最初は、座席の硬さと、なれない水中の感覚のみが僕がここにいることを意識させた。まるで、テレビの向こう側での出来事を眺めているような、どこか他人事のような感覚を、堅い金属とLCLの不快感がこちら側に呼び戻す。
だが、いまだに信じられないのだ。僕がエヴァの世界でエヴァを動かすことになるなんて、それもあの呪われた参号機を……
機械的で閉塞感のあるエントリープラグが虹色や赤、幻想的な色に切り替わり、外景を映し出す。
「これが、シンジ君の見ていた光景か……」
映し出された格納庫に、僕は息をのんだ。僕がアニメでエヴァと出会った方向とは反対側からの景色、別の格納庫とはいえこれを夢見て
違和感、それが僕の脳内、否、神経を駆け巡るかのように全身を襲った。それは愛する恋人のように、嫌悪する咎人のように、毎日顔を合わせる隣人のように、優しく気持ち悪く朗らかに楽しく可笑しく苦しく、僕を僕があああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ僕に受け入れられた。
視界が歪み、頭の中に無数の断片的な映像が、まるで奔流のように叩きつけられる。 意味不明な光景、耳障りなノイズ、そして何かの叫び声。いや、僕の叫び声だ。それに耐えられなかった。
◇ ◇ ◇
薄暗い格納庫に、沈黙が重くのしかかっていた。巨大なエヴァンゲリオン初号機が、まるで眠る巨人のように佇んでいる。その足元で、少年、カナメは膝を抱えて座り込んでいた。3号機と名付けられたエヴァのパイロット、それが彼の新たな"役割"だ。プラグスーツは、まだ彼の体には少しだけ大きく感じられる。
数日前まで、僕はどこにでもいる普通の少年だった。エヴァが好きで、少し背伸びしたどこにでもいる思春期の僕。放課後は自宅でゲームをするのが日常だった。それが今では、人類の命運を背負う、"エヴァのパイロット"。いや、迷い込んだ炭鉱のカナリアか。
「…なんだよ、これ」
僕の声は、格納庫の広さに吸い込まれるようにか細かった。
「なんで…こんな場所にいるんだろう」
自問自答が、心の奥底で反響する。シンジ君のように「乗りたくありません」と叫ぶこともできない。アスカのように怒りをぶちまけることも、レイのように感情を押し殺すこともできない。ただ、息をひそめ、人々の期待の重さに押しつぶされそうになっている。
「『君にしかできない』…そう言われても、僕には何ができるっていうんだ。結局……」
ミサトの言葉が頭の中で繰り返される。その結果がこれだ。ミサトさんもシンジ君も結局、僕を守るなんて言って。
「怖い…」
ポツリと、本音が漏れた。使徒に浸食された恐怖。L.C.L.に満たされたエントリープラグの中で、自分の意識が曖昧になる感覚。そして何よりも、自分の生命を侵される恐怖が僕を襲う。
「僕が乗らなきゃ、僕だけじゃなくみんなが危ない。それは分かってる。でも…」
そこで言葉が詰まる。その"でも"の先に続く言葉が、僕には見つからない。自分の中にある、拭い去れない弱さ。無力感。それが、僕を蝕んだ。
「もし、僕が乗らなければ…」
震える手で、手を固く握り込む。もし、僕が乗らなかったら? もし、マリと出会っていなければ? その想像は、僕をより現実から逃避させる。
「アスカが乗ってたかもしれないのか……」
あたしの代わり……思い人にかけられた言葉を思い出す。もし僕が乗らなかったらアスカが僕と同じ目にあってたかもしれない。目も魂も吸われるほど美しい彼女、鈴の音のように
声の透き通った彼女、豪快で、苛烈な炎のような彼女。彼女が穢されるくらいなら、最初から僕でいい。僕でよかったんだ。
「本当に、僕でよかった」
経験したことは、すべてが僕にとって怖いことだらけだった。でも、彼女を失うよりはいい。彼女じゃなくてよかった。僕でよかったんだ。
カナメの意識は、L.C.L.の海を漂うように曖昧だった。頭上には、赤と青の光がぼんやりと滲んで見える。全てが終わったのだ。自分は何もできなかった。けど、彼女を救えたのだ
「……僕がいてもいなくても、きっとこの世界はなるようになっていくんだ」
力なく呟く声は、L.C.L.の気泡となって消える。脳裏に、かつて見ていた日常が蘇る。穏やかな光が差し込む自分の部屋、読みかけの本、起動途中のゲーム。エヴァに乗る前の、あの平凡で退屈な日々。
「もしかしたら人類補完計画なんて起こらないかもしれないし、平和な時が過ぎていくんじゃないかな」
そんな希望的観測が、乾いた心に微かな波紋を立てる。そうであってほしい。誰も傷つかず、誰も苦しまない世界。僕がいたことで余計な波風を立てるくらいなら、いっそ最初からいなかった方が良かったのかもしれない。
「うん、きっとそうなっていくだろうし、そうであってほしい。僕は、先に一抜けだ。ありがとう、みんな」
感謝の言葉が、誰に届くのかも分からないまま、静かに溶けていく。これで終わりだ。全てから解放される。そう思った、その時――
「カナメッ!!カナメッ!!」
遠くから、必死な叫び声が聞こえる。それは、現実の、生々しい声だった。
「なんだよ……」
薄らと目を開ける。ぼやける視界の向こうに、ぼやけた人影が見える。
「僕は……はは、なんだったんだろうなさっきの」
そう呟いたはずなのに、声には出なかった。ただ、全身を襲う倦怠感と、胸の奥で燻る奇妙な焦燥感が、彼を現実へと引き戻そうとしていた。
――――――
『次回予告』
選択の結果、未来は書き換わる。彼、あるいは彼女達と彼によって
。
次回、「レスキューティーン」