ソフィアとロンとハーマイオニーは貝殻の家のすぐそばに着地していた。
無事な着地とは言えず、ロンはハーマイオニーを庇いぎゅっと抱え下敷きになり、ソフィアは負傷していた脇腹を硬い地面にぶつけてしまった。
その時の衝撃でソフィアは呻き、げほ、と血の塊を吐き出す。仮面の間で血が溜まり、気持ち悪さからはぎ取り、草の上に投げ捨てた。
ドラコから貰った薬で痛みを感じないが、視界はモノクロになり世界にノイズがかかったかのように不明瞭だった。
「ハーマイオニー!ハーマイオニー、おい、しっかりしろ!」
ロンは勢いよく起き上がると、ハーマイオニーを横抱きにしてその青白い頬を強く叩き肩を揺する。だらり、と垂れていた腕はその動きに合わせて左右にゆらゆらと動くだけだったが、「ハーマイオニー!」と涙交じりの声で何度も叫ばれ、ようやくハーマイオニーは意識を取り戻し目をうっすらと開いた。
「ロン──?」
「ああ!良かった──ここは貝殻の家だ。僕たちは逃げられたんだ!」
眉は寄せられ、顔の血の気は引いているがそれでもしっかりと自分の目を見て話すハーマイオニーに、ロンは顔中に安堵の色を広げ強く抱きしめると、肩を支えながら貝殻の家へ向かった。
マルフォイの館から記憶がないハーマイオニーはぼんやりとしたまま数週間前に見た貝殻の家や、暗い地平線を見つめる。ザザ…と波の微かな音が磯の香りと共に優しくハーマイオニーを包み込んだ。
すぐに外の異変に気づいたのか、ビルとフラーが硬い表情で現れロンとハーマイオニーに駆け寄った。
「すぐに家の中へ!──ハーマイオニー、酷い顔色だ。まるで拷問されたような──」
「拷問されたんだ!」
ビルは苦悶の表情を浮かべるハーマイオニーを、ロンと共に支えすぐに家の中へと向かおうとした。
「クルーシオで──」
「ソフィア!!」
フラーの叫びが闇を裂いた。
ビルとロンは同時に声をした方を振り返り、少し離れた場所で蹲り口から大量の血を吐き出すソフィアを見てさっと顔色を変える。
「げほっ!ゔ、ああっ……」
「酷い!大怪我です!ソフィア!ソフィア!!」
「ロン、ハーマイオニーを連れて中へ!クルーシオなら暫くすれば落ち着く!」
「う、うん……」
ビルも一目でソフィアの方が重傷だとわかり、ハーマイオニーをロンに託すと半狂乱になり悲鳴を上げるフラーに駆け寄り、ついにその場に倒れ込んだソフィアの側にしゃがみ込む。
「呪いか?」
「骨折、内臓を、損傷したわ──げほっ──薬で、痛みはないの、でも、体、動かな……」
額に脂汗を浮かせ息も絶え絶えに虚ろな目でビルを見上げるソフィアの口元や服は赤黒い血で汚れていた。呪いではないとわかるとビルはすぐにフラーに薬を用意するように伝え、傷に障らないように優しくソフィアを抱き上げた。
「っ──」
「すぐ良くなる。死ぬな!」
「ハリー……ハリーも、来てるはず──ハーマイオニーは──」
「ハーマイオニーは大丈夫だ。ハリーは──」
ビルは離れた場所にいる人影を見て、きっとあれがハリーなのだと考え「向こうにいる。大丈夫だ」とソフィアに伝えた。
ソフィアはふっと表情を和らげ、嬉しそうに微笑んだ。
貝殻の家へ運ばれたソフィアは、ソファに寝かされた。人の気配が行き来し、ざわざわとした複数の声が聞こえたが海の中にいるように聞こえ、ソフィアには何を言っているのかわからなかった。
ハーマイオニーは肩にブランケットを羽織り、小さく震え、精神的に疲弊していたがそれでもソフィアを見るとその場から駆け出さずにはいられなかった。
「ソフィア!」
「ハーマイオニー!君も重症なんだ、休んでないと──」
「ソフィア!死なないで、ソフィア!!」
ロンの言葉はハーマイオニーに届かず、ソフィアの血で汚れた手を握る。ソフィアは真っ白な顔でハーマイオニーを見て安心させようと微笑んだが、それは顔中に血がついた痛々しい微笑みだった。
「ソフィア、薬だ」
ビルはそっとソフィアの首の下に腕を入れ、頭を持ち上げ唇に瓶を当てる。ソフィアは気力を振り絞りその薬を飲んだ。
「内臓近くの骨折は魔法よりも薬で治したほうが確実だ。後は、増血薬と修復薬も飲まないと」
氷の塊を飲み干したかのように体の中が冷え、同時に骨折しただろう箇所が皮膚の下で蠢いているような奇妙な感覚にソフィアは呻いた。
充分に薬が体に浸透したのを待ち、次の薬を飲まされたソフィアは今度は身体中が熱くなり、荒く速い息を吐き出す。
薬をしっかりと飲めた事にビルはようやく安堵し、「もう大丈夫だ。峠はこえた」と心配そうにソフィアを見つめていたハーマイオニー達に伝えた。
ハーマイオニーはわっと涙を流しソフィアの首元に抱きつき、フラーも涙ぐみ来ていた白いエプロンの端で涙を拭う。ハリーとドビーにより助けられたディーンとルーナも「良かった」と呟き胸を撫で下ろした。
「さあ、ハーマイオニー。君も休みなさい。フラー、温かい紅茶とチョコレートの用意を。僕は外の様子を見てくるから何かあれば声をかけてくれ」
ビルはすぐにハリーの元へ向かうために外に駆け出していき、フラーは言われた通りに紅茶の準備をするためにキッチンへと向かう。暫くハーマイオニーは汗と血で汚れたソフィアの頬を優しく撫でていたが、ソフィアの表情が和らいだのを見てようやく、自分も疲弊した心を癒すために肘掛け椅子に深く座り込んだ。
「みんな、無事なの?」
「ああ、そうだ。僕たちは逃げ出せた……ドビーが──」
ロンはハーマイオニーが座る椅子の肘掛け部分に腰掛けながら、何があったのかをポツポツと話した。少しずつ聴覚が鮮明になっていたソフィアも、白い天井をぼんやりと見つめながらその話を聞いた。
ソフィアとグリップフックが連れ出されたあとすぐにドビーが地下牢の中に現れ、捕虜となっていたオリバンダーとルーナとディーンを姿くらましでこの家まで運んだ。
姿くらまし独特の異音にルシウスが気付き、ペティグリューに地下牢を見にいくように伝え、ペティグリューはロンとハリーに押さえられた。
しかしペティグリューは大人しくするわけではなく暴れ、その時ハリーの首を絞めたが──一瞬、命の恩人でもあるハリーを殺していいのかと悩み手を緩めた。自身でもその思いに驚いていたが、次の瞬間にはヴォルデモートが作ったペティグリューの銀の手は裏切りを許さずペティグリュー本人の首を絞めた。
ロンとハリーがその手を離そうと、ペティグリューを救おうとしたがどうしても手は離れず、そのままペティグリューは死んだ。
その後地下牢を抜け出し、ベラトリックス達と戦闘になり、あわや再び捕縛されそうになったが、ドビーがシャンデリアを落下させその隙に逃げ出したのだ。
全ての話を聞いたハーマイオニーは、フラーから紅茶の入ったマグを受け取りながら涙ぐむ。
「ドビー……ああ、なんて勇敢なの……」
尊敬と敬服が混じる声で呟き、ロンも何度も頷く。あの場、あのタイミングで何故ドビーが来たのかはわからないが、彼の助けがなければ今頃皆死んでいただろう。
早くドビーに会いたい。感謝を伝えたい。そう誰もが思った時、ガチャリと扉が開いた。
ソフィア達はビルがハリーとドビーを連れて戻ってきたのだと思い扉の方を見たが、現れたのは暗い表情をしたビルだけだった。
「ハリーは無事だ。ただ──ドビーが死んだ」
そこかしこから息を呑む音が響く。ルーナが「何があったの?」と聞き、ビルはただ「姿くらましをする時にナイフで胸を刺されたんだ」とだけ伝えた。それ以上説明することはなく、再びハリーの元へ向かうビルの後をディーンとルーナとフラーが追いかけた。
ハーマイオニーとソフィアも外へ行きたかったが、どうやっても体に力が入らず、僅かに身動きしただけだった。
「駄目だよ。君たちは休んでないと」
ロンは慌ててソフィアとハーマイオニーに伝え、小さく割ったチョコレートを二人の口に押し付けた。二人は口をもごもごと動かし、深いカカオの香りと甘い味に悲痛な表情を少し緩め──それでも悲しげな目でため息をこぼす。
「ドビー……ああ、こんなのってないわ……」
「多分、ベラトリックスだわ。銀の、小刀を持っていたもの……」
ハーマイオニーは涙ぐみ、鼻をすんすんと啜りながら言い、ソフィアも言葉を詰まらせながら呟いた。
今すぐ、ハリーのそばに行きたい。きっと心から苦しみ悲しんでいるだろう。その悲しみと痛みに寄り添いたい。
薬の効果だろうか。時々体の中で骨や内臓が気持ち悪く蠢く感触にソフィアは呻き、満足に起き上がることもできない自分の体を今以上に恨んだ事はなかった。
空が白み始める頃、ようやくソフィアはぎこちなくふらついてはいたが動けるようになり、フラーに支えられながら外へ向かった。
ハリーは魔法でドビーの墓を作らず、自らの手でスコップを使い汗を流し、手にマメを作り穴を掘った。その一つひとつが、ドビーへの弔いになるのだろうと思い──皆は心が締め付けられるほどのハリーの哀悼の意を読み取り──誰も、何も言わなかった。
ロンとディーンもスコップを使い、ハリーと共に黙って穴を掘った。ハリーは二人が自分の意図を読み取ってくれたような気がして、僅かながらに慰められていた。
充分な深さになった後、ハリーはドビーが心地よく眠れるように上着で包み直し、ロンは墓穴の縁に腰掛けて靴を脱ぎ、靴下をドビーの素足に履かせた。ディーンは毛糸の帽子を取り出し、ハリーがそれをドビーの頭に丁寧に被せてコウモリのような耳を覆った。
「目を閉じさせた方が、いいもン。──ほーら、これで眠ってるみたい」
近くからルーナの声が聞こえるまで、ハリーは他の人たちが闇の中を近付いていたのに気が付かなかった。
顔色は悪く、まだ足元がふらついていたハーマイオニーにロンはすぐに駆け寄り片腕を肩に回した。
ソフィアはハーマイオニー以上に青色が悪く、苦しげな呼吸をしていてフラーに支えられてはいたが、それでも自分の足で立ち墓穴のそばに近づく。
ハリーはソフィアとハーマイオニーが無事で安堵したが、今はドビーを失った辛さで彼女達の無事を喜び、声をかける余裕は無かった。
ハリーはドビーを墓穴に横たえ、小さな手足を眠ってるかのように整えた。穴から出てもう一度小さな亡骸を見つめる──ダンブルドアの葬儀を思い出したハリーは、泣くまいと必死に絶えた。何列も続く金色の椅子、前列には魔法大臣、ダンブルドアの功績を讃える弔辞、堂々とした白い大理石の墓。ハリーはドビーもそれと同じ壮大な葬儀に値すると思ったが、ドビーは粗っぽく掘った穴の中で、茂みの間に横たわっている──。
「──
ソフィアは近くの茂みの葉を数枚千切ると、魔法をかけた。
深い緑色の葉は色鮮やかない大輪の花々に変わる。ソフィアは杖をもう一振りし、ハリー達の前へとゆっくりと飛ばした。
真っ白なチューリップ。赤い薔薇。黄色いカーネーション──それぞれの花を持ち、墓穴に横たわる妖精を見つめる。
「あたし、何かいうべきだと思う。あたしから始めてもいい?」
悲しい沈黙が落ちていたとき、突然ルーナがそう言った。ハリーが小さく頷くと、ルーナは一歩前に進み出て墓穴の底に横たわる妖精に語りかける。
「あたしを地下牢から救い出してくれて、本当にありがとうドビー。こんなにいい人で勇敢なあなたが死んでしまうなんて、とっても不公平だわ。あなたがあたし達にしてくれた事を、あたし、決して忘れないもン。あなたが今、幸せだといいな」
オレンジ色のガーベラの花をルーナはドビーのそばに手向けた。そっと、指先でドビーの頬を撫でて立ち上がり、ロンを振り返り続きを促す。
「うん……ありがとう、ドビー」
ロンは咳払いをし、くぐもった声で感謝を伝え黄色いフリージアを捧げる。ディーンとハーマイオニー、ソフィア、ビル、フラーもその後に続き、最後に残ったのはハリーだった。
ハリーは白い百合の花を持っていた。
何を伝えればいいのだろうか、言いたい事はたくさんある──助けられたのは、今回だけではない。時には頭を悩ませたこともあったが、それでもドビーはいつも自分の味方で、手助けをしてくれた。
「ありがとう──さようなら、ドビー……」
言いたい事は山ほどあるが、やっと口から出たのはその言葉だけだった。
胸元に花を置けば、ドビーは本当に寝ているだけに見えた。美しい花畑で、花に囲まれて昼寝をしているだけ──。
ハリーが一歩後ろへ下がり、ビルが杖を上げる。墓穴の横に盛られていた土が浮き上がり、綺麗に穴に落ちてきて小さな赤みがかった塚ができた。
「僕、もう少しここにいるけど、いいかな?」
皆口々に返事をしたが、ハリーには聞こえなかった。全ての意識を、優しく勇敢な妖精が眠る場所へと向けていたのだ。
一人、また一人と貝殻の家へと戻っていく。
フラーはソフィアを家へと連れて行こうとしたが、そっとソフィアはフラーの腕から離れる。心配そうな目で見つめるフラーを、ビルは何も言わずに首を静かに振り、肩に腕を回して家へと戻るよう促した。
フラー達が帰った後、ソフィアの耳に聞こえるのは小さな漣の音だけだった。
ソフィアは杖を振り、ドビーに贈る花束をもう一つ作り上げ、しゃがみ込みそっとハリーの隣に置く。
ハリーは一人になりたいだろう。ソフィアはハリーの背を優しく撫で、その場を離れるために立ち上がった。
「──そばにいて」
漣の音に紛れ、微かな声がソフィアの耳に届いた。ソフィアは再びハリーの隣に座り、いつもより小さく見えるその肩を抱きしめた。
ハリーとソフィアの体は夜風に晒され冷えていたが、触れている箇所からじんわりと熱が伝わっていた。──生きている者の熱さだ。
ハリーはソフィアの細い肩に頭を預け、暫くじっと墓を見ていたが、ふいに頭を起こし辺りを見回した。自分を見つめるソフィアの視線に気付いていたが、ハリーは何も言わずに立ち上がり花壇を縁取る大きな白い石に近づく。
その中で一番大きく、綺麗な石を持ち上げドビーの眠っている塚の頭のあたりに、枕のように置いた。
杖を取り出そうとポケットを探り、2本あることに気づいたが──これが誰の杖なのかはわからなかった。なんとなく、短い杖の方が手に馴染むような気がしてそれを取り出すと、石に向けた。
ハリーの呟く呪文に従い、ゆっくりと石の表面に言葉が刻まれていく。
その文字は歪であり、文字の間隔もまちまちだった。きっと、ソフィアならもっと美しく、素早く記すことができるだろう。
それでもハリーは墓を自分で掘りたかったように、自分でその文字を記しておきたかった。
呪文を唱え終わったハリーは、ソフィアが作り上げた花束を石の前に置いた。
石には、こう刻まれていた。
──自由なしもべ妖精 ドビー ここに眠る
ハリーは暫く自分の手作りの墓を見下ろした後、ソフィアを見下ろした。
ソフィアの美しい緑色の目には、あの時のドビーと同じように星が映り煌めいている。違うのは、その目に僕が映っていることだ。──これからも、生きているかぎり。
「ありがとう、ソフィア」
ハリーはソフィアに手を差し出す。
ソフィアは小さく微笑み、首を緩く振るとその手を取り立ち上がった。