立ち上がれ、ミスターシービー   作:ふーてんもどき

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四話:それぞれの煩悶

 

 

 

 吉田とミスターシービーが理事長室に入ると、すでに会議特有の物々しい雰囲気が漂っていた。

 上座に座るトレセン学園理事長秋川やよいに着席を促されてから、二人は理事長と向かい合う形でソファに腰かけた。トレーナー室にあるものとは明らかに違う高級な質感に「おお」とシービーは思わず小声で感嘆する。

 

 本校舎の最も高い場所にあり、大きな窓からはトレセン学園が誇る雄大なターフと、そこを走るウマ娘たちの姿を一望できる理事長室。そこには今、錚々たる面子が揃っている。

 理事長である秋川やよいと、その秘書の駿川たづなは言わずもながな。数々の実績を残してきた最古参トレーナーの吉田と、彼の担当ウマ娘であり三冠バのミスターシービー。

 さらには生徒会長のシンボリルドルフと、彼女が所属する現No.1チーム・リギルの元トレーナーである老婆までもが鎮座していた。

 

「東条、なんで君が」

 

 吉田はシンボリルドルフの横にいる老婆に声をかけた。

 彼女の名を東條銀という。東条家と言えば桐生院家にも引けをとらないウマ娘育成におけるトレーナー業の名門であり、本家の人間が今までに何名もURA幹部に就任している実績を誇る。

 そんな中で東条銀は「ウマ娘を育てる以上に価値あることは無い」として、家の者たちにURAの管理職に行くよう促されても頑なにトレーナー業を続けた。

 吉田とは同期の桜。すでに定年は超えている。ジャージ姿であろうと、最強のチームであるリギルの基盤を作り上げた老体からは吉田に勝るとも劣らない貫禄が滲み出ていた。

 

「この子の付き添いさね。うちの孫娘はまだ自分の仕事で手一杯なもんで、あたしが駆り出されたってわけさ」

 

 銀に『この子』と呼ばれたシンボリルドルフが畏まって吉田に頭を下げる。

 孫娘というのは東条銀の後継としてリギルを引き継いだ東条ハナのことだ。言わずもがな東条家の一員であり、難関として知られる国家資格、中央トレーナーライセンスの筆記試験において満点を叩き出した才媛として名高い。なおかつ試験の評価に驕らない気概の持ち主で、祖母である銀の元でサブトレーナーとして働き、長い下積み期間を経てようやく正式にリギルのトレーナーの座に就いた。

 十人以上のウマ娘の世話を一手に引き受けるその管理能力は素晴らしいの一言に尽きるが、本人に面と向かってそう褒め称えれば「祖母にはまだ及びません」と真摯かつ冷ややかな答えが返ってくるだろう。

 

「すみません、吉田トレーナー。理事長がミスターシービーのことについてあなたと話をされると聞き及びまして、不躾ながら私も意見を交換したいと思い、同席させていただく運びとなりました。急なことでしたので、正確な連絡が行き届かなかったことについては何卒ご容赦ください」

 

 シンボリルドルフが滔々と淀みなく、まるで事前にカンペでも用意していたかのように述べる。吉田は「そうかい」と頷いた。

 見ると秋川やよい理事長は笑顔を浮かべながら『許可!』と書かれた扇子を広げて頷いている。この場を取り仕切る彼女が他者の同席を許している以上、吉田からも特に何か言うことは無かった。

 

 ちらりとルドルフの視線が横に流れ、吉田の隣にいるシービーに向く。それに気付いたシービーはにこやかに笑ってひらひらと手を振った。

 ルドルフはなんと返したら良いのか分からなかったようだった。シービーと同じように手を上げようとして、あまり馴れ合う場でも無いと思ったのか咄嗟に引っ込め、ただ曖昧に微笑んだ。

 

 余裕を持った対応をしたように見えたシービーだったがその実、彼女も動揺していた。密かに吉田のジャケットの裾を引っ張って「なんでルドルフがいるの!」と言外に抗議する。無論、そんな抗議は吉田に黙殺されてしまったが。

 

 やや気まずい空気の中で、秋川理事長だけは学園が誇る二人の三冠ウマ娘を前にしてにこにこと柔和な笑顔を浮かべている。

 

 秋川理事長の話はシンプルだった。ミスターシービーにURAファイルズに出て欲しいというものだ。シンボリルドルフは既に出走を決定していることが吉田とシービーに伝えられる。

 

 三冠ウマ娘対決。四度目ともなり多少マンネリ気味ではあるが、運営側はどうしてもそれをURAファイナルズの売りにしたいらしい。すでに広報部の方ではルドルフとシービーを前面に押し出した広告を作成し始めているとのことだ。「まだこちらは出走を決めてもいないのにそれはどうなんだ」と吉田。

 秋川理事長もその意見に大いに賛同しながら、しかしURA本部の意向だから無碍には出来ないと言う。どれだけ大きな組織でも、上が幅を利かせて勝手を通すところは変わらない。

 

「さしあたって吉田トレーナーとミスターシービーさんには正式な担当契約を結んでもらいたいのですが、いかがでしょうか」

 

 秋川理事長に代わって概要を説明していた駿川たづなが問いかける。

 吉田は何も言わずにシービーの答えを待つ。

 トレセン学園はウマ娘第一主義だ。トレーナーが口を出すことはあれど、出走するレースを選ぶのも誰と担当契約を結ぶのかも、最終的な決定権はウマ娘本人に委ねられている。

 

 僅かな沈黙の後、シービーは変わらず余裕をもった笑顔を浮かべて答えた。

 

「すみません。まだなんとも言えないんです。足が万全じゃない状態で、ちゃんとした復帰の目処も立っていないですし。そんな中で契約をしたらトレーナー……吉田さんにも迷惑をかけてしまうと思いますから」

 

 つまるところ返事は保留ということだ。

 予想していた回答だったのだろう。秋川理事長もたづな秘書も、重ねて出走登録を迫ることはなかった。吉田と東条銀の二人も難しい顔をしてはいるものの口は閉ざしている。

 

 ただ一人、シンボリルドルフが挙手をして理事長に発言の許可をとった。

 

「シービー、私からもお願いする。どうかURAファイルズに出てくれないか」

 

 そう言って頭を下げるルドルフ。固い声色には学園を盛り立てていくことを誓った生徒会長としての責務が滲んでいる。

 

「出場して、私とまた走って欲しい。本大会は今まで注目度の低かったダートや短距離レースも脚光を浴びる絶好の機会だ。必ず成功させなくてはいけない。君の圧倒的な末脚が必要なんだ」

「ルドルフは大会を盛り上げるために走るの? それってなんだか面白くないね」

 

 シービーはそっぽを向き、鼻で笑うように言った。

 

「面白いかどうかという次元の話じゃない。私たちは先駆者として、後に続く者たちに追うべき背中を見せなければいけないと、そうは思わないかい」

「思わない」

「シービー……」

 

 高い理想をにべもなく否定されたルドルフの口が微かにわななく。同志に裏切られたような屈辱を受けながらも、決して怒りを露わにしないのは彼女の生来の優しさであり、皇帝や生徒会長といった肩書きから来る自負心の為だった。

 

「……ルドルフはさ、誰のためにレースやってる?」

 

 シービーが流し目を送る。

 

「無論、皆のために」

「そう……まあそう言うよね、ルドルフなら。でもごめん。私にはさっぱり分からないよ、その感覚」

「っ……!別に私は、理解を強要したりは……!」

 

 思わず立ち上がりそうになったルドルフの肩に、東条銀が手を置く。二人の若いウマ娘のやり取りを静観していた老婆はただ一言「落ち着きな」と言い、腰を浮かせかけていたルドルフを座らせた。

 

 本来の議題から逸れてヒートアップしそうになっていた自分を鑑みて、ルドルフは肩身が狭そうにしながら「申し訳ありませんでした」と周りに謝った。

 そのしおらしい姿は、いつも彼女が表に見せている凛々しい皇帝の印象とはまるで違う。他生徒が見れば驚くべき光景だろう。事実、ここ一年においてどれだけ理不尽な要件に振り回されようと、ルドルフが今のように取り乱しかけたことは無かった。

 

 そうやってルドルフが頭を下げる一方で、シービーも気まずそうに目を逸らしたままだった。行き場を失った視線がどこを見るでもなく宙を泳ぐ。

 それに助け舟を出したのは吉田だった。

 

「まあ理事長。シービーもこう言っていますし、もう暫く猶予を貰えませんか。当面は治療に専念したいということもありますから。病院からはあと一ヶ月もせん内に走れるようになるだろうと言われているので、これからのことを考えるのは完治を待ってからでも遅くはないと思いますが」

 

 落ち着いた吉田の説得に秋川理事長も納得し、URAの理事会にもそのように掛け合ってみるとのことで、話はひと段落した。学園内の有力者が集まった物々しい会議の割には実にあっさりとした幕引きであった。元々、URAから催促されたというだけで秋川理事長本人としては療養中のシービーにあまり無理強いをしたくはなかったのだろう。

 

「秋川理事長。URAの方には私からも口添えしておくよ。理事会のジジイどもは頭が固いからね」

「感謝! 恩に着ます、東条トレーナー!」

 

 東条銀は家の伝手で一般のトレーナーよりもずっとURAと深い繋がりがある。年若い秋川理事長だけでは説得に何かと苦労するだろうと考えての心遣いだった。

 自分たちでは決して頭の上がらない重役たちをつかまえてのジジイ呼ばわりに、理事長の側に控えている駿川たづなは冷や汗を流していたが。

 

 ふと、東条が吉田に視線を向けた。学生時代から何十年と競い続けてきた二人の目と目が合う。東条はさりげなく口元に手をやってジェスチャーを送る。今夜一杯付き合えという合図だ。吉田は怪訝そうにしながらも小さく頷いた。

 

 それから間も無く吉田とシービーは退室していった。去り際、ルドルフは何事かを言おうとして、しかし何も言えず、最後までシービーと目を合わせることもなかった。

 

 その後、URAへの報告に関して理事長と東条銀が二言三言話し合い、ルドルフと東条の二人も理事長室をあとにした。

 廊下を歩いている間も悩ましげな顔をしている教え子の様子を横目に見ながら、東条は慈母のように微笑んだ。

 

「気にすることは無いよ、ルドルフ。色々思うことはあるだろうけど、あんたはこれまで通り立派にやれば良い」

「……はい、ありがとうございます。トレーナー」

「元トレーナーだよ」

「すみません。癖が未だに抜けなくて」

 

 他愛もないやり取りをしてようやく強張っていた気が抜けたのか、ルドルフは苦笑した。それでもまだ彼女の憂いは晴れていないようだった。

 

(仕方のない子だよ、全く)

 

 東条銀は心の中で呟きつつ、今晩の吉田とのサシ飲みについて考えを巡らせていた。

 

 

 

 

 理事長での一件の後、シンボリルドルフは生徒会室に顔を出して平然と仕事をこなし始めた。副会長のエアグルーヴがお疲れではないかと心配してきたが、いつものように笑って流し、隙のない生徒会長として振る舞う。

 

『ルドルフは誰のためにレースやってる?』

 

 筆を動かしながらも、ルドルフの脳裏には先ほどのシービーとの会話か繰り返されていた。

 皆のため、と常に用意している言葉が口をついて出た。それが偽らざる本心であると改めて自己認識する傍ら、本当にそれだけなのかと問いかけてくる自分がいる。

 

 正直に言うと、分からないというのが本音だった。

 どうすれば矛盾や過不足なく心の内を言葉に出来るのか、ルドルフには分からなかった。

 

 半ば無意識にシービーが納得出来るだろう台詞を捻り出そうとして「バカなことを」と自分を叱る。

 上辺だけを整えた偽りの言葉に人を納得させる力など宿らない。これまで生徒会長として獅子奮迅の活躍をしてきたルドルフは、学生の身でありながらそのことを深く理解していた。

 しかし、ならば彼女の問いにどう答えれば良かったのだろう。そんな堂々巡りの問答がいつまで経っても頭から抜けない。

 

『最後に自分のためだけに走ったのはいつなの?』

 

 以前、マルゼンスキーに言われたことまでもが思い出される。あの質問にも答えることは出来なかった。今も納得のいく解答は出せていない。そもそも自分のために走る必要があるのか、と皇帝としてのシンボリルドルフが問い詰める。

 

 全てのウマ娘のために。

 その理想だけを追えばいいではないかと。

 

 そんな自問が浮かび、ルドルフは呆れたように鼻で笑った。

 

(だとしたら可笑しな話だ。今日の私はなぜ、あんなことをシービーに言ったのだろう。後輩を導く義務が我々にはあるなどと。まるで彼女が走らないことを責めているみたいじゃないか。強要するつもりなんてなかったのに、なぜ……)

 

 つい先程の理事長室でのことを思いながら、ルドルフは鬱々とした気分になる。最初は生徒会長らしく、毅然とした態度でシービーと理事長の間に立つつもりで参加したにも関わらず、どうしてああなったのか。もっと言いようがあっただろうかと後悔せずにはいられない。

 

 ルドルフは書類仕事を黙々とこなしながらもシービーについて考えを巡らせる。

 

 ミスターシービーが三冠を獲った年、彼女より一年遅くデビューしたルドルフはまだジュニアクラスにいた。

 決して誰にも漏らしたことなど無いが、当時のルドルフには常に緊張が付き纏っていた。

 

 選抜レース以前から引く手数多だったルドルフは結局、専属トレーナーを持たず最強チームと名高いリギルに所属することを決めた。ウマ娘たちの象徴となるべくクラシック三冠を当面の目標として掲げていたルドルフにとって、間違いなくそれが一番の近道だった。

 そう。デビューする前、ルドルフは既に三冠制覇を各メディアに大々的に宣言していたのだ。それも最終目標ではなく、あくまで最低限の目標。通過点として。

 もう後には引き返せなかった。ルドルフは自分の才能と努力を正しく評価し自信を持っていたが、その反面で、やはり十数年も三冠を達成した者がいないという事実が目の前に立ち塞がっていた。数多のウマ娘を阻んできた絶壁。その高さはこれまでのレース史が十分過ぎるほどに示している。

 しかし、だからこそルドルフはそれを乗り越えなければならなかった。我々は前に進むことが出来るのだと、手の届かぬ夢など無いのだと証明するために。

 三冠を獲り、シンザンの五冠すら追い越して未来を切り拓く。それこそがシンボリルドルフが己に課した責務である。

 

 ルドルフは思い返す。

 ここまで来るのも決して楽な道ではなかった。仰々しく大口を叩いておいて達成出来なかったら、自分は今後どうなるのか。夢は潰えるのか。そんな不安ばかりが募る時期もあった。特にクラシックを控えたジュニア期などは満足に食事が喉を通らない日もあったほどだ。

 

 私は本当になれるのだろうか。ずっと現れなかった三冠ウマ娘に。

 

 心の奥底に抱えていた不安は、しかし、1人のウマ娘の前に払拭されることとなった。三人目の三冠ウマ娘の称号はシンボリルドルフではなく、ミスターシービーという同年代のウマ娘の手に渡った。

 

 ———届いた。三冠に届いた。

 

 当時、波乱の菊花賞を手に汗握る思いで見守っていたルドルフは、一着でゴールし高々と拳を突き上げるシービーに目を奪われた。

 

 ———自分だって。

 

 熱い思いが込み上げるのと同時に、それまで感じていた不安や重圧は夢か幻のように霧散してしまった。どこまでも自由な掟破りのウマ娘が、前を塞いでいた壁をいとも容易く打ち砕き、その先に続く道を示してみせたのだ。

 

 ルドルフは思い返す。

 あの時、自分が掲げる理想の一端を、他でも無いミスターシービーに見たのだと。クラシック三冠をかけた戦いの中で確かに、私はあの飄々とした黒鹿毛の背中を追っていたのだと。彼女の不思議なカリスマ性に惹かれたのは、決して自分だけではないはずだ。

 

(やはり今のレース界にはシービーの存在が必要不可欠だ。今日は迂闊だったが、私の意思は変わらない。また日を改め、今度は彼女と面と向かい合う形で……)

 

「……長。会長」

 

 横からかけられた声に、ルドルフは思考の海から抜け出た。見るとエアグルーヴが心配そうな表情で側に立っていた。

 

「こちらに記入漏れがあります。それと、これは誤字だと思うのですが……」

 

 さっき終わらせた書類がいくつか手元に戻ってくる。普段なら絶対にしないような凡ミスばかりだ。ルドルフは羞恥に頬を染め、謝りつつそれを受け取った。

 

「会長、お疲れのようでしたら今日はもう休まれては」

「いいや。大丈夫だとも。少し考え事をしてしまっていてね。けれどある程度の結論は出た。今からはちゃんと集中して、机の上の仕事くらいは片付けて帰るさ」

 

 エアグルーヴは多忙を極めるルドルフのことを普段から何かと心配している。そんな彼女を安心させるよう笑いかけ、ルドルフは再び書類に向き合った。

 頬を叩いて気持ちを切り替える。仕事をこなす手際にもう迷いはない。生徒会長としてのシンボリルドルフは今日も快調だった。

 

 

 

 

 都心の街中。とあるビルの上階にひっそりと店を構えているバーがある。吉田がその扉を開くと、カウンター席に座る一人の先客がこちらを見てグラスを掲げた。

 

「遅くなってすまんな東条。次の講演会の資料をまとめていたもんだから」

「構わないよ。一人でちびちび楽しんでいたさ」

 

 吉田が東条銀の隣に腰掛けると、注文するよりも早く一杯のカクテルが出された。行きつけのバーのマスターは、吉田が一杯目に必ずソルティドッグを頼むことを知っている。

 塩がまぶされたグラスの縁に口をつけてカクテルを飲む。そうして一息ついたところで吉田は東条に話しかけた。

 

「珍しいな。最近では東条から飲みに誘うことなんて無かったのに」

「なに、気が向いただけさ。ハナにリギルを託してから私も色々と思うところがあってね」

「不安かい」

「まさか。あれでも私が出来る限り鍛え込んだんだ。あんたんとこのチームにだって負けやしないさね」

 

 吉田と東条のチームは常に頂点をめぐり競い合っていた。吉田の後を継いだ男は普段の言動こそちゃらんぽらんで金にもだらしない所があるが、ウマ娘を想う気持ちは人一倍強い。

 突飛な思いつきが多く、ツイスターゲームを練習メニューに組み込んだり合宿メニューでトライアスロンを提案したりと、昔ながらのやり方を極めてきた吉田とは対極の育成方針。

 だからこそ彼なら新しい時代を牽引し、チームを任せられると吉田は信じている。

 

 自分のチームに対する想いは東条銀も同じなのだろう。自慢げに語る彼女は「ただ……」と続ける。

 

「心配があるとすればルドルフだね。あの子は手がかからなさすぎる」

 

 リギルが入部希望の新入生に課すレース形式の試験をシンボリルドルフは難なく突破した。当時のことについて東条銀は述べる。あの時点でルドルフの走りは既に完成していたと。

 

「教えることが無いし、仮にあったとしてもすぐにものにしちまう。トレーナー泣かせな子だよ」

「いいじゃないか。才能があるに越したことはない」

「どうだかな。何でも出来る分、溜め込むこともあると思うんだがね。ハナの奴が根っからの管理したがりなんで、昔は折り合いも良くなかった。ルドルフが入った当初は私も苦労させられたもんさ」

 

 東条がため息混じりに言う。文句のようにも聞こえるが、その口調には孫娘や担当したウマ娘への慈しみが込められていた。

 

「あんたんとこのトレーナーはどうなんだい。ハナの同期らしいが、仲が悪いのかハナの奴に聞いてもあまり答えないんだ」

「そうなのか? こっちの方では仲が悪いといった話は聞いていないが。むしろ君のお孫さんを尊敬しているようだったよ。あの徹底主義は自分には真似できないってね」

「へえ。それハナに伝えとくよ。陰で喜びそうだ」

「すれ違わんように、二人で話す機会があればいいんだがな。今度この店でも紹介してみるか。俺たちのように常連になるかも」

「いいかもしれないねぇ」

 

 二人の老人は静かに語り合いながら酒を酌み交わす。

 学園のこと、チームのこと、自分たちが育てたトレーナーのこと。何十年も積もった経験はいくら掘り返しても尽きることがない。

 そうして話題は自らの過去のことに流れていった。

 

「うちの若造が言うんだ。俺は最高のウマ娘を育ててみせる、とね」

 

 何杯目かになるカクテルを飲みながら吉田が言う。酔いが回ってきたのか顔が少し赤い。

 

「あんたと随分似た口じゃないか。専門学校の頃、三冠ウマ娘三冠ウマ娘って、あんたがしょっちゅう騒いでいたのを思い出すよ」

「トレーナーなんて最初は皆そんなものだろう。俺も若かった。今ではすっかり丸くなったがね」

「けっ、どこが。チームを引き払ったと思ったらちゃっかり他のウマ娘を捕まえて、しかも念願の三冠まで獲った男がよく言うよ」

 

 呆れたように言う東条に、吉田は照れ隠しに笑いながら頭を掻く。

 

「はは、いやあ、彼女には三冠を獲らせようなんて思っていたわけではないんだ。ただ学園のそこら中で楽しそうに走る姿に目を奪われてね。気付いたら向こうから契約を持ちかけられていた」

 

 当時のことを懐かしむ吉田の声。

 三年前、走るために生まれたような子だと、ミスターシービーを初めに見た吉田はそう思った。ウマ娘というのはそれ自体が走ることに特化した身体をしているわけだが、多くのウマ娘を見てきた吉田をして、ミスターシービーの走りは特別に見えた。

 

 最強のウマ娘を育てる最高のトレーナーになる。若かりし頃、その意気込みを胸にトレセン学園にやって来た吉田も数多くいるトレーナーと同様にウマ娘との関係に悩み、己の理想との違いに葛藤し続けてきた。

 大抵のトレーナーは年月を経れば経るほど単純な勝利ではなく、ウマ娘の幸せを願うようになる。吉田もその例に漏れなかった。三冠制覇を夢見るあまり傷付けてしまったウマ娘もいる。そんな過去の反省があって、老練の吉田はシービーを見守ることに徹していた。

 

「我儘で奔放な子だよ。大人しく指示に従ってくれることもあれば、晴れてるから山に行きたいとか言って聞かないこともあった。そっちのシンボリルドルフとは違った意味でトレーナー泣かせだったな」

「知ってるよ。有名だからね、あんたらは。ルドルフが「シービーはあれでレースに間に合うのでしょうか」って何度も心配して聞きに来たよ」

「俺だって心配はしたさ。でもそれで勝ってしまうんだ。びっくりするよ本当に」

 

 吉田が何気なく自分の懐に手を入れる。取り出したのはラミネート加工された一枚の写真だった。彼の趣味であるカメラで撮ったお気に入りの一枚なのだろう。写真を見つめる彼の顔は穏やかだった。

 

「あの子はなんと言うか、他とは違う。比べにくいのさ。だから見極めづらい」

 

 吉田の手元の写真をちらりと見ながら、東条は目を細める。酒が入っているにも関わらず、シワの寄った目元は真実を見透かすように鋭利だった。

 

「で、どうなんだい。そのシービーの調子は」

 

 聞かれて、吉田は酒を多めに口に含んだ。アルコールで、喉の奥まで出かかった感情を押し流すように。

 

「悪くはないよ。回復も順調だ。今日も理事長室までエレベーターを使わず階段で上ったくらいだしな」

「あの子のエレベーター嫌いは相変わらずかい」

「性分だな。相手の出方を見てじっと待つのが耐えられんらしい。思えばあいつにゲート練習をさせるのが一番難しかったなあ」

 

 今のレース界隈では先行策が主流だ。スタミナを保持しつつ好位置を争う。先行策が戦術として有効であることはシンボリルドルフやカツラギエースといった強者たちが証明している。

 そんな中でシービーが最後方からの追い込み一本でやってきたのにはそれなりの理由がある。

 スタートが上手いか下手か。ゲートが開くと同時に飛び出して良いポジションを確保できるか。その点においてシービーは下手の部類だった。いわゆるゲート難である。

 ジュニア期、出遅れが目立ったシービーだったが、天性の末脚によって勝利を拾っている。吉田はそれを逆手に取り、馬群での争いを避けて後半一気にまくり上げる追い込み戦術の可能性をシービーに見た。

 その成果がクラシック三冠であり、その弊害がここ最近の黒星であることは言うまでも無い。ルドルフらを始めとした、シニアに入って熟した先行ウマ娘たちに対して、最終直線での伸びが要となるシービーの追い込みでは今一歩のところで及ばないのだ。

 

 ただし、今は戦術やスタートの良し悪しがどうこう以前に、シービーに走る意欲が残っているかという問題があるわけだが。

 

「あんたは、シービーに走れとは言ってないんだね」

 

 東条は確信めいた口調で聞いてきた。

 

「今が選手としての山場だろう。今日の様子じゃ本当に仮契約以外のことはしていないみたいじゃないか。早いうちに色々と話し合っておいたらどうなんだい」

「人に指図されたところで、はいそうですかと言いなりになる子でもないからな。それに俺はあくまで、あの子の意思を汲むに過ぎんよ」

 

 どこか諦念を滲ませて言う吉田に、東条は面白くないとでも言うように鼻を鳴らした。

 

「あんたいつもそうだ」

「ん?」

「意思を汲むと言えば聞こえは良いが、肝心なところで相手の出方を見て顔色伺って……そういう態度が相手を一番困らせる」

 

 東条が酒を飲み干し、タバコを咥えて火をつける。おかわりを伺うマスターに手を振って今日はもう十分だと伝える。

 

「本当にあの子のことが好きなら強引に抱きしめてやるくらいで良いんだよ。愛してやる気が無いなら、一切合切手を引くんだね」

 

 落ち着いた内装の店内に煙がくゆる。

 火を分けてもらった吉田は何を言い返すわけでもなく俯いて、東条の言葉を噛み締めるようにタバコを吸う。

 いつもより辛い煙が肺を満たした。

 

 

 

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