扉をノックしてからものの十秒も経たない内に扉が勢いよく開いた。
現れたゼノフィリウス、ラブグッドは裸足で汚れたシャツ型の寝巻きのような物を着て、髪は櫛も入れず洗ってもいないのか酷く汚れている。ビルとフラーの結婚式で見たゼノフィリウスはこれと比べれば確実にめかし込んでいたと言えるだろう。
ソフィアはゼノフィリウスの大きく見開かれた目に苛立ちや焦燥感、怯えが映っているのを感じ取った。──いや、ソフィアだけではないだろう。ゼノフィリウスは一目見てわかる通り落ち着きなく斜視の片方の目をぎょろぎょろと動かし、ソフィア達の背後を見ていた。幾ら変人だとしても、結婚式で見たゼノフィリウスはまだ落ち着きを持っていた。
「なんだ?何事だ?君たちは誰だ?何しに来た?」
ゼノフィリウスは甲高い苛立った声で叫び、ソフィアとハーマイオニーとロンを睨み見る。
「こんばんは、ラブグッドさん。私、ソフィア・プリンスです。ルーナの友達です」
「ルーナの?」
「ええ、どうしてもラブグッドさんに聞きたいことがあって、ここに来ました。少し時間をいただけますか?」
「それは──」
ゼノフィリウスは庭へ視線を向けながら神経質そうに指先で扉を叩いた。ほぼ無意識の行動なのかもしれないが、その高い音はよく響く。
流石にルーナの家に遊びに来たことも無い人の話を聞く事はないのか。今世界では誰を信じていいのかわからなくなっているはず、きっと、ゼノフィリウスさんも私が本当にルーナの友達だと、信じていいのか自信がないのだろう。
そう考えたソフィアは、ちらりとハーマイオニーに目配せをした。ハーマイオニーは無言で頷くと、隣にいるだろうハリーへ向かって手を伸ばし、くい、と透明マントを引っ張った。ソフィアではゼノフィリウスの警戒を解けずとも、彼が助けたいと思っているハリーならばきっと話を聞いてくれるはずだ。
「──こんばんは、ラブグッドさん。僕、ハリーです。ルーナの友達の、ハリー・ポッターです」
透明マントを脱いだハリーはゼノフィリウスに向かって手を差し出したが、ゼノフィリウスは唖然としてハリーの顔と、その額にある傷痕を食い入るように見た。
「中に入ってもよろしいですか?お聞きしたいことがあるのですが」
「そ……それはどうかな。──衝撃と言おうか、何ということだ……私は、私は……残念ながらそうするべきではないと……」
「お時間は取らせません」
「私は──まあ、いいでしょう。入りなさい。急いで、急いで!」
四人が敷居を跨ぎきらないうちに、ゼノフィリウスは扉を強く閉めた。ハリーは透明マントを小さく畳みながら目の前にある奇妙なキッチンを見回した。
キッチンは完璧な円形の部屋であり、まるで巨大な胡椒入れの中にいるのではないかと錯覚したほどだ。
ガスレンジや流し台、食器棚までも弧を描き壁の曲線に沿って何もかもがぴったりと収まっている。全ての家具に鮮やかな原色で花や虫や鳥の絵が描いてあるのはルーナの好みかもしれない。一つならば愛らしいものも、こう何十何百と原色の物があると、なんだか目を閉じても網膜にその色が焼き付いてしまう気がして、ハリーは目を擦った。
床の真ん中から上階に向かって螺旋階段が伸びている。上からはひっきりなしに何かを動かす音や破裂音が聞こえ、ソフィア達はきっとルーナは上にいるのだと思った。
「上に行った方がいい」
ゼノフィリウスは相変わらずひどく落ち着かない様子で先に立って案内した。ソフィア達は大人しくその後ろに続きながら、階段を上り切り現れた客間とも作業場とも言えない部屋に着いた。
そこはキッチン以上に物が溢れ返り、かつて見た必要の部屋の様子を彷彿とさせる。隠したい物がある人へ開くあの部屋は、ここのようにごちゃごちゃとしていた。
本屋書類はありとあらゆる平面に積み上げられ、天井からは奇妙な生き物の精巧な模型が羽ばたき、顎をカクカクと動かしながらぶら下がっている。
ごちゃごちゃとした物が多い中、ソフィアはその物の後ろにルーナがいるのかと思ったが
ルーナの姿はなく、一階にまで響いていた騒音を出していたのは歯車や回転盤が魔法で回っている木製の物体だった。
ソフィアとロンはそれが何なのかわからなかったが、ハリーとハーマイオニーは作業台と古い棚を一組くっつけたそれが、ゼノフィリウスお手製の旧式の印刷機なのだろうと判断した。その証拠に、細長く薄いところからザ・クィブラーがどんどんと刷り出されている。
「失礼」
ゼノフィリウスはその機械に素早く近づき、膨大な数の本や書類の載ったテーブルから巨大な汚いテーブルクロスを抜き取り──本も書類も全て床に落ちたが──印刷機に被せた。印刷機から絶えず流れていた騒音はそれで少しはマシになり、ゼノフィリウスはくるりと体を反転させると改めてソフィア達を見た。
「どうしてここに来たのかね?」
「それは──」
「ラブグッドさん、あれは何ですか?」
ソフィアが説明しようとしたその時、ハーマイオニーが驚いて小さな叫び声を上げ壁に取り付けられていた物を指差した。
「しわしわ角スノーカックの角だが」
指差した物は、螺旋状の巨大な灰色の角であり、一見するとユニコーンの角にも似ていたが異なる部分はその大きさだろう。壁から突き出ているその角は、ゆうに一メートルはあった。ゼノフィリウスは何でもないように答えたが、ハーマイオニーは息を呑み、ソフィアは眉を寄せた。
「違います!」
「ハーマイオニー、今はそんな事は……」
「でもソフィア!あなたもわかったでしょう?あれはエルンペントの角よ!取引可能Bクラス。危険物扱いで、家の中に置くには危険すぎるわ!」
「確かに私もエルンペントの角に見えるわ。でも、正当な取引で購入したのならどこに飾ろうとも私たちにはどうすることもできないのよ」
「でも──」
ハーマイオニーはゼノフィリウスと灰色の角を何度か見て、どれだけその角が危険な物なのかこの人はわかっていないに違いないと批難的な目でゼノフィリウスを睨む。角の一番近くにいたロンは身動きできないほど雑然とした部屋の中で、できるだけ角から距離をとった。
「しわしわ角スノーカックは、恥ずかしがり屋で高度な魔法生物だ。その角は二週間前、私がスノーカックという素晴らしい生物に興味があることを知った、気持ちの良い若い魔法使いから買った。クリスマスにルーナをびっくりさせたくてね」
ゼノフィリウスはそれがエルンペントの角だとは一切認めず、決然と突き放すようにハーマイオニーに言うと、改めてソフィアに──まだ冷静に話ができると考えたのだろう──向かい合った。
「それで、どういった用件で来られたのかな?」
「聞きたいことがあるんです。ビルとフラーの結婚式に、あなたが首からぶら下げていた印のことです。あれに、どういう意味があるのかをお聞きしたいんです」
「死の秘宝の印のことかね?」
ゼノフィリウスは両方の眉を吊り上げ、首を傾げてそう言った。
死の秘宝。その言葉を初めて聞いたハリーは答えを求めるようにソフィアとロンとハーマイオニーを見たが、三人ともゼノフィリウスの言った言葉の意味が理解できず、ハリーと同じような顔をしていた。
「死の秘宝?」
「その通り。聞いたことがないのかね?まあそうだろうね。信じている魔法使いはほとんどいない。君のお兄さんの結婚式にいた、あの戯けた若者がいい証拠だ。悪名高い魔法使いの印だと言って私を責めた。無知も甚だしい!
秘宝には闇のやの字も無い──少なくとも一般的に使われている単純な闇の意味合いはない。あのシンボルは、ほかの信奉者が探求を助けてくれる事を望んで自分が仲間である事を示すために使われるだけのことだ」
「つまり──その、どういう意味ですか?」
ソフィアはなるべく失礼に聞こえないように丁寧にゼノフィリウスに問いかけた。ゼノフィリウスは腕を組み、神経質そうに指先で腕を叩きながらソフィアをじっと見つめる。
「そう、いいかね。信奉者達は死の秘宝を求めているのだ」
「死の秘宝、とは何でしょう?」
「君は──君たちは、三人兄弟の物語をよく知っているのだろうね?」
ハリーは「いいえ」と答えたが、ソフィアとロンとハーマイオニーは同時に「はい」と答え頷いた。
四人中三人がその物語を知っていることに、ゼノフィリウスは重々しく頷くとハリーに視線を移す。
「さてさて、ミスター・ポッター。全ては三人兄弟の物語から始まる……どこかにその本があるはずだが……」
ゼノフィリウスは漠然と部屋を見渡し、書類や本の山に目を向けたが、彼が探し出す前にハーマイオニーが「ここにあります」と言い、鞄の中から『吟遊詩人ビードルの物語』の本を取り出した。
「原書かね?」と鋭く聞くゼノフィリウスにハーマイオニーは小さく頷きその本をゼノフィリウスに向けて差し出した。
「それじゃあ、声に出して読んでみてくれないか?みんなが理解するためには、それが一番良い」
「あっ……わかりました」
ハーマイオニーは緊張しながら答え、咳払い一つした後本を開く。横から覗き見たハリーは、ハーマイオニーが読み始めたページの一番上に、あのマークがついてあることに気づいた。
「昔々、三人の兄弟が寂しい曲がりくねった道を、夕暮れ時に旅していました──」
「真夜中だよ。ママが僕たちに話して聞かせるときはいつもそうだった──ごめん、真夜中の方がもうちょっと不気味だろうと思っただけさ!」
ロンは両腕を頭の後ろに回して聞いていたが、つい自分の知っている話では無いことに口を挟んでしまい、ハーマイオニーから、「邪魔をしないで」という目で睨まれ慌てて謝ると今度は何もいうまいと口を固く閉じた。
「──やがて、兄弟は歩いては渡れないほど深く、泳いで渡るには危険すぎる川につきました。でも三人は魔法を学んでいたので、杖を一振りしただけでその危なげな川に橋をかけました。半分ほど渡ったところで三人は、フードを被った何者かが行く手を塞いでいるのに気づきました。そして、死が三人に語りかけました──」
「ちょっと待って、死が語りかけただって?」
ハリーは思わず口を挟み、すぐにソフィアが「御伽話なのよ、ハリー」と小声で耳打ちをした。
またも話を遮られたハーマイオニーはじろりとハリーをひと睨みした後、先ほどより強く咳払いをし朗読を再開した。
「そして、死が三人に語りかけました。三人の新しい獲物にまんまとしてやられてしまったので、死は怒っていました。というのも、たいてい旅人はその川で溺れ死んでいたからです。でも、死は狡猾でした。三人の兄弟が魔法を使った事を褒めるふりをしました。そして、死を免れるほど賢い三人に、それぞれ褒美を与えることにしました──」
戦闘好きの一番上の兄は、存在するどの杖よりも強い杖を。
傲慢な二番目の兄は、死を辱めたいと思い人々を死から蘇らせる物を。
謙虚で賢く、死を信用していなかった三番目の弟は、死に跡をつけられずにその場から先に進む物を望んだ。
一番上の兄は、ニワトコの杖。
二番目の兄は、蘇りの石。
三番目の弟は、透明マント。
それぞれ受け取った三人は目的のために別れ旅を続けた。
人々と決闘し勝利を収めた一番上の兄は自分の力に酔いしれ、死そのものから奪った強力な杖について大声で話し、自分は無敵になったと自慢した。
しかし、その晩、一人の魔法使いが酒を飲み深く眠っている一番上の兄に忍び寄り、杖を奪い、喉を切り裂いて殺した。
死は、一番上の兄を自分のものにした。
一人暮らしをしていた二番目の兄は、家で蘇りの石を三度回した。すると昔結婚を夢見ていた美しい女が現れた。しかし、死者と生者は共に生きることはできない。薄いベールで仕切られているかのように二人は真に混じり合う事はなく、二番目の兄は望みのない思慕で気が狂うほど追い詰められ、そして彼女と本当に一緒になるために自らの命を絶った。
死は、二番目の兄を自分のものにした。
死が何年探しても三番目の弟を見つける事はできなかった。三番目の弟は、高齢になったときについに透明マントを脱ぎ息子にそれを与えた。
そして、三番目の弟は死を古い友人として迎え、喜んで死と共にいき、同じ仲間として共にこの世界を去った。
──それが、三人兄弟の物語のお話だ。
最後まで読んだハーマイオニーは本を閉じた。ハリーはこの話の意味がよくわからず眉根を寄せながらゼノフィリウスを見る。
ゼノフィリウスは、ハーマイオニーが読み終わった事にすぐには気づかず、じっとハリーを見ていたがパチリと視線が合うと視線を外してソフィアを見た。
「まあ、そういうことだ」
「え?」
「それらが、死の秘宝だよ」
ゼノフィリウスは近くにある古い木のテーブルから羽ペンを取り、積み重ねられていた本の山の中から破れた羊皮紙を引っ張り出した。
「ニワトコの杖」ゼノフィリウスは羊皮紙に縦線をまっすぐ一本引いた。「蘇りの石」と言いながら縦線の上に円を書き足し、「透明マント」と言いながら縦線と円とを三角で結ぶ──そうすると、確かにあのマークと同じ模様ができあがった。
「三つを一つにして、死の秘宝」
「死から与えられた宝が、死の秘宝なんですね」
「そうだ。もし三つ集められれば、持ち主は死を制する者になれるだろう」
ソフィアは難しい顔で考え込み、ゼノフィリウスは再びハリーを見てから、窓の外を見た。動いているのはソワソワと落ち着きなく指先を動かすゼノフィリウスだけで、ソフィア達は少しも動かず沈黙する。
「死を制する者っていうのは──」
「制する者。征服者、勝者、言葉は何でも良い」
ロンの言葉にゼノフィリウスはどうでも良さそうに手を振りながら答え、死の秘宝のマークを描いた羊皮紙を書類の山の中に投げ捨てた。
「つまり、三つの死の秘宝は間違いなく存在する。という事ですね?例えば、ニワトコの杖は……?」
「秘宝は存在する。それにニワトコの杖に関して言えば数え切れないほどの証拠がある。秘宝の中でもニワトコの杖はもっとも容易に跡を追える。杖が手から手へと渡る方法のせいでね」
「その方法って?」
「その方法とは、真に杖の所持者となるためには、その前の持ち主から杖を奪わねばならないという事だ。極悪人エグバートが悪人エメリックを虐殺して杖を手に入れた話はもちろん聞いたことがあるだろうね?ゴデロットが、息子のヘレワードに杖を奪われ自宅の地下室で死んだ話も?あの恐ろしいロクシアスが、バーナバス・デベリルを殺して杖を手に入れたことも?ニワトコの杖の血の軌跡は、魔法史の歴史に点々とついている。──しかし、今どこにあるかは誰が知ろうか?アーカスとリビウスのところで跡が途絶えているのだ。ロクシアスを打ち負かして杖を手に入れたのがどちらか、誰が知ろう?歴史は、嗚呼、語ってくれぬ」
ハリーの疑問にゼノフィリウスは朗々と答え、最後はやや演技かかった口調で嘆き首を振った。
再び部屋の中に沈黙が流れる。聞こえてくるのはくぐもった印刷機の音だけだった。
ハーマイオニーは腕を組みながらあからさまに胡散臭そうな顔でゼノフィリウスを見て、ロンとハリーもまたこの話を全て信じる気にはなれず複雑な表情をしていた。
「ゼノフィリウスさん。ペベレル家と、死の秘宝はどういった関係があるのですか?ゴドリックの丘にある墓地で、死の秘宝のマークが記されているお墓を見つけたんです」
沈黙を破ったのはソフィアであり、ゼノフィリウスは驚いたように目を見開き、斜視ではない瞳でソフィアを見るとその口元を僅かに緩めた。
「ああ、それを知っているのか!探求者の多くは、ペベレル家こそ秘宝の全てを──全てを!──握っていると考えている!
イグノタス・ペベレル。彼の墓に秘宝の印がある事こそが、秘宝が実在するという何よりもの証拠なのだ!物語の三兄弟の名前は知っているかね?彼らは実在するペベレル家の者なのだ。アンチオク、カドマス、イグノタスの三人が最初の秘宝の持ち主だという証拠だ!」
人差し指を立てながら顔を近づけ熱弁するゼノフィリウスに、ソフィアは少し背を逸らせながら「なるほど、そうだったんですね」と真剣な顔で頷いた。
「そうとも。さて、他に聞きたいことは?」
「蘇りの石の所在も、今は不明ですか?」
「ああ、そうとも。透明マントも──市販のものではない、永久的にどんな魔法も見通しせない物の所在は不明だ。君たちが持っている物も、市販のものだろう?」
ゼノフィリウスの目がハリーの方へ向き、ハリーは何と答えて良いか分からず肩をすくめ曖昧に笑った。
もうソフィア達に質問が無いと分かったゼノフィリウスは小さく咳払いをするとぐるりとハリー、ソフィア、ロン、ハーマイオニー──そして、もう一度ハリーを見てから一階へ降りる螺旋階段へ向かった。
「……ルーナは端の橋の向こうにいる。川にプリンピーを釣りに行っていてね。君たちが来ていると知ったなら喜んで人数分のプリンピーを釣って持ってくるだろう。夕食を食べて行ってくれるだろうね?きっと、ルーナは君たちとゆっくりと話したいだろう」
「あー……はい、ありがとうございます」
ハリーはすぐに帰りたかったが、ルーナに会いホグワーツの状況を知りたい気持ちもあり頷いた。ゼノフィリウスはどこか安心したように肩に入っていた力を抜き──一瞬、瞳を揺らすとすぐに螺旋階段を降りて行った。