。
ブレイドを求める理由が何かと言われると、それは戦う力が欲しいからだ。それはレックスもある種同じだった。彼らを道具扱いしたことはないけど、彼らがどう受け止めるかは別問題だ。ブレイドは道具じゃない。心がある。でも、彼女たちの力に頼っているのは事実だ。
黙ったまま何も言わないレックスに、ホムラは言った。
「……やっぱり、あの……私―――」
ダメだ。
その先を言わせてはダメだ。
何も知らず、何も分からない白無垢の彼女に、それだけは言わせてはダメだ。
ホムラがその先を言うよりも先にレックスが言った。
「別に君が戦えなくたって、いいんだ。と言うよりも、ホムラにはこれ以上戦ってほしくないんだよ」
だから、ヒカリは頑なに彼女に傭兵団の任務に行かせたくなかったのだ。ブレイドとして傭兵として、彼女が動くとなれば戦いに身を置くのは必至だった。
楽園からの帰還後、ホムラを待ち受けていたのは称賛の声ではなかった。事情を知らない人たちは、天の聖杯の所為で町が滅茶苦茶になったと怒りを露わにしていた。そんな人たちに彼女は自ら前に出て謝っていた。
その後、各国の首脳がこの大騒動を鎮めたのは彼女たちだと声高に言ったことで鎮静化されたと言ってもいい。
けれどそれで終わりではなかった。
レックスを英雄と称える一方で、天の聖杯に対する風当たりは三年経った今でも強い。
ホムラが戦う相手はモンスターばかりではない。今回のような彼女を狙ったような人たちを相手にすることも多い。
ホムラは人と戦うのが嫌なのだろう。戦い終わった後、気絶して倒れている人たちを見てどこか申し訳なさそうな顔をしていることがある。
そんな顔をしてほしくない。だから戦ってほしくない。
ヒカリが言いたかったのはそのことだった。
不安げな顔をしている目の前のホムラに、レックスは微笑みかける。
「戦うためにホムラに傍にいて欲しいわけじゃないんだ。俺もヒカリも―――」
―――そして皆も。
「君のことが大好きだから、傍にいて欲しいし、傍にいたいんだ」
笑っていてほしい。
泣くなら傍で、どんな辛いことも分かち合って、そうして色んなものを共有したい。
傷ついてほしくないし、傷つけられたら許せない。
守って、守られて、この先もずっと一緒に生きていたい。
何よりも大切な人だから。
レックスの言葉を聞いて、ホムラは彼の顔をじっと見ていた。そして、小さく、
「だい、すき……?」
と彼の言葉を反芻する。
それに彼は深く頷いて、
「ああ、大好きだ。ホムラはヒカリのこと嫌い?」
と問うと彼女はすぐに頭を横に振った。
「じゃあ、好き?」
「……すき。大好き」
小さな声。でもしっかりとレックスの耳には入った。
彼は満足げにホムラの頭を撫でると、
「大好きなら、それ以上傍にいる理由は必要ないんだよ」
ホムラは安心したのか、表情が和らいだ。そして、彼に対して気を許したのか、レックスに身を委ねる。
先程よりも幾分か身体に掛かる少女の重みが増したことに、レックスは少し嬉しくなった。洋服越しに感じる、人より高い彼女の体温が彼の心を熱くしていく。
ホムラが少し安心した様子に安堵するも、事態は一向に解決していないことに彼は気付いていた。
再び静寂が訪れ、聞こえるのは互いの吐息とモンスターの生活音、そして―――
「………っ」
人の足音だった。
それも二人。
レックスはそれにいち早く気が付いて、ホムラの唇に人差し指を当てて、自分の口元にも人差し指を立てた。シー、息を潜めて彼女に言うと、彼女はコクリと頷いた。
そこに居たのは、ホムラを殴った男とそのブレイドだ。
男は苛立ったように言った。
「ッチ、どこに行きやがった」
「恐らく、どこかに隠れているんでしょう」
「クソ、あそこでやっちまえば良かった。お前がしっかりしないから、やられたんだ」
「すみません」
「いいから、さっさと見つけるぞ」
「はい」
彼らは歩きながらそんな会話をして、遠ざかっていった。
きっと、周囲を徘徊しているのだろう。こちらに戻ってくる可能性は高かった。それに隠れているとバレているなら、見つかるのも時間の問題だ。
このまま、黙って待っていても仕方がない。
それに彼らが見つけられないんだ。ヒカリたちは尚更見つけられないだろう。
彼らの注意を引きつけつつ、騒ぎを起こす。
そうすれば、彼女たちもこちらに気がつくだろう。ヒカリやニアと合流してしまえば、ドライバー三人を相手にしていたって負けるはずがない。
ただ、ホムラを連れて行くわけにはいかない。
奴らの注意を引いて、彼女だけでも逃さなければ。
否が応にも彼女たちと合流するまで、ドライバー三人を一気にレックス一人で相手にすることになる。その場にホムラがいては危険だ。
レックスは意を決して、ホムラに言った。
「ホムラ、街まで走れるかい?」
それに彼女は頭を振った。
「足が、痛くて……」
顔を顰めて彼女は言う。
ホムラの足を見ると、左足の足首よりもやや上ら辺が腫れているのが見えた。逃げられないように足を打たれたのか、感情に任せてなのか。ほとんど動いていないこの状況で痛い、と言うなら歩くなんて無理だろう。
それにレックスは眉を潜め、苦肉の策を口にする。
「なら、俺がアイツらの注意を引いて、ヒカリと合流してくる。きっと、ヒカリたちも俺たちを探してるはずだ。ヒカリに会えばすぐに終わるさ。だから、君はここに隠れているんだ。すぐ戻ってくる」
彼は言い終えると、周囲を確認して飛び出す準備をした。
辺りに奴らはいない。
できれば、ここから離れた場所であの人たちに遭遇したい。
出るなら今かもしれない。
飛び出そうと身構えた彼の身体に、ホムラが抱きついた。
「えっ……ホムラ?」
困惑する彼だが、すぐに腕の中のホムラが震えていることに気がつく。
そして、レックスの胸に顔をうずめたまま、少女は小さな声で言った。
「……いかないで」
「でも、行かなきゃずっとこのままだよ?」
「……ひとりに、しないで………!」
「……!」
レックスは言葉を失った。返す言葉が見つからなかった。
その言葉は、三年間ホムラが言いたくても言えなかったものだから。
三人で一緒に暮らしたい。
ある時そう言ったのはホムラだった。家族に憧れる彼女が、目的を達成した後でそう言ったのだ。
だから、レックスの故郷であるイヤサキ村に居を構えて、三人で住み始めた。最初こそ一緒にいたけど、傭兵団に任務で多忙になるとレックスもヒカリもあまり家に帰ってこなくなった。ホムラは家事が得意だから、という理由で家にいたけど、結局は彼女を置き去りにしていた。
三人で住み始めたが、楽園を目指して旅をしていたときよりもバラバラになっていた。
寂しがり屋の彼女だが、自分のことは二の次にして押し殺してしまう。寂しいという言葉も、言わずにいつも笑っていた。
彼らが帰ってくれば嬉しそうに出迎え、仕事があると告げれば寂しそうな顔で「気をつけてくださいね」と微笑む。翌朝には優しい笑みで見送ってくれる。
そんな彼女の本心を汲んでやることができなかった。
そんなだからメレフやニアに、ホムラが可哀想だ、なんて言われるのだ。
仕事だから仕方がない? 違うだろ。
何の為に楽園を目指した?
世界の為? 違う。
ホムラとヒカリの為だ。
なら、今はどうだ。
世界を良くしようと働いて、それが彼女たちの為になると思っていた。
彼女たちの幸せの繋がると思っていた。
でもかえってホムラを傷つけている。
俺は一体、何をしているんだ。
後悔ばかりが胸を締め付け始める。
レックスは腕の中で震える少女の背中に腕を回して、優しくけれども力強く抱きしめた。
「ごめん」
また、君を一人にしようとした。
また、置き去りにしようとした。
「もう、一人にしないから。ずっと、一緒にいる。約束する」
自分のブレイドが傷ついているのに、俺は自分のことしか見えていなかった。愚かしいにも程がある。
何も変わっていない。あの頃から何も……。
レックスは華奢な少女の身体を抱きしめながら、考える。手負いの彼女を連れたまま、彼らとどう対峙するべきか。レックス自身も肩に矢を受けている。まともに戦えば勝ち目はない。
彼は覚悟を決めて、身体に力を入れる。
そして抱きしめていたホムラに言う。
「ホムラ、ここから離れよう。走るから、俺の身体にしっかりと捕まっていてくれるかい?」
ホムラはキョトンと彼を見て、言われた通りに彼の首に腕を回して抱き着く。レックスはそんな彼女の膝裏に左腕を、背中に右腕を回して抱えた。右手には煙玉を幾つか仕込んで、左腕のアンカーを確認する。
大丈夫、戦う必要はない。
兎に角奴らを引きつけつつ、逃げ回ればいい。
レックスはタイミングを見計らい、飛び出す。目の前には、ホムラを殴った男がいた。目が合った男は武器を構えてレックスに斬りかかるが、青年は方向を変えて走り出した。
「あ、おい! 逃すかよ!!」
急に逃げ出した青年に男は叫ぶ。
そして、大木の影から抜けて、明るい場所に出る。目の前に広がる広大な草原。彼は一気に駆け抜ける。
すると、左側から矢が飛んでくる。青い光を放つ、特殊な矢。それが地面に刺さり、レックスは冷や汗をかく。
この場合、一番厄介なのは弓矢を持った男だった。たとえ距離を取って逃げたとしても、矢弾の的になるのは目に見えている。幾つもの矢が空を走りレックスたちに迫る。彼は身体に矢が掠めながらも、なんとか回避する。
そして、
「ホムラ、一瞬手を離すけどしっかり捕まってて!」
「はい」
彼女の返事に彼は、少女の上半身を支えていた右腕を外し、手中の煙玉を一つ弓兵へと投げつけた。一瞬にして辺りは白い煙に覆われる。だが、男は構わずにレックスのいた方向へと矢を飛ばしてくる。
煙の向こうから飛んでくる矢に怯むことなく、彼は目的地へと駆け出す。
彼が向かっているのは旅人の標木だった。
そこなら見通しも良いし、何より木とレックスとでホムラを挟めば、彼女の背後を気にする必要もない。街からも近く、目立つ場所でもある。ヒカリやニアが見つけやすいように、そこを選んだ。場所としては、彼らが隠れていた場所から離れていたけれど、街まで走るより断然近い。
レックスは背後からの矢に焦りを感じつつ、走って行く。
途中追いつかれそうになって、攻撃を受けたがなんとか避けた。左腕のアンカーを旅人の標木の枝に向けて発射し、一気に巻き取って根本まで移動した。
目的地にたどり着いた彼らだったが、すぐに追っ手は目の前にやってくる。
「もう逃げられないぞ。お前をぶっ殺して、その女だけ貰ってく!」
ドライバー三人組のうち一人がそう叫んで、武器を構えた。
レックスは彼らを睨みつける。
まともに戦えば勝ち目はない。だからといって、負け腰で挑むつもりはない。
「ホムラは絶対に渡さない!」
「てめえ、痛い目見たいみてえだな!」
「―――痛い目を見るのは、アンタたちよ!」
レックスとも、目の前の三人とも違う声が聞こえてきた。
眩い光。
その方向に、高く跳躍をして武器を振り上げたヒカリの姿があった。
「パニッシュメントレイ!!」
彼女の白い獲物から放たれた光弾が男達を襲う。
ヒカリはレックスと男達の間に着地をし、やや遅れてニアとビャッコもやってきた。それにレックスは、
「ナイスタイミング!! さすがだよ!」
「さすが、じゃないでしょ!? この馬鹿!」
彼の称賛の声に、ヒカリが怒りを露わにする。
そんな彼女をレックスはさらりと交わして、
「説教なら、終わった後でいくらでも聞くよ。今はこいつらなんとかしないと」
「ええ、そうね!」
レックスはホムラを下ろすと、ヒカリから武器を受け取る。
ホムラを背に庇い、武器を構えた。彼の隣にいるニアも武器を構え、相手を睨みつけた。
◆
結果から言って、ヒカリとニアを加えたレックスはドライバー三人を圧倒し、十分も掛からずに相手を気絶させた。
気絶した彼らを旅人の標木に縛り付けた。彼らのブレイドには、ニアがメレフに借りたというエーテル遮断ネットを巻きつけた。
最後の一人を縛り終えたところで、レックスはニアに聞いた。
「メレフは?」
「メレフなら、誘拐された子どもの方に行ってる」
「そっか」
そういえば、洞窟には沢山の子どもがいた。木でできた檻に入れられてたから、身動きができない状況だったけど、今思えばそれが功を奏したのかもしれない。
怪我をしたレックスとホムラの手当てをしながら、時期に来るというメレフを待っていた。空はすでに真っ赤に染まっている。
レックスはニアに手当てを受けていた。
「痛っ、もうちょっと優しくしてよ」
「何言ってんだよ。まともな武器も持たずに突っ走ったんだから、我慢しろよな」
「あれは……身体が勝手に動いたんだ」
「ってことは考えなしだった、というわけ?」
「ぬ……」
図星を突かれてレックスは閉口した。
だが、後悔はしていないし、反省も然程していない。もう少し遅れていれば、ホムラが重傷を負っていただろうから。
彼は唇を尖らせるだけで、何も言えなくなった。
一方でホムラは大人しくヒカリの手当てを受けていた。レックスが頭に巻いたハンカチはそのままに、彼女が持っていたハンカチを近くの水辺で濡らしたものを赤く腫れた左頬に当てていた。
一足先に手当てを終えたレックスは立ち上がって、近くの木から太い枝を二本手に取って、彼女たちに近づいて行った。自分の肩に巻いた包帯の残りを持って、岩に腰をかけるホムラの目の前に傅く。
「レックス?」
彼の行動にホムラの隣に座っていたヒカリが首を傾げた。
レックスは彼女の問いかけに何も答えずに、ホムラの左足を取った。そしてそっと靴と靴下を脱がして行く。
それを黙ってホムラとヒカリは見ていた。
すると、黒いソックスも下から、ホムラの足首よりもやや上のところが赤黒く変色し、大きく腫れていた。それを見たレックスは顔を顰め、ヒカリとニアは息を飲んだ。
「多分、折れてるね。これ」
「どうしたんだよ、それ」
ニアが聞いた。
彼はそっと彼女の傷に二本の棒をあてがい、包帯で巻いて固定しながら答える。
「俺が気が付いた時にはこうなってたから、たぶん俺が来る前に折られたんだ」
「誰にやられたの?」
地を這うような低い声だった。
声のした方向にレックスが顔を向けると、明らかに怒りを露わにしているヒカリがいた。レックスはその形相に背筋を凍らせる。
「えっと、真ん中の人だと思う、よ……」
答えなければこちらがやられる。
レックスはそう感じて、素直に答えた。
ヒカリはゆっくりと立ち上がると、気絶している男の前に行ってレックスに言った。
「レックス、こいつ殴っていい?」
「ええ……」
散々、戦って痛めつけたと思うんだけど……?
レックスは彼女の気迫に気圧されながら、助けを求めてニアを見た。しかし、彼女も彼女で手を鳴らすようなポーズをとって男を見ていた。
ダメだ、こりゃ……。
レックスは諦め、
「あまりやり過ぎないでくれよ」
と呟くように言った。果たしてそれが彼女たちに届いたかどうかは彼には分からなかった。鬼気迫る様子で、彼女たちは男へと迫る。
そんな様子にレックスは、隣にいるビャッコに言った。
「やり過ぎてたら、止められると思う?」
「少なくとも、私には不可能です」
「だよねえ、俺も無理だよ」
彼らは少女たちを遠目に見て、それからこれから始まるであろう惨劇を予想して彼はホムラの両耳を両手で塞いだ。彼女は何が何だか理解出来ていないのかキョトンと彼を見上げていた。
少なくともホムラにだけは、知られないようにしよう。
彼はホムラの両耳を塞ぎつつ、ヒカリたちを見ていた。
殴られて起きた男は縛られ身動きできない状況に驚きつつ、目の前の少女たちに気が付いて顔を青ざめさせた。そして抵抗することもできずに、彼女たちの鉄拳を食らった。
赤く燃える夕焼けの草原に、虚しくも男の悲鳴が霧散していった。
レックスとビャッコはそれを遠い顔をして、聞いていたのだった。
程なくして、気が済んだのかヒカリとニアが戻ってきた。
「気が済んだかい?」
レックスが聞くと、ヒカリは、
「まだだけど、これ以上はメレフやカグツチがうるさそうだから……」
と唇を尖らせながら言った。
レックスは顔を引きつらせながら、殴られて顔が腫れまくり、原形をとどめていない男を見た。
そんなに殴っていおいて?
と思いながらも、彼は何も言わずに苦笑するだけに留めた。
ヒカリは申し訳なさそうに、ホムラの目の前に立つと彼女の頭を撫でながら言った。
「ごめんね、痛かったでしょう?」
「……っ」
ヒカリの微笑に、ホムラの赤い目から大粒の涙が溢れ始める。そして、ヒカリに抱きついてわんわんと鳴き始めてしまった。
そんなホムラの様子に、ニアが戸惑ったようにレックスを見た。
「ど、どうしたんだ?」
「たぶん、怖いのを我慢してたんだと思う」
知らない男に殴られ攫われて、気が付いたら知らないところにいて。レックスが来たときには、子どもを庇うように男にたこ殴りにされていた。体中殴られて、足も折られて、それでも彼女は泣いていなかった。レックスやニアを見ただけであんなに取り乱して、泣き出したあの少女が、泣くことも悲鳴を上げることもしなかった。
無意識のうちに我慢していた。恐怖を感じながらも、泣かずにそれを我慢していた。
ヒカリが目の前に来て、安心したのだろう。一気にその恐怖が襲ってきたのかもしれない。
ヒカリから一時も離れようとしなかった彼女が、今日は一日のほとんどを一人で過ごした。怖がっていたレックスが目の前にいても、嫌がって離れようともしなかった。
そんな少女を成長を感じて、レックスはヒカリに泣きつくホムラを優しい目で見ていた。
一頻り泣いて、色々あって疲れたのかホムラはヒカリの腕の中で寝ていた。
「ホムラだけでも、街に連れ帰ろうか」
レックスが言った。それにヒカリは頷いた。
「そうね。でも、こいつらも放っておけないでしょ?」
「いいよ、アタシがここに残るからさ。レックスとヒカリは先に帰っててよ」
ニアがそう提案すると、彼らは頷き合って「任せるよ」と言った。
寝ているホムラをレックスが背負う。
一週間前にも彼女を背負って、この草原を走ったのを思い出す。あの時は雨が降っていて辺りも暗かった。何より背中の少女は大怪我を負っていて、弱々しい吐息が耳元に聞こえていた。
今はそれとは違う。彼女は穏やかに寝ているし、雨も降っていないから背中から彼女の体温が伝わってくる。
夕焼け色の草原を赤髪の少女を背負いながら、青年は金髪の少女と歩く。
「ホムラ、大丈夫かしら?」
「何が?」
「今日初めて、外に出てこんな目に遭って……もう外に出たくないんじゃないかなって」
不安げに彼女は言う。
それにレックスは前を見て言う。
「大丈夫だよ。ホムラは大丈夫。俺を見ても怖がらなかったし、たぶんもうニアのことも大丈夫なんじゃないかな」
初対面であんなに怖がった手前、どう接していけば良いか決めあぐねているだけで。
「ちゃんと、ホムラも成長してるんだ」
「成長?」
「うん。君といて、皆と触れあって……まだ数日だけどさ。それでも色んなことを吸収して、どんどん成長している」
最初、赤ん坊のような感じだった彼女が、あまり言葉を発さなかった彼女が、今日は一人で行動した。子どもを守る、とか。離れようとしたレックスに、自分の意思を伝える、とか。
ヒカリに追従するだけだった彼女が、ちゃんと自立し始めている。
少女の成長はレックスにとって喜ばしいことだが、しかしそれがいつまでも続くわけではないことを彼は理解している。
ホムラの命はそう長くない。
早くコアクリスタルを取り返して、彼女に戻さなければいけない。
そうすれば、恐らく
今のホムラには、何の落ち度もないのに元のホムラを取り戻すために消えてくれ、と言うのはあまりにも酷なことだ。いつかは、彼女に話さなければならない。今はまだ、その時ではないけれど。
そうして、戻ってきたホムラに、話してあげよう。
ヒカリがどれだけ献身的にホムラに付き添っていたのか、とか。ヒカリは恥ずかしがって否定するだろう。ホムラは嬉しそうにするだろう。
それから、彼女には伝えたいことも、聞きたいことも山ほどある。
メレフに言われた通り、ホムラとヒカリとこれから先どうなりたいのか、きちんと自分の思いを伝えて。ホムラが「話したいことがあるんです」と言っていた内容も、彼女が抱えていた悩みとかも、全て聞きたい。
ホムラの思いも、ヒカリの思いも、全て受け止めて。
また、三人で手を取り合って一緒に前に進もう。
バラバラになってしまった、この三年間の溝を埋めるように。
そして、これから先も彼女らと共に生きていけるように。
レックスは遠くにトリゴのアーチを見ながら、未来に展望を抱きゆったりと歩みを進めていく。