丸二日間、ソフィアとハリーはその虚の中で身を潜めた。いつ死喰い人が現れるのかわからず、ほとんど眠れないまま朝を迎え、それでもそこから出る勇気や気力もなく、時々魔法で水を出して飲み空腹を紛らわせていたのだ。
2日経ち、どうも死喰い人の追跡は無いらしいと判断した後でソフィアとハリーはその虚から出る決心をして手を握り合い姿くらましをし、荒涼とした丘の平面へと移動した。
予備として鞄の底にしまっていたテントは、ハーマイオニーが持っていたテントほど大きくはなく、ただ簡易キッチンとベッドが一台、肘掛け椅子が二脚しかなかったが、今ソフィアとハリーが休むためにはそれでも十分な広さだっただろう。
テントはワンルームの作りをしており、隣にある部屋は小さなユニットバスだけだ。室内には暖炉もなく、夜は酷く凍えてしまい──自然とハリーとソフィアは少ない服をかき集め、身を寄せ合い眠った。
そこに情欲は少しもなく、ただ安らぎを求め不安を軽減するために抱き合っていただけにすぎない。ソフィアはハリーの腕に頭を寄せて目を閉じ、ハリーはソフィアの頭を撫でてソフィアが寝るまで待ってからゆっくりとベッドを抜け出し見張りをした。胸の上には冷たいロケットが肌に張り付いている。
今まで四人で回していたものが、二人になってしまい1日の半分は必ずロケットを身につけなければならないと思うと気が滅入り、今まで以上に不安や焦燥感が襲いかかった。
ソフィアは、ロンに言われた言葉が棘のように胸に刺さっているのだろう。あれからソフィアとハリーは、あの日にあったことやソフィアが考えていた自己犠牲について触れることはなかったが、それでもソフィアは今まで以上に寡黙になり、ぼんやりと疲れたような顔で遠くを見るようになった。
「荷物の確認をしないと……」
四人が二人になり、簡易的でいつ襲われるかわからないとはいえ取り敢えずの居場所を見つけた次の日。
ソフィアにしてはかなり遅くその判断に達しただろう──これこそ、ソフィアが混乱して疲弊している証かもしれない──ソフィアは部屋の中央の低く狭い机の前に立ち、持ち物の一つ一つを丁寧に机の上に並べていった。
「服は──3日分はあるわね──食事は缶詰と、干し肉が少し。──薬は十分にあるわ──それと、本──」
机の上に本を積み上げていた手を、ソフィアは不意に留めた。
「これ……間違って引き寄せちゃったのね」
「あ、それ。ハーマイオニーの……」
「ええ……」
ソフィアはどの本よりも古ぼけた黒い表紙の本──『吟遊詩人ビードルの物語』──の背を撫でる。あの時机に広がっていた本の塊に向けて鞄の中に入るように魔法をかけた。きっと、この本もその中に混ざっていたのだろう。
「結局、読めてなかったわ……ハリー、あなたも読んでみる?」
忙しく、心に余裕がなかったせいでこの本を読むタイミングを逃していたが、今なら少しは読めるかもしれないとソフィアは苦笑しながら本を軽く上げた。
「あー。僕、古代ルーン語わからないから……」
「あ、そうね」
ソフィアは特に残念とも思っていないのか、頷くとぱらりと表紙を開く。そのまま文字を目で追っていたが、ぐう、と控えめに腹の虫が鳴いてしまい──ぱたん、と本を閉じた。
「……近くに街があるか見てくるわ。何か食べないと、頭も回らないもの」
額を押さえ怠そうに言いながら立ち上がり、机の上に乗っているものにむかって杖を振る。
コートだけがソフィアの元に飛んできて、あとの物は全て鞄の中に入り独りでにぱちん、と鞄は閉まった。
「僕も行く」
「……だめよ、危険すぎるわ。もし私が2時間戻らなければ、すぐにここを捨てて逃げて」
ソファにかけていた透明マントを手に取り、ソフィアは真剣な顔でハリーに頼んだ。ハリーはぐっと眉を寄せ、何かに抗うように何度か口を開いたが──ついに、こくりと頷いた。
「わかった、気をつけて」
「ええ」
ソフィアは透明マントを被り、素早くテントから出て走った。
幸運にも死喰い人に見つかることなく、ソフィアは近くの寂れた町にある商店からオートミールの袋といんげん豆のトマト煮のスープ缶を幾つか手に入れる事ができた。ソフィアは几帳面にもレジにそっと金を置いてきたが、これは自分の罪を少しでも軽くするためであり、本来は許されざる行動なのだ、と思うと気が滅入ってしまう。
ソフィアとハリーは日中のうちはどうして死喰い人──だと二人は考えている──は自分たちの居場所がわかったのか、本物のグリフィンドールの剣の居場所はどこにあるのかと話し合ったが、結局「わからない」という結論に達するだけだった。
季節はだんだん寒さを増してきた。イギリスの南部地方にだけ留まれるのであれば、せいぜい霜が立つことくらいが悩みの種だったのだが、一箇所に長く滞在するのは危険だということで二人は至る所を移動した。霙が降っている山の中腹や、湖の小島など、かなり厳しい気候条件のところもあったが仕方のないことだろう。
町や民家の窓にクリスマスツリーの明かりが見えるようになった頃、ソフィアとハリーはようやくこの2人での旅にも慣れ始めた。不安感はあったが張り詰めたような緊張はなくなり、ゆっくりとビードルの本を読む時間を取ることができるだろう。
古代ルーン語であり時々辞書が必要だが、ここに書かれているビードルの物語の数々は何度も養父であるジャックと養母であるアリスから聞いたことがあり、読めない単語があっても前後のつながりと知識としてある物語を組み合わせれば読むことは難しくなかった。
「……このマーク……」
物語を読み進めていたソフィアは手を止め、『三人兄弟の物語』の題の上に書かれた印をじっと見た。三角の瞳のような物の中に縦線が一本引かれている。この印はルーン語ではなく──元々本にあったものではない、間違いなく誰かが後から書き足したものであり、ハーマイオニーがダンブルドアの遺品に書き込むとは考えにくい。ならば、元の持ち主だったダンブルドア本人が何らかの意図で書き込んだのだ。
「ハリー、これを見て!」
「でも、僕──古代ルーン語は──」
ソフィアはすぐに対面側の肘掛け椅子に座るハリーの元へ行き、肘置きに腰掛けながら本を見せた。古代ルーン語を知らないハリーはソフィアの勢いに困惑しつつも指さされた箇所を見る。
「読めなくていいわ。この印……見覚えがあるわよね?」
「これ……ルーナのお父さんが持ってたペンダントと同じだ」
「そうなの。それに、これは後で書きたされているわ。多分ダンブルドア先生が書いたものだと思うの。でも──グリンデルバルドの印よね?そうクラムが言っていたわ。その印がなぜこんなところにあるのかしら……」
「闇の印だってクラムは言ってたな。どうして……?」
ハリーとソフィアは困惑しながら目のような印をじっと見つめる。その印は一つではなく、いくつかの題の上に見張りの目のように書かれている。ハーマイオニーがこの印について何も聞かなかったのは、これがグリンデルバルドの印だと知らなかったのだろう。
しかし、これはダンブルドアの遺贈の品だ。何かこの印に意味があるに違いない。ソフィアはじっと印を睨み見ながらグリンデルバルドについて考えたが、また新たな疑問が出来ただけで答えは一向に浮かんでこなかった。
「私、この本をしっかりと読み込んでみるわ。何か手掛かりになるかもしれない……」
「うん……」
すぐに元の肘掛け椅子に戻り、深く座りながら本を読むソフィアの伏せ目がちの顔を見ながらハリーは薄い紅茶を飲み、意を決して「あのさ」と話しかけた。
「なあに?」と、ソフィアは本から目を離さぬまま答えたが、ハリーが言い淀み数秒沈黙が流れたのを感じて訝しげに顔を上げた。
「どうしたの?」
「僕、ずっと考えていたんだけど、僕──僕、ゴドリックの谷に行ってみたい」
こんな時に両親の墓参りだなんて、そんな事をしている場合ではないと言われてしまうだろうか。ハリーは数年前にダーズリー夫婦を説得できずにホグズミード行きの許可証にサインしてもらえなかったにもかかわらず、マグゴナガルに許可を求めた時と同じような情けなく不安な気持ちになった。
ソフィアは唖然としてため息の一つでも漏らすだろうか。そうハリーは思っていたが、ソフィアは過去何度かそうしたように優しく目を細めて微笑み頷いた。
「ええ、そうね。旅の初めに行きたいって言っていたし……私も、今そこに行くべきだと思うわ」
「ほ、本当に?」
「ええ、ハリーにとって因縁が深いのは勿論だけれど。それ以上に──グリフィンドールの剣が隠してあるのなら、その場所かもしれないと思うの」
「グリフィンドールの剣?」
ハリーはなぜグリフィンドールの剣の事が話題に上がるのかわからず首を傾げる。ソフィアは目を瞬かせ、少し悪戯っぽく笑うと「魔法史の教科書は新品のままだったのかしら?」とからかった。
「んー。そうかも」
ソフィアの雰囲気につられ、ハリーは笑顔になり肩をすくめた。二人で旅をして以来初めて笑ったような気がして、頬の筋肉が奇妙に強張っていた。
「グリフィンドールはゴドリックの谷出身なの。それにあやかって彼の名前が命名されたのよ。ゴドリック・グリフィンドールの剣がゴドリックの谷にある──可能性は否定できないわ」
「そうか──僕は、両親の墓を見てみたかったのと……バチルダ・バグショットに会えないかなって思って。──ほら、ダンブルドアの友人だって、ビルとフラーの結婚式の時に……ミュリエルおばさんが言ってたって、話したよね?」
ハリーは出来るだけ何でもない風を装った。ダンブルドアについて知らないことが多く、彼の思考に疑問を持ち始めているだなんて、ソフィアに知られたくはなかったのだ。
ソフィアは少し考えるように顎をさすり、「そうね」と頷いた。
「可能性として高くはないかもしれないけれど……友人に剣を預けたかもしれないし、ダンブルドア先生の友人ならきっと私たちを通報するような事はしないと思うわ」
「バチルダはかなりの高齢だから……剣を守れるのか不安はあるけど、うん。あり得ない事はない」
数週間目標が立てられず焦燥感だけを募らせていたが、今ようやく──少ない可能性だとしても──グリフィンドールの剣へ捜索へ足を進めることができると思うと、ハリーとソフィアは自然と明るくなり気持ちが奮い立った。
「でも、行くにしてもたくさん準備しなければならないわね。念のため、透明マントを被ったまま姿現しができるように練習しましょう」
それに、目くらまし術も、ポリジュース薬を使うことも考えないと──とぶつぶつと喋るソフィアに、ハリーは時々頷き同意した。
作戦を考えているソフィアには悪いがハリーの心は完全に別の方向へと向かっていたのだ。
こんなにも心が躍るのは、久しぶりだろう。──まもなく故郷に帰ることができる。かつて、家族が暮らしていた場所に。そこには確かに幸せがあったはずで、ヴォルデモートがいなければ自分はそこで両親と育ち、学校の休暇を過ごすことになったはずだ。
そう考え、ハリーはふとソフィアは本当にゴドリックの谷に向かいたいのかと不安になった。ソフィアはヴォルデモートを倒すために全てを犠牲にする気持ちで望んでいる。心が痛もうとも、微塵もその姿を見せずに人知れず疲弊していくのだ。
「……ソフィア?」
「薬は──なあに?」
「その──」
計画を考え、思考を飛ばしていたソフィアはぱっとハリーを見て首を傾げる。その真っ直ぐな目に射抜かれたハリーは少し言い淀み、ややあって口を開いた。
「──辛くない?」
その言葉を聞いてソフィアは不思議そうな顔をしていたが、すぐにハリーが何を言いたいのか、何を気にしているのかが分かり小さく笑った。
「大丈夫よ。ありがとう、ハリー」
ソフィアの微笑みはいつもと変わらないように見えたが、すぐに目を逸らし本を意味もなく撫で始めた──きっと、痩せ我慢なのだろう。
ハリーは何も言わずに立ち上がり、ソフィアの前に跪き本を撫でる手を取り、揺れる同じ色をした目を見つめた。
「ソフィア」
「……大丈夫よ、本当に。行かなければならないって、私も思っていたもの」
ソフィアは自分を納得させるために、そう呟いた。
ゴドリックの谷は、ハリーにとって故郷であり、そして家族が死んだ場所。
ソフィアにとっては、母と兄が死んだ場所なのだ。