エヴァンゲリオンAnotherWorld   作:時雨光多

29 / 42
第弐拾八話 死の浸食

「シンジ君!Mark.06を!奴をリリスから引き離す!」

 

カナメは叫んだ。

 

「でも、あんなに手が……!」

 

シンジの声は震えていたが、迷いはなかった。 初号機は、Mark.06を覆い尽くす無数の手の奔流目掛けて、プログレッシブ・ナイフを構え突進した。3号機は、満身創痍の機体を無理やり起動させ、初号機の援護に回る。 ガアアアア! 初号機のナイフが、白い手の渦を切り裂く。それはまるで、大量の生肉を断ち切るかのような、おぞましい感触だった。シンジは、その手が生み出すA.T.フィールドの抵抗を、力でねじ伏せていく。 カナメは、3号機の残された力を全てA.T.フィールドの一点集中に注ぎ込み、白い手の壁に穴を開けた。

 

「シンジ君!今だ!Mark.06を引き抜け!」

 

初号機は、カナメが開けたわずかな隙間から侵入し、Mark.06の肩を両手で掴んだ。

 

「動け!Mark.06!」

 

シンジは、全力で引っ張り上げる。 Mark.06は、まるで深い泥沼に沈み込んでいるかのように、微動だにしなかった。無数の手は、装甲の隙間に潜り込み、機体を有機的に絡め取り、内側へと融合を図っている。そんな最悪な状況の中、さらに最悪の知らせが届いた。

 

「シンジ君、遅い!もう、Mark.06のエネルギーパターンが、リリスと融合し始めている!」

 

日向が、血を吐くような声で警告した。 その時Mark.06のバイザーが、一瞬、激しい赤い光を放った。それは、何としてもサードインパクトを阻止する、それを最優先として発せられた命令だった。 Mark.06は、初号機が引き離そうとする力に抗い、残された駆動力を、自らが握るカシウスの槍の駆動へと注ぎ込んだ。白い手の奔流も、その決定を阻むことはできない。 Mark.06は、その身をリリスの巨大な胴体に押し付けられたまま、握りしめたカシウスの槍を、自らのコア目掛けて、容赦なく突き立てた。

ドゴオォォォン!!

鈍く、重い、凄まじい衝撃がターミナルドグマ全体を揺さぶった。神を殺すための槍が、自らを殺す刃となった。 カシウスの槍はMark.06の機体とコアを貫通し、その先端が、ロンギヌスの槍が刺さっている位置とは反対側の、リリスの胴体深部へと到達した。 Mark.06の全身から、青灰色の光の粒が噴出し、機体の色を失っていく。

そして、カシウスの槍がリリスの胴体を貫いた瞬間、リリスの首が刎ねられた白い断面から噴出していた無数の手の奔流が、時間停止したかのように、一瞬で収束した。胴体全体を包んでいた不規則なエネルギーの波動も、そこで完全に鎮静した。

 

「Mark.06、沈黙!生命反応なし! リリスの胴体からの異物噴出、完全に停止!これは……」

 

リツコの震える声が、絶望的な状況での希望を伝えた。 初号機は、力なく手を離した。Mark.06は、カシウスの槍を自らに突き立てたまま、ロンギヌスの槍と共にリリスの胴体を貫く形で、完全に動きを止めた。 カナメは、ダウンした3号機の中から、その光景を見ていた。

加持の命と、Mark.06の機体という巨大な犠牲と引き換えに、リリスの胴体という脅威は、ようやく沈黙した。

 

「Mark.06の犠牲で、胴体の活動は完全に停止したわ。ロンギヌスの槍とカシウスの槍、二本によって、リリスは完全に機能を停止したはず!」

 

ミサトの声に、安堵と痛みが混ざり合う。 だが、リツコの言葉に、すぐに新たな緊張が走った。

 

「なにこの反応!ターミナルドグマの床に転落したリリスの首を確認して!」

 

リリスの相貌――巨大な頭部。その顔の瞳に灯っていた赤い光は、Mark.06の自決によって一度消えていた。しかし、その顔は、沈黙した今も、まるで眠っているかのような、静謐な表情を浮かべ、再び、その瞳の奥が微かに発光し始めていた。 じわりと、微かな紅い光が、リリスの巨大な瞳の淵から滲み出す。それは、覚醒時の猛烈な輝きではない。しかし、その光は、確かに生命の残渣、あるいは魂の核が健在であることを示していた。開かれた口の奥からは、微細な、不規則なエネルギーの波動が、未だに発せられていた。

 

「リリスの頭部……生命反応は微弱ながら残っています!そして、発光が健在よ!胴体と分離し、二本の槍の拘束を免れた頭部が、『情報体』としての核を保持している!これが、最後の障壁よ!」

 

ミサトの悲痛な叫びが空気を切り裂いた。

 

「加持くんの命、そしてMark.06の機体まで……!それでも、止められないというの!」

 

カナメは、震えるシンジの声を聞いた。

 

「カナメ……胴体は止まった。でも、あの光がある限り、全部が無駄になる。僕らが、あの首を、なんとかしないと……!」

 

満身創痍の3号機は、もう動かない。カナメは、初号機へ最後の通信を送った。 「シンジ君。もう、槍はない。ナイフで、光を、その核を……!加持さんとMark.06の犠牲に、僕たちが応えるんだ!」

 

シンジは、その想いを胸に、孤独な戦いを引き継ぐため、巨大なリリスの頭部へと、プログレッシブ・ナイフを構え、重い足取りで歩み始めた。リリスの瞳の微かな発光が、シンジの初号機を静かに、しかし威圧的に見つめ返していた。

 

◇ ◇ ◇

 

ミサトは、眼下のターミナルドグマのモニターから、一瞬、地上の状況を示すサブモニターへと視線を移し、息を呑んだ。

 

「日向君!地上の被害状況をもう一度!」

 

ミサトの声が、命令というよりは、確認を求める悲鳴に近いものになった。

 

「は、はい!第三新東京市全域の画像解析を開始!……な、なんだこれは!?」

 

日向の声が、絶叫に変わる。 モニターには、赤く染まった第三新東京市の風景が映し出されていた。それは、単なる血の色ではない。大地、ビル、そして触れたものが、赤いコアへと変質し、そこから異様な姿の巨大な人型が、まるで泥の中から生まれるように湧き出していた。

 

「地表のコア化が急激に進行しています!大地が!赤い海と同様の物質へと変わっていきます!インフラ、完全に機能停止!」

 

「人、動物問わず、赤化に触れた個体は、瞬く間に異形の存在へと変貌!これが……インフィニティ!」

 

「やられたっ!此処に来て止められなかった!」

 

ミサトは、机を叩いた。 リツコは、冷静さを失いかけているミサトを振り返った。

 

「ミサト!リリスの肉体は止まっても、頭部が、情報体としての核が、扉を完全に閉じることを拒んでいる!胴体の活動停止で不完全なまま顕現してしまったのよ!不完全とは言えこれほどとは思わなかったけれど……」

 

司令室全体に、絶望が広がった。地下の死闘は、地上で進行する世界の崩壊を、止めることができなかったのだ。 その間にも、ターミナルドグマのシンジは、一歩ずつリリスの頭部に近づいていた。

 

「シンジ君、急いで!地上が!もう、後がないわ!」

 

ミサトは、絶叫に近い声でシンジを急かす。 シンジは、リリスの巨大な瞳の淵から滲み出す微かな紅い光に焦点を合わせ、プログレッシブ・ナイフを構えた。

 

「行くぞ……!」

 

シンジは、機体の残された全てを叩き込み、一気にリリスの頭部へと跳躍した。 だが、リリスの頭部は、無言のまま、待っていた。 キィィィィィィィン……! 頭部の奥から発せられていた微細なエネルギーの波動が、突然、巨大なA.T.フィールドとして爆発した。純粋な、情報体の、精神的な圧力。 ドゴォン! 初号機の機体が、見えない壁に弾き飛ばされ、ターミナルドグマの床に激しく叩きつけられた。

 

「シンジ君!」

 

カナメが叫ぶ。満身創痍の3号機は、わずかに指先を動かすのが精一杯だった。

 

「くそっ!まだこんな力を!」

 

シンジは、倒れた機体を無理やり押し起こす。リリスの瞳の赤い光が、まるでシンジの抵抗を嘲笑うかのように、一瞬だけ強く瞬いた。

 

その時、司令室のメインスピーカーに、ノイズを切り裂くように、静謐な声が響いた。通信回線を示すランプは、赤ではなく、奇妙な白く点滅していた。

 

「間に合わなかったね。碇シンジくん」

 

その声は、渚カヲルのものだった。しかし、その声には、以前のような優しさだけでなく、指令としての重みが加わっていた。

 

「渚指令!?どういうこと!?」

 

ミサトは混乱した。

 

「リリスの魂の消滅は確認した。世界の終わりは、一時的に回避された。しかし、今回のインパクトは不完全ながら顕現し、君たちの世界を紅く染め始めている」

 

声は、地下の状況を全て把握しているかのように、冷静に続けた。

 

「計画は失敗した。だけれど、僕と、リョウちゃんとで定めていた予備の計画がある。それは、彼の忘れ形見であり、人類の生き残りのための道筋だ」

 

ミサトの心臓が激しく脈打った。

 

「加持の…遺志?」

 

「葛城一尉。君は、碇シンジくんと葛城カナメくんの命を最優先し、直ちに現在のネルフ本部を放棄してほしい。君たちには、世界の修復という、新たな役割がある」

 

カヲルは、リツコのコンソールに直接、一連の座標データを転送した。

 

「ミサト!この座標は……アンチLシステムのある一座標と一致している!どうやら完成しているようね...周囲のコア化が遮断されているわ!そして、内部に、大量の非戦闘員の生命反応と……巨大な艦影らしきものが」

 

リツコが驚愕の声を上げた。

 

「その相補性L結界浄化無効阻止装置で囲われた空間に、君たちの希望――シンジくんの同級生を含む、少数の市民を避難させている。そして、その巨大な戦艦こそが、僕たちの最後の切り札だ。NHG Buße。『ガフの守人』として建造されたものだが、これはリリン再建の艦になる」

 

渚指令の声は、静かに、そして厳かに結論を告げた。

 

「急いでほしい。シンジ君たちは限界だ。どうかこちらまで来てほしい。そこから最後の審判が始まる。そこで、彼らとの最後の決着としよう」

 

通信は、そこで完全に途切れた。

ミサトは、顔を上げ、ターミナルドグマのモニターに映る力尽きかけた初号機と、その傍らの満身創痍の3号機を見つめた。 ミサトは深呼吸をし、周囲のスタッフを見渡した。地上のコア化の進行が止まっても、このNERV本部全体が、いつリリスの血に染まった大地と同じ運命を辿るか分からない。

 

「全オペレーターに告ぎます!今より、司令室を閉鎖し、全員、渚指令の示した座標へ緊急退避して!」

 

オペレーターたちは、驚きと安堵が入り混じった表情を浮かべた。

 

「リツコ、機密保持とシステム停止を最優先!シンジ君とカナメ君の回収班は、直ちにターミナルドグマへ急行!機体ごと、指定座標へ輸送せよ!この本部は、もう安全じゃない。ネルフを捨てるわ」

 

「承知したわ、ミサト。主要データは全て持ち出す。その後破壊する」

 

リツコは冷静にコンソールを操作し、重要データのバックアップと、システムのシャットダウンを開始した。データ転送完了と同時に、彼女はメインシステムに自己破壊コマンドを入力した。

 

「アスカとマリも回収!アスカの機体は、すでに活動限界を超過。マリは無事だが、重度の疲労。すぐに医療ポッドへ!」

 

四人のパイロットは、迅速に医療用簡易ポッドに移され、待機していた輸送ヘリへと運び込まれていく。 初号機、3号機、2号機、8号機の四機のエヴァは、ワイヤーで巨大な輸送機に吊り下げられ、ネルフ本部の中央シャフトを緊急上昇した。 ミサトは、自身のコートを羽織り、リツコと日向と共に、司令室の厳重なハッチを後にした。彼女たちが去った後、司令室の照明が次々と消え、巨大なメインモニターには、力尽きた初号機と、紅い光を失ったリリスの頭部の姿だけが、静かに映し出されていた。

ミサトたちが高機動車両でネルフ本部を後にする直前、地下深くでメインシステム破壊の爆音が轟いた。特務機関NERVは、ついにその役割を終え、紅く染まり始めた大地に沈黙した。ミサトは、ターミナルドグマへ向かうシャフトの奥、最後の電源が落ちる前に一瞬だけ見えた光景を忘れないだろう。二本の槍に縫い止められたMark.06とリリスの胴体。そして、微かな紅い光を灯すリリスの頭部。

 

「加持くん、Mark.06…!必ず、この犠牲を無駄にはしない!」

 

ターミナルドグマの底に残されたのは、渚指令の言葉通り、時が止まったかのような静寂だけだった。シンジとカナメの回収を終えた輸送機が、コア化の進む地上へと、人類の最後の希望を乗せて上昇していった。

ミサトたちが乗る高機動車両と、二機のエヴァを吊り下げた輸送機は、紅く染まり、異形のインフィニティの群れが蠢く赤い大地の上空を、高速で移動していた。

 

「ミサトさん、座標確認!前方に大規模なL結界無効化領域!あれが、渚指令の言ったアンチLシステムの結界です!」

 

日向の報告通り、赤い荒野の中に、そこだけ光の壁に守られたドーム状の空間が浮かび上がっていた。結界の内部だけは、コア化の影響を一切受けていない、かつての都市の残滓のような風景が保たれている。 結界の内部には、巨大な艦影が横たわっていた。「NHG Buße」 それは、NERVの技術の延長線上にあるとは思えない、無骨で威圧的なデザインで、まるで未来の城塞のようだった。艦の周囲には、簡易なシェルターが設営され、そこでシンジの同級生を含む少数の市民が、静かに身を寄せ合っていた。 NHG Bußeの艦橋は、静かでありながら、異様な緊張感に包まれていた。

 

――――――

 

『次回予告』

紅く染まった世界に、たった一つ浮かび上がる、光のドーム。

 

人類の魂を救うために建造されたという巨大戦艦、NHG Buße(エヌ・エイチ・ジー・ブーセ)。「贖罪」の名を冠したその艦は、インフィニティが蠢く赤い大地に、静かに横たわる。

 

ミサトの悲痛な決断により、NERVは放棄され、シンジ、カナメ、アスカ、マリ、そして初号機、3号機、2号機、8号機――人類最後の希望は、この艦に集結した。

 

次回「悼みのかたち、セカイのかたち」

  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. よみあげ
  11. 閲覧設定

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。