ハリーが故郷であるゴドリックの谷へ向かうことをヴォルデモートが予想している可能性は捨てきれず、ハリーとソフィアは何日もかけて作戦を練り準備を整えた。
透明マントを被ったままの姿現しの練習に、完璧な目くらまし術。そして、プロテゴや守護霊魔法、それに攻撃魔法がいつでも使えるように二人は夜中にテントの前で何度か模擬戦を行った。
クリスマスの買い物をしていた何も知らないマグルの髪の毛をこっそりと抜いてポリジュース薬を作り、ハリーは禿げかかった中年のマグルに、ソフィアはその冴えない妻へと姿を変える用意もした。
それでも見破られる可能性もあると、2人とも苦手な閉心術を掛け合い懸命に練習したのだが──そちらはやはり上手くいかなかった。
所持品の全てを鞄の中に入れソフィアが持ち、分霊箱はハリーが身につけた。何度もヴォルデモートに抗ったことがあるからなのか、ハリーは──守護霊魔法を使えなくなるが──ソフィアやロンほど、分霊箱の影響を受けずに済んでいた。
テントを片付け、全ての準備を整えたソフィアとハリーはポリジュース薬を飲み姿を変え、そして予定通り透明マントを被り姿くらましをした。一緒に回転し、またもや息が詰まるような暗闇の中、ハリーはこの息苦しさは姿くらましのせいだけではないとわかっていた。故郷に帰ることが出来る事への期待と緊張、そして──両親の墓を目にする事への恐怖が胸を締め付けていた。
回転が終わり、目を開けたハリーの視界に初めに飛び込んできたのは真っ白な雪だった。
二人は雪深い小道で手を繋いで立っていた。夕暮れのダークブルーの空には、宵の星がちらちらと弱い光を放ち始めている。
ソフィアは一瞬呆然と目の前の光景を見ていたが、すぐに杖を抜き自分たちの周りに足跡がついていないかを調べた。
先ほどテントを張っていた場所よりもゴドリックの谷は北に位置する。夕方だったのが夜の入りになり、雨が雪に変わっていてもなんら不思議ではない。──むしろ、何故その考えに思い付かなかったのだろうか?
「雪のことを忘れていたわ。ハリー、足跡を残さないように消していかないと──」
「マントを脱ごう。僕たちだとわからない姿をしているし、周りに誰もいないよ」
「でも……」
透明マントで姿を隠し、魔法で足跡を注意深く消しながら進む事は難しくパントマイムのように滑稽な姿になってしまうだろう。そんな格好で、ハリーは故郷に入りたくなかった。
ソフィアはハリーの提案に不安そうに眉を寄せる。ハリーは「大丈夫だから」ともう一度念を押し素早くマントを脱ぎ、上着の下にしまった。
こもった空気ではなく、冷たく澄んだ冬の匂いが肺を満たした。ふう、と深呼吸をしたソフィアはまだ不安そうに辺りを注意深く見てはいたが、マントに煩わされずに歩く魅力に抗えず肩をすくめて笑った。
「行こう」
「ええ」
ソフィアはハリーの腕に捕まり、ハリーはそっとソフィアの腰に手を回した。今は中年のマグルの夫婦を装っている。寒い中これくらい密着するのは普通のことだろう。
何軒もの小さな家の前を通り過ぎるたびに、ハリーはこの家のどれかがリリーとジェームズやバチルダがかつて過ごした家かもしれないと考え、一軒一軒の入り口の扉や雪の積もった屋根、
しかし、心の奥では見覚えのある家などないと分かりきっていた。ハリーがこの村を離れた時はまだ1歳になったばかりで、記憶に残っているものは一つもない。それに、守人を介して忠誠の術により守られた家が、その術者が死んだ場合どうなるのか知らなかったのだ。
二人は無言で寄り添いながら歩き、村の中心にある小さな広場へ向かった。豆電球の灯りでぐるりと囲まれた広場の真ん中には戦争記念碑のようなものが建てられている。村にはくたびれた感じのクリスマスツリーが並び、店が数軒、郵便局、パブが一軒、それに小さな教会があった。
教会のステンドグラスが、広場の向こう側で輝く宝石のように眩く光り、白い地面の上をさまざまな色で染めている。
広場の雪は行き交う人に踏みしめられ固くなり、走れば転けてしまうだろう。ソフィアとハリーは慎重に何も知らず談笑している村人の隣を通過しながら、広場を横切る。
「今日はクリスマス・イブだわ」
風に乗り、小さな教会からクリスマス・キャロルの歌が聞こえてきてソフィアは思わず呟いた。
「そうだっけ?……こんな時じゃなければ、プレゼントを用意したんだけど」
「こうして、無事なだけで──私にとってはプレゼントだわ」
新聞を読むことがなかった二人は今が何日なのか知らず、ただ漏れ聞こえる聖歌に耳を傾けた。キリストの復活を祝福する歌は楽しげであり、明日に迫ったクリスマスの訪れを皆が楽しみにしているのだろう。この村で、クリスマスについて考えなかったのはきっと自分たちだけだろうとソフィアは思いながら教会を見つめる。
「ハリー、教会の裏に墓地があるわ。あなたのお父さんとお母さんはきっと──……」
ソフィアは白い教会の裏にひっそりとある墓地を指差す。
ステンドグラスの美しい色に気を取られていたハリーは言われるまで墓地に気付かず、ごくりと固唾を飲んでソフィアが指差す先を見た。
それは興奮を通り越して恐怖に近かく、これほど近づいた今になって本当に墓を見たいのかどうか、ハリーにはわからなくなっていた。
ソフィアはそんなハリーの気持ちを察し、ハリーの腕を掴む手に力を込め心配そうに見つめた。
ソフィアの姿は冴えないマグルの女だ。だが、それでも確かにソフィアの優しさを感じてハリーは僅かに勇気づけられ、「行こう」と呟くと墓地の方へと向かった。あと数分で、両親が眠っている場所を見ることが出来る。
しかし──その足は広場の中程にある戦争記念碑の前で止まった。
「あっ……!」
ソフィアとハリーが戦争記念碑の前を通り過ぎると同時に、記念碑の姿が変化した。数多くの名前が刻まれたオベリスクではなく、三人の像が建っている──眼鏡をかけたくしゃくしゃの髪の男性、髪の長く美しい女性。そしてその女性の腕に抱かれている幼い男の子の三人の像だ──それぞれの頭に柔らかな白い帽子のように雪が積もっていた。
ハリーはまさか自分と両親の像があるとは思わず、不思議な気持ちでその像をじっと見た。
像は動くことなく寄り添っている。母親の腕に抱かれた子どもの額は綺麗で、稲妻型の跡もなく、幸福そうな顔で空を見ている。──この幸せが続くはずだった。ハリーは充分像を眺めたあと、何も言わずにソフィアの手を引き再び教会へ向かった。
教会の敷地に入る前にハリーはちらりと振り返ったが、像は記念碑に戻り何食わぬ顔で死者を悼んでいた。
「魔法族にしか見えないようになっているのね」
ソフィアも同じように振り返り、呟く。「うん」と掠れる声でハリーは答えたが、その声は聖歌隊の歌声で掻き消されてしまっただろう。
教会に近づくほどに歌声は大きくなり、ソフィアとハリーは自然とホグワーツで過ごしたクリスマスを思い出していた。あそこは暖かく、幸せで、全てにおいて満たされていた。初めてまともなクリスマスプレゼントが存在することを知ることができた。腹がはち切れそうなほどのクリスマスディナーを初めて食べることができた──……。
ソフィアは今年も家族でクリスマスを過ごすことはできなかった、とちらちらと降る雪を指先に乗せながら思う。
もう、二度と昔のように無邪気にクリスマスを祝うことはできないのだろう。何も知らず、無知で護られる存在には戻られないのだ。この旅がいつまで続くのかはわからないが、全て終わった時、もしも父と兄が無事ならば最後に家族と過ごす時間が一日だけ欲しい。と願う。
──その一日があれば、そのあとにアズカバンに行くことになっても耐えられる。
ソフィアはハリーに続き、墓地の入り口の狭い門をすり抜けるようにして中に入った。
雪に覆われ、綿帽子を被った墓石が何列も突き出ていた。冬の寒さで訪れる人が少なく花が飾られていないからか、どれも寂しく悲しそうに見え、ソフィアは眉根を寄せる。
ヴォルデモートや死喰い人がいない事を注意深く確認し、上着のポケットにある杖をしっかりと握ったままハリーとソフィアは一番手前の墓に近づいた。
「これ見て、アボット家だ。ハンナの遠い親戚かもしれない!」
「ええ、そうね……他にも見知ったファミリーネームがあるわ」
低い声で囁きながら二人は屈み込んで古い墓石に刻まれた文字を読み、次第に墓地の奥へと入り込んだ。──時々闇を透かして誰にもつけられていないか確認することも忘れなかった。
「ハリー、あれ──」
「僕の──?」
「ううん、違うの。ダンブルドアって書いてあるわ」
ソフィアはアボット家の2列後ろにある黒い墓石を指していた。すぐにそちらに向かえば、あちこち苔むして凍りついた御影石に書かれた文字が見え、確かに「ケンドラ・ダンブルドア」と読める。その生年と没年の少ししたには「そして、娘のアリアナ」と無機質な文字で記されていた。
屈んでよく見てみれば、名前の他に『汝の財宝のある所には、汝の心もあるべし』と引用文が刻まれており──ハリーは胸がちくりと痛むのを感じた。
リータ・スキータもミュリエルも、事実の一部は捉えていたのだ。ダンブルドアの家族は間違いなくここに住み、そして死んでいる。
彼女達はダンブルドアは語られているほどの聖人ではなく、才能を鼻にかけ家族──特に病弱な妹──を疎んでいた。そして、何かがあり妹のアリアナが死んだ時、弟のアバーフォースに鼻を殴られ骨が折れた。そう、ミュリエルはニヤニヤと笑いながら語っていた。
話を聞くことよりも、墓を眼にすることの方が辛かった。ダンブルドアと自分には、この墓地に深い絆があるにも関わらず、一切その事を知らせてくれなかった。ダンブルドアは、一度だってこの事を分かち合おうとは思わなかった。もし、二人でこの墓地を訪れていたならばどんなに強い絆を感じることができただろうか、どんなに強い意味を持つことが出来ただろうか──ハリーは胸を押さえ、湧き上がる疑念を押し殺し吐き気を堪えながらその墓石をじっと見下ろした。
見なければよかった。ハリーはそう思いながらソフィアの腕を離し、ふらりと一人で墓場の奥へと向かう。その寂しげな背中を、ソフィアは憂いた眼で見ていたが──手を伸ばすことはなかった。
──ダンブルドア先生が、あの時死んでいなければ。殺されていなければ、きっと、ダンブルドア先生はハリーとここを訪れていたはず。父様を生かすために、私たちを守るために、その機会は失われてしまった。私に、ハリーを慰める資格なんて……無いわ。
ソフィアはハリーの後ろ姿を見失わないように墓石に記された名前を一つ一つ見ていった。
その中にどの墓石よりも古く半分朽ちかけて文字の判別が難しい物があり、ソフィアは顔を近づけてそこに書かれていた名前を読む。
イグノタス・ペベレルと書いてあるように読める名前の下に、ビードルの物語に書かれていた印が刻まれていた。
それを見た瞬間ソフィアは息を飲み、砂埃や氷に覆われている墓石を手で擦った。何故こんなところに印があるのだろうか?やはり、ここに来る事をダンブルドアは望んでいた?──つまり、この名前は紛れもなくダンブルドアのヒントなのだろうか?
いや、それにしてはこの印はかなり古く見える。魔法でそう見せているのかと考えソフィアはコートの下で素早く杖を振ったが魔法を使った後に残る魔法痕は無く、誰かが何十年も前に刻んだ物だということがわかるだけだ。
この事をハリーにも伝えよう。新しい情報は共有しなければならない。ソフィアは立ち上がり辺りを見渡し、暗がりの中にいるはずのハリーを探したがいつの間にか遠くまで進んでしまったのか、ハリーの姿はかなり小さくなり──一つの墓石の前で佇んでいた。
ソフィアはその姿を見て、間違いなく彼の目の前にジェームズとリリーが眠っているのだと察した。
ゆっくりと、ソフィアはハリーの元へと向かい隣に並び、数ある墓石の中で真新しいそれを見下ろす。
白い大理石でできた墓石には、ジェームズとリリーの生年と没日が記されていた。引用文は、『最後の敵なる死も、また滅ぼされん』。
「最後の敵なる死も、また滅ぼされん──これ、死喰い人の考えじゃないのか?それがどうしてここに?」
心臓が握りつぶされたかのような深い恐怖に、ハリーは困惑しながらソフィアを見る。
ソフィアはその文を何度か読み、首を振った。
「ハリー、死喰い人が死を打ち負かす時の意味とは違うわ。この意味は……そうね、死を超えても生きる。死後も、そばにいるということよ」
ソフィアの声は優しかったが、ハリーはぐっと拳を握り唇を噛み締めた。
両親は死んでしまったのだ。どれだけ綺麗な慰めの言葉があっても、空虚な言葉なだけで事実を誤魔化すことはできない。両親の遺体は何も感じず、何も知らずに雪の下に横たわり朽ちている。
知らず知らずのうちに熱い涙が溢れ、頬を伝って落ちた。涙を拭ってどうなる?隠してどうなる?──ハリーは流れるままにまかせ、唇を固く結んで、足下の深い雪を見つめた。
この下に、ハリーの目には見えないところに、リリーとジェームズの遺体がある。骨になっているかもしれない、いや、朽ち果てているだろうか。生き残った息子が立っているというのに、彼らの犠牲により心臓は鼓動を打っているというのに──この瞬間、その息子が雪の下で二人と共に眠っていたいとまで思っているというのに──何も知らず、無関心に横たわっている。
ソフィアはハリーに寄り添い、そっと手を握った。
ハリーは顔を上げられなかったが、その手を握り返し刺すように冷たい夜気を深く吸い込んで気持ちを落ち着かせ、立ち直ろうとした。
何か手向けるものを持ってくるべきだった。今まで考え付かなかったが、そうするべきだった。墓地の周りの木々は葉を全て落とし、花の一つも咲いていない。
ハリーはふと、雪に埋もれる墓石の前が不自然に盛り上がっていることに気づきその場にしゃがみ込んだ。
ゆっくりと悴む手を動かし雪を払いのければ、その下に隠れるようにしてすでに枯れてしまっている茶色いものがあった。──おそらく、花だったのだろう。
「これは、誰が……?僕も、手向けるものを持ってくるべきだった」
凍りつき枯れた花をそっと丁寧に雪の上に置きながら呟く。ソフィアは無言で杖を上げ、複雑に動かすと目の前に大きなクリスマス・ローズの花輪を咲かせた。ハリーはそれを取り、枯れた花を囲むようにしてそっと、両親の墓に供えた。
「ありがとう」
「いいのよ、私にとっても……親戚だもの」
ハリーは立ち上がり、片腕をソフィアの肩に回した。ソフィアはハリーの腰に片腕を回し、寄り添い目を閉じた。
二人は黙って雪の中を歩き、ダンブルドアの母親と妹の墓の前を通り過ぎ、既に聖歌隊が帰ってしまい灯りの消えた教会へ、そしてまだ視界に入っていない出口の小開きの扉へと向かった。