ソフィアとハリーとハーマイオニーはクリスマス・ランチを食べ終わった後、ウィーズリー家の人たちとアーサーの見舞いに行く事になっていた。
道中で危険がないとは言い切れず、リーマスとムーディが護衛につき、マンダンガスがどこからか借りてきた車に乗り──モリーはかなり渋ったが──聖マンゴへ向かった。
アーサーの見舞いは無事に終わり、ソフィアとハーマイオニーは包帯は巻いてあるが元気に受け答えが出来ているアーサーを見てホッと胸を撫で下ろす。
無事だと言ったが──アーサーがモリーに黙ってマグル式の治療を受けていた事がばれてしまい、やや無事に、と言う方が正しいだろう。
ソフィア、ハリー、ハーマイオニー、ロン、ジニーの5人は6階にある喫茶店でモリーの怒りが鎮まるまで時間を潰そうと移動したが、間違って5階の踊り場に出てしまった。
「あれ、ここ、何階だ?」
「6階だと思うけれど」
「違うよ、5階だ──」
ハリーは足を止め、戻ろうとしたが『呪文性損傷』という札のかかった廊下の入り口に、小さな窓がついた両開きの扉があり、それを見つめて固まってしまった。
ガラスに鼻を押しつけて、1人の男が目を見開き覗いていたのだ。波打つ金髪、明るい青い瞳、にっこりと意味のない笑顔を浮かべ輝くような白い歯を見せている。
「なんてこった」
「まあ、驚いた」
「ロックハート先生…よね?」
ロンとハーマイオニーとソフィアもその男──ロックハートに気が付き、驚き目が釘付けになっていた。
ライラック色の部屋着を着たロックハートはドアを押し開け、ハリー達に近づくと「おや、こんにちは!」と明るく挨拶をした。
「私のサインが欲しいんでしょう?」
「──あんまり変わってないね」
ハリーはソフィアに囁き、ソフィアは苦笑し頷いた。全ての記憶を失い、自分が誰かもわからないと聞いていたが、少しは記憶が戻ったのだろうか。
「えーと──先生、お元気ですか?」
ロンは少し気が咎めるようで、おずおずと挨拶をする。ロックハートはロンの壊れた杖を使い、忘却魔法が逆噴射してしまい全ての記憶を失った。ロンは少し申し訳なく思っていたが、そもそもロックハートはハリーとロンとルイスの記憶を永久に消し去ろうとしていたため、同情は出来ないだろう。
「大変元気ですよ。ありがとう!さて、サインはいくつ欲しいですか?私は、もう続け字が書けるようになりましたからね!」
ポケットから少しくたびれた孔雀の羽ペンを取り出したロックハートは生き生きと答え、にっこりと輝く笑顔を見せる。
「あー──いまは、サインは結構です。先生、廊下をうろうろしていて良いんですか?病室にいないといけないんじゃないですか?」
ハリーがロックハートにそう言えば、ロックハートの笑顔はゆっくりと消えていき、しばらくの間じっとハリーを見つめた。
「──どこかでお会いしませんでしたか?」
「あー──ええ、会いました。あなたは、ホグワーツで、僕たちを教えていらっしゃいました。覚えてますか?」
「教えて?──私が?教えた?」
ロックハートは微かに狼狽えた様子で繰り返したが、突然笑顔になると今までの会話をすっぱりと無かったことにし、再びサインの事について話しだした。
しかし、ちょうどその時、廊下の1番奥の扉から女癒者が顔を出し、ロックハートを見つけると急いで駆け寄ってきた。
「ギルデロイ、悪い子ね。いったいどこを彷徨いていたの?」
髪にティンセルの花輪を飾った母親のような顔つきの癒者はソフィア達に柔らかく笑いかけながら嬉しそうに手を叩く。
「まぁ、ギルデロイ、お客様なのね!よかったこと。クリスマスの日ですものね!──あのね、この子は誰も見舞いに来ないのよ。かわいそうに。どうしてなんでしょうね?こんなにかわいこちゃんなのに!ねぇ、坊や?」
癒者はロックハートを2歳の子どもでも見るような愛おしげな目で見ながら腕を掴み、微笑みかける。
癒者はロックハートに誰も見舞いが来ない事を嘆き、それでもソフィア達が来てくれた事を心から喜んでいた。サインをぜひもらってあげて、中に入ってゆっくりしていってね、と慈愛に満ちた目をする癒者に、ソフィア達はたまたまここに来てしまっただけで、本当は6階の喫茶店に行くつもりだったとはとても言うことが出来ず、仕方ないと顔を見合わせロックハートと癒者について廊下を歩いた。
長期療養の病棟に入った癒者はベッド脇の肘掛け椅子にロックハートを座らせる。その途端ロックハートは笑顔のまま写真の山を掴み狂ったようにサインを始めた。
ソフィアは病棟を見回す。アーサーがいたような無機質な印象はなく、私物が多く、入院患者が好きなものが沢山飾られているその場所は、ベッドの周りにカーテンを引くことも出来、ある程度のプライバシーが保てるようになっていた。
この病室には記憶を失ったロックハートとは別に、魔法によりぼんやりとしていて言葉を話せなくなった者、全身に動物の毛が生えた者が居た。奥のベッドには花柄のカーテンが引かれどのような症状で入院しているのかはわからないが、ここは長期療養だ。あまり良い状態ではないのだろう。
癒者が送られてきたクリスマスプレゼントを患者一人ひとりに声をかけ配る中、ソフィアはロックハートに「見て!すごく上手にサイン出来たでしょう!」と声をかけられてしまい、なんとも言えない笑顔で曖昧に頷いた。
ロックハートは、記憶を失って3年目だ、実質3歳の子どものように何もわからず純粋無垢なのだろう。
元から悪意のなさそうな笑顔を浮かべていたが、それが更に極まり、大人が浮かべる笑顔にしては一種の違和感を覚えるほどだ。
「──あら、ミセス・ロングボトム、もうお帰りですか?」
癒者が花柄カーテンの方を向き声を上げた。
ソフィア達は聞こえた名前に、思わずそちらを見てしまう。
ちょうど見舞客が2人ベッドの間の通路を歩いてきたところであり、老女は過去、ネビルがボガートの授業で「おばあさんの服装を思い出して」とリーマスに言われたネビルが答えた服装と全く同じ服を着ている。
今すぐこの場から立ち去りたいとばかりに身を縮め、顔を赤紫色に染めるネビルは誰とも目を合わせないようにしていた。
「ネビル!ネビル、僕たちだよ、ねえ、見た?ロックハートがいるよ!君は誰のお見舞いなんだい?」
ロンはぱっと立ち上がり呼びかけたが、ネビルは飛び上がると体を硬直させ自分の靴先をじっと見つめた。
「ネビル、お友達かえ?」
ネビルの祖母がソフィア達に近づきながら微笑み、上品な口調で聞いた。ネビルは祖母の問いかけにも答えず、じっと固まったまま動けないでいた。ロンは不思議そうにしていたが、ハリーは何故彼がここにいるのか、誰の見舞いなのか──この先の花柄のカーテンの向こうにいるのがネビルにとって、どんな存在かを知っていた。
ネビルの祖母は一眼見てハリーだと気づき、しっかりと握手をする。ハリーだけでなく、ネビルの祖母はジニーとロン、そしてハーマイオニーとソフィアの事も知っていた。優しく、勇気ある友人達だとネビルが祖母に話していたのだろう。
「ええ、ネビルがあなた達の事を全部話してくれました。何度か窮地を救ってくださったのね?この子は良い子ですよ。──でも、この子は口惜しいことに、父親の才能を受け継ぎませんでした」
ネビルの祖母は骨張った鼻の上から厳しく評価するような目でネビルを見下ろし、奥の二つのベッドのほうにぐいと顔を向けた。
「えーっ!奥にいるのは、ネビル、君のお父さんなの?」
驚きからロンは大声を上げる。ロンはここが長期療養が必要な者の病棟だという事をすっかり忘れていた。ハリーは直ぐにロンの足を踏んづけて黙らせたかったが、今日はローブを羽織っていない。剥き出しのジーンズではこっそりロンを黙らせるのは難しいだろう。
「何たることです。ネビル、あなたはお友達に両親のことを話してなかったのですか?」
ネビルの祖母は鋭い声を出し批難的な視線でネビルを睨む。
ネビルは深く息を吸い込み、天井を見上げて首を横に振る。唯一ハリーだけはネビルの親がどうなっているのか知っていたため、気の毒に思い今すぐにネビルを助け出してやりたかったが、この状況を改善する良い案は全く浮かばなかった。
ネビルの祖母は怒りを込めて「何も恥いることはありません」と言い、堂々たる態度でネビルの両親に何があったのかを話した。
闇払いだった2人は、ヴォルデモートの配下に正気を失うまで磔の呪いにかけられる拷問を受けた。それから今まで──2人は一度も正気を取り戻していないのだ。
ロンはベッドの向こうをよく見ようと爪先立ちになっていたことをすぐに恥じ入った顔をし、ソフィアとハーマイオニーとジニーは驚愕から口を抑え言葉を無くす。
「夫婦揃って才能豊かでした。わたくしは──おや、アリス、どうしたのかえ?」
ネビルの母親が寝巻きのままふらふらとおぼつかない足取りでカーテンの向こう側から現れる。顔は痩せこけやつれ果て、髪は白くまばらで、まるで死人のようだった。何かを話したい様子ではなかった──いや、話せないのだろう。彼女はおずおずとした仕草でネビルのほうに何かを差し出した。
「またかえ?──よしよし、アリス。──ネビル、なんでも良いから受け取っておあげ……まあ、いいこと」
ネビルは言われるまでもなく手を差し出していた。その手の中へ、彼女は風船ガムの包み紙をぽとりと落とす。ネビルは、小さな声で「ママ、ありがとう」と呟いた。
彼女は僅かに目元を緩め、嬉しそうに鼻歌を歌いながらベッドによろよろと戻って行った。
正気を失っても息子のことはわかるのだろうか。いや、おそらく正気を失ったアリスに、成長したネビルが自分の息子だとはわからないのかもしれない。ただ、自分の息子と同じ名前を持つ子ども──心が落ち着くその名を聞き、上機嫌なだけなのかもしれない。
ネビル──その名は、アリスにとって正気を失っても心の琴線に触れる言葉なのだ。
ネビルは皆の顔を見渡した。「笑いたきゃ笑え」と挑むような自暴自棄な目だったが、誰一人として笑えなかった。
「さて、もう失礼しましょう。皆さんにお会いできてよかった。──ネビル、その包み紙はクズ籠にお捨て。あの子がこれまでにくれた分で、もうおまえの部屋の壁紙が貼れるほどでしょう」
ネビルな祖母はそういい帰り支度を始めると、ゆっくりと扉に向かった。だが、ネビルは手の中にある包み紙を捨てることなく、そっとポケットの中に忍び込ませた。
誰も何も言えない中で、2人が出て行き扉が閉まる。
「知らなかったわ」とハーマイオニーが涙を浮かべて言い、「僕もだ」とロンが嗄れた声で呟く。「ええ……辛いわね」とソフィアは悲しげに目を伏せ、「うん、とても」とジニーは囁いた。
「──僕、知ってた。ダンブルドアが話してくれた。でも、誰にも言わないって、僕、約束したんだ。……ベラトリックス・レストレンジがアズカバンに送られたのはそのためだったんだ。ネビルの両親が正気を失うまで磔の呪いを使ったからだ」
ハリーの暗い声に、ハーマイオニーが「あっ」と小さく声を上げ口を抑える。
「ベラトリックス・レストレンジがやったの?クリーチャーが巣穴に持っていた、あの写真の魔女?」
誰も動けず、長い沈黙が続く中。ロックハートが急に怒り喚き出し、ソフィア達はようやくのろのろと足を動かし6階の喫茶店へ向かった。