NHG Buße、贖罪の名を冠した人類最後の希望の艦は、紅く染まった地球を這うように進み、ついに旧南極爆心地エリアへと到達した。
ミサトの傍らの特設席に、渚カヲルが座していた。彼はパイロットではなく、作戦の「指令」という形で同行している。その静かすぎる佇まいは艦内の緊迫感とは一線を画す静謐さを放っていたが、その表情は普段の柔和な微笑を欠き、硬い。
「艦長、旧南極爆心地エリアに進入。L結界の境界面に入ります」
日向マコトが硬い声で報告する。その声は、緊張からか、わずかに震えていた。
メインモニターに映し出された光景は、終末と破壊の極致、地獄絵図そのものだった。全てが赤いL.C.L.の海に覆われ、大地は結晶化して異様な形状を晒している。
「ヴンダー、船体周囲のL.C.L.濃度が急上昇!臨界点に近づいています」
マヤがメインモニターの数値から目を離さずに告げる。
その時、カヲルの顔が微かにこわばった。彼は静かにモニターに映る、紅いL.C.L.の海を見つめる。
「……全てが、始まった場所。侵されることのない祝福されし場所……」
カヲルの声には、微かな憂いが帯びていた。
ミサトはメインモニターに映し出された光景を見つめた。
「L結界の境界面か……ここが原罪で汚れた生命を阻むというL結界の上」
ミサトは静かに呟いた。
「リリンが、自らの罪で閉ざされた場所に、踏み込もうとしている」
カヲルの反芻した声とともに艦が結界の濃密な層を突破した瞬間、視界が開けた。その中心に巨大な骨のような建造物と化したカルヴァリーベースがある。しかし、その周囲のL.C.L.の海から、異様な物体が突き立っていた。
紅い大地に、巨大な五本の十字架が厳かに櫛比していた。
「ちょっと待って。リツコさん、アダムスの器がセカンドインパクトを起こしたんでしょう?その残骸は四本じゃなかったんですか?」
カナメが、即座に理論的な疑問を口にした。赤い海を目前に過去の記憶が浮かび上がる。甲板上で加持さんが口にしたセカンドインパクトの全容では、アダムスの数は確かに四体のはずだ。
カナメの問いかけに、カヲルが静かに口を挟んだ。
「そうだね。実際にリリンの言うセカンドインパクトは、4体のアダムスによって引き起こされた。しかし、碇司令、そしてゼーレの記録が隠していた事実がある。」
「元々、このカルヴァリーベースで発見されたアダムスは、全部で六体だった。そのうち、君たちが知る四体がセカンドインパクトで使いつぶされ、そして躯となった。あれがその四柱だ」
リツコは驚愕に目を見開いた。
「六体…!?では、残りの二体は!?」
「残りの二体のうち、一体はセカンドインパクトの余波を受けて月へ飛ばされた。五本目の十字架は、そのアダムスの器の肉体が終わりを迎えた時のものだ。そして、それは神の機体を謳ったMark.06の素体として流用されたんだ。」
「まって。Mark.06の中身は、第十二使徒だと言っていなかった!?」
その言葉に、ミサトが食い下がる。
カヲルは、微かに笑みを浮かべた。
「確かに、君たちには今はそうなっている、としか言えないね。万が一、サードインパクトが起こってしまった時の保険、ゼーレの機体を強奪し、その機体にアダムスの器をすげ替えたんだ。Mark.06には計画で使用する予定だった使徒の魂を封じさせた」
カヲルはそこで言葉を区切り、静かに付け加えた。
「そして、その役目とアダムスの肉体は、今は八号機が担っている。アダムスの肉片は、既に8号機に移された。これが、真希波・マリ・イラストリアスとの取引、そして彼女の存在を保障する代償だよ」
ブリッジのクルーに、再び衝撃が走った。マリの機体に、アダムスの器が組み込まれているという事実。それは、マリがゲンドウ側ともゼーレ側とも異なる、独自の思惑で動いていたことの証明でもあった。
「そして、最後の六体目のアダムス……」
カヲルは、ブリッジ全体を見渡した。
「その一体は、アダムスたちの中でも特殊で、腕を二本持つ、まさに本物の神の雛形だ。ただし、今ならまだ活動はしていないとして間違いないだろう。アレは特殊だ。アレの活動には、純粋な魂が二つ必要だからね。今の彼らにその余力はないだろう」
カヲルはそう断言したが、その視線はどこか遠く、その言葉には、それでもなお、僅かな危惧が滲んでいた。ブリッジは、その深淵な情報と、カヲルの纏う憂いに、重い沈黙に支配された。
リツコは、冷静さを装いながらも、その情報を消化しきれていない様子だった。
「六体目のアダムス……純粋な魂が二つ……それが何を意味するかはまだわからないけれど、細心の注意を割いたほうがよさそうね。」
ミサトは、カヲルの言葉の重さを噛み締めながら、敢えて前を見た。
「重要な情報は得たわ。しかし、我々のやるべきことは変わらない」
彼女は強く自身に言い聞かせるように呟いた。
日向はモニターに目を落とし、注視しながら続けた。どこか重たい空気に耐えられず、希望を見出そうとしているのだろう。
「しかし、艦のシステムは安定しています。L.C.L.の濃度は依然異常値を更新し続けていますでが、船体への負荷はシミュレーション内です」
直前までの空気が幾分かはマシになる。
「人類がその浄化されたエリアを、祝福も受けずに進んでいる。加持君のデータとアンチLシステムのおかげね。」
リツコは、淡々と事実を述べる。
「加持くんが残したデータと技術がなければ、この艦は一瞬でコア化していたわ。」
しかし、その言葉の陰には、希望を求める本音が露呈しているようだった。
カナメは、ミサトの傍らで、メインモニターに食い入るようにその光景を見ていた。カヲルの言葉が不安の影を落とす一方で、ヴンダーを進める力、加持の遺志の大きさに、彼は希望を見出す。
「僕らがこの先へ進めるのは、過去に希望を託した人たちの意志のおかげ、ということですね。たとえその先に、僕らの絶望を求めるものが異様とも」
「ええ、カナメ君。だが、ここが終わりではないわ」
ミサトは、強い決意を込めて言った。
「L結界潜航可能ポイントまで、あとフタマル!」
日向が、残りの距離を読み上げる。
その時、哨戒を行っていた青葉の声が鋭く響いた。
「艦長!艦影捕捉!ネルフのNHGシリーズ、二隻が急速接近中!」
ミサトは即座にブリッジのモニターを切り替える。映し出されたのは、紅いL.C.L.の海を割って迫り来る、ネルフ側の巨艦群だった。
ミサトは険しい表情で呟いた。
「加持君の言っていた、あの計画の産物か……!」
「NHG-002、Erlösung確認!視認できる範囲では砲門を七門確認。そして、NHG-003、Erbsünde!砲門二門確認。二番艦とヴンダーを挟み撃ちする態勢です!」
青葉が情報を叩きつける。
「奴らが本命の露払いか!」
ミサトは舌打ちした。
「NHGシリーズは必ず来ると思っていたが早すぎるわね」
「L結界潜航可能ポイントに到達!」
日向の報告が、ギリギリのタイミングで入る。
ミサトは即座に指示を出した。
「情報分析は後回し!今は一刻も早く、パイロットを戦場へ送り込む!日向君、直ちに潜航して!艦砲は温存。接触戦は極力避ける!私たちに残された時間は少ないわ。私たちの目的は、エヴァをあの戦場に送り込むこと。人類再建の希望を打ち砕こうとする、フォースインパクトを阻止し、碇ゲンドウを討つために来たのだから」
「全艦、潜航態勢!パイロットは格納庫へ急行!最終調整に入るわ!」
ミサトの命令が飛んだ。
ヴンダーの艦体が、轟音と共にL.C.L.の海中へと深く沈み込んでいく。
艦体が完全にL.C.L.の濃い層に覆われた直後、青葉が声を荒げた。
「艦長!ネルフ艦隊の二隻が、潜航した我々を追って急降下!NHGErlösung、そしてErbsünde、戦闘態勢に入ります!
「やはり来るか……」
ミサトは歯噛みする。
日向が戦闘シミュレーションの結果を告げる。
「彼我戦力差は二対一。攻撃力はほぼ互角か、奴らが若干劣勢にあります!」
ミサトは、即座に戦闘配置を命じた。
「艦隊戦だわ。だが、ここで時間を食うわけにはいかない!全主砲、射線上に捉え次第、即時発射準備!迎撃体勢!」
その時、カヲルが静かにメインモニターのネルフ艦隊を見つめ、意味深な表情を浮かべた。彼は小さく、しかしはっきりと呟いた。
「…アダムス達が、かくも簡単に、リリンの意志に隷属させられ、その存在の無垢さ冒涜されている。その魂なき肉の恥辱の代償は重い。それを理解しながら続けるのが、未来なき老人たち、か。」
ミサトは一瞥もせず、指揮を続ける。
「構わない。奴らの目的は、私たちが南極の爆心地へ到達するのを阻止すること。この艦を盾にするわ!パイロットたちがエヴァを発進させるまでの時間を稼ぐ!」
「ミサト、敵艦隊、射程内に入ります!攻撃が来るわ!」
リツコが警告を発した。
「全クルー、衝撃に備えて!このまま、戦闘を行いながら、パイロットの射出ポイントへ向かう!」
ミサトは、即座に命令を下した。
◇ ◇ ◇
シンジ、アスカ、レイ、マリ、そして彼らと共に戦うカナメの五人は、それぞれがそれぞれの足取りで格納庫へと向かった。艦内には、すでに遠くで響く砲撃音と、艦体の軋むような振動が伝わってきていた。格納庫内は、整備クルーの低い声と、エヴァの起動音が混ざり合い、異様な緊張感に包まれていた。
カナメは、歩きながらシンジに声をかけた。
「シンジ君。あの光景を見て、どう思う?……僕は、怖いよ。」
シンジは心なく笑った。「僕も怖いよ、カナメ。何もかもが、僕が知ってるものと違いすぎる。僕はあれを求めた父さんが怖いよ。でも……いや、だから、行かなきゃいけないんだ。父さんを止めないと」
「その通りだね」
カナメは頷いた。
「僕らは、そんなこと望んでない。僕らが、それを証明する。僕らの戦いは、この世界に、人の意志による「未来」があることを証明する戦いだ」
先に格納庫にいたアスカは、整備士たちに鋭い指示を飛ばしていた。
「おそいわよ、バカシンジ!グズグズしてたら、あんたの親父の茶番に付き合う時間がなくなるじゃない!」
アスカは、わざと刺々しい言葉を選ぶ。
「あたしは、こんな世界サラサラごめんよ!一緒に、あんたの親父の後始末つけに行くわよ!」
「ごめん、アスカ。もう迷わない」
シンジは、アスカに歩み寄った。
「必ず、世界を元に戻す。ありがとう、僕の家族に……付き合ってくれて」
マリは、8号機の前で、軽快に笑った。
「ようこそ、地獄の最前線へ、姫さま方、ワンコ君、カナメ君。ま、どうせ最後はワタシが全部持っていくけどね!最後に勝って笑うのは、ワタシだと決めているからね!」
マリはそう言いながら、カナメに目配せをする。
レイは、自分の機体の前で静かに立っていた。シンジが近づく。
「綾波。さっきはありがとう。君の言葉に、僕は救われたんだ」
シンジは、心からの感謝を伝えた。
レイはシンジを見上げ、ゆっくりと言葉を紡いだ。
「なぜ感謝するの?私は、碇君やみんなに助けてもらっただけなのに」
「でも、僕は嬉しかったんだ」
シンジは微笑んだ。
「誰かの命令じゃなく、君自身の気持ちが聞けたから」
レイは静かに頷き、決意を滲ませた。
「こんな時、私は笑えばいいのよね。ありがとう、私に笑顔を教えてくれて」
カナメは、そのレイの言葉を聞き、アスカとマリに真剣な眼差しを向けた。
「マリ、アスカ。僕らが戦うのは、碇ゲンドウの過去への逃避だ。彼の計画は、世界を、そして僕ら個人の存在そのものを、過去へと引き戻そうとしている。僕らは、それを絶対に阻止しなければならない。未来は、過去を再現するためにあるんじゃない!」
「ふん。未来だの過去だの、面倒くさい理屈ね」
アスカは鼻を鳴らすが、瞳の光は強い。
「でも、あたしは、あたしの未来を取り戻す。そのために、バカシンジの親父の計画をぶち壊すわ!」
マリは、笑みを消し、静かに答えた。
「わかってるよ、カナメ君。愛と裏切りと、そして希望。全部まとめて引き受けるさ。最高の舞台は整った。後は、役者が全力で踊るだけだ」
格納庫のハッチが開かれ、ヴンダーの頭上が紅いL.C.L.の海で覆われた。ヴンダーは、ネルフ艦隊の攻撃を受けながら、L.C.L.の海中で潜航を続けている。艦内放送がミサトの声に切り替わった。
「パイロットたち、聞こえているわね。ヴンダーの動力は、エヴァ発進後の対ネルフ戦艦を最優先に振り分けられる。あなたたちへの援護は、最初の数分が限界よ」
ミサトの声は、厳しい現実を突きつける。
「日向君、ヴンダーの最終エネルギー残量は?」
「最大戦速での航行とL結界突破で、残量70%です。戦闘継続時間は、長くありません」
「リツコ、ヤマト作戦の最終シミュレーションは?」
「結果は変わらないわ、ミサト。五機のエヴァとヴンダー、そして私たちの全戦力を投入しても、勝率は五分五分。私たちは、全てを失う可能性もある」
ミサトは目を閉じ、そして開いた。
「結構よ。五分もあれば十分だわ。なんたって、1パーセントもない作戦を成功させて来たのは私なのよ?...私が艦長として、あなたたちの指揮官として、この最終作戦を命令します。この艦の使命は、人類再建。あなたたちの使命は、フォースインパクトを阻止し、碇ゲンドウの野望を砕くこと」
「私たちは、もう後戻りできない。ここから先は、あなたたちの命と、この艦の全てを懸けた、片道切符の戦いよ。加持くんがこの船に託した希望、そして、あなたたちが抱く明日への希望を、絶対に掴み取りなさい」
「シンジ君、カナメ君、アスカ、マリ、レイ」
ミサトは、魂を込めるように呼んだ。
「帰ってきなさい。必ず、生きて、この船に戻ってくるのよ!」
四機の巨体が、水密ハッチから、紅いL.C.L.の海中へと射出される。
シンジは、初号機のプラグの中で、決意を固めた。
「レイ。君が誰のクローンだろうと、誰の道具であろうと、僕には関係ない。綾波は綾波だ。だから、僕が守って見せる。」
カナメは、プラグの計器盤を全てグリーンに切り替えた。
「この物語を、僕らが望むハッピーエンドに変える」
アスカが舌打ちをする。
「うるさいわね、マリ!さっさと終わらせるわよ!」
マリが笑う。
「じゃあね、ワンコ君、カナメ君!最高の舞台へようこそ!」
ミサトの最後の指令が、ブリッジから響き渡る。
「全機、出撃用意!人類最後の希望、そして人類再建の未来を懸けて――」
「ヤマト作戦、作戦開始!」
――――――
『次回予告』
ヴンダーの死闘を背に、五機のエヴァは紅い深淵を潜航する!
そこで彼らを待ち受けていたのは、神の模造品たるネルフの迎撃部隊!
シンジ、アスカ、レイ、マリ、そしてカナメ。五人のパイロットが、人の意志が作り出した偽りの脅威と激突する!
だが、戦場は既にパイロットたちの想定を超え、その疲労の色は隠せない。
ネルフの老人たちが隠し持っていた、アダムスの真実。そして、受け継がれたアダムスの肉片。
全ての陰謀と秘密が、赤いL.C.L.の海の底で、純粋な魂を持つ最後の使徒を目覚めさせようとするのか──。
次回、「グルガルタ、約束の地」
人類が望む未来を懸けた、絶望と希望の最終決戦、始動。