【論説1】
新種のポケモンが見つかるたびに、古いポケモンや動物は姿を消している、見かけなくなっていく。
【論説1を踏まえた仮説】
生命は死に至った後、データとしてこの世に残される。
そしてまたどこかでデータが集められて再構築され、新たなイキモノとしてこの世に生じる。
かつての個体としての記憶はない。何か、を覚えているものもなかにはごく稀に存在する。
墨をこぼしたような闇夜にゆるやかに弧を描く月。ほの白い部分は少なく、それは却って夜空を星々が彩っている。
きゅっと描かれた今宵の月は、どこか笑みを絶やさない弟に似ているような気がして、ノボリは口元を緩めた。
「あぁ、もう寝なくては。明日の勤務に差障ってしまいます」
明日の勤務内容を思い返してほう、と吐息をこぼせば、部屋の片隅で青白い焔がちらりちらりと舞う。
今、自分が見上げていたベッド横の窓のほかに室内には窓がもう一つある。
やわらかな布を敷いてある窓辺は彼女のお気に入りの場所でもあった。室内でモンスターボールから出しているときの彼女は主たるノボリの側に漂っているか、窓辺で日光や月光を浴びながらふかふかとした布に埋もれている。
「眠れませんか?」
揺らめく焔に声をかければ、ノボリの手持ちであるシャンデラがびくりと戸惑うように主の様子を窺うのが分かった。
「あぁ、今夜は下弦月でしたね。挑戦者もわたくしたちのところまで来られず、ほとんど力を使いませんでしたから、落ち着かないのですね」
あまり知られていないことだが、彼女たちのようなゴーストタイプのポケモンは新月にこそ、その力を最大限に発揮する。
人間のように表現するならば、血が滾るとでも言うのだろうか。
ポケモンバトルの時は非常に好戦的になるし、いつも以上に楽しんでいるのが手に取るように分かる。
だというのに、今日はシングルもマルチもノーマル・スーパー、ともに最終車両まで誰も来ることは出来なかった。
使うことなく溜めこんだ力を発散できず、近づく新月に落ち着きを無くしている。
「こちらにいらっしゃいますか?」
ノボリは横たわっていたベッドから上半身を起こし、窓辺でくるくると舞っていたシャンデラに手を差し出す。
魂を燃やす焔を持つ彼女は主の声に誘われるように、その手を越えて腕の中にぽすりとおさまった。
「ふふ、あなたは相変わらずあたたかいですねぇシャンデラ」
ノボリはシャンデラを両腕の中に包み込んだまま、ベッドにごろりと横たわる。
人肌の暖かさとは違うが、長く傍にいる彼女の体温はノボリにとって心安らぐ温もりだ。
「人間の親は眠れない子供には寝物語を聞かせてくれるのだそうですよ。ですがわたくしは素敵な物語を存じませんし、どうしたものでしょうね…」
シャーン、
闇夜にガラスをふるわせるような透明な声が響く。
「おや、なんでもよいのですか?わたくし、この顔のように堅苦しい話しか知らないのですがそれでもよろしいですか、姫君?」
冗談めかして手を握れば、かまわなくてよ、そう言うかのようにくるりと焔が踊った。
ノボリは静かに微笑んで頬を撫でる。
昔、誰も分からないほどの古い過去に家族のいない少年がいたのです。
彼は犬と呼ばれる種族の動物を家族のようにとても大事にしていました。
ところが、限りある命は早くに終わってしまったのです。犬は人間よりも寿命が短いのだそうですよ。
悲しんだ少年は電脳世界に愛した犬に似せたものをつくりました。
人工知能を備えた犬はプログラミングされたものとは思えないほど感情豊かで、ものを考えることもできたといいます。
…いつしか少年も大人となり、家族たる犬以外にも友人や恋人、と大事なものができ、世界が広がったのです。
えぇ、わたくしとクダリのようでもありますね。世界が広がるのは喜ばしく、楽しみに満ちた物です。
ですが、その犬だけはそれをよく思わなかったのです。長い間、少年とのみ接していた犬は少年に対して独占欲が芽生えていました。
犬は考えたのです。そうすれば少年とずっと一緒にいられるのだろうかと。
久しぶりにモニターごしに少年いえもはや青年と呼べる年になった彼は犬と再会しました。
積もり積もった話を聞いてほしいと、青年は楽しそうにあれやこれやと犬に話しかけます。
犬も大人になった少年に目を丸くしつつも、楽しげに耳を傾けていました。
歪みをもった犬と、何も知らない青年であったとしても、長く会話を持ったことで穏やかな時間が流れていたことでしょうね。
和やかだった時間を遮ったのは突然の落雷だったといいます。
巨大な落雷は青年を、モニターをも直撃し、青年の命を一瞬にして奪い取りました。
後世の学者たちはそれを偶発的な事故だと言います。わたくしもそう思うのですが、本当に偶然なのでしょうか。
驚くべきことにモニターの向こうにのみ存在していた犬はうつつに現れたのですから。かつての身体とは違う体として、姿かたちも異なるものとして。
もはや犬とは呼べないイキモノとなったそれを人は扱い兼ねました。
動物とはまったく違う姿をとりながらも温もりを持つ、動物の生態とは全く違うイキモノを未知への興味とかすかな嫌悪と底知れない畏怖を込めてモンスターと呼ぶようになったのです。
ポケット、とつくようになるのはこの出来事よりだいぶ後ですが、それまでにイキモノは姿を変え、種族の違いがひと目で分かるほどに繁殖、進化を遂げました。
研究者はこういった事情からポケモンの成り立ちについては一切記述しません。
ですが、間違いようもなく一人の人間がつくった人工知能が感情と生命をもったことがポケモンの始まりと言えるでしょう。
ポケモンは今なお、こうしている間にも進化を続けるイキモノですからわかっていないことの方がまだまだ多いものです。ですから個人の研究だけでは追いつかないのは自明のこと。
そうした考えを持つものたちによって研究施設としてギアステーションは作られました。
わたくしやクダリ、てつどういんの方たちも研究員の一人としてバトルを通して観察や考察をし、一年に一度論文を出しております。
表向きはポケモンバトルをする施設というだけですけども、それだけでしたら多大なる労力をかけて地下に作る必要もございません。
秘め事は地下にあるのが相応しいというものですよ。
守りを堅牢にすることで秘密を守りやすいですし。
…研究者としてはあらぬことですが、わたくしはこうも思うのですよ。
犬はうつつに出てくるために少年の命を食らって己が命とし、己の内で青年と共に生きようとしたのではないかと思えてならないのです。
花はくずれ、こぼれ、ちり、おちる。
「おや、どうしましたシャンデラ?」
シャンデラは夜が更けるとともに冷えてきた空気にふるりと身を震わせる。
震えが止まらないのは単なる冷えのせいだけではないことは明らかだった。
「…あぁ、怖がらせてしまったのですね、申し訳ありません。」
しなやかに伸びた手を男の腕に絡みつかせて怯える彼女に、男は片割れであるクダリ以外には気づかれないであろうほどに微かに口端をつり上げる。
クダリがこの場にいたならば、ノボリわっるい顔、などとけらけら笑うのだろう。
「けれど、あなたはどうか知っておいてくださいまし。」
ひたりと視線を合わせ、長く共にある相棒を静かに見据え、常に黒衣を纏う男は囁く。
「わたくしはあなたがなにものであろうと、」
そう、姿を消した動物たちのようにヒトを母胎に選び、この躯を侵食し尽くしていつかは宿主の生命と引き換えるかのように、新たな個体としてこの世に生まれ落ちるイキモノでも。
「あなたを愛しております」
「その瞳が閉ざされるその時まで、わたくしが眠りにつくその時まで、どうか側にいてくださいまし」
わたくしのいとしいかいぶつ。