次の日、ソフィアはハーマイオニーと共に談話室へ降りた。
暫くロンとハリーを待っていたが、一向に2人は男子寮から降りてこない。先に大広間に行ってしまったのかと、「珍しいわね」なんて言葉を交わしながら大広間に向かった。
大広間に続く二重扉近くの壁際に、マクゴナガルが立っている事に気付いた2人は軽く頭を下げた。
「おはようございます、マクゴナガル先生」
「おはようございます、ミス・プリンス。ミス・グレンジャー。──こちらへ」
マクゴナガルは辺りを注意深く警戒しながら小声で囁く。ソフィアとハーマイオニーは不思議そうな顔をしながらチラリと互いに視線を合わせ、「はい」と頷いた。
それを確認したマクゴナガルはすぐにいつものように悠然と歩く。廊下ですれ違った生徒たちはこんな朝早くに教師に捕まるなんて、一体どうしたのだろうかとこそこそと話し合っていた。
行き先は校長室であり、ソフィアとハーマイオニーは少し不安そうな表情のまま秘密の合言葉により開けられた扉をくぐり螺旋階段を上がる。
「校長。連れてきました」
「おお…ありがとうミネルバ、さて、ソフィア、ハーマイオニー。2人の耳に入れねばならぬ話がある」
ダンブルドアの口調はいつもよりとても静かであり、どこか疲れているような気さえした。
2人は促されるままに突如現れた椅子に座り、対面する形で机を挟み、背の高いダンブルドアを見上げる。
「昨夜の事じゃが。ハリーが寝ている時にヴォルデモートのそばにいる蛇と意識が繋がった。ハリーはアーサーが蛇に襲われている場面を蛇を通して体験し、実際、アーサーは重症を負っている姿で見つかったのじゃ」
「そんな!」
ハーマイオニーとソフィアは顔を蒼白にし息を飲む。重症とはどのレベルなのか、心配そうに眉を下げる2人にダンブルドアは僅かに目元を緩め、安心するような低い声で言う。
「案ずるでない。すぐに聖マンゴ病院へ搬送された。もう治療されて今日の昼間には面会もできるとの事じゃ。ハリーとロン、そしてウィーズリー家の子どもたちは一足先に本部へ向かい、休暇中はそこで過ごす事となるじゃろう──して、2人は──」
「私もお見舞いに行きたいです!」
ハーマイオニーはすぐに懇願するように叫び、ソフィアも隣で力強く頷いた。ダンブルドアは目をキラキラと輝かせ白く立派な顎髭話を撫でると「アーサーも喜ぶじゃろう」と微笑む。
「しかし、明日の休暇を待ってからじゃ。駅にナイトバスを呼んでおこう。一度本部に向かえば、休暇が終わるまでは戻ってくることも、家に帰る事も出来ぬ。──それでも、向かうかのう」
最後の言葉はソフィアに向けられた言葉であった。ソフィアは見舞いには行きたいがクリスマス休暇中、ずっと本部で過ごすとは考えておらず、少し悩むように沈黙したが──しっかりとダンブルドアの目を見て「わかりました」と言った。
その後校長室を離れ、遅くなってしまった朝食を取る為に大広間に向かった。ハーマイオニーは何か言いたげに何度か口を開き、閉じ──を繰り返していたが、ついに空き教室の前に来るとソフィアの手を取り引っ張って扉を開けた。
授業で使っていない教室に来る生徒も、悪戯のためにウロウロと浮遊するピーブズもいない事を確認し、ハーマイオニーは静かに扉を閉めソフィアに向き合う。
「──いいの?」
「……父様には、今年は一緒に過ごさないって言うわ」
「でも──その、多分、ハリーは喜ぶでしょうね。でも、ソフィアは家族と過ごしたいんでしょう?」
ハーマイオニーの気遣うような視線にソフィアは否定はせず力なく微笑む。
クリスマスの日、数時間だけセブルスとルイスと過ごす約束をしていた。ソフィアはそれを心待ちにしていたし、きっと彼らもそうだろう。
同じホグワーツで暮らしているとはいえ、家族として会えるタイミングは殆ど無い。彼らに本部で過ごすこととなったと伝えるのはどうしようもなく胸が痛む。しかし──。
「ハリーの夢──意識があの人の蛇と繋がったなんて今までなかったわ。本当にアーサーさんはハリーが見た通り怪我をしていたようだし……きっと、ハリーは混乱しているわ。…そばに居たいの」
今のハリーの心情を思うと、そばに居たいと、心からそう思ったのだ。
何が起きたか分からず混乱しているだろう、ハリーは一度悪いように思い込んでしまったら心を塞ぎ、心が地の底まで落ちてしまう。ロンは少し鈍いところがあるし、ハリーが癇癪を起こすと怒りが収まるまでそっとするだけで声はかけないだろう。勿論、それもハリーの事を思っての事だが、今はきっと、誰かの支えが必要だ。
「そう……。うん、そうね、きっとハリーはまた変な方向に考えてると思うわ」
ハーマイオニーはソフィアの気持ちを汲み、にっこりと笑うとソフィアの背中を優しく撫でた。
この日は土曜日であり、授業は無く生徒たちが思い思いの場所で寛ぎ、賢いものは休暇中の宿題に早くも取り掛かっていた。
ソフィアは一度職員室を覗いたが目当ての人がいないと分かるとすぐに地下研究室へ向かった。
足取りは重く、気が進まないが──
「ソフィア・プリンスです」
「…入りたまえ」
トントン、と扉を叩けばすぐに返事が返ってきた。「失礼します」と言いながら扉を開けた途端、むっとした生温く甘いような臭いが鼻をついた。
研究室の奥にある調合机にセブルスとルイスが居た。そばには大鍋が置かれ、そこからふわふわと青い煙が天井まで上がっている。
「ルイス…」
「ソフィア、調合中だからすぐ扉を閉めて」
「あ。…ええ、わかったわ」
調合が高レベルな薬は、少しの温度変化や炎の揺れで失敗してしまう。真剣なルイスの声を聞いたソフィアはすぐに扉を閉め、少し悩んだ後そっとルイスとセブルスのそばに近づいた。
「……今、忙しいかしら?」
「うん」
ルイスは少しも視線を上げることなく大鍋や細かな字が書かれている教科書を見て、ソフィアが扱ったことのない貴重な材料を慎重に大鍋に入れた。
ほとんど動いてないのではないか、と思うほどゆっくりと匙を動かすルイスと、それを監督するセブルスの目は真剣そのものだ。
「じゃあ……要件だけ伝えるわね」
「うん、どうしたの?」
「あー──クリスマス休暇に、本部に行くことにしたの」
「──え?」
ルイスは思わず視線をソフィアの方に向け、驚愕の声を上げる。匙を回す手が不自然に動いたのを見てセブルスは片眉を上げ「ルイス」と注意を促した。
すぐにルイスは視線を落としたが、あの一瞬で真っ白だった薬が僅かに灰色に変化していた。
「──今年は離れ離れのクリスマスなんだね」
「ええ…。…その、約束だったのに──ごめんなさい」
ルイスの言葉が冷ややかで拗ねたようだったのは、薬が少し失敗してしまったからだけではないだろう。
ソフィアはルイスにだけではなく、セブルスにも心の底から申し訳なさそうに謝る。
セブルスは今日の朝早くにダンブルドアから何があったのかを聞いていた。本部に向かうのか、このままホグワーツで過ごすのかを決めるのはソフィア本人だとダンブルドアは言っていたが、こうなるかもしれない事はあらかじめ予想がついていた。
ソフィアにとって──認めたくはないが──ハリー・ポッターは特別なのだろう。家族の約束よりも優先されるほどに。
「──用件が済んだのなら行きたまえ」
「……ソフィア、いいクリスマスを過ごしてね」
「…ルイスも、いいクリスマスを。──父様も」
ソフィアは囁くように言うと、視線を上げない2人を寂しそうに見つめ研究室を出て行った。──寂しい、だなんて、私が思うことではない。
研究室に残ったルイスとセブルスは、同時に小さなため息を溢した。いつもなら視線を合わせて苦笑の一つでもするのだが──2人は大鍋を見続けたままだった。
次の日、ソフィアはトランクケースに沢山の宿題と服を詰め、ティティを籠の中に入れてハーマイオニーと共にホグワーツ特急に乗車していた。
窓越しに、遠くなっていくホグワーツを名残惜しそうに見つめるソフィアに、ハーマイオニーは何も言うことが出来ない。もし──もし、親子だと皆が知っていたのなら、嫌がりながらもセブルス・スネイプはクリスマスの日に本部に来ていただろうか。とぼんやりと思ったが、ハーマイオニーにはそんな場面を想像する事が出来なかった。
夕方6時前にホグワーツ特急はキングズ・クロス駅に到着し、ソフィアとハーマイオニーはダンブルドアから預かった地図を持ち人気のない路地へと向かう。
ローブの中に隠していた杖を掲げれば、バーンッと大きな破裂音が響き、派手な紫色の三階建てバスが何処からともなく現れる。
ソフィアとハーマイオニーは紫色の──ややくたびれ、着崩されている──制服に身を包む青年に目的地を告げ乗車賃を渡し、2階のガタガタ揺れる寝台に座った。
「私、
「私も初めてよ。──うわっ!──か、かなり、揺れるわねっ!」
「ああぁっ!」
猛スピード、急ブレーキ急発進のナイトバスはバーンッと破裂音を鳴らすたびにバスの中身が洗濯機の中の洗濯物のようにひっくり返った。
ソフィアとハーマイオニーは手すりにつかまりながら荷物がぶちまけられないように必死になって空いている手でトランクを掴み、それぞれのペットが吹っ飛ばないように籠を脚の間に挟む。行儀が悪いと眉をひそめられそうだが、腕が3本無いのだから仕方のない事だろう。
乱雑に置かれた椅子や誰かの旅行鞄が床を滑る中、ハーマイオニーとソフィアはただただ早く目的地につくことを願っていた。
何とかトランクの中身をぶちまける事も、ペットが居なくなる事も無く2人は目的地にたどり着き、揺れることのない地面を踏み締めた。
しかし、すぐにふらふらと足元がおぼつかなくなり地面が動いている気がするのはきっと長時間ナイトバスに揺られていた嬉しくない副作用だろう。
「ああ──無事についてよかったわ…」
「無事、なのかしらね…」
ティティとクルックシャンクスはカゴの中でガタガタと揺られすぎたせいか、かなり機嫌が悪くじろりと飼い主たちを睨み見ていた。
2人は辺りを警戒し、一度物陰に身をひそめ互いに目くらまし術を掛け合う。
完璧に背後の景色と同化しているのを確認し、ハーマイオニーとソフィアはこそこそと本部への階段を上がり、呼び鈴を鳴らした。
少し待つとガチャガチャと鍵を開ける音が響き、しばらくしてゆっくりとチェーンがつけられたままの扉が開き、不安げな顔をしたモリーが忙しなく目だけを外に向ける。
「モリーさん、ソフィアとハーマイオニーです。ダンブルドア先生からもう連絡は来てますか?」
「──ああ!2人だったのね。すごく上手に目くらまし術がかかっているわね……。少し待ってて」
モリーはぐっと目を細めソフィアとハーマイオニーに気づくとほっと表情を緩め一度扉を閉めた。再びガチャガチャと音が響き、今度はしっかりと扉は開け放たれた。
「さあ、いらっしゃい、よく来たわね!」と声を抑えながら歓迎する。2人はさっと扉をくぐると、この玄関ホールに何があるのかを思い出し「しーっ」と唇に人差し指を当て互いに小声で「フィニート」と唱え目くらまし術を解く。
数ヶ月振りに訪れた本部は、前回来た時よりも荒れているような気がした。空気が澱んでいるし、なにより埃っぽい。夏休み中にあれだけ掃除をしたのに、シリウスは1人では掃除も満足にする事が出来ないのだろうか。──いや、きっと自分で掃除をするという発想があまり、ないのだろう。それにずっと1人きりならば、生活するために必要最低限の場所しか掃除していないのかもしれない。
足音をなるべく立てないように、モリーに案内され厨房に向かったソフィアとハーマイオニーは、長机を囲みバタービールを飲むロンとジニーを見て軽く手を上げた。
「ハーマイオニー!ソフィア!どうしてここに?」
ロンは唇についたバタービールの泡を拭う事もせず目を瞬かせ驚く。ジニーは「クリスマス、一緒に過ごせるの!?」と嬉しそうにその場で飛び跳ね、すぐにまだ栓を開けていないバタービール瓶を2本掴むとハーマイオニーとソフィアに手渡した。
「ええ、ここで過ごすわ」
「何があったか──昨日、ダンブルドアから聞いたわ。アーサーさんが無事で本当によかった」
「うん、包帯は巻いてたけど普通に話せたし思ったより元気だったな」
ハーマイオニーとソフィアは椅子に腰掛け、バタービール瓶を交わし、カチンと澄んだ高い音を鳴らした後、ごくりと一口飲んだ。
ジニーとロンは昨日から──ハリーが夜中に起きてからダンブルドアの元へ向かい、そのままここにポートキーで移動したこと、昼間にアーサーと面会したこと、その時に、見舞いに来たムーディとアーサーとモリーの会話を伸び耳で盗み聞きし、ハリーがヴォルデモートに取り憑かれているかもしれない、と言う事を聞いてしまった。それからずっとハリーは自分達を避けて寝室かバックビークの部屋に引き篭もっているのだと伝えた。
「多分、いつものご機嫌ナナメさ」
「あの人が取り憑いてるなんて、少し考えればあり得ないのに。ハリーは記憶を失ったり別のところで目が覚めたりしてないんでしょ?パパが襲われた時、ハリーはちゃんと寝ていたってロンから聞いたもの。まぁ、かなりうなされてたようだけど。──もう、私に誰が取り憑いていたか、さっぱり忘れているんだわ!」
ロンとジニーは殆ど残っていない瓶をほぼ逆さまにしながら言い肩をすくめた。
ハーマイオニーとソフィアはまさか本当に予想が当たっていた──それも、さらに最悪な方向で──事に驚いたが、すぐに怪訝な顔をして黙り込んだ。
「ハリーって、かなり頑固なところがあるものね」
「まぁね。…でも、ソフィアが励ませばすぐにコロリ、よ」
ハーマイオニーは軽く言いながら意味ありげにニヤリと笑い、ロンとジニーも同じような悪い笑みを浮かべ瓶の口に息を吹き込みピューピューと囃し立てるように鳴らした。
「うーん、まぁ、様子を見てくるわ」
「ハリー、昨日からほとんど食べてないんだ。ママにサンドイッチを作ってもらうからさ、引っ張り出させそうなら僕の部屋に来てよ。場所は夏休みの時と同じだから」
「ええ、わかったわ」
心配そうに眉を下げるロンに頷き、ソフィアは半分ほど残っているバタービールを一気に飲み干すと机の上に強く空瓶を置き、そのままバックビークの部屋がある4階への階段を駆け上がった。
扉のドアノブに手をかけ、開こうとしたが一度考えて止まり──ソフィアはトントン、と軽く扉をノックした。
「──誰?」
「誰だと思う?」
陰鬱で不機嫌そうなハリーの声に、ソフィアは苦笑しながら疑問で返した。
すぐに部屋の中からバタバタと音が聞こえ、パッと扉が開かれる。
「ソフィア!なんで君がここに?」
ハリーの顔色はかなり悪かった。
大きな目の下にはくっきりと隈が出来ていて、髪もボサボサだ。最後に会ってから2日と経っていないはずだが、あまりの風貌にハリーの心情は今までで1番荒み、困惑しているのだろうと思った。
「だって、クリスマス休暇はホグワーツで過ごすんじゃ──」
「あなたに会うためよ、ハリー。──入っても?」
「──う、うん、勿論」
ハリーはソフィアが通れるように大きく扉を開けた。
部屋の中は廊下と同じように薄暗く埃っぽい。一つあるベッドがぼろぼろなのは、バックビークが餌を探して掘ってしまうからだろう。よく見れば、床板もところどころ剥がれている。
ソフィアはきちんとバックビークに頭を下げ、彼からも許しが出たところで歩み寄り、美しい毛並みを優しく撫でた。
「ハリー、私何があったか──昨日、ダンブルドア先生に聞いたわ」
「そう……。…ソフィア、僕に近付かない方がいい、だって僕にはヴォルデモートが取り憑いてるんだ。──そうだ、そうだった。だから──ダメだ、君を傷付けたくない」
ハリーはソフィアが現れた嬉しさで忘れかけていたことを思い出し、顔色を変えると距離を取るように壁際まで後退し首を振った。
バックビークを撫でていたソフィアはヴォルデモート、という言葉に顔を硬らせたが、じっとハリーを見つめ目を逸らすことはない。
暫く痛いほどの沈黙が2人の間に落ちていたが、くるりとハリーに向き合うと、後ろで手を組み、ふっと笑うと悪戯っぽい表情でハリーを見上げた。
「あら、私に何か──出来るの?」
「したくないんだ。そりゃ、僕は出来ない。……でもヴォルデモートは──」
「あなたは、ハリー・ポッターよ。例の───」
ソフィアは一度言葉を限り、何度も深呼吸をすると、真剣な目で口を開いた。
「あなたは、ヴォルデモートじゃないわ」
その言葉は本当に小さな声だった。
魔法族にとって──ソフィアにとって、ヴォルデモートは恐怖の対象であり、一般的な魔法族と同じく名を呼ぶことを恐れる。
だが、それでも、ハリーはヴォルデモートではない、と伝えたかった。
ハリーはソフィアがヴォルデモートと言った事に驚いた。今までソフィアはロンと同じくヴォルデモートというただの言葉を恐れ、表情を変えていた。
そんなソフィアが、肩を震わせながら──それでも、瞳だけは微塵も揺れず──この言葉を言うために、どれほどの覚悟と勇気が必要だったのだろう。
「ソフィア……」
「ハリー、私はあなたの側にいると決めた。だから、ここにいるの」
ソフィアは一歩、ハリーに近づく。
ハリーは肩を震わせ無意識のうちに下がろうとしたが、すでに背中は壁にぴたりと張り付いていた。
「駄目だ、ソフィア。君は知らないんだ。僕──ヴォルデモートの蛇になってた、僕が蛇だったんだ!それで、ロンのお父さんを襲った。それに──それに、昨日ダンブルドアと目が合った時、その喉に噛みつきたい気持ちになった、全くそんなことを考えてなかったのに、急に憎くて憎くて仕方がなかった!僕にヴォルデモートが取り憑いてる事は間違いないんだ。ダンブルドアもそれに気づいていたから、今まで僕と目を合わせなかったんだ。
僕は、本当はここにいちゃいけない。僕を通して本部の事を全てヴォルデモートに伝えているのかもしれない!みんなを危険に晒してしまうんだ!」
恐怖心が胸の奥から溢れ、ハリーは一度開いた口を閉じることが出来なかった。堰を切ったように溢れる言葉は激しさを増し、ハリーは脳の裏がじりじりと燃えているかのような恐怖と焦りで呼吸が荒くなるのを感じた。
もし、ここがバレていたら、みんなを危険な目に遭わせてしまう。ロンのお父さんも、きっと僕が本当にやったんだ。どうやったかはわからないけどヴォルデモートの何か特別な魔法が何かで、きっとそうなんだ。
自分でコントロールすることが出来ない激しい感情に、ハリーは今すぐ怒鳴り叫びたくなった。ソフィアに「出て行け!」と言わなければいけない、だけど、心の奥で「そばに居て」と思う弱い自分を無視することがこんなにも難しいなんて、思わなかった。
耐え難い現実に、ハリーはぎゅっと目を瞑り頭を掻きむしり、そのままずりずりと壁に沿ってしゃがみ込んだ。
「──僕のせいで──ヴォルデモートが取り憑いてるから──だから──」
ハリーはその先の言葉を言うことが出来なかった。
「ハリー」
ハリーを押し潰そうと来ている不安感や猜疑心からハリーを守り、隠すようにソフィアはハリーの頭を強く抱きしめ、自分の胸元に押し付けた。そのまま優しくハリーの名を呼び、頭を撫でる。
ハリーは息を詰まらせ、ひゅっと喉から喘ぐような音を出した。早く五月蝿くなっていた自分の鼓動とは別の、静かな音が鼓膜を震わせる。──ソフィアの心臓の音だ。
「ハリー。……深呼吸して、…落ち着くから」
「……っ…う、……はぁっ…」
ハリーは胸の奥の重く苦しいものを吐き出すように長く息を吐いた。
ソフィアの掌が優しく自分の頭を撫で、温かいものに包まれている内に気がつけばソフィアに縋り付くようにその背に手を回し、強く抱きしめていた。眼鏡がかちゃりと音を立ててずれ、その奥にある目が熱くなる。
「ハリー。みんなを傷付けてしまうんじゃないかって不安だったのよね?…少しは、落ち着いた?」
「…うん」
慰めるように背中を撫でられ、ハリーは気恥ずかしさと愛おしさが混ざり、ぐっとソフィアを一度強く抱きしめるとそっと体を離しずれた眼鏡を掛け直した。
「……落ち着いた、かな。少しね」
「充分よハリー。…お腹すいてない?ロンが昨日から何も食べてないってすごく心配してたわ」
「ロンが?」
「ええ、ロンだけじゃなくてジニーも。──昨日の病院の帰りからハリーが引き篭もってるって2人から聞いたの。すごく心配してたし、ジニーは怒ってたわね」
「怒ってた?……やっぱり、僕がロン達のお父さんを襲ったから──」
「もう、違うわよ!」
重くて苦いものを飲み込んだような顔をして項垂れるハリーに、ソフィアはムッとしながらハリーの両頬を両手で掴み、無理矢理目線を合わせた。
「ハリー、あなたがヴォ……ヴォル、デモートに取り憑かれていると思っているなら、なぜ取り憑かれたことのあるジニーに聞かなかったの?本当に取り憑かれていたのか、ただ意識がリンクしたのか──きっとジニーはあなたにそのことを話したかったはずよ」
「え──あ、そう、だったね」
過去のヴォルデモート──トム・リドルの記憶と魂の一部が取り憑いていたジニーは、3年前、一年生の時にホグワーツにある秘密の部屋を開きバジリスクを使いマグル生まれを恐怖の底に叩き落とした。勿論、それはジニーの望みでもなく、彼女には記憶もない。操られていたジニーは記憶がない時に、その身体を乗っ取られていたのだ。
「とりあえず。ここは少し埃っぽくて暗いわ。お腹もすいたし──あなたの部屋に行きましょう」
ソフィアはハリーの冷えた手を繋ぎにっこりと微笑むと、あまりロン達に会いたくないハリーを引っ張り3階にあるロンとハリーの部屋へ向かった。
扉を開ければ部屋の中央にある机にたくさんのサンドイッチが乗せられた大皿とバタービール瓶が5本置かれ、ロンのベッドにはロンとジニーとハーマイオニーが腰掛けていた。
「ハーマイオニー、君も来てたんだ」
「当たり前じゃない。私たちナイトバスに乗ってここまで来たの。──ところで、ソフィアのセラピーは抜群だったでしょう?気分はどう?」
「あー──うん、まぁ落ち着いたかな」
ハリーはソフィアに手を引かれるまま自分のベッドに座った。ソフィアがハリーにバタービール瓶を持たせたが、あまり飲む気持ちになれず指先で瓶を撫でる。
「ロンとジニーから聞いたわよ。聖マンゴから帰ってきて、ずっとみんなを避けてたって」
「僕だけじゃない、みんなも僕を避けてる」
「えっ、避けてなんかない!」
ロンはぶんぶんと首を振り「君がずっと部屋に引き篭もってんじゃないか!」と怒ったように言う。
しかし、ハリーは間違いなくロン達は自分を避けていると思っていた。部屋に不必要に入ってくることも無いし、食事を一緒に食べなくても気にしない。──でも、ソフィアが言うには、ロンは僕のことを心配してくれていたらしい。
「つまり、ハリーはヴォ──ヴォルデモートに取り憑かれたと思ってみんなが腫れ物に触れるような扱いを受けていたと思ったのね。でも、ロンとジニーはとっても心配していたわ。ロンもジニーも、ずっとハリーと話したいって思ってたのよ」
ソフィアはバタービール瓶を撫でるハリーの手から瓶をとり、杖先でコツンと蓋を叩く。軽い『ポンッ』という音と共に蓋が弾け飛び、床を転がりベッドの下に入ってしまった。
それを見送りちょっと肩をすくめたソフィアは、そのまま瓶口をハリーの唇に押し当てる。
ハリーは唇に触れた甘くて美味しいバタービールをごくり、と一口飲んだ。
途端に、今まで腹の奥底で冷えていた何かがぽっと温まったような気がする。脳と視界に広がっていたモヤも僅かに晴れ、ソフィア達の心配そうな表情が──明確に見えた。
──ああ、本当に見ようとしなかったのは、僕なのかもしれない。そうだ、目を見るのが怖かったんだ。その目に憎しみとか恐怖があったら……ロンに拒絶されたら──僕は耐えられない。だから、昨日からロンの目が見れなかった。
「……僕──ヴォルデモートに取り憑かれてるんだと思う。だから、ここにいたら…本部の事を教えてしまうかもしれないと思って、あまり情報のない部屋に引き篭もってた。──プリペット通りに戻るしか無いって、本気で考えた。けど、ダンブルドアの『動くでない』って伝言を伝えられたから…部屋から出て行けなかった。……僕は、本当にヴォルデモートに取り憑かれているのか、知りたい」
ハリーは半分ほどバタービールを飲んだ後、はっきりとした言葉でロンとハーマイオニーとジニーに告げた。
「ジニー、辛い記憶だと思うんだけど、ヴォルデモートに取り憑かれたときって……どんな風だったか教えて欲しい」
「そうね……取り憑かれていた時は、取り憑かれているなんてわからなかったわ。自分のやったことも、何をしようとしていたのかも思い出せない。大きな空白期間があったわ。あなたはどう?」
ハリーは必死に考える。あの時の事──蛇になっていたことははっきりと思い出せた。自分が蛇だったのではないかと思うほどの鮮明さだったのだ。床を這ったときに感じた冷たさも、沸き起こる憎しみの感情も、全て思い出すことができる。
「……ない」
「それじゃ、例のあの人はあなたに取り憑いた事はないわ。あの人が私に取り憑いたときは、私、何時間も自分が何をしているか思い出せなかったの。どうやって行ったかわからないのに、気がついたら違う場所にいるの」
ハリーはジニーの言葉を全て信じたわけではなかったが、やはり取り憑かれていた当人の証言はハリーの心を軽くした。
「でも、僕の見た、君のお父さんと蛇の夢は──」
「私が気になるのはそこなのよ。ハリーはヴォル…デモートの視点で見たんじゃなくて、蛇だったんでしょう?
今までは例の──ヴォルデモートの感情が伝わっていて、どんな気持ちなのかをわかっていたわよね。でも今回は蛇よ?何故?蛇の視点から夢を見てそれが現実だったなんて……聞いたことがないわ」
ハリーの言葉を遮り、ソフィアが真剣な目で言う。ハリーはそこまで疑問視していなかったが、ハーマイオニーはハッとした顔で「たしかに変よ」と頷いた。
「──うん、僕は蛇の中にいて、蛇自身だった。……でも、ヴォルデモートが僕をロンドンに運んだとしたら?」
「ホグワーツでは姿現しも、姿くらましも出来ないわ。それにダンブルドア先生がそんな事を見過ごすと思う?」
「そうだ。君はベッドから離れてないぜ。僕、君が眠りながらのたうち回ってるのを見た。僕たちが叩き起こすまで少なくとも1分くらい」
ロンもすぐにハリーはどこかへ行っていないことを明言する。
ハリーは深く考えながらソフィアから受け取ったバタービールを一口飲む。たしかにソフィア達が言うことは理屈が通っていて、単に慰めになるばかりではない。
「それに、騎士団の人たちが本当にハリーが蛇だと思っているのなら、あなたは自由に過ごせて無いわ。少なくとも暫く昏倒させられてるはずよ」
ソフィアは安心させるように軽い口調で言った。
ハリーはぐるりとソフィアとロンとハーマイオニーとジニーの目を見つめる。全員の目は、間違いなく自分が蛇ではないと信じていた。
──つまり、本当に僕は蛇になったわけじゃないんだ。
ハリーはようやく納得が出来ると急に空腹感を思い出し、皿の上にあるサンドイッチを掴むと勢いよく頬張った。
それを見たロンは嬉しそうにほっと息を吐く。
自分がヴォルデモートにとっての武器であり、皆を──不死鳥の騎士団を破滅させるのではないかと思っていたハリーは、幸福な気持ちに胸を膨らませる。
ハリーがサンドイッチを食べ始めたのを見て、ソフィア達も手を伸ばす。その時、扉の向こうからバックビークの元に向かうシリウスがクリスマス・ソングの替え歌を大声で歌っている声が聞こえ──ハリーは、その陽気で楽しげな歌を一緒に歌いたい気分になった。