騒音の絶えないゲームセンターの一角で、ミスターシービーはゲームに興じていた。一人きり、帽子とサングラスで変装をしてのお忍びでの外出である。
オンライン対戦のできるレーシングゲーム。
コーナリングでも加減速でも些かのミスさえ無く、シービーはぶっちぎりでゴールした。後ろで見守っていた見物客たちは圧巻のプレイに舌を巻いている。
「すげえ、ハイスコアだぜ」
「尻尾があるからウマ娘なんだろうけど、見ない顔だよな。お前知ってる?」
「いや知らん。ユーザーネームもほら、ただのゲストプレイだし」
「トレセン学園の子かなあ。ちょっと声かけてみるか」
「高嶺の花すぎんだろ。止めとけって」
リザルト画面にランキングが表示される。その一番上にシービーの記録が載る。さらに二位から五位までも連続して『guest』の名前とそのタイムが表示されている。今日のうちにシービーが塗り替えたのだ。
色めき立つ周囲の反応とは対照的に、シービーはつまらなそうにため息をついて席を立った。ナンパ目的の男たちが声をかけようかどうか迷っている内にスタスタと歩いて店から出てしまう。
昼間の街中は歩くだけで汗が滲む。梅雨入りが近付き、気候はすでに夏の様相を呈していた。
他のゲームセンターやカラオケ店、ウマスタグラムで話題になっているお洒落な喫茶店を眺めながら、シービーはあてもなくほっつき歩く。持て余した暇を潰そうにも、思いつく遊びはあらかたやってしまった。
今年も海へバカンスにでも行ってみるか。仮契約では合宿の許可は取れないので自腹での旅行になるが、誰に迷惑をかけるでもなし。人気の少ない静かなビーチでも探してみようかしら、とシービーは考える。
結局、街の中で適当な暇潰しができなかったシービーはトレセン学園に戻ってきて、なんとなく吉田のトレーナー室に訪れた。
ドアノブを捻ってみれば鍵はかかっていない。垂れ気味だったシービーの耳が僅かに上向いた。
こほんと咳払いを一つして、勢いよく扉を開ける。
「やっほー。遊びに来たよー……あれ?」
明るい声で部屋に入ったシービーが固まった。
トレーナー室にいたのが吉田老人ではなく、生徒会長のシンボリルドルフだったからだ。
「やあ、シービー」
いつもシービーが寝転んでいるソファーに行儀良く座っているルドルフが穏やかに声をかけた。
シービーは驚きや戸惑いを押し殺し、努めて余裕のある笑顔で返した。
「なんでルドルフがここに? トレーナーは?」
「君に用事があって探していたんだ。学園内を一通り回った後にここを訪れたら、トレーナー会議に向かう途中の吉田さんと出会してね。シービーなら来るはずだからと云うことで、ここで待つ許可を貰ったのさ」
言われて、シービーは携帯を確認した。何人かの友人から「会長が探してたよー」というメッセージの通知が来ている。
滔々と語るルドルフは陶磁器のカップを持ち、紅茶をすする。見ると机にはポットや茶菓子なども用意されている。
生真面目なルドルフが他人の物に勝手に手をつけるはずもない。待つ間自由にして良いと、吉田が用意したのだろう。
その事実がシービーの心に僅かな波風を立たせる。
「で、用事って?」
「二つある。一つは生徒会長としての小言だ。最近、授業にちゃんと出席していないらしいじゃないか。君のことだ。単位は計算しているんだろうけど、トレセン学園は文武両道を校訓としている。生徒である以上は、出来るだけ真面目に参加して欲しい」
「ああ、うん。ごめんごめん」
ひらひらと手を振って全く悪びれずに謝ったシービーに、ルドルフが目を細める。
「ちなみに、今日はどこへ行っていたんだい?」
シービーの手が上がったまま、一瞬固まる。失った行き場を求めるように長い黒髪を弄り始める。
「ゲーセンだよ。ゲームセンター。でもまあ思ったよりつまんなかったから止めてきたけどね」
「そうか、ゲームセンターか。私は行ったことがないな」
「だろうね」
「……」
「…………」
会話が長く続かない。
気まずい空気の中、お互いに微笑みを張り付けている。
「で、もう一つの用事って?」
シービーはルドルフの隣に座った。茶請けのクッキーを一つ摘んで食べる。
「これが本題なんだが」
聞かれて、紅茶を飲みつつ考えるように一拍置いてから、ルドルフは口を開いた。
「生徒会長としてではなく、私個人としての用件。と言うよりはお願いだ。もちろん聞き入れるかどうかは君の自由だが、私としては」
「回りくどいのは好きじゃないの。ハッキリ言って」
いつになく長いルドルフの前置きをシービーがばっさりと切り捨てる。ルドルフは表情を崩さなかった。ただ僅かに耳を垂れて「すまない」と言った。
「今月、エキシビジョンマッチのレースが行われるだろう」
「あるね。そういえば」
気のない返事をするシービーに、ルドルフはぐっと喉奥で唾を飲み込む。
「そのレース、私の応援に来てくれないか」
シービーは思わず振り向いて目を瞬かせた。
てっきり出走してほしいって言われると思っていた。顔にそう書いてある。
「いやいや、私が行かなくてもルドルフを応援してくれる人は文字通り五万といるでしょ。そもそも応援なんかなくたってエキシビジョン程度、絶対に勝つに決まってるって」
「私がそうして欲しいんだ。他の誰でもない。シービー、君に観に来て欲しい」
強い意思の宿ったルドルフの瞳がまっすぐにシービーを見つめる。有無を言わせぬ眼力。
相手の真意を探るように見つめ合うこと数瞬、シービーは「わかった」と頷いた。
「いいよ、そこまで言うなら観に行く。特にすることもないし。場所は東京レース場だったよね」
「……ああ、ありがとう。感謝する」
あまりにもあっさりと了承されてルドルフは面食らった様子だったが、礼だけを言って立ち上がる。まだ紅茶が入っているポットはそのままに、自分が使ったカップのみを律儀に洗ってすすぐ。
「もう行くの?」
「用事は済んだからね。トレーナー会議もそろそろ終わる頃だろうし、私もこれからトレーニングがある」
ルドルフはそう言って自分の学生鞄を担ぎ、扉を押し開ける。
いそいそと出て行こうとした彼女は、しかし不意に足を止めた。
「私は先に行っているよ。シービー」
ウマ娘の耳にも聞こえないほど小さな呟き。ルドルフがぽそぽそと独り言を言ったようにしか聞こえかったシービーは首を傾げる。そんな彼女に振り返ることなく、ルドルフは今度こそトレーナー室を後にした。
残されたシービーは大きくため息をつき、ソファーに仰向けに寝転んで足を投げ出す。
ゲームセンターで吐いたものとは違う、憤懣やる方ない気持ちが込められた、長く重いため息だった。