ハリーは木曜日の夜、透明マントと忍びの地図を使い監督生専用風呂が無人なのを確認し、なんとか卵の謎を解き明かすことが出来た。それは男子風呂を時たま覗くというマートル──彼女は三階のトイレに住むゴーストだ。ハリーが二年生の時に度々交流する事があったが…去年は一度も彼女の事を思い出さなかった──の悪癖からくる助言にかなり助けられたと言えるだろう。
「ソフィアはたまに会いに来てくれるのに…ハリー、あなたったら、全然来てくれないんだもの…いつかまた、私のトイレに来てくれる?」
「ああ……出来たらね」
ソフィアはたまに会いに行っていたのか。彼女と話しても──憂鬱になるだけなのに。と、ハリーは思ったが流石にそれは言わず、今度マートルのトイレに行く時は校内全てのトイレが詰まった時だろうな。と考えた。
その後ハリーは透明マントを被り忍びの地図を開く。もう生徒は寝静まっている時間だが、見回りの教師やフィルチは動き回っている事だろう。万が一深夜に寮を抜け出していることがバレたなら──1週間は罰則だろう。また、禁じられた森に行かされるかもしれない。
地図を見ていたハリーは、セブルスの研究室に動く黒点がある事に気付いた。しかし、その名はセブルス・スネイプではなくバーテミウス・クラウチと書かれていた。
何故、クラウチ氏が──病気でダンスパーティにくることが出来ないクラウチ氏が、スネイプの研究室にいるのだろうか、それも、こんな深夜に……。
ハリーはこのまま寮に戻るべきか悩んだが──好奇心に勝てず、行き先を変えセブルスの研究室に向かった。
しかし、ハリーは地図の上にある黒点が奇妙な動きをする事に気を取られ──騙し階段にズブリと片足を突っ込んでしまった。
いきなり足が取られたハリーの体はぐらりとよろめき、その場に倒れる。腕に持っていた卵が腕の中から飛び出てしまい、ガンガンと大きな音を反響させながら階段を転げ落ちていく、咄嗟に手を飛ばした途端マントが体からずり落ちてしまい、慌てて押さえたが──今度は手から忍びの地図がひらりと落ちた。
卵は階段下のタペストリーを突き抜け廊下に落ち、ぱかりと開いた。すぐに廊下中につん裂くような叫び声が響く。ハリーは杖を取り出し、懸命に腕を伸ばしなんとか忍びの地図を白紙に戻そうとしたが、階段に膝上まで沈んでいるせいで届かない。
ハリーはあまりの失態に鼓動が嫌に早く打ち、脳の奥がくらくらと眩暈がするように感じた。気分まで悪くなり吐きそうだ。間違いなく、この音を聞きつけフィルチがやってくる。
ハリーの想像通りフィルチはあまりの騒音に耳を塞ぎながらすぐにやってきて、騒音の元である卵を閉じ、辺りを注意深く見渡した。
はじめはこの卵が何かわからなかったが──代表選手の卵だとわかると、その顔を歪な喜びで溢れさせた。ピーブスが代表選手から盗んだに違いない、この事をダンブルドアに伝えればあの性根が腐り、問題しか起こさないピーブスをようやくホグワーツから追い出す事が出来る!──フィルチは階段を上がりつつ、タペストリーをひっくり返しながらハリーが居るところへ近づいた。
ハリーは、蒼白な顔でフィルチにぶつかるか、忍びの地図がばれてそこにハリー・ポッターと表示されている名前を見られるか──どちらにしろ最悪の結果を覚悟し、ぎゅっと目を閉じた。
「フィルチか?何をしている?」
「めちゃくちゃうるさい音でしたねぇ、何だったんですか?」
突如、フィルチでは無い声が響く。
ハリーはそっと目を開け、最悪の相手であるセブルスと、唯一の救いになりそうなジャックが階段下に立っているのを見た。
セブルスはかなり怒っている表情を浮かべ長い灰色の寝巻きを着て、ジャックは眠そうにあくびを噛み殺しながら闇に溶けるような黒い寝巻きを着ていた。
「スネイプ教授、エドワーズ。ピーブスです、あいつがこの卵を、階段の上から転がして落としたのです」
セブルスとジャックはすぐに階段を上がりフィルチのそばで止まった。
ハリーは歯を食いしばり、心臓の大きな鼓動がセブルス達に聞こえやしないかと胸を強く抑えた。
「ピーブスだと?しかし、ピーブスは我輩の研究室には入れまい…」
「卵は教授の研究室にあったのでございますか?」
まさか、なんらかの理由で代表選手から卵を取り上げて管理していたのかとフィルチは怪訝な顔をした。
「勿論違う。バンバンという音と、泣き叫ぶ声が聞こえたのだ──」
「はい、教授、それはピーブスが──」
「…我輩は、調べに来たのだ」
セブルスは自分の言葉を遮られた事にぴくりと片眉を上げフィルチを冷たい目で見下ろしたが、ピーブスを追い出せるかもしれない興奮でフィルチは気が付かない。
「ピーブスめが投げたのです、教授」
「そして、研究室の前を通った時、松明の火が灯り、戸棚の扉が半開きになっているのを見つけたのだ!」
「しかし、ピーブスめには出来ないはずで…」
「そんなことはわかっておる!我輩の研究室は呪文で封印してある。魔法使い以外は破れん!」
バシッとセブルスは強く言い切る。
困惑するフィルチに、ジャックは苦笑しながら口を開いた。
「それで、俺が何故か疑われて叩き起こされて──まぁ無実だったんですけどね──松明の火は灯ったままだったので、この騒ぎで急いで逃げ出したんでしょう。それで、一緒に見に来たわけです」
「フィルチ、一緒に来て侵入者を捜索するのだ」
「私は──しかし…」
フィルチは未練がましい目で階段の上を見つめた。この先にピーブスが息を殺して笑いながら隠れているに違いない、ピーブスを追い詰めるチャンスを失うのは無念だとその目が訴えている。
ハリーは心の中で「早く行け!」と叫び、これ以上無いほど強く願った。
「お言葉ですが教授、校長は今度こそ私の言い分を聞いてくださるはずです。ピーブスが生徒のものを盗んでいるのです。こんどこそ、あいつをこの城から永久に追い出すまたとないチャンスなのです」
「フィルチ、あんな下劣なポルターガイストなどどうでもよい。問題は我輩の研究室だ──」
「そうですよフィルチさん。研究室から材料が盗まれたとなると、──ものによってはセブルスは始末書を書かなきゃならないし、減給ですし」
「……余計な事を言わないでいただけるかね」
「いやー。…ってか普通にあの子達なんじゃあ…」
「へ?まさか──ウィーズリーの双子か?」
フィルチはジャックの言葉に、よく悪戯をし生徒達の中でも1番の問題児であるフレッドとジョージを思い浮かべたが、セブルスは無言でジャックを睨むだけだった。ジャックはセブルスの睨みに肩をすくませ「違うかな?」と呟いた。
ハリーはセブルスが始末書を書かされ減給され、悔しく歯噛みしている姿を想像し──何故クラウチが研究室に忍び込んだのかわからないが、その行動を褒めたくなってしまった。
コツ、コツ、と小さな音が響く。
セブルスとジャックは言葉をぴたりと止め、階段の下を見下ろした。
足を引き摺り、いつものステッキに体重を預けながらムーディが現れ、3人を見てふっと笑う。
「パジャマパーティかね?」
「このメンツでやるにはちょっと花もトキメキと色気もないなぁ」
ジャックはムーディの言葉にジョークで返し、ハリーは思わず吹き出しそうになったのをなんとか堪えた。
しかし、笑えたのはハリーだけであり、セブルス達は「何馬鹿な事を言っているんだ」という厳しい目でジャックを見据える。
「……私たちは、物音を聞きつけたのです。ムーディ教授。ポルターガイストのピーブスめが、いつものように物を放り投げていて──それに、スネイプ教授は誰かがスネイプ教授の研究室に侵入したのを発見され──」
「黙れ!」
セブルスは歯を食いしばったまま低く叫ぶ。フィルチはびくりと肩を震わせ、何故それほど怒っているのか理解できず困惑した。
ムーディはセブルス達に近付き──そして、階段の中程に居る3人と、その上にいるハリーを見た。
ハリーもまた、ムーディの魔法の目だけは透明マントを見通すことが出来ると知っていて、心臓がぎゅっと痛くなる。ムーディはこの奇妙な光景に気付くだろう。──僕が居る事を、言ってしまうだろうか。
ムーディはぱかりと口を開きハリーを見つめたが──すぐに口を閉じると、両眼でセブルスを見た。
「スネイプ、いま聞いたことは確かか?誰かが君の研究室に侵入したと?」
「大したことではない」
セブルスとジャックの頭に浮かんでいるのは──ソフィアとルイスである。なんの理由があるのかはわからないが、あの2人は毎年何かに巻き込まれ、親や大人の忠告を聞かず、相談もせずにとんでもない事をする。
二年生の時、ソフィア達はポリジュース薬を作るためにセブルスの研究室から幾つかの材料を盗んだのだが、セブルスはそれを知らない。
知らないが、今までの数々の校則を無視しとんでもないことに巻き込まれていくという事実から十分あり得る、と思っていた。
侵入したのが我が子ならば許される事ではないが、後で問い詰め今度は何に首を突っ込んでいるんだと聞かねばならない。
それに、セブルスは──自身の過去を知っているムーディを警戒していた。
そのため、ムーディにはあまり、研究室で侵入があった事などを知られたくはなかった。
「いいや、大したことだ。君の研究室に侵入する動機があるのは誰だ?」
「…おそらく、生徒の誰かだ。以前にも同じ事が──あったからな」
セブルスはふと、もしや以前の盗みもソフィアかルイスの仕業かと思ったが、今この場でそれを言うことは無かった。
──ソフィアは調合が不得意だ、禁じられた魔法薬を作れるわけがない。作るのは、ルイスだろうか?いや、ルイスは個人授業で、すでにいくつかの禁じられた魔法薬を作っている。わざわざ盗む危険を犯し、私の監視下外でそんな愚行をする事はない。ならば、やはりソフィアと……ポッター達か。グレンジャーは優秀だ、作れないことも、ないだろう。
セブルスは暫し沈黙しながら、低い声で唸るように呟いた。
「──生徒が何人か、禁じられた魔法薬を作ろうとしたに違いない」
「魔法薬の材料を探していたというんだな?え?──他になにか研究室に隠してはいないな?」
ムーディの含みを見せる言葉にセブルスはこめかみにびきりと青筋を立てる。ひくりと口先を震わせたセブルスに、ジャックが何気なくセブルスとムーディの間に立ち、お互いを牽制するように「まあまあ」と朗らかに言った。
「アラスター。闇払いの特権…とか使って、セブルスの研究室は事前にかなり、徹底的に調べてただろ?俺の部屋も調べてたし──何も出てこなかったはずだよな?」
「ああ、その特権でね。ダンブルドアがわしに警戒せよと──」
「そのダンブルドアは、たまたま我輩を信用なさっているのですがね」
「それは、ダンブルドアだからだ。君を信用する──人を信用する方だからな。やり直しのチャンスを与える人だ。しかしわしは……洗っても落ちないシミがあるものだ、というのが持論だ。決して消えないシミというものがある──」
「アラスター!!」
ジャックが強く叫んだ。
ハリーはその強く批難が込められた叫びにびくりと肩を震わせる。いつも優しく、悪戯っぽい笑顔を浮かべるジャックの表情は固く、強い眼差しでムーディを睨んでいた。
「アラスター、それは俺にも言えるのか。…あなたが──俺に?」
ジャックはスパイだったとしても、敵を欺くために死喰い人として活動していた時期がある。ヴォルデモートがハリーにより消え──世間がヴォルデモートが死んだのだと思い沢山の死喰い人が捕らえられた時、ジャックもまた死喰い人として名を上げられた。しかしすぐにダンブルドアがスパイである事を幾つかの証拠と共に提言し、投獄される事は無く、全てが終わった後で騎士団の騎士団員はジャックの任務を知ったのだ。
勿論、ムーディもその事は知っている筈だ。だが、消せないシミがある、後ろ暗い事があると間接的に言われたジャックの心は激しく動揺していた。
──法廷で、あなたはダンブルドアと共に庇ってくれたじゃないか、アラスター。
「……ジャック、君の立場はまた違うだろう」
セブルスはほぼ無意識に左腕を抑え、ジャックはぐっと唇を噛んだが──すぐに大きくため息を吐き頭をがしがしと掻き、苛々とした口調で吐き捨てた。
「…アラスター、お前……
ジャックはどこか、失望を滲ませる目でムーディを見る。
ムーディは暫く沈黙し──ふっと笑った。
「敵や、死んでいった者の顔と名前は忘れんのだがね」
「…。……ま、あんたらしいけどさ。…ほら、セブルス、フィルチさん。こんな階段に居ても意味ないから、さっさと侵入者を探しに行かないと……いや、もう手遅れかな?」
かなり時間が経ったし、とジャックは呟き階段を一段降りてセブルスを見上げた。
セブルスは左腕を押さえてしまった自分に苛立ちながら苦々しい目でムーディを睨む。ムーディは嘲笑うかのように歪に口先を歪めた。
「そのうち、どこか暗い廊下で君と出会うのを楽しみにしている」
「アラスター、セブルスと会うくらいなら今度俺とお茶しよーぜ?」
「…ああ、時間があえばな。……おい、ジャック、何か落とし物だぞ」
ムーディはハリーより六段下の階段に落ちたままの忍びの地図を指差した。
ジャックは「え?」と首を傾げその指先の先を視線で追う。セブルスとフィルチも、何かあっただろうか、とその先を見た。
ハリーはさっと顔色を変え、慎重さをかなぐり捨てマントの下で大きく手を振り「それ、僕のです!」と声に出さずムーディに訴えた。
「アクシオ!羊皮紙よ来い!」
ジャックは地図に手を伸ばしたが、その手が地図を掴むよりも先にムーディの呪文が地図にあたり階段下にいるムーディの元へと舞い降りる。
「わしの勘違いだ。わしの物だった──前に落としたものらしい」
ムーディは静かに言ったが、セブルスはその地図を見てしまった。
代表選手が持つ金の卵、そして、見覚えのある羊皮紙──いや、地図。
「──ポッターだ」
「何かね?」
ムーディは地図をポケットにしまい込みながら静かに聞く。
セブルスはくるりと振り返り、舐め回すように階段を睨み見た。睨んだ先はたまたまハリーがいる場所であり──ハリーはドキドキと心臓が嫌に煩くなる音を聞き、何とか階段から抜け出そうと音もなくもがく。
「その卵はポッターの物だ、羊皮紙もポッターのだ。以前に見た事がある──我輩にはわかる。透明マントを使ってるに違いない、ポッターがいるぞ!」
セブルスは両手を前に突き出し、息を殺し隠れているハリーを何としてでも見つけてやると強い執念を持ち階段を一段一段上がる。
ジャックもまた、きっとあの卵も羊皮紙もハリーの物なのだと思った。──たしかに、ハリーなら透明マントを使い寮を抜け出す事が出来るだろう。何度か、ジェームズがそうやって使っていたのを見た事がある。卵の謎を解くために夜徘徊していたのかもしれない。──だが、もう逃げているのではないだろうか、とセブルスの肩を叩いた。
「セブ、ハリーだとしても。もう逃げてるんじゃねえ?」
「いや、必ずいる。卵と羊皮紙を落として逃げ帰るわけがない!」
「んー…まぁ、大事なもんだしなぁ…」
ジャックはふと、たしかこの階段には騙し階段があり、足がハマったら1人ではなかなか抜け出せないはず──と思い、その階段の場所を見た。
その階段には、奇妙な事に──何かが突き刺さっているかのような空洞がぽかりと空いていた。
──成程、動けなくなったのか。…って事は今までの会話も聞いてたなこれ。アラスターの魔法の目は、透明マントは…見通すのか?聞いた事がないからわからないな…。もし見えるのなら──庇ってる?
ジャックはピンときてすぐに今ここで交わした会話を思い出した──大丈夫、な筈だ。アラスターも、セブルスも、俺も、死喰い人の事は何も口に出していない。…いや、ちょっと怪しかったけど、ハリーは…言葉の真意に気が付かない筈だ。
「そこには何も無いぞスネイプ!しかし、校長には謹んで伝えておこう。君の考えがいかに素早くハリー・ポッターに飛躍したのかを!」
「──どういう意味だ?」
ムーディの言葉に、セブルスは振り返り冷たい目でムーディを見下ろす。
セブルスが伸ばした両手はハリーの鼻先まで10センチと無いところまで迫っていた。
「ダンブルドアは、誰がハリーに恨みを持っているのか興味がある、という意味だ。──そして、わしも興味があるぞ、スネイプ…大いにな」
ジャックはセブルスの苦虫を噛み潰したような表情を見た。
セブルスがハリーを恨んでいる──ハリーを通して、ジェームズを恨んでいるのは間違いない。だが、その理由をムーディは知らない。……それを、伝える事は愚かな事だろう。
「我輩はただ──ポッターがまた夜遅くに徘徊しているなら……それは、ポッターの嘆かわしい習慣だ。やめさせなければならんと思っただけだ。……あの子の、あの子自身の──安全のためにだ」
それは、ごくごく僅かに、セブルスの本心でもある。ハリーに対してセブルスが持つのは恨みだけではない、ハリーの生い立ちや、立ち位置、そして自らとの関係を考えれば──かなり、複雑なのだ。
ハリー・ポッターは、セブルスにとって義理の甥である。何よりも愛したアリッサの妹の忘れ形見だ。
だが、ハリーは、そのアリッサの死の原因となった男、ジェームズ──シリウスにも原因があるが──の子どもでもある。
ハリーに対する感情は──言葉では表す事が難しい。
「なるほど。ポッターのためを思ったと、そういうわけだな?」
一瞬、間が空いた。
フィルチの足元にいたミセス・ノリスが鼻をひくつかせながらニャアと大きく鳴く。
動かないセブルスに、ジャックは駆け寄りぽんと肩を叩いた。
「ハリーは大切な生徒だ。な?セブルス。──ほら、もう戻ろうぜ?研究室で何が盗まれたか…何も盗まれてないのか、確認したか?」
「…いや…まだだ。──研究室に戻ろう」
セブルスはぱしっとジャックの手を鬱陶しそうに叩き落とし、素早く階段を降りた。
ジャックは小さくため息をつき、その後を追う。一度ちらりとハリーがいるかもしれない方向を見たが、ムーディがいるのならなんとかして切り抜けるだろう、と思いハリーを助ける事は無かった。
ハリーは一番厄介なセブルスがいなくなった事に、大きく安堵の息を吐いた。