ソフィアとルイスはセブルスが滞在している三日間、懸命に高度治癒魔法を練習したが、やはり習得には至らなかった。
3日目の夜──セブルスがこの家を離れる日、2人は別れを惜しむようにセブルスを強く抱きしめ、「気をつけて」と何度も伝えた。
後1ヶ月後、ホグワーツで会える。
そう、2人は何度も自分に言い聞かせるように頭の中で繰り返したが、一方で死喰い人として暗躍しなければならないセブルスが無事に戻ってくる保証など無いのだと、心の奥底で薄ら感じ取り、その思いは振り払おうとしても黒いシミのように残り続けるのだった。
2人はセブルスが去った後も高度治癒魔法を習得するために、魔法を使う事は出来ないが複雑な論理を理解すべく、家にあった人体図や血液と魔力の流れについて時間の許す限り学び続けた。
これから先、何かあった時に──勿論、何も無い事が一番だが──後悔はしたくない。
ある日、ソフィアとルイスは紅茶を飲みつつ机の上に沢山の本を積み上げ、黙々と分厚く古い本を読んでいた。
静かな部屋に時計が時を進める微かな音と、時折暖炉の中の火が弾ける高い音のみが聞こえる静寂の中、それが訪れたのは突然だった。
ごう、と大きな音が暖炉から鳴り、ソフィアとルイスは咄嗟に傍に置いていた杖を掴み暖炉に向ける。
赤い炎が緑色へと変わり大きな炎が吐き出される中、奥で黒い人影が見えた。
「──ジャック…」
現れたのは2人がセブルスを除き、最も信頼している大人であり、2人の育て親でもあるジャック・エドワーズだった。
いつも溌剌とした人当たりのいい笑顔を浮かべているその顔には疲労が深く刻まれ、きっちりと整えられている髪もどこかおざなりに緩く結ばれている。
ソフィアは現れたのがジャックであり、ホッとして杖を下ろしたが、ルイスだけはまだ警戒の色を滲ませたまますぐに立ち上がると、ソフィアの前に立ち、ジャックへ杖を向け続けた。
「動くな」
低く冷たいルイスの声に、暖炉から出たジャックは少し驚いたような顔をしてぴたりと動きを止める。ソフィアもまた、ルイスの背で困惑と驚きで不安そうにしながらルイスを見上げた。
「ルイス、どうし──」
「僕たちの11歳の誕生日プレゼントは何だった?」
ルイスの突拍子もない言葉に、ソフィアは首を傾げ、ジャックは薄く微笑む。
「セブルスの学生時代のアルバム」
「…うん、本物だね」
即答された答えに、ルイスはようやく警戒を解き杖を下ろす。ジャックはポケットから杖を出すと体や床についた灰を一掃し、ルイスに近付くと「偉いな」と肩を優しく2度叩いた。ルイスは褒められた事に自分の行動が間違いではなかったのだと、誇らしげに笑った。
ルイスは今までの経験から、目の前にいる人物が信頼出来る人物でも信じず、一度はこうして互いしか知らない事を問いかけた。
今まで何度もポリジュース薬により姿を変えた敵に翻弄されてきたのだ、その中の渦中にいるのだから、警戒するのも当然だろう。
しかし、ソフィアはそこまで考える事は無く、ルイスの行いの意味を遅れて理解し、がくりと肩を下げた。
「ああ…そうよね。警戒するべきだったわ…」
「そうだよ、ソフィアすぐ信じるんだから…」
「だって、この家はジャックしか知らないって父様が言ってたし…」
「それは、去年の話でしょ?何が起こるかわからない、ホグワーツに行くまでは──いや、行っても警戒はするべきだよ」
厳しさを感じさせるルイスの言葉に、ソフィアは項垂れたまま頷いた。
ソフィアが知る由も無いが、実はルイスはセブルスが帰宅した時、同じように杖を向け質問をしていた。例え、その姿が最も愛しい人であってもルイスはそうしていただろう。
「まぁ、ルイスの警戒は正しい。これからどうなるかわからないからな…。さて、ソフィア。出かける準備をしておいで、どこに行くかは──わかるだろう?」
「…!…ええ、わかったわ」
ソフィアは硬い表情で頷き、ぱたぱたと足音を響かせながら2階の自室へ向かう。
それを見送ったジャックはソファに座り、ふう、と軽くため息をついた。
「大丈夫?…疲れてるね」
「んー…まぁな」
ルイスは杖を振り新たなカップを食器棚から呼び寄せ、紅茶を注ぐとジャックに手渡した。暖かい紅茶を飲んだジャックは、その表情を緩め、はらりと垂れた前髪をかきあげ、そのまま「はあー…」と大きく息を吐き足をだらしなく投げ出す。
ジャックもまた、セブルスと同様不死鳥の騎士団にして死喰い人への密偵でもある。勿論、それを知るものはダンブルドアだけだが。
ホグワーツの教員であるセブルスは9月1日が来ればホグワーツへ向かい、ハリーの監視という任を担うが、ジャックは去年のようにホグワーツに滞在する事は出来ない。
交友関係がかなり広く、色々な場所へ融通が効き顔を出す事が出来るジャックの任務は、かなり重いものが多かった。
善良な者を騙し情報を引き出す事への精神的苦痛、誰が信じられる者か分からず常に警戒状態であり、心休まる時は少しも無い。
唯一、信じられるのは親友であるセブルスだけだろう。──だが、そんなセブルスがルイスとソフィアを守る為ならば、自分を切り捨てるだろう事も、ジャックは理解していた。
ソファの背に深く身を委ね、両手で顔を覆い天を仰いでいたジャックは表情を読ませぬように、微かに口を開く。
「ルイス、お前はそれでいいのか?」
ルイスは唐突で、静かな問いかけに、紅茶を飲んでいた手を止め、ゆっくりとカップを受け皿に置くと──頷いた。
「うん、これは僕が決めた事だから」
「…、…そうか」
「ジャックは、僕の気持ちが分かるでしょ?」
「そう、だな」
ジャックは手を下すと、ルイスの黒い目を見つめ少し悲しげに笑った。
ジャックもセブルスと同じ事をルイスに望んでいたが、おそらく望み通りにはならない事をセブルスよりも早く理解していた。
何故なら、ルイスが選んだ道は──ジャック自身が選んだ道と同じだからだ。
──…いや、動機は僅かに異なるだろう。だが、大切な者を護りたいという気持ちに差異はない。
「無理は、するなよ。…俺は、ルイスとソフィアが無事なら──2人が幸福なら、それでいいんだ、それ以上に望む事は無い」
心配そうなジャックの言葉に、ルイスは困ったように──少し嬉しそうに──微笑んだが、ふと不思議そうに首を傾げた。
「ジャックはどうして──」
「ジャック!おまたせ、準備出来たわよ!」
ルイスはその先の言葉を飲み込み、トランクをがたがたと階段にぶつけ跳ねさせながら勢いよく降りるソフィアを見た。
余程急いだのだろう、ソフィアの額には汗が滲み前髪がぺたりと張り付いている。肩で息をするソフィアに、ジャックは苦笑して立ち上がると優しい手つきでソフィアの乱れた髪を払った。
ルイスは、その優しい目を見て──気が付いた。
──ジャックは、愛していたんだ。…いや、多分、今でも。
しかし、それは自分の想像の域を出ない。ジャックが何も言わず、また、セブルスも何も言わないのならば、自分は野暮な事を聞がない方がいいのだろうと判断し口を閉じた。
おそらく、鈍いソフィアは言われなければ気が付かないだろう。
歳を重ねるにつれ、ソフィアは亡き母、アリッサとよく似た顔立ちになっている。そんなソフィアを見つめるジャックの目が、ただの育て親なら持たない感情をちらりと滲ませていることに、きっとソフィアは気がつけない。きっと、ジャックは母様を愛していたんだ。──そう、ルイスは思った。
「よし、じゃあ早速移動する。──ルイス、9月1日に迎えに来るからな」
「うん、ありがとう」
「ルイス!──本当に、気をつけて」
ソフィアは強くルイスを抱きしめた。
その腕が僅かに震え、ルイスに伝わったが、ルイスは何も言わず同じように強く抱きしめ、ソフィアの肩口に顔を埋め「うん、ソフィアも」と優しく告げた。
暫くしっかりと抱き合っていた2人は、名残惜しそうに体を離しお互いの目をじっと見つめる。緑の目と、黒い目。その中に互いの姿が写っているのを目に焼き付けた後、ルイスはふっといつものように笑った。
「ソフィア、向こうで迷惑かけないようにね?あまり、首を突っ込んじゃ駄目だよ?」
「…まぁ!そんな事、しないわ」
「どうだか、ソフィアはトラブルに恋されてるからね」
「それは私のせいでは無いわよ!」
「…ハリー達に、よろしくね」
「…ええ」
「信じられなくてもいいから、僕はずっと君たちの友人だって、伝えてくれる?」
「勿論よ」
不死鳥の騎士団本部に向かわない。
それを知った後、ハリー達はおそらくホグワーツが始まった時に嫌悪の目で見て自分を避けるだろう。それに、僕も──ハリー達とこれ以上、関わる事が出来ない。
ルイスはそれを考えると、どうしようもなく胸が痛んでしまい辛そうに目を揺らせたが、この道を選んだのは紛れもない自分自身だとわかっている。
──だが、ルイスは大人びていようとも、まだ15.6の子どもなのだ。悲しくなってしまうのも仕方のない話だろう。
ルイスはソフィアに安心させるように微笑み、少し身を屈めソフィアの不安げな目元にキスをすると一歩、後ろに下がった。
「行ってらっしゃい」
「行ってきます」
ソフィアは思わず手を伸ばしかけたが、その手を強く握り、懸命に微笑むとジャックのとなりに並ぶ。ジャックは何も言わず、ソフィアの手を掴み、その場から姿くらましをした。
バシッ、と聞き覚えのある音を最後に、ソフィアとジャックは姿を消し、1人残されたルイスはその場に暫く立ち尽くしていたが、ふ、と息を吐き深くソファに座った。
僕は、これからドラコのそばにいる。
ホグワーツでは、ドラコだけが誰からも守られていない。ドラコにとってあの場所で信頼できるのは、きっと僕だけだ。
ルシウスさんは──死喰い人だ。今後どうなるにしろ…ドラコの道は平穏なものじゃなくなる。そばに居ないと、ドラコは潰れてしまう。道を誤って取り返しのつかない事になってしまう。本当は優しいのに、その場の雰囲気で流されやすいし、酷く不器用だから。
「…本当、損な性格だよなぁ…」
ルイスはたった1人の親友を思い出し、苦笑した。