窮屈さから解放されると目の前には鬱蒼とした森が広がっていた。ハーマイオニーとロンは不安げに辺りを見渡すが、ソフィアはすぐに注意深く辺りを見渡し、誰もいないと判断すると不安げな表情を浮かべるハリー達を振り返った。
「ハーマイオニー、私のカバンを持ってて欲しいの。それと、3人で透明マントを被って。ここはホグズミードの外れの森よ。死喰い人がいてもおかしくないわ……私に着いてきて」
ハリーが透明マントの入り口をさっと開け、ロンとハーマイオニーは身を屈めてその中に潜り込む。もう成人した3人が入るにはかなり狭く密着しなければならなかったが、誰も文句は言わなかった。
ソフィアは3人が消えた辺りをじっと見つめ、靴先が出ていないことを確認し「着いてきて」と言うとその場で目を閉じる。
ハリーとロンとハーマイオニーは首を傾げていたが──みるみるうちに、ソフィアの白い肌から黒い毛が生え、それが覆ったころには四肢が縮まり、驚いて3人が瞬きをしている間に小さなフェネックがちょこんと草の上に座っていた。
「きゅ」
「きっと、着いてきてって言ってるんだわ」
「暗いから、見失わないようにしないと」
アニメーガスの姿になったソフィアは草を掻き分け一直線に進む。ハリー達はその闇に紛れる黒い体を見失うまいと必死に追いかけるが、マントから体が出ないようにしていたために速度はかなり遅かった。ソフィアは何度か振り返り、何も無い場所をじっと見ながら家へと進んだ。
ソフィアの目にハリー達の姿は映らなかったが、どこにいるのかなんとなくわかっていた。動物の姿になったからか、耳と鼻が人間の頃よりも良くなり草を踏み締める音や抑えきれていない呼吸音を感じ取っているからだろう。
そういえば、三年生の時にハーマイオニーの飼い猫であるクルックシャンクスも、透明マントを被っていてもじっとこちらを見ていた事を思い出す。──やはり動物には人が感じ取れぬ何かを感じ取る力があるのだろう。
無言で10分は歩いただろう。この夜の森のどこに死喰い人が潜んでいるかもわからない不安と緊張から、ハリー達はもう何時間もこの森を彷徨っているのでは無いかという気がしていた。
「──きゅう」
微かなフェネックの鳴き声が響く。
ハリーとハーマイオニーとロンは汗だくになり、木の根に足を取られそうになりながら目の前の長い草を掻き分けた。
その先には、一軒の家が佇んでいた。
窓に灯りは灯っていない。周りに他の民家も無く、ホグズミードだとはいえ外れにあるの、というソフィアの言葉は確かに嘘ではなかったようだ。
森にぐるりと囲まれるようにして建つその家へフェネックは跳ねるように向かい、扉の前に立ちふるりと尻尾を振った。
ハーマイオニーは透明マントの中で敵避け呪文をぶつぶつと唱えながら杖を振る。たいした効果はないかもしれないが、何もしないよりはマシだろう。
ここが、ソフィアが暮らしていた家か。──セブルス・スネイプが住んでいるようには見えない至って普通の外観にハリーが意外に思っている間にソフィアは人の姿に戻り、扉を撫でるように杖を振り鍵が外れた扉を開けた。
──この家は一部の人しか知らない。他の誰かがいるなら、それは間違いなく良くない来訪者だわ。
ソフィアは緊張しながら扉を開け、ハリー達が通ることが出来るように傍に退いた。ハーマイオニーは家の中に全員入った事を伝えるためにソフィアの肘に触れ、ソフィアはすぐに扉を閉め魔法で鍵をかけた。
扉を閉めた途端、家中にパッと灯りがつき、ハリー達は驚いて身をすくめ杖を掲げたが、ソフィアは気にする事なく足早に居間へ続く扉を開ける。
夏休みが始まって数日はソフィアとルイスがこの家過ごしていたため、それほど埃っぽさはないがそれでも家の中は空気が滞っていた時独特の不快な湿った臭いがこもっていた。
そっと扉を開け、杖を振る。
壁にかけられていたランプに灯りがつき、部屋の中を変わらず暖かく照らし、家はソフィア達を優しく受け入れた。
暖炉にも火をつければパチパチと火の爆ぜる音がすぐに響く。ソフィアは暖炉の飾り棚に家族写真が置かれていることに気づき、ほっと息を吐き出し肩に入っていた力を抜いた。
「……とりあえず、敵の侵入は無いみたいだわ」
全ての窓から灯りが漏れぬように黒く分厚いカーテンを閉めながら振り返り、何もない辺りに向かって微笑みかける。
何もない空間がぐにゃりと歪み、その中から同じように安堵の表情を浮かべたハリーとロンとハーマイオニーが現れ、ソフィアに促されるまま居間の広いソファにロンとハリーが並んで座り、ハーマイオニーは近くの肘掛け椅子に腰掛けた。
「ここが君の家なんだ?」
「ええ、そうよ。生まれた場所はまた別で、ここには……えっと、引越して3年くらいかしら」
ソフィアは安堵していてもまだ引き攣ったような固まったぎこちない表情をするハリーとハーマイオニーを見て、何か飲み物でも入れようと台所へ向かう。ロンは物珍しげにじろじろと居間を見渡し、ハーマイオニーも──本来なら「やめなさい」と止める立場だったが興味の方が勝ってしまいいろんなものへ視線を動かした。
「ってことはスネイプもここに住んでたんだよな?」
「まぁ、そうだけど」
ソフィアは杖を振りポットに水を入れ、コンロの上に置き湯を沸かす。ばたばたと忙しそうに移動しながら答えるソフィアに、ロンは「へー……」と気の抜けた声を出し、暖炉の上にある写真立てで視線を止めた。
「わお。スネイプって地下牢か洞窟に住んでるんだと思ってたぜ」
「ちょっと、ロン!」
ロンの言葉にハリーも頷きそうになったが、ハーマイオニーが慌てて咎めるようにロンの名前を呼んだおかげで、なんとかその小さな頷きがソフィアに見られる事は無かっただろう。
「ふふ、まぁ……わからなくもないわ。父様がここに暮らしていたといっても、短い期間だもの。夏休みだけでほとんどの日をホグワーツで過ごすでしょう?それに、先生達は夏休みもずっと休暇ってわけじゃないの、何かあれば呼び出されてすぐ出ていって……だから、私とルイスの2人で暮らしていた時間の方が長いわ」
ウィーズリー家に行くときに次にいつ戻って来れるか分からないため家の中にある食料などはほとんど処分してしまったが、温かい紅茶だけは淹れる事ができ、ソフィアは魔法でポットと四つのカップを浮かばせ滑るように机の上に移動させた。
「うわー……スネイプがいる」
ロンは信じ難いというようにぽつりと呟く。
飾り棚の上や、窓のそばには写真立てがあり、よく見れば家の至る所にセブルス・スネイプ。そしてソフィアとルイスが確かに親子として暮らしていた証が残されていた。
「あの写真が残っているってことは、まだここは安全なのよ。この家は信頼できる一部の人しか知らないの。もし、この家に父様の形跡がなければ……この家も安全とは言えなかったでしょうね」
ソフィアは棚の上に飾ってある写真立てをアクシオで呼び寄せ、少し寂しげな目でその中に映る人物を撫でた。
これは三年生の時、母のカメラを見つけ初めて撮ったものだ。不機嫌そうな顔をするセブルスとは対照的に、ソフィアとルイスは大輪のひまわりのように明るい笑顔を見せている。
この時は、まだ何も知らずに無邪気なままで笑えた。だけど、今は──。
「とにかく。紅茶を飲んで少し冷静になって──」
「──うっ!」
勧められるまま紅茶に手を伸ばしかけていたハリーは、呻き声を上げ──隣に座っていたロンが飛び上がった──掌で強く額を押さえた。
「ハリー、どうした?」
「う、うぅっ──」
「傷痕が痛むのね、ハリー、聞こえる?」
ハリーは額に走った痛みでロンとソフィアの声を掻き消すほどの叫び声を上げた。
水に反射する眩い光のようにハリーの心に何かが閃き、また傷痕が焼けるように痛む。大きな影が見え、自分のものではない激しい怒りが電気ショックのように体を貫き、ソファの背にぐったりともたれかかった。
「何を見たんだ?あいつが、僕の家にいたのか?」
「違う、怒りを感じただけだ──あいつは心から怒ってる」
「だけど、その場所は隠れ穴じゃなかったか?他には?誰か見なかったか?あいつが誰かに呪いをかけなかったか?」
ロンは弾かれるように立ち上がり、ハリーに詰め寄り必死に問いただす。
それを見たハーマイオニーとソフィアは息を呑み苦しげに顔を歪めた。
死喰い人が現れた隠れ穴にはロンの家族が居た。ウィーズリー家の者は騎士団員として、ハリーを匿う隠れ家になった時にある程度の覚悟を決めていた。自分の家が戦場になる可能性が高い事を知っていた。しかし、いくら覚悟をしていたとしても、その時になってみればこうも心が揺れてしまう。
誰だって、家族の安否は気になるだろう。自分たちが戦っているのは血も涙もない闇の魔法使いなのだ。
「違う。怒りを感じただけだ──後はわからないんだ」
「また傷痕なの!?いったいどうしたっていうの?その結びつきはもう閉じられたと思っていたのに!」
「そうだよ。暫くはね」
ハーマイオニーは混乱しながら叫ぶが、ハリーはそんなハーマイオニーの動揺も煩わしい。痛みは徐々に激しさを増し、今やこの憤怒は自分のものではないかとすら思っていたのだ。
ソフィアは頭を押さえ唸るハリーの側に寄ると、その震える手に自分の手を重ねた。
「ハリー。あなたの思考はきちんと残っている?」
「う──うん、僕の考えでは、あいつが自制が出来なくなるとまた開くようになったんだと思うんだ。以前もそうだったから」
「そうね、ダンブルドア先生は繋がるのを恐れたわ。嘘の情報を植え付けられるかもしれないから。──でも、時には有益になる事だってある。心を閉じられないのなら、全てが終わるまで耐えるしかないわ」
ハリーは涙で霞む視界でソフィアを見た。ソフィアの真剣な眼差しに、形容し難い深い愛を感じたまま体を起こし、ソフィアの腕を引き強く抱きしめる。
「ハ──」
「痛みがおさまるまで。──お願い」
強く自分を抱きしめるハリーのその腕が震えているのを感じ、ソフィアはチラリとハーマイオニーとロンを見て──二人も「そうするべきだ」と頷いているのを見てから、ハリーの背中に手を回し、片手でハリーのくしゃくしゃな髪を撫でた。
これからのことを考えると閉心術は習得出来ないとならないだろう。しかし、それが数日の練習でどうにかなるものではないとソフィアは知っている。ならば、その与えられる感情と痛みを受け入れるしかないのだ。その中で見た光景がまやかしでは無く、有益な情報があると信じて。
「──きゃあっ!」
ハリーとソフィアを心配そうに見守っていたハーマイオニーが突然鋭い悲鳴をあげた。ハリーは瞬時にソフィアから離れ杖を抜き、ソフィアも同じように杖を構える。
ハーマイオニーの視線の先には銀色の物──守護霊がおり、それは窓から床に音もなく降りると四人の前で大きく口を開けた。
「家族は無事。返事をよこすな。我々は見張られている」
アーサーの声で話したイタチの守護霊は雲散霧消し、暖炉の炎のゆらめきのように消えた。
ロンは呻きとも悲鳴ともつかない声を出し、ソファに座り込み、顔を手で覆った。
「みんな無事なの、みんな無事なのよ!」とハーマイオニーが半分泣きながらロンのそばに駆け寄り囁けば、ロンは少しだけ笑ってハーマイオニーを抱きしめた。
「ハリー、僕──」
「いいんだ。──良いんだよ」
ハーマイオニーの肩越しに謝ろうとするロンの言葉を止め、ハリーは再びソファに座り込みソフィアに寄りかかり、眉を寄せ目を閉じた。
「君の家族じゃないか、心配して当然だ。本当に無事で──よかった」
傷跡の痛みは最高潮に達し、「ねぇ、みんなで寝た方がいいと思うの」と不安げに言うハーマイオニーの声が遠くに聞こえた。ハリーは頭が割れてもおかしくはない、と本気で思った。
「──大丈夫?ハリー。顔色が─」
「は、吐きそ、う──」
ハリーはソフィアにだけ聞こえるように小声で囁く。そうするつもりはなかったが、声は情けないほど震えてしまっていた。
「ハリー。顔を洗った方がいいわ。こっちよ。ハーマイオニーとロンは寝袋の準備をお願いね」
ソフィアはハリーの考えを──ロンとハーマイオニーに知られたくないのだろうと──読み取り、ハリーを支えながら風呂場へと向かった。
「ぐっ──」
「ハリー!」
風呂場の扉を開け、閉めた途端ハリーは額に脂汗を滲ませ苦悶の表情でソフィアにしがみついた。肩にハリーの指が痛いほど食い込まれ、ソフィアは僅かに眉を寄せたがすぐにハリーを抱きしめ、必死に支えた。
苦痛がハリーの脳内で爆発し、自分の脳が自分のものではない怒りで満たされる。その瞬間、ハリーは暖炉の明かりだけの細長い部屋で先ほどハリー達を逃した死喰い人が苦悶の叫びを上げているのを聞いた。死喰い人を苦しめるように命令しているのは、冷たい声で話す自分自身だ。
「──っ、はぁっ!はあっ、ゔっ」
「ハリー!」
ハリーは今まで止めていた呼吸を吐き出し、冷たい空気を吸い込む。ソフィアの肩に自分の額を押し付け、眼鏡が上にずれる。心臓は早鐘を打ち強い吐き気と眩暈がしていたが、脳を割るかに思えたほどの頭痛は幾分か軽減していた。
「さっきの──死喰い人の男が──マルフォイが命令されて──クルーシオを──」
「そう……わかった。わかったわハリー、大丈夫よ」
唸り、息も絶え絶えに伝えるハリーに、ソフィアは強くその体を抱きしめた。
断片的にしかハリーは伝えなかったが、今見た光景はおそらく操作されていない光景だろう。ヴォルデモートにとってハリーがその手から逃れることは屈辱であり、死喰い人を拷問する光景だったとしてもハリーにわざわざ見せる必要はない。
ドラコとハリーが暗に繋がっていることが気付かれているのだとすれば、彼の良心に訴えかけている可能性もあるが、もしそうならば──ヴォルデモートはドラコを拷問している光景を見せるはずだ。
「ハリー、顔を洗って、今日は寝ましょう。シリウスへの連絡も……見張られているのなら、向こうからコンタクトがあるのを待った方がいいわ」
「……うん、そう、だね」
ハリーはソフィアの肩を掴み顔を上げると苦しげに告げる。ソフィアはハリーのずれた眼鏡をそっと掛け直し、その汗が滲み前髪が張り付く額を優しく撫でた。