プラスチックのテーブルはどれもうっすら油汚れがつき、店内で居心地のいい時間が過ごせるとは言えなかったが、客が誰もいないのは好都合だった。
まだ汚れがマシに見えるボックス型のベンチ席にハリーが先に入り込み、ソフィアがその隣に座った。対面側にハーマイオニーとロンが座ったが、ちょうど入り口に背を向けている形になってしまったのが気になるのか何度も神経質に後ろを振り向きそわそわと落ち着きなくテーブルの上に乗せた手を動かした。
「あのさ、ここから漏れ鍋までそう遠くないんじゃないか?あそこはチャリング・クロスにあるから──」
「ロン、できないわ」
「泊まるんじゃなくて、何が起こってるのか知るためだよ!」
即座に自分の言葉を撥ねつけられ、ロンが顔を顰めながら言い返したが、ハーマイオニーはチラチラと入り口を見ながら小声で言葉を続けた。
「どうなってるかはわかっているわ。ヴォルデモートが魔法省を乗っ取ったのよ。他に何を知る必要があるの?」
「オーケー、オーケー!ちょっとそう思っただけさ!」
ハーマイオニーとロンはピリピリしながら黙り込んだ。何か行動しなければならないのはわかっているが、しかしどうすればいいのか明確な指標が無く、ただ緊張感と不安だけがずっしりとのしかかる中、ガムを噛みながら面倒くさそうにやってきた店員にハーマイオニーはカプチーノを──ハリーは姿が見えないため彼の分を注文する事は出来ず──三つだけ頼んだ。
「どこが落ち着いた場所で姿くらましをしましょう。それで、地方に行って、安全ならハリーが持っている両面鏡でシリウスと連絡が取れるわ」
「あっ!本当だ、僕、今まで忘れてた──今すぐにじゃ駄目かな?」
ハリーはハグリッドからもらった巾着袋の中に手を突っ込み、中から両面鏡を取り出した。期待を込めてソフィアを見たが、ソフィアは厳しい表情で黙り込み小さく首を振る。
「今、あそこは混乱しているわ。もしシリウスもあなたと同じように鏡を見離さず持っていて、鏡からあなたの声が聞こえたら敵と戦っている時でも、きっとシリウスは鏡を見ようとするでしょう?一瞬の意識のズレが──とても大変な事を引き起こす可能性があるわ」
ソフィアは言葉を濁したが、ハリーはソフィアが何を言いたいのか理解した。自分が声をかけた事により、シリウスが敵から視線を逸らしその瞬間闇の魔法に襲われてしまえば彼の命の保証は無い。
ハリーもそれがわかり、喉まで出かかっていてシリウスの名前をなんとか飲み込み、「そう、だね」と苦しげに呟いた。
カラン、と入店を示すベルが鳴りがっちりした体格の労働者風の男が二人店内に入り隣のボックス席に座る。ハーマイオニーはちらりとその男達を見たが服装からただの労働者だと思ったのか深く気にする事はなく声を落として囁いた。
「そうすれば、きっと騎士団のメンバーとも連絡がとれるわ」
「誰も捕まってなけりゃいいけどな。──うぇっ!なんだこの味?」
店員が持ってきたカプチーノを一口すすり、ロンが吐き捨てるように言い舌を出す。のろのろと隣の客に注文をとりに行くところだった店員は聞き咎めてロンにしかめ面を向け睨みながら「ご注文は?」とぶっきらぼうに男達に聞いた。
しかし、二人の男はあっちへ行けと手で店員を追払い、店員はさらに顔を顰め噛んでいたガムを床に吐き捨て肩を怒らせてカウンターの奥へ消える。
ソフィアはそのやり取りを眺め、ふと違和感を覚えた。
──この店内に客はいない。空いている席は他にもある。それなのにどうしてあの人達は私達の隣の席に座ったの?それに、ここはカフェなのに何も頼まないだなんて……?
「──っ!?」
ソフィアは息を飲み、叫びそうになった声を必死に手で押さえ体を縮めた。
ハーマイオニーとロンは驚いて「死喰い人が来たのか」と思い勢いよく後ろを振り返ったが、入り口の扉は開かず、道路に面している窓にも人影は無い。
「どうし──」
「そういえば」
ソフィアは怪訝な顔をするハーマイオニーの言葉を遮り、やけに明るく言った。この場にそぐわない声にロンとハーマイオニーは目を瞬かせ呆気に取られ目を瞬かせる。
「2年前、私たちがこっそりと──クラブ活動を発足しようとした時、こんな感じのパブだったわね?」
「え?」
「それで、何故かパッドフッドに知られて怒られちゃったわよね。なんで彼は知ったのかしら?」
「それは──」
ソフィアはよく通る明るい声で言ったが、目だけは何かを訴えかけるように必死な眼差しをしていた。怪訝な顔をしていたハーマイオニーはソフィアの隠された真意に気付き表情を強張らせる。ロンは「はぁ?」と訳がわからず首を傾げたが、ハリーはハッとして隣に座る男達を見ながら反射的に杖を握った。
「えーと。なんでだったかしら。私も忘れちゃったわ」
ハーマイオニーは言葉を濁し、なるべく腕を動かさないようにしながらポケットに手を伸ばしたが、その僅かな挙動を男達は見逃さず二人の男は同時に動いた。
杖を抜いたのは二人の男だけではなく、ハリー、ソフィア、ハーマイオニーも杖を抜き、ロンは一瞬遅れて事態に気付き、反射的にハーマイオニーに飛びつきベンチに横倒しにした。
死喰い人達の強力な呪文がそれまでハーマイオニーの頭があったところの背後の壁を粉々に砕き、同時に姿を隠したままのハリーとソフィアが叫ぶ。
「
大柄のブロンドの死喰い人はソフィアとハリーが同時に放った失神呪文をまともに受けて壁際まで吹っ飛びどさりと横向きに倒れた。
敵の死喰い人からしてみれば、その失神呪文を唱えたのはソフィアだけにしか見えず当然この3人の中で最も排除すべき敵だとして狙いを定める。
「
ソフィアは男の杖先から発射された黒く光る縄を防御魔法で弾き飛ばす。ばちん、と縄は鈍い音を立てて床を弾き、店員が悲鳴を上げて扉に向かって走り出した。
ハリーはすぐにもう一度失神呪文を唱えたが、それは命中せず窓で跳ね返り店員の背中を貫く。声のない悲鳴を上げた店員の手は扉に届く事なく虚空を掻いた。
「
割れたカップやテーブルの破片が降る中ソフィアは「
死喰い人の顔や腕は裂け、苦悶の表情を浮かべ──その表情のまま石像のようにびしりと固まった男は割れたカップやテーブルの破片などの上にどうと音を立てて前のめりに倒れた。
静寂が落ちる中、ハリーとソフィアが息を吐き出し、ロンに抱きすくめられていたハーマイオニーはロンの胸を押し口を強く結びながら体を起こした。
「や、やったの?」
「暫くは起きないと思うわ。この男、どこかで見た気がするわね……」
ソフィアは服についた机の破片を叩き落としながら机の上で硬直する死喰い人の顔を見る。マントを被っていたハリーは素早く脱ぐと折り畳みながら壁近くで伸びているブロンドの男に近づいた。
「こっちはダンブルドアが死んだ夜、その場にいた奴だ」
「そいつはドロホフだ、昔お尋ね者のポスターにあったのを覚えている。大きい方は、確かソーフィン・ロウルだ」
「名前なんてどうでもいいわ!どうして私たちを見つけたのかしら?私たち、どうしたらいいの?」
ハーマイオニーは蒼白な顔で叫ぶ。パニックになる彼女を見て、ハリーはかえって冷静になり頭がはっきりとした。鼓動は煩く打っているが、今何をするべきなのか分かり素早くハーマイオニーとソフィアとロンに指示を出す。
「ハーマイオニー、入り口に鍵をかけて。ソフィアは壊れたものの修復をして。それからロンは明かりを消してくれ」
それぞれがすぐに行動し、扉は鍵が閉まり、ソフィアは破壊された机やカップを元通りにし、ロンは灯消しライターで店内を暗くした。
「こいつら、どうする?」
暗くなった店内で、ロンは金縛りにあっているロドロフを見ながらハリーに怖々囁いた。
「殺すか?こいつら、僕たちを殺すぜ。たったいま、やられるところだったしな」
ソフィアはその言葉に硬い表情をし、ハーマイオニーは身震いして一歩後ろに下がった。ハリーはロドロフを見下ろしながら考えを巡らせ、ゆっくりと首を振った。
「こいつらの記憶を消すだけでいい。その方がいいんだ。連中は、それで僕たちを嗅ぎつけられなくなる。殺したら、僕たちがここにいたことがはっきりしてしまう」
「君がボスだ」
ロンはあからさまにほっと表情を緩める。死の危険が迫ってたとはいえ、やはり簡単に人を殺す事など──冷静になった今、到底できない。
「だけど、僕、忘却呪文を使った事がない」
「私もないわ。でも、理論は知ってる」
「私も、きっと出来るわ。──店員の記憶も消すわね」
ハーマイオニーとソフィアは深呼吸して気を落ち着かせ、杖を死喰い人と店員の額に向けて「
たちまち死喰い人はとろんとした目をして夢を見ているように虚な表情になり、彼と店員の額から銀色のものがふわりと抜き出る。
それぞれの記憶を消し、死喰い人の2人はそれぞれに寄りかかるようにボックス席に座らせ、店員は窓から見えないカウンターの椅子に寄り掛からせた後、ソフィア達は店内を見回す。
ついでに3人がいた痕跡をソフィアとハーマイオニーが注意深く消し、3つのカップはきちんと戸棚の中に並べた。
「だけどこの人たち、どうして私達を見つけたのかしら?どうして、私達の居場所がわかったの?」
ハーマイオニーが放心状態の死喰い人の顔を交互に見ながら疑問を繰り返し、そしてハリーの顔を見た。
「あなた──まだ『臭い』をつけたままなんじゃないでしょうね、ハリー?」
「そんなわけないわ。未成年の臭いの魔法は17歳で解かれる。これは魔法界の法律なの。魔法界が陥落したのはハリーが17歳になった後で接触もしていないから、その後ハリーにだけ臭いをつけることなんて出来ないわ」
ハーマイオニーはまだ納得はしていなかったが黙り込んだ。否定する材料も、肯定するだけの証拠も誰も持っていないのだ。
「もし僕に魔法が使えず、君たちも僕の近くで魔法が使えないということなら、使うと僕たちの居場所がバレてしまうなら──」
「私たちは、別れないわよ」
ハリーの考えを読み、ソフィアが先に断言する。それでもハリーは何か言いたげな顔でソフィアとハーマイオニーとロンを見たが、誰もハリーと別れるなんて考えはなく、真剣な目で頷いた。
「どこか安全な隠れ場所が必要だ。そうすればよく考える時間ができる」
この場に留まれば新手の死喰い人が現れるかもしれない。何故ハリーの居場所がバレたのか深く考えるためにも、すぐにこの場を離れなければならない。と言うロンの考えにソフィアとハリーとハーマイオニーは難しい顔をして黙り込んでしまった。
「……私の家に行きましょう。それ以外に方法は無いわ。魔法界でもマグル界でも、ハリーを見つけ出す手段が向こうにあるのなら……どこにいても変わらないわ」
あの家は安全地帯であると、たくさんの護りがかけられているとセブルスはソフィアに伝えている。その時とは状況が変わってしまったが、それでもソフィアはそれに賭ける他無かった。
「ハリーは、一応透明マントを被っていて。私が逃げて、と言ったらすぐに逃げてね」
ソフィアはハリーが手に持っていた透明マントを手に取り、ハリーに被せた。姿が消えたハリーの表情はどんな表情をしているのかわからないが、きっと辛い顔をしてるのだろうとソフィアは思う。
すぐにハーマイオニーが扉の鍵を開け、ロンが灯消しライターで明かりを戻した。
それからソフィアの三つ数える合図でハーマイオニーとロンが死喰い人の男二人と店員の魔法を解き、彼らがまだ眠たげな顔でもぞもぞとしている間にソフィア、ハリー、ロン、ハーマイオニーの四人は固く手を結び、その場で回転しまた窮屈な暗闇の中へと落ちていった。