昨日は一日色々な事がありすぎて、いつも元気なソフィアもやや疲れたように欠伸を噛み殺し眠たそうに目を擦った。朝食の時も、何故か食欲がわかずいつもなら二つは食べるケーキを一口も食べなかった。頭も、ぼんやりとして霞がかかっている気がする。
隣にいるルイスは「せめてスープだけでも飲んで?」とソフィアにミネストローネを勧めたが、それも、数口飲んだだけでやめてしまった。
「何だか疲れたわ…」
「そりゃあ、昨日は本当に走り回ったからね、誰かさんのせいで!可哀想な僕たち…」
棘のある言い方に、ドラコは無言でトーストを齧った。
昨夜夜遅くにスリザリン寮へ戻ったルイスは、すやすやと安眠を貪っているドラコを蹴り起こし、何があったか…どれだけフィルチから逃げるのかが大変だったかをドラコに伝えていた。勿論、最後に四階の禁じられた廊下に入ってしまった事は言わなかったが。
ドラコはハリー達は兎も角、ソフィアとルイスを巻き込んでしまった事に反省しているのか項垂れたままルイスのチクチクとした愚痴を聞いていた。
昨日の一件の夜更かしと、ハーマイオニーとの不仲──朝もハーマイオニーは1人で先に大広間へと向かっていった、近頃は必ず一緒に行っていたのに──そして過度なストレスで、ソフィア自身は気が付かなかったが、間違いなく体は不調をきたしていた。
魔法薬学の授業中であり、この後作る解毒剤の効能や作り方の手順、また使用する材料の説明が行われていた。
誰もが羊皮紙に向かいセブルスの淡々とした説明を一つも取りこぼさまいと必死に羽根ペンを走らせる中、ソフィアは自分の父親の低くて静かな抑揚の無い声と、羽根ペンが羊皮紙を滑るカリカリと言う音と、父親に抱きついた時に微かに香る複雑な魔法薬の匂いが満たされた空間に目を閉じ、そのまま机の上に突っ伏して眠ってしまった。
セブルスは教科書を開き、薬に使う材料の説明をしながら生徒の周りをゆっくりと回った。
誰も話す事は無く、緊張した面持ちで俯きながら書き留めていく。側を通る為に誰もが何か指摘されるのではないかと身体を硬らせた。
ルイスは隣にいるソフィアが眠ってしまった事に気付き、肘で身体を小突きなんとかセブルスに気付かれる前に起こそうとしたが、それよりも先にソフィアが眠りこけている事にセブルスは気付き、説明していた言葉を不自然に止めた。
生徒達は言葉が途切れた事にそっと顔をあげ、怖々とセブルスを見る。
その先に机に臥せて寝ているソフィアを見て、皆が唖然とした。
こんな緊張感があり、それも、あのセブルス・スネイプの授業だと言うのに、どれほど神経が図太ければ眠れるのだろうか。
セブルスは持っていた分厚い教科書を閉じると、無言でソフィアの後ろに回り、すやすやと寝息を立てている姿を見下ろした。
ルイスはもう全てが手遅れだと察し、これからソフィアの身に起こる事を見たくないと言うように目を背けた。
ソフィアの頭上に掲げた分厚い教科書を、セブルスは何の躊躇いもなく振り下ろした。
「──痛っ!?」
ソフィアはびくりと身体を震わせ小さく叫びながら飛び起きた。頭を抑えその目には薄らと涙が滲む。頭を痛そうに抑えたまま後ろを振り返り、そばに立つ人を見上げ、固まった。
「──どうやら、我輩の授業は眠気を誘うほどつまらなく、退屈なものらしい」
「あー……すみません」
「おめでとうミスプリンス、我輩の授業で眠りこける1人目になれたようだ、その褒美をやらんとならん。──グリフィンドール5点減点、この後居残り掃除の罰則を授けよう」
ソフィアは反論することなく、素直に小さく謝った。セブルスは再び教科書を開き、何もなかったかのように授業を再開させた。
「何で起こしてくれなかったのよ」
「起こそうとしたけど、間に合わなかったんだ」
小声で責めるように言われ、ルイスは肩をすくめた。
ソフィアは小さくため息をつき、今更だが真っ白な羊皮紙に羽根ペンで文字を書き連ねる。授業を聞いていなかったとしても、今教わっている解毒剤の作り方や材料全てを知っていた。
ソフィアは今、セブルスとどう話せばいいかわからなかった。はじめての魔法薬学の授業で、あまりのハリーへの当たりの強さを見てからなんとなく、父と会う事を避けていた。まぁ、そうはいっても二人きりになんて今までなれたことは無いが。
はじめての授業以来、父はハリー1人を特別虐げることはなかった。ドラコを除いたほぼ全員が同じように些細なことで注意されていた。
だが、ソフィアはハリーを見る父の目に他の生徒には見せない、何処か憎しみのようなものが宿っている事に気付いていた。
一度その事でルイスと話したいと思ったが、近頃色々あり全く二人きりになれていない。ルイスのそばにはいつもドラコが居たのだ。
「はぁ……」
ソフィアは一つ、憂鬱そうなため息を溢した。
魔法薬学が終わり、この教室から早く逃げ出したいとばかりに皆が急いで帰るなか、ソフィアは椅子に座ったままむっつりとした表情で何も書かれていない黒板を見ていた。
ハリーやロンは帰る間際に「頑張ってね」と励ましの言葉をかけていったが、ハーマイオニーは自業自得とでも言いたげな目で見ただけで何も言葉はかけなかった。
「ミス・プリンス、授業で使用した大鍋とビーカーを洗いなさい。勿論、魔法は使わずに」
「…はい、先生」
ソフィアは立ち上がり、20個の大鍋の元へ向かった。調合に成功したハーマイオニーの大鍋は綺麗で洗うのは簡単そうだったが、ネビルのはどうやればこうなるのか、真っ黒なヘドロが至る所に付着していた。
重い大鍋一つを両手で抱えるようにして持ち、ソフィアはゆっくりと運んだ。もし、ここで落として割ってしまったらこの程度の罰則では済まされないだろう。
セブルスは何の文句も言わず黙って作業を続けるソフィアを教壇から見ていた。彼女の──娘の事だから、悪態の一つでも吐くか、前のようにいつものように呼んでもいいかと聞くかと思っていたが、やけに今日は大人しかった。
よほど反省したのかも知れない、まぁこの教室には他の生徒が入ってくる可能性がある、ソフィアが望んだとしても親子のように会話する事は出来ないのだが。
反省したのならそれで良いとセブルスは考え、授業で使用した材料のあまりを片付け始めた。
暫くは水を流しながら大鍋をこする音や、ソフィアが大鍋やビーカーを運ぶ足音が静かな教室に響いていた。
──ガチャン!
突如耳をつんざく高い音が聞こえる、音からして手からビーカーを滑り落として割ったのだろう、セブルスは片付けていた作業を止め洗い場に居るソフィアを見た。
「──ソフィア!」
ソフィアは洗面台に手をかけたままその場に膝をつきぐったりと洗い場に身を寄せていた。
思わずソフィアの名前を呼びセブルスは駆け寄り、動かないソフィアを抱き抱えた。
ぼんやりと潤んだ目は開いているが身体は熱い。手にはビーカーを割った時に切ったのか赤く長い傷が出来、ぽたりと指先から血が垂れていた。
「…体調が悪かったのなら、そう言え」
「…ぇ?……あ、ビーカー…ごめんなさい、先生…」
ソフィアはハッとしたようにセブルスと視線を合わせると眉を下げて力なく謝った。
そのソフィアの様子にセブルスは一つため息をこぼし、そのままソフィアを抱き上げると隣にある研究室へと向かった。勿論、生徒を抱き上げて運んでいる場面など見られたら何という噂が立つかわからない。セブルスは魔法薬学の教室の隣にある研究室へ行く前に、ちらりと外の様子を伺い誰もいない事を確認し、さっと研究室の扉を開けた。
そのまま奥にある扉を開け、自室へと入るとしっかりと魔法で鍵をかける。
ソフィアは何も言わず、セブルスの腕に抱かれたまま大人しく運ばれていた。
黒いソファの上にソフィアを座らせると、すぐにセブルスは棚の中を漁り中から解熱薬とハナハッカ・エキスを取り出した。
「…熱冷ましだ、飲みなさい」
「…はい」
解熱剤をコップに入れ手渡せば、ソフィアはすぐに受け取りそれを飲み干す。渡す時に触れた指先から流れる血がセブルスの手についたが、セブルスは気にする事なく杖を振り清めた。
「手を出せ、少し…染みるかもしれん」
「…っ…う…」
ぽたりと傷口にハナハッカ・エキスを数滴垂らせば緑がかった煙が傷口から立ち昇る。
ソフィアは痛みに顔を顰めたが、手を振り払う事は無くじっと耐えた。
しゅうしゅうと音を立てて傷口は塞がり、数日前の怪我のように薄いピンクの皮膚が盛り上がった。
「ソフィア…少し、ここで休んでいきなさい」
「……はい、父様…」
ソフィアはセブルスが自分の事を名前で呼んでいる事に気付き、ソフィアもセブルスを父と呼んだ。彼が自分の事を名前で呼ぶのだ、きっとここには誰も来ないのだろう。
ソフィアは自分の隣に座るセブルスをちらりと見上げ、何か言いたそうに口を開いたがすぐに閉じるとその目を伏せた。
何でも思ったことをすぐに言ってしまうソフィアらしく無い行動に、セブルスは片眉を上げた。
「…何だ?」
「…父様…ハリーの事が嫌いなの?」
ソフィアの緑色の目がセブルスの目を射抜いた。
セブルスは一瞬、言葉に詰まったが直ぐにソフィアの目から視線を逸らす。
それは、母親によく似た、緑色の美しい目だった。髪は自分に似たが、きっと赤毛なら幼少期の母とよく似ているだろう。
「格段、他の生徒と比べて特別視しているわけではない」
「嘘!だって…初めての授業の時…」
「…ポッターは英雄視されている事だろう、その事で自分が特別だと、思い上がるような愚かな奴なら…早めに自分の程度を解らせようと思っただけだ」
その言葉に嘘はなかった。周りから持て囃され自分の実力を過信しているのならそれは正さねばならぬと考えていた。勿論それだけでは無いのだが、セブルスは全てをソフィアに言うつもりは無かった。
暫くソフィアは考えるように眉を寄せていたが、セブルスの言葉の意味もわからない事はない、確かに英雄ハリー・ポッターと言われ過ぎていたら高慢な性格になるかも知れない。それは充分にあり得る可能性であり、だからあえて英雄では無いと、他の生徒と同じだと示す為に辛く当たっていたと言うのか。
──なら、何故ハリーを見る目に憎しみが宿るの?
ソフィアはそう聞きたい気持ちを抑えた。
ハリーの話をする父の表情があまりにも嫌そうだったからだ。そんなに、嫌なのだろうか。普通の魔法使い達は例のあの人に恐れ怯え、ハリーが何らかの方法で例のあの人を倒した時、皆両手を上げて喜び祝福した。どうして、父はそんな顔をしているのか。──そんなに、苦しそうな顔で、何処を見ているのか。
「…もう休みなさい。今日はこの後、変身術の個人授業があるのだろう?」
「…あ、そうだわ!…忘れてた…」
セブルスは杖を振りブランケットを呼び寄せるとソフィアの肩に優しく掛けた、ふわりとブランケットから漂う薬のにおいに、まるで父に優しく包まれているようだと思う。
「…アリッサも…お前の母も、変身術が得意だった」
「…え?…母様も?」
セブルスはソフィアの髪を優しく梳くように撫でた。髪色は自分と同じだが、毛質はアリッサによく似ている、柔らかくて美しい。セブルスは懐かしい感触に目を細めた。
ソフィアは頭を撫でられながら、驚きから目を見開く、父が母の事を話す事はあまりない。話題をあえて避けている事には気付いていた。ただ、誰に対しても優しく聡明で、勇敢な女性だったと聞いた事があるだけだ。
「ああ…ソフィアはアリッサに似たのだろう」
ソフィアは優しく細められた目が、自分を見ていない事に気づいた、おそらく、亡き妻の面影を見ているのだろう。
だが、それでもソフィアは母の事を知れて嬉しかった。にっこりと微笑むと、頭をセブルスの肩に乗せる。
「その話は、ルイスにもしてあげて?きっと喜ぶわ!」
「…そうだな、また今度…2人に話して聞かせよう」
「ええ!必ずよ!」
ソフィアは嬉しげに笑うと立ち上がり、セブルスの頬にキスを落とすとぎゅっと抱きつく。すっかり体調も良くなり、いつものような笑みと明るさを取り戻したソフィアの頭を優しく、愛おしげにセブルスは撫でた。