立ち上がれ、ミスターシービー   作:ふーてんもどき

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二話:皇帝の憂慮

 

 

 

 昼下がりの生徒会室は静謐だった。紙の擦れる音と、ペンで文字を綴る音だけが響く。

 

 会長の名札が立てられた机には生徒会長であるシンボリルドルフが座し、流れるような手際の良さで種々様々な書類を捌いている。昼休憩の時間を割いての執務中だ。

 エアグルーヴとナリタブライアンの副会長両名は、他の役員と一緒に席を外している。生徒会室内での作業に限らず校内の見回りやポスターなどの配布、生徒間での問題事での呼び出しなど、トレセン学園生徒会の活動は多岐に渡る。

 

 二千人弱のマンモス校。しかも校風は限りなく自由。それをまとめているのだから、生徒会長であるシンボリルドルフの辣腕は推して知るべしである。

 

「これ終わったわよ、ルドルフ」

「ああ、ありがとうマルゼンスキー。助かるよ」

 

 シンボリルドルフの傍でアンケートの集計を手伝っていたウマ娘、マルゼンスキーが書類の束をルドルフに手渡す。

 ルドルフの親友である彼女もまた、すでに輝かしい成績の数々を残した素晴らしい競走ウマ娘だ。あまりの強さにマルゼンスキーが走るレースでは他の選手が何人も出走を取り止めたというのは、彼女を語る上で欠かせない逸話である。

 

「私の方も区切りが良いし、少し休憩にしよう」

「それじゃあコーヒーでも淹れるわね」

「いや、手伝ってもらっている身でそれは申し訳ない。私が淹れるとも」

「ルドルフったら、友達同士で固いことは言いっこ無しでしょ。いいからいいから。座って待ってて」

 

 給湯室に向かい、しばらくして二人分のカップを持ってきたマルゼンスキーにルドルフがお礼を言う。上手く淹れられたようで、コーヒーを一口飲み「うん、チョベリグ!」とマルゼンスキー。

 

 コーヒー党のルドルフもお気に召したようで一口一口を味わって飲み、ほっと息をつく。

 

「いつも手伝ってもらってすまないね。別に生徒会役員でもないのに、遊びに来ている君にこうも毎回書類仕事ばかりやらせるのは忍びないよ」

「私は気にしてないわよ。こっちが勝手に来てるだけだし。て言うか、また口調が固い。そんなんじゃ後輩ちゃん達から距離を置かれちゃうわよ」

 

 マルゼンスキーの冗談交じりの小言に思うところがあるルドルフは苦々しい顔で「むう」と呻く。

 

 常に全生徒の規範となるべく精進を怠らないルドルフは理想的な生徒会長としての顔を持つ反面、その質実剛健ぶりから生徒たちに敬遠されてしまっている。今や伝説のシンザンと並ぶ記録を達成し、よりいっそう皇帝の二つ名に相応しくなったルドルフだが、それがさらに他生徒との溝を深めていることに頭を抱えていた。

 

 もちろん他愛のない会話をするにあたってもルドルフは全力投球である。決して手を抜くことはしない。

 しかし生徒会の仕事やレースと違ってこれが中々上手くいかない。以前購入したダジャレ全集で培った知識は、残念ながら会話の潤滑油たり得なかった。無念。

 

「やはりまだまだ未熟なのだ……もっと研鑽を積み、ジョークの精度を上げなければ」

「ルドルフってば努力は凄いけど、なんかズレてるのよねぇ」

「む、どういうことだろうか」

 

 変な方向に勇往邁進して行こうとする親友にマルゼンスキーがため息をつく。彼女も彼女で人のことを言えぬ奇抜なセンスをしているのだが、それに関しては割愛する。

 

「まあ良いんじゃない? あなたの夢に近づいていることは確かなんだから」

 

 ドンマイドンマイ、とマルゼンスキーが笑う。

 

 高貴な家柄に生まれ、厳しい両親の教育のもと育ったルドルフが幼い頃から掲げる目標。

 全てのウマ娘が幸せになれる世界を創ること。

 まだ年端もいかぬ内に定めた夢は、何度となく周りから笑われてきた。バカにされたと言うよりは、本気だと思われなかった。大抵は「子供の言うことだから」で一蹴される。それに対してルドルフが噛み付かなかったのは生来の穏やかな性格もあるが、彼女自身も大言壮語であることを重々承知していたからだ。

 

 しかし、だからと言ってすんなり諦めてしまえるほど、シンボリルドルフは物分かりの良いウマ娘ではなかった。

 生徒会長の座に就いたのも、トゥインクル・シリーズで走るのも、全ては人々の為に。頼れる生徒会長としてあまねくウマ娘をサポートし、無敵の皇帝として皆に追うべき背中を見せ続ける。

 

 使命を己に課して早数年。シンボリルドルフは今もなお、道の半ばにいる。

 

 マルゼンスキーに励まされたルドルフは「ありがとう」とはにかんだ。一見して穏やかな笑顔には僅かな憂いの色があった。

 

「そうそう。さっき集計していたアンケートでね、今度のエキシビジョンレースの一番人気はやっぱりあなたみたいよ。ルドルフ」

 

 紙の束をルドルフに見せながらマルゼンスキーが言う。

 

 六月の始めに、生徒会が毎年企画している模擬レースが行われる。エキシビジョンで記録に残らないとは言っても規模はなかなかのもので、トゥインクル・シリーズのファンの多くが観戦に訪れる一大イベントだ。

 

 例年、地方の重賞レースにも引けを取らない盛り上がりを見せるが、今回は注目のされ方がいつもと異なっていた。誰であろう、五冠ウマ娘となったシンボリルドルフが出るのだ。普段ならどのウマ娘が有力か方々で予想されるものだが、巷で噂になっているのは「他の選手がルドルフにどう喰らい付いていくのか」といった話題が主である。

 

 シンボリルドルフに対する期待はもはや止まるところを知らない。実力がさらに円熟したこのシニア期でいったいどれだけの功績を残すのか、誰もが注目している。

 エキシビジョンなどは勝って当たり前。宝塚記念を獲っての二大グランプリ制覇、秋の天皇賞を勝っての春秋天皇賞制覇、ジャパンカップでのリベンジ、有馬記念連覇などといった、どれか一つだけでも目の眩むような偉業をまるで当然のごとく求められている。

 今年度の冬から新たに始まるビッグレース、URAファイナルズもまた然り。開催まで半年以上もあるそのレースでもルドルフが優勝するだろうとあちこちで予想が立っている

 

 今やシンボリルドルフは台風の目。トゥインクル・シリーズという巨大な流れの中心にいることは紛れもない事実だった。

 

「推薦による出走予定者の方もだいぶん固まってきたみたいだね。どれ、錚々たる顔ぶれじゃないか」

 

 生徒会長として行事が盛り上がっていることが純粋に嬉しいのだろう。マルゼンスキーのまとめた資料に目を通して微笑むルドルフの瞳は、しかし一人のウマ娘の名前を探していた。

 

 ミスターシービー。

 探すまでもなくその名は目に止まる。ルドルフの優勝を予想する多くの人々が、それと同じくらい三冠ウマ娘同士の再対決を望んでいるらしかった。ルドルフに次ぐ二番人気。推薦投票では断トツでトップに上がっている。

 

 残念ながら、彼女の出走は叶わないだろう。天皇賞春の後に発覚した脚部不安。つい先日ギプスが取れたようだが、まだ本番に出られるような状態ではない。今はゆっくりと休養することが第一だ。

 もっとも、万全な状態まで回復したところで、ミスターシービーが復帰するのかは分からないが。

 

「ルドルフ、大丈夫?」

 

 声をかけられて顔を上げる。マルゼンスキーが心配そうな顔で、とんとんと自分の眉間を指す。それでようやく、ルドルフは知らぬ間に自分がしかめ面になっていたことに気付いた。

 

「ああ、すまない。大丈夫だ。どのウマ娘も一筋縄ではいかなそうだから、つい真剣になってしまった」

 

 そう誤魔化すも、マルゼンスキーは変わらず憮然とした表情だった。

 

「シービーのことが心配?」

「……ああ。少し、ね」

「彼女、この前チームを辞めたらしいわよ。それで前に組んでいた吉田トレーナーと再契約したんですって」

「知っているとも」

 

 生徒会の情報網によって誰よりも早くそのことを知っていたルドルフは頷く。ミスターシービーが未だに復帰については何も言及していないことも。

 今回のエキシビジョンレースやその他の催し物はまだしも、URAファイナルズに三冠ウマ娘のミスターシービーが出ないとあっては、少なからず波紋を呼ぶだろう。

 

 全てのコース、全ての距離に分かれた、全てのウマ娘が実力を遺憾なく発揮できる祭典。それこそがURAファイナルズの指針。就任した当初から秋川やよい理事長が発足した、全く新しい形式での一大レースイベントである。それが三年の準備期間を経て、ようやく来年の新春に開かれる。

 コースは芝かダート、距離は1400mの短距離から3000mの長距離までと幅広く行われるが、その参加資格を得るのは苦難の道である。曲がりなりにも優駿の頂点を決めようという大会だ。生半可な成績の者では選考段階で弾かれる。トゥインクル・シリーズを駆け抜けた一握りのウマ娘が切符を手に出来る。そして予選から決勝までの過酷なレースを勝ち抜くことで初めて王の栄冠を得られるのだ。

 

 しかし、ことシンボリルドルフにおいては既に切符を手に入れている。かのシンザンに並んだ稀代のウマ娘をURAが放っておく筈もない。具体的には、三冠を獲った去年の秋にはもう出場を請われていた。なにせ多額の資金を投じて企画された新設レースの初回だ。ここでしくじれば三年の準備が全て水の泡。参加権獲得のため実績作りに励んでいるウマ娘たち以上に、レースを運営するURA側も必死だった。出来る限り盛り上げる必要がある。トレセン学園の顔でもあるルドルフに白羽の矢が立つのは必然であった。

 そしてそれは、もう一人の三冠ウマ娘であるミスターシービーも同じことだろう。世間ではなにかと面白くない噂が立っているが、やはり彼女も抜きん出た実力者の一人としてオファーを受けているはずである。

 

 ただし今のシービーが出走を表明するか否か。吉田トレーナーとの再契約の噂を聞いたルドルフは最初こそ密かに喜んだが、後になって仮契約と知り一抹の不安を抱えていた。

 

 ルドルフの脳裏に過るのは先の天皇賞春のこと。最終コーナーでまくって上がり一度は先頭に立ったミスターシービーを、その後、直線で抜き返した。

 すれ違う時、僅かに見えた彼女の横顔が、ルドルフの頭から離れない。悔しさも焦りも無い、レースの熱が抜け落ちてしまったかのような、無機質なその顔が。

 

「また怖い顔してるわよ」

「……度々、申し訳ないな。少し疲れているのかもしれない」

「あなた今日は朝練の時から調子良かったじゃない。寝不足って顔でもないわよ」

 

 マルゼンスキーの鋭い指摘を受け、ルドルフは押し黙った。確かに、身体の健康に関してはすこぶる好調である。完全無欠の生徒会長は健康管理においても抜かりは無かった。

 

 しばらくの沈黙の後、ルドルフはため息を一つこぼして言った。

 

「もしもシービーが引退したら、私は少なからずショックを受けるだろう。今だってもう一度本気の彼女と競いたいと思っている。だが、それはあくまで私情だ。私の行く道には関係無い」

「そう……でもやっぱり寂しくなるわよね。これからのレースに、もうシービーが出ないかもしれないなんて」

 

 ルドルフは肯定も否定もしなかった。誤魔化すようにコーヒーに口をつける。

 

「ルドルフは出るのよね、URAファイルズ」

 

 マルゼンスキーの質問に、ルドルフはしっかりと頷いた。そこだけは譲らないと固い意志を示すように。

 

「当然だとも。これから学園の顔にもなる大切なレースなのだから。私は出場するし、必ず勝利するさ」

「そうじゃなくて……あなた自身は出たいと思っているの? 出場して走りたいって、そう思えている?」

「……ああ、もちろん」

「なんだかね、私は最近心配よ。ねえルドルフ。あなたが最後に自分のためだけに走ったのって、いつなの?」

 

 生徒会室の窓から差し込む陽光は僅かに傾き始めている。もうじき昼休憩の終わりを告げる予鈴が鳴るだろう。

 

 結局ルドルフは最後の質問に答えぬまま、ぬるくなったコーヒーを飲み干した。

 

 

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