「ママは──」
ある晩、ウェールズのとある川岸で野宿をしているとき、テントの中でロンが突如切り出した。
「何も無いところから美味しいものを作り出せるんだ」
皿に載った黒焦げの灰色っぽい魚を憂鬱そうに突きながらロンが呟く。ハリーとソフィアとハーマイオニーは反射的にロンの首を見て──思った通り、そこに金色のチェーンが下げられているのを見た。ハリーはロンに向かって悪態をつきたい衝動を何とか堪える。ロンがこうして嫌味になるのは分霊箱のせいであり、分霊箱を外せば少し態度は良くなる、それまでの我慢だと自分自身に言い聞かせた。
「あなたのママでも、何も無いところから食べ物を作り出す事はできないのよ。誰にもできないの。食べ物というのはね、ガンプの元素変容の五つの主たる例外の一つで──」
ハーマイオニーは何も無いところから食べ物を出現させる事は不可能であると説明をしようとしたが、ロンが求めていたのはその返答ではなく「あーあ、普通の言葉で喋ってくれる?」と歯の隙間から魚の骨を引っ張り出しながら嫌味を吐いた。
途端にハーマイオニーの機嫌は急降下し、苛立ちながら「何も無いところからおいしい食べ物を作り出すのは不可能です!」と叫ぶ。
「食べ物がどこにあるのかを知っていれば呼び寄せできるし、少しでも食べ物があれば変身させることも量を変えることもできるけど──」
「──ならさ、これなんて増やさなくていいよ。酷い味だ」
ロンは皿に残った魚の残骸をフォークで突く。酷い味なのは満足に調味料や材料が無いからであり、その数少ない材料を使いなんとか食べられる味にしたのはハーマイオニーとソフィアだった。
「ハリーが魚を釣って、私とソフィアができる限りの事をしたのよ!?──結局、いつも私たちが食べ物をやりくりする事になるみたいね。私たちが女だからだわ!」
「違うよ!君たちの魔法が一番うまいからだ!」
「ロン、明日はあなたが料理をするといいわ!あなたが食料を見つけて、呪文か何かで食べられる物に変えるといいわ!」
ハーマイオニーは怒りながら立ち上がりロンを睨め付ける。その衝撃で焼いた魚の切り身がブリキの皿から下に滑り落ちてしまったが、ハーマイオニーは微塵も気にしなかった。ソフィアはまた争いの火種を灯したロンに半ば諦めと苛立ちを感じながら無言でえぐみの強い魚を飲み込んだ。ハーマイオニーのストレスも限界に近い。言いたい事を言わせてから、二人を落ち着かせた方がいいだろう。
「それで、私はここに座って、顔を顰めて文句を言うのよ!そしたらあなたは少しは──」
「黙って!」
ハーマイオニーの叫びを止めたのはハリーだった。突然立ち上がり両手を上げながら言うハリーを、ハーマイオニーは唖然として見たがすぐに顔を真っ赤にして怒りの矛先をハリーに向けた。
「ロンの味方をするなんて、この人一度だって料理なんか──」
「ハーマイオニー、静かにして。声が聞こえるんだ」
両手を上げ、2人に喋るなと制しながらハリーは緊張した面持ちで入口の方を見る。一瞬にしてテントの中が張り詰めた緊張感で満たされ、しん、と沈黙が落ちた。
ハリーの言う通り、側の暗い川の流れに混じり人の話し声が聞こえてきた。ソフィア達は机の上に乗っているかくれん防止器を見たが、全く動いていない。
「耳塞ぎの呪文はかかってあるね?」
「ええ、マグル避けも目眩し術も完璧よ。誰が来ても私たちの声は聞こえないし、姿は見えないはず」
ハリーの言葉にソフィアは小声で返答する。声は聞こえないとわかっていても、どうしても万が一を考え小声になってしまった。魔法は完璧だが──向こうにいる人が本気で自分たちを探しているのなら、完全に安全とは言い切ることができない。
どうか偶然近くに来たマグルでありますように。そうソフィアは祈りながら近くで何か大きなものが動き回る音や、物が擦れる音をじっと聞いていた。
どうやら近くにいるのは一人ではなく、複数人らしい。近くの木が茂った急な坂を、このテントがある狭い川岸へと降りてきているのだろう。
ソフィア達は無言で顔を見合わせ、ごくりと固唾を飲みながら杖を抜いた。
話し声はだんだん大きくなってきたが、会話の内容は相変わらず聞き取れなかった。川の流れの音で正確な距離はわからないが、おそらく相手は五メートルほどの離れた場所で腰を据えたのだろう。ソフィアは鞄を素早く掴み、中から伸び耳を四個取り出してハリーとロンとハーマイオニーにそれぞれ一個投げ渡した。
彼らは急いで薄橙色の紐の端を耳に差し込み、もう一方の端をテントの入り口に這わせる。数秒後、彼らの耳に疲れたような男の声が聞こえてきた。
「──ここなら鮭の二、三匹もいるはずだ。それよりまだその季節には早いかな?アクシオ!鮭よ来い!」
川の流れとは異なる水音が数回して、捕まった鮭がじたばたと岩肌を叩く音が聞こえた。誰かが嬉しそうに何かを呟く声に混じってほかの声も聞こえてきたが、英語ではなく今まで聞いたことのない言葉で──おそらく、人間のものではない。それは耳障りな掠れた言葉で喉に引っ掛かるような雑音の連続だった。
ソフィアは伸び耳をぎゅっと耳に押し込みながら、目当ての魚の居場所が明確にわからなくともアクシオで呼び寄せることができる事を初めて知った。この方法を使えば魚が釣れるかどうかわからず焦ったい時間を無駄に過ごすことはなくなる。毎日鮭が食べられるとわかればロンの機嫌も幾分かマシになるだろうと思い、僅かに安堵した。
外にいる人たちはそこで落ち着く事に決めたらしく、暫くしてテントの外で焚き火の炎が揺らめいた。テントと炎の間を大きな影がいくつか横切り、次第に鮭の焼ける香ばしい匂いが焦らすようにテントに流れてくる。その美味そうな匂いに、ごくり、とロンが唾を飲み込んだ。
「さあ、グリップフック、ゴルヌック」
「ありがとう」
嗄れた声が英語で礼を言う。その名前に聞き覚えがあったハーマイオニーは「
「じゃあ君たち三人は逃亡中なのか。長いのかい?」
「6週間か……7週間か……忘れてしまった。すぐにグリップフックと出会って、それからまもなくゴルヌックと合流した。仲間がいるのはいいものだ。──君はなぜ家を出たのかね、テッド?」
「連中が私を捕まえにくるのはわかっていたのでね」
小鬼の嗄れた声に、心地よい声の男が答える。ソフィアとロンとハーマイオニーにはその声の主が誰なのかわからなかったが、ハリーはトンクスの父親だとわかり息を飲む。
「先週、死喰い人たちが近所を嗅ぎ回っていると聞いて、逃げた方がいいと思ったのだよ。マグル生まれ登録を私は主義として拒否したのでね。あとは時間の問題だとわかっていた。最終的には家を離れざるをえなくなることがわかっていたんだ。妻は大丈夫なはずだ、純血だから。それでこのディーンと出会ったというわけだ。二、三日前だったかね?」
「ええ」
今まで黙り込んでいた男が頷き、その聞き覚えのある声にソフィア達は顔を見合わせた。声は出さなかったが間違えようもない、彼はディーン・トーマス──グリフィンドールの仲間だ。
「マグル生まれか、え?」
「わかりません。父は僕が小さい時に母を捨てました。でも、魔法使いだったかどうか、僕は何の証拠も持っていません」
それからしばらく沈黙が続き、鮭を咀嚼する音と川のせせらぎの音だけが響いた。やがてフォークとナイフを皿に擦る音が止まり、茶を沸かすポットの高い音が短く鳴った。
「それで、君たち二人はどういう事情かね?つまり、えー……小鬼たちはどちらかといえば、例のあの人寄りだという印象を持っていたのだがね」
「そういう印象は間違いです。我々はどちら寄りでもありません。これは、魔法使いの戦争です」
「それじゃ、君たちは何故隠れているのかね?」
「慎重を期するためです。私にしてみれば無礼極まりないと思われる要求を拒絶しましたので、身の危険を察知しました」
「連中は何を要求したのかね?」
「わが種族の尊厳を傷つける任務です。──私は、ハウスエルフではない」
小鬼の声はより低く、荒くなり人間味が薄れていた。小鬼はプライドが高く自身の尊厳を傷つけられる事を嫌う。とくに、彼らは自分たちが人間より劣っているとは微塵思わず、そういった扱いを嫌悪する。間違いなく死喰い人達が彼らの尊厳を蔑ろにしたのだろうとハーマイオニーとソフィアは思った。
「グリンゴッツは、もはや我々の種族だけの支配ではなくなりました。私は、魔法使いの主人など認知致しません。──。」
はっきりと伝えたグリップフックは、最後に小鬼語でぶつぶつと付け加えたがそれを聞き取ることが出来たのは同じ小鬼のゴルヌックと小鬼語を聞き取れる男──ダークだけであり、ダークは肩をすくめ、ゴルヌックは低い声でくすくすと嘲笑した。
「何がおかしいの?」
小鬼語を聞き取れず、さらに小鬼についてあまり詳しくないディーンは不思議そうに聞いた。再び沈黙が落ちたが、ややあってダークが「グリップフックが言うには、魔法使いが認知していないことも色々ある」と答えた。しかし、その含みを持たせた答えにディーンはさらに首を傾げ、「よくわからないや」と紅茶を飲みながら呟いた。
「逃げる前に、ちょっとした仕返しをしました」
別に隠すほどの事でもなく、むしろ自分が行った仕返しを誰かに知ってほしいという暗い欲求が湧いたグリップフックは、喉の奥で低く笑いながらディーンに言った。
「それでこそ男だ──いや、小鬼だ!死喰い人を一人、特別に機密性の高い古い金庫に閉じ込めたんじゃなかろうね?」
テッドは喜び、そうであればいいと期待を込めてグリップフックを見たが、グリップフックはゴルヌックを視線を交わし意地悪く含み笑いをして肩を震わせ、勿体ぶるように口を開いた。
「さて。そうだとしても、あの剣では金庫を破る事が役には立ちません」
ゴルヌックがまた笑い、ダークまでがクスクスと笑ったが、何故急に剣の話が出てきたのかわからないテッドとディーンは顔を見合わせ肩をすくめた。
「ディーンも私も、何か聞き逃している事がありそうだね」
「セブルス・スネイプにも逃したものがあります。もっとも、スネイプはそれさえも知らないのですが」
グリップフックとゴルヌックが大声で意地悪く笑うその声を聞きながら、ソフィアは思いもよらぬところで聞いた名前にどきりと心臓を跳ねさせた。これ以上近づけないというほどテントの入り口に顔を近づけ伸び耳の先をぐっと奥に突っ込み一言も聞き逃さまいと全神経を集中した。
「テッド、あのことを聞いていないのか?ホグワーツのスネイプの部屋から、グリフィンドールの剣を盗み出そうとした子どもたちの事だが」
「一言も聞いていない。預言者新聞には載ってなかっただろうね?」
「ないだろうな。このグリップフックが話してくれたのだが、銀行に勤めているビル・ウィーズリーからそれを聞いたそうだ。剣を奪おうとした子どもの一人はビルの妹だった」
ハリーは困惑してソフィアを見たが、ソフィアは表情を強張らせ瞬きもせず前を見据え伸び耳を命綱のように握りしめていた。
ビルの妹──つまり、ジニーはソフィアの父が誰であるかを知っている。なのになぜ、そのような行動を取るのかハリーにはわからなかった。
「その子と何人かでスネイプの部屋に忍び込んだんだろうな。剣を盗み出したあとで、アミカス・カローに見つかったらしい」
「ああ、なんと大胆な!何を考えていたのだろう?例のあの人に対して、その剣が使えるとでも思ったのだろうか?それとも、スネイプに対して使おうと?」
「まあ、剣をどう使おうと考えていたかは別として、スネイプは剣をその場に置いておくのは安全ではないと考えたのだろう。それから数日後、例のあの人から許可を得たからだと思うが──スネイプは剣をグリンゴッツへ送った」
一通り話した小鬼達はまた嗄れた声で低く笑い、膝を手でぱちんと叩く。
その話の何が面白いのか──哀れなジニーが捕まった事なのかとテッドが怪訝な顔で黙り込んでいると、マグに入った紅茶を啜りながらグリップフックが言った。
「
「グリフィンドールの剣が!?」
「ええ、そうですとも。よくできていますが間違いない。──贋作で、魔法使いの作品です。本物は何世紀も前に小鬼が鍛えたもので、ゴブリン製の刀剣類のみが持つある種の特徴を備えてるはずです」
「その特徴って?」
「ゴブリンの銀で作られた刀剣類は、世俗の汚れを寄せ付けず自らを強化するもののみを吸収するんですよ」
「へぇー、それで、君たちは贋物だってことを死喰い人にわざわざ教えるつもりはないというわけだね?」
ディーンはようやく小鬼達が何をそんなに喜んでいるのかがわかり、ニヤリと笑いながら小鬼達を見回す。
「それを教えてあの人たちをお煩わせする理由は、全くありませんな」
グリップフックがすましてそう言うと、今度はテッドとディーンも、ゴルヌックとダークと一緒になって笑った。
それからディーンはジニーと共に忍び込んだ子ども達の罰則はどの程度のものだったのかと聞き、幸運にも外傷が残るほど罰せられたわけではなく、数日間ハグリッドと共に禁じられた森の警備にあたっただけらしいと知り、ソフィア達はほっと胸を撫で下ろした。
話の内容はセブルス・スネイプがダンブルドアを殺害したらしい、という話からハリー・ポッターの話へと移り──ハリーはディーンが自分を信じてくれている事がとても嬉しかった──さらにルーナの父が編集長であるザ・クィブラーの話題へと移った。
「ザ・クィブラー?ゼノ・ラブグッドの?あの能天気な紙屑のことか?」
「近頃はそう能天気でもない。試しに読んでみるといい。ゼノは預言者新聞が無視している事柄を全て活字にしている。最新号ではしわしわ角のスノーカックに一言も触れていない。ただし、このままだと、いったいいつまで無事でいられるか、そのあたりは私にはわからない。しかし、ゼノは、毎号の巻頭ページで、例のあの人に反対する魔法使いは、ハリー・ポッターを助けることを第一の優先課題にするべきだと書いている」
テッドはゼノ・ラブグッドの行動に敬意を示しつつ、少々心配そうに眉を寄せながらそういった。預言者新聞はヴォルデモートの息がかかっている。その中でたった一人だけ真実を書き続けることはかなり勇気のいる行動だろう。それがヴォルデモートの癪に触れば──ただでは済まないのは目に見えている。
「地球上から姿を消してしまった男の子を助けるのは、難しい」
「いいかね。ハリーがまだ連中に捕まっていないというだけでも大したものだ。私は喜んでハリーの助言を受け入れるね。我々がやっていることも、ハリーと同じだ。自由であり続けること!──そうじゃないかね?」
「ああ、まあ、君の言うことも一理ある」
テッドの言葉を聞いてダークが重々しく言った。きっとハリーは捕まることなく世界を逃げている。何かを成すために──そうテッドは信じているが、ダークはそう楽観的ではなかった。
「魔法省や密告者がこぞってポッターを探しているからには、もう今頃はとっくに捕まっているだろうと思ったんだが。もっとも、もうとうに捕まえて、こっそり消してしまったと言えなくもないじゃないか?」
「ああ、ダーク!そんなことを言ってくれるな」
テッドは声を落として重いため息をつく。考えないようにしていた事を突きつけられてしまい、テッドはそれ以上何も言わずに黙って残りの鮭を口の中に運び入れた。