立ち上がれ、ミスターシービー   作:ふーてんもどき

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今回は漫画原作の傑作アニメ『ピンポン』の名言をかなり流用しています。これまでもしばしば使わせてもらっていましたが、今回は特に顕著です。出来る限りピンポンとウマ娘の双方をリスペクトし、自然に読めるよう丁寧に書いたつもりですが、もしもピンポンのファンで本作を読みご不快に思われる方がいましたら、誠に申し訳ありません。
ただ、自信作ではあります。


八話:誰よりも!

 

 

 

 そろそろ三十分は経つだろうか。

 

 レース場の外れにある公園の片隅で、シービーはぼんやりとしている。半分ほど飲んだサイダーは既にぬるくなってしまっている。シービーがブランコを漕ぐたびに金具がキイキイと鳴る。

 

 隣接するレース場の方からは新たに歓声が聞こえてくる。エキシビジョンマッチの次のレースが終わったのだろう。

 

 吉田のもとへ戻ろうかとシービーは考える。

 いいや、今更だ。お手洗いに行くと言って席を離れたが、トイレにしては時間が経ち過ぎた。見たいレースがあるわけでもなし、戻ったところで恥をかくだけだ。

 

「はっ、それも今更だよねぇ。恥なんて十分かいてきたし」

 

 シービーが鼻で笑って自嘲する。

 

 もう辞めよう。これきりだ。

 シービーは心の中ではっきりとそう思う。

 

 レース場に戻らず、さっさと帰ってしまおう。トレーナーには悪いけどメールで一報入れれば良いし、なによりレースから足を洗えばもう関わることもなくなる。

 

 あとは全部すっぱりと切り捨てて、それでおしまい。

 

 もっと早くにそうすべきだったのだ。自分らしくもなく未練がましくしがみついて、つまらない時間を過ごしてしまった。

 これからは自由気ままに風の吹くまま、何処へなりとも行ってしまおう。

 此処ではない、誰も自分を知らないずっと遠くに……。

 

 

 

「ここに居たか、バカ野郎」

 

 かけられた声に耳を立て、シービーはブランコを揺らすのを止めた。「あっ」と驚いた声が漏れる。

 

 顔を上げた先、そこにはカツラギエースがいた。

 

「カツラギ? なんでここに」

「レース観戦。あんた達と同じ指定席のブースにいたんだけど、気付かなかった?」

 

 走っていたのか、カツラギは僅かに息を切らせている。話を聞くに、レースの途中で出て行ったシービーを追いかけるも見失い、探し回ってようやくここへ来たらしい。

 

 シービーは立ち上がった。カツラギよりもシービーの方が背は高い。立てば必然、カツラギを見下ろす形になる。そして不敵に微笑めばいつも通りのミスターシービーが完成する。腰に手を当て、ぬるくて不味いサイダーを飲む。

 

 そんなシービーを、カツラギの視線がまっすぐに射抜く。この状況で見栄を張るなんて無意味だと告げるように。

 

「見るからに走ってきたって感じだね、カツラギ。ジュース奢ってあげようか?」

「いらない。それと、別に無理して余裕あるフリしなくていいよ」

 

 世にも珍しいシービーの奢りをすげなく断り、カツラギは二つあるブランコの片方に腰掛けた。

 カツラギの声に剣呑な雰囲気は無く、どこか落ち着いている。或いは、腹を据えている、と言う方が正しいか。

 少し話があるからとカツラギに促されて、シービーも再びブランコに座る。

 

「エキシビジョンマッチはさ、ルドルフが勝ったよ」

「だろうね」

 

 シービーが最後までレースを観ていなかったことを知っているカツラギはそこを話題の切り口にした。見るまでもない、とシービーは頷く。

 

「あいつ有マの時よりも強くなってる。もう同期の中には敵がいないんじゃないかって感じ」

「だよねー。なんたって無敵の皇帝サマだからね」

 

 まるで他人事のようにシービーが笑う。しかしどことなく自嘲を含んだその言葉に、カツラギは僅かに視線を鋭くした。

 

「だからって絶対に勝てないわけじゃない。少なくとも私は、才能だけならルドルフよりも上の奴を知ってるよ」

「いないでしょそんな化け物」

 

 一笑に伏すシービーに向けて、カツラギはハッキリと言った。

 

「あんただよ。シービー」

 

 シービーの顔から笑みが消えた。

 お世辞でも冗談でもなく、本気で言っているのだと、カツラギの真剣な眼差しが訴えている。その瞳に気圧されて、シービーは視線を逸らした。

 

「笑えない冗談言わないでよ」

「私が冗談言ってるって思うわけ? チームでも堅物で通ってるんだけど」

「今までのレース結果忘れた? カツラギだって春天以外は一緒に走ったでしょ。何をどうしたらそんな考えになるんだか」

「一緒に走ってきたから言ってんだよ」

 

 我慢ならないとばかりにカツラギは立ち上がった。いまだに俯いているシービーに熱の籠った言葉を投げかける。

 

「私はURAファイナルズに出るよ。だからシービーも出て。そこで決着をつけよう」

「はあ? カツラギはドリームシリーズの方に上がったじゃん。何を言って……」

「知らない? 今回のURAファイナルズはトゥインクルシリーズだけじゃなくてドリームの方からも参加できるんだよ」

 

 ここ最近、まったくレース情報に触れてこなかったシービーには初耳だった。

 初開催ということもあり、来年の新春にあるURAファイナルズではドリームトロフィー・シリーズに上がっている選手にも参加権が与えられている。コンセプトの一つに優駿の頂点を決めるというのを掲げている大会である。出来るだけ実力の高い選手を集め、大会の水準を高めることで興行力を上げようというのだ。

 それ以外にも単純に、ドリームシリーズの選手が参加出来ないのは不公平であるという意見もあって、少なくとも初回は枠を広げる方針が取られている。

 無論、カツラギエースもシンボリルドルフと同様に最有力の選手として推薦状が来ており、URAに参加の意を表明していた。

 

「……だからって私が出る必要はないでしょ。そこまで強くないってのに、みんな私のこと買い被り過ぎなんだって」

「そんなことない」

「ブランクは空いているし、そもそも私の才能なんてクラシックの時期で頭打ちになってることくらい、結果見れば分かるでしょ」

 

「違う! あんた逃げてるだけだ!」

 

 もはや不機嫌な表情さえも隠さずに言うシービーに対し、カツラギは初めて声を荒げた。

 

「いつもそうやって分かった風なこと言って、ろくに走り込みもしないで……逃げてるだけだろ!? なんでそれだけの才能を殺す!?」

 

 上から向けられる言葉を嫌って、シービーもまた立ち上がった。カツラギに背を向けてブランコを囲う柵に手をかける。

 

「私もうレースから足洗うって決めたから。中途半端にやるくらいなら辞めろってさ、カツラギの台詞だよ」

「本気でやれって話だよ! いつまでガキみたいに拗ねてんだ。現実見なきゃ前に進まないだろ」

「カツラギに負けて、ルドルフにも負けて、これから引退するのが私の現実だよ」

 

 シービーはカツラギの剣幕から逃げるように耳を絞る。

 

「私が一部でなんて言われてるか知ってるでしょ。最弱の三冠ウマ娘だってさ」

「あんたそんなの真に受けてるわけ? じゃあ何さ、そのあんたに負けた私たちは何なんだよ」

「……カツラギは凄いよ。シニアに上がってからめきめき強くなって、ジャパンカップでも勝ったじゃん」

 

 だからもう良いだろうと、シービーは薄く笑う。私なんかにこだわる必要はどこにも無い。何をそんなに熱くなっているのだと、自嘲と諦念を混ぜ合わせた声でせせら笑う。

 

 それを聞いたカツラギは、ついに感情の沸点に達した。

 

「ふざけんなッ! 私はまだ真っ向からあんたに勝ってない! 心の底から、菊花賞の時のあんたに勝てたって思えたことなんて、まだ一度も無いんだ!」

 

 想いの丈を全て乗せたカツラギの言葉は、シービーにこれ以上の言い訳をさせることも許さない。ただひたすらに、何も飾らない明け透けな本心を相手にぶつける。

 

「私もシービーみたいな才能が欲しかった! フォームもペース配分も、蹄鉄やシューズだってあんたを真似たことがある! でもあんたにはなれなかったよ!」

「ッ……」

「同期の皆、あんたに憧れてた。ルドルフだって……私たちにとってあんたはさ……!」

 

 カツラギの涙まじりの声。シービーは背を向けたままでいる。

 

 その背中を平手で思い切り引っ叩くように、カツラギは言った。誇り高い彼女が決して認めたくはなかっただろう事実を、しかしどこまでも真っ直ぐに。

 

「あんた誰より走るの好きじゃんよ!!」

 

 慟哭にも似たカツラギの叫びは辺り一帯に響き渡り、夏の高い空にも届かんばかりだった。

 公園に静寂が戻る。シービーは柵に寄りかかったまま俯き、言葉を尽くしたカツラギは肩で息をしている。

 

 複雑な感情がない混ぜになった視線をシービーの背中に向けながら、カツラギはこぼれそうな涙を堪えてぐっと喉を鳴らした。

 シービーがこちらを見ていないとは言え、今は少しでも情けない姿を晒したくはなかった。その一心で胸を張り、気丈な声を絞り出す。

 

「才能が無いとか、次にそんなくだらないこと言ったら蹴り飛ばすから」

 

 シービーは尚も動かず黙っている。

 カツラギは踵を返し、濡れた目尻を拭った。

 

「続けろ、レース。いっぺん血反吐出るまで走り込んでみろ。そうすりゃちょっとは楽になれるだろうよ」

「……」

「冬に待ってる。分かったか、ミスターシービー」

 

 もうこれ以上言うことは無いと、カツラギが去っていく。

 シービーは顔を伏せながらも、昔より遥かに逞しく見えるライバルの背中を横目で追う。

 

 そうしてカツラギが公園から立ち去った後、シービーは苦虫を噛み潰したように煩悶とした表情を浮かべ、癖っ毛の頭をがしがしと乱暴に掻き乱した。

 

 

 

 

 気付けば、シービーは学園に帰って来ていた。ソファーに寝そべって何をするでもなくぼんやりと呆けている。

 

 今シービーがいるのは寮の部屋ではなく、吉田のトレーナー室だ。

 どうやって帰ったかは記憶が漠然としてよく覚えていないが、状況を見るに半ば無意識でトレーナー室へ来て、合鍵で入ったらしいことは分かる。

 

 窓からは夕陽の赤い光が差し込んでいる。スマホの時計を見れば18:27とある。そこから画面をスワイプして通知歴を見ると、吉田から何件か連絡が入っていた。数時間前、ちょうど公園でカツラギと話していたくらいの時間に『何処へ行ったのか』と心配がるメッセージが入っており、それ以降はメールも電話も特に無い。

 おおかたレース場に戻ったカツラギが吉田に大丈夫だとでも伝えてくれたのだろう。

 

『心配かけてごめん。先帰っちゃった』

 

 やや簡素すぎる返事を送り、シービーは沈み込むように深々とソファーに背もたれる。

 

 大きなため息がこぼれる。

 スマホを弄ってSNSやネット検索などをしてみるが、気乗りせず点けては消してを繰り返す。何をする気にもなれないが、何かをしていなければ気持ちが落ち着かない。

 そろそろ寮で夕食の時間になるが今日は他の誰かと食卓を囲む気分でもないので、シービーはソファーの上から動かない。

 

「ああ、もうッ」

 

 暫くしてシービーは堪らず跳ね起きた。生来、じっとしていることが出来ない性分である。

 やり場のないモヤモヤとした気持ちを発散させられないかとウロウロ動き回り、ややあって部屋の片隅にある掃除道具に目がいく。

 

「たまには掃除でもしてあげますか」

 

 シービーは妙案得たりといった顔で頷く。老人介護ってやつだ、と些か失礼なことをのたまう。

 

 吉田は几帳面であり机の上も棚の書類も特に散らかってはいない。逆にシービーの持ち込んだ私物はそこかしこに転がっており、シービー本人ですらどこに何があるやらきちんと把握していない有様である。しかしそんなことは棚に上げて「仕方ないなあトレーナーはなあ」と辺りをゴソゴソ漁る。

 

 一つ一つ、散らかした物を片付ける。この部屋から自分がいた痕跡を消していくその作業は禊にも似て、綺麗になっていく部屋とは対照的にシービーの心は複雑に乱れる。

 

 もう終わりにするのだと楽に思いながらも、一方で寂しくもあった。

 このトレーナー室で過ごした時間はあまりに長い。持ち込んだ私物の数が思い出の深さを物語っているように思えて、それが時折シービーの手を鈍らせた。

 

「あ、ヤバ」

 

 誤って物干し棚に足を引っ掛けて倒し、衣紋掛けにかけてあった吉田の上着を床に落としてしまう。いそいそと棚を戻して上着を拾い上げる。

 

 汚れが付いていないか確認するために上下を逆さにして見たところ、上着の内ポケットから何かが落ちた。プラスチック製のカードのような物が床に当たりカツンと硬い音を立てる。

 

 丁寧にラミネート加工された一枚の写真だった。

 裏向きになっている紙面の端には撮影日が記されている。

 

 シービーはそれに見覚えがあった。

 吉田が一人でいる時、たまに懐から取り出して眺めていたものだ。その中身は確認したことが無かったが、おおかた孫の写真だろうとシービーは考えていた。

 

 三年ほど前、シービーがまだジュニアクラスにいた頃、初孫が産まれたのだと言ってまだ目の開いていない赤ちゃんの写真を見せられた。

 あの時の吉田の幸せそうな顔は、このラミネート加工されている写真を眺めている際の表情とそっくりだった。

 

 今ではあの赤ちゃんが普通に歩いているんだろうな、などと時の流れをしみじみと感じつつ、シービーは写真を拾い上げて見てみる。

 

「あっ……」

 

 思わずシービーは声を漏らした。

 

 そこに写っていたのは他でもない自分自身。

 ミスターシービーだった。

 

 緑と白を基調とした勝負服を着て、肩にはG1レースを制したウマ娘に与えられる優勝レイを掛けている。レイには金色の刺繍で菊花賞の文字。

 

 忘れるはずがない。

 

 空模様も、芝の匂いも、鳴り止まぬ歓声も。たった一枚の写真があの日見た景色を、鮮やかな色彩すら伴ってシービーに思い出させる。

 

 優勝レイを肩に掛けてトレーナーに写真を撮ってもらったあの瞬間どれほど幸福だったか、曇りのない満面の笑顔でピースをしている写真の中の自分が物語っている。

 

 

 秋風が運ぶターフの匂いを嗅いだ気がした。

 

 走り抜けた後の疲労と爽快感が足に残っているように思えた。

 

 三冠を讃える観客の拍手喝采が今にも聞こえるようだ。

 

 

 「君はすごい子だ」と破顔するトレーナーと、そんな彼に「でしょ?」と生意気に答える自分。

 

 

 

 当時行ったやり取りが、感じた喜びさえもそのままに、シービーの脳裏に映し出される。

 

(こんなに大事な気持ちを、私は今まで……)

 

「シービー?」

 

 後ろから聞こえた声にシービーがハッとして振り向けば、扉を開けて入ってきた吉田と目が合った。格好を見るにどうやら今しがたレース場から帰ってきたらしい。

 

「まったく、何も言わず帰るから心配したぞ。偶然会ったカツラギエースが無事だと教えてくれたから良いものを……ん?」

 

 安堵のため息と共に小言を投げかける吉田は、シービーが手にしている写真を見てバツが悪そうに頰をかいた。

 

「あー、なんだ。それはだな」

「……ねえトレーナー。いつもこの写真、見てたよね」

「どうも思い出深くてな。しかし君に無断で持ち歩いていたのは悪かったよ。あまり良い気分はしないだろう」

 

 何か勘違いしているらしい吉田を無視してシービーは詰め寄る。

 ものすごい気迫だった。表情は真剣そのもので、爛々と輝く瞳の奥には意思の炎が燃えている。

 

「トレーナー!」

「な、なんだ。そんなに怒ることはないだろう」

「違うってトレーナー! もう一回、私と本契約を結んでよ!」

 

 シービーの言葉に吉田が目を見開く。

 

「走り方から教えてよ! 私レースでてっぺん獲りたいの!」

「……なるほど、てっぺんか」

 

 吉田の顔から戸惑いが消え、シービーの気持ちを見極めるように彼女の瞳を見つめ返す。

 

「私本気だよトレーナー。カツラギにもルドルフにも勝って、勝って勝って、勝ちまくりたい! URAファイナルズだけじゃなくて、どんなレースでも誰よりも自由に、強く速く走りたいの!」

 

 必死に訴えるシービーの声には飾り立てた雰囲気など一切無い。小さな子供のように闇雲で直情的、しかしだからこそ純粋無垢な煌めきがあった。

 

「君のブランクはあまりに長い。尋常ではない努力が必要になる。半端な覚悟なら、時間を無駄にするだけだぞ」

 

 吉田はそう言いながらツカツカと歩き、仕事机の方に向かう。

 

 違う。半端なんかじゃない。

 

 そう反論しようとしたシービーを遮るように、吉田は重要書類の棚から一枚の紙を取り出してシービーに手渡した。

 

 『専属契約申告書』と書かれたそれには、トレーナーが記入すべき欄が既に全部埋められている。後はウマ娘本人がサインと判子を押せば、いつでも提出できる状態だ。

 

「覚悟しろよ、シービー」

 

 吉田が不敵に笑う。

 その目に、自分と同じ感情の滾りを見てとったシービーは頷いた。

 

 もう二度と挫けはしないと固い意志を込めて、力強く頷いてみせた。

 

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