立ち上がれ、ミスターシービー   作:ふーてんもどき

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十四話:URAファイナルズ開幕

 

 

 

 URAファイナルズ予選のブロック分けと枠番が決まったのは年が明けて間も無くのことだった。

 

 トレセン学園で最も広い施設である第一体育館に設えた抽選会場。そこに出場選手たちのトレーナーが一堂に集まり、くじ引きを行った。秋川理事長やURA代表の挨拶によって始まったそれは格式高い式典でもある。カメラを構えた記者も大勢来ており、有力と目されている選手の枠番が決まる度に一喜一憂していた。

 

 距離、バ場ごとに分けられた各部門それぞれにスポットライトが当てられた本大会。格付けの差こそ無いものの、注目度はやはり芝の中距離部門がダントツのトップを誇っている。ドリームシリーズで活躍中のカツラギエースの参戦、アメリカから帰ってきたミスターシービーの復帰、そして先の有マ記念でついに七冠を達成した王者シンボリルドルフと、その陣容だけでも異彩を放っている。

 特に吉田がシービーのくじを引いた後、リギルの東条ハナが引いたルドルフの枠番が読み上げられた時の盛り上がりはかなりのものだった。

 

「負けませんから」

 

 壇上から席に戻る際、東条ハナは吉田にそう言った。彼女の祖母の若かりし頃を思わせる鋭く怜悧な視線に、吉田は微笑みながら頷いた。

 

 

 朝から始まった抽選会は夕方近くになってようやくお開きとなった。やっと解放された吉田はネクタイを緩め、トレーナー室ではなく練習場の一つへと足を運んだ。

 夕陽でオレンジ色に染まったターフでは、長い黒髪をなびかせてミスターシービーが走り込んでいた。吉田が来たことに気付くと、手を振って駆け寄ってくる。

 

「お疲れシービー。頑張っているな」

「トレーナーの方こそお疲れ様。抽選会、終わったの?」

「ああ。この歳じゃ座りっぱなしも堪えるなあ」

 

 腰を叩いて伸ばす吉田とは対照的に、シービーは元気一杯といった様子で息を弾ませ、身体を冷まさないよう足踏みをしている。

 

「それで、どうなったの?」

「君はAブロックからの出走になる。枠番は四枠八番で真ん中。優勝候補筆頭のシンボリルドルフは予選ブロックが違うから、当たるとしたら決勝だよ」

 

 抽選会場が沸いた理由がそれだった。URAファイナルズという真新しいビッグレース自体への関心も高いが、何より一時期は無いかもしれないと思われていた四度目の三冠ウマ娘対決が決勝戦で行われるとあっては、騒ぐのも無理はない。

 シービーとルドルフの両名が勝ち上がれば、という前提に立った話ではあるが、それさえ叶えば文句なしの頂上決戦が実現する。

 この絵に描いたような運命の巡り合わせは既にレース関係者たちの間で波紋を呼んでおり、明日にでも多数のマスコミがドラマチックかつ大々的に報じることとなるだろう。

 

 しかしその結果を直感的に察していたのか、シービーは何を言うでもなく落ち着いている。

 

「それで、他の相手は?」

 

 聞かれて、吉田はやや勿体ぶるように頬をさすりながら答える。

 

「本戦、準決勝で当たりそうなところであまり目ぼしい選手はいない。強敵には違いないが今の君の敵ではないだろう。心に余裕を持って走ればいい」

「まあそれは良いんだけどさ、肝心の初戦はどうなの?」

「うーむ。だいたいはデータから見てもさほど脅威となることは無いんだが……」

「濁さないで、ハッキリ言って」

 

 シービーは足踏みを止めてじれったそうに促した。吉田は「ああ」と頷いて、今度こそ真っ直ぐにシービーの方を向いて言った。

 

「予選の四枠七番。つまり君の隣に来るウマ娘なんだが……」

「うん」

「カツラギエースだ」

 

 その名前を聞いた瞬間、シービーは目を丸く見開いた。

 

 これまでに何度も鎬を削りあってきた、終生のライバルと呼ぶに相応しいウマ娘。学園でも随一の厳しさで有名な黒沼トレーナーの鬼指導に耐え抜き、基礎を盤石に固めた彼女の強い走りは容易には突き崩せない。

 

 吉田の見立てでは、もし今回のURAファイナルズ中距離部門でシービーが負けるとしたら、その相手はシンボリルドルフか或いはカツラギエースだろうと考えている。

 その内の一人と最初に当たるということは、シービーが予選で敗れ去り本戦の出場権すら獲得できなくなる可能性があることを意味する。そんなことになれば、強行的なアメリカへの短期留学は何だったのかと方々から批難を受けかねない。

 

「そう。予選でもうカツラギとね」

 

 しかしそんな重圧を、シービー本人は全く感じてはいないようだった。大きく開いた目はすぐに不敵に狭まり、瞳の奥には炎が燃え盛っている。居ても立ってもいられない様子で、再びその場で腿上げをしたり飛んだり跳ねたりして、走る準備を整え始める。

 

「トレーナー。もう何周か走ってくるよ。日本のバ場で走る感覚は取り戻してきたけど、レースまでに出来るだけ馴染んでおきたいし」

「足の調子は?」

「最高」

「よし、行ってくると良い」

 

 吉田が言い終えるよりも早く、シービーは走り出していた。

 最高だと自負した調子に偽りは無し。

 夕陽が写す影法師さえも置き去りにしそうなほど速く、まるで空を飛ぶように軽快に駆けて行った。

 

 

 

 

 レース本番を来週に控えたある日、カツラギエースは映像資料館の個室に篭っていた。

 

『ミスターシービー上がって来た。第3コーナー上りで来ましたミスターシービー。果たして下り坂をどう下るか」

 

 液晶画面に映るレース映像は二年前の菊花賞のものだ。カツラギが着けているウマ娘用のイヤホンからは当時の司会の声と、大観衆の声援が響く。

 これまでに何十回と繰り返し視聴してきた映像を見るカツラギの目は真剣そのもので、シービーの僅かな動きも見逃さないように瞬きすらしない。

 

『ミスターシービーだ。大地が、大地が弾んでミスターシービー! これが史上に残る三冠の脚!』

 

 ゴールすると同時にカツラギは画面の電源を消した。イヤホンを外し、長時間の視聴で疲れたのかパイプ椅子の背もたれに体重を預け、目を閉じる。

 

 いや、彼女は今も集中状態にあった。

 瞼の裏にターフを思い描く。

 東京レース場、2000メートル。予報で見た一週間後の天気は晴れ。無風、もしくは走りに影響が出ない程度の微風を想定。冬なので空気が乾燥している。

 

 スタートを切り、一度18人の先頭に立つ。発表されたURAファイナルズ予選の同ブロックに、逃げウマ娘が一人いた。スタートの後は彼女にハナを走らせながら自分のペースの範疇で二、三番手の位置を保持する。多少外に流されても順位は譲らない。出場選手の傾向から見ると、四番手以降を走らされれば肝心な局面でブロックの不運に遭う可能性が高いからだ。

 まだ皆がスパートをする前、最終コーナー手前で加速し、中盤まで先頭にいさせた逃げウマ娘に迫る。捕まえられれば理想的だが、そうでなくとも良い。抜かせまいとして足を早めさせ、ペースを乱させることが目的。

 

(たぶん、アイツはここで来る)

 

 一際大きな足音が背後から迫ってくる。今までに散々聞かされてきた恐るべき追い込みの足音。ミスターシービーがスパートを掛けて来たのだ。

 先程までビデオで見ていた菊花賞のまくり上げ、そして毎日王冠で味わされた上がり3ハロンの豪脚。それらを基準にシービーの能力を上方修正。これ以上なくシビアに、自分にとって厳しい展開を予想する。

 

 夏に吉田トレーナーと本契約を結んだ後、シービーがどれほど苛酷なトレーニングに打ち込んでいたかをカツラギは知っている。あの熱意、運動量がアメリカに渡ってからも持続していたとなると、URAファイナルズで戦うことになるシービーはおそらく過去のどのレースで競い合った時よりも手強い。間違いなく最強だ。

 故にカツラギの中には慢心など一切無い。希望的観測を捨て、己の能力を鑑みて、ベストパフォーマンスを発揮するためのシミュレーションを繰り返す。

 

 追ってくるシービーに対してスパートを合わせる。絶対に遅れてはならない。掛かり気味になってコーナーで膨らんだ逃げウマ娘の内側を突き、最短コースで直線に一番乗りする。

 シービーの末脚は脅威だ。しかし逃げ切れる。

 残した足を最終直線でフルに使い切る練習は今までに嫌というほどしてきた。その成果を十全に発揮できれば抑え込める。

 

 半バ身差で、捩じ伏せられる。

 

 やがてゆっくりと目を開いたカツラギは、肩の力を抜いて大きく息を吐いた。

 

「……勝てる」

 

 そう呟いたカツラギの声には、確信を得た力強さがあった。

 再び目を瞑り、感慨に浸る。

 

 どれほどこの時を待ったことか。どれだけ思い焦がれてきたことか。

 

 ようやくだ。ようやく……。

 

「もう一度、あんたとの対決を……!」

 

 

 

 

 

 

 URAファイナルズ芝中距離の予選当日は、先週からの予報通り快晴の中で迎えられた。

 

 第十一レースの芝2000メートルが間も無く開催される。ターフには勝負服に身を包み準備を終えたウマ娘たちが続々と姿を現し、柔軟を行なったり観客に向けて手を振ったりしている。誰もが選び抜かれた優駿たち。予選とはいえ客入りはG1レースと比べても見劣りしない。

 

 現在ターフにいる十八人のウマ娘のなかでも特に注目を浴びているのはカツラギエースだ。評論家からも◎二つと○一つを付けられた文句なしの一番人気である。

 準備運動をして身体を温める彼女の並々ならぬ気迫は遠目でも伝わり、何らファンサービスをしなくとも客の関心を集める。

 

 突然、ワッと観客が沸いた。

 最後の一人であるミスターシービーが地下バ道をくぐって遂に登場したのだ。およそ十ヶ月ぶりにお披露目する勝負服に変わりは無く、しかしそれを着こなすシービーの身体は明らかに以前より磨きがかかっている。

 まるでゴール直後のような声援を浴びながら、シービーがにこやかに手を振ればさらにファンは熱狂する。

 

「相変わらず凄い人気じゃん、シービー」

 

 カツラギが近付いて話しかけてきた。対抗心を隠そうともしない彼女に、シービーは振り向いて笑う。

 

「まあ、一応は三冠ウマ娘だし? でもそう言うカツラギがちゃっかり一番人気なんだよね。ファンの皆もレースの勝敗にはシビアだからなあ」

「思えば初めてだよ、人気順であんたより上に来たのは」

「そうだったかな。ま、レースが始まればそれも関係なくなるけどね」

「違いない」

 

 ミスターシービーはカツラギの三つ下、四番人気に推されている。クラシックで猛威を奮っていた時と比べれば低いと言わざるを得ないが、長期間レースから離れていたことを考えると、やはり依然としてシービーへの期待値も高いことが伺い知れるというものだ。

 

「お手柔らかに」

 

 シービーがそう言って手を差し出すと、カツラギは握手の代わりにその手をペシンと叩いた。

 

「全力でぶっちぎってやるから」

 

 たったそれだけのやり取りで、観客たちのボルテージは最高潮に達する。

 会場は温まった。あとは各々が走りで魅せるだけ。

 

 

 

 ファンファーレが鳴り響く。選手たちがスターティングゲートに入っていく。

 

 カツラギは隣のゲートに収まったシービーをちらりと見て、すぐに視線を前に向けた。

 そうするだけで世界はガラリと姿を変える。

 

 観客の声援は遠く、ターフの匂いは濃く。

 隣にいる相手の鼓動まで聞こえてきそうなほどに集中力が高まっていく。

 

『さあ、全ての選手がゲートに入り……』

 

 一瞬の静寂の後、扉は開かれ、世界が加速する。

 

『今、スタートしました!』

 

 カツラギは誰よりも上手くスタートを切った。

 予定通り、一番最初にハナを奪うことに成功する。それに張り合おうとして上がってきた外枠出走の逃げウマ娘をすんなり通してやり、二番手につける。無駄を全て削ぎ落とした巧みな走行。

 

 コーナーを曲がって最初の直線へ。ここまで来ればある程度レースの形というものが出来てくる。前と後ろが詰まって団子になっているのか、その逆で縦長か。ハイペースかローペースか。そういった展開が定まってくる。

 

 カツラギは耳を澄ませる。気配と足音からして自分の斜め後ろにピタリとくっ付いてきているのが一人。そのすぐ後ろには先行集団が一つに固まっている。差し狙いのウマ娘たちもそれほど離れずに付いて来ている様子。

 さて肝心のシービーはどの辺りに控えているのか、とカツラギは後ろをチラリと見た。

 

 見て、その顔が驚愕に染まった。

 

 自分のすぐ後ろにいると思っていたウマ娘が、他でも無いミスターシービーだったのだから。

 カツラギと視線が交錯したシービーは不敵に微笑んでみせる。

 

 驚きを露わにしたのはカツラギだけではない。走っている他のウマ娘たちも、観客も、トレーナーやURA職員も、皆一様に予想を裏切られ唖然としていた。

 

『追い込みのシービーが後方にいません……いや、いました! 二番手カツラギエースのすぐ後ろにミスターシービーいました。逃がさないと言うようにピッタリとマークしています。久しぶりのレース、まさかの先行策を取りましたミスターシービー』

 

 クラシック級に上がってからはずっと追い込み一筋でやってきたシービーの大胆な作戦変更。予想だにしなかった事態に、レースを走っているウマ娘たちの間には少なくない動揺が走る。

 警戒を強めて先行集団は前のめりに、それに伴って後続の過半数も差を詰める。それだけのウマ娘たちが固まると威圧感も相当なもので、カツラギの前を行く逃げウマ娘も押されるように僅かに速度を早める。結果としてかなりのハイペースな展開が作り出された。

 

 当初、カツラギは自分のトレーナーと話し合い、皆が最後方に控えるミスターシービーを警戒してローペース寄りの展開になるだろう、と予想を立てていた。

 それが開始早々に全く逆の形で崩され、心の中で舌打ちをする。

 

(コイツ、なんで今になって先行を。動揺を誘うためか? それとも追い込みじゃ勝てないと見切りをつけた?)

 

 疾りそうになる脚を理性で抑えつつ、カツラギはもう一度シービーの方を見る。

 リズムは安定している。掛かっている様子もない。いかにも楽しそうに目を輝かせて走る様は紛れもなく小憎らしいライバルのそれだ。

 どう見ても敵の動揺を誘うためだけの一か八かの賭けに出た感じではない。修練は積んできたのだろう。その自信が迷いのない走りから見て取れる。

 

 視線を戻したカツラギは動揺を鎮め、心を決めた。

 

(マジでこっちと同じ土俵で勝負するつもりなんだな。アンタはほんと思い通りにいかないね……いや、それでこそ、か)

 

 ホームストレッチを抜けて3コーナーへ。レースは早くも半分を過ぎ、目前に最終コーナーが迫る。

 

(でも、勝つのは私だ!)

 

 カツラギが速度を上げて先頭のウマ娘に詰め寄る。すると予測通り、先頭を死守したいそのウマ娘も早めのスパート態勢に入った。そのままコーナーに入り、僅かに膨らんだ逃げウマ娘の内側を突いて先頭の位置を掠め取る。

 カツラギの動きは見事と言う他になかった。

 内側が開くと言っても、実際にそこへ入り込むには位置取りとタイミングを見計らう確かな目が要る。しかもカツラギが仕掛けたことによって後ろのウマ娘たちもそのほとんどが早め早めに上がろうとしてきている。その中でバ群に飲まれず、一瞬できた風穴から抜け出すのは困難を極める。

 

『最終コーナーを曲がり終えます。最初に上がってきたのはカツラギエース。しかし他のウマ娘も続々と追い上げています。ミスターシービーは前を塞がれ四番手、これは厳しいか』

 

 カツラギは勝利を確信した。シービーは自分より抜け出すのに手間取った。これは同じ先行策での戦いでは致命的だ。

 今のシービーは迫るバ群を背にハイペースのレース展開に乗ったせいで、追い込みの時のような鋭い末脚が活かしきれないはず。そうなれば必然的に早くゴールするのは位置的に有利なカツラギの方となる。

 もっとも、追い込みで来ていたとしても混戦になった集団に阻まれてシービーは伸びきれなかっただろうが。

 

 カツラギが最高速度に達する。歯を食いしばり、全力で腕を振って、身体にある全ての要素を推進力へ変える。

 シービーの恐るべき末脚をも捩じ伏せるために鍛え込んだ直線での粘り強さ。それを遺憾なく発揮する。

 

 さあ、勝利はもう目前に。

 

「ッ……!」

 

 もはや前へ進むことだけに意思の全てを向けていたカツラギの耳が、にわかに背後の音を捉えた。

 

 長大なストライド。足の回転も極めて速い。信じられない速度で自分に迫って来ている。

 

 それが誰かなど、振り向いて確認する必要もなかった。

 

『ミスターシービーが来た! ミスターシービーが集団を抜け出してもの凄い速度でカツラギエースに迫ります! やはり最後はこの二人の一騎打ちか!』

 

 あの集団の中からシービーがどうやって抜け出すことに成功したのか、今のカツラギに知る由は無い。しかし一緒に走っていたウマ娘たちはレース後のインタビューで口を揃えてこう言っている。「魔法にかけられたようだった」と。

 

 魔法の正体、自由自在にギアを変える等速ストライドを駆使して、シービーはカツラギに追い縋る。既に二人の間には半バ身ほどの差も無い。

 カツラギの足色は衰えない。今までの血の滲むようなトレーニングが彼女のトップスピードを維持させ続ける。

 しかしシービーの勢いは更に増していた。一足一足の蹴り込みは鋭く鮮烈で、限界など無いかのように速度を上げる。

 

 そうして外から遂にカツラギを追い抜き、先頭に躍り出た。

 

 距離は残り50メートル。シービーがさらに前へ出て、差を一バ身に広げる。

 カツラギは懸命に食い下がりながらも、その目に焼き付けるようにシービーの背中を見ていた。

 

 

 強くて、華麗で、キラキラしていて。

 

 その煌めきは、走っているターフまで色鮮やかに輝かせるようで。

 

 ずっと憧れ続けていたその背中を見つめていた。

 

 

『先頭は変わらない! 今、ミスターシービーが先頭でゴールイン!』

 

 ゴールした瞬間に会場が沸き返る。

 大型ビジョンの隣にある確定板。その一番上にシービーの出走番号である8の数字が表示される。二着カツラギエースとの差は一バ身。誰の目にも明らかな、実力による押し切り勝ちだった。

 

『やってくれました! 久しぶりのレースを制しましたミスターシービー! ライバルであるカツラギエースとの激戦を制し、無事に本戦へと駒を進めました』

 

 観客の拍手と歓声がシービーの胸を満たし、同時に勝負の熱が取り払われていく。後に残るのはひたすらに清々しい充足感だけだ。

 そうして口々に「おめでとう」と言うファンたちにシービーが手を振っていると、横からカツラギが声をかけてきた。

 

「シービー」

「カツラギ……どう、強かったでしょ、私?」

 

 言葉を選ぶための逡巡は短かった。シービーが胸を張って何の謙遜もなくそう言う。

 その笑顔にカツラギもつられて笑ってしまった。

 

「ああ、負けたよ」

 

 憑き物が落ちたかのように晴れやかな表情で、カツラギはシービーの肩をポンと叩いた。

 

「ルドルフによろしく」

 

 それだけを言い残してターフから去っていく。シービーは鳴り止まない歓声に応えながらも、早々に地下バ道に引いていくカツラギの姿を目で追い続けていた。

 

 

 

 

 カツラギが地下バ道に入って奥まで行こうとすると、同じチームのウマ娘たちが駆け寄って来た。皆でここまで走ってきたのか、軽く息が上がっている。「お疲れ様」とか「よく頑張ったね」と言う同級生もいれば、言葉にならないくらい泣きじゃくっている後輩もいる。というかカツラギを尊敬している大半の後輩は泣いていた。

 

 そんな彼女らをレースで負けたカツラギが逆に慰めるというあべこべな形になりながらも、カツラギは仲間たちからの労いを受けた。

 

 後輩の一人が言う。カツラギ先輩がレースの後すぐにこっちに来たから心配したのだと。

 

「ありがと。でも大丈夫だよ。ちょっとお手洗いに行くだけだから」

 

 そう答えてやんわりと皆を帰しつつ、カツラギは一人で選手用の手洗い場に向かう。都合よく自分の他には誰も居らず、シンと静まり返っている。

 別に一人になれるなら、トイレだろうが控室だろうが構わなかった。

 

 もう限界だった。

 カツラギは瞑った目から涙を零した。嗚咽もなく、ただ静かに、カツラギは一人でこっそりと泣いた。

 悔しくて、それなのに嬉しくて。堰き止めきれない感情の渦が涙となって溢れてくる。

 

 ああ、何も変わらない。

 私の憧れは変わることなくターフの上にある。

 

 満願成就の思いを胸に、震える唇で、カツラギはついぞ本人の前では言わなかった言葉をひっそりと口にした。

 

「おかえり、シービー」

 

 

 






カツラギエースの墓石には以下の文が彫られているそうです。

『あの"ジャパンカップ"を想い出します
 "ジャパンカップ"の感動を!!
 もう一度、君とミスターシービーの対決を!!』
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