それからロンとトンクスが10分後に戻ってきたが、ビルとフラー、ムーディとマンダンガスは一向に姿を見せなかった。
誰もが──ソフィアでさえ──庭に出て暗い空を心配そうに見上げる。不安な気持ちは時間の経過ごとに大きくなり、少しの葉の擦れた音や遠くから獣の鳴き声が聞こえるたびに皆体をびくつかせていた。漠然とした恐怖と、嫌な考えが体と心を凍させるようだった。
しばらくしてキングズリーはマグル界の首相の警護に戻らなければならず、最後にもう一度空を隅々と見た後で隠れ穴の境界の外へ向かい、すぐに姿現しをして消えた。
全員が硬い表情で空を見上げる中、ハリーはふと、違和感に気づいた。
そういえば、誰も今回の作戦がヴォルデモートに知られていた件に関して聞こうとしない。まだ全員の安否が確認できるまでは話し出したくないのだろうか?
誰かが裏切ったからこそ、今夜ダーズリー家を脱出したということが漏れていたのだろう。そのことについて話し合わないままで良いのだろうか。
ハリーは自分の横に並ぶロンとハーマイオニーとソフィアの表情を盗み見た。彼らは一様に深刻な表情をして、空を見上げている。箒に乗ったムーディとマンダンガスか、セストラルに乗ったビルとフラーが現れはしないかとじっと睨むように見上げている。
そんな中、この疑問をぶつけるのはひどく心が無く場違いな気がして、ハリーは口を黙み彼らと同じように空を見上げた。
「あ──ああっ!帰ってきたわ!!」
上擦った歓声は、空を見ていたモリーから上がった。
空の星ほどの小さく動くものの存在に気付いた者は少なかっただろう。モリーが見つけ出すことができたのは、母親としての執念かもしれない──セストラルは高々と滑空し、ソフィア達の目の前に着地する。
その背には風に吹き晒されてはいたが大きな怪我のないビルとフラーが乗っており、無事を確認した途端ソフィア達は皆喜びの声をあげて駆け寄った。
「ビル、フラー!ああ、よかった!良かった……!」
モリーが涙ぐみながらビルに駆け寄り抱きしめたが、ビルはおざなりに軽く抱きしめただけで、深刻な──痛みに耐える表情でアーサーを見た。
「──マッドアイは死んだ可能性が高い」
誰も何も言わなかった。誰も、動けなかった。
「僕たちが目撃した。敵の囲みを受けた直後だった。マッドアイとダングがすぐそばにいて、北を目指していた。そこに、ヴォルデモートが現れて──ダングが動転して、正体を明かした。ハリーじゃないと。それで姿現しをして逃げ出した。──マッドアイは止めようとしていたけど……ヴォルデモートはすぐに姿を消した。その直後、死喰い人の呪いがマッドアイの顔にまともに当たって、それで──ジャックが、落ちたマッドアイを追いかけた。でも……僕たちは彼がどうなったのかわからなかった、何もできなかったんだ。何にも。僕たちも4人に追われていた──」
一気に話したビルは涙声になり、ぐっと言葉を詰まらせた。フラーは頬に残った涙の跡に、新たな涙を流しながらビルの腕に抱きつき肩口に顔を埋める。
「当然だ。君たちには何もできはしなかった」
「自分を責めるなよ。生きて帰れただけで……十分だ」
リーマスとシリウスは肩を震わせて泣くビルを慰めた。ビルは乱暴に目を擦り、赤くなった目元に決意の炎を宿らせる。
マッドアイは死んだ可能性が高い。それでも、僕たちは進まなければならない。──そう覚悟を決めたんだ。今更立ち止まる事は出来ない。
誰も口には出さなかったが、この庭で待ち続ける意味は無くなったのだと理解し、全員が無言で家の中へと戻る。
それぞれがソファや丸椅子に座り、しばらくは無言だったが──ついに、リーマスが切り出した。
「マンダンガスは、行方をくらました。もうここには戻ってこないだろう」
「あいつは……人より臆病だったからな。ヴォルデモートを見て怖気付いたんだろうな」
リーマスの言葉にシリウスが低く呟き、小さな舌打ちをこぼす。シリウスにとって、怖気付いた事や逃げ出し、勇気と覚悟のない行動をとる事は何よりも信じられなかった。
それにより、仲間が危険に晒される可能性があることに、なぜ気が付かないのだろうか?それほど自分の命が大切だったのか。
「……何で、ヴォルデモートは今日あの家から出るって知ってたんだろう」
ハリーはここ数時間の悩みをぽつりと漏らした。今ならば切り出してもおかしく無いと思ったのだ。裏切り者がいるとは考えたくは無いが、きっと誰かが外部にうっかり漏らしてしまったのかもしれない。それでも、その悪意のない行為──と、ハリーは信じたかった──によりジョージとソフィアは大怪我を負い、ムーディは生死不明なのだ。
ハリーの呟きに、誰もが一斉にハリーを驚いたような顔で見て、ちらりとそばにいる者同士で目配せをした。
「何──?」
想像もしなかった彼らの反応に、ハリーは訝しげな顔で首を傾げる。
シリウスとリーマスとアーサーは暫く口元を小さく動かし小声でボソボソと相談しあっていたが──ついに、シリウスが一歩踏み出し申し訳なさそうに眉を下げた。
「今回、死喰い人とヴォルデモートが来るだろうことはわかっていたんだ。予め、俺たちは魔法省に流した情報とは別に……スパイをしてるジャックを通して今日の日を伝えた」
「……え?」
「ジャックが完全にヴォルデモートから信頼を得るためにはそうするしかなかった。これは俺たち大人が全員で決めた事だ。日にちだけを伝え、作戦の内容……8人のポッターの事は伝えなかったからな、ある程度撹乱は出来るとわかっていた」
8人のハリー・ポッターの作戦は、あらかじめ騎士団員が話し合い、ジャックを──一部はスネイプもそうだと知っているが──通して、彼がヴォルデモートからの信用を得るために情報を流したのだ。
あの作戦に参加した者、ハリー以外はそのことを知り、空に死喰い人とヴォルデモートが待ち受けている可能性が高いことがわかっていた。
セブルスはリーマスとジョージを、ジャックはムーディとマンダンガスを追う事も手筈通りだったのだ。もし、万が一誰かの命が脅かされたならば、可能な限り助け出すと彼らは決めていた。ハリーとソフィアの元に向かわなかったのは苦渋の決断だった事は間違いない。
実際に助けられた、とは言えないが、それでもセブルスとジャックの行動は無駄ではなかっただろう。
今夜の作戦はハリーを無事に隠れ穴に連れて行く事と、セブルスとジャックが密偵としての地位を守るために行われた二重の意味を持つ作戦だった。
ハリーは初め、その言葉の意味が理解できず呆然としていたが、自分だけ知らされなかったことにカッと心の奥から憤怒と苛立ちが沸き起こり爆発し、叫んだ。
「な、何で僕に──そんな危険な事を黙っていたんだ!」
「言えば、君の髪を無理矢理抜くことになると思ってね。君を説得させる時間は無かったんだ」
シリウスは最後までハリーにも伝えるべきだと訴えていたが、ハリーの正義感を知っている者は、ハリーに伝えれば実際に死喰い人に襲われた時、ハリーが彼らを護るために自分が本物だと言ってしまう可能性があると判断した。──それを防ぐために、ハリーには奇襲であると思い込ませ混乱してもらうほかなく、言う事が出来なかったのだ。
「そんな──」
「すまない。本来ならば、君にも言うべきだった」
シリウスは心から苦しそうに呟き項垂れる。ハリーの怒りはもっともだ、彼は何よりも自身が中心にいるにもかかわらず、護られるために隠されるのを嫌う。──それはわかっていたが、それでも、ハリーの無事が何よりの最優先事項だった。
「言えば、君は自分から囮になると言いかねないと判断したのは私たち大人だ。……どうしても君を守りたかったんだ、ハリー」
「っ……そんな、僕は……僕は、もう護られるだけなんて嫌だ!」
「ハリー……」
ハリーは怒りをどう収めていいかわからず、ぐっと拳を握る。俯き耐えるように拳を震わせるハリーを見て、ソフィアはかけるべき言葉が見つからなかった。
ハリーの気持ちも、ハリーを護りたい彼らの気持ちも十分に理解できた──その上で、ハリーに黙って作戦を決行する事にソフィア達は同意したのだ。
ハリーは何度か深呼吸し、彼らを見回す。誰もがハリーを心配そうに、腫れ物に触れるような目で見ていた。自分が激昂しやすい性格だと思っているのだろう、きっと、子どものように癇癪を起こし怒り狂うのだと。
そうしても良かった。いや、心の奥底ではまだ苦しい程の疎外感と失望と、悲しみが渦巻いている。
それでもハリーは深く深呼吸をすると、決然とした目でシリウスを見た。
「僕は、もうすぐ成人する。もう護られるだけの子どもじゃない。ヴォルデモートを殺すのは僕だ。だから、僕に黙って護ろうとしないでほしい」
「……わかった、約束しよう」
ハリーが爆発しなかった事にロンとハーマイオニーとソフィアは内心でホッとしていた。この作戦を聞いた時に、間違いなく後でハリーは怒り狂うだろうとばかり思っていたのだ。
「よし。──何があったのか、報告しあおうか」
リーマスはパンと手を叩き、まず自分とジョージの身に何が起こったのかを掻い摘んで話した。死喰い人に追われ、途中でジョージが負傷した事。その時にソフィアとシリウスが近くを飛び、気がつけば追っ手が消えていたことを伝えた。
「まさかハリーの姿をしているジョージが狙われるとは思わなかった。危険な目に遭わせてすまない」
「あ、それなんだけどさ。……リーマス後ろから死喰い人に狙われてた事に気づいてたか?」
「何だって?い、いや……まぁ常に狙われていたけれど」
「それで……スネイプが、リーマスを狙う死喰い人を止めようとしていた。箒に乗っての魔法はアイツには難しかったのかもな、逸れてジョージに当たってたが……まあ、俺にはそう見えただけだ」
リーマスはまさかシリウスがセブルスを庇うような事を言うとは思わず目を見開き、シリウスはやや居心地悪そうに肩をすくめた。
シリウスは、ソフィアと同様にその場面を見ていた。セブルスは飛行術があまり得意ではないと、学生時代の時から知っている。咄嗟のことであり、空を飛ぶ死喰い人に狙いを定めるのが難しかったのだろう。
その後口々に自分たちに何があったのかを話し、最後にハリーがぽつぽつと自分に起こった事を話した。
自分を追っていた死喰い人達が本物のハリーだと気づいたらしく急に追跡を中止した事。ヴォルデモートを呼び出したに違いなく、ハリーとハグリッドがトンクスの実家に到着する直前にヴォルデモートが現れたことを話した。
「君が本物だと気づいただって?しかし、どうやって?君は何をしたんだ?」
ハリーが自分が本物だと言わない限りバレることのないと思っていたリーマスは真剣な顔でハリーを詰問する。ハリーは数時間前のことを思い出す、あの時何があったかを。
「僕、スタン・ジャンパイクを見たんだ。それで、武装解除しようとしたんだ。本当なら別の──だけど、スタンは自分で何をしたのかわかっていない。そうでしょう?服従の呪文にかかってるに違いない」
ハリーの言葉にリーマス達は呆気に取られたように沈黙し、誰もが黙り込んだ。
ハリーは勇気があり、そして何よりも優しい。敵だと見なさなければ例え攻撃をされても生かそうと考えてしまう。
「ハリー、武装解除の段階はもう過ぎている。あいつらは君を捕らえて殺そうとしているんだ。殺すつもりがないなら、少なくとも失神させるべきだった!」
「何百メートルも上空だよ!スタンは正気を失っているし、もし僕があいつを失神させたらアバダケタブラを使ったと同じ事になっていた。スタンはきっと落ちて死んでいたんだ!それに、エクスペリアームスの呪文だって、2年前、僕をヴォルデモートから救ってくれたんだ」
リーマスの言葉に対抗するようにハリーは叫び、最後の言葉は挑戦的に付け加えた。自分の判断は間違っていない。そう理解させたかったが、リーマスは必死に自制し言葉を選び口を開いた。
「ハリー、確かにそうだ。だけどね、その場面を大勢の死喰い人が目撃している。こんなことを言うのは悪いが、死に直面した、そんな切迫した場面でそのような動きに出るのは普通じゃない。エクスペリアームスは役に立つ呪文だよ。しかし、ハリー……死喰い人は、それが君を見分ける独特の動きだと考えているようだ」
「でも、じゃあ──僕はスタンを殺すべきだったと言うんですか?罪のない人を殺すなんて、それはヴォルデモートと同じだ!」
ハリーはようやく何故自分が本物なのか──どんな愚かな行動をしたのかを理解したが、それでも理性が拒絶していた。
リーマスは苦痛に満ちた表情で首を振り、口籠る。
「それは──」
「ハリー、僕は死喰い人が落ちたら死ぬってわかってて失神呪文を放った」
何と言い聞かせればいいのか葛藤するリーマスの代わりに、ロンがぽつりと呟いた。ハリーは驚愕しロンを見たが、彼の辛そうな顔を見て表情を翳らせる。
「本当に根っからの悪いやつなのか、服従の呪文で操られているのかなんてあの時判断は出来なかった。僕の失神呪文が当たって落ちていく死喰い人を見た時、やった!なんて思わなかった。──ゾッとしたよ」
「ロン……」
青い顔で身震いするロンを見てモリーが目に涙を溜め口を手で覆った。
今行っているのは戦争であり、自分を殺そうとしている死喰い人に情けをかけることは出来ない。ロンの行いは正しく、褒められる事だが──母親であるモリーはそれを正しい形で褒めていいのかわからなかった。
「ちらって、他の死喰い人が助けに行くのが見えた。僕が落下させた死喰い人は死んだのか、生きてるのかわからない。でも、あの時──僕はああするしかなかったし、たぶん、また同じように襲われても、僕は失神呪文をすると思う」
「それは……」
「僕は、覚悟したんだ。この作戦に参加すると決めた時に。危険な作戦の……死ぬ覚悟じゃない。人を殺す覚悟だ」
ロンは決然とした目でハリーを見る。ロンの瞳の中に燃える覚悟の光を見たハリーは、ぐっと口籠もった。わかっている、ただ自分は──どうしても出来なかった。
「ハリー、ヴォルデモートと私たちは違うわ。ヴォルデモートは、奪うために人を殺す。私達は……護るために、殺したの」
ソフィアもまた静かに呟く。それはハリーに言い聞かせるというよりも、自分自身やロンをはじめ、今日初めて人に呪いをかけたハーマイオニーやフレッド、ジョージに対しての言葉だった。
正当防衛であり、世界をヴォルデモートから護るという大義がある。そう思わなければ──罪悪感に押し潰されてしまう。
ソフィアの言葉に大人たちは改めて彼女達に辛い道を選択させてしまったのだと沈痛な顔で拳を握る。
成人したとはいえ、まだ殆どが学校を卒業していないのだ。
「でも、あなたのその気持ちは──とても素晴らしいわ。できるなら、誰も死なないのが一番良いんだもの」
ソフィアは悲しそうに微笑む。ロンは視線を逸らし、ハーマイオニーは痛々しい顔でソフィアとハリーを見つめた。
「……覚悟が無かったのは、僕の方か」
ぽつり、とハリーが呟く。それはあまりに弱々しく聞き取れない者もいただろう。ソフィアはハリーに近付き、強く握られた手を取りじっと目を合わせた。
「あなたと私の覚悟は違うのかもしれない。私は──大切な者を護りたい。あなたも含めてね、ハリー。だからもしスタンが私の大切な者を殺そうとしていたら、私は──きっと殺せてしまうかもしれない。でも、あなたは……全てを護りたいのね。それは凄く尊いことで、とってもとっても難しい事だわ」
「……」
「あなたの選ぼうとしている道は私たちの誰よりも難しい道かもしれないわ。……でも、なんだかダンブルドア先生と似ていると思うの」
「ダンブルドアと?」
ハリーは暗い瞳の中にわずかな希望を見出そうと縋るようにソフィアを見る。ソフィアはにこりと微笑み、同じ色の美しい瞳を細め頷いた。
「ええ、ダンブルドア先生は何を知っても、どんな人でも殺そうとしなかったもの」
ハリーはその言葉に少しだけ救われたような気持ちになった時、部屋の中に突如青い光を帯びた守護霊が舞い込んだ。
彼らをぐるりと見回した守護霊は、彼らの驚愕と動揺を気にする事なく口を開く。
「アラスターは死んだ。遺体は俺が安全なところに隠した」
その声はジャックのものだった。それだけを告げると守護霊は空気に溶けるように消え、光の残滓だけが部屋の中央にキラキラと余韻を残す。
ソフィアは消えかけている残滓を見て、一瞬セブルスからの伝言だと期待した自分を恥じた。父様のわけがない。誰がいるかわからない場所に守護霊を出し言葉を届けることなんて出来ないだろう。──そういえば、父様とジャックは同じ守護霊だ。どの動物になるのかわからない守護霊なのに、珍しい。ハリーとジェームズさんが同じなのは、きっと親子だからなのに。
「……マッドアイ……」
ビルが苦しげに呟く。ムーディから直接指導されていたトンクスは、悲しみのあまりリーマスに抱きつき身を震わせる。リーマスは片腕でトンクスを抱き寄せた。