ドラコは石床に転がった。
体が硬直し動かせず、声の一つも出ない。ただ目だけは閉じる事を忘れ呆然と虚空を見つめていた。
ドラコだけではない、ハリーもまた、何が起こったかわからなかった。ドラコがヴォルデモートに言われ、苦しみながらその任務についていた事は理解できた、家族が人質に取られていたのだろう。
ダンブルドアがドラコの家族を匿い護ると言った、それも理解ができる。しかし──何故、ルイスがドラコを攻撃したのか、わからなかった。
ルイスはドラコの体を掴み部屋の端まで──偶然にも、それはハリーの直ぐそばだった──引っ張ると、ポケットから銀色の絹のようなマントを取り出しドラコにかける。
「透明マントじゃな?」
「ええ、市販のものなので何度も使うことは出来ませんが。……今夜くらいは大丈夫でしょう」
ルイスとダンブルドアは互いをじっと見つめたまま暫く動く事はなかった。
「ドラコ。僕の声は聞こえているよね。硬直が解除されたら、直ぐにソフィアの──騎士団の元に向かうんだ。何があったのか、何故そうしなければならなかったのかを全て話して、向こうが聞く耳を持たなかったら真実薬を飲むんだ。それで、懺悔して、護ってもらって。そうすれば僕たちの護りたい者の命は護られる。辛い事を言われても、ただ心から説明して」
ルイスはドラコがいる辺りを振り返り、低く優しい声で伝えた。ハリーは何故ルイスがそんな事を言うのかわからなかった。
──ダンブルドアはマルフォイを許して、その家族を護ると言った。そしてマルフォイは戦意を喪失し、それを受け入れたように見えた。いや、謝罪で済む問題ではないと思うけど……でも、わざわざマルフォイが言わずとも、ダンブルドアが言えばいい、何故ルイスは、まるでダンブルドアが居なくなる事が決まってるかのように言うんだ。
ダンブルドアの表情はひどく疲れ、顔色は悪かったが──満足感と安堵が浮かんでいた。
「……さて、ルイス。君の選択肢を聞こうかのう」
「はい。僕は──護りたい者を護るために、あなたを殺します、ダンブルドア先生」
ルイスはダンブルドアを見据え、心臓のあたりに杖を向けた。
ハリーとドラコは全く動けなかった、魔法により心臓すらも激しく脈打つ事はない。ただ、ルイスの冷たい声に一気に血の気が引いたのは確かだった。
「そうじゃの、君が護りたい者達が助かるにはそうするしかあるまい」
「……ダンブルドア先生、これだけは知っていてください。僕たちは本当に──あなたを殺したいわけじゃなかった。破れぬ誓いがされる前までは、あなたに全てを告げて助けてもらおうとしていた。でも……それをするには遅すぎたんです。心を決めてからも、いつも罪の意識に苛まれていた」
「おお、わかっておるとも。ドラコだけではない、君は誰よりも優しい子じゃ。全てを護ろうと無我夢中じゃった。しかし……殺人により君の魂を穢す事はあってはならぬ」
ダンブルドアの労わるような微笑みに、ルイスはぐっと奥歯を噛み締め動揺を押し殺した。わかっている、心に決めた事だ。
──人を殺すなんて恐ろしい事だ、だけど、たとえ魂を穢しても護りたいと思った。それなのに、どれだけ覚悟をしても心が震えてしまう。
「ダンブルドア先生、破れぬ誓いは、あなたの力を持っても破棄する事が出来ないんですよね?」
「……その通りじゃ」
ルイスは一縷の望みをかけて聞いたが、ダンブルドアは悲しげに否定する。わかってはいた、どれだけ文献を探しても無かったのだ。偉大な魔法使いであるダンブルドアならばと思ったが、やはり一度結ばれた強い魔法契約を破棄する術はない。
ならば、救える命は一つしかないのだ──ダンブルドアか、
「なら、ずっと、わかっていたんですよね?僕が、僕の助けたい人を護るためには、あなたを殺すしか道は残されていないと。僕がやらないと、家族を護れない。ナルシッサさんは僕らの秘密を知っている。それがあるかぎり──」
「わかっておった。君とソフィアの歩む道が別れた日から、こうなるだろう事はわかっておった。──しかし、言ったであろうルイス、この老いぼれの短い命など君が魂を穢す価値はない。この命は、決められた者が十全の時に連れて行く、そう決まっているのじゃ」
諭すようにダンブルドアは静かに告げる。
ルイスは息を呑み──そして、震える声で囁いた。
「ああ──やっぱり、そうか──あなたは、いつから──いや、でも、それをすると父様は──」
「心配には及ばんよルイス。ドラコの母君にとってソフィアとルイスの秘密が紛れもない武器であるように、わしにとっても──騎士団にとっても君たちの秘密は互いを結ぶ唯一の鎖なのじゃ。わしは、ドラコが真にこちらの手に渡る時を待っておったのじゃよ」
「──なら、大丈夫ですね」
続けられたダンブルドアの言葉に、ルイスは安心したように微笑み、ドラコがいる辺りを振り返る。
きっと、混乱しているだろう。何が起こったのか、今、僕が何を言っているのかもわからないかもしない。今はそれでも良い、君がこちら側につく事が、僕らが生き延びるただ一つの道なんだ。
「……ドラコ、僕たちが助かるには、君があの人の元に行き、
ルイスが悲しそうにそう呟いた途端、階段を踏み鳴らし駆け上がってくる音が聞こえた。ルイスは表情を強張らせると素早くポケットのローブに手を突っ込み小瓶を取り出し、息も付かぬ間にそれを飲み込む。
ぶるり、とルイスの体が大きく震えた後、そこに立つのはドラコ・マルフォイその人だった。
「ルイス、君は辛くとも、正しい道を選んだ」
ダンブルドアは小さく呟き慈愛に満ちた微笑みを見せる。顔色は悪かったが、目はいつものようにキラキラと不思議な輝きを持っていた。
扉が荒々しい音と共に開かれた次の瞬間、ドラコ──ルイスは屋上に躍り出た黒いローブの3人に押し退けられた。3人の死喰い人はダンブルドアを包囲しながら勝利を確信し咆哮をあげる。
「ダンブルドアを追い詰めたぞ!ダンブルドアには杖がない、よくやったドラコ!」
ずんぐりとした男が奇妙に引き攣った笑いを浮かべながら、部屋の端に追いやられたルイスを血走った目で見る。ルイスは、ふっと視線を足下に向けた。
「こんばんは、アミカス。それにアレクトもお連れくださったようじゃな……ようおいでくだされた……」
現れた死喰い人の内2人は兄妹であり、その凶悪性をよく知られている恐ろしき死喰い人だった。
彼らに追い詰められてもなお、ダンブルドアは茶会に客を迎えるように落ち着き穏やかだった。
「死の床で、冗談を言えば助かると思うのか?」
「冗談とな?いやいや、礼儀というものじゃ」
「殺せ、ドラコ」
アミカスと呼ばれた死喰い人が
「駄目だ。我々は命令を受けている。ドラコがやらなければならない。さあ、急げドラコ」
しかしアミカスの一歩を3人目の死喰い人が防ぎ、ルイスに強く促す。しかし、ルイスは俯き震えながら、その口を強く紡ぎ目を逸らした。
その時、階下から爆発音が響く、目に見えて死喰い人達は狼狽え、苛立ち口先から泡を飛ばしながらルイスに早く殺せと叫んだ。
「ドラコ、さあ早く!」
「殺るんだよ、ドラコ。さもなきゃ代わりに誰かが──」
アレクトが甲高い声で叫んだ。こんなチャンスはもう二度とない。今すぐに殺したい、だが、彼女たち死喰い人にとってヴォルデモートの命令は絶対だ。破る事はできない──破ればどうなるか、わかりきっているのだから。
ちょうどその時、屋上への扉がぱっと開きセブルスが杖を構えて現れた。一瞬身構えた死喰い人達は、セブルスを見て直ぐに警戒を解く。
セブルスは暗い目で素早く辺りを見回し、防壁に力なく寄りかかっているダンブルドアと、3人の死喰い人、そして
「スネイプ、困ったことになった。この坊主はできそうにもない──」
アミカスが杖と目でしっかりとダンブルドアを捉えたまま言った。アミカスやアレクトはヴォルデモート卿の命令に背いて自分が殺す事など、恐ろしくてできない。しかし、他の死喰い人とは異なりヴォルデモートからの一定の信用を得ているセブルスならばそれが許されるのではないか、と期待した。
その時、他の誰かの声が──力のない掠れた声が、嗄れたアミカスの声の裏でセブルスの名をひっそりと呼んだ。
「セブルス──」
その声は、今夜の様々な出来事の中でも一番ハリーを怯えさせた。はじめてダンブルドアが懇願したのだ。
セブルスは無言で進み出て、荒々しくルイスを押し除ける。3人の死喰い人は一言も言わず、あまりのセブルスの形相に怖気付き、後退した。
セブルスは一瞬、ダンブルドアを見つめた。その険しい顔の皺には筆舌尽くし難い怒りが刻まれていた。
「セブルス……頼む……」
ダンブルドアの哀願が虚しく響いた。
セブルスは杖を持ち上げ、まっすぐにダンブルドアを狙う。
ルイスはセブルスの後ろで、ただダンブルドアの言葉を思い出しながら悲痛な表情でそれを眺めていた。──決められた人が、十全の時に連れて行く。
「アバダ ケダブラ!」
緑の閃光がセブルスの杖先から迸り、狙い違わずダンブルドアの胸を射抜いた。
ハリーの叫びは声にならなかった。沈黙し、動くこともできず、ハリーはダンブルドアが空中に吹き飛ばされるのを見ているほかなかった。
ドラコもまた、自分と同じ姿をしているルイスが何をする気なのかわかり、必死に魔法に抗おうとしたが瞼一つ動かす事ができなかった。
ほんのわずかな間、ダンブルドアは光る髑髏の下に浮いているように見えたが、ゆっくりと仰向けのまま、大きな軟い人形のように屋上の防壁の向こう側に落ちて見えなくなった。
すぐに死喰い人達が城壁に駆け寄り、下を覗き込む。そして歓喜の雄叫びを上げ、杖から意味もなく破裂音を出し、ダンブルドアの死を祝った。
「ここから出るのだ、早く」
セブルスは
アミカスとアレクトが興奮に息を弾ませながらその後に続いた時、ハリーはもう自分の体が動かせる事に気づいた。
「
透明マントをかなぐり捨てたハリーは扉から出ようとしていた3人目の死喰い人に向かって魔法を放つ。その死喰い人は蝋人形のように硬直し、背中を硬い物で打たれたかのようにばったりと倒れた。
ハリーはその死喰い人が倒れきる前に跨ぎ暗い階段を駆け降りていた。
──どうする?どうすればいい?何がどうなっている?ルイスとダンブルドアの会話、あれはどういう意味だ?何故、ルイスはマルフォイの姿で、マルフォイの代わりになったんだ?スネイプ、あいつ、やっぱり裏切り者だったのか?信じようとしていたのに!それなのに、懇願するダンブルドアを、殺した!ルイス、ルイスが危ない!
ハリーは螺旋階段の最後の十段を一気に飛び降り、杖を構えてその場に立ち止まった。薄暗い廊下はもうもうとした砂埃が舞い視界が悪い。天井が半分は落ち、霞のような砂埃の奥で何人かが戦っているのが見える。絶えず魔法の閃光が走り、何かが破壊する音、そして叫び声が聞こえた。
誰と誰が戦っているのか見極めようとした時、遠くから「終わった、行くぞ!」とセブルスの叫び声が聞こえた。きっとこの場から逃げ出すつもりなのだ、たくさんの死喰い人を連れて。彼らの目的はダンブルドアの暗殺であり、それは達成されてしまったのだから。