エヴァンゲリオンAnotherWorld   作:時雨光多

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第拾四話 レスキューティーン

瞬きを繰り返すたびに、ぼやけていた輪郭がはっきりと、声が鮮明になる。鮮明になるが届かない。はっきりとするがまたボケてしまいそうになる。うるんで伝ってきた涙が頬を伝う。エントリープラグの入り口から身を乗り出して僕をうかがう彼の眼元にも、同じ形跡が見受けられた。

 

「よかった……カナメを助けることができて……」

 

生きている、僕は。

 

「あんなこと言われたら……頑張るしかないじゃないか」

 

シンジ君が、助けてくれたんだ。僕は君のことを……信じきれなかったのに。君は僕の話を信じて助けに来てくれたんだ。僕は君に顔を向ける資格なんて……

 

「僕は、君が助けてくれるって言ったのに……信じることができなかった。君は僕のあの頓珍漢な吐露を信じてくれたのに……どんな顔を君に向ければいいか、わからないよ。」

 

僕は彼を裏切ったも同然だ。彼が必死に僕を助けようとしている中で、僕はあきらめ、おびえ、そして逃げ出したんだ。君に責任を転嫁して……

 

「ふ、」

 

目を伏せ、自分を責める僕の頭上から、シンジ君の掠れた笑い声が聞こえた。

 

「あはは、綾波みたいなこと言うんだな、カナメは」

 

「こういう時は、笑えばいいと思うよ。生きててよかったって、思えるように」

 

彼の声は、ひどく疲れているのに、なぜかとても穏やかだった。僕は恐る恐る顔を上げた。シンジ君は、目を細めて、けれど真っ直ぐに僕を見ていた。その瞳には、僕が予想したような失望や怒り、ましてや軽蔑の色などどこにもなく、ただ、深い安堵と、かすかな疲労だけが宿っているように見えた。

 

「いきなりこんなことになって、カナメはもっと混乱していたはずだ。僕だって、もしカナメの立場だったら、同じように怖がった」

 

彼はゆっくりと、しかし確実に言葉を紡いだ。その声は、僕の心臓に直接語りかけるように響いた。

 

「それでも、僕はカナメを助けたかった。カナメの言葉が、僕には真実だと感じられたからだ。責任なんて、どうでもいい。カナメが無事なら、それでいいんだ」

 

シンジ君の言葉は、僕の胸に澱のように溜まっていた罪悪感を、まるで泡のように消し去っていく。彼の手が、僕の震える手にそっと重ねられた。その温かさが、僕の全身にじんわりと染み渡る。

 

「だから、そんな顔をしないでよ。僕が助けたんだ。カナメは、それでいいんだ」

 

彼の言葉は、あまりにも優しかった。僕は再び涙が溢れそうになるのを必死に堪え、かろうじて頷いた。彼の疲弊した顔を見ていると、今度は僕が彼のために何かをしたい、そう強く思った。

 

「シンジ……く……」

 

唇から漏れたのは、もうほとんど音にならない囁きだった。これまでの恐怖、絶望、そして奇跡的な生還への安堵。それに加えて、彼への計り知れない罪悪感と、それでも彼が差し出してくれた優しさへの、抗いがたい感謝。全ての感情がごちゃ混ぜになり、僕の精神の許容量を超えていたのだろう。それ以外の理由も後にわかるのだが、全身の力が抜け落ち、思考の渦が止まる。意識は、まるで深い海の底へと沈んでいくかのように、重く、静かに、暗闇へと溶け込んでいった。

 

◇ ◇ ◇

 

次に意識が浮上したのは、冷たい機械の音と、消毒液の匂いが混じり合う空間だった。重たい瞼をゆっくりと開けると、まず目に飛び込んできたのは、暗く、そしてほの赤い異質な空間。そして、幾つもの視線が僕に突き刺さっているのを感じた。 僕の見上げる先には、数名の見知った人物が立っていた。その中心にいるのは、紛れもなくリツコさんだ。彼女は鋭い眼差しで僕を見下ろし、その隣には、見慣れない技研のスタッフらしき人々が、困惑や警戒といった様々な表情で僕を観察している。 僕の体は、どうやら何かの拘束具に横たえられているようだった。腕には点滴のチューブが繋がれ、いくつかのケーブルが体に貼り付けられている。なんでこうなった。僕はシンジ君に助けられたはずじゃないのか。異質な状況に困惑しつつ、今までの状況に思考を巡らし何が起こっているのか理解しようとした。そして、妙な違和感に気づいた。右目の奥から、異物感と、奇妙な熱がこみ上げてくる。

 

「動かないで。」

 

彼女のその声は、いつもの冷静さを保ちつつも、どこか緊迫しているように聞こえた。僕の意識が朦朧としていた理由、そして、なぜこれほど多くの人々に警戒されているのか。その答えが、頭の中でゆっくりと形になり始める。 右目だ。 僕の右目に、あの使徒が宿っている。 その確信は、まるで冷たい水を浴びせられたような衝撃だった。同時に、右目の奥からこみ上げてくる熱が、まるで生き物のように蠢く感覚に変わる。体中に鳥肌が立ち、ぞわりと悪寒が走った。使徒。僕を侵し犯し可笑したバルディエル。それが、僕の、この体の、一部になり変わっている……?

 

「うっ……!」

 

喉の奥から、呻き声が漏れた。嫌悪感が、胃の底からせり上がってくる。僕の身体は、もう僕だけのものじゃない。汚された。侵食された。この目に宿る何かが、僕の存在を蝕んでいる。 リツコさんの視線が、まるでメスで解剖するかのように僕を観察しているのがわかる。技研の人間たちの好奇の目も、僕の神経を逆撫でする。彼らの目には、僕はもはや「カナメ」という個人ではなく、使徒を宿した検体としか映っていないのだろう。

 

「離れてくれ……!」

 

僕は思わず叫んだ。必死に体を起こそうともがくが、点滴のチューブと、拘束具に押さえつけられ体が動かない。僕の右目の奥で、何かが脈動しているのがわかる。それは、僕自身の心臓の音とは異なる、もう一つの鼓動。 絶望が、再び僕の心を覆い始めた。シンジ君が僕を助けてくれた、あの奇跡のような瞬間は、一瞬の夢だったのか。僕は、これからどうなってしまうのだろう。彼らは僕を、どうするつもりなんだ? そんな僕と対照的に、彼女は冷静すぎるくらいに冷静だった。

 

「安心して、カナメくん」

 

リツコさんの声は、僕の混乱を鎮めるように響いた。その表情は、依然として冷静だが、どこか僕の動揺を理解しているようにも見えた。

 

「あなたの右目に宿った固有波形パターンは、使徒のそれと酷似しているわ。しかし、その形態は安定していて、現段階では生命活動に直接的な危険はない。むしろ、特異な共存状態にあると言える。シンジ君の頑張りのたまものね」

彼女はそう説明しながら、手元のタブレットに視線を落とす。そうかシンジ君が、やっぱり助けてもらってたんだ。あれは夢じゃなかった。技研のスタッフたちが、皆、真剣な眼差しでリツコさんの言葉に聞き入っている。

 

「そして何より、この現象を制御する方法は、見つかっている」

 

その言葉に、僕の視線はリツコさんに釘付けになった。制御?こんな異物を、どうやって?

 

「詳細なメカニズムはこれから解明していく必要があるけれど、少なくとも今のところ、あなたは制御可能な状態にある。こちらには、解体したりする意図はないわ。むしろ、その特異な身体構造が、今後の人類にとって重要な鍵となる可能性もある」

 

リツコさんの言葉は、僕の心を少しずつ落ち着かせていった。使徒に侵食された、という絶望的な現実に、一筋の光明が差し込んだ気がした。僕の身体は、まだ僕のものだ。そして、もしかしたら、この状況を前向きに捉えることもできるのかもしれない。前向きにとらえることができるんだ、そんな前向きになることができた僕に対し、想定外のナイフで刺されたのは別の話だ。

 

「あなたの右目に埋め込んである制御棒がある限りあなたは安全よ。」

 

「そうなんですか。それなら安心しま……」

 

さらっと出てきたその言葉に、スルーしかけた。だが、「右目に埋め込み」という言葉が耳に残った。反射的に右目に触れようとしたが、リツコさんの次の言葉がそれを制した。

 

「その装置のおかげで使徒は安定してるわ。それがなければ今頃あなたはあちら側だったかも知れないわね」

 

彼女の声が、僕の耳の奥で、まるで遠いこだまのように響いた。**「あっち側」**という比喩が、僕の全身に冷たい水を浴びせたかのように、ぶわっと鳥肌を立たせる。使徒と共存しているというだけでも信じがたい現実なのに、その使徒を「安定」させるために自分の体に機械が埋め込まれている。しかも、それは僕自身が意識しないうちに、僕を「人間」として繋ぎ止めているというのだ。

 

「…それって、僕自身は、もう人間じゃないってことですか…?」

 

僕は、震える声で尋ねた。喉がからからに乾いている。自分の体が、もはや自分の意志だけでは動かせない、得体の知れない存在に変質しているのではないかという疑念が、胸の奥で渦巻いていた。その右目に埋め込まれた「制御棒」の存在が、まるで自分を雁字搦めに縛り付ける鎖のように感じられた。自由を奪われた、操り人形のような感覚。 リツコは、僕の問いに即座には答えなかった。彼女の視線が、再びタブレットへと落ちる。その沈黙が、僕の不安を一層煽った。

 

「これは、あなたを『人間』として維持するための、いわば生命維持装置なの。あなたを侵食しようとする使徒の力を抑制し、人間としての意識と身体機能を保つための。これがある限り、あなたはあなたよ」

 

リツコの言葉は、僕が抱いた最悪の想像を打ち消そうとしているようだった。だが、彼女の言葉の裏に隠された真実が、僕の胸を締め付ける。結局、僕の体は、もはや純粋な「人間」ではなく、使徒と共存する「何か」になってしまったのだ。そして、その「何か」を人間たらしめているのが、目に見えない異物、制御棒という機械だという、受け入れがたい現実。 僕は、無意識のうちに、右目に触れようとして、再び寸前で手を止めた。

それでナニかの感覚があったら、僕はもう戻れない気がしたからだ。

 

「それと」

 

リツコさんがさらに口を開いた。彼女の「それと…」にはいやな思い出しか……常に、僕の予想を裏切る、あるいは上回るような、受け入れがたい真実が続く予感。過去の経験が、僕の心に警鐘を鳴らしていた。

 

「3号機は正規実用型のエヴァよ。予備パーツも豊富にある。つまり、本体を浸食していた使徒自体の殲滅が確認された今、3号機は正式なエヴァとして使用することができるわ」

 

「シンジ君のたまものね。3号機が小破レベルの損害で使徒殲滅と貴方の救出をこなすんだもの。」

 

使徒の姿から元のエヴァの姿に戻ったとはいえ、僕にはあれが再び「エヴァ」として稼働する未来が、全く想像できなかった。

しかし、リツコさんの言葉には有無を言わせぬ響きがあった。そして、ミサトさんの言葉は、僕の胸に重くのしかかる。僕が、あの3号機に?

 

「で、でも……あ、あれがまた動くなんて……」

 

震える声で僕は口を開いた。使徒としての運用しか知らない僕にとってもう一度3号機に乗るなんて考えることもできなかった。だがあくまでリツコさんはずっと冷静だった。

 

「3号機起動実験の時に、短時間だったけどカナメ君のシンクロ率は算出できていたわ。と言っても暫定的なものだったけど、シンクロ率は申し分なかったわ。」

 

「さらに、先ほどダミーシステムを用いての起動実験を行ったわ。厄ネタであると以上準備は漫然にそろえて臨んだけど結果異常なし。使徒が再現することも暴走を起こすこともなく至って健全に終わったわ。だから」

 

そこで一度言葉を切り、リツコさんは僕の目をまっすぐに見つめた。

 

「安心して乗ることができるわ」

 

その言葉に僕は、うつむくしかなかった。シンクロ率がどうであろうと、ダミーシステムでどう動こうと、僕にはあの機体に乗ることへの拭い去れない恐怖と抵抗感しかなかった。

だが、そんなとき不意に、僕の心の余白に僕をエヴァ3号機に乗せる決意をした時の声が浮かんだ。

(石橋をたたいて叩き壊せばいいにゃ)

(それじゃ、私は私でまだやることあるから。頑張ってね。カナメ君)

あの、加持さんの家で出会った彼女の言葉だ。

あの時、加持さんの家で、たった一度会っただけの彼女の言葉が、なぜ今、これほどまでに僕の心を揺さぶるのだろう。

(石橋をたたいて叩き壊せばいいにゃ)

壊せばいい。そうか、壊してもいいのか。この恐怖を、この抵抗感を、叩き壊してしまえばいいのか。

(それじゃ、私は私でまだやることあるから。頑張ってね。カナメ君)

頑張ってね。その無責任にも聞こえる応援の言葉が、不思議と僕の胸にじんわりと温かさをもたらした。まるで、僕の苦悩を理解した上で、それでも前に進めと背中を押しているかのようだった。

僕は唇を噛み締め、深く息を吸い込んだ。選択肢は、僕にはないのかもしれない。いや、あるのだ。この恐怖に打ち勝つか、それともこのまま全てを諦めるか。

 

「…分かりました。乗りますよ。」

 

声を、反芻する。

(要は3と4号機がある。だから君にはどちらかに乗ってほしいの。そうすれば動きがずいぶん楽になるでしょ)

 

「もう一度、3号機に乗ってみます。」

 

力強く、こぶしを握り込む。その僕の軽微な変化に、リツコさんが息をのむのを感じる。空想でも見えるかのように、加持さんの家で会った少女、マリが上から目線で褒めるようにニヤけているのを感じる。

 

「僕が、3号機を使いこなして見せます。」

 

言い放った僕の言葉は、冷たい部屋の空気に、確かに熱を帯びた。 リツコは一瞬、その鋭い瞳を見開いたが、すぐにいつもの冷静な表情に戻る。しかし、その口元には、微かな笑みが浮かんでいたように見えた。

 

「いいでしょう。その言葉、期待しているわ、カナメ君」

 

彼女の言葉は、まるで僕の覚悟を試すかのようだった。僕の視線は、見知らぬ天井に吸い寄せられる。ここから、僕の新たな戦いが始まるのだ。右目の奥に感じる異物感と、それが僕を人間として繋ぎ止めているという現実。そして、再び乗り込むことを決意した3号機。あの使徒に侵された悪夢が、今度は僕自身の力で乗り越えられるのか。あるいは、僕の「人間」としての定義が、新たな次元へと変容していくのか。僕の未来は、まだ誰にもわからない。ただ一つ確かなのは、もう逃げないということだけだった。

シンジ君が僕を救ってくれたように、今度は僕が、僕自身を救い、そして彼らを支える番なのだ。マリの言葉が、僕の胸の奥で力強く響く。石橋を叩いて叩き壊す。そして、その先の道を進む。

 

[それと……」

 

決意した手前、恥ずかしい話なのだが、どうしても締まらない部分が僕にはあった。

 

「拘束具に寝っ転がってる状態でこんな決意してる僕、恥ずかしすぎませんかねえ!?」

 

僕の問いかけに、リツコさんは一瞬眉をひそめたが、すぐにふっと小さく吹き出した。

「そうね、たしかに滑稽だわ。でも、そうやって冷静に自分を客観視できるうちは、まだ大丈夫でしょう。まったく、あなたは面白いわね、カナメくん」

彼女の言葉には、どこか呆れたような、しかし微かに楽しんでいるような響きがあった。技研のスタッフたちも、僕の突然の叫びに驚いた後、戸惑いつつも口元を緩めている。

 

「しかし、ご安心なさい。その拘束具は、あなたの体調が安定するまでのものよ。そして、その『面白い』精神状態を保つためにも、今は安静にしていなさい」

 

リツコはそう言い残し、タブレットを手にくるりと背を向けた。スタッフたちも一斉に持ち場に戻っていく。僕の周囲には、再び機械の唸り声と消毒液の匂いだけが残された。

僕は、天井を見上げたまま、右目の奥の異物感と、左胸で脈打つもう一つの鼓動を感じていた。石橋を叩き壊す。そして、その先の道を進む。その決意は確かに熱を帯びていたけれど、拘束具に縛られたままでは、どうにも格好がつかない。

 

「まったく、締まらないなぁ……」

 

自嘲気味に呟いたその声は、冷たい部屋に静かに吸い込まれていった。しかし、その中に、ほんの少しだけ、未来への期待が混じっていたことに、僕はまだ気づいていなかった。

――――――

 

『次回予告』

シンジの優しさに救われたカナメ。だが、彼の右目には使徒の力が宿り、身体には制御棒が埋め込まれた。人ならざる存在へと変質した彼は、その事実を抱えながら、再びエヴァパイロットとして立つ。

 

再会したシンジは、その温かさでカナメの罪悪感を溶かす。そして、アスカは──。

 

「悪かったわね。あんたのこと、誤解してたみたい。」

 

苛立ちと焦燥を募らせていたアスカの、意外な一言。交錯する感情の先に、彼らの間に新たな変化が訪れる。

 

しかし、その時が来る。ネルフを震わせる緊急警報。圧倒的な暴力として現れた第10使徒。格納庫へと向かうカナメの脳裏には、マリの言葉が響く。「石橋を叩いて叩き壊せばいいにゃ」。

 

恐怖に足がすくむカナメの右目が、熱く脈動する。それは、彼自身の意志か、あるいは使徒の覚醒か。

 

次回、「ケツイ、ノ、シュンカン」

この次も、サービス、サービス!

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