ハリーはなんとか生きてトンクスの実家へ辿り着く事ができた。
無事ではない。死喰い人やヴォルデモートに襲われたのだ。何より魔法界を知り、初めてその繋がりを感じることが出来たヘドウィグが死んでしまった──その死体も持って帰る事ができなかった。
身体中に怪我がありひどく痛んだが、それ以上に心が捩れ切れるほどに痛かった。
看病してくれたトンクスの父のテッドと、母のアンドロメダに礼と、必ずトンクスから連絡するように約束すると言いながら同じく怪我だらけのハグリッドと共にポートキーに触れて隠れ穴の裏庭へ移動した。
ポートキーであるヘアブラシを放り投げ、よろめきながら立ち上がれば勝手口から階段を駆け降り、モリーとジニーが飛び出してくるのが見えた。
「ハリー?あなたが本物ね?ああ、良かった!」
「他のみんなは──他には誰も戻ってないの?」
ハリーが掠れ声で聞けば、モリーは青い顔のまま頷く。ハリーは何があったのかを説明した。
「死喰い人達が待ち伏せしてたんだ。飛び出すとすぐに囲まれた──奴らは今夜だって事を知っていたんだ。他のみんながどうなったか、僕にはわからない。僕らは4人に追跡されて、逃げるので精一杯だった。それからヴォルデモートが僕たちに追いついて──」
「ええ、大丈夫。
モリーはハリーを抱きしめ、今にも泣きそうな声で言う。ハリーはそうしてもらう価値がない、自分のせいでモリーの子ども達は命の危機に遭っているのだ、髪なんてあげなければ良かった。そう思い苦しくなっていたが、ふと、モリーの言葉に引っ掛かりを覚えた。
「おばさん。わかっていたって──?」
「それは──後で説明があるわ。でもね、今は私からはできないの」
「モリー、ブランデーはねえかな?気つけ薬用だが、え?」
ハグリッドが頭を押さえ振りながら言い、モリーはパッと弾かれたようにハリーから離れると曲がりくねった家に走って戻った。魔法を使えば引き寄せる事はできるはずだが、そうしないのはきっと何か話せない事を隠すためだろう。
ハリーはモリーの言葉が気にはなったが、何かを深く考える余裕はなくその場にしゃがみ込んだ。
「ロンとトンクスが一番に戻ってくるはずだったけど、ポートキーの時間に間に合わなかったの。キーだけが戻ってきたわ」
ジニーはそばに転がっている錆びた油差しを恨みのこもった目で睨みながら呟く。ハリーは僅かに顔を上げ、ジニーの蒼白な横顔を見た。
「それから、あれはパパとフレッドのキーのはずだったの。2番目に着く予定だった。あなたが3番目で、間に合えばジョージとルーピンが後1分ほど、ソフィアとシリウスは3分ほどで戻る予定よ」
ジニーは腕時計を見ながら呟く。どうか戻ってきて欲しいと言う願いが込めれた低い声に、ハリーは胃の奥がシクシクと痛んだ。もし、誰かが死んでしまったら──それは僕のせいだ。
モリーがブランデーの瓶を抱えて再び現れ、ハグリッドに手渡した。ハグリッドが栓を開け一気に飲み干した時、暗闇に青い光がパッと現れた。
「ママ!」
ジニーが期待を込めて叫ぶ。
その光はだんだん大きく、明るくなり、リーマスとジョージが独楽のように回りながら現れその場に倒れ込んだ。
すぐにジニーとハリーとモリーが駆け寄り──そして、一眼見た途端息を飲み、モリーは悲鳴を上げた。
リーマスの顔が血で赤く染まっている。すぐに起き上がったリーマスはぐったりとしたジョージを支えているが、重さからうまく立つことが出来ないようだった。ハリーは痛みや疲れを忘れてジョージの両足を抱え上げ、リーマスと共にジョージを家の中に運び込む。
居間のソファに寝かせ、ランプの光がジョージの頭を照らし出すとジニーとモリーはぐっと表情を険しくさせすぐに清潔なタオルを引き寄せた。
「ああっ!み、耳がっ……!」
「ママ、薬!薬、どこ!?」
ジョージは頬から頭の横にかけて切り裂かれ、耳はなんとか皮一枚で繋がっているが殆ど取れかけていた。
狼狽するモリーに変わりジニーが薬の場所を聞き、モリーは唇を震わせながら「キッチンの、戸棚」と呟く。すぐにジニーは立ち上がり、側で立ちすくんでいたハリーを押し退けキッチンへと走った。
モリーはとりあえず出血死を防がなければならないと判断し、震える手で近くのチェストの引き出しを開け中から赤黒い薬が入った小瓶を取り出した。
「ジョージ、飲みなさい、早く!」
「う……」
意識を朦朧とさせながらジョージは増血薬を飲む。途端に耳から更に血が溢れたがそれでも顔色は僅かに赤みが戻った。
「──モリー!薬を持ってきてくれ!」
彼らが胸を撫で下ろしたその時、扉が開かれたのと同時にシリウスの叫び声が居間に飛び込んだ。
モリーとリーマスとハリーが弾かれたようにそちらを見た時、ハリーはぐらりと世界が揺れたのではないかと思った。
シリウスに支えられているのはポリジュース薬の効果が切れ、元の姿に戻ったソフィアであり、ジョージと同じくぐったりとして顔は青白い。苦悶の表情を浮かべ目は閉じられていた。
シリウスは同じようにジョージが血塗れであることに驚く事はない、目の前で切り裂かれたのを目撃していたからだ。それでも想像以上の出血に、低く唸り声を上げ部屋の中をさっと見回す。
「ハリー!無事だったか、良かった!」
「ソフィア……!」
シリウスはハリーの無事を確認しほっと安堵の息を吐いたが、ハリーはシリウスに構う余裕はなくよろめきながら立ち上がり、シリウスの反対側に駆け寄り、そのズタズタになった背中を見た。
焼けこげたような服と、その下の肌は赤黒く止めなく血が流れている。ハリーはあまりの怪我に喉の奥で悲鳴を上げた。
「血、こんな、怪我──」
「ハリー……良かった、無事で……」
ソフィアは苦しそうに眉を寄せながらうっすらと目を開き、弱々しく微笑む。その微笑みに、ハリーは目の奥が熱くなるのを感じた。自分のことなんてどうでもいい、ソフィアがもし、この怪我が原因で──死んでしまったら、一生後悔する、いや、耐えられない。ヴォルデモートを倒せたとしても、その世界にソフィアが居なければ意味がないんだ。
「私は、大丈夫。ジョージの、ところへ……連れて行って……」
「っ、先に治療を──」
「早く、──お願い」
ソフィアの強い哀願に、ハリーはぐっと唇を噛み締めるとなるべく傷口に触れないようにシリウスと共にソフィアを運んだ。
リーマスもまたソフィアのただならぬ様子に険しい表情をし、すぐに部屋中の明かりをつける。
ソフィアが変装のために着ていた灰色のパーカーは、背中の部分が焼けこげ、無事なところもほとんど赤黒く濡れていた。
ソフィアはジョージの頭のそばに膝をつくと、倒れそうになる体をハリーとシリウスに支えられながら重い腕を上げ杖先を血が流れ出る耳へ近づけた。
「……
低く歌うように魔法を唱え、杖先で傷口を撫でるように動かす、初めて聞く魔法にモリー達は怪訝な顔をしたが、ハリーはその魔法を知っている。それは、セブルスとルイスが、胸に大怪我を負ったドラコを治療した魔法だった。
「血が……怪我が、治っていくわ!」
モリーが泣きそうな歓声を上げる。
数回呪文を唱えた後、ジョージの顔や首についていた赤黒い血は傷口に吸い込まれるように戻り、耳も元通りくっついた。薄く皮膚が盛り上がり完全に完治する事は叶わなかったが、それでも耳を失う事は無かった。
「う──なんだ……?」
「ジョージ!」
呻き声を上げ、眩しそうに目を瞬かせたジョージに、モリーはわっと泣きながら覆い被さり首元に抱きついた。出血のあまり半分気絶していたジョージは、先ほどまで耳に感じていた燃えるような激痛がなくなり、不思議そうに自分の左耳に触れた。くっついてはいるが、ボコボコと皮膚が隆起しやや歪になってしまったようだ。
「ソフィアが治してくれたのよ!あんな魔法、はじめて聞いたわ」
「本当かい?まさに
ジョージは自分の耳が黒い穴のように抉れていた事を知っている。流れる血を手で抑えていたとき、感触でわかったのだ。それを絡ませていつものように茶目っ気たっぷりのジョークを言おうと思ったがソフィアの方を見て言葉を無くした。
ソフィアはかすかに微笑んでいたが眉が寄り顔色が蒼白であり、カタカタとちいさく震えているのに額からは汗を流している。
「ソフィア?」
「ジョージ、動けるなら場所を変わってくれ!ソフィアも重傷なんだ!」
ハリーは早口で怒鳴るように叫ぶ。すぐにジョージと彼に覆い被さっていたモリーがその場から飛び退き、ハリーは素早くソフィアを抱えソファの上にうつ伏せに寝かせた。
「ママ、薬持ってきた!──ソフィア!?」
ジニーは先ほどまで血を流していたジョージが立ち上がり、代わりにソフィアが蒼白な顔で寝転がっているのを見て困惑したもののすぐに側に駆け寄った。
シリウスは無言でソフィアのパーカーをぐいっと上に引き上げ無理やり脱がした。ソフィアの羞恥心など考えている暇がない。この血の量は一刻を争うと、シリウスとリーマスは理解していた。
ソフィアは背を曲げ苦しそうに喘いだ。
ソフィアの白い華奢な背中は焦げ、真っ赤に染まり、てらてらとした血液が流れ続けている。ただの火傷ではないのか、黒い泡がぶくぶくと弾けていた。
見た事もない傷の大きさと深さに、ハリーは目の前の世界がぐらりと回り強い吐き気を催した。
「ソフィア、さっきの魔法は自分には使えないのか?」
「……、背中、届かな……」
シリウスの問いかけにソフィアは息も絶え絶えに囁く。あの治癒魔法は、杖先で傷口を丁寧になぞらなければならない。血液も、元に戻すのならば掬うように動かさねばならず、手の届かない自身の背中を治癒するのは不可能だった。
その言葉を聞き終わる前にリーマスは杖をソフィアの背に向け軽く振り一面に付着していた血液や傷口についていた服の繊維を消し清めた後、ジニーから薬を受け取り、強い刺激臭のある軟膏を傷口に塗りたくった。
ハリーは何も考えられずそれをぼんやりと見ながら、あれはビルの顔の怪我に塗られていた薬だと気付く。
すぐにモリーは杖を振り新品の包帯とガーゼを引き寄せシリウスに手渡し、いつの間にか居間を出ていたジニーは階段を三段飛ばしで駆け下りてきた。ジニーはソフィアのために彼女が着ることが出来そうな服を取りに行ったのだ。ぎゅっと服を持つ手に力が籠る。大人達は険しい表情をしてソフィアを治療しているが、ここにマダム・ポンフリーのような治療のエキスパートはいなければ、備蓄している魔法薬にも限りがあるのだ。
ビルが怪我をした時にマダム・ポンフリーが処方した薬はかなり強力なものであったが、完全に治癒することは出来ず傷口からは絶えず血が流れ出る。
シリウスは舌打ちをすると傷を隠すように軟膏をべっとりと塗り、清潔なガーゼを被せ、強く手で圧迫する。治療されている間もソフィアは弛緩したまま動く事はなかった。
「っ、大丈夫だよね?」
白いガーゼがじわじわと赤く染まっていくのを見てハリーは呟いた。
魔法薬はどんな傷もたちまち治してくれる。きっともう大丈夫だ、大丈夫なはず。血もすぐに止まるに決まっている。そう思ったがシリウスは傷口を強く圧迫したまま動くことはなく、リーマスとモリーは険しく苦痛に耐えるような表情をしたままソフィアを見下ろしていた。
嫌な予感にハリーはからからに乾いた喉のチクリとした痛みを感じながら口を開いた。
「ソフィアは大丈夫なんだよね?」
「それは……」
「モリー、増血薬はさっきので最後か?」
「っ……ええ、薬のほとんどは、トンクスの実家にあるわ。あとはリュックの中に入れたわ……」
「ソフィアが持っていたリュックは、この魔法を受けた時に無くなってしまった」
「……ジョージのは、ここに来る前に使ってしまったんだ」
ある程度の治療薬や包帯はそれぞれが持っていたが、十分な治療が出来るとは言えない。
彼らにとって最も優先すべきはハリーであり、危険な目に遭う彼のために数種類の魔法薬をトンクスの実家に置いたのだ。
「そうか……」
シリウスは沈痛な表情で黙り込み、リーマスは何か方法はないかとソファの前を行ったり来たりした。ジニーは目にいっぱいの涙を溜め、ソフィアの白い手を握る。
ハリーはざわりと、奇妙な感覚がした。
今の雰囲気は、なんだか、ソフィアが死んでしまうような──そんな雰囲気だ。
馬鹿馬鹿しいとハリーは頭の中に浮かんだ妄想を振り払い、引き攣ったように笑いながらシリウスの服を引っ張り、もう一度「ソフィアは、大丈夫だよね?」と聞いた。その声は自分でも情けないほど震えていたが、モリーの啜り泣きに消されてしまったかもしれない。
シリウスはソフィアを見下ろしたまま、ぐっと拳を握る。
「モリー、交代してくれ」
「え、ええ。わかったわ」
「俺はトンクスの実家に行く。予備の薬があるかもしれない」
「──駄目だ!危険すぎる!」
踵を返して足早に玄関へと向かったシリウスの手を取り、リーマスが止めた。だがシリウスはその手を振り払い「ここでソフィアが死ぬのを待てというのか!?」と叫んだ。
守ると約束したのだ、シリウスにとって、ソフィアはただのハリーの友人ではない。ハリーにとって大切な存在であり、またソフィアの優しさにシリウスは何度も心を救われている。
「数人の死喰い人なら大丈夫だ」
「トンクスの実家の上空には……ヴォルデモートがいる、僕が本物だって、気づいて急に、現れたんだ……きっと、今も空で保護呪文を破ろうとしているはず……」
「やはり、バレていたのか……くそっ!」
ハリーが呆然としながら呟き、シリウスは苛立ち粗暴な舌打ちをしながら頭を強く掻く。何か策はないか。誰か造血薬と有効な薬を持っている者が戻るまで待つ他ないのか、それまで、ソフィアの命は続くだろうか。
「そんな、なら──」
ハリーは今までたくさんの困難を乗り越えてきた。その中でもガラガラと足元が崩れていくかのような強い絶望を感じたのはこれが初めてだっただろう。
一瞬、悲痛な重い沈黙が落ちる。ソフィアの今にも止まりそうな荒く短い呼吸だけが居間の中に響いた。
その時、唐突に何かが走り寄る音が聞こえた。扉近くにいたシリウスとリーマスはすぐにポケットから杖を出す。窓の外にはポートキーの青い光は見えていない、それに、セストラルの蹄の音でもない。それは紛れもなく1人の人間が走り寄る足音だった。
「──ソフィア!!」
扉が破壊されたのではないかと思うほどの勢いで開き、飛び込んできたのは黒いローブを着た──死喰い人のローブだ──人であり、それは紛れもなく蒼白な顔をしたセブルスだった。
ハリーは硬直し突然現れたセブルスを見る。天文台の塔で別れてから、彼を見たのは初めてだった。彼がソフィアの父親であり裏切り者ではないと理解はしたが、何の心の準備も出来ていなかった。
しかし、セブルスの目には驚愕の表情をしたハリー達の様子は全く入らない。
「お前──」
「セブルス?どうして──」
「邪魔だ退け!」
セブルスは唖然とするリーマスとシリウスを押し退け、動かないソフィアの元に駆け寄る。一瞬、彼女を見下ろして大きく目を見開き唇を震わせたがすぐにその場に跪きモリーの腕を掴んだ。
「離せ」
「でも──ええ、わかったわ」
モリーは真っ赤に濡れた手を離した。
セブルスはその血の多さに眉間の皺を深く刻み、ガーゼを剥ぐ。軟膏を塗っても治癒する事のない怪我。間違いなくただの爆破魔法ではなく、強い呪いがかけられている。
セブルスはすぐにローブの内から小瓶を出し、栓を抜いた。杖を出し、低い声で魔法を呟きながらソフィアの傷口に銀色の液体を振りかける。
すると、黒く泡立っていた皮膚はじゅうじゅうと音を立て白い煙と悪臭を放った。──しかしそれも数秒で収まり、煙が晴れた頃にはソフィアの傷は一見するとただ皮膚が抉れただけのように戻る。セブルスはソフィアの顔を見てまだ意識が戻っていない事を知ると舌打ちを零し、今度は別の薬を振りかけた。
赤く生々しい傷はみるみるうちに薄い桃色の皮膚が盛り上がる。ぴたり、と傷口が塞がった後、セブルスはローテーブルの上に置かれていた薬を手に取り、それが昔、自分自身が調合したものだとわかると使用しても問題がない判断した上で慎重に新しい皮膚の上に乗せていく。
「ガーゼを」
「え、ええ」
モリーが手渡せば、セブルスはそちらを見る事なくソフィアの皮膚に優しくガーゼを乗せ丁寧な手つきでテープで固定する。
「ス、スネイプ先生。ソフィアは──」
ハリーはよろめきながらセブルスの隣に立ち、ソフィアを見下ろした。白いガーゼに隠されもう傷の凄惨さは見ることができないが、ソフィアの顔色は酷く悪いままだ。
セブルスはハリーの言葉には応えず、増血薬が入った瓶を取り出し、ソフィアを抱き起こし薄く開いた口に瓶を押し付け傾ける。
しかし、ソフィアはそれを飲む事なく口から溢れ顎を伝い流れた。
「意識が……」
セブルスが掠れた声に絶望を含ませ呟く。
意識を失っているソフィアはうまく薬を飲むことができなかった。意識が完全に無い人間に、薬を飲ませる事は難しいだろう。
小瓶を持つセブルスの手が小さく震える。「ソフィア、駄目だ」と喘ぐように呟き、杖を振り必死に蘇生魔法を放つが、ソフィアは魔法で気絶しているわけではなくその効果は得られない。
「ソフィア、お前まで、失うのは──」
「薬を!」
ハリーは無我夢中で叫び、セブルスから無理矢理薬の入った小瓶を奪い取る。セブルスは抵抗する余力も無いのか、その手を離した。彼の脳裏を横切るのは、何よりも辛い──過去に最愛の者を失った光景だ。
押しのけるようにハリーはセブルスに抱き抱えられているソフィアを奪う。セブルスはよろめき、「なにを、」と呟きどこか縋るような揺れる目でハリーを見た。
ハリーは残っていた薬を全て自分の口の中に含んだ。生臭い味がしたが飲み込む事はなく、ソフィアの顎を下げ昔テレビで見たドラマだか映画だかの真似をして気道を確保し、そのまま口を重ねた。──それを見た瞬間、セブルスは衝撃から息を止めた。
やり方が正しいのかはわからない。これでいいのかも。ただ口で薬が流れ落ちないように蓋をし、舌でねじ込む。
意識はなかったが、ソフィアは反射的に舌の根を押され流れてきた薬を飲み込んだ。
喉が嚥下し、ソフィアの白い顔に赤味が戻る。頬だけではなく指先までほのかに赤くなり、ソフィアは眉を寄せ喉の奥でうめいた。
自分の腕の中でソフィアの体が動いたのを確認したハリーは、ようやく口を離し必死にソフィアの肩を揺する。
「ソフィア!ソフィア、目を覚まして!」
「──っ、──げほっ!」
何度も咽せ、咳を溢しながらソフィアは目を開き何度か眩しそうに瞬きをした。数秒視線は定まっていなかったが、ハリーの目を見て目元を緩めた。
「ハリー……」
「ソフィア!ああ、良かったっ……!」
ハリーは強くソフィアを抱きしめたが、ソフィアが苦しげに呻いたのを聞いて慌てて体を離した。傷口は治癒していたが、きっと完璧に治ったわけではないのだろう。
心配そうに見つめるハリーに、ソフィアは「大丈夫」と小さく呟き、顔を上げて辺りを見回し──初めて側にセブルスが居ることに気付いた。
「と、父様?どうして──」
「ソフィア……傷は、痛まないか?」
セブルスは複雑な表情をしていたが、それでも声は優しかった。
ソフィアの命を救うために口移しで薬を飲ませたのは理解できる。あの時自分には考えつかない方法だった──しかし、ソフィアの口をしっかりと塞いだのはハリーであり、救命のためだとはいえ胸の奥からドロリとした憎しみと嫌悪が沸き起こったのだ。
それでも、あのポッターの判断がなければ──ソフィアは、目覚めなかったかもしれない。
怒鳴りつけることも、その腕の中からソフィアを奪い返す事もせず、セブルスはただソフィアに優しく問いかけただけだった。
「え?うーん、少し引き攣れる気がするけど……あ」
ソフィアは自分の体を見下ろし、殆ど上半身が裸であり下着もかろうじて引っかかっているだけだとわかると慌てて胸元を腕で交差し背中を丸めた。途端に背中が痛んだが、さすがに曝け出し続けるのは恥ずかしい。
「服……これ」
「ありがとう、ジニー」
ジニーからおずおずと手渡された服を受け取ったソフィアは背を丸めたまま素早く着込む。改めて心配そうに自分を見るハリー達を見て、ソフィアは不思議そうに首を傾げた。
「私……気絶していたの?」
「うん、その、かなり危険だったと思う」
ハリーの言葉にソフィアは心配をかけてしまった事の申し訳なさから眉を下げた。背中の傷は自身で治せるものではなかった、きっと誰かが薬を塗り、飲ませてくれたのだろう。
セブルスはソフィアが生き延びたことに心の底から安堵し、詰まったような息を吐く。脳に浮かんでいた嫌な想像を振り払うかのように小さく首を振り、静かに立ち上がった。
「薬を置いていく。3時間ごとに患部に塗るように」
「ええ……」
「セブルス、君は──来てはいけなかった。ヴォルデモートから怪しまれてしまえば全てが水の泡だ」
リーマスが硬い声ではっきりと伝える。セブルスはソフィアが怪我をした瞬間を見たのだろう。リーマスもまたソフィアの悲鳴を聞いていた。だが、それでもヴォルデモートを倒すという目的のためにはここに来るべきでは無かったのだ。──誰が亡くなってもおかしくは無い。そういう覚悟を、皆はしたはずだ。
セブルスは暗い瞳でリーマスを見据え、口先だけで冷たく笑った。
「帝王を殺す事は私の望みだ。──しかし、その世界にソフィアが居なければ意味がない」
低くつぶやかれた言葉は、ハリーの胸を貫いた。
同じことを思っていたのだ、ソフィアが死んだ後の世界に意味なんてない、と。──この人は、本当にソフィアの事を愛しているんだ。
「……わかってる。すまない。……薬をありがとう」
リーマスの言葉にセブルスは視線を向けるだけで何も言わず、足早に扉へと向かう。キングズリーやマンダンガスはセブルスが裏切り者では無いと知らないのだ。他の面々には姿を見せる事はできても──いや、本当ならば避けるべきだが──彼らに姿を曝け出す事はできない。
ヴォルデモートに知られないように隙を見計らいここに来たのはソフィアの怪我の治療のため。そして──。
セブルスは扉に手をかけながら僅かに振り向き、部屋の奥で場を見守っていたジョージを見た。
ジョージはまさか自分に視線が向けられているとは思わずキョロキョロと辺りを見回し、近くに誰もいないとわかると肩をすくめた。
「ウィーズリー、君はこの薬を使いたまえ。耳の傷痕も目立たなくなるだろう」
「へ?──あー──了解、先生」
セブルスは内ポケットから小瓶を出し、扉近くの戸棚に置く。いきなり話しかけられるとは思わず、気まずそうにジョージがへらりと笑ったがセブルスは無視して扉を開けた。
「父様!」
ソフィアはよろめきながら立ち上がり、セブルスの元へ駆け寄る。その黒いローブを掴むように抱きつき、彼の背中に額を押し付けた。
「父様、ごめんなさい。ありがとう」
「……お前はいつも、約束を守らぬ。だが、あの約束だけは──必ず守ってくれ」
セブルスはしっかりと振り返りソフィアを見下ろす。美しい緑色の目に自分の姿が映っていることに安堵しながら、セブルスは身を屈めソフィアの髪を優しく撫でた。
「ええ……」
ソフィアは頷き、背伸びをしてセブルスの頬にキスを落とす。セブルスは傷に触らないように片腕でソフィアを抱きしめ返すと、名残惜しそうに目を細め離れた。
フードを深く被り、セブルスは闇の中へと走り去る。
見送ったソフィアは、扉の枠にもたれかかりながら「どうか、ご無事で」と小さな声で祈った。