地下の深淵にて、第1の使徒がその身を捧げたとき、最後の執行者は、満たされた贄を得て、その姿を大きく変じた。
腐敗の体躯を包んでいた血と泥は、純粋な白き光へと昇華し、そのおぞましい四つの腕は、もはや穢れた暴力の象徴ではなかった。其れは、一層光を増し、まるで聖書に出てくる神を思わせた。そして、それはどこか初号機を思わせる面持ちだった。
光の巨人は、その四つの腕を宙へと伸ばし、南極の凍てつく大地を砕き、高く飛翔した。
その時、虚空に懸かっていた月が、まるでその神の降臨を待ちわびたかのように、わずかに赤みを帯びて、地球の重力圏へと身を落としてきた。
執行者の飛翔は、終末の号令。
地上、南極の円形構造物の上空には、既に三体のアダムスの器が、静かに漂っていた。
彼ら、は、飛翔する最後の執行者を見上げると、一様に、其れに属する眷属のように空を飛び始めた。
そして、カヲルのATフィールドから解放されたMark.09が、遅れて天空へ昇り、五体目の神としてその場に居座る。
四体の神々は、四つ腕の神を囲い、空に円を描くように配置され、終焉の時を告げるかのように、沈黙の威容を以て、地上を見下ろした。
ヴィレの旗艦、ヴンダーの艦橋。
「艦長!全エヴァの動きが停止!」
「識別信号喪失!NHGシリーズ戦闘行為を完全に停止しました!」
オペレーターの報告は、焦燥に満ちていた。
赤木リツコは、冷静にメインモニターの解析結果を見つめていた。カヲルのATフィールドによる地下の異変と、その後の五体のアダムスの器たちの行動は、全てが裏死海文書外典に記された最後の儀式へと収束していくことを示していた。
「戦うそぶりを見せなくなった、ですって?」
式波・アスカ・ラングレーは、2号機のエントリープラグ内から、その報告を聞き、毒づいた。
「なにが神の器よ。あんなもの...」
彼女は、五体の神々が、初号機が突破した壁の穴を遥かに超えた空の遥か高みに、儀式の柱のように定位したのを見て取った。
「さあ、始めよう。ユイとの再会を阻む者は、既にいない」
ゲンドウはポツリと、しかしまるで終焉の福音のようにつぶやいた。
その言葉を合図に、四体のアダムスの器が散った。それぞれ、自らの居場所であるかのように、戦闘を停止したNHGの名を冠する艦へと、優雅な曲線を描きながら向かっていく。
次の瞬間、まるで迎合するようにその艦体の左右から、セカンドインパクトを思わせる巨大な光の翼が静かに広げられた。
「翼...」
リツコは、凍りついたように呟いた。その脳裏に、セカンドインパクトの白く巨大な翼が、凍てついた血の海と共にフラッシュバックする。
「15年前と同じ。ダメなのね……もう……」
ミサトが悲鳴のような声を上げた。
「艦長!NHG艦隊が、引き寄せられています!艦隊が、儀式の一部として組み込まれています!」
ミサトは、絶望的な状況下で、一瞬で最後の抵抗を決断した。
「儀式が始まる前に、ほかのNHGシリーズを叩く!! 一機でもいい!落として!!主砲、掃射準備!!」
その時、オペレーターの悲鳴のような報告が、ミサトの指示を遮った。
「艦長!急速に飛来する生命体あり!!」
「アダムスの器!1体ヴンダー艦首へ向かってきます!」
ミサトは、即座に叫んだ。
「なっ…!目標を飛翔体に変更! 主砲、最大戦速で叩け! 迎撃、総員配置につけ!」
Mark.09は、他のエヴァとは異なり、ヴンダーに向かう。それは、彼がヴンダー本来の主であることを物語っていた。
ヴンダーは攻撃を仕掛けるが、砲弾が当たっても、Mark.09はそのそばから装甲を再生し、一切のダメージを負わない。
Mark.09は、ヴンダーの巨大な艦体に、鎌首をもたげる蛇のように取りついた。
Mark.09が、艦に取りつくと、ヴンダーの装甲を貫き、不明な信号を流し始めた。
「どうして!!艦体が、艦内が物理的に侵食されていきます!!システム全体が、新しいルールに書き換えられています!」
マヤが悲鳴を上げる。
「排除、急いで!」
リツコが技術員に連絡を入れた。技術員は警告灯で赤くなった艦内通路でその内線を受け取った。が、
「やっていますが、侵入速度が速すぎて対処が追いつきません!」
目の前で通路が触手で埋まっていく。数名の作業員がその光景に足止めを喰らい、成す術もなく防護扉を閉めるしかなかった。
リツコの顔から血の気が引いた。
「アダムスの器は、ヴンダーの制御権を奪おうとしている!ヴンダーは、元々、ガフの守り人として建造された戦闘艦…こんなことが……」
ミサトは、歯を食いしばる。
「リツコ、どうにかして、ヴンダーを爆破させられないの!?」
「ムダよ、ミサト。今、ヴンダーは奴とシンクロし始めている。この艦を破壊することは、現状意味をなさないわ」
そして、Mark.09に浸食されたヴンダーもまた、巨大な光の翼を広げた。左右合わせて12枚の翼が、南極の空に終末の影を投げかけた。
ヴンダーは、最後の執行者を囲む神々の円環の、中心核へと組み込まれたのだ。
◇ ◇ ◇
一方、地下通路を絶望的な速度で疾走する初号機のエントリープラグ内。
カナメは、シートの壁に叩きつけられながらも、シンジの背中を見た。
シンジの咆哮は、親友の死と、裏切られた希望に対する純粋な怒りに満ちていたが、それ以上に、カヲルから託された「補完の主導権を奪い返す」という重い使命が、燃えるような決意となって焼き付いていた。
「カナメ。カヲル君が言ってた普通の世界って、なんだと思う?何をすればいいんだ。」
シンジが、涙声で語りかけてくる。
カナメは、全身の痛みに耐えながら、カヲルの最後の言葉、そしてゲンドウの冷徹な指摘を思い出す。
(カヲル君は、僕がこの世界の法則の外側から来た特異点だと知っていた。そして、僕が知っている常識こそが、ゲンドウやゼーレの狂ったシナリオを終わらせるための唯一の武器だと…)
「シンジ君、まだ話せないかも……知れない!だけど、カヲル君の言う通り、僕らはどうにかして補完の主導権を奪い返さなきゃいけない!」
カナメは、強く拳を握りしめた。
「碇司令は、ユイさんとの再会のために、この儀式を起こした。カヲル君の犠牲は、すべての儀式を完全に終わらせるためだと思う。」
カナメは、言葉を継いだ。
「カヲル君は、僕らを逃がすために、自らを使徒の贄として、碇司令のシナリオの必須ピースを埋めた。だけど、彼は僕を生かした。つまり、碇司令の最後の計画を僕らが乗っ取ることで、最後の最後でやり直す機会を託してくれたんだ。」
「やり直す?」
シンジが問う。
「ああ。それもエヴァがない世界として。神の器は揃った。でも、主導権はまだ碇司令の手にある。だから、どうにかして計画に介入するんだ!」
◇ ◇ ◇
南極の空、ヴンダーを始めとする神々の円環の下、碇ゲンドウは静かに立ち尽くしていた。
「人工的なリリスの再現。そして白き月の槍への強制流用。本筋の計画とは遠いが、ようやく舞台は整った。あとの大詰めをどう演じる、碇」
冬月の独白は、冷たい空気に溶けた。
その時、ゲンドウの傍らに、光をまとった四つ腕の神が、禍々しくも神々しい光を放ちながら静かに降下した。
⁅読者の知っているであろう⁆エヴァンゲリオン第13号機。その雛型は、もはや不完全な生命体ではなくなっていた。
ゲンドウは、バイザーの奥の瞳を細めた。
「ようやく会えるな、ユイ」
彼の顔の前面を覆うバイザーが、静かに滑り上がる。剥き出しになった顔には、ネブカドネザルの鍵によってヒトを捨てたことを示す聖痕が、冷たく輝いていた。
「私が神を殺し、神と人類を紡ぎ、使徒の贄をもって、人類の神化と補完を完遂させる」
ゲンドウは、第13号機の巨大な口の中へと、迷いなく身を進めた。その口は、彼を喰らうためではなく、神の器の中核へと迎えるために開かれていた。
時を同じくして、神々の円環が、一斉に深紅の光を放った。空に終末の影が投げかけられる。
上空で、昇った四つ腕の光の巨人が、その巨大な四肢をゆっくりと広げた。その背後から二重の光の輪が発生し、強く輝くその光の輪を取り巻くように、更に複雑な光の紋様が浮かんだ。
ドォオオオオオオオン!!
脈動と同時に、月。いや、空に浮かんでいた白き月が巨大な槍を生成した。それは二重に螺旋を描くと、南極の地表にあった円形構造物に突き刺さった。それに潰されるがまま、円形構造物はガラスのように砕け散る。 その下には、かつての爆心地、深遠な亀裂が出現した。
「地獄の門が開いています!」
オペレーターの叫びが艦橋に響き渡る。その深遠な亀裂こそ、ガフの扉へと続く生命の根源への直接の道だった。
空に開いた巨大な亀裂からは、禍々しい巨大な光の渦が出現する。それは、生命の根源への入り口、ガフの扉そのものだった。
「フォースインパクトが始まったようね。理外の世界、 あの向こう側に行かれたら、私たちの手には負えないわ」
リツコが解析を報告する。
第13号機は、神々の円環の中央、深遠の縁へと向かう。
四つ腕の神となった第13号機は、ゆっくりと、しかし確固たる速度で、暗い深淵の向こう側へと消えた。
初号機は、深淵の縁から離れた位置で、多々呆然と立ち尽くしていた。シンジは、巨大な闇の向こうへと消えていく第13号機の姿を、ただ遠くから見つめることしかできなかった。
その時、エントリープラグ内にマリからの通信が飛び込んできた。ノイズの中から聞こえるその声は、相変わらず明るい調子だったが、切迫していた。
「あじゃぱーな状況ね! ぼーっとしてるヒマはないわよ、シンジくん!」
「マリさん…!」
シンジはハッとして顔を上げた。
「あっちの扉の向こう、マイナス宇宙でゲンドウ君がゴタゴタやる気みたい。これを止めるには、ガフの扉をくぐって、そのマイナス宇宙に行かないといけない。」
マリは続けた。
「そう! ゲンドウ君が神の領域に踏み込んだ今、君の初号機がそこに介入するには、覚醒させてフォースインパクトの主導権を奪い取るしか方法はない。でも、それには犠牲が伴ってしまうのは、もうわかるよね。」
「贄…」
シンジは、その言葉に再び顔を青ざめさせた。
「シンジ君の初号機を真に覚醒させ、この状況を打開できる唯一の鍵よ。世界が終わる前に、シンジ君が世界を作り直す番! 覚悟を決めるしかない。もう時間がないんだ」
マリの言葉は、シンジに友の死に続く第二の、あまりにも重い決断を突きつけた。初号機の周囲では、フォースインパクトの余波が強大な嵐となり、空間を歪ませ始めていた。
「…マイナス宇宙へ」
シンジは、震える声でレバーを握りしめた。カナメは、通信越しにマリに強く問いかけた。
「マリ…!贄になったら…やっぱり死ぬのかな、僕は」
マリの声は、一瞬の沈黙の後、皮肉めいた、しかし力強い笑いとなって響いた。
「くっくっく……ハッ! カナメ君が贄になる必要はないよ!」
シンジとカナメは、マリの予想外の言葉に、同時に息を呑んだ。
「アタシの8号機はね、ご丁寧にアダムスの器なんだ。カヲル君もどれだけ先を見据えてたんだか。これで人的被害なく門の向こう側に行ける!」
マリは続けた。その声には、悲壮感ではなく、シンジの心奥を抉るような鋭さが宿っていた。
「シンジくん! 理屈じゃない! 君の力で、この機体を覚醒させるんだ! 」
マリは絶叫した。
「さあ、感情を暴走させな! アダムスの器の贄をもって、この経過に終止符を打つのよ! 君が世界を変えるんだ!」
シンジの体内で、怒り、悲しみ、そして希望が坩堝のように煮えたぎった。
その瞬間、シンジの視界を、一連の光景が閃光のように駆け抜けた。
無表情なレイが、初めて優しく微笑んだ瞬間。
アスカの癇癪と、時折見せる孤独な横顔。
ミサトの温かいお説教と、リツコの冷徹な優しさ。
トウジやケンスケと笑い合った、束の間の学園生活。
そして――カヲルが死にゆく時のの中で、彼に世界の未来を託した、あの悲痛な微笑。
「僕の居場所を! 僕の全部を!」
シンジの慟哭がエントリープラグを揺るがした。彼は、大切なものを守る決意を、全身の魂を込めて吠えた。
カナメは、その凄まじい叫びと共に、シンジの横顔に目をやった。彼の瞳は怒りに覚醒し、赫く光り、その顔貌は、もはや少年のものではなく、意志を宿した神のようだった。
カナメは息を呑んだ。目の前にいるのは、かつて涙を流していた、頼りないシンジではなかった。
それに共鳴するように、初号機もまた、その頭部の瞳の奥に、強い光を取り戻していく。
まるで初号機がそのシンジの激情に呼応するかのように、天を穿つ咆哮を上げた!
機体の緑色の装甲部分が、赫く発光し、その頭上には、天使を思わせる巨大な光の輪が奇跡のように発生した!
初号機のが激しく脈動し、シンジの激情を力へと変え始めた。
その時、マリの8号機が、自らのコアを臨界寸前まで解放した。アダムスの器が放つ純粋な生命の奔流が、覚醒した初号機へと一点集中する!
ウオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオ!!
「いけた! シンジ君、行けるよ! ガフの扉をくぐって!」
カナメが叫んだ。彼の顔は、マリの熱意と初号機の力に満ちた興奮で紅潮していた。
マリの声が、最後に響いた。
「 あとは任せたよ、シンジくん!」
シンジは、全てを託された重みを背負い、震える体を抑え込んで操縦桿を前に倒した。
「マイナス宇宙へ!」
初号機は、四つ腕の神が消えた暗い深淵へと、閃光のように飛び込んでいった。
ヴンダーの艦橋。オペレーターたちの絶叫と、アラートランプの赤色が激しく点滅していた。
「初号機、識別信号消失! ガフの扉の向こう側へ! マイナス宇宙へ突入しました!」
「リツコ! 8号機は!?」
ミサトが叫んだ。
「8号機コア、エネルギー放出完了、機体は完全に沈黙。パイロットの緊急脱出信号を確認したわ。 マリは無事よ。」
リツコが安堵の声を上げた。
南極の凍てつく空。
マリ・イラストリアスは、8号機の機体から分離したエントリープラグで、2号機のいる方向へと飛行していた。彼女の周囲では、8号機が放出したアダムスの器の残滓が、壮絶な光を放ちながら拡散していく。
マリは、目の前で光の筋となって深淵へ消えていった初号機の姿を、その眼鏡の奥の瞳で見送った。
マリは、誰にも聞こえない声で、ポツリと呟いた。
「ありがとう、ユイさん」
その言葉は、初号機の覚醒に功を奏したのが、碇ユイその人であることを示唆していた。
マリは、すぐに2号機へと合流すべく、操縦桿を握り直した。彼女に残された時間は少なかった。
――――――
『次回予告』
光と闇が渦巻く理の外の世界へ、覚醒した初号機が閃光のように飛び込んだ。 そこは、碇ゲンドウが人類の神化と、最愛の妻との再会を期した、終焉の舞台。
ゴルゴダオブジェクトを巡る激突の最中、碇ゲンドウは特異点たるカナメを幻の日常へと引き剥がす。 それは、彼が心底から憎み、否定した、エヴァのない世界の片鱗。
「君の世界は、私の理想の世界の雛型にはなり得ない」
ゲンドウの冷酷な論理は、カナメの使命と存在意義そのものを揺さぶる。 閉ざされたセカイの中、カナメは、孤独と繋がりの座標を辿る彷徨を始める。
次回「座標、魂の共鳴点」