ハリーはブラックの目に驚愕と狼狽が写ったのを見た。落ち窪んだ眼窩の奥にある目が見開かれ、口が僅かに開いている。じっとブラックはルイスとソフィアを見つめ、そして一瞬ハリーの瞳を探るように見たが──疲れたような長いため息をこぼした。
「──そうか…君たちが…アリッサの子か…ああ、…彼女に、良く似ている…」
「そんな事聞きたく無い!何で母様の名前が出てくるんだ!?」
「……っ!ま、まさか──巻き込まれた人って、母様…なの…?母様を…殺した…?」
ハーマイオニーはソフィアの震える声に息を飲み、口を手で覆い、目に涙を溢れさせた。──三本の箒でマクゴナガルが言っていた、巻き込まれ殺された人が、ソフィアとルイスの母親だったなんて、あの時は思いもしなかった。
しかし──それなら、2人にとっても、ブラックは母親の敵という事になる。
「そうだ。しかし、君たちが全てを知ったら──」
「全て?」
ハリーはブラックの言葉にぴくりと反応し、ぐっと服の上からブラックの胸を突き刺す。目は憎悪で染まり、怒りで鼓動が早くなりドクドクと脈打つ音が聞こえる。怒りで身体がこんなにも震えるなんて、誰かを殺したいと強く思うなんて──ハリーは知りたくもなかった。
ソフィアとルイスもブラックに駆け寄ると、不審な動きをすれば直ぐに射止めるという強い覚悟で杖先をブラックの喉と頭に向けた。
「お前は僕の─僕の両親と2人の母親をヴォルデモートに売った。それだけ知れば沢山だ!」
「聞いてくれ。…聞かないと、君たちは後悔する…君たちは、わかってないんだ」
ブラックは緊迫した声で呟き、ハリーの目とソフィアの目を交互に見た。
ソフィアとルイスは目の前に母親を死なせた元凶がいる──それを知り瞬間的に激しい怒りに突き動かされていたが、荒くなった呼吸を整えているうちに少し冷静さを取り戻した。
「…何を聞かないと後悔するの。私は…私たちは、母様の事を何も知らない──」
ブラックが何か言おうと口を開けたが、次の言葉を言う前にクルックシャンクスがハリーの側をさっと通り抜けた。
クルックシャンクスは跳び上がりハリーの杖を鋭い爪で弾くと顕になったブラックの胸の上に陣取り、ハリーを威嚇した。
杖先を逸らされたハリーはすぐにクルックシャンクスに杖を向ける。──しかし、その目は困惑で揺れていた。
ソフィアとルイスもまた信じられないようにクルックシャンクスを見下ろし、ブラックは目を瞬かせながら「どけ」と胸の上に居る猫を払おうとしたが、クルックシャンクスはローブに爪を食い込ませ身体を押し退けられても動かなかった。
ハーマイオニーはクルックシャンクスの数々の信じ難い裏切りにより涙をこぼししゃくり上げ、「クルックシャンクス、そんな…」と悲痛に染まった声で呟く。
──今しかない。
今、ブラックを殺さなければ、今こそ父さんと母さんの敵を取る時が来た。そうハリーは何度も心の奥で呟き杖を握り直した。
クルックシャンクスは大きな目をハリーに向け微動だにしない。
ソフィアとルイスは杖先はブラックに向けたままだったが、ハリーをちらちらと何度も見ていた。
やるしかない。そうハリーは思ったが口は開く事は無く、部屋の中に静寂が落ちる。聞こえるのはロンの苦しげな喘ぐような息遣いと、ハーマイオニーのしゃくり上げる声だけた。
突如それに新しい音が聞こえてきた──床にこだまする、くぐもった足音だ。
「ここよ!私たち、上に居るわ!シリウス・ブラックよ!──早く!」
ハーマイオニーが急に叫び、ブラックは驚いて身動きし、クルックシャンクスはまた振り落とされそうになった。
「「
ソフィアとルイスはブラックの逃亡を阻止するため同時に同じ呪文を叫んだ。2人の杖先から縄が飛び出るとぐるぐるとブラックの手足を拘束する。ブラックはもがいたが、手足を抑えられ胴にはハリーが乗っている──逃げられなかった。
赤い火花が飛び散り、ドアが勢いよく開いた。
ソフィアが振り向くと、蒼白な顔で杖を構えリーマスが飛び込んでくるところだった。
リーマスの目が、床に横たわるロンを捉え、ドアのすぐそばですくみ上がっているハーマイオニーに移り、杖でブラックを捕らえてつっ立っているハリーとルイスとソフィアを見て、それからハリーの足下で血を流し手足を拘束され伸びているブラックその人へと移った。
「
リーマスが叫び、ハリー達の持っていた杖全てがまたしても手を離れて飛び、ハーマイオニーが持っていた二本の杖も同じように飛んだ。リーマスは器用に全てを空で捕まえ、ブラックを見据えたまま部屋の中に入ってきた。
ソフィアはリーマスの手に収まっている自分の杖をじっと見た。
──何故、私たちの武装解除をするんだろう。持っていないと危ないのは、分かりきった事なのに。…まさか、本当に…?
脳裏を嫌な予感がよぎり、ソフィアは一度固唾を飲むと周りを忙しなく見ながら側に近寄ってくるリーマスに呼びかけた。
「リーマス先生──」
「シリウス、アイツはどこだ?」
リーマスの声は何か感情を押し殺して震えているような緊張した超えだった。
ハリーはリーマスが何を言っているのか理解が出来ず困惑してブラックを見下ろしたが、ソフィアとルイスは目を見張り、一歩後ろに下がった。──ブラックを、親げに名前で呼んでいる。
ブラックは表情を消したまま暫く無言だったが、ロンの方を顎で指した。ハリーは指された先にいるロンを訝しげに見たが、ロンは当惑し訳がわからない、といった表情で震えていた。
「…しかし…それなら…何故今まで正体を現さなかったんだ?──もしかしたら…君はあいつと入れ替わったのか?…
リーマスはブラックを通して何かを見ているような目で深く考え込んでいたが、ハッとした顔で目を見開き呆然と呟く。
ブラックは、リーマスを見つめたまま、ゆっくりと頷いた。
「ルーピン先生、一体何が──」
何の話をしているのか、曖昧な言葉が多すぎて理解出来ず、ハリーは思わずリーマスの言葉に割り込んだがその問いは途中で途切れた。
リーマスは杖を振るいブラックを拘束していた縄を消失させると、杖を下ろした。リーマスはブラックの元まで歩み寄り、そして手を使って助け起こした。──クルックシャンクスが床に転がり落ちた──そして、兄弟のように強くブラックを抱きしめ、ブラックもまたリーマスの背に腕を回し強く抱きしめていた。
信じ難い、悪い夢のような光景に、ハリーは身体の中に電流が走ったかと思うほどの衝撃を受けた。
「リーマス先生…どうして!」
ソフィアが悲痛な声で叫んだ。
リーマスはブラックを離すと、ソフィアを見た。
「リーマス先生は、…その人の共犯者だったの…?」
ぽつり、とルイスが否定して欲しいと言うような、哀願が籠る声で呟き、顔を苦しげに歪めた。
リーマスが何か言おうと口を開いたが、言葉を発する前にハーマイオニーの叫びにより塞がれてしまう。
「なんて事なの!先生は…先生は──!」
ハーマイオニーは叫び、口をわなわなと震わせながら目を爛々と光らせリーマスを指差す。
ソフィアとルイスはまだ冷静さを残していたが、酷く取り乱すハーマイオニーをまずは落ち着かせようとリーマスがハーマイオニーの名を硬い声で、ゆっくりと呼んだ。
「ハーマイオニー…」
「先生は、その人とグルなんだわ!」
「ハーマイオニー、落ち着きなさい──」
「私、誰にも言わなかったのに!先生のために、私、隠していたのに!」
「ハーマイオニー、話を聞いてくれ、頼むから!」
リーマスはハーマイオニーの叫びを聞き、彼女が何を言おうとしているのかを理解した。
それは、言われてもいい、事実だからだ。だが、ハリーに──ハリーとソフィアとルイスに、説明しなければならない事が多くある。
「──説明するから」
「僕は…先生を信じてた…それなのに、先生はずっとブラックの友達だったんだ!」
一陣目の衝撃を飲み込んだ後、ハリーを襲ったのは見を震わせるほどの怒りだった。
──いつも先生は優しかった、他の教師とは違う、それなのに、裏切っていたのか。ブラックと共に僕を殺すために。
「それは違う、この12年間、私はシリウスの友ではなかった。…だが、今はそうだ…説明させてくれ」
「駄目よ!」
必死に説明しようとするリーマスだったが、ハーマイオニーは恐怖と絶望に慄き引き攣った声で叫ぶ。胸の前で拳を作り、握られている手は真っ白になり震えていた。
「ハリー、騙されないで!この人はブラックが城に入る手引きをしたのよ!──やっぱり、そうだったのね、ソフィアの想像通りじゃない!この人もあなたの死を願ってるんだわ!──この人、人狼なのよ!」
痛いような沈黙が流れた。人狼、という言葉にハリーは過去セブルスが授業で教えたその殺し方と見分け方──そして、脅威を思い出した。
ロンとハリーは信じ難い目でリーマスを見つめる。リーマスは告げられた秘密に顔を蒼白にしていたが、取り乱す事は無く驚くほど落ち着いていた。
「…いつもの君らしくないね、ハーマイオニー。残念ながら3問中1問しか合ってないし、ソフィアの考えも間違いだ。…私はシリウスが城に入る手引きはしていないし、勿論ハリーの死を願ってなんかいない…──しかし、私が人狼でいる事は否定しない」
その言葉を聞いたロンが雄々しく立とうとしたが、痛みに小さく悲鳴を上げまた座り込んだ。リーマスは心配そうにロンの方に行きかけたが、ロンは強い拒絶と嫌悪の目でリーマスを睨み「近寄るな人狼め!」と吐き捨てた。
リーマスはぴたりと足を止める。辛そうに顔を歪めたるリーマスを見て、ソフィアとルイスは僅かに胸がちくりと居たんだ。これが──ロンのあの目が魔法界における人狼への偏見と差別の眼差しだ。
リーマスはぐっと堪え立ち直ると、ハーマイオニーに向かって話しかけた。
「いつから気付いたのかね?」
「ずーっと前…スネイプ先生のレポートを書いた時から…」
「スネイプ先生がお喜びだろう。スネイプ先生は、私の症状が何を意味するのか、誰か気付いて欲しいと思ってあの宿題を出したんだ…月の満ち欠け図を見て、私の病気が満月と一致する事に気付いたんだね?それとも、ボガートが私の前で満月に変身する事を見て気付いたのかね?」
「両方よ──」
ハーマイオニーが小さな声で答え、リーマスは力なく微笑んだ。
「君は──」
「先生、貴方が人狼だと言うのはどうでもいいわ。それより──」
ソフィアにとって、リーマスが人狼だと言う事は気になる事でも、さして重要な事ではない。そんな事より早く何があり、何故今はブラックの友なのか、説明をして欲しかった。──だが、ソフィアの言葉にロンが困惑し「正気かよ、人狼だぜ?」と声を震わせた。その侮蔑が混じる声に、ソフィアはちらりとロンを見る。
「だからなんなの?」
「な、なんなのって──」
「ロン、僕らは初めからリーマス先生が人狼だと知っていた。──ジャックから聞いていたんだ。ジャックは人狼に対し差別はしない。その人に育てられた僕らも同じだ」
「そうよ、人狼もほとんど普通の人だわ。それに私たちは誰も…今まで満月の日に襲われていないもの」
「…君たち…」
リーマスを見ながらはっきりと告げられたルイスとソフィアの言葉に1番心を揺らしたのはおそらくリーマスだろう。この状況になっても、人狼だからといって差別しない2人の心はとても優しく誠実だ、だが──今その言葉を言えば、2人が責められるのではないかと、リーマスは眉を寄せる。
「し、信じられない!君たちは正気じゃない!じ、人狼だぜ?」
「──ロン、あのね。先生は人狼になりたくてなったわけじゃないの、どうしようもないその性質を責めてどうするの?それに、ホグワーツの先生達も…ダンブルドア先生も認めたからリーマス先生はここにいるんでしょう。…それが正解だったのかどうか、私は知りたいの」
「ダンブルドアは間違いだったんだ!先生は、ずっとブラックの手引きをしていたんだ!」
ソフィアとルイスがリーマスが人狼だと言う事に興味がないように、ハリーにも関心がなかった。ハリーにとっても人狼だと言う事はどうでも良い、そんな事より早くリーマスも、ブラックもこの手で捕まえ考えられる苦痛を与えてやりたかった。大声で責め、喚きたかった。
ハリーは叫び、ブラックを指差した。ブラックは天蓋付きベッドに歩いて行き、震える片手で顔を覆いながらベッドに身を埋めた。
ロンが近づいたブラックに顔を引き攣らせ、足を引き摺りながらじりじりと離れた。
「私はシリウスの手引きはしてはいない。説明するよ。──ほら」
リーマスは持っていた杖をそれぞれの持ち主のもとに放り投げて返し、自分の杖をベルトに差し込むと何も持たない両手をあげた。
「君たちには武器がある。私は丸腰だ。聞いてくれるかい?」
「…ブラックの手引きをしていないなら、どうしてここに居るって…わかったの?」
いきなり杖を返され、罠だろうかと疑い何も言えないハリーの代わりにソフィアが静かに聞いた。
リーマスはソフィアに向き合い──ルイスがそっとソフィアを自分の背の後ろに隠し片腕を広げた──まだこの中で冷静なソフィアに優しく称賛するように微笑み答えた。
「地図だよ。忍びの地図だ。──事務所で地図を調べていたんだ」
「…使い方を知ってるの?」
ハリーはソフィアの静かな声に、僅かに残っていた理性を総動員させ今すぐブラックとリーマスに魔法をかけたい気持ちをぐっと堪え、疑わしげにリーマスを見た。確かに地図はリーマスが持っていた。地図だと知っているとあの日自分に伝えていた、だが何故使い方まで知っているのだろうか。
「勿論、使い方は知っているよ。私もこれを書いた1人だ。私はムーニーだよ。──学生時代、友人は私のことをそういう名で呼んだ」
「先生が、書いた…?」
「そんな事より。私は今日の夕方、地図をしっかり見張っていたんだ。というのも君たちが城をこっそり抜け出してヒッポグリフの処刑の前にハグリッドを訪ねるのではないかと思ったからだ。そうだね?──君はお父さんの透明マントを着ていたかもしれないね、ハリー」
「どうしてマントの事を?」
「ジェームズがマントに隠れるのを何度見た事か…」
リーマスはハリーを見つめ、懐かしそうにその目細めた。その姿を通して誰を思っているかなど、聞かなくてもその瞳を見れば簡単にわかる事だろう。──ハリーはジェームズに良く似ている。
過去の輝かしく暖かい記憶を思い出しかけていたリーマスだったが、それを振り払うかのように手を振り、言葉を続ける。
「要するに、透明マントを着ていても忍びの地図に現れるという事だよ。私は君たちが校庭を横切り、ハグリッドの小屋に入るのを見ていた。20分後、君たちは小屋から離れ城に戻り始めた。──しかし、今度は君たちのほかに…もう1人一緒だった」
「え?──いや、僕たちだけだったよ!」
「…ブラックが後をつけていたんじゃないの…?」
ハリーは驚き、当時のことを思い出したがどう考えても自分達以外に誰もいなかった。
黒犬の姿でブラックが後ろから追いかけていたのでは無いかと、ソフィアは怪訝に聞いたがリーマスは「いいや」と首を振ると部屋の中をうろうろと歩き回る。
「私は目を疑ったよ。地図がおかしくなったのかと思った…あいつがどうして君たちと一緒なんだ?」
リーマスは今までハリー達の質問に答えていたが、深く思案しぶつぶつと呟く。それは何とか答えを探し出そうとしているかのようだった。
「誰も一緒じゃなかった!」
「すると、もう1つの点が見えた。急速に君たちに近づいている。シリウス・ブラックと書いてあった…ブラックが君たちにぶつかるのが見えた、君たちの中から2人を暴れ柳に引き摺り込むのを見た──」
「1人だろ!」
あの時引き摺り込まれ、足の骨まで折ったのは自分だけだ。他に誰か居たわけがない。あまりに突拍子もなく聞こえるリーマスの言葉に、ロンが顔を歪めながら怒ったように叫ぶ。
しかし、リーマスは部屋の中を歩き回っていた足をぴたりと止めるとロンをじっと眺め回すように見た。
「ロン、違うね──2人だった。ネズミを見せてくれないか?」
「なんだよ。スキャバーズに何の関係があるんだい?」
「大有りだ。…頼む、見せてくれないか?」
リーマスは感情をなるべく抑えようとしていたが、それでも必死さは隠しきれなかった。見せるだけなら、とロンはローブに手を突っ込みポケットからスキャバーズをつかみ出す。
スキャバーズは必死に逃れようと暴れ鳴き叫んでいたが、ロンはもう逃してはたまるかと言うように毛が抜け切った尻尾をしっかりと掴んでいる。
ソフィアは怪訝な顔でスキャバーズを見つめた。
そのネズミが一体何なのだろうか。ロンは兄からのお下がりだと言っていた、魔力のかけらもなく、常に寝ているぼろぼろのネズミ──ただ、普通のネズミにしては長寿だと聞いた事がある。
「なんだよ、僕のネズミが一体何の関係があるっていうんだ?」
ロンは、リーマスとブラックが目を光らせスキャバーズを食い入るように見ている事に気づき、ずりずりとその視線から逃れようと足を動かしたが、その足は床を掻いただけで体は少しも動かなかった。
「それはネズミじゃない」
ブラックが突然声を出した。その目は憎しみと怒りに満ち、今にもスキャバーズ目掛けて飛びかかりそうだった。
ルイスはその尋常じゃないブラックと、リーマスの真剣な目に、はっと息を呑む。
ブラックはアニメーガスだった。ロンのネズミは本来の寿命の4倍も生きている──まさか。
「まさか…そのネズミも…?」
「…ああ、そうだ。こいつは魔法使いだ──アニメーガスだ」
ルイスの困惑に満ちた呟きを拾ったのはブラックだった。ブラックはルイスの発想の柔軟さと、聡明さに内心で感心しながらも、褒めるような眼差しは向けず、絶えず厳しい目でスキャバーズを見る。
「──名前は、ピーター・ペティグリュー」
ブラックの呟きは静かな部屋に響き。
その名を聞いた途端スキャバーズ──いや、ペティグリューは一層鳴き喚き、狂ったようにもがいた。