城に戻るために長いトンネルをソフィア達は進んでいた。
先頭をクルックシャンクスが軽い足取りで進み外に飛び出すとすぐさま木の幹にあるコブを前足で押した。
リーマス、ロン、ペティグリューが這い上がっていったが、暴れ柳は3人を襲う事はなく獰猛な枝の音は聞こえず静かなものだった。シリウスとハリーとハーマイオニーが続いて外に出だ後、ソフィアは先に外に出るとセブルスの脇に両腕を通し、軽いその体をひょいと引っ張り上げた。
「ありがとう、ソフィア」
「いいのよ。…軽いけど、うーん…ルイス、先生の足をぶつけていたわ」
「これでも頑張ったほうだよ!」
狭いトンネルだ。少しもセブルスの身体をぶつける事なく進むのは不可能であり、ルイスはかなり苦労し気をつけていたが、どうしても長い足や腕が岩肌にぶつかるのは避けられなかった。
ヒソヒソと囁きながらルイスはソフィアに抱えられていたセブルスをふたたび受け取り、真っ暗になった空を見上げた。
ソフィアもまた、同じように空を見上げる。ようやく、全てが終わったんだ。ペティグリューの罪は大衆に晒され、シリウスは無罪となるだろう。全てが明かされた時──セブルスに、父に、全てを聞こう。そう、ソフィアとルイスは思っていた。
ソフィアはハリー達の後に続きながら、気絶したままのセブルスを何度も心配そうに見た。リーマスは大丈夫だと言っていたが、早く医務室に連れて行かないと。
──本当に、来なければこんな怪我をする事も無かったのに…父様は何故ここに来たんだったかしら…?
ふと、ソフィアは思った。
1時間程度の間に、本当に色々な事があった。何故だったか──ソフィアはそれを思い出した時、思わず叫んだ。
「ああっ!」
「な、何──」
その大きな叫びに皆が振り返る。1番近くにいたルイスは跳び上がり、思わず腕からセブルスを落としそうになり、慌てて抱え直した。
「リーマス先生!薬を飲んでないわ!!」
ソフィアの叫びと、分厚い雲が途切れ満月の月明かりがソフィア達を──リーマスを照らすのは同時だった。
リーマスは目を見開く、その顔には恐怖が彩られ必死に抗おうとしていたが、その身体は硬直していた。──そして、手足が痙攣するかのように震え、身体をぐっと折り曲げ、食いしばった歯から苦しげな唸り声が漏れる。
「逃げろ。──逃げろ、早く!」
シリウスが低い声でハリー達に言ったが、ハリーは逃げなかった、逃げる事が出来なかった。
ロンがペティグリューと人狼に変わりゆくリーマスに繋がれたままだ。このままだと、1番初めに噛まれるのはロンに違いない。
咄嗟にハリーは飛び出した、が、シリウスはハリーの胸に両腕を回し引き戻し、強く後ろに押しやる。
「俺にまかせて──逃げろ!」
シリウスは直ぐにその身を黒犬に変化させるとロンを襲おうと牙を打ち鳴らす
ソフィアは杖を振るい沢山の石を鴉へ変化させ、そのまま黒犬を噛もうとする人狼の元へ鋭く杖を指し「
鴉の軍団はソフィアの命令に従い、人狼に向かって一直線に飛び進むと頭や目に向かってその嘴で攻撃をした。
鬱陶しそうにもがく人狼の手に当たった鴉は一声鳴き石に戻る。ソフィアは何度も鴉を出現させたが、このままでは埒があかないと、わかっていた。人狼には、魔法が効きにくい、効果的な攻撃魔法を喰らわせるには、重傷を負わせる程でないと効果は薄いだろう。だが──あの人狼は、リーマスだ。そんな事、ソフィアには出来なかった。
「ソフィア!ペティグリューが!」
ハーマイオニーが悲鳴を上げる。ハッとしてソフィアがペティグリューを見た時には既に遅く、ペティグリューは落ちていたリーマスの杖に飛びつきロンとクルックシャンクスを襲った。
ペティグリューを止めなければ、でも、今、鴉達を止めてしまったらリーマス先生が──。
狼狽え、何もできないソフィアを見たルイスは思わず、手を離しセブルスを落としてしまった。が、ルイスはそれを気にする余裕もなくすぐにペティグリューに杖を向けたが、それよりも早くハリーが「エクスペリアームス!」と呪文を放ちペティグリューの杖を奪う。
「くそっ!」
だが──遅かった。
ペティグリューはネズミに変身しすぐに草むらの中を走り去った。何度かルイスがペティグリューが消えた方向に向かって麻痺魔法を炸裂させたが、逃げ惑う小さなネズミに当たる事は無い。
ハリー達は悔しげに顔を歪め、焦ったように、咄嗟にシリウスを見た。人狼を抑え込もうともがく黒犬は体中から血を流し、ぱっと食うに血を散らす。
「
ルイスは人狼目掛けて呪文を放つ。だが──彼もまた、人狼はリーマスだと理解している、戸惑い力の込められていない魔法は人狼の皮膚をわずかに裂いただけで、その動きを止めることは出来なかったが、人狼は弾かれるように森に向かって疾駆した。
「シリウス!あいつが逃げた!ペティグリューが変身した!」
ハリーの声に、鼻面と背中に赤黒く生々しい傷を負った黒犬はぐっと何とか足を踏み出し、そのまま勢いよく微かに揺れ動く草むらを追って走り去る。
暫く、ハリー達の荒れた呼吸だけが響いていた。
「ロン!」
ソフィアが叫び、慌ててロンに駆け寄ったのを見てハリーとハーマイオニー、ルイスも後に続く。
ソフィアはぐったりとその場に倒れているロンの頭を抱き抱え、顔を覗き込んだ。
「…生きてる…けど、何か…魔法をかけられているわ」
ロンは口を開き、虚な目で心配そうに覗き込むソフィア達を見ていたが、何も反応は返さなかった。紛れもなく生きているのは確かだ、だが安心できる状態ではなさそうだとソフィアは表情を硬らせた。
「とりあえず…城に戻ろう、ロンとスネイプ先生を連れて行って…ダンブルドア先生を呼んだほうがいい」
ルイスの言葉にハリー達は顔を見合わせて頷き、すぐにロンを抱えて立ちあがろうとした。
だが、その時暗闇からキャンキャンと犬の悲鳴が響いた。その声は苦痛に満ちていて、ハリーは真っ暗な校庭を見つめ「シリウス…」と呟くと、次の瞬間には駆け出していた。
「ハリー!」
「ソフィア!ダメだ!」
ソフィアも弾かれるように駆け出すと、闇の中に飲まれていくハリーの後を懸命に追いかけた。ハーマイオニーは少し戸惑い、ロンとそして2人が消えた暗闇を忙しなく何度も見ていたが──ここに残る決意をした。
「わ、…私たちで、ロンを安全な場所に連れて行かないと…!」
「…うん。…そうしよう」
ルイスは、苦い表情で頷く。本当ならルイスも駆け出してソフィアの後を追いかけたかった。引き止め安全な場所まで連れ戻したかった、だが──ロンと、そして、セブルスを安全な場所に避難させなければならない。
もし、今2人を置いて行って、人狼がここに戻ってきてしまったら──最悪な事になる。
ハーマイオニーにロンを託したルイスはすぐに置き去りにしていたセブルスの元に駆け寄る。──もう一度浮遊呪文を掛け直して、早く安全な場所へ連れて行かないと。
杖をセブルスに向け、魔法を唱えようと口を開いた時、セブルスの瞼がピクリと震えたのを見て、ルイスは慌てて口を閉じ、セブルスの肩をゆすった。
「先生!スネイプ先生!──父様!」
「っ──…ル、イス…?」
「父様っ!」
セブルスは目を開き、途端に頭部に鈍い痛みを感じ顔を顰めた。ルイスはぐっと胸の奥から湧き起こる安堵から思わずセブルスの首元に縋るように抱きついたが、小さな呻き声を聞いて慌てて体を離した。
「ご、ごめんなさい!父様、痛い…?」
「…大丈夫だ。……!…ブラックはどこだ!?」
セブルスは自分を心配そうに見つめるルイスに安心させるように言ったが、ふと思い出したように大声で叫び立ち上がる。
叫びの屋敷に居たはずだが、いつの間にか外に出ている事にセブルスはようやく気がつき、辺りを鋭く見渡した。
だが、この場にいるのはルイスと顔を蒼白にさせたハーマイオニー、そして虚な顔をするロンの3人だけだった。
「父様、リーマス先生が人狼になった。ハリーとソフィアは──ブラックを追いかけて森へ──あっち、湖の方に向かった」
「っ…!」
あの、殺人鬼を追いかけるなど、自殺行為だ。──ソフィア!
セブルスの思考を占めるのは、大切な娘の事だけだった。ルイスの返答を聞かず、すぐに杖を持ち夜の闇の中に駆けていき──また、静かな沈黙がルイスとハーマイオニーを包み込む。
ルイスは暫くセブルスが消えた先を見つめ、悔しそうに唇を噛んだ──何も、出来ないなんて、大切なソフィアの元に向かう事ができないなんて…──しかし、ここで自分も居なくなって仕舞えばハーマイオニーは混乱してしまう。すでに、顔色は悪く今にも泣き出しそうだ。…置いて行くことは出来ない。
「──ハーマイオニー、行こう」
「…え、ええ…」
ハーマイオニーは頷き、ロンの片腕を自分の肩に回し立ち上がる。すぐにふらついてしまったが、ルイスが反対側からロンを支え何とか転倒する事は無かった。
「…魔法で運ぶ?」
「…ううん。どんな魔法がかけられてるかわからないから…このまま行こう」
ロンを左右から持ち上げ運ぶ。ぼんやりとしたままのロンは歩む事なく、足を地面でずりずりと引き摺りながら何も無いところを見続けた。
ーーー
ソフィアとハリーは懸命に走りながら甲高い犬の悲鳴が聞こえる方へ向かった。
徐々に空気が冷え、ソフィアはぶるりと身体を震わせる。──湖に近いとはいえ、この冷気はおかしい、まさか。
2人が湖の畔に辿り着いたとき、急に犬の叫びは止んだ。最悪の結果を2人は想像したが、ほとりでうずくまる人の身体に戻ったシリウスを見て、ほんの僅かに固くなっていた表情を緩める。
「シリウス──」
「ハリー!」
ハリーはすぐに蹲り震えるシリウスに駆け寄ったが、ソフィアは対岸を見て、足を止め目を見開きハリーの名を叫んだ。ハリーは振り返り、そしてようやく──何が近付いているのかを見た。
吸魂鬼だ──少なくとも百体以上の吸魂鬼が黒々とした塊になり湖の周りから滑るようにこちらに近付いてくる。長い間
「ソフィア、何か幸せなことを考えるんだ!」
いつもの冷たい氷のような感覚が体の芯を貫き、目の前が霧のように霞んできながらも、ハリーは叫び杖を構えた。
ソフィアは幾百の吸魂鬼に顔をこわばらせながら必死に、必死に家族の事を思う。ハリーもまた内側から響き始めた微かな悲鳴を振り払うように強く頭を振り、シリウスと──名付け親であり、後見人の彼と過ごす、その事を強く思った。
「エクスペクト・パトローナム!──エクスペクト・パトローナム!!」
シリウスが痙攣したように体を大きく震わせひっくり返ると地面に横たわり動かなくなった。微かに胸が上下しているのは見える、だが、顔色は死人のように悪い。
「エクスペクト・パトローナム!──ソフィア、助けて!エクスペクト・パトローナム!」
「っ…エクスペクト・パトローナム!」
ソフィアは強く叫んだ。
杖先から銀色の光が溢れ、最も近付いていた吸魂鬼を貫き、その吸魂鬼は嫌がるように後ろに下がったが、すぐに新たな吸魂鬼が踊り出す。ハリーの杖先からも銀色のものが一筋現れ目の前を霞のように漂う。ソフィアとハリーの守護霊魔法は、あまりにも儚く頼りなかった。
「エクスペクト──」
「ソフィア!」
ソフィアは小さな声で喘ぐように魔法を唱えようとしたが、目の前が急激に暗くなりぐるりと視界が回った。冷たい草に膝をつき、それでも杖腕を前に出してはいたが──最早、限界だった。
膝をつくソフィアにハリーは駆け寄り、その肩を強く抱いた。凍えている、氷のように、冷たい。
このままだと、シリウスも、ソフィアも危ない、2人を──大切な人を失ってたまるものか。
「エクスペクト・パトローナム!」
形にならない弱々しい守護霊の光が壁のようにハリーの前に現れる。吸魂鬼はぴたりと立ち止まり、鬱陶しそうにその光を振り払おうと手のような細い萎びたものを動かす。
吸魂鬼達はハリーを見下ろし、1番近くにいた吸魂鬼がハリーをじっくり眺め回し、腐乱した両手を上げフードを脱いだ。
隠されたフードの下には、悍ましい何かがあった。本来目があるところには、虚な眼窩があり、のっぺりとした仮面のような顔は灰色の瘡蓋で覆われている。口のようなものあった──が、ぽっかりと大きく穴の空いた空洞があるだけで、それを口と呼べばいいのか分からない。ただそれはザアザアと砂嵐のような音を立て何かを吸い取っていた。
ハリーはあまりの恐怖に身体が麻痺したように動けなくなっていた。ソフィアを抱きしめたまま、動くことも声を出す事も出来ない。守護霊は揺らぎ、空に溶けて果てた。
吸魂鬼から伸びるべっとりとした二本の腕が、ハリーの首にがっちりと巻き付いた。
「…ハ…リィ…」
ソフィアは真っ白な吐息を吐き、ほとんど見えない目を何度も瞬かせ、重い腕を上げた。
「──エクスペクト・パトローナム…」
ソフィアの杖先から、銀色の眩い光が溢れ──そして、その場にふわりと足をつけた。
輝く守護霊は飛び跳ねるように、生まれ出た事を喜ぶように、この場にそぐわない無邪気さを示すように駆け回りハリーを捉える吸魂鬼にぶつかり──その小さな守護霊のどこにそんな力があったのか──湖の反対側まで勢いよく吹っ飛ばし、そして消えてしまった。
それを微かに見たソフィアは、ふっと意識が落ちてゆくのを感じた、これ以上、目を開ける事ができない、何も、考えられなくなっていく。
意識が黒く塗りつぶされたソフィアは、誰かの声を聞いた。
──ない──許さ─い─アリッサ──ュカ─
それは、悲痛な慟哭だった。
ソフィアはその声の、嘆きと哀しみの深さに、何故か胸が苦しくなり、一筋の涙を流し、意識を手放した。
ハリーは白く塗り潰されていた視界がまた戻るのを感じ、腕の中でぐったりと気を失ってるソフィアを見て小さく悲鳴を上げ、必死に吸魂鬼から離れようと後ろに下がる。手探りでシリウスの腕に触れ、気を失っているシリウスとソフィアを必死に守ろうとその上に覆いかぶさる。
すると、その時、ハリーを包んでいる白く重い霧を貫く、銀色の光が見えるようなきがした。その光はだんだん強く、明るくなり全てを照らす。
ハリーはうつ伏せになったまま、動く事ができなかった、指一本たりとも、動かせない。
だが薄らと目を開け──ハリーは、目も眩むほどの光を見た。
ハリーの脳内で響いていた母の悲鳴はやみ、吸魂鬼が出す冷気が徐々に引いて行く。何かが、吸魂鬼を追い払っている──何かが、ハリーとシリウスとソフィアの周りをぐるぐる回りながら吸魂鬼を蹴散らしている。
あらんかぎりの力を振り絞り、ハリーは顔を僅かに持ち上げ、それが何なのか見極めようとした。…それは、ユニコーンのように光り輝き、湖を軽やかに疾駆していた。
ハリーは、走る足並みが止まるのを見た、それを迎えた人が──それに、手を伸ばし撫でている──何故か、見覚えがあるような気がした。
どこか不思議な気持ちがした、まさか──。そう思いながら、ハリーは最後の力が抜けて行くのを感じ、またソフィアとシリウスに覆いかぶさるようにして意識を手放した。