「くそッ…!」
シンジ君が悔しそうに拳を叩きつける。その顔には、痛みに加えて、どうしようもない焦りが浮かんでいた。マリの「裏コード・ザ・ビースト」でさえ、使徒の核心には届かない。僕たちのシンクロ率も限界まで引き上げられているのに、この使徒はあまりにも強固だった。
「このままじゃ…やられる!」
マリの声が、いつもの余裕を失いかけている。獣と化した2号機も、使徒の繰り出す腕の猛攻に、これまでの俊敏さを失いかけていた。僕も心の中で叫ぶ。この状況を打破する手立てが、本当にないのか? 転生者として、この世界の未来を知っているはずなのに、何もできないのか?
使徒は、僕たちの消耗を見透かしたかのように、再びその多重A.T.フィールドを収縮させ始めた。質量を持った壁が、ゆっくりと、しかし確実に僕たちを押し潰そうと迫ってくる。シンジ君の初号機が、負傷した右肩をかばうように後退する。マリの2号機も、その巨体をねじ曲げて回避しようと試みるが、A.T.フィールドの範囲から抜け出すのが困難になってきていた。
「カナメ! 何か…何か手はないの!?」
シンジ君の声が、絶望に染まっていく。僕の脳裏にも、このままでは全てが終わるという最悪のシナリオがよぎる。
僕たちが絶望の淵に立たされているその時、使徒の顔の下から、再び帯状の腕が不気味に蠢き始めた。それはまるで生き物のように、ドラム缶状に丸まり、ぐっと縮む。前回、マリの2号機を間一髪で両断しかけた、あの高速の刃だ。シンジ君の初号機に深手を負わせたばかりの、あの恐ろしい攻撃が、再び僕たちを狙っている。
「また来るぞ! アレだ!」
僕の叫びがコックピットに響き渡る。僕たちは即座に回避行動をとろうとしたが、使徒の動きは僕たちの意図を嘲笑うかのように速かった。ドラム缶状に丸まった腕は、前回よりもはるかに速い速度で伸び、シンジ君の初号機めがけて一直線に迫る。
シンジ君は咄嗟に機体を横に傾けるが、使徒の腕は執拗に初号機を追尾する。まるで意思を持った刃物のように、初号機の全身を狙っている。
「くっ…速いッ!」
シンジ君の苦悶の声がメインモニターから聞こえる。初号機はじりじりと距離を詰めつつギリギリのところで使徒の腕をかわし続ける。だが、その刹那、僕たちのすぐ横を通り過ぎた使徒の刃と化した腕が、僕の3号機の背後、アンビリカルケーブルを直撃した。
鈍い金属音と共に、けたたましい警告音がコックピットに鳴り響く。メインモニターに「アンビリカルケーブル断裂」の文字が赤く点滅し、機体への電力供給を示すゲージが
急激に降下し始めた。
「嘘だろ…!」
僕の顔から血の気が引く。シンジ君もマリも、目を見開いて僕の3号機を見つめている。エヴァンゲリオンは、外部電源であるアンビリカルケーブルが切断されると、内蔵バッテリーでの活動に切り替わる。その時間は、わずか五分。
「活動限界まで…あと、残り四分五十九秒!」
マヤの焦燥に満ちた声が、通信回線に響き渡る。メインモニターの隅に表示されるカウントダウンは、残酷にもその残り時間を刻み始めている。
僕たちの眼下で、使徒は、僕たちをさらに追い詰めるように、その巨大な顔で僕たちを見下ろしている。その瞳には、勝利を確信したかのような、冷たい光が宿っていた。
僕たちは、使徒の猛攻を必死で避けながら、残されたわずかな時間をどう使うべきか、その活路を探していた。その時、使徒の顔、その目のあたりに、まばゆい光が収縮し始めた。それは、見る者の魂を凍らせるような、純粋な破壊の輝きだった。
「マリ! 危ないッ!」
僕の叫びは届かなかった。2号機は、僕の3号機がアンビリカルケーブルを切断されたことに気を取られていたのか、反応が遅れた。使縮した光が臨界点に達し、使徒の目から、地を穿つような極太の光線が放たれる。マリの2号機は、その光線を正面から受け止め、まるで紙切れのように吹き飛ばされる。地下空間の壁に叩きつけられた2号機から、激しい火花が散り、コックピット内のマリの映像がノイズで途切れる。
「マリさんっ!?」
シンジ君の悲痛な叫びが響く。僕もまた、目の前で起こった出来事に、全身から血の気が引くのを感じた。マリの安否もわからない。このままでは、僕たち全員がやられてしまう。絶望が、冷たい水のように僕たちの心に染み渡っていく。
使徒は、マリの2号機を吹き飛ばしたことに満足したかのように、再び僕たちを見下ろす。その瞳には、勝ち誇ったような冷たい光が宿っていた。僕たちの残り時間は、もうほとんどない。
その瞬間、けたたましい警告音と共に、僕たちの視界の端の床がせり上がった。まばゆい光が差し込む地下空間の地上部に、本来出撃するはずのない、ぼろぼろの零号機がリフトに乗って現れる。機体には、無数の修復痕があり、暫定的に補修されたであろう腕の包帯からは血のようなものがにじみ出ていた。そして、その腕には、とてつもない質量を持つ巨大なN2誘導弾が抱え込まれていた。
僕もシンジ君も、目の前の光景に言葉を失った。なぜ零号機がここに?そもそもミサトさんによるとバチカン条約によって、エヴァの保有数は3体までに制限されているはずだ。なのに、
「零号機!? なぜ…ライフルも持たずに!」
ミサトさんの叫びが通信回線に響く。彼女の声には、驚きと混乱が入り混じっていた。
「まさか!」
リツコさんの声に、レイが何をしようとしているのかを悟ったような、凍りつくような響きがあった。
「レイ! やめなさいっ! レイ!」
ミサトさんは必死にモニターに向かって叫び続ける。しかし、レイには届かない。彼女のコックピット映像に映る表情は、いつもの感情を見せないまま、ただ真っ直ぐに、そして力強く前を見据えている。
零号機は、誰の制止も聞かずに、そのぼろぼろの機体で使徒へと向かう。シンジ君の隣で、僕の心臓が激しく脈打つ。あんな状態で、一体何をしようとしているんだ?
零号機は使徒の背後から迫り、至近距離まで間合いを詰めた。それに気づいた使徒は、振り向きざまにA.T.フィールドを瞬時に展開する。
レイは、使徒のA.T.フィールドにN2誘導弾の先端を力強く突き立てた。そして、ミサイル後部のジェット噴射を使い、零号機ごとミサイルを強引に推進させる。
「A.T.フィールド、全開!」
レイの静かな声が、コックピット内に響く。N2誘導弾の先端が、使徒の強固なA.T.フィールドをミサイルの推進力と零号機の押力で、まるで紙を破るかのように、ギチギチと音を立てながら侵食し始めた。
「まさか…自爆するな気なのか!?」
僕の口から、驚愕の言葉が漏れ出た。N2誘導弾をあんな風に使うなんて、正気の沙汰じゃない。零号機が使徒のA.T.フィールドに食い込んでいるその瞬間、シンジ君のコックピット映像に、かつてないほどの動揺と焦りが浮かんだ。
「綾波! 危険だ!やめてくれ!!」
シンジ君の悲痛な叫びが、地下空間に木霊する。彼の声には、レイの身を案じる、偽りのない感情が込められていた。
レイは、僕とシンジ君の視線に応えるかのように、わずかに、本当にわずかに、表情を緩めた。その瞳に、ほんの一瞬、温かな光が宿る。
「碇君と過ごすのが楽しかった。」
その声は、消え入りそうなほど小さく、しかし僕たちの耳にははっきりと届いた。短い言葉の中に、彼女が僕たち、いや、シンジ君との日々をどれほど大切に思っていたのかが伝わってくる。彼女の目に宿る光は、まるで別れの挨拶のように、僕たちの心に焼き付いた。
「碇君が、みんなが悲しまなくていいようにする……だからっ!」
レイの声が、途切れ途切れに、しかし明確に響く。彼女の瞳は、僕たちに向けられた。その言葉の意味を理解した瞬間、僕の体に電流が走った。そうだ、レイ一人では、この強固なA.T.フィールドは破れない。
「綾波だってみんなのうちの一人じゃないか!」
シンジ君が叫ぶ。その言葉に、レイの瞳がわずかに揺れたのが見えた。そうだ、僕たちは、誰も犠牲になんてさせない。シンジ君も、僕も、マリも、そしてレイも、みんなで生き残るんだ。
意図を瞬時に理解した。負傷した初号機と、アンビリカルケーブルを切断された3号機が、最後の力を振り絞って零号機と使徒の元へ駆ける。
「僕が使徒のA.T.フィールドを中和する! シンジ君は、N2誘導弾を押し込め!」
僕の3号機が、零号機と使徒の間に割り込むように突進し、その巨体で使徒のA.T.フィールドを側面か*中和しようと試みる。ぐぐぐ、と機体が軋む音がする。シンジ君の初号機が、その隙を逃さず、N2誘導弾の側面を叩きつけるように押し込んだ。
ミシミシッ!
使徒のA.T.フィールドに、さらに大きな亀裂が走る。N2誘導弾が、いよいよその核心へと食い込んでいく。
「今だ! レイ! 離れるぞ!」
僕が叫ぶと同時に、シンジ君の初号機と僕の3号機が、零号機の腕を掴み、その場から勢いよく引き剥がす。零号機が使徒から離れたその刹那、僕たちのすぐ背後で、まばゆい光が地下空間を覆い尽くした。
ドォォォォンッ!!
爆発の衝撃が、僕たちを容赦なく襲う。凄まじい爆風が僕たちの機体を捉え、前のめりに吹き飛ばされる。メインモニターは一瞬ホワイトアウトし、轟音が耳をつんざく。
どれくらい吹き飛ばされたのだろうか。爆風が収まり、僕たちの機体が地下空間の地面に叩きつけられた。全身が軋み、コックピット内は緊急警告の嵐だ。朦朧とする意識の中、僕たちはゆっくりと顔を上げる。
使徒がいた場所は、巨大なクレーターと化し、煙が立ち上っていた。
「……やった、のか…?」
シンジ君の声が、震えるように響く。僕もまた、全身の痛みに耐えながら、目の前の光景を凝視した。
しかし、煙が晴れていくにつれて、僕たちの顔から血の気が引いていくのがわかった。クレーターの中心に、無傷の使徒が、まるで何事もなかったかのように、悠然と立っていたのだ。
僕たちの機体は、満身創痍だった。シンジ君の初号機は、右肩を大きく損傷し、各部から煙が上がっている。僕の3号機も、アンビリカルケーブルを失い、活動限界まで残り時間を刻むばかりだ。マリの2号機は、先ほどの使徒の光線で吹き飛ばされ、壁に激突したまま動かない。そして、レイの零号機は……
クレーターの縁、爆心地に最も近い場所に、かろうじて判別できるほどに原型を留めた零号機の残骸があった。機体は焼け焦げ、装甲は剥がれ落ち、まるで抜け殻のようだ。しかし、確かにそこに、レイが乗っているはずの零号機が存在していた。
それとは対照的に、使徒は、レイの特攻さえも、まるで無かったかのように、完全に無傷だった。その巨大な体には、傷一つついていない。僕たちを嘲笑うかのように、その瞳には、冷たい光が宿っていた。
「……嘘だろ…」
シンジ君の声が、絶望に染まる。僕もまた、同じ気持ちだった。レイの命をかけた特攻も、僕たちの渾身の力も、全てが無駄だったのか?
使徒は、ゆっくりと、しかし確実に、僕たちに向かって歩き始めた。その足音は、まるで死の足音のように、地下空間に重く響き渡る。僕たちの機体は満身創痍、活動限界のカウントダウンは止まらない。
「……もう、終わりなのか…?」
僕の口から、か細い声が漏れる。シンジ君の顔も、絶望に染まっていた。
その時、使徒が歩みを止めた。僕たちに目もくれず、その仮面のような顔の下から、禍々しく、長い器官がぬらりと伸びる。その視線の先は、N2誘導弾の爆心地に横たわる、かろうじて原型を留めた零号機の残骸だった。
零号機を丸呑みにしようとする寸前、シンジ君のコックピットから、獣のような雄たけびが響き渡った。
「うわああああああああッ!!」
初号機が、負傷した右肩をものともせず、猛烈な勢いで走り出す。その巨体からは想像もできないほどの俊敏さで、使徒の側面へと肉薄する。そして、渾身の力を込めた拳を、使徒の仮面のような顔に叩き込んだ。
グンッ!!
重い衝撃音が地下空間に響き渡り、使徒の巨体が大きく横に揺らぐ。零号機を捕食しようとしていた器官が、シンジ君の一撃で宙を舞った。
使徒は、シンジ君の反撃に、体をのけぞらせ、地面に叩き付け…られなかった。反り返った体を正面の初号機へ距離を縮め、すぐにその仮面の下の目のあたりに、再びまばゆい光が収縮し始める。それは、僕たちを吹き飛ばし、マリの2号機を行動不能に陥れた、あの極太の光線だ。
「シンジ君! 危ないッ!」
僕が叫ぶ。至近距離から放たれれば、初号機はひとたまりもない。絶望が再び僕たちの心を覆い尽くそうとした、その時だった。
僕とシンジ君の絶望をかき消すかのように、けたたましい風切り音が上空から響いた。そして、僕たちの視界に、一条の影が飛び込んでくる。それは、巨大な槍だった。まるで、意思を持っているかのように、槍は、一点の迷いもなく、使徒の仮面のような顔の中心を貫いた。凄まじい轟音が地下空間を揺るがし、まるで、内部から光を放つように、使徒の身体が膨張し、次の瞬間、泡立つような音と共にLCLへと還元されていく。全身がオレンジ色の液体と化し、水蒸気を上げながら霧散していく光景は、どこか神秘的ですらあった。そして、そのLCLの霧が晴れていくと、使徒がいた場所には、まばゆいばかりの巨大な光の十字架が形成され、ゆっくりと上空へと昇っていく。それは、使徒がこの世界から完全に消え去ったことを示す、厳かな光景だった。その光は、僕たちの疲れ果てた機体と、絶望から解放された顔を、儚く照らしていた。
シンジ君の初号機も、僕の3号機も、その場に立ち尽くしていた。何が起こったのか、理解するのに時間がかかった。信じられない思いで、光の十字架が消え去るのを見上げていた。確かに、そこにいたはずの圧倒的な脅威は、跡形もなく消え去っていて、そこには見知らぬ槍のみがただ、存在していた。
「勝ったのか…?」
僕の声が、かすかに震えながら響く。全身の痛みを忘れ、ただ呆然と、使徒が消えた空間を見つめる。
「使徒、完全に沈黙しました!」
オペレーターの声が、興奮と困惑がない交ぜになったように響き渡る。
「何が起こったの!?」
ミサトさんの叫びが通信回線を揺らした。その声は、安堵と同時に、現状を理解できない混乱に満ちていた。無理もない。僕たちも、何が起こったのか、全くわからなかったのだから。
僕たちが思わず上を見上げると、そこには、月光を背に、神々しくもどこか恐ろしい姿をした見知らぬエヴァンゲリオンが、静かに飛来してきていた。
そのMark.06を操縦する渚カヲルが、静かに、しかしはっきりと告げる。
「どうやら計画の歯車は違ってしまったようだね」
「でも、このイレギュラーな状況こそが、真の“約束”へと導くのかもしれない。」
カヲルの視線が、槍からシンジの乗る初号機へ向けられる。その瞳には、凍えるような優しさが宿っていた。
「さぁ、約束の時だ。碇シンジ君」
そして、彼の声は、まるで囁くように響き渡った。
「今度こそ君だけは、幸せにしてみせるよ」
――――――
『次回予告』
光の十字架が消え去り、使徒は確かに沈黙した。だが、その代償はあまりにも大きかった。活動限界を迎えるエヴァたち、そして、まるで終わりを告げるかのように現れた、謎のエヴァMark.06。そのパイロット、渚カヲルが語るのは、僕たちが知り得なかった世界の真実。
次回「ネルフの忌日」
この戦いに、終わりはあるのか
やりたかったことやれてるんで筆が乗ってます。
ただ、この後の展開が微妙なんでまた時間空き始めるかもしれないです。
てかQの全記録全集6月上旬じゃなかったのか!!それがないと書き辛いよ涙