夜に急な呼び出しでセブルスが家を出てから1週間。
まだセブルスは一度も帰って来ていない、外出を禁じられた2人は昨日届いた来年度の教科書リストを眺めていた。
「早く買いに行きたいわ…全科目取ってしまったもの…早めに予習しないと…」
「そうだね…父様いつ帰ってくるんだろう」
ソフィアはいつもセブルスが座っている肘掛け椅子に座り、足をだらしなく投げ出したまま深いため息をついた。そろそろ食材も切れてきている、いつもなら梟に頼んでいたが2人はまとまった資金を持っていない。急いで出ていったセブルスは資金を置いていくのをすっかり忘れていた。今までの長期休暇なら、ジャックが食材を持ってきてくれる事もあったが、時たま鏡に話しかけてもジャックが現れる事はなかった。彼も、忙しいのだろう。
「シリウス・ブラック…なんで今頃脱獄したんだろうね」
「さあ…」
2人は囚人の脱獄を日刊預言者新聞で知った。シリウス・ブラックの名前は魔法族の子どもなら一度は聞いた事があるだろう。マグル13人をたった一度の呪いで殺したのだ。彼は捕まった当初狂ったように笑い続けていたという。例のあの人ーーヴォルデモートにかなり近い立ち位置だったと噂されているそんな凶悪犯が、今まで1人も脱獄したことの無いアズカバンからどうやって脱獄したのかーー全てはまだ明らかになっていなかった。
父が帰ってこない理由は、きっとブラックの脱獄と関係があるのだろう。
「ハリーにも会えないし…ハリーきっと…寂しがってるわ…」
「うん…いきなりだったもんね…誕生日プレゼントは送ったけど…没収されてないといいな」
「…今年も、何かあるかもしれないわね…」
「…やめてよ…ソフィアの勘って…当たるんだから…」
何となくぽつりと呟かれたソフィアの言葉に、ルイスは顔を引き攣らせ嫌そうに言ったが、ルイスも実は同じ事を思っていた。凶悪犯が脱獄したのだ、きっとホグワーツもそれなりに対応をしなければならない。保護者から子ども達を預かる学舎として、それは必ず行わなければならないだろう。どのような対応が取られるのか、それはソフィアとルイスの知ることでは無かったがセブルスーー父がが長い間帰ってこない所をみると中々にややこしい事になっているのかもしれない。
2人がつまらなさそうに何度か読んだ本を暇つぶしのために見ていると、突如暖炉の炎が緑色に燃え上がった。来訪者を告げるその炎に、2人はぱっと顔を見合わせるとすぐに暖炉のそばに駆け寄った。
「「ーー父様!」」
暖炉から現れたのは、酷く疲れたように目の下に隈をつくりいつもより顔色の悪いセブルスだった。
セブルスは2人を見ると微かに表情を緩めたが何も語らず重い足取りで肘掛け椅子に向かい、そのまま座り込んだ。
「…父様、紅茶…飲む?」
「……あぁ…」
セブルスは顔を手で覆い、目頭を指で揉みながら答えた。ルイスは直ぐに紅茶を淹れるために台所へ向かい、ソフィアはセブルスの足元に膝をつき、そっと彼の脚の上に手を置いた。「…大丈夫?」気遣うように掛けられたその言葉に、セブルスは無言で頷く。ソフィアは心配そうに眉を下げたまま、じっとセブルスに寄り添った。
「父様、紅茶…」
ルイスが白い湯気を上げるカップをそっとセブルスに差し出せば、ようやくセブルスは顔から手を外しそれをゆっくりと受け取った。
「…ありがとう」
温かな紅茶を飲み、セブルスは小さく吐息を零す。ふと視線を下に向ければ子ども達の不安げに翳る表情に気付き、安心させるために少しだけ微笑んだが…その何処か憔悴した笑顔はさらに2人を不安にさせただけだった。
「父様、酷い顔色だわ…」
「…大丈夫?…休んだ方がいいよ…?」
ソフィアとルイスは、これ程までセブルスが憔悴しているのを初めて見た。何があったのか、聞きたい事は沢山あったが、質問するよりもまずセブルスに休息を取らせるのが先だろう。ーーそれ程、顔色が悪い。
セブルスもまた、疲れ切っていた。この1週間ホグワーツで来月から始まる新年度を安全に迎える為にどう対策をとるか、何度も会議を重ねた。
魔法省からディメンターを配備させたいという要請を聞いた時には流石に数名の教師達やダンブルドアは難色を示した。ブラックを捕まえる為、生徒達の安全のためには必要かもしれないがーーディメンターが生徒達に危害を加えない保証はない。
ディメンターには道理は通用しない、人の幸福な気持ちを吸い取り養分とする。何とかダンブルドアがホグワーツ城の周りを警備させるだけであり、城の中には一歩も踏み込ませない約束をさせたが。果たして何処までそれが奴らに理解できているのか分かったものではない。
シリウス・ブラックが、ハリー・ポッターを殺すためにホグワーツに来る。
それを知っているのはホグワーツの教師や、魔法省の限られた人間だけだろう。
その為にこれ程の警備がブラックを再び逮捕するまで続けられる事が決定した。
ブラックが脱獄したと聞き、セブルスは直ぐにダンブルドアにリーマス・ルーピンが教職に就く事は危険すぎる、あいつは信用出来ないと強硬に反対したが、ダンブルドアが頷く事はなかった。「わしはリーマスを信じている」そのダンブルドアの言葉に、どれだけ苛立っただろうか。ーーこの人は、人の性善説を信じすぎている。
それがどれだけの人を苦しめているのか、分かっていてもなお、その考えを変えないのだからーーつくづく悪質だと、セブルスは思っていた。
セブルスは、ホグワーツに配備されるディメンターやブラックにハリーが命を狙われている、リーマス・ルーピンが手引きをするかもしれない。ーーそれよりも深く心を悩ませ苦しんでいる事があった。
「…ルイス…ソフィア…」
愛しい子ども達の名前を、静かに呟いた。
2人は少し首を傾げたまま、黒い目と、緑色の目で自分をじっと見つめる。
ーー言わなければならない。
セブルスは僅かに口を開いたが、自分の唇が震えている事を自覚しーーその口を閉ざした。
「…私はもう、休む。…お前達ももう寝なさい」
セブルスはカップに残っていた紅茶を飲むと、優しく2人の頭を撫で、重い足取りで自室へと向かった。
「はい…おやすみなさい」
「おやすみなさい、父様…」
ソフィアとルイスの声を背中で受け止め、セブルスは自室の扉を開け暗い室内に身を滑りこませた。
重々しいため息を吐き、顔を抑える。
「…アリッサ…私は…」
苦しげに呟かれた言葉は、セブルス本人の耳にしか届かなかった。
言う決心がつかない。
…言わなければならない、他人から真実を聞けば、2人は酷く苦しむ事になるだろう、それなら自分がそれを告げ、支えてやらなければならない。
何故、ブラックは脱獄などしたんだ、大人しくアズカバンで一生を終えることが失わせた命への贖罪になるのではないか。ーーもし、ホグワーツにブラックが来るのなら、ーーもし、ソフィアとルイスに近付くのであれば…ディメンターになど渡してなるものか、必ず、この手で屠る。重い罪を犯した報いを、必ずーー。
セブルスの胸の中に黒い沸々とした怒りと憎しみが込み上がる。ーー12年前の出来事を、己が行った残虐を、失われた尊い命達を、忘れたと言わせてなるものか。
ソフィアとルイスには、言わないーー言えない。
しかし、必ずこの手で決着をつける。ーー2人が、何よりも大切な2人がこれからも笑って過ごせるのなら、何だってしよう。
セブルスは顔を覆っていた手をゆっくりと下ろした。その目には狂気にも似た憎しみとーー確かな決意が揺らめいていた。