ハロウィーンの朝、ソフィアは微かに香るパンプキンパイの匂いに包まれながら目を覚ました。
「ふわぁ…おはよう」
「おはようソフィア」
「おはようお寝坊さん?私たちはもう行くわね」
バーパティとラベンダーは既に着替えを終わらせ、ソフィアに手を振ると何やら楽しげに話しながら部屋から出て行った。
ソフィアは服を着替えながらちらりとハーマイオニーを見る。ハーマイオニーは机に座り黙々と今日の授業の予習をしていた。
「…おはよう、ハーマイオニー」
「…あら、おはようソフィア」
ハーマイオニーは少し顔を上げそれだけを言うとすぐに本へ目を落とした。夜中に抜け出した事件からもう2ヶ月程が経とうとしていたが、ハーマイオニーはまだつんつんとした態度を軟化させる事はなかった。かと言って明確に拒絶するわけでは無いのだが、ソフィアとの間に薄い壁があるのもまた事実だ。
ソフィアはハーマイオニーと仲良くする事を諦めたわけではない、彼女は彼女なりの正義の元、忠告をしているのだから。それに、一般的に見れば規則を破る問題児と、規則を守る優等生であれば…後者の方が正しいのは火を見るより明らかだ。
ソフィアも少しは反省し──規則を破った事についてでは無い、ハーマイオニーを巻き込んでしまった事に対してだ──最近はあまり、規則を破るような事はしていない。
ハーマイオニーは妖精の呪文の授業で使う教科書を読みながら、本を掴む手に力を込めた。
あれからソフィアが規則を大きく破る事はなく、大人しくしているのはわかっている、それに、何度も自分と話そうとしていることも。だが、どうせ何を言ってもソフィアは規則を破り続けるだろう、私の忠告を無視して、みんなのように。
今仲直りをしたとしても、きっとすぐにまた喧嘩をして私のことを嫌いになるに違いない…みんなのように。
自分が同級生達に疎まれているのは知っていた。同室のバーパティやラベンダーも、口煩く言われるのは勘弁して欲しいと、うんざりとした目を向けている。ハリーとロンなんて、あれから殆ど口を聞いていない。此処に来る前から、そうだった、どうして──私には彼らのように、友達ができないんだろう。
「…ハーマイオニー、私、今日はルイスと約束しているから…大広間まで一緒に行く?」
「…私は予習をもう少ししてから行くから」
「そう…わかったわ」
ソフィアは教材を詰めた鞄を持ち、扉から出るときに一度だけハーマイオニーを振り返り足を止めたが、ハーマイオニーは頑なに本に視線を落としていた為、諦めたように扉から出て行った。
妖精の呪文の授業では、初めて浮遊呪文を行う事となり、皆期待に胸を膨らせていたのだが、その中でハーマイオニーとロンだけは不機嫌そうな顔でむっつりとしていた。フリットウィックは2人の仲の悪さを知らない。おそらく彼に他意はなく、その2人が組まされたのは偶然だろう。
ソフィアはネビルと組んで練習する事になり、ネビルはどこか安心したような目でソフィアを見る。変身術が得意なソフィアは、きっと妖精の呪文も得意なんだろう、そう思っていた。
「ソフィアは浮遊呪文…出来る?」
「一応、出来るわ」
ソフィアは杖を出し、一度咳をすると机の上にある羽に向かって呪文を唱えた。
「ウィンガーディアム レヴィオーサ」
「わぁーー!」
すると羽はふわりと舞い上がる、ネビルが大きな歓声をあげれば、皆が振り向き空高く上がる羽を口をぽかんと開け、信じられない思いで気持ちで見つめた。
その羽は高く高く上がるとついに天井に張り付いた。
「…ね?一応出来るわ。…ただ、降りてこないのよね」
ソフィアは肩を少しすくめながら天井に糊付けされたように落ちてくる事のない羽を見上げて言った。それでもフリットウィックは他の生徒と同様歓声を上げ手を叩きながらソフィアの元へぴょこぴょこと訪れる。
「凄いです!ミス・プリンス!後は魔力の調整のみですね!グリフィンドールに3点!」
「ありがとうございます」
フリットウィックの言う通り、ソフィアは魔力の調整がやや苦手としていた。杖は変身術に関してはよく言う事を聞き、細微な調節もうまくいくのだが、その他の魔法に対しては調整がやや難しかった。何事にも全力で向かうソフィアの性格を表すように、魔法も全力でその効果を発揮した。
一向に降りてこない羽にフリットウィックが魔法を終わらせる呪文を唱えれば、ようやく羽はふわふわと机の上に舞い戻った。
「さ、次はネビルがやってみたら?くれぐれも噛まないようにね、ウィンガーディアム、レヴィオーサ よ」
「う、うん…ウィンガーティアム レビィーオーサー!…あれれ?」
ネビルは杖を振るうが、ぴくりともその羽は浮く事はない。ソフィアは発音がおかしい事にすぐに気づき、それを優しく指摘した。
「んーちょっと発音がおかしいわ。私の口を見てて?…ウィン ガー ディ アム レヴィ オーサ。最後は伸ばさないの、dとvの発音に注意してね。あと振り方も少し違うわ」
ソフィアは立ち上がりネビルの後ろに回り込むと、後ろから覆いかぶさるようにしてネビルの右腕を掴んだ、ふわりと香るソフィアのシャンプーの匂いに──同じ種類のはずだが、何故かとても甘い匂いに感じた──ネビルは頬を赤く染めた。
ソフィアはドキドキとしているネビルには気付かず、その腕を掴んで動かし方を伝える。
「こう…ウィンガーティアムのところでびゅーんと上げて…レヴィオーサで下ろすの。びゅーん、ひょい、ね。どう?わかったかしら?」
「う、うん、ありがとう」
ネビルは顔を赤くしたまま何度も頷く。それを見てソフィアは微笑み、ネビルの腕から手を離して隣の席に戻った。
「さあ、やってみて?」
「…ウィンガーディアム レヴィオーサ!」
机の上にある羽は浮き上がりはしなかったものの、微かにふるふると震えた。
ネビルはぱっと表情を明るくし嬉しそうにソフィアを見る。
「凄い!僕が少し動かせるなんて…!」
「そうね!良かったわ!後はもう少し堂々と杖を動かしたらいいと思うわ!頑張ってね!」
「うん!ありがとう!」
ネビルはその後も何度も練習をした。何度失敗しても挫ける事なく直向きなその姿にソフィアは微笑む。自分に自信がないネビルだが、これを気に少し自信を持ってくれればいいとソフィアは思った。きっと、彼は自信さえつければ人に優しく思いやりのあるとてもすぐれた魔法使いになる、そう確信していた。
結局その授業で羽を浮かす事が出来たのはソフィアとハーマイオニーだけだった。フリットウィックはハーマイオニーの事もソフィアと同じように沢山褒め、3点の加点をした。
授業が終わり、ソフィアは後片付けをしながらネビルと話をしていた、今後たまに練習に付き合って欲しいというネビルに、ソフィアはすぐに頷く。
ネビルはぱっと表情を輝かせ、嬉しそうにその場で飛び跳ねた。
「そのかわり、ネビルは薬草学が得意なんでしょ?私に生き物の育て方のコツを教えてほしいの!」
「勿論だよ!…でも、僕でいいの?ハーマイオニーとかのほうが、うまく教えられると思うよ…?」
ネビルは少し嬉しそうにしたが、それでも自分に自信がないネビルはおずおずとソフィアを見た。ソフィアは少し苦笑し、ネビルの肩を叩く。
「ネビル?私は誰よりもネビルが薬草学の才能があると思うの!ネビル、いつも優しく色んな植物に話しかけてるでしょう?魔法植物達もそれがわかってるのね、いつもネビルに対しては凶暴な草達もおとなしいもの!本当に、凄い才能だわ!」
「え、えへへ…そうかなぁ…」
「ええ、そうよ!」
ネビルは人生でこれまでに褒められた事はなく、顔を真っ赤にして照れた。その相手が同級生の中でも優れた才能を持つソフィアなのだ、嬉しくないわけがなく、何処かくすぐったさそうに笑った。
ソフィアはネビルと話していて、自分の遠く離れた場所にいるハリーとロンが何を話しているのか、そしてハーマイオニーが走り去った事には全く気がつかなかった。
次の薬草学の温室までネビルと共に移動したソフィアは、授業が始まってもハーマイオニーが現れない事に気付いた。彼女が授業をサボるわけがない、体調でも崩したのだろうかと心配し、後で医務室を見に行こうと思いながらソフィアは授業を受けていた。
授業が終わるとすぐに医務室に向かったが、そこにハーマイオニーの姿は無かった。
ソフィアは自室で休んでいるのだろうかと考え、寮の部屋へ戻ってみたが、そこに居たのはバーパティとラベンダーの2人だけだった。
「ねえ、ハーマイオニーを見なかった?」
「ああ…トイレで泣いていたわ」
バーパティとラベンダーは顔を見合わせ、ため息をつきながら答える。
その言葉を聞いてソフィアは驚き、訝しげに眉を寄せた。あの、いつも強気なハーマイオニーが泣くだなんて何があったのだろうか。
「そんな…どうして?」
「さあ、わからないわ。1人にしてって言われたもの」
「…どこのトイレ?私行ってみるわ」
「ええ!?今からハロウィーンディナーが始まるのよ?それに…残念だけど、彼女に貴女の声は届かないと思うわ」
「うーん…まぁ行くだけ行ってみる」
ラベンダーは少しソフィアを気遣うようにおずおずと言ったが、ソフィアはそれでもハーマイオニーの所に行く事にした。
きっと、ラベンダーの言うようにハーマイオニーは自分の言葉にも耳を傾かせないかもしれない、それでもこのまま無視する事はソフィアには出来なかった。
ソフィアはハーマイオニーのいる女子トイレへと向かう、入口をそっと開けて中に入って見れば、個室の一つが閉まっていて、その中から小さく鼻を啜る音が聞こえた。
「…ハーマイオニー?」
ソフィアはそっと個室に近付き、扉に手をついた。
「…っ…ソフィア?な、何しにきたの?」
「ラベンダーとバーパティから…ハーマイオニーが此処で泣いているって聞いて…」
「そう…なら1人にして欲しいっていうのも、き、聞かなかった?」
「…聞いたわ、だけど…泣いているあなたを1人になんて出来ないもの…ねえ、扉を開けて?」
「い…嫌よ!どうせ、あ、あなたも私を笑いに来たんでしょう?私が悪魔みたいだって!みんなそう思ってるんだわ!」
ソフィアの言葉をハーマイオニーは拒絶し、ヒステリックに叫ぶ。その声には悲しみが含まれ、ソフィアは眉を寄せた。そして、何故ハーマイオニーが泣いているのかを、何となく察した。
「…誰に言われたの?」
「…ロンよ!いいの、わかってるわ!私のこと、疎ましいでしょう?嫌ってるんでしょう?!わかってるわ!」
ソフィアは心の中でロンに舌打ちを溢す。その言葉は、彼女の心を酷く傷つける言葉だ。最近2人が啀みあっているのは気がついていたが、それでも何でそんな酷い事を言えるのだろうか。
ハーマイオニーは感情が昂ったのか、止まりかかっていた涙を再び流し、声を上げて泣いた、そのあまりの悲痛な泣き声に、ソフィアは居ても立っても居られず、杖をさっと出すと短く唱えた。
「アロホモラ!」
ソフィアの感情が籠りすぎ、強すぎた魔法は鍵を開けるだけでは足りずその扉を勢いよく開け放った。
突如大きく開いた扉に、ハーマイオニーは一瞬涙を止めて驚愕の表情で扉と──勢いが良すぎて蝶番まで外れている──ソフィアを見た。
「なっ……!」
「ハーマイオニー!」
ソフィアはすぐに個室に入ると、涙で濡れたその顔を見て辛そうに顔を歪め強くハーマイオニーを抱きしめた。
蓋を閉めた便座に座っていたハーマイオニーはソフィアの胸の中に顔を強く押し付けられ、一瞬息が詰まる。
「ソ、ソフィアっ!離して!」
「嫌よ!友達が泣いているのに、抱きしめる事もできないなんて、私は嫌だもの!」
ハーマイオニーは自身を抱きしめるソフィアの胸を拒絶するように叩いていたが、その言葉に、動きを止めると大きく目を見開いた。
「と、友達…?」
信じがたいその言葉を、呆然と呟く。
「ええ、…ハーマイオニーは嫌かもしれないけれど、私は…友達だと思ってるわ」
「そんな…だって、私…何回もあなたに注意してるし…い、嫌がってると…」
「別に嫌じゃないわ、ハーマイオニーの注意はいつだって正しいもの!…まぁ忠告を聞くかどうかは、別問題だけど…でも、あなたを嫌いに思った事は一度も無いわ。…大好きよ、ハーマイオニー」
ソフィアはハーマイオニーが抵抗するのをやめた事にほっと安心し、ハーマイオニーのふわふわとした髪を撫で、優しく囁く。
優しい手つきと、温かい抱擁、そしてなによりも望んでいた言葉に、ハーマイオニーは抱き締められた驚きで止まっていた涙がじわりと溢れるのを感じた。
「ソフィア…!わ、私っ…」
わっと涙を流し、ハーマイオニーはソフィアの背中に手を回すと縋るように抱き着いた。
「私っ、ずっと、嫌われてると、思っていたのっ…だから…!」
「…うん、大丈夫よハーマイオニー…あなたが私に注意するのも…私の事を思ってくれてるのよね?ちゃんと、わかってるわ」
「ソフィア…!ご、ごめんなさい!わ、わたしも、あなたと…友達になりたいっ!」
叫ぶように告げられたハーマイオニーの言葉に、ソフィアは優しく腕の中からハーマイオニーを解放すると、その涙に濡れる目元を優しく指で拭った。
「もう、友達だと思っていたわ!」
そして、いつもの明るい笑顔でハーマイオニーに笑いかける。
ハーマイオニーは涙に濡れるその顔を嬉しそうに緩めると同じように笑った。
「さあ、涙を拭いたら大広間に行きましょう?今日はハロウィーンディナーが出るみたいなの!まだデザートに間に合うわ!」
「ええ…」
ハーマイオニーはポケットからハンカチを出すと涙を拭きながらも微笑み、差し出された手を握った。