第拾八話 ネルフの忌日
僕たちが思わず見上げると、月光を背負い、神々しくもどこか恐ろしいエヴァMark.06が、静かに飛来してきた。 鈍色の機体は、まるで最初からそこにいたかのように、不気味なほど完璧な姿で僕たちを見下ろしていた。
シンジ君の初号機も僕の3号機も、満身創痍のまま立ち尽くす。 圧倒的な力で使徒を瞬時に葬り去ったMark.06に、僕たちの心は畏怖と戸惑いで満たされた。
「デフコン4! 各員、警戒態勢を維持!」
ミサトさんの声がオペレーターたちに響く。使徒を倒したばかりで疲労はピークなのに、今は目の前の不明機を警戒しなければならない。僕たちの連戦は、まだ終わっていなかった。
Mark.06は、僕たちのすぐそばの地面に音もなく降り立った。その巨体が目の前にあることに、僕は思わず息を呑む。パイロットの意図を測りかねて、僕たちは固唾を飲んでその動向を見守ることしかできなかった。
「ユーロやその他ネルフからの出撃記録は無し、か……」
ミサトさんの声が、どこか苛立ちと困惑をはらんで響く。
「本当に不明機ね。これからの扱いをどうすべきか。味方として捉えて大丈夫なのか…」
彼女の呟きは、僕たちパイロットだけでなく、ネルフのスタッフ全員に共通する疑問だった。圧倒的な力で使徒を殲滅した謎のエヴァ。その存在は、希望であると同時に、新たな脅威となり得る。僕たちの戦いは、新たな局面を迎えるだろう。
「…使徒じゃ…無いよな…!?」
僕の声は擦れていて、ほとんど聞こえなかったかもしれない。だが、通信回線が辛うじて繋がっていることに気づき、僕はもう一度意識を集中して問いかけた。
「そこのパイロット! 通信を開いてくれ! 君は、一体…僕たちの、味方なのか!?」
僕の問いかけに、不明機のコックピットから、聞いたことのある透き通った声が響いた。渚カヲルの静かな声だった。
「僕は君たちの側の者だ。老人たちでは無くね。」
カヲル君だ。間違いなくそうだ。その声には、達観したような静けさと、しかし確かな意思が感じられた。カヲルの言葉は、僕たちの問いに直接答えたようで、同時に新たな謎を提示した。ゼーレより僕ら側?
(カヲル君は使徒で……ゼーレによって送り込まれた使者のはずだ。)
僕の頭の中で情報が錯綜する。ゼーレの使者が、なぜ「老人たちではない」と、まるでネルフの裏側にいる存在と敵対しているかのような言い方をするのか? 彼が僕たちの「側」だという言葉は、一体どこまで信用できるのだろう。彼の瞳の奥に宿る、あの読めない優しさは、真実なのか、それとも…。
周囲の緊張感は依然として高く、僕の機体も疲労困憊だ。しかし、この渚カヲルという存在が、これからの戦いにどう関わってくるのか、僕の胸騒ぎは止まらなかった。
「そこの不明機も収容します。いいわね。」
ミサトさんの声が、決意を秘めて響き渡った。僕の問いかけには答えなかったMark.06へ向けられた明確な命令。ネルフとしても、この謎の機体を野放しにはできないということだろう。
ミサトさんの指示を受け、NERVの回収部隊が動き出した。巨大な牽引ワイヤーが、疲弊しきった僕たちのエヴァ、そして謎のMark.06へと伸びてくる。
「全機、エヴァ格納庫へ帰還! パイロットは速やかに帰投!」
ミサトさんの声が、改めて通信回線に響く。シンジ君の初号機も僕の3号機も、満身創痍で歩行もままならない状態だ。マリの2号機も、先ほどの光線で受けた損傷がひどく、自力での移動は困難だった。それでも、マリの微かな息遣いが聞こえ、彼女が無事であることに安堵する。
零号機は、先ほどの使徒への特攻で機体の大部分が損壊していた。かろうじて機体として判別できる残骸がクレーターの縁に残されており、複数の牽引ワイヤーで吊り上げられ、ゆっくりと僕たちの後を追うように運ばれていく。その光景は、レイがどれほどの危険を冒したかを物語っていた。
そして、最も注目すべきはMark.06だ。カヲルの言葉の真意は掴めないままだが、ミサトさんの「収容する」という決定に、Mark.06は特に抵抗することなく、静かにワイヤーを受け入れた。その青鈍色の機体が、NERVの回収班によってゆっくりと吊り上げられていく。
僕たちもまた、重い足取りで格納庫へと続く通路を進む。Mark.06は、僕たちと同じように回収されていく。その姿を横目に、僕は再びカヲルの言葉を反芻する。
「僕は君たちの側の者だ。老人たちでは無くね。」
その言葉の真意は? そして、彼が僕たちと同じようにNERVに回収されることに、一体どんな意味があるのだろうか? 僕たちの戦いは、使徒が消え去った今もなお、新たな謎と不安を抱えたまま、次のステージへと進むことになる。
格納庫に到着すると、既に待機していたアスカが、収容されていく各機体の様子を腕組みして見上げていた。特にマリの乗る2号機の惨状を目の当たりにすると、彼女の顔がみるみるうちに真っ赤になった。2号機は右腕が完全に吹き飛び、装甲のあちこちがひどく焼焦げ、今にも崩れ落ちそうなほどだった。
「ななななんでこんなことになってんのよ!私の2号機が!!」
その勢いに、整備班の何人かが思わずのけぞる。シンジ君はそんなアスカの様子に思わず苦笑いを浮かべ、僕もまた、安堵からか小さく息を漏らした。この状況でこれだけ元気なのは、さすがアスカだ。
その時、2号機のエントリープラグからマリがふらふらと出てきた。顔には血がつき、髪は乱れているが、その表情にはどこか飄々とした笑みが浮かんでいる。
「ごめん、姫。姫のエヴァ、壊しちゃった。」
マリは軽く手を挙げながら、悪びれる様子もなく言った。その言葉に、アスカの血管がさらに浮き出るのが見えた。
「何が姫よ! あんたいったいどういうつもりよ! アタシの大事な2号機に無許可で乗ったはおろかこんなボロにするなんて、タダじゃ置かないわよ!!」
アスカは、今にもマリに飛びかかりそうな勢いで叫んだ。マリは鼻眼鏡をクイッと上げ、面白そうにその様子を眺めている。二人の間に火花が散るような空気が流れた。
アスカとマリの騒がしいやり取りを後に、僕はMark.06の収容されている格納庫へと足を進めた。疲労とLCLの独特な匂いが体にまとわりつく。シンジ君とも廊下で出会い、歩を進めた。
「二人とも無事でよかった。」
僕はシンジ君にそう話しかけた。アスカとマリが元気なのは何よりだ。零号機の回収を見守る僕の目に、安堵の色が浮かんだ。
「うん……綾波は? 綾波は大丈夫なの?」
僕の問いかけに、例に付き添っていたシンジ君が口を開く。
「綾波は先に医務室へ搬送されたよ。ミサトさんが、『命に別状はない』って言ってた。だから、大丈夫だ。」
シンジ君の言葉に、張り詰めていた緊張が少しだけ緩んだ。本当に、よかった。
さて、と僕は気持ちを切り替える。本題は、今まさに格納庫の奥へと牽引されていった、あの謎のMark.06だ。僕はシンジ君と共に、その機体を追うように歩き出した。
Mark.06は、他の損傷機とは違い、自律で移動できる状態だったにもかかわらず、NERVの回収クルーに囲まれて、厳重な警戒のもと、専用の格納区画へと運ばれていく。その青鈍色の巨体は、先ほど使徒を瞬時に葬り去った力を秘めていると考えると、やはり不気味だった。
僕たちは格納庫の奥へと歩を進めた。回収されたMark.06のエントリープラグの周囲は、武装したNERVの職員で固められ、銃先が厳重にプラグに向けられていた。その光景は、あまりにも異様で、僕の胸に刺さった。
「なんでこんなことになってるんだ?」
僕が思わず声を上げると、シンジ君も同じように困惑した表情を浮かべた。
「あのエヴァは、僕たちを助けてくれたのに、この警戒態勢は失礼ですよ。」
僕の疑問に、シンジ君も同意するように黙って頷いた。僕たちの命を預けるエヴァを、まるで危険な囚人のように扱う光景は、あまりにも理不尽に思えた。Mark.06のパイロットであるカヲル君は、あの使徒を倒すという、僕たちにはできなかったことを成し遂げた。なのに、この扱いだ。
その時、僕たちのインカムにミサトさんの声が響いた。
「いい? 私たちNERVには、人類の平和を守る義務と責任がある。そして、そのために、あらゆる不確定要素を排除する必要があるの。たとえそれが、使徒を倒した未知の存在だとしてもね。」
ミサトさんの声は冷静で、いつもの彼女の冗談めかした口調とはかけ離れていた。その言葉の重みが、僕たちの胸にずしりと響く。
「だから、今は彼を信じることはできない。慎重に、そして徹底的に、彼の正体と目的を突き止める。それが、私たちに課せられた使命よ。」
ミサトさんの言葉は、この厳重な警備の理由を明確にしていた。信頼できない相手に対して、感情的な介入は許されない。それがNERVの、そして人類の命運を預かる者の宿命なのだ。
まさにその時、武装した職員が固めるMark.06のエントリープラグのハッチが、ゆっくりと音を立てて開いた。内部から漏れる光に、全員が息を呑む。そして、その中から、渚カヲルが姿を現した。
「その心配はないですよ。」
透き通るような声が、静まり返った格納庫に響き渡る。カヲル君は、NERVの警戒態勢を意に介する様子もなく、その場に立つ武装兵たちを、どこか優しげな、しかし全てを見透かすような瞳で見つめていた。まるで、彼らの警戒そのものが、無意味だとでも言いたげな表情だ。
その言葉と、彼が放つ圧倒的な存在感に、武装兵たちの銃口がわずかに揺れた。
「僕は、この世界を存続させるために来たんです。」
カヲルの言葉は、僕たちの耳に鮮明に届いた。その内容は、ミサトさんの警戒とは裏腹に、驚くほど友好的で、そして意味深長だった。武装兵たちの間にも、目に見えない動揺が走るのが分かった。
カヲルはゆっくりとステップを踏み、格納庫の床に降り立った。その優雅な動きは、周りの緊迫した雰囲気とはまるで不釣り合いだ。彼はまっすぐにシンジ君の方を見据えると微笑み、ミサトさんに向き直るとその美しい唇から、次の言葉を紡ぎ出した。
「ところで、シンジ君の父上たちは、どちらにいらっしゃいます?」
その問いかけに、僕もシンジ君も、そして彼の言葉を聞いているミサトさんも、思わず息を呑んだ。
「……父さん?」
シンジ君は呆然とした表情で呟いた。その声には、急に話しかけられた戸惑いと「そういえば」という気持ちが混じっていた。
その瞬間、ミサトさんのインカムから、鋭い声が響き渡った。
「碇司令と冬月副司令に連絡を取って!不明機の少年が連絡を取りたいらしいわ。至急!」
オペレーターの声が慌ただしく返ってくる。
「……しかし、葛城一佐。司令と副司令は……」
「いいから早く!緊急事態よ!」
ミサトさんの焦りが、通信越しでもひしひしと伝わってくる。そして、次のオペレーターの言葉が、格納庫に冷たい現実を突きつけた。
「……応答がありません!各回線、全て不通です!」
「居ない!?そんな馬鹿な!」
ミサトさんの絶叫が、僕たちの耳にも届く。彼女の声には、驚きと、信じられないという困惑が色濃く混じっていた。総司令官と副司令官が、使徒との死闘の最中、そして終結後も、まさか連絡すら取れない状況にあるとは。
「最後の連絡は……いつなの!?」
ミサトさんの問いに、オペレーターはたどたどしく答える。
「それが……使徒襲来の最中を最後に、一切……」
ミサトさんの呼吸が、インカム越しに乱れるのが分かった。彼女自身、この事態を全く知らされていなかったのだ。ネルフの中枢に、一体何が起こっているのか。
カヲルは、そんな僕たちの混乱と、ミサトさんの動揺を静かに見つめていた。そして、再びその口を開いた。
「やはり……計画の時は近いようだね。」
その言葉の響きには、冷たい確信と、避けられない未来を予感させるような重みがあった。NERV上層部の不在、そしてこの渚カヲルの存在。僕たちの知らないところで、何かが大きく動き出している。
僕の頭の中で、情報が急速に整理されていく。
(計画の時…? でも、正史でのサードインパクトにはまだ早い。それに、今倒した使徒は、正史の「ゼルエル」の役割を担っていたはずなのに、ナンバリングは「第10使徒」だ。正史でのゼルエルは「第14使徒」だったはず…使徒の数が少ないのか?)
使徒の数が少ないということは、その分、人類が迎えるべき運命のプロセスが、加速している可能性を示唆している。死海文書外典……旧約聖書と新約聖書。エヴァンゲリオンの世界は、これらの記述と深く関連している。天使の名前を冠する使徒たち。もし、使徒の数が削減されているとしたら……使徒といえばキリスト教の12人の聖者のことだ。もし使徒が12体だとしたら……それは人類補完計画、つまりサードインパクトへの道筋が、正史とは異なる、より迅速な形で進められているのかもしれない。
僕の頭の中で、新たな仮説が組み立てられていく。使徒の数が減少しているのは、単なる偶然ではない。もし、彼らが補完計画を早期に、あるいは異なる形で実行しようとしているのなら、使徒の数は、正史とは異なるのだろうか。あるいは、一部の使徒は既に排除されたか、利用されているか。
カヲルの瞳は、僕の思考を全て見透かしているかのようだ。彼の存在そのものが、この世界の真実を僕に問いかけている。
「サードインパクト……どのようにして行われるのかわからないけど、絶対に止めてみせる。そのためには、どうしたらいい?君なら、わかるはずだ。」
僕の声は、格納庫に響き渡った。それは、カヲルに向けた僕自身の宣言であり、この世界を蝕む闇に対する、僕の宣戦布告だった。ミサトさんやシンジ君、そしてそこにいるNERVの兵士たちにも届くように、強く、はっきりと告げた。この言葉に、僕の決意が全て込められていた。
僕の宣言を受け止めるミサトさんの眼差しは、覚悟を秘めていた。カヲルの言葉の真意、そして碇司令と冬月副司令の不在。不確定要素が多すぎる状況で、これ以上カヲルを自由にさせておくわけにはいかないという決断が、その瞳に宿っていた。
「葛城一佐、彼の身柄を拘束しますか!?」
沈黙を貫いていた武装職員の一人の緊張した声が、静まり返った格納庫に響き渡る。武装職員たちの銃口は、再び一斉にカヲルに向けられた。
ミサトさんは、深く息を吸い込むと、迷いのない声で告げた。
「ええ。彼を拘束します。」
その言葉は、まるで鋼鉄の意志を秘めているかのように、冷たく、そして重かった。武装職員たちの間に、わずかな緊張が走る。彼らは一斉にカヲルへと詰め寄ろうとした。しかし、カヲルは動じることなく、静かに微笑んでいた。その表情は、まるで全てを予期していたかのようだった。
「やはり、そうなりますか。構いませんよ。」
カヲルは、何の抵抗も見せることなく、武装職員たちの前に自ら歩み出た。その姿は、まるで自ら進んで檻の中に入るかのような、どこか達観した雰囲気さえ漂わせていた。
「…無抵抗なのね。拘束部隊、最新の拘束具で彼を確保して。念のため、警戒は厳重に。」
ミサトさんの指示が飛び、NERVの特殊拘束部隊がカヲルのもとへと向かう。彼らは最新鋭の拘束具を携え、慎重にカヲルを取り囲んだ。僕とシンジ君は、その光景をただ見つめることしかできなかった。目の前で繰り広げられる状況は、僕たちの理解を超えていた。カヲルの言葉の真意、そして彼が何をしようとしているのか。全ての謎が、僕たちの目の前で、ゆっくりと、しかし確実に、その形を変えようとしていた。
「サードインパクトを止める。そのためには、彼を信じるべきなのか、それとも…」
僕の心の中で、葛藤が渦巻いていた。カヲルは、僕たちに協力的であるように見える。しかし、その言葉の裏に隠された真意は、まだ読み取れない。NERVは、彼を敵とみなして拘束しようとしている。この選択は、本当に正しいのだろうか。
その時、格納庫の入り口から、聞きなじみのない、しかし今は最も耳にしたい声が響いた。
「おいおい、勝手に盛り上がってるところ悪いが、その結論は拙速に過ぎるんじゃないか?」
振り返ると、そこに立っていたのは、いつものように飄々とした笑みを浮かべた加持リョウジだった。彼は片手にコーヒーカップを持ち、もう片方の手はポケットに突っ込んだままだ。その姿は、この緊迫した状況とは不釣り合いなほどリラックスしているが、彼の眼差しは鋭く、全てを見通しているかのようだった。
「加持さん…!」
「加持君!? なぜここに!?」
思わず声を上げた僕に、加持さんはいつもの飄々とした笑みを浮かべた。僕は、彼に引け目を感じて思わず肩をすくめる。あの時、加持さんが助け舟を出してくれたのに、事故だけで勝手に結論を出して元さやに戻ったことへの後悔が、僕の胸を締め付けていた。
しかし、加持さんは僕のそんな気持ちを察したように、軽く手を振ってくれた。
「いいよ、気にするな。」
その言葉は、僕の肩に乗っていた重い荷物を少しだけ軽くしてくれた気がした。加持さんの眼差しは、僕の心を労わるような優しさに満ちていた。その後ミサトさんに向き直ると加持は軽く肩をすくめた。
「ちょっとした情報収集さ。まさか、司令と副司令が揃って雲隠れとはな。NERVも随分と手薄になったもんだ。」
彼はゆっくりと歩みを進め、カヲルのすぐそばまで来ると、その瞳を覗き込むように見つめた。カヲルもまた、加持の視線を受け止める。二人の間には、言葉にはできない、しかし確かな緊張感が漂っていた。
「で、君が噂の渚カヲル君か。ゼーレからの使者と聞いていたが、随分と……若々しいな。」
加持の言葉に、格納庫の空気は再び張り詰める。「ゼーレ」という言葉に、武装兵たちの銃口が再びわずかに揺れた。
「僕たちは君たちの側の者だ、と言っていたそうじゃないか。だが、その言葉の真意は、まだ測りかねる。信じるに足るかどうかもな。」
加持はそう言いながら、カヲルから視線を外し、ミサトに向き直った。
「葛城一佐。この状況で、司令と副司令が不在となれば、ネルフの指揮系統は一時的に麻痺する。使徒を退けたとはいえ、この未知のエヴァと、そのパイロットの存在は、我々にとって新たな脅威となりかねない。」
ミサトは、加持の言葉に沈黙した。彼が何を言いたいのか、彼女には明確に理解できた。
「そこでだ。」
加持は、コーヒーカップを一口飲むと、静かに、しかしはっきりと告げた。
「バチカン条約というものがある。エヴァの保有数を制限する、あの条約だ。」
彼の言葉に、僕の頭の中で「バチカン条約反故」という言葉が響いた。どんな条約かは定かではないが。この世界では最重要項目だろうエヴァに関する条約。
「現時点では、このMark.06の存在や先の戦闘行動自体が、条約に抵触しかねない。加えて、パイロットの身元が不明なままでは、ネルフの責任問題にも発展するだろう。」
加持は、ゆっくりとカヲルを指差した。
「そこで提案だが、この渚カヲルくんを、暫定的にNERVの最高司令官に据えてみてはどうだ?」
その言葉に、格納庫にいた全員が息を呑んだ。君もシンジも、そしてミサトでさえも、驚きを隠せない。
「加持君、何を言っているの!?」
ミサトの声が、かすかに震えた。
「ゼーレの人間を、このNERVのトップに据えるなんて、正気なの!?」
加持は、そんなミサトの動揺を意に介する様子もなく、静かに答えた。
「ゼーレだからこそ、だ。ゼーレが何をする組織かは一般職員や外部組織には知られていないが、ネルフの上層部組織であることは知られているだろう。そして、我々の知らないところで、人類補完計画が進められているというのなら、その計画の深い部分を知る彼が、最もこの状況を理解しているはずだ。そして、バチカン条約反故の責任を、彼に押し付けることもできる。」
加持の提案に、格納庫の誰もが言葉を失った。そして、彼が発した「ゼーレ」と「人類補完計画」という言葉に、ざわめきが起こる。NERVの職員たちは、その言葉の響きにただ困惑するばかりで、具体的な意味を理解している者はほとんどいなかった。シンジは困惑した表情で君を見上げ、ミサトもまた、眉をひそめていた。
「ゼーレ……人類補完計画って、一体何なんですか、加持さん!?」
シンジ君が焦れたように問い詰めるが、加持はただ静かに首を横に振るだけだった。
「今はまだ、話せないこともある。だが、この状況を打開するためには、彼が必要だ。」
カヲルは、そのざわめきを意に介することなく、ただ静かに微笑んでいる。彼の瞳は、全てを見透かしているかのように深く、その沈黙は、NERVの混乱をさらに深めるものだった。
「彼が、この世界を存続させるために来たと言うのなら、我々はその言葉を信じるほかない。少なくとも、今はな。そして、その真意を探るには、彼を内部に取り込むのが一番だ。」
加持は、カヲルをちらりと見た。カヲルは、依然として静かに微笑んでいる。まるで、加持の提案が最初から彼の計画の一部であったかのように。
君は、加持の言葉に様々な感情が渦巻くのを感じていた。カヲルを信じたい気持ちと、ゼーレの使者である彼への疑念。そして、加持の提案が、いかに冷徹な選択であるかということ。
◇ ◇ ◇
暫くして、ネルフの主要職員やパイロットたちは、国連議会での厳しい追及を受けていた。
議場には重苦しい空気が立ち込め、各国の代表者たちが険しい表情で証言台に立つミサトさんやシンジ君たちを見つめている。今回の使徒襲来、そしてそれに続くMark.06の出現とカヲルの処遇は、国際社会に大きな波紋を広げていたのだ。
「葛城一佐。今回の使徒襲来において、貴官らは適切な情報公開を怠り、さらに不明なエヴァンゲリオンとパイロットを独断で収容した。これは国際的な協調体制を無視する行為であり、極めて遺憾であると言わざるを得ません!」
国連軍の代表が声を荒げ、ミサトさんに詰め寄る。ミサトさんは冷静な表情を保ちつつも、その視線には微かな疲労の色が浮かんでいた。
「ネルフは、人類の存亡に関わる危機に際し、最善の選択をしたと認識しております。Mark.06は使徒を殲滅し、人類の脅威を取り除いた。その力を安易に排除することはできませんでした。また、情報公開については…」
「言い訳はよろしい!」
ミサトさんの言葉を遮るように、別の代表が非難の声を上げた。
「碇司令、冬月副司令の所在も不明と聞いている。ネルフの指揮系統は一体どうなっているのか!?」
馬頭ともいえる尋問が続く中、沈黙を貫いていた渚カヲル、いや渚指令代理が口を開いた。彼の透き通るような声が、騒然とした議場に静かに響き渡る。
「碇司令、冬月副司令の所在につきましては、目下、我々ネルフでも確認を進めている最中でございます。しかし、この状況において、指揮系統に空白を生じさせるわけにはいきません。その責務を果たすべく、私が暫定的に指揮を執らせていただいております。」
カヲルの言葉は、驚くほど淀みなく、心に入り込んできた。まるで、この状況が全て彼の掌握下にあるとでも言いたげな毅然とした態度だ。議場のざわめきが、彼の声によって一時的に静まった。各国の代表者たちは、彼の若さと、その発する言葉の重みに困惑した表情を浮かべている。
「私がここにいるのは、決して個人的な感情によるものではありません。この世界を存続させるという、より大きな目的のためです。そして、その目的達成のためには、ネルフが機能し続けることが不可欠であると判断いたしました。」
カヲルの瞳は、議場にいる全ての人間を見据えるかのように鋭く、しかしその奥には、読めない優しさが宿っていた。彼の言葉は、ネルフの指揮系統の混乱に対する直接的な回答であり、同時に彼の行動原理を明確に示していた。しかし、その言葉の裏に隠された真意を理解できる者など、この場には誰もいなかっただろう。僕でさえ、彼の言葉に込められた本当の意味を測りかねていた。
「私たちパイロットは、ただ使徒と戦うことだけを命じられてきました。詳しいことは何も知りません!」
シンジ君が、震える声で訴えた。彼の正直な言葉は、議場の空気を一時的に変えたが、根本的な解決には至らない。
議会は紛糾し、ネルフへの不信感と責任追及の声が高まるばかりだった。加持さんの提案でカヲル君が暫定的ながら最高司令官に就任したことも、議会をさらに刺激したようだった。
僕たちの戦いは、エヴァに乗って使徒と戦うだけでは終わらない。政治、そして僕たちの知らないところで進行する何かが複雑に絡み合い、事態は僕たちの想像以上に深刻な方向へ進んでいる。
最終的に我々の組織はゼーレの人間を頭に据えてる今、数多くの組織改定、透明化と、呼称をゼーレネルフと改定することでこの会議は幕を閉じた。
――――――
『次回予告』
ゼーレネルフの新体制が幕を開けた。
渚カヲルが司令代理となり、新たな秩序が生まれようとしている。彼の言葉の真意、そして、加持リョウジがこの状況にどう関わっていくのか。全てのピースが揃いつつある中で、見えない「計画」の全貌が少しずつ明らかになるだろう。
僕たちは、自分たちが信じる「味方」と共に、この世界の行く末を決める戦いに身を投じていく。それは、エヴァに乗って使徒と戦うだけではない、より深遠な真実への道のりだ。
次回、「戦いの後に来るものは」
僕たちが進む先に待つものとは一体…?