立ち上がれ、ミスターシービー   作:ふーてんもどき

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七話:挫折

 

 

 

 その日の空はよく晴れていた。先日の雨で馬場こそ稍重なものの、レース観戦には絶好の日和である。

 

 メインレースは十一番目の発走になるが、それを待たずして既に客席は賑わっている。

 正午過ぎに行われる特別枠、トレセン学園生徒会主催のエキシビジョンマッチがあるためだ。特設会場で行われるウイニングライブも含めたその催し物を見るために集まった人は多い。

 

「さすが指定席。見晴らし良いねぇ」

 

 椅子に腰掛けたシービーが言う。トレセン学園の制服ではなく、夏らしいラフな私服姿だ。

 彼女の隣に座る吉田はタバコが吸えず口寂しいのか飴を転がしている。

 

「久しぶりだな、シービーからレース観戦に誘われるのは。しかも指定席のチケットまで取っておくなんて。君にしては珍しいじゃないか」

「うん、まあ、知り合いから貰ってさ。それよりもほら、レースの予想でもしようよ」

 

 シービーは売店で買った情報誌を広げて見せる。次走、メインレースに勝るとも劣らないエキシビジョンの予想が載っているページを開く。

 そこには当然のごとく一番人気かつ専門家の◎三つを全て独占したシンボリルドルフの名前があった。予想も何もあったものではない。

 話題の出鼻を挫かれたシービーは苦笑いしつつ情報誌を閉じた。

 

 スピーカーから次のレースの案内放送が流れる。控室で準備を終えたウマ娘たちが続々とターフの上に姿を見せ始めた。

 総勢十八名。

 その中でも一際目立っているのは言わずと知れた五冠の皇帝、シンボリルドルフだ。ファンサービスで彼女が手を振れば、観客席からはどっと歓声が沸き上がる。

 今や日本が国を挙げて誇る大スターの姿を、ミスターシービーは静かに見つめていた。

 

 しばらくしてウマ娘たちはスタート地点にあるゲートへと向かって行く。流石に生徒会が選りすぐっただけのことはあり、今からシンボリルドルフと戦うというのにどのウマ娘も萎縮するどころか闘志を漲らせている。

 

「ねえ。トレーナーはさ、また私に走って欲しいと思う?」

 

 ぽつりと口を突いて出たシービーの質問に、吉田は穏やかな声で答えた。

 

「もちろん。私は君の走りに惚れ込んだ一人だからね。ファンとして、トレーナーとして、君が走っている姿を見ていたい」

 

 聞くまでもなく知っていた答えだ。シービーは曖昧に微笑む。

 

 吉田は「でもね」と言葉を続けた。

 

「私はなにも、君が勝つことで優越感や満足感を覚えたいと思ったことは一度も無いよ。ただ君に幸せでいて欲しいだけなんだ。レースで走ろうと、野原を駆け回ろうとね」

「じゃあ……私がもうレースで走らなくなっても良いの?」

 

 ずるい質問だと分かっていながら、シービーは吉田に聞いた。聞かざるをえなかった。

 

「それは君が決めることだ、シービー。どこで走り何に幸せを見出すのか。そればかりは誰も答えてなどくれない。君が決めなければならないんだ」

 

 シービーは目を見開いた。

 吉田がこんなにもハッキリとした正論を突きつけてきたことは今までなかった。

 

 隣でターフを見つめる吉田。その顔は自分を甘やかしてくれる好好爺のものではなく、真にウマ娘の幸福を思う者の真剣さがあった。

 

 

 各ウマ娘がゲートに収まりスタートを待つ。出走前のファンファーレが鳴り響く。

 

『今日の主役は彼女をおいて他にいません。シンボリルドルフ、一番人気です。期待通りの結果を出せるのか注目が集まります」

 

 司会が人気順にウマ娘を紹介していき、最後にルドルフの名が呼ばれる。

 ゲートの中で肩を回しながら気を高めているルドルフの瞳は完全に臨戦状態のそれだった。鋭く猛々しい強者の双眸。

 

 一瞬の静寂の後、ゲートが開け放たれ、ウマ娘たちが横並び一直線でスタートを切った。

 逃げの得意な二人のウマ娘がハナを奪い合いながらぐんぐんと伸びていく。三番手が少し後ろから先頭を追いかけ、さらにその後方内側にルドルフが控える形となる。

 

 進むにつれて十八人の列は縦長になっていく。逃げ二人が全くペースを緩めることなく後続を引き離しているからだ。

 

「大逃げだね」

 

 シービーが呟く。吉田は頷いた。

 

「シンボリルドルフに勝つための賭けだろうな」

「あれで勝てるかな」

「いいや、まず間違いなく最終コーナーで捕まる。シンボリルドルフの前にいる子は先行だが、逃げに引っ張られてやや掛かり気味だ。足は残らんだろう」

「じゃあ後ろの子たちは?」

「厳しいな。後ろからあの位置のシンボリルドルフを出し抜くには彼女より早くスパートを仕掛けるしかないが、それには尋常ではないスタミナが要る。どうやっても差し切れんはずだ」

 

 吉田の意見は正鵠を射ていた。

 レースがそろそろ終盤を迎える頃。第三コーナーを過ぎたあたりで力が尽きてきたのか逃げを打っていたウマ娘が垂れ始める。その反対に、機を伺っていた後続のウマ娘たちがペースを上げる。

 しかしそれに合わせてルドルフもまた徐々に位置取りを上げ始めた。

 

 直線を抜けて最終コーナーにさしかかる頃には前を走っていたウマ娘を次々に抜き去り、集団の先頭に立つ。

 

『さあいよいよ最後の直線。シンボリルドルフが先頭だ。やはり強いシンボリルドルフ。このまま決着がつくのか』

『完璧な試合運びですね。ここから彼女を差し切るのは至難ですよ』

 

 司会と解説がルドルフの実力に感嘆する中、その声をかき消すかのような歓声が上がった。

 一人のウマ娘が猛然とルドルフとの差を詰め始めたのだ。

 

 最後尾で足を溜めていたらしい彼女は、コーナーで大きく膨らみながらも瞬く間にバ群を抜いてシンボリルドルフに迫る。GⅠレースに出ても見劣りしないであろうその豪脚は残りニハロンでルドルフを射程圏内に収め、もう半ハロン進めば皇帝の影を捉える。

 

『シンボリルドルフ逃げ切れるか!?』

 

 ルドルフはふと目線を上に向けた。

 ほんの一瞬の誰にも気付かれない、レースにも影響しない刹那の出来事。

 しかし確かに、指定席からターフを見下ろすシービーと、レースで走るルドルフの視線は交わった。

 

 瞬間、シンボリルドルフは本気のスパートに入った。

 

 ストライドを極限まで広げ、芝を蹴り込む。極めて完成度の高いフォームの変形はまったくロスを生むことなく力の全てを加速に注ぐ。

 

 たったそれだけで勝負は分たれた。

 

 もはやシンボリルドルフの背中を追える者は誰一人としていない。追い縋っていたウマ娘も引き離されていく。汝、皇帝の神威を見よ、と言わんばかりの独壇場。

 

 シービーは椅子から立った。まだ続いているレースに背を向けて歩き出す。

 

「どうした、シービー」

「……ちょっとお手洗い」

 

 吉田が止める暇も無く、シービーは競バ場の屋内に姿を消した。

 

 トイレには向かわず、階段を降りていく。その途中で一際大きな歓声が聞こえてきた。どうやら決着がついたらしい。勝者が誰かは見るまでもない。

 

 外に出て、人がいる場所を避けるように競バ場の敷地から立ち去り、最寄りの公園に足を運ぶ。

 

 自販機で炭酸飲料を買ったシービーはベンチに座る。競バ場とは違って静かな場所だ。

 

 しかし目を瞑れば、先程のレースが脳裏に映し出される。克明に、まざまざと。

 

 さすがは五冠の皇帝。美しく、強い走りだった。

 

 

 

 ———ああ、敵わないなあ。

 

 

 

 

 

 

 

 レース中、ルドルフが上の方を見たのは全くの無意識であった。

 

 二人分の予約をとっておいた指定席。

 そこにいるミスターシービーの姿をみとめた瞬間、ルドルフの心は熱く燃えた。

 

 

 レースが始まる前、いや始まってからも一抹の不安がルドルフにはあった。もしかしたらシービーは来てくれないのではないか、という不安が。

 

 シービーは奔放だが約束を破るような傍若無人の徒ではない。来ると言ったからには来てくれるのだろう。

 そう信じてはいても、今のシービーから感じる儚さや危うさのようなものを思うと、ルドルフといえど心中穏やかではいられなかった。

 

 今日、シービーにレースを観に来てほしいと頼んだのはひとえに、彼女に立ち直ってもらいたかったからだ。

 

 しかしそれを言葉にしたところで、ルドルフの伝えたいことの半分も相手に伝わるかどうか。理事長室での会議の一件を経てルドルフは悟った。

 今のシービーに想いを伝えるには言葉では足らない。言葉では薄いのだ。

 

———我々はターフを走るウマ娘だ。どんな会話よりも雄弁に語らう方法がある。

 

———さあ、私の背中を見てくれ。クラシック三冠で私が君を追ったように、今度は私を追ってくれ。私はいつでもここにいる。逃げも隠れもしない。だから安心して追ってくれ。

 

 

 ルドルフは満願の思いでラスト一ハロンを駆け抜けた。迫っていたウマ娘に五バ身差をつけての圧勝だった。

 

 最後の直線での走りは自分でも満足のいくものだった。人の心を動かすに足るものであったと自負できる。

 

 歓声鳴り止まぬ客席に向けて手を振りながら、ルドルフはまた上を見る。

 

———どうだ。見ていてくれたか。

 

 

 しかしそこにシービーの姿はなかった。

 

 ついさっき、走っている時は確かに居たのに、いつの間にいなくなってしまったのか。

 

 ルドルフは少しの間、ファンに向けて手を振ることも笑顔をふりまくことも忘れて、シービーのいない指定席を見つめていた。

 

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