下からゼノフィリウスが歩き、扉が開く音がした。おそらく外にいるルーナに会いに行ったのだろうと考えながら、ハリーはソフィアとロンとハーマイオニーを見る。
「どう思う?」
「馬鹿馬鹿しいの一言ね。あの印の本当の意味がこんな話のわけないわ!ラブグッド独特のへんてこな解釈に過ぎないのよ。時間の無駄だったわ」
「しわしわ角スノーカックを世に出したやつの、いかにも言いそうなことだぜ」
ハーマイオニーとロンは全く信じず、首を振ると壁に飾られている巨大な角を見て呆れたように肩をすくめた。
「君も信用していないんだね?」
「ああ、あれは子どもたちの教訓になるような御伽話の一つだろ?『君子危うきに近寄らず。喧嘩はするな。寝た子を起こすな。目立つな。余計なお節介をやくな。それで万時オッケー!』そういえば──ニワトコの杖が不幸を招くって、あの話からきているのかもな」
「何の話だ?」
「迷信の一つだよ。『真夏生まれの魔女は、マグルと結婚する』『朝に呪えば、夕べには解ける』『ニワトコの杖、永久に不幸』──聞いた事ない?」
「魔法界ではね、そんな教訓がたくさんあるの。ハリーとハーマイオニーが暮らしていたところにも似たようなものがあるんじゃない?」
時々ハリーとハーマイオニーが魔法界生まれだと勘違いしてしまうロンに、ソフィアがそれとなく助言した。
「ソフィアは信じてる?」
「うーん……。そうね、私は今まであの話はロンが言うようにただの教訓なんだと思っていたわ。驕らず、慎ましく、賢く生きなさいって。でも……確かに、ハリーが持っている透明マントは市販のものとは違うわ。元々お父さんのものだったんでしょう?よく考えれてみれば、何年もそのままだし……」
「それは……でも、死んだ人が蘇る石とか、最強の杖だなんてあるわけがないわ!」
ただの寓話なのか、それとも真実を語っているのか。難しい顔をして真剣に悩んでいるソフィアを見てハーマイオニーは呆れ混じりにぴしゃりと言い切った。
蘇りの石は賢者の石から構想を得て、ニワトコの杖はそれだけ強い魔法使いが居たというだけだ。魔法は使う本人の強さに起因し、杖の力は大きくないとハーマイオニーは信じている。
「死の杖、宿命の杖。そういうふうに名前の違う杖が何世紀にも渡って時々現れるわ。大概が闇の魔法使いが持つ杖で、持ち主が杖の自慢をしているの。ビンズ先生が何度かお話しされていたわ──でも──ええ、全てはナンセンス!あり得ないわ。杖の力はそれを使う魔法使いの力次第ですもの。魔法使いの中には、自分の杖がほかのより大きくて強いなんて、自慢したがる人がいるというだけよ」
「でも……死の杖や宿命の杖が──同じ杖が、名前を変えて何世紀にも渡って登場するとは考えられない?」
「そいつらは全部、死が作った本物のニワトコの杖だって事か?」
ソフィアは考え込みながらそう言ったが、自分でもそんな事はあり得ないだろうと思っていた。ロンは馬鹿馬鹿しいとばかりに鼻で笑い、ハーマイオニーも笑ってはいないがその通りだと頷いている。
「ニワトコの杖も、蘇りの石もあるわけがないわ!」
「でもさ、透明マントは実際にあるだろ?それはどういうわけだ?」
「透明マントの素晴らしさを語るためにビードルはこの寓話を作ったのかしら?でも、それなら蘇りの石とニワトコの杖なんて登場させなくてもいいのに」
「ええ、そうね。でもね、ロン、ソフィア──」
実在するのかどうか、という話でソフィアとロンとハーマイオニーは小声で議論している間、ハリーはそれを聞くともなく聞きながら新聞の一つでもあれば、世間の状況をより知ることができる、と思い部屋の中を歩き回っていた。
ハリーはふと、窓からこの家のそばにあるヤドリギに止まっていた小さなふくろうが飛び立ったのを見た。その直後にバタンと扉が開き閉じる音がして、台所を歩き回るゼノフィリウスの忙しない足音が聞こえる。一人分しか聞こえないのは、まだルーナは釣りをしているのだろう。
聞いたこともないプリンピーという魚ができるだけ美味しい魚ならばいい、そう心の底から願いながらハリーは一際目立つ石像を見上げた。
「ハリー、あまり動き回ったら──その、危ないかもしれないわ」
三つの秘宝そのものではなく、透明マントが秘宝なのかどうか熱く議論しだしたロンとハーマイオニーから離れ、ソフィアはハリーのそばに駆け寄る。ゼノフィリウスはスノーカックだと言い張っていたが、ソフィアもあれは危険なエルンペントの角だと思っていた。あのような取り扱いに気をつけなければならないものが部屋の中に無造作においていないとは限らない。
「ラッパ型の補聴器……かな?」
「うーん……」
美しいが厳しい顔つきの魔女の石像の頭には、世にも不思議な髪飾りがついていた。髪飾りの両脇から、金のラッパ型補聴器のようなものが飛び出て、小さなキラキラ光る青い翼が一対、頭の頂上を通る革紐に差し込まれ、オレンジ色の──ルーナがイヤリングにしていた──蕪が一つ、額に巻かれたもう一本の紐に差し込まれている。
突然ギシギシ、と階段を踏み締める音が聞こえてきて、ソフィアとハリーが側にある螺旋階段を見るとゼノフィリクスがバラバラなティーカップと、湯気を立てたティーポットの載った盆を持ち部屋に現れた。
「ああ、私のお気に入りの発明を見つけたようだね」
盆を机の上に置いたゼノフィリクスは、石像
の側に立っているハリーとソフィアに近づき胸を逸らし誇らしげに石像を見た。
「まさに打ってつけの、麗しのロウェナ・レイブンクローの頭をモデルに制作した。計り知れぬ英知こそ、我らが最大の宝なり!
これはラックスパート吸い上げ機だ。思考する者の身近にある全ての雑念の源を取り除く。これは、ビリーウィグのプロペラで、考え方や気分を高揚させる。極め付けは──スモモ飛行船だ。異常な事を受け入れる能力を高めてくれる」
ソフィアとハリーはそんなものを頭につけて果たして無事にいられるのだろうか──そう思ったが、言葉には出さずに曖昧に笑うと、その発明品を「ぜひ、かぶってみなさい」と言われる前にさも他のものにも興味があるようなフリをしながらそっとその場を離れた。
「砂糖は自分で入れてくれ。もうすぐルーナが戻ってくるからね。私はスープの下準備をしてこよう」
ゼノフィリウスはティーポット横にある紅茶が入った派手な色彩の陶器を指差すと、また足早に螺旋階段を降りて行った。
長時間歩き、喉がカラカラに乾いていたロンはすぐに紅茶に飛びついた。奇妙な赤い色に若干眉を寄せたが気にせずカップに注ぎ、砂糖をひと匙入れる。ソフィア達もロンと同じように紅茶を注いでいたが、一口飲んだロンが勢いよく吐き出したのを見て慌ててのけぞった。
「うっ、ひ──酷い味だ!」
ロンは口元を押さえ、嫌そうに舌を出しながら顔を歪ませる。そんなにひどい味なのか──ハリーは興味から唇の先に紅茶を少し当て舐めてみたが、突然口内に百味ビーンズの鼻くそ味をより凶悪にした味を感じ、込み上げる吐き気を抑えながらカップを机に置いた。
「っ……こ、これは……ちょっと癖があるわね……」
「癖があるどころの話じゃないわよ!」
ソフィアとハーマイオニーも一口飲んだだけでそれ以上飲む事はできず、顔をしかめながらカップを置いた。
最悪な口の中を元に戻すために水か何か──安全そうなものに限るが──ないかと、ハリーは口元を押さえながら動き回り、一階にあるキッチンに行けば水がもらえるだろうか。紅茶が口に合わなかった事が知られて気を悪くするだろうか──と考えながら螺旋階段まで近づき、ふと何気なく上を見た途端息を呑んだ。
どきりと心臓が跳ね、ハリーは口の中の状況も忘れ天井を見つめた。そこには自分の顔があり、自分が天井から見下ろしていたのだ。一瞬鏡に映った顔なのかと思ったが、よく見ればそれは精巧に描かれた絵であることに気づき、ハリーは好奇心に駆られるまま階段を上り始めた。
ソフィアの「ハリー、ゼノフィリウスさんがいないのに、勝手に上っちゃダメだわ」と小声で制止する声が聞こえていたが、ハリーはその言葉が聞こえる時には既に上の階にいた。
ルーナは天井を素晴らしい絵で飾っていた。
ハリーだけではない。ソフィア、ロン、ハーマイオニー、ネビル、ジニー……ホグワーツの絵のように動かないにも関わらず、その絵には不思議な魅力があった。絵の周りに細かい金の鎖が練り込んであり、六人を繋いでいる。暫く絵を眺めていたハリーは、その鎖がただの鎖ではなく、繰り返し同じ言葉が細かい字で書かれていることに気づいた。
──友達、友達、友達──
ハリーが絵を眺め、胸を熱くさせている間にソフィアとロンとハーマイオニーもおずおずと螺旋階段を登り、ハリーが一心に眺めている天井を見て言葉を失わせた。この絵を描いたルーナの気持ちが、痛いほど伝わってきたのだ。
ソフィアは部屋を見回し、ベッドの脇にある大きな写真立てに小さい頃のルーナと、ルーナそっくりの顔をした女性が幸せそうに抱き合いながら映っているのを見て表情を綻ばせた。その幸せに溢れた二人は抱き合い、時折くるくると楽しげに回っている。笑う二人の声まで不思議と聞こえてくるようだった。
しかし、その写真は埃をかぶっていた。ルーナは掃除をきちんとしなかったのだろうか?──いや、写真立てだけではない。淡い水色の絨毯や机にも厚く埃が積もり、長らく誰も足を踏み入れていない事を物語っている。
中途半端に開かれた洋服ダンスには一着も服が無く、ベッドメイクだけはされているがそれにも埃が被り長期間誰も寝た跡が無く、冷えていてよそよそしい。
一番手前の窓には蜘蛛が大きな巣を張っている。ルーナならば蜘蛛も楽しい同居人と考えそのままにするかもしれないが、しかしこの跡のない埃はおかしい。
ソフィアだけでなく、ハリー達も同じように奇妙な違和感に気付き怪訝な顔をしていた。
──まるで、数ヶ月間、この部屋の主が帰宅していないようだ。
それに気付き、嫌な予感がぞわりとソフィアの背筋を撫でた。ソフィアは表情を強張らせると、二段飛ばしで螺旋階段を駆け降りる。弾かれるようにして降りていったソフィアに、ハリー達は驚いて「ソフィア!?」と叫び慌てて螺旋階段を降りた。
ソフィアは部屋の中を見回し、一際大きな爆発音を立てて停止した印刷機に近づく。新しく刷られたばかりのザ・クィブラーの表紙には、ハリーの写真と共に問題分子ナンバーワンの文字が賞金額と共に鮮やかに書かれていた。
「なっ──なにこれ!」
食い入るようにザ・クィブラーを見ていたソフィアの隣から覗き込んだハーマイオニーは悲鳴にも似た声を上げソフィアの手から雑誌を奪い取るとわなわなと手を振るわせる。
ロンとハリーもそこに書かれた文字を読み、さっと表情を変えた。
「そんな、この雑誌は君を擁護していた!本当だ!」
「それじゃ、論調が変わったってわけだ」
ハリーは人の心の移り変わりの軽さを知っている。それがルーナの父であるのは胸が締め付けられるようだったが、失望を隠しながらあくまで冷静に吐き捨てた。
「まずいわ!なら、すぐに逃げないと──」
安全だと思いここまでやってきて姿を見せたが、いつ敵が乗り込んでくるかわからない。ハーマイオニーはすぐにロンとハリーの腕を掴み姿くらましをする準備をしたが、ソフィアは手を伸ばすハリーにゆっくりと首を振り一歩下がった。
「ソフィア?」
「──駄目よ。確認しなければならないことがあるの。だから、ゼノフィリウスさんにもう一度会わないと」
「そんな時間ないわ!何を確認するの?もうあのマークの事はいいでしょう!?」
死喰い人が来る。その恐怖に支配されたハーマイオニーは顔を引き攣らせ階下にいるゼノフィリウスに聞こえないように小声で叫び、焦ったそうにソフィアを睨む。
「だめよ。私の予想が正しいのなら、ルーナが──ルーナが、危険なのかもしれない」
そのソフィアの言葉に、ハリー達は天井に描かれたルーナの強い感情を思い出し──ルーナは、友達だ──目を見開いた。