ソフィアはハリーとロンと共に闇の魔術に対する防衛術の教室の前で授業開始を待っていた。
グリフィンドールの四年生は、図書館へ行ってしまったハーマイオニーを除き全員が集まり、始業開始のベルを今か今かと待っていた。
ドラコがケナガイタチに変えられた話と、授業内容が今までの教師とは違い、『闇の魔術』と戦う事──それを身をもって教えてくれる。そんな噂がホグワーツ中に広まっていた。期待で胸を膨らませる同級生達の中、ソフィアだけがすこし複雑な表情をしていた。
「私…よく考えたら、ムーディ先生にかなり失礼なことをしたわよね…?先生に、魔法を向けるなんて…なんで減点も罰則も無いのかしら…」
「うーん。ムーディはほら、そんな小さい事気にしないんじゃない?めちゃくちゃ強い人だし」
「…そうかしら…まぁ…謝る気は無いけど」
ソフィアはハリーの慰めの言葉に肩をすくめて小さく呟く。
失礼な事はしたし、先生に対して魔法を使うなんて、本来は罰則ものだ。だがあれからムーディと廊下ですれ違ったとしてもムーディはソフィアに声をかけなかった。
始業時間ギリギリになってハーマイオニーが息を切らせて現れ、ハリー達4人は最前列の教壇前に陣取った。
教科書を机の上に置き、ムーディの訪れを待つ。すこししてコツ、コツという独特の音が遠くから近づいて来るのが聞こえ、ムーディが静かに教室の中に姿を表す。歩くたびにローブが翻り、鉤爪付きの木製の義足がちらりと見える。
「そんなもの、しまってしまえ。──教科書だ、そんな物は必要ない」
ムーディは教壇の裏に立ち、生徒達を見回しながら唸るように言った。
ソフィアは教科書を鞄の中に戻しながらちらりと隣に座るロンが嬉しそうにしているのを見た。
ロンだけでは無い、教科書を使わない授業にこの教室内にいる殆どの生徒が喜んでいた。
出席簿を取り出したムーディは顔にかかった灰色の髪を鬱陶しげに振り払い、生徒の名前を淡々と読み上げる。
普通の目は生徒の名前をなぞっていたが、青い目はぎょろぎょろと自由に動き回り生徒一人一人を見据えていた。
「ソフィア・プリンス…」
「はい」
他の生徒同様、ソフィアも普通に返事をした。
だが、ムーディは次の生徒の名前を言う事なく顔を上げ、両眼でソフィアを見据えた。ソフィアはハリー達と同様、最前列に座っている。そのあまりの近距離からの強い視線に──少々顔を硬らせた。
「先日の、狼に変える変身術は見事だった。だが、わしならカバンの中身をぶち撒け複数の狼を使役させ、襲わせる。その方が敵に隙が生まれやすい」
「え…あ、確かに…」
まさか褒められた上に反省点まで伝えられるとは思わず、ソフィアは目を瞬かせながらおずおずと頷いた。
確かに、あの時は必死で狼一頭に変身させていたが、複数の狼を出していれば敵──この場合はムーディだが──が狼達に気が向いている間に何か別のことが出来たかもしれない。
ムーディは、小さく笑った。
その笑顔は朗らかな物では無かったが、彼の持つ不気味な雰囲気を僅かに、親しみやすいものに変えただろう。
それからムーディはソフィアに何も言う事はなく、続きの生徒の名前を読み上げる。
最後の生徒の名を呼んだ後、ムーディは出席簿を教壇の上にぽいと投げ捨てた。
「よし、それでは──このクラスについては、ルーピンから手紙をもらっている。お前達は闇の生物と対決するための基本を満遍なく学んだようだ。…しかし、お前達は遅れている…呪いの扱い方についてだ」
ざわざわと生徒たちは小声で囁き合う。
呪いは、確かに今まで一度も学んだ事はない。…とは言っても、この闇の魔術に対する防衛術でまともな授業をしたのはリーマスと臨時講師だったジャックだけであり、彼らは主に遭遇しやすい魔法生物の対応について教え、闇の魔法についてはまだ早すぎると判断し教える事は無かった。
「そこで、わしの役目は魔法使い同士が互いにどこまで呪いあえるものなのか、お前たちを最前線まで引き上げる事にある。わしの持ち時間は1年間だ。その間にお前達が──」
「え?ずっといるんじゃないの?」
ロンが思わず口走り、ムーディの魔法の目がぐるりと回りロンを見据えた。
まずい、とロンは身を縮まらせながら口を抑えたが──最前列に座っているロンが隠れることができるものが、目の前には何も無かった。
しかし、ムーディは話を途中で遮られた事を特に咎める事も無く、ソフィアに見せたように、ふっと朗らかに──傷痕が引き攣れ歪なものだったが──笑った。
ロンはほっと胸を撫で下ろし、強張っていた肩から力を抜く。
「お前はアーサー・ウィーズリーの息子だな?え?…お前の父親のお陰で、数日前窮地を脱した…ああ、1年間だけだ。ダンブルドアの為に特別にな…その後は静かな隠遁生活に戻る」
ムーディは嗄れた声で低く笑う。
その笑いは、どこか自嘲めいたものが含まれていた。数々の悪を捉えた闇払いが、静かな隠遁生活など送れるわけがないと──そう、思っているのだろうと、ソフィアは感じた。
「では、すぐ取り掛かる。違法とされる闇の呪文がどんなものなのか、6年生まで見せてはならんことになっているが…ダンブルドア校長は、お前達の根性を高く評価している。校長はお前達が呪文を目にすることに耐えられるとお考えだし、わしに言わせれば、戦うべき相手は早く知れば知るほど良い──違法な呪いをかけようとする魔法使いが、これからこういう呪文をかけますなどと教えてくれまい…お前達の方が備えなければならん。緊張し、警戒しておかねばならんのだ──さて、魔法法により、最も厳しく罰せられる呪文が何か、知っている者はいるか?」
ムーディの静かな問いに、ロンを含めた何人かが中途半端に手を上げた。
ソフィアとハーマイオニーだけは、いつものように高く手を上げていたが、ムーディはロンを指名する。
「えーと。パパが一つ話してくれたんですけど…たしか、服従の呪文とか…?」
「ああ、その通りだ。お前の父親ならたしかにそいつを知っている筈だ。一時期魔法省を手こずらせた事がある…服従の呪文はな」
ムーディは教壇の引き出しを開け、中から透明な瓶を取り出した。中には手のひらほどの大きな黒い蜘蛛が3匹がさごそと這い回っており、それを見たロンはぎくりと体を硬らせる──ロンは、蜘蛛が大の苦手だ。
その瓶の中から1匹の蜘蛛を取り出したムーディは、みなに見えるように手のひらに乗せ、杖を蜘蛛に向けて一言、呟いた。
「
蜘蛛は細い絹糸のようなものを垂らしながらムーディの手から飛び降り、ブランコをするように身体を大きく揺らす。
糸を切りくるくると回りながら教壇の上に着地すると、ムーディの杖の動きに合わせてタップダンスをするようなコミカルな動きを見せた。
みんながその光景に笑った、──ムーディを除いた、みんなが。
ソフィアですらも、その魔法の恐ろしさは知っていたが思わず、くすりと笑みを漏らしてしまった。
「おもしろいと思うのか?わしがお前達に同じ事をしたら、喜ぶか?」
低いムーディの声に、生徒達の笑い声は一瞬で消えた。
「完全な支配だ。わしはこいつを思いのままに出来る。窓から飛び降りさせる事も、水に溺れさす事も…誰かの喉に飛び込ませる事も…」
蜘蛛は鞠のように机の上をころころと転がっている。完全なる支配、それがようやく何を意味するのかわかったソフィアはぐっと表情を引き締めた。
「何年も前になるが、多くの魔法使い達がこの服従の呪文に支配された。誰が無理に動かされているのか、誰が自らの意思で動いているのか…それを見分けるのが魔法省にとって一仕事だった。
服従の呪文と、戦う事はできる。これからそのやり方を教えていこう。しかし、これには個人の真の力が必要で…誰でも出来るものではない。できれば呪文をかけられないようにする方が良い──油断大敵!」
突如大声を上げたムーディに、みんなが飛び上がる。
しかしムーディは気にする事なく机の上で転がっていた蜘蛛を空瓶の中に戻し、再び生徒たちを見渡した。
「ほかの禁じられた呪文を知っているものはいるか?」
何人かの生徒がまた手を挙げる中──ネビルも手を挙げた。
ネビル本人も何故自分が手を上げたのかわからないと言ったような困惑した表情をしていたが、それでも手を下ろす事はない。
「何かね?」
「一つだけ…磔の呪文」
ネビルは小さく、しかしはっきりと聞こえる声で言った。ムーディは両眼でネビルをじっと見つめ、「お前はロングボトムという名だな?」と聞き、ネビルはおずおずと頷いたがムーディはそれ以上追及せず、クラス全員の方に向き直り、瓶の中から2匹目の蜘蛛を取り出した。
蜘蛛はこれから起こる自分の未来を理解しているかのように、机の上でじっと身をすくめていた。
「磔の呪文。それがどんなものかわかるように、少し大きくさせる必要がある──
蜘蛛が膨れ上がり、タランチュラよりも巨大なものになる。ロンは小さな悲鳴を上げ椅子をなるべく後ろに下げ蜘蛛から遠ざかった。今ほど、最前列に座っている自分を殴りたくなった事はない、そんな後悔に満ちた表情だ。
「
ムーディの呪文が蜘蛛に当たる。
たちまち蜘蛛はひっくり返ると長い8本の脚を胴体に向かって折り曲げ、激しく痙攣し始める。蜘蛛に声があれば、間違いなく恐ろしい悲鳴をあげている事だろう。
ガクガクと震える蜘蛛からムーディは杖を離さず、蜘蛛はますます激しく身を捩り苦しみもがく。
「やめて!」
ハーマイオニーの声が響く。
呼吸を止めて蜘蛛を見ていたソフィアはハッとして隣にいるハーマイオニーを見た。しかし、ハーマイオニーは蜘蛛を可哀想に思い静止をかけたわけではなく──彼女は、ネビルを見ていた。
「ネビル…?」
ネビルは机の上に置いた手を強く、関節が浮き出るほど握っていた。その目は恐怖に染まり大きく見開かれている。
ムーディが杖を蜘蛛から離すと、蜘蛛ははらりと脚を緩めたがまだひくひくと小さく痙攣していた。逃げ出す体力も残っていないのか、蜘蛛はその場から動けない。
ネビルもまた、その呪文が終わっても動く事なく──蜘蛛を見続けた。
「
ムーディが唱えると、蜘蛛は縮み元の大きさになった。ぐったりとした蜘蛛をムーディはそっと掴み、瓶の中に戻す。蜘蛛は小さく痙攣するだけで、瓶の中に入っても大きく動く事は無かった。
「苦痛。──磔の呪文が使えれば、拷問に親指締めもナイフも必要ない。…これも、かつて盛んに行われた。…よろしい、ほかに何か知っている者はいるか?」
ハリーはそっと辺りを見回した。
皆の顔から、3匹目の蜘蛛はどうなるのか、そう不安げに考えているのが読み取れた。
そんな中、手を上げたのはハーマイオニーと、ソフィアだった。
ムーディは並んで3度目の挙手をするハーマイオニーとソフィアを見た。どちらを当てるのか──そう、皆が固唾を飲んで見守っているなか、ムーディの両眼は静かに、ソフィアを選んだ。
「なんだね?」
「はい。…死の呪文…アバダ ケダブラです」
死の呪文。その言葉に何人もが息を飲み、不安げにソフィアとムーディを見つめる。
「ああ…そうだ。最後にして最悪の呪文。アバダ ケダブラ、死の呪文だ」
ムーディはガラス瓶に手を突っ込んだ。最後の1匹はムーディの指から逃れようと必死に瓶の底を逃げ回る。自分を待つ命運を知っているかのような動きに、ソフィアは眉を顰め辛そうに表情を歪めた。
いや、ソフィアだけではない。クラス中の誰もが──同じことを思った。
逃げ惑っていた蜘蛛はついに捕らえられ、机の上に置かれた。
それでも蜘蛛は必死に走り逃げるが、床に飛び降りるよりも先にムーディが杖を振り上げる。
ハリーは、突然──不吉な予感に胸が震えた。
「アバダ ケダブラ!」
ムーディの声が轟き、目も眩むような緑色の閃光が蜘蛛を貫いた。
途端に蜘蛛は仰向けにひっくり返り──傷もなく、息絶えた。
あっさりと、それでいて確かに死んでいる蜘蛛を見た生徒たちの中から微かな悲鳴が上がる。
ハリーとソフィアは、蒼白な顔でそのあっという間に死んでしまった蜘蛛の死骸を見つめていた。
しかし、その蜘蛛の死骸はムーディが手を払い床の上にゴミのように打ち捨ててしまい──ソフィアは、ようやく蜘蛛から視線を外しムーディを見た。
「よくない。気持ちの良いものではない。しかも、反対呪文は存在しない…防ぎようがない。これを受けて生き残ったものはただ1人。その者は、わしの目の前に座っている」
ムーディは静かな声でハリーを両眼で見つめながら言った。
ハリーはクラス中からの視線を感じ、カッと頬を紅潮させたが…何も言わなかった。
ソフィアとハリーは同じ事を考えていた。
そうか、あの蜘蛛のように、傷もなく、なんの印もなく──命が奪われたんだ。
母様と、兄様は、あの蜘蛛のように、きっと…一瞬で。
苦しみが無ければいい、そう、ソフィアは思った。
ムーディは許されざる呪文の危険性や、死の呪いに対抗する反対呪文がない事を告げたのち、常に絶えず警戒することの重要性を伝え、それをソフィア達に書き取らせた。
それからの授業は、許されざる呪文についてノートを取ることに終始していた。終業を告げるベルが鳴っても誰一人として話さなかったが、ひとたび教室から廊下に出た途端、口々に興奮したように──恐ろしそうに──先程の授業について語り合った。
みんなが素晴らしいショーを見たかのように楽しげに興奮して話す中、ハリーとソフィアとハーマイオニーは、それほど楽しいものだとは思えなかった。
「早く」
「ええ、行きましょう」
ハーマイオニーは緊張した声でソフィア達を急かす。ハーマイオニーの視線の先にいるネビルに気がついたソフィアは、すぐに頷いたがロンは察する事が出来ず嫌そうに顔を顰めた。
「まさか、また図書館か?」
「違う」
「ネビルよ。──ほら」
ネビルは1人、廊下の端に立っていた。まだ目は恐怖に身開かれたままで、何もない石壁を見つめている。その只事ではない様子にソフィアとハーマイオニーはすぐに駆け寄り、優しく声をかけた。
「ネビル?」
「大丈夫…?」
「やぁ」
ネビルはくるりと振り返り、いつもより上擦った声でぎこちなく笑った。
「面白い授業だったよね?夕食の出し物はなにかな。僕──僕、お腹ぺこぺこだ。とっても面白い夕食…じゃないや、授業だった…夕食のくいものは、なんだろう?」
不自然に甲高い声で話すネビルは、どう見てもいつもと様子がおかしい、目はうろうろと宙を彷徨い激しく瞬きを繰り返し、口先が無理矢理笑おうとしているのか、痙攣するようにひくついている。
「ネビル、落ち着いて」
ソフィアはネビルの固く握られた拳を手に取った。
ネビルは初めてまともにソフィアに視線を合わせると、ハッハッと小さい呼吸を繰り返す。
「ぼ──僕、僕は落ち着いてるよ」
ネビルがなんとかその言葉を捻り出した時、背後からコツ、コツと静かな足音が響いた。
振り返ればムーディが脚を引きずりながら現れたところで、ソフィア達は黙り込み不安げにムーディを見た。
しかし、ムーディの声は先ほどとは打って変わり──ずっと低く、優しい声だった。
「大丈夫だぞ坊主。わしの部屋にくるか?おいで、茶でも飲もう…」
ネビルは息を飲み顔を硬らせた。
どう考えてもムーディと二人きりのお茶会だなんて、楽しいものにはなりそうにないと、ネビルは思い──勿論、ソフィア達も沈黙したまま同じことを考えた。
「お前は大丈夫だな?ポッター」
「はい」
ムーディの青い目に見据えられ、さらに名指しで呼ばれたハリーは挑戦的に言い返した。
ムーディは少し目を細めるとその青い目を震わせながらゆっくりと呟いた。
「知らねばならん。酷いかもしれん。…しかし、お前達は知らねばならん。知らぬふりをしてどうにかなるものでもない…さあ、おいでロングボトム…お前が興味を持ちそうな本が何冊かある…」
ネビルは救いを求めるような目でソフィア達を見たが、誰も何も言えなかった。
ムーディの節くれだった手が肩に乗り、ついにネビルは諦めたように項垂れムーディと共に廊下の奥へ向かった。
「ありゃ、一体どうしたんだ?」
二人が角を曲がり見えなくなった後でロンが唖然としながら聞いたが、誰もその言葉に答えられない。
ただ、なんとなくソフィアは──ネビルも、私とハリーと同じなのかもしれない。と思った。
「わからないわ」
「でも、大した授業だったよな?」
考えに耽るハーマイオニーを気にすることなくロンは同意を求めるようにハリーとソフィアを見る。その表情は、他の生徒達と同じで奇妙な興奮に満ちていた。
「フレッドとジョージの言う事は当たってた。ね?あのムーディってほんとうに、凄いよな。『アバダ ケダブラ』をやった時なんか、あの蜘蛛、ころっと死んだ。あっという間におさらばだ──」
しかし、ロンはソフィアとハリーの顔を見て急に黙り込んだ。
自分が何を楽しげに話し──二人の家族が、何の呪文により死んだのか、ようやく思い出したのだが…全てが遅く、その後ロンは一言も喋らず大広間に向かった。
ソフィアはダンスパーティ、誰と踊りますか?
-
ドラコ
-
ハリー
-
フレッド
-
ルイス