概ね、シービーの留学生活は好調であった。
カタコトなりに誰彼構わず気さくに話そうとする彼女はクラスに溶け込むのも早く、一ヶ月ほど経った今では友達になったウマ娘たちとトレーニングの息抜きがてら連れ立って遊びに行くこともあった。
トレーニングの質も決して日本のトレセン学園に劣るものではなく、むしろインタビューなどの雑事が無いおかげでより集中することが出来ている。勉学も単位さえ取得すれば後は自由にしていい校風のため、シービーにとってはありがたいことこの上ない環境であった。
そんな中で一つ難点を挙げるなら、やはりサンデーサイレンスの存在である。
口も態度も悪く気に入らないことがあればすぐに突っかかってくる聞かん坊。その上シービーがまだ英会話に慣れていないのもお構いなしに喋るのでコミニュケーションに苦労する。
特に最近、自分がシービーよりもダート適正に秀でていると分かってからというもの、連日のごとく併走という名の模擬レースを仕掛けてくるようになった。
「よっしゃ、これで私の五連勝! 日本の三冠ウマ娘ってのも大したことねえなあ!」
シービーより一寸早くゴールしたサンデーが上機嫌な口調でそう宣う。
吉田とチャーリー氏が見守る中で繰り広げられる二人のレースの戦績は、圧倒的にサンデーがリードしていた。シービーもこの異国のダートコースに慣れつつあり着実に成長しているのだが、やはり適正の壁というのは埋め難いものがある。
サンデーサイレンスは紛れもない天才だった。
技術がどうとか体の特徴がどうとか、そんなちゃちな話ではない。もっと根源的な、常人がどれだけ努力しようと決して辿り着けない境地にある精神力。
魂の器の違いとでも言うべき勝負強さがサンデーにはあった。そんな勝負根性から来る競り合いでの強さは破格の一言に尽きる。
事実としてシービーの追い込みですら、あと一歩のところでサンデーに届いていない。
「トレーナー! こんなぬるいレースじゃアタシの脚が錆び付いちまうよ。そろそろ併走相手変えた方がいいんじゃねえの?」
生意気な減らず口を叩くサンデーに、チャーリー氏は「さてどうしようか」と隣にいる吉田に含みのある視線を送る。
その意図を察した吉田は頷いて言った。
「よし、では相手を変えるとしようか」
そうして四人が向かったのは芝のコースだった。吉田はシービーとサンデーにここでもう一度併走をしろと言う。「相手を変えるってのは何だったんだよ」と詰め寄るサンデーをチャーリー氏が宥めすかし、なんとかスタート位置に行かせる。
吉田はすでに準備を整え終えたシービーに近付いて声をかけた。
「どうだねシービー、彼女との併走は」
「んー、学ぶことは多いよ、本当に。後ろから付いて走ってるからコツも掴みやすいし。負け越してるのはちょい悔しいけどね」
大人びた余裕のあるシービーの返事に、吉田は満足そうに頷く。
「足の調子はどうだ」
「ぼちぼちかな。併走ならあと何本でも問題ないけど。本当にいいの、芝で?」
「ああ。これは向こうのトレーニングでもあるんだ。我々ばかりが教えてもらう側というのも申し訳なかろう」
吉田がニヤリと笑う。
「優しく教えてあげなさい。シービー」
間もなく開始されたシービーとサンデーの併走。
ロケットスタートを決めたサンデーがぐんぐんとシービーを引き離す。対してシービーは追い込み態勢で静かに機を伺う。
サンデーが振り返ってシービーの位置取りを確認したのは一回きり。既に敵ではないと見ているのか、それ以降は見向きもしない。
そうしてレースは早くも中盤を過ぎ、最後のコーナーに差し掛かろうとしていた。
「チッ、やっぱ芝はやりづれえなあ!」
「そう? 私はダートより走りやすいけど」
背後から聞こえた声にサンデーがギョッとして振り向いた刹那、並ぶ暇もなくシービーが内側から一息に抜き去ってしまった。サンデーが慌てて追い縋るも、シービーの加速について行けない。
吉田の「相手を変える」という言葉の意味がここで浮き彫りとなる。
先程までと比べ、ターフの上を走るミスターシービーはまるで別人だった。力強くしかし華麗に、どこまでも悠々と飛ぶように駆けていく。
天衣無縫の三冠ウマ娘。その面目躍如である。
サンデーの油断も原因ではあるが、何よりもシービーの末脚が驚異的だった。着実にかつての力を取り戻し、超えつつある。
結局、直線に入ってのラストスパートで二人の差はさらに開き、レース結果は六バ身差でシービーの圧勝となった。走り終えたシービーは、少し遅れてやって来たサンデーに清々しい笑顔を向けた。
「どう? ちょっとは見直してもらえたかな」
「チクショウが! もう一本だ、もう一本!」
サンデーが悔しそうに吠えて、シービーをスタート地点まで引っ張っていく。
「なあチャーリー。良いライバルになりそうだろう」
「全くだ。助かるぜ。サンデーの併走に付き合ってくれる相手を探すのに苦労していたんだ。なにせ根気がいるからな」
「シービーは根気など必要としていないよ。あの子はただ走るのを楽しんでいるだけなんだ」
トレーナーに確認も取らず再び走り出してしまった二人を、吉田とチャーリー氏が微笑んで見守っていた。
それからというもの、サンデーのシービーに対する態度が少しづつ変化し始めた。
まず併走以外でも何かと勝負を挑んでくるようになった。
バーベル上げの重さ比べや腹筋腕立て伏せなどの速さ比べ、お菓子をかけてのカードゲームやボードゲーム、果てはカフェテリアで衆人環視のなか大食い勝負をふっかけたりしてくる。
歳が違い、体格差や経験差があるためシービーが勝つことが多いのだが、それに負けじとサンデーはさらに熱くなって勝負を仕掛けてくる。
新顔の留学生と問題児のサンデーサイレンスが仲良くしてる。そんな噂が生徒の間で一瞬にして広まり、物珍しさで見物しに来たウマ娘たちとも交流の輪が広がっていった。
サンデーは「うっとうしい」と文句を言っていたが、近寄ってくるウマ娘たちを無理やり追い返したりしない辺り満更でもないようだった。
併走での勝負も相変わらず続いている。ただしダートのみをこなしていた最初の一月と違い、ダートと芝の半々で行うようになった。
これはサンデーの希望だった。
良くも悪くも勝負好き。シービーを格下ではなく、対等に張り合う存在だと見直した故の、無意識な変化だった。
「こっちの得意な方だけで勝っても面白くねえ。言い訳も出来ないほどコテンパンにしてやるぜ」
概ねそのようなことを言って、定期的に芝の方でもシービーにレースを挑んでいる。そして負けては盛大に悔しがっている。
ダートではサンデーが。芝ではシービーが。
それぞれが得意とする方で勝ち越しながらも切磋琢磨し、二人の実力は如実に上がっていた。
「素晴らしいな、ミスターシービーは」
いつものように競い合っているシービーとサンデーを眺めながらチャーリー氏が言った。
今日のコースはダート。上り坂を駆けあがっていくサンデーにシービーが追走する。
距離はまだ全体の半分も過ぎていないが、シービーはサンデーの後ろにぴったりと張り付き決して離れない。つまり追い込みではなく先行策をとっている。
「追い込み専門だとばかり思っていたから驚いたぜ。この僅かな期間でダートに慣れるばかりか、サンデーに付いて行くレベルで先行策を身に付けるとは。コースも走り方も、普通は急に変えても出来やしない。こりゃあヨシダが入れ込むわけだ」
「あの子、実はデビュー戦では普通に先行して勝っているんだ。それを思い出してやらせてみせたらすぐに出来るようになったよ。課題だったゲート難も真面目にトレーニングするようになってから解決した」
「追い込みだと思っていた注目株が本番でいきなり先行に移ったら、誰だって度肝を抜かれる。良い武器を手に入れたもんだ」
「ああ。だがシービーの最大の武器はやはり末脚だ。それを活かすためにも、ここでみっちり力を付けさせてもらうよ、チャーリー」
「ハッハッハ、そうしろ! その代わりこっちもとことん利用させてもらうからな」
サンデーは引き離そうにも離せないシービーを相手にやりづらそうにしている。しかしその顔はどことなく晴れやかで、純粋に勝負を楽しんでいるように見える。
そんな教え子の様子を見つめ、チャーリー氏はサングラスの下で優しげに目を細めた。
「あの子に友達が出来るとは。楽しそうで、本当に良かった」
〇
シービーの留学期間もとっくに半ばを過ぎた、十二月のある夜。
サンデーは自分のベッドに寝そべり携帯ゲーム機で遊び、シービーは英単語帳をペラペラと捲って流し読みしている。それぞれが黙って各々の好きなように過ごす、もはや日常となった光景。部屋の床にはもうほとんど用を成していない『KEEP OUT』のテープが落ちている。
「ねえサンデー。暇。ちょっとお喋りしようよ」
「あ? ちょい待て。今ボス戦だから」
しばらくして飽きたのか単語帳を閉じたシービーが話しかけ、サンデーは面倒くさそうにしつつもそれに応じた。
「前から気になってたんだけどさ、チャーリーさんとサンデーってどんな関係なの?」
「どんなって……トレーナーとその担当ウマ娘だろうが」
「うーん。それだけじゃない気がしているんだよね。ほら、たまに親子みたいに見える時があるって言うか。チャーリーさんが前に自分のことを保護者だって言っていたし」
シービーがそう言うと、サンデーは苦い顔をした後、ため息をついてゲーム機の電源を切った。
「まあ、半分当たっているな」
「半分?」
「義理なんだよ。義理の親子。アタシはトレーナーの養子ってわけ」
シービーは言葉を詰まらせた。養子にということは、実親とは縁が切れていることに他ならない。
つまりサンデーには暗い過去があるということだ。
シービーも質問をする前にその可能性が頭を過らなかったわけではない。しかし裕福な家庭で育ち、生活の面では苦労らしい苦労をしてこなかった彼女にとっては、どこかぼんやりとした絵空事のような話。無意識に悪い可能性の方に蓋をして考えないようにしていた。
心の底では藪蛇と分かっていても止まれなかったのだ。仲良くなり、互いに互いを好敵手と認め合う間柄になったからには、相手のことをより詳しく知りたくなってしまう。
軽率だった。シービーは心の中で自分を小突いた。
「ごめんサンデー。私……」
「別に気にしなくていい。探せばどこにでもあるような話だし。ここまで聞いたら気になるだろ。お前になら、最後まで話してやる」
謝るシービーを遮ってサンデーはそう言い、ポツポツと自分の過去を語り始めた。
生まれはケンタッキー州。別に家が貧乏だったわけではないが、両親の仲が悪くサンデーがまだ学校に通い始める前に親は離婚し、母に引き取られ母子での二人暮らしになる。
しかし間も無くして母親が失踪する。
まだ小さかったサンデーにはなぜ母がいなくなってしまったのか分からず、今でも判然としないが、とにかくこの時点でサンデーは捨て子となった。
「あまりよく覚えちゃいないが、気付けば施設で暮らしていた。カトリック系の孤児院さ。ウマ娘の子供だけを受け入れているところで、アタシと同い年くらいの連中がけっこうな数いた。同じ年頃のウマ娘がたくさん周りにいるってのが新鮮だったことは覚えている。まあ、面白い奴なんてほとんどいなかったけどな」
サンデーは孤児院でも浮いた存在だった。決して輪の中に加わろうとしない無愛想な子供。それに加えて周りと比べても一際体格が小さくて貧相だったこともあり、サンデーをバカにするような空気が子供たちや口さがない職員たちの間で生まれ始めた。
手入れしなければすぐにボサボサになる青鹿毛の髪は不潔に見られ、他の子らより形の悪い足は「みっともない」と評されたことさえある。
誰からも愛されなかった。
ウイルスに罹りひどい発熱と下痢により生死の境を彷徨った時でさえ心配すらしてもらえなかった。
ただ一人、劣悪な環境の中でも出来たウマ娘の友人だけが、一晩寝ずにサンデーの看病をしてくれた。そのおかげで人生の山場、九死に一生を得たのである。
当時のサンデーにとって、そのウマ娘は友人と言うより何故か自分に付き纏ってくる変な奴程度の印象だった。
いつも駆けっこを挑んできてはサンデーに負けて泣き、しかし次の日にはけろっとしてまた挑戦してくる。明るい性格で他の人とも良好な関係を築けていたというのに、なぜ自分のような爪弾き者のところにも来るのかサンデーは理解に苦しんだ。
「口を開けばすぐにレースレースってうるさかった。ケンタッキーダービーで勝つのが夢だって恥ずかしげも無く言うんだぜ。そうすりゃ母親が自分に会いにきてくれるって信じてる、どうしようもない奴だった。バカだよな。来るわきゃねえし、来たところで金目当てに決まってるのによ」
ニヒルな笑みを浮かべてサンデーが言う。しかし友人のことを語る彼女の目元はいつになく優しく、慈愛と哀愁を帯びていた。
「まあ、根性だけは誰にも負けちゃいなかった。本当に勝てたかもな、ケンタッキーダービー……あいつが今も、生きていたら」
「えっ……生きていたらって……」
「死んだんだ。五年くらい前に。遠足の日の帰り道で、アタシたちの乗っていた車が事故って、アタシ以外の全員が死んだ」
何組かに別れたグループの内、サンデーのいる組だけに悲劇が襲った。運転手の心臓発作による衝突事故。それにより運転手共々、一緒に乗っていたウマ娘たち十人が死亡し、なんの運命の悪戯かサンデーだけがただ一人、ボロボロになりながらも生き長らえた。
友人はサンデーの隣に座っていた。彼女が咄嗟に抱きしめて庇ってくれなければ自分も死んでいただろうと、サンデーは言う。
しばらくして退院し孤児院に戻ったサンデーを待っていたのは、以前よりも更にひどくなった迫害だった。生き残りのサンデーは他者からして見れば疫病神以外の何者でもなかった。誰も彼もが腫れ物を扱うように遠ざかり、行事にも満足に参加できない日々。
そんな彼女に転機が訪れたのは今から三年前のことだった。ちょっとした子供向けの講演会でやって来たチャーリー氏と出会ったのだ。
サンデーは千載一遇の好機を逃すまいとした。「あっちに行け」と周囲が追い出そうとするのも無視して、チャーリー氏に自分の走りを見て欲しいと懇願した。
名伯楽との出会いは金の鉱脈を発見するに等しい。
人生で初めて、サンデーはその才能を認められた。
そして孤児院から引き取られてチャーリー氏の養子となり、ニューヨークのトレセン学園で過ごし、現在に至る。
「アタシは勝つ。勝って勝ちまくって、アメリカで一番のウマ娘になって、今までアタシをコケにしてきた糞ったれの世の中を見返してやるんだ」
自分に言い聞かせるように決意を口にするサンデーの瞳には、模擬レースの時と同じく尋常ではない熱意が宿っている。
勝利への執念に燃えるその目にシービーは覚えがあった。うじうじとしていた自分に発破をかけた、どこまでも真っ直ぐなウマ娘、カツラギエースの顔がシービーの脳裏に過ぎる。
シービーは苦笑にも似た微笑みを浮かべた。
どうも自分は、この手合いに弱いらしい。壁を乗り越えるどころか突き破ってでも前に進もうとするその姿をどうしようもなく好ましく思ってしまう。
「……私はサンデーみたいに重いものを背負っているわけじゃないけど、勝ちたい気持ちなら分かるよ。痛いくらいに」
「ハッ、知ったかぶりはよせよ。アタシは何も共感欲しさに話したわけじゃねえ」
「知ったかぶりなんかじゃないよ。勝ちたくて堪らないの、私も。だから海を渡ってアメリカまで来ちゃった。今だからこそ思うんだ。たとえ何処で生まれてもどう育っても、本当に才能なんか無かったとしても、きっと私はレースで勝ちたいんだって。私がミスターシービーである限りはさ」
辛い過去を包み隠すことなく教えてくれたサンデーに対する礼儀として、シービーもこれまでの自分の経歴を語った。
恵まれた環境で育ちながらも、人生初の挫折から逃げて転げ落ち、拗ねて腐って、進むべき道を見失っていた情けない自分の話を淡々と述べる。
サンデーは聞き流したり途中で茶々を入れたりすることもなく静かに聞いていた。初めて会った時の彼女からは想像もできないほど神妙に。
今のシービーの目標であるURAファイルズと、そこで競い合うシンボリルドルフやカツラギエースについての話は特にサンデーの興味を引いた。
「へえ、URAファイルズか。日本人も面白いこと考えるもんだな」
「初開催だし上手くいくかどうかはまだ分からないけどね。私はそこで走るんだ。思いっきり、誰よりも速く」
明け透けな思いを語るシービーの中に何を見たのか、サンデーもまた先程のシービーのように微笑んだ。
「じゃあまずはアタシに完勝してみろよ」
「もちろん。ダートの、ケンタッキーダービーと同じ条件のコースで負かしてあげる」
挑発的な言葉の応酬とは裏腹に、二人の顔は憑き物が落ちたかのようにスッキリとしたものだった。
気付けば既に寮の消灯時間は過ぎていた。サンデーさえも頭の上がらない鬼寮長に見咎められては事なので、二人は急ぎ部屋の電気を消してそれぞれのベッドに潜った。「Good night」とシービーが言う。
暗くなった部屋の中。沁みるような夜の静寂が、今日もトレーニングに勤しんだ二人のウマ娘を眠りに誘う。
そうしてもう眠ろうかという時、サンデーはシービーの方を向き、グッドナイトの代わりに言った。
「……なあシービー」
「なに?」
「明日やろうぜ、勝負。ケンタッキーダービーと同じ条件で」