すぐにセブルスとルイスが医務室に呼ばれ、蒼白な顔をした2人がソフィアの元に着いた時には、ソフィアは目から沢山の涙をこぼししゃくりあげていた。
「ソフィア!」
「と、父様!」
恐怖と混乱から強張っていたソフィアの表情は一気に弛緩し、駆け寄ったセブルスに手を伸ばし抱きつく。
わんわんと声を上げ自分の胸元に顔を押し付け泣くソフィアの傷に触らないようにセブルスは抱きしめ、安心させるように背中を撫でた。
「ソフィア…記憶を失ったって…」
ルイスが心配そうに覗き込むと、ソフィアはびくりと肩を震わせセブルスの胸にいっそう顔を押し付ける。自分を見てそんな反応をするとは思わず──ルイスはとても嫌な予感がした。
「…もしかして、僕のことも忘れたの?ソフィア……ルイスだよ、君の兄じゃないか!」
「ル…ルイス?……に、似てるけど…でも、ルイスは…そんなに大きくないわ…」
ソフィアは恐々ルイスを見て呟く。兄の姿もわからないソフィアの状態に、セブルスは眉間の皺を深くしたままベッド脇に深刻な顔をして立っていたポンフリーを見た。
「これは、あのブラッジャーを頭部に喰らったせいですかな」
「ええ…稀にあることです。頭部外傷による記憶喪失、とみて間違いないでしょう。パニックになっていましたが、なんとか安らぎの水薬を飲ませて話を聞いたところ、彼女は9歳になったばかりのようです。部分的な記憶の欠落ではなく、全てを忘れています。──つまり、ホグワーツに入学した記憶も、5年間過ごした記憶もありません、失っています。だから……あなたが兄だとわからないのでしょう」
ポンフリーは気遣うようにルイスを見た。ルイスはたしかに9歳のソフィアなら、今の成長した自分を兄だと判断できなくてもおかしくはない、と思い苦い表情を浮かべる。
「ソフィア…。お前は16歳であり、ホグワーツの5年生だ。数時間前、クィディッチのシーカーだったお前は頭にブラッジャーを受け、頭部を損傷した。そのせいで記憶を失ったのだ」
「5年生?……シーカー?……私が…?」
セブルスの言葉にソフィアは信じられないと怪訝な顔をする。
セブルスはすぐに杖を振りベッドの脇に大きな姿見を出現させると、ソフィアの肩を優しく掴み「見たまえ」と促す。
「こ──これ、私……?…う、うそ…」
ソフィアは驚愕し震える声で呟く。
鏡の中の自分に向かって手を伸ばす様子に、セブルスは苦虫を噛み潰したかのような表情で頷いた。
「頭の怪我……なら、本当に…ルイス?あなたは、ルイスなの?」
「……そうだよ、ソフィア」
「まぁ……大きくなったわね……そういえば、父様も少し皺が増えたような……?」
ソフィアは不思議そうに頭に巻かれた包帯に触れながらセブルスとルイスを見て首を傾げる。
全く記憶にない。昨日まで家にいて、普通に暮らしていた。目が覚めたら消毒薬の匂いが漂うこの白い部屋にいて、見知らぬ歳上らしい人たちが自分を囲んでいた。
ならば、あの人たちは──私の知り合いだった…?
「マダム・ポンフリー、ソフィアの記憶は戻るのかね?」
「それは……断言はできません。一部戻る場合や、ゆっくり全てを思い出す場合、全く思い出さない場合──様々です。魔法で記憶を失ったわけではありませんから、薬も効きません」
「…そうか……」
「どうしますか?私としては──記憶が戻るまで、ダンブルドア校長に一時休学措置を願うことをお勧めします。後数ヶ月でOLW試験ですが、このまま──記憶が戻らないとして──受けることは彼女のためにはなりません。思うような結果が出せず、彼女の未来を狭める事になります」
「……、…少し、時間を頂けないだろうか」
「ええ、決めるのは保護者である貴方ですから」
ポンフリーは気の毒そうに言うと、棚の上にある薬を飲ませるようにと伝え、今は3人だけにしたほうがいいだろうとそっとその場から離れた。
暫く重い沈黙が落ちる中、ソフィアは今の自分の状況を理解してないのか不思議そうな顔で伸びた手足や顔にぺたぺたと触れ「大人になってる…」と呟いていた。
「父様、どうする?僕も休学した方がいいと思うんだけど……」
「ああ、それしかあるまい。──だが、今…ソフィアを家に一人きりにしていいものか…」
「あ、そっか…7年前と、今とではかなり違うもんね…」
家の場所も違い、ジャックは騎士団の任務で忙しく力を借りる事はできない。ヴォルデモートが蘇り死喰い人が10人脱獄した今、有効な魔法も覚えていないソフィアを家に1人にしていいのだろうか。ホグズミードにある家は、周りにソフィアの興味を引く物が多すぎる。きっと外出禁止を言い渡してもふらふらと出て行ってしまうだろう。
「…それに、記憶喪失は──刺激がある方が思い出すきっかけになりやすいと聞く。家に閉じこもっているより、ここにいた方が──」
「うーん…たしかに…」
「ねえルイス。ここってホグワーツなのよね?うわー!早く見に行きたい!私ったらもう五年生なのね?全くわからないけど、ああ、そういえば起きた時に居た人たち…悪いことをしたわ、謝りに行かないと、きっと知り合い──お見舞いに来てくれたし、友達だったのよね?ルイスなら、きっと同じ寮だし誰かわかるわよね?」
ソフィアがにこにこと話す中、ルイスとセブルスは視線を見合わせ大きくため息をつき、ホグワーツで過ごすにあたってセブルスの事を父だとバレてはいけない事、そしてルイスは別寮である事を伝えた。
ソフィアはセブルスの事を父と呼んではならない理由を説明され、納得はしていたがルイスと自分が別寮だと受け入れられず「私を今すぐスリザリンにいれてよ!」と5年ぶりに駄々をこねた。
ルイスは文句を言うソフィアに困ったように笑う。そういえば昔のソフィアはこうだった。今は16歳になり──今までは、というべきだろうか──年相応に落ち着いてある程度自分の心を隠すことも出来ていたが、9歳のソフィアは納得がいかなければ駄々を捏ね、相手の気持ちを読み取る事なく嫌なことは嫌だと言い、それなりにお転婆だったのだ。
「…ソフィア、今日は寝なさい。傷口は治癒したとはいえまだ暫く薬を飲み安静にせねばならない」
セブルスは棚の上にあった泥のような液体で満たされたゴブレットをソフィアに向けた。受け取ったソフィアはツンと鼻を刺す異臭に嫌そうに顔を顰め。ぷいっとそっぽを向き受け取る事なく「嫌よ、美味しくなさそうだもの」と不満げに言った。
「魔法薬は美味なものではない。これを飲まなければ夜に高熱と痛みでうなされ睡眠を取ることは叶わなくなるだろう」
「それも嫌だわ」
「ならば、飲みたまえ」
「……仕方ないわね」
ソフィアは心から嫌そうな声音で言うと渋々薬を受け取り、一気に飲み干した。
あまりの不味さにげほげほと咽せているソフィアを見て、セブルスは16歳のソフィアなら文句を言う事もなく、素直に頷いていただろうと思った。きっと今のソフィアは無邪気であり、何よりも純粋なのだ、相手の思考を考え読み解く事はない。
不満があれば我慢する事なく口や手が出てしまう幼いソフィアの性格を考えたとき、セブルスはソフィアを家に一人で帰すべきか、ここで過ごさせるべきか判断が出来なかった。
「……少し、様子を見よう。まだOWL試験まで日がある。イースター休暇までに記憶が断片的にでも戻らなければ──その時は休学しかあるまい」
「そうだね…」
「えー。一人で家にいるなんてそんなの暇だわ。それならジャックのところで暮らしてもいい?」
「……」
ソフィアの発言に、セブルスとルイスは一日でも早く、少しでも多くソフィアの記憶が戻る事をただ祈った。
次の日、ソフィアはポンフリーから1週間のクィディッチ禁止を言い渡されたが、クィディッチが好きだとはいえ選手になっていた自覚がないソフィアはあまり残念には思わなかった。
まだ頭には包帯が巻かれ、夕食後は医務室を訪れ不味い薬を飲まなければならないが、ソフィアの顔色は良く記憶が無い事以外は何も問題は無い。
ルイスは別寮であり、セブルスは親子だとバレてはいけない。そのためセブルスにとってはかなり苦渋の判断だったが、同じグリフィンドール寮であり、世話を焼いてくれそうな人物、そしてソフィアとセブルスの関係性を知っている者といえば一人しか当てはまらず──ハーマイオニーがソフィアのこれからについて担う事になった。
ハーマイオニーは心配そうな表情のなかに緊張を孕ませながら医務室の扉を開ける。
ソフィアのベッドの近くにはセブルスが立っていて、体を起こしているソフィアの顔色は怪我をする前と比べてもなんら変わりはない。ただ頭に痛々しい白い包帯を巻いてはいるが。
「ソフィア……?」
「あら!あなた、さっきの人よね?ごめんなさい、よくわからないんだけど、どうやら記憶を失ったようなの」
ソフィアはぱっと明るい笑顔でそう言い放ち、ハーマイオニーは自分の知るソフィアとの乖離に目の奥が再び熱くなっていた。
「グレンジャー。見ての通りソフィアには記憶が無い。本人の話を聞いたところ9歳の誕生日を迎えたばかりのようであり、ホグワーツでの自分の立ち位置、そして世界の情勢など全てを忘れている」
「…っ……そう、ですか…」
ハーマイオニーは先ほど、ソフィアが自分を覚えていなかったことから最悪の事態を覚悟していた。ソフィアが人物に対する記憶を忘れたのではなく、丸々7年分の記憶を忘れている──何よりも避けたい最悪の事態に、ハーマイオニーはローブの下で拳を握る。
「イースター休暇を迎えるまで。それまでに改善する見込みがなければソフィアは休学処分となる。このままOLW試験を受けることは出来ない。来年度からは──また、一年生からやり直す事となるかもしれん」
「そんな……!なんとか、ならないんですか?」
「ホグワーツで過ごす事により、記憶が刺激され戻る可能性に賭けるしかあるまい」
セブルスの苦い表情を見たハーマイオニーは、彼がこんな表情をするぐらいなのだ、きっともう考えられる事は全て試したのだろうと悲痛な目でソフィアを見つめる。
「ソフィア…私は、ハーマイオニー・グレンジャー…あなたの友達──親友、なの」
「まぁ!私はソフィア・スネ──じゃなくて、ソフィア・プリンス!私の親友だなんて、
ソフィアは無邪気に言ったが、その言葉はナイフのようにハーマイオニーの胸を突き刺した。
「真に遺憾だが……ソフィアはこの状態だ。誰かの手を借りなければ日々を過ごす事すら、今のホグワーツでは苦労し余計な問題を引き起こすだろう。くれぐれも離れず、注意して見たまえ」
「はい…わかりました……」
「まぁ!私はもうそんなに心配されるほどの子どもじゃないわ!」
ソフィアは心外だと頬を膨らませる。セブルスから今ホグワーツではアンブリッジという魔法省からの人間が来ていて生徒と教師の自由を奪っているとは聞いていたが、そもそもホグワーツの教師がどのようなものかわからないソフィアは深く考えていなかった。
セブルスはぷりぷりと怒るソフィアを見て、僅かに悩む。
ソフィアが記憶を思い出す。それはきっと良いことだろう。しかし──今のソフィアは母と兄の事を忘れている。昔の無邪気なソフィアのままだ。
本来ならばソフィアに伝えるべきだろう家族のことを、セブルスは伝えることができなかった。今のソフィアは、きっと家族に何があったのか、誰を忘れているのかすらも、覚えていないのだ。
「……、…ソフィア、無理はしないように」
「はぁい父様──じゃなくて、スネイプ先生!」
ソフィアはベッドから立ち上がると甘えるようにセブルスに抱きつき満面の笑みを浮かべる。過去と同じ様に無邪気に甘えるソフィアを見て、セブルスとハーマイオニーは複雑な気持ちになっていた。
ソフィアはハーマイオニーと共にホグワーツの廊下を歩く。物珍しそうにキョロキョロと辺りを見渡し、目を輝かせ「ここはなんの部屋?」と聞くソフィアに、ハーマイオニーは一つ一つ丁寧に教え、必要ならば足を止め空き教室を見せた。少しでもソフィアに引っかかるものがあるのならその刺激により記憶が戻るかもしれない。ハーマイオニーはそれに縋る他無かったのだ。
「へぇ、ホグワーツって意外と空き教室が多いのね」
「ええ、そうね。きっと生徒の数に比べて先生は少ないから…」
ハーマイオニーはソフィアに話しかけながら、ふと足を止め校庭でくつろぐ下級生を見た。──休み時間にはよくソフィアとハリーとロンと私でここに居た。ここは夏になれば木陰が心地よくて、読書には最適だった。そんな何気ない記憶も、ソフィアは忘れてしまったのか。
物思いに耽っていたハーマイオニーはまた目の前がぼやけてきてしまい、ぐっと唇を噛み締め目元を乱暴に拭くと、自分を置いて先に行ってしまったソフィアの背中を見た。記憶を失っていたとしても、その時の思い出や感情が無かったとしても。ソフィアは私の唯一の親友。それに変わりはないわ。
何故か幼く見えるソフィアの後ろ姿を──子どもっぽく楽しげに跳ねるように歩いているからかもしれない──歩いていたハーマイオニーは、僅かな違和感に首を傾げると、はっと息を飲み、慌ててソフィアを追いかけ勢いよく肩を掴んだ。
「わっ!──ど、どうしたのハーマイオニー?」
「ねえ、どうして
真剣なハーマイオニーの声に、ソフィアはきょとんとしたまま首を傾げる。
「スネイプ先生から、グリフィンドール塔までの道を聞いたの?」
「え?ううん、聞いてないわ。──なんでって、わからないわ、何も考えてなかったもの」
ソフィアは肩をすくめ「それがどうしたの?」と聞いたが、ハーマイオニーは真剣な目でソフィアを見つめ──胸の奥から沸き起こる歓喜に打ち震えた。
ソフィアは無意識の内にグリフィンドール塔へ向かっていた。ここで過ごした記憶はないはずだが、足が勝手に進んでいたのだ。おそらく、これは体の記憶とでも言うのだろう。──記憶は失われていても、体に染み付いた動きは消えていない。ソフィアは5年間、休暇以外のほぼ毎日何度もこの道を通り、それは体に刻み込まれているのだ。──いや、むしろ、覚えていないだけで、完璧に全てを忘れたわけではないのかもしれない。
──これは、良い傾向だわ。記憶を失っていても、体がそれを覚えている。きっと、戻るわ。なら、なるべくいつも通り過ごさせないと駄目ね。
「──ううん、何でもないわ。迷子にならないでね」
「勿論よ!迷子になるほど、私は子どもじゃないわ!」
ソフィアはそう言ったが、頬を膨らませる動作はどう見ても見た目にそぐわない幼稚さであり、ハーマイオニーは「そういえば1年生の時はよくそうしてたわね」と懐かしいような、悲しいような複雑な心境だった。