ソフィア達は急な螺旋階段をなんとか登り切り、ぜいぜいと息を上げよろめきながら小さな踊り場に出た。今から授業を受ける生徒達もそこに集まり、教室へはどうやっていけばいいのかと首を傾げていた。
踊り場からの出口はどこにも無く、天井付近に丸い跳ね扉があり真鍮の表札がついているが、梯子らしき物は見当たらない。
「シビル・トレローニー…占い学教授」
「どうやっていくのかしら?…箒も無いみたいだし…」
ソフィアが荒くなった呼吸を落ち着かせた後にあたりを見渡しながら呟けば、その声に答えるように、跳ね扉がパッと開き、銀色の梯子がソフィアのすぐ足元に降りてきた。
踊り場にいたみんながしん、と鎮まりかえる。
「お先にどうぞ、レディーファーストさ」
「あら、ありがとう」
ロンがにやりと笑い梯子に向かって片手を向けた。ソフィアは片眉を上げたものの言い返す事はなく、すぐに梯子を登っていった。
ソフィアが行き着いた先はこれまで見た事のない教室だった。──いや、そもそも教室といえるのだろうか、どこかの屋根裏部屋のようにごちゃごちゃとした物が所狭しと並び、昔風の紅茶専門店のように紅茶の香りが強く部屋の中に蔓延っている。
小さな丸テーブルが20卓以上あり、それぞれのテーブルの周りにはふかふかな肘掛け椅子や丸椅子などが置かれていた。
真紅の仄暗い灯りが教室をかすかに照らし、全ての窓は締め切られ、黒いカーテンがかかっていた。暖炉は煌々と燃え、部屋の中を息苦しいまでの暑さにしてしまっている。
ソフィアはシャツのボタンをひとつ外し、ぱたぱたと首元を仰ぎながら他の生徒達の到着を待っていた。
誰もが皆奇妙な教室を見渡し、ひそひそと囁き合う。
「先生はどこだい?」
ロンが小声でハリーに聞いた途端「ようこそ」とか細い声が暗がりから響き、皆が肩を震わせ声のした方を見れば痩せ型の女性が静々と現れたところだった。
「この現世で、とうとう皆さまにお目にかかれて嬉しゅうございますわ。──おかけなさい、私の子どもたちよ…」
トレローニーは細い首に沢山の鎖やビーズ玉で出来たネックレスをかけ、生徒を誘う腕には腕輪が地肌を隠すほど沢山光っていた。その指にも同じように数多くの指輪が輝く。
ソフィアは重く無いのかしら、とそれを見て思いながらハリー、ロン、ハーマイオニーと同じ丸テーブルの周りに腰掛けた。
「占い学にようこそ、あたくしがトレローニー教授です。たぶん、あたくしの姿を見た事がないでしょうね。学校の俗世の騒がしさの中にしばしば降りて参りますと、あたくしの心眼が曇ってしまいますの」
たしかに彼女の言うようにこの教室内にいる誰もが一度もトレローニーを大広間で見た事がなかった。年度始まりの組分けの儀式や、年度末の宴にすらも現れた事がない。昆虫を思わせる大きな眼鏡の奥にあるその目と、どの教授とも異なる異様な姿を…一度見ていたなら、忘れる者はいないだろう。
「皆様がお選びになったのは占い学…魔法の学問の中でも一番難しいものですわ。はじめにお断りしておきましょう。眼力の備わっていない方には、あたくしがお教えできることは殆どありませんのよ。この学問では、書物はあるところまでしか教えてくれませんの…。いかに優れた魔法使いや魔女たりとも、派手な音や匂いに優れ、雲隠れ術に長けていても、未来の神秘の帳を見透かす事は出来ません…」
この言葉にハリーとロンはにやりと意地悪く笑い、同時にハーマイオニーをチラリと見た。ハーマイオニーは書物が役に立たないと聞いてひどく驚き目を見張りながら持っていた教科書を強く掴んでいた。
「限られた者だけに与えられる天分ともいえましょう。あなた、そこの男の子」
「あなたのお婆さまはお元気?」
突如指名されたネビルはびくりと跳び上がり椅子から転げ落ちそうになりながらも「げ、元気だと思います…」と恐々答えた。
「あたくしがあなたの立場だったら、そんな自信ありげな言い方は出来ませんことよ…。1年間、占いの基本的な方法を勉強致しましょう。今学期はお茶の葉を読むことに専念いたします。来学期は手相学に進みましょう。──ところで、あなた。赤毛の男子にお気をつけあそばせ」
急に見据えられたパーバティは目を丸くしてすぐ後ろに座っている赤毛の男子──ロンを見つめ、少し椅子を引き彼から離れた。
「夏の学期には、水晶玉に進みましょう。──ただし、炎の呪いを乗り切れたらでございますよ。つまり、不幸なことに、2月にこのクラスはタチの悪い流感で中断される事となり、あたくし自身も声が出なくなりますの。イースターの頃、クラスの誰かと永久にお別れする事になりますわ」
タチの悪い予言に、教室内を張り詰めた沈黙が流れた。ソフィアは少々胡散臭そうにトレローニーを見ながら、手元の教科書の表紙を見つめる。
予言者は、たしかに実在する。──しかしその優れた予言者は何十年に1人しか現れない。それ程生まれ持っての才能に強く依存する能力なのだ。ソフィアはそれを知っていたが、はたして彼女がその優れた1人なのかどうかは判断出来なかった。
トレローニーの指示により銀のティーポットを運んだラベンダーが不吉な予言をされているのを眉を顰めて聞きながらソフィアは考えた。──やはり占い学は向いていないかもしれない。
「それでは皆さま、二人ずつ組みになって下さいな。棚から紅茶のカップを取って、あたくしのところへいらっしゃい。紅茶を注いで差し上げましょう。それからお座りになって、最後に滓が残る所までお飲みなさい。──左手にカップを持ち、滓をカップの内側に沿って三度回しましょう。それからカップを受け皿の上に伏せてください。最後の一滴が切れるのを待って、ご自身のカップを相手に渡し、読んでもらいます。未来の霧を晴らす、の5.6頁を見て葉の模様を読みましょう──ああ、それからあなた。一つ目のカップを割ってしまったら、次はブルーの模様の入ったのにしてくださる?あたくし、ピンクなのが気に入ってますのよ」
立ち上がりかけていたネビルの腕を押さえ、トレローニーが何でもないように予言を落とす。ネビルは身体を縮こませ不思議な言葉に曖昧に頷き棚に向かったが、その途端カチャンと陶磁器が割れる音が静かな教室に響く。──本当に、予言が当たった。そうラベンダーやパーバティは興奮と不安からひそひそ囁きあい、トレローニーを尊敬の眼差しで見つめていた。
ソフィアとハーマイオニーは注がれた紅茶を溢さないようにしながら机へと運び、その熱い紅茶をなんとか飲むと言われたように滓を回し、皿に伏せ、カップを交換した。
「何が見える?」
「そうねぇ…」
ソフィアはハーマイオニーのカップと教科書を見比べながら、どう見てもただの滓にしか見えないものに何とか理由をつけようと唸りつつ頑張っていた。
「んー…あー…四角…?本かしらね。──本は知識の象徴だから…ハーマイオニーの知識がいつか役立つのね。…まぁ、いつも役立ってるけれど。それと…あー…高い波のように見えるから…──何か大きな変化があるみたい。──つまり、ハーマイオニーの役立つ知識に大きな変化があるのね」
ソフィアはどうにか滓にそれっぽい理由を見つけることが出来たが、ハーマイオニーは気難しい顔のままカップと教科書を見比べ、徐々にその眉間に皺を刻み込んだ。
「ソフィアのカップは…うーん…熊かしら…熊は──母親との関係──を示しているわ。それと…山?三角?…帽子…?帽子なら──人生の変化、ね」
「…母様はもう亡くなってるから…不思議な結果ね」
ソフィアはハーマイオニーの言葉に肩をすくめ苦笑いをこぼす。ハーマイオニーは占い学がこんな授業だとは思わなかった、とばかりに教科書を閉じ、カップの滓を不服そうに見下ろした。
「──あたくしが見てみましょうね」
トレローニーはすっとハリーとロンに近付き、ロンの手からハリーのカップを取ると半時計周りに回しながらじっと真剣な眼差しでその中を見つめる。また、何か予言が飛び出すのかと、みんながカップを読んでいた手を止め静まり返り、じっとトレローニーとハリーを見つめた。
「隼…まぁ、あなたは恐ろしい敵をお持ちね」
「でも、誰でもそんな事知ってるわ」
ハーマイオニーの囁きはクラス中に響き、勿論近くにいたトレローニーの耳にも入った。
トレローニーは強くハーマイオニーを睨んだが、彼女は臆する事なく、その昆虫のような目を見返す。
「だって、そうなんですもの。ハリーと例のあの人の事はみんな知ってるわ」
ソフィア達は驚いてハーマイオニーを見た。
ハーマイオニーは誰よりも教授達を尊敬している、そんな彼女がこんな口の聞き方をするのを、3人は聞いた事が無かった。
トレローニーはじっとハーマイオニーを見ていたが何も反論する事は無く再びハリーのカップに視線を落とすとぶつぶつと呟く。
「棍棒…攻撃…。おや、まあ、…これは幸せなカップではありませんね」
「僕、それは山高帽だと思ったけど」
「髑髏…行く手に危険が。まぁ、あなた…──おお!可哀想な子…いいえ、言わない方がいいわ──ええ、お聞きにならないでちょうだい──」
トレローニーは空いている肘掛け椅子によろめきながら座り胸に手を当て目を閉じた。その声はこれから待ち受けるハリーの苦難を思い嘆いているように聞こえ、ハリーは少し表情を暗くした。──聞くなと口では言いながら、どうも演技かかった動作であり、間違いなく彼女は聞かれる事を期待していた。
「先生、どういう事ですか?」
ディーンがすぐさま聞き、みんなが立ち上がりハリーのカップをよく見ようと覗き込んだ。
ソフィアは小さくため息をつくとぱしんと教科書を閉じる。
「ディーン、トレローニー先生は聞くなっておっしゃったのだから、聞かない方がいいわ」
「で、でも…」
「いいじゃない。──ハリーは今年も死ぬ程危険な目に遭うってカップに書かれているだけよ」
「ソフィア!君、心眼が…?」
当然のように答えたソフィアにディーンは目を丸くして信じられないとばかり口を抑えた。パーバティとラベンダーもまさか、ソフィアは予言者の才能があるのかと尊敬と恐怖が混じった目でソフィアを見つめる。
ソフィアはそんなつもりは無く──ただ、ブラックがハリーを狙っていると知っていた事と、トレローニーの反応から間違いなくいい予言では無いだろうと思っただけだった。
生徒たちのざわめきの中心が自分ではなくソフィアに移ってしまったことに気が付いたトレローニーは、パチリと目を開きゆっくりとソフィアに歩み寄った。──面白く、無かったのだろう。
「あなたはたしかな心眼をお持ちかしら?」
「え?…さあ、1回目の授業ですもの、分からないわ」
「この子のカップに──何が見えましたの?」
トレローニーが薄く微笑み、挑発的な目でハリーのカップをソフィアの目前に突きつけた。
ソフィアはそのカップに目を落とし、暫くじっと見つめる。何に見えるかと言われても、その形は──かなり良いように見ればロンが言っていたように何か動物に見えなくもない。カバか、牛か、とりあえず四肢動物であることは確かだ。
ソフィアはチラリとトレローニーを見上げながら、この人はさっきから悲惨な事しか予言していない事に気付いた。たしかに、恐怖を煽りそれが一つでも当てはまったのなら、間違いなくこの占い学にのめり込んでしまう生徒が居るだろう。──幸福を占えばいいのに。
それならば、あれ程わざとらしく嘆いて見せ、不吉な予言しか行わないトレローニーが口にするのは一つしかない。
「──犬、ですかね?」
ソフィアは目を細め、薄く微笑みながら首を傾げる。トレローニーは眼鏡の奥の大きな目をさらに見開き、口元をはっと押さえた。
「まぁ!あなたは、確かな心眼をお持ちですわ…それを曇らせず、このまま1年終えることができる事をあたくしは期待しましょう──ええ、そう。グリムです」
トレローニーはショールをふわりと手繰り寄せ、ソフィアの背中をすっと撫でた。少しぞくりとした寒気を感じたソフィアは苦笑いをしてトレローニーから視線を外す。
「グリム?」
ハリーが怪訝な顔でトレローニーの言葉を反復する。グリムは、確かな夏休み中にソフィアとルイスが教えてくれた黒い犬のことだ。ソフィアとルイスは信じていない様子だった不吉の象徴だというそのグリムが何故カップに見えるのか──ハリーはショックな顔をするトレローニーを首を傾げて見た。
「グリム、あなた…!死神犬ですよ!墓場に取り憑く巨大な亡霊犬です!可哀想な子。これは不吉な予兆…大凶の前兆──死の予告です!」
ハリーは顔を引き攣らせた、ソフィアとルイスはただの野良犬だと慰めてくれたが、まさか本当にグリムだったのだろうか。
皆が驚愕の表情でハリーを見る中、ハーマイオニーだけは立ち上がりトレローニーの椅子の後ろに回った。
「グリムには見えないと思うわ」
「こんな事言ってごめん遊ばせ、あなたには殆どオーラが感じられませんのよ。未来の響きの感受性というものが殆どございませんわ」
トレローニーは嫌悪感を募らせてハーマイオニーをじろりと品定めをし、ハーマイオニーはむっとした表情のまま何も言わずに強くその目を睨み返した。
「こうやってみるとグリムらしく見えるよ」
「でも、こっちからみるとむしろロバに見えるな」
「僕が死ぬか死なないか、さっさと決めたら良いだろう!」
苛つきながら言ったハリーの叫びは教室内に強く響いた。
「今日の授業はここまでにしましょう。──さあ、どうぞお片付けなさってね…」
トレローニーが消え入りそうな声で言うと、生徒たちは皆押し黙ってカップをトレローニーに返し、教材を片付けた。誰1人として、ハリーを見ようとはしない。──ソフィア以外は。
「さ、ハリー次は変身術よ!急がないと遅刻するわ」
「ソフィア…君も…グリムをカップに見たの…?本当に…?」
トレローニーだけでは信じられなかったかもしれない、いい加減な事を言っている可能性もある。ただソフィアもカップに犬を見たと言っていた、まさか、本当に死の予言なのだろうか。
ソフィアは周りを見てトレローニーがネビルに気を取られている事を確認すると悪戯っぽく笑いハリーに囁いた。
「ただの茶色の塊にしか見えなかったわ」
「な、なら…どうして…」
「ま、後で教えてあげるわ。──本当に急がないと間に合わないもの」
ソフィアは肩をすくめ他の生徒たちと同じように出口の梯子へ向かった。
ハリーとロンをさもすぐに梯子を降り、長い螺旋階段を駆け降りる。
ソフィアとハーマイオニーは少し離れた場所で止まると誰も周りにいない事を確認してさっと廊下の影に移動した。
「次は、数占いね」
「…占い学みたいじゃない事を祈るわ」
ハーマイオニーは首元のチェーンを手繰り寄せ、輪っかの中にソフィアの頭を潜らせながら吐き捨てるように呟く。
そしてくるりと逆転時計を回転させた。