立ち上がれ、ミスターシービー   作:ふーてんもどき

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十三話:ただいま

 

 

 クリスマスがすぐそこに近付いた十二月某日。ニューヨークには例年より少し遅めの初雪が降っていた。

 

 チャーリー氏の運転でJFK国際空港まで送ってもらったシービーと吉田は土産物で膨れた大荷物を空港のカウンターで預け、筒がなく搭乗手続きを済ませた。二人を見送るためにチャーリー氏とサンデーサイレンスが付いて来ている。

 

 あとニ時間もしない内に飛行機に乗り込み、アメリカから離れる。

 これが初めての本格的な旅だったシービーは、思い出を残して帰るのはこんなにも後ろ髪を引かれるものなのか、と痛感していた。それほどまでにアメリカで過ごした数ヶ月は、彼女の中で価値のあるものとなっていた。

 

 四人で食べる最後の食事になるからと、早めの昼食を空港内のカフェテリアで頂く。

 老人二人はコーヒーと軽くつまめるものを。サンデーとシービーはウマ娘用に作られた野菜たっぷりの特大ハンバーガーを注文した。

 アメリカに来た当初はマスタードを抜いてもらうように頼むことですら苦労していたシービーだが、今ではさらりと自分好みのオーダーを言えるようになっていた。

 

「見てみろよ二人とも。ジャパンの皇帝が七冠目を獲る気満々だぜ」

 

 チャーリー氏が売店で買ったスポーツ誌を吉田たちに広げて見せた。そこには確かにシンボリルドルフの写真と、彼女のこれまでの偉業を讃える記事が載っている。

 

 夏の怪我を乗り越えたルドルフは一月ほど前の晩秋、ジャパンカップで去年の雪辱を果たし、その経歴を六冠に上書きした。神の領域と言われていたシンザンを記録の上とはいえ、ついに追い抜いたのだ。もはや国内史上最強の地位は揺るぎないものとなっている。

 彼女はインタビューにおいて「次は有マ記念に出る」と明言している。

 必ず勝つだろう、とシービーはレースを見るまでもなく確信していた。そして七冠の皇帝となったシンボリルドルフとURAファイナルズの中距離部門で戦うことになる。

 

 URAファイナルズという真新しいレースイベントは海外でも話題になっているらしく、雑誌の中で特集を組まれている。

 

 注目されている選手はルドルフだけではない。カツラギエースは大目標であったサマードリームトロフィーこそ五着と振るわない結果だったが、近年に新設されたオータムドリームカップではハナ差で一着をもぎ取り、強豪ひしめくドリームステージでも確実に頭角を現してきている。

 

 そして記事の片隅にはミスターシービーの名前もある。アメリカ修行での成果や如何にとか、何とか。

 ただし先のケンタッキーダービーの模擬レースに関しては報じられていない。学園内で何の告知もなく行われたため、目敏いマスコミも割って入ることが出来なかったのだ。

 シービーの特訓の成果は隠されたまま、URAファイナルズ本番でのお披露目となる。

 

 

 そうやって雑誌などを読みつつ、のんびりとしている内に時間が過ぎ、そろそろ搭乗口に向かおうかと一同は席を立った。

 

「チャーリーさん、親切にしてくれてありがとう。貴方のおかげでこの留学生活をとても有意義なものにできました」

 

 保安検査場前での別れ際、シービーは随分と流暢になった英語でそう言う。

 練習場の予約などは勿論、学園の内外を問わず色んな場所への案内やマナーやジェスチャーなどの細かなことも教えてくれたチャーリー氏にはいくら感謝してもし足りない。大人びた感謝の言葉を述べるシービーに「帰っても頑張れよ」とにこやかに笑うチャーリー氏。

 

 チャーリー氏と固く握手をした後、シービーはサンデーの方にも握手を求めた。

 

「サンデーも、ありがとね。楽しかったよ」

 

 しかしサンデーはふいと顔を背けてしまった。

 シービーが部屋を引き払う準備をしていた朝から口数が少なく、空港に着いてからは黙ったままだ。先程のカフェテリアでの食事でも一言も発さなかった。

 

「ね、ほら、握手しよう」

 

 シービーが諭すようにそう言うと、ややあってサンデーは口を開いた。

 

「……本当に、クリスマスはこっちで過ごさねえのかよ」

 

 まるで拗ねた子供のようにボソボソと言うサンデーをチャーリー氏が窘める。

 

「サンデー。短期留学の規定上、それは無理だと前から言っているだろう。それに彼らにも予定がある。この日に発つことは最初から決まっていたことなんだ」

「でも少し残ればいいだけじゃんか! それにさ、トレーナーん家のミートパイすげえ美味いんだぜ、シービー。あとそれからクリスマスプティングも出るんだ。な、食いたいだろ?」

 

 養子であるサンデーは毎年のクリスマスをチャーリー氏の家で過ごす。チャーリー氏の妻が作るスペシャルディナーがいかに美味しいかを語り、サンデーはシービーに残るように言った。そうやって駄々をこねるサンデーの瞳は僅かに潤んでいる。

 

 そんな彼女の手を、シービーは優しく握った。

 

「ごめんねサンデー。私は行かなきゃ。日本で私を待ってくれている人たちがいるの。アメリカで過ごした時間を無駄にしないためにもちゃんと帰らなくちゃ」

「……ッ、知るかよ、そんな」

 

 感情に任せて乱暴に手を振りほどこうとしたサンデーだったが、それよりも早くシービーが彼女を抱き寄せた。シービーよりも頭ひとつ分小さいサンデーはすっぽりと覆われる形になる。

 暴れるかと思われたサンデーだったが、突然のことに戸惑っているのか、シービーの抱擁に対して大人しくしている。

 

「ライバルでいてくれて、ありがとう。本当に楽しかったんだ。私、絶対に忘れないから。だからサンデーも忘れないで」

「……うん」

「また走ろう。レースでも併走でも、なんでもいいからさ。絶対にまた会って一緒に走ろうね。約束だよ、サンデー」

「……うん、わかった」

「サンデー大好き!」

 

 最後に一際強くサンデーを抱きしめた後、シービーは吉田を伴って颯爽とその場を立ち去った。

 

 チャーリー氏は彼らの姿が見えなくなるまで手を振り、サンデーは少し赤くなった目でシービーの背中を見つめていた。

 

 

 

 それから暫くして、一機の飛行機が空へ飛び上がっていった。

 だんだんと小さくなっていくそれを、空港の屋上からチャーリー氏とサンデーサイレンスの二人が眺めている。友を乗せ、日本へ行ってしまう飛行機を。

 

「風のように爽やかな子だったな」

 

 珍しくサングラスをとったチャーリー氏が言う。彼の横にいるサンデーは何も言わず、じいっと飛行機を見ている。

 横腹に並ぶ窓が見えるくらい近くにあった機体は、やがてその細長いシルエットしか分からなくなり、一つの点になり、それも瞬きをした瞬間にフッと雲の中へ消えてしまった。

 あとにはただ、何の変哲も無い空が広がるばかりだ。

 

「日本、か……」

 

 飛行機が見えなくなっても尚、空を見上げていたサンデーがぽつりと呟いた。

 哀愁と寂寥感の漂う彼女の顔は、しかし憧憬を見つめるように真っ直ぐで、その瞳は確かな熱を帯びていた。

 

 

 

 

「ねえトレーナー。まだ着かないの?」

「その質問何回目だ。ちょっとは辛抱しなさい」

「してますー。はあ、もう走って日本帰りたい」

 

 行きの時も散々したやり取りをすること数知れず。

 夜になってようやく羽田空港に着き、そこからさらに国内便で成田空港へ。

 シービーは長時間のフライトで固まった関節を鳴らしながら身体を伸ばし、荷物を受け取って空港のロビーへ出た。

 

 その瞬間。

 

「おかえりなさい、ミスターシービー!」

 

 夜の空港とは思えないような大きな歓声が上がった。

 

 シービーを待ち構えていたのはトレセン学園のウマ娘たちだった。数え切れないほど大勢いる。

 制服を着ている者やジャージ姿の者。昔レースで競った顔も何人かいる。中にはシービーが中等部の頃にお世話になったOGの先輩までちらほら見える。皆、一様に笑顔で手を振り「おかえり」とシービーに言う。

 上には横断幕が掲げられており、見るからに即興で作られたであろうそれには、やはりと言うべきか『おかえりシービー!』と書かれている。

 

 短期留学の日程の詳細を外部に漏らしていないため出待ちのマスコミやファンなどはいないが、偶然その場に居合わせ騒ぎを聞きつけた人々も「なんだなんだ」と寄ってきた。そしてシービーの姿を見た途端、熱狂して出迎えの輪の中に加わる。

 

 驚きのあまり暫くは耳と尻尾をピンと立てるばかりだったシービーだが、だんだんと事態を飲み込み始める。

 自分の帰国を歓迎する声が沁みるように胸を満たし、帰って来たんだという実感を沸かせる。

 

 シービーはその喜びを隠すことなく、笑顔で皆に手を振り返してみせた。

 

「ただいま」

 

 

 

 

 クリスマスイヴのトレセン学園は華やかなものだ。生徒会が主軸となって毎年恒例のパーティーが開催される。

 この日ばかりはカフェテリア全体が生徒たちに貸し出され、鉄の規律を重んじる風紀委員でも手の施しようがない無法地帯と化す。

 特に普段からハメを外しがちなタイキシャトルやダイタクヘリオスなどの狂喜乱舞たるや尋常ではなく、何とか場を取りまとめようと孤軍奮闘するエアグルーヴは大変な劣勢に立たされている。

 

「おい何だこの肉の塊は!? 予算にこんなもの入ってないぞ!?」

「本場アメリカンのBBQデース! 普通はターキーやパイを食べるんですけど、日本のクリスマスはブレイコーですからやりたい放題しまース!」

「やり過ぎだ! おい止めろ! そんなバカでかい燻製機を持ってくるな、食堂内に臭いがつくだろうが!」

「あ、リブ焼いたの? 私も食べたーい」

「ああもうシービー先輩まで……!」

 

 帰国したばかりのシービーも完全に周りと同調して騒いでいる。年上として皆を抑制するばかりか他のウマ娘たちの暴走を助長することしかしない。

 もう一人の生徒会副会長であるナリタブライアンは会場の片隅で肉ばかり食べており、エアグルーヴはもはや青息吐息だった。

 

 

 

 そんな喧騒から離れ、今日は閉じられているはずの生徒会室にシンボリルドルフの姿があった。パソコンに向かって淡々とデータ入力の仕事をこなしている。

 作業が一区切りついたのか、ルドルフは眼鏡を外してぐっと伸びをした。

 

 彼女がクリスマス会に顔を出していたのは一時間程度。生徒会長として乾杯の音頭を取り、夕飯を済ませてきただけだ。

 エアグルーヴたちと一緒に仕事をしようとしたが「会長は有マ記念が控えているので休んでいてください」と気遣われ、また夜更かしをすることはリギルの東条ハナトレーナーから禁止されているので自然とパーティーから追い出される形となってしまった。

 

 レースに備え、言われた通り眠らなければいけない。そう思っても寝付けそうになかったルドルフはこっそりと生徒会室に入り、やらなくてもいい仕事をやっていた。宴の余韻ではない、ふつふつと沸き立つような感覚が胸の奥にあり、何かしていなければ落ち着かなかった。

 

 一息ついてみても依然として胸のざわめきは鳴り止まない。

 さてもう一仕事、とパソコンの画面に向き直った時、ガチャリとドアノブを捻る音がして誰かが部屋に入ってきた。

 

 びくりと肩を震わせたルドルフだったが、入ってきたのが旧知のウマ娘、カツラギエースだと分かってホッと息を吐いた。

 

「やっぱここにいたか」

 

 カツラギは如何にも仕事中といった様子のルドルフを見て、呆れたように言った。

 

「どうしたんだいカツラギ。まだ下ではパーティーの最中だろう」

「そりゃこっちのセリフ。外の空気でも吸おうと思って中庭に出たら生徒会室の灯りが点いていたからさ。そんで来てみたら、本当にあんたが一人で仕事してるんだから驚いたよ」

「面目ない」

 

 ルドルフが恥入りながらも眠れないことを正直に打ち明ける。「まあ気持ちはその分かるけどね」とカツラギ。

 

「有マ記念に緊張してる、ってわけじゃないんでしょ。最近のルドルフ妙にそわそわしていて変だし。今日だって、パーティーの時シービーの側に行かないようにしていたみたいだし」

「……御明察だな。うん、少し浮ついているのは自分でも分かっているんだ。URAファイナルズのことを考えるとどうしても胸がざわついてね。何かしていないと気が済まないんだよ」

 

 眉根を寄せて弱った顔をするルドルフに、カツラギが顎をしゃくって席を立つように言う。

 

「今、タイキがホットチョコレートを作って皆に配ってるんだ。それ飲んだらちょっとは落ち着いて寝られるかもよ」

「そうか……ではありがたく頂戴するとしよう」

 

 二人は生徒会室を出て夜の暗い廊下を歩く。コツコツと靴を鳴らす音は、冬の澄んだ冷たい空気によく響く。

 

「URAファイナルズが楽しみなのは分かるけどさ、そればっかり考えてて足元掬われんなよ。まずは有マ記念に専念しなきゃ。そうだろ?」

「ああ、もちろんだ。心配はいらない。私は必ず期待に応える結果を出すとも」

「別に心配なんてしてないけど……」

 

 そうやって話す途中でルドルフはふと窓に目を向けた。ぼんやりと窓に映る自分の顔は贔屓目に見ても浮ついてなどいなかった。

 ただ、優等生としての仮面の下に野獣のような獰猛さが見え隠れしている。

 

(やはり今夜は眠るのに苦労しそうだな)

 

 カフェテリアに入り、皆に温かく迎えられながらも、ルドルフの胸から狂熱が冷めやることはなかった。

 

 

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