七月某日。
日本を発ち、13時間ほどのフライトを経たシービーは何事もなく税関を抜け、アメリカの大地に降り立った。
変装など何もしていないが、彼女を取り巻くファンはいない。日本ならば街中を歩くだけでも人だかりが出来かねないが、空港ですれ違う人々の誰もが自分を気にも止めない。そのことがシービーには新鮮に感じられた。
ここでは一介のウマ娘であり、それ以外の何者でもないという事実がほんの少し心地良かった。
吉田と二人、空港のロビーで待っているとサングラスをかけた老年の男性が声をかけてきた。
見るからに気さくな人物で、辿々しい発音で挨拶をするシービーの肩を「よく来た! よく来た!」とバンバン叩く。
彼こそ、今回のアメリカ留学で二人の世話係を快諾してくれた吉田の古い友人、チャーリー氏その人であった。
格安の使い捨てSIMカードだけ買った後は息つく暇もなく車に乗せられ、ニューヨークのトレセン学園に向かう。
ラジオを聞きながら悠々と運転するチャーリー氏はひとしきり吉田との会話を楽しんだ後、後部座席にいるシービーに声をかけた。
「お嬢さん、日本のトレセン学園じゃ一室二人の相部屋が基本らしいな。ウチもそうなんだよ。部屋に限りもあるから、悪いがお客様扱いってわけにはいかない。俺の担当ウマ娘と同室になるが構わんか」
吉田に通訳してもらったシービーがもちろんと頷く。「Good」とチャーリー氏。
「ウチのは気性が荒くてな。今まで何人もの同室相手と喧嘩して、全員追い出しちまってる。困ったもんだが、君なら大丈夫だろう? 誰とでも仲良くなれるらしいじゃないか」
チャーリー氏の言葉をそのまま日本語にして伝えた吉田を、シービーが軽いジト目で見る。どうやら色々と尾ひれを付けて相手方に自分のことを話しているらしい。後で問いただすとしよう、とシービーは心に決めた。
「どんな子なの? 歳は?」
シービーの質問にチャーリー氏が答えていく。
一言で表すのなら凶暴。
歳は当年とって十四歳とシービーより二つほど下だが、年上に対するマナーや敬語などは期待できないこと。(もっともシービーはplease以外で畏まった英語など使いこなせないが)
自分の物に対しての執着が人一倍強く、他人が所有物に触れてきたら激怒するかもしれないこと。
少し話を聞くだけでも十分に厄介そうだと分かる。
「だが根は真っ直ぐで良い子なんだ。仲良くしてやってくれたら嬉しいよ」
「まあそれは会ってみなきゃ分からないけど……それで、強いの?」
シービーがそう聞くと、チャーリー氏はにやりと口角を上げた。先ほどまでは愛娘のことを語る父親のようだったのに、一転して老獪なトレーナーとしての顔になる。
自分が見出した才能を誇らずにはいられない伯楽の性。
バックミラーに移るチャーリー氏の顔を見て、なるほど確かにこの人は吉田トレーナーの親友なのだな、とシービーは納得した。
「強いとも。まだデビュー前ではあるが、底が知れん。俺が見てきた中でもピカイチの才能がある。まあ癖が強いんで、その辺にいるヘボトレーナーじゃ分からんだろうがな。ガハハハッ」
相当な自信があることは、吉田に通訳してもらうまでもなくシービーにも伝わった。
デビュー前とはいえ、様々なウマ娘を見てきたであろうベテランのトレーナーが太鼓判を押しているのだ。生半な実力ではないはずである。
対して、シービーは日本のクラシック三冠を獲ったと言っても、ダートは初心者もいいところ。チャーリー氏の担当ウマ娘は併走相手として申し分ないだろう。
「彼女の名はサンデーサイレンスという。保護者として俺からも一つよろしく頼むよ、Ms.シービー」
○
学園に着いたシービーたちはチャーリー氏の案内のもと、校内施設を一通り見て回った。
流石は国際色豊かな多国籍文化といったところで、過半数は白人系だが日系や中国系やアフリカ系など様々な人種のウマ娘がいる。顔立ちが違うせいで自分は周囲から浮くかもしれない、というシービーの密かな心配は杞憂に終わった。
むしろ留学生であるシービーよりも、彼女の前を歩くチャーリー氏の方が目立っているようだった。
廊下や中庭ですれ違うウマ娘がチャーリー氏に手を振って挨拶し、その中には仲良さげに二、三言話していく娘もいる。話している内容はあまり聞き取れないが、ウマ娘たちがチャーリー氏に向ける笑顔に尊敬の色があることはシービーの目にも明らかだった。
「チャーリーは私と同じでチームを引き払っていてね。第一線から退いてはいるが、教官職は今も現役でバリバリやっているらしい。彼の教えを受けて慕う子が多いんだろう」
吉田にそう教えられて「なるほど」と頷くシービー。
注意してチャーリー氏と学生たちの会話をよく聞けば、トレーニングの効果についてや「おかげで強くなれました!」といったような意味合いのことを話していると何となく分かる。
その過程でチャーリー氏が連れているシービーの知名度もやんわりと上がりつつ、しばらくして学園の案内は済んだ。しかし日本の中央トレセン学園と比べてもだだっ広い敷地の全てを網羅することは出来ず、最後には地図を渡されて「あとはこれを参考にするように」と言われた。
夕暮れ近くになって校外に出て、これから住むことになる寮へ向かう。トレーナー寮とウマ娘の寮は歩いて数分の距離にある。もちろんトレーナーはウマ娘寮への出入りが禁止されている。逆もまた然り。
吉田たちと別れたシービーは事前に用意したカンペで寮母に挨拶を済ませ、合鍵を受け取って案内された部屋に向かった。
一応の礼儀としてノックすると、しばらくして内側からドアが開いた。
中から出てきたのは背の小さな青鹿毛のウマ娘だった。
チャーリー氏から聞いていたサンデーサイレンスの特徴と一致する。背格好と、何よりも初対面のシービーに対して露骨に敵意を向けるその鋭い目が。
「えーと、ナイストゥミートゥ。アイムミスターシービー……」
「Are you fucking newcomer? go home!」
もの凄い勢いでドアを閉められた。
突然のことに唖然とするシービーだったが、罵倒されたことと歓迎されていないことはよく分かった。
さしものシービーも「これ仲良くなれるかなあ」と遠い目になる。
ぼーっと突っ立っているわけにもいかないので、取り敢えず部屋に押し入る。「出て行け! フ○ック!」などと騒ぎ立てるサンデーサイレンスの横で荷下ろしをした。
寮母が整えてくれたらしい綺麗なベッドと、上にも下にも物が散乱してシーツがめちゃくちゃなことになっているベッドがそれぞれ部屋の両脇にあり、どちらを使えばいいかはすぐに判断がついた。
フ○ックだの何だのと喧しいサンデーサイレンスに対してシービーは日本語で適当に相槌を打っていたが、不意にサンデーの方が部屋から出て行ってしまった。
しばらくして戻ってきた彼女は黒と黄色のビニールテープを持っており、それを部屋の端から端へと掛けてしまった。テープには『keep out』と書かれている。
「こっから先はアタシの領地だ。入ったら殺すからな」
サンデーの言いたいことはシービーもすぐに分かった。
どうやら彼女はシービーを追い出すことを諦めた代わりに不可侵条約を結ぶつもりらしい。
もっとも、平等とは程遠いが。
如何せんシービーの場所が狭すぎる。部屋全体の四分の一ほどのスペースしか与えられていてない。
「根は真っ直ぐでいい子」と言っていたチャーリー氏の評価に疑問を持ちつつも、シービーはひとまずこの部屋の先住民の顔を立てることにした。
なお、トイレに行ったり部屋のドアから出入りするためにはビニールテープをくぐってサンデーの陣地に入らざるを得ず、その度にサンデーは怒っていた。