小鬼とハリー達は納戸のような部屋に何度も何時間もこもった。レストレンジの金庫の場所や、それまでに考えられる試練などを話し合う日は何日にもなり──それが何週間にも及んだ。
次から次へと出てくる難題の中で最も問題なのはポリジュース薬が後一人分しか残っていないことだろう。材料もこの場には無く、新たに作ることはできない。できれば全員が他人に変身したかったが、それができるのは一人になりそうだ。
ハリーとロンとソフィアとハーマイオニーの四人が食事の時にしか姿を現さなくなったことに、貝殻の家の住人達が気付かないわけもなく、誰もが何かが起こっているのだと察していた。誰も何も聞かなかったが、ビルは考え深げな目で心配そうに四人を見て、その視線を彼らは感じていた。
グリップフックと長時間共に過ごすにつれ、ハリーはグリップフックの事がどうしても好きになれなかった──金庫に侵入するために他の魔法使いを傷つけるかもしれない可能性を大いに喜び、血に飢えているかのように目を輝かせていたからだろう。
ソフィアとロンとハーマイオニーもグリップフックの事は好きになれなかったが、それでもこの作戦にグリップフックは必要であり、誰も何も言わなかった。
グリップフックは脚が治ってからも、自分だけ特別視されることを望み部屋まで食事を持ってくるよう待遇をフラーに要求していたが、ある時ビルが──フラーの怒りが爆発した後──二階に行き、これ以上特別扱いはできないと告げた。結局、みんなと一緒に食事をするのを嫌々ながらに承諾したが同じ料理を食べることはなく、代わりに生肉の塊や根菜類、きのこ類を要求していた。
小鬼がいることでフラーの機嫌は悪くなり、狭い居間はさらに狭くなる。
聞きたいことがあり、グリップフックを貝殻の家に残して欲しいと頼んだのはハリーであり、ハリーは責任を感じていた──グリップフックのことだけではなく、ウィーズリー一族が全員隠れなければならなくなったのも、ビル、フレッド、ジョージ、アーサーが仕事に行けなくなったのも全て自分のせいだと、ハリーは思っていた。
ある風の強い日の夕暮れ。夕食の支度を手伝いながらハリーはフラーに「ごめんね。こんなに大変な思いをさせるつもりはなかった」と謝ったが、フラーは苛立っていた表情を和らげ、妹の命を助けてくれた恩人なのだから、と優しく告げた。
その夜にビルは回復したオリバンダーを避難地であるミュリエルの家へと連れて行った。
残った全員がテーブルを囲んで座り、肘と肘をぶつけつつ動く隙間もなく食事を始めたが、フラーは料理を突き回してばかりで心配そうに窓の外を何度も見ていた。
ビルが居なくて不安なのだろう。ソフィア達は彼女を励まそうと口々に「すぐ戻ってくるよ」「向こうも安全なんだから」と言ったが、フラーはその美しい顔で疲れたように曖昧に微笑むだけだった。
幸いビルは、風により乱れた長い髪をもつれさせながら夕食の最初の料理が終わるまでには戻り、フラーはようやく輝くような安堵の笑顔を見せた。
「みんな無事だよ。オリバンダーは落ち着いた。父さんと母さんからよろしくって」
ビルはフラーが魔法で温め直した料理を食べながら説明する。向こうの様子が気になっていたソフィアとハリーとハーマイオニーとロンは、食後の紅茶を飲みながらほっと胸を撫で下ろす。
「ジニーがみんなに会いたがっていた。フレッドとジョージはミュリエルをかんかんに怒らせているよ。おばさんの家の奥の部屋からふくろう通信販売をまだ続けていてね。ティアラを返したらおばさんは少し元気になったけどね。僕達が盗んだと思ってたって言ってたよ」
ビルとフラーの結婚式の日に襲撃されたため、その時ミュリエルから借りた小鬼製の美しいティアラを返すことができず、それを気にしていたフラーはオリバンダーをミュリエルのところに連れて行く時にティアラを渡していた。しっかりと返却できたのはいいが、ミュリエルの嫌味たらしい言葉にフラーは美しい眉をきゅっと寄せた。
「ああ、あの人、あなたのおばさん、
母国語で揶揄うフラーに、その言葉がわからないハリー達は不思議そうに首を傾げたが、フラーからフランス語を少し教わっているビルは苦笑した。
一気に不機嫌になったフラーは杖を振り机の上にある汚れた皿を舞い上がらせ空中で重ねた。
「フラー、お手伝いするわ」
「まあ、ソフィア。ありがとーう」
家に長期間お世話になっている礼として、ソフィア達は交代で家事をになっている。今日はソフィアの当番であり、カラトリーや紅茶のカップを魔法で浮かせたソフィアは少し機嫌が戻ったフラーの後について部屋を出た。
「そういえば、あの結婚式とっても素敵だったわ!色々あって直接言えなかったけど、本当に綺麗で……キラキラと輝いていて、あんなに綺麗な花嫁を初めて見たもの!」
「まあ!──ふふっ!ソフィアは、とっても
杖を振り、スポンジに洗剤を纏わせながらフラーは上機嫌で笑う。ソフィアは自分が花嫁になっている姿を想像し──その隣にいる人のことも考え──頬をぽっと赤く染めつつ、困ったように笑った。
「うーん、それは、わからないわ」
全てが終わった後、自分とハリーの関係はどうなるのかわからない。ソフィアは変わらずハリーを愛し、ハリーからの愛情も感じていたが互いの想いだけで突き進むことができるほど二人の立場は簡単なものではない。──それに、自分は赦される事はないだろう。
フラーが「きっと青いドレス!似合いますね」「ああ、でも赤でも──」とソフィアのドレス姿を楽しげに想像していると、突如正面玄関の方から何かが衝突したような轟音が響いた。
フラーは喉の奥で悲鳴を上げ、浮かんでいた食器がガシャンと高い音を立ててシンクに落ちる。ソフィアとフラーは硬い表情で顔を見合わせ、すぐにキッチンを飛び出した。
フラーとソフィアは居間へ駆け込み、杖を扉へ向けた。すでにビルやハリー達も警戒体制であり緊張を孕んだ顔で扉を睨んでいる中、グリップフックだけは机の下に潜り込み姿を隠していた。
「誰だ!?」
「私だ、リーマス・ジョン・ルーピンだ!」
ビルの問いかけの後すぐに、風の唸りに掻き消されないように叫ぶ声が聞こえた。
切羽詰まったようなリーマスの声に、まさか何かが起きたのかとソフィア達の背筋に冷たいものが走る。
「私は人狼で、ニンファドーラ・トンクスと結婚した。君は貝殻の家の秘密の守人で、私にここの住所を教え、緊急のときには来るようにと告げた!」
「ルーピン……!」
ビルは呟くなりすぐに扉に駆け寄り、急いで開けた。嫌な予感に誰もが怯える中、リーマスは勢い余って敷居に倒れ込み、ビルはすぐにリーマスを支えた。
リーマスの顔は真っ青であり、風に煽られた白髪は乱れている。支えられながら立ち上がったリーマスは部屋を見回し誰がいるのかを確認した後大声で叫んだ。
「男の子だ!ドーラの父親の名前をとって、テッド──テディと名付けたんだ!」
一瞬、誰もがぽかんと口を開き呆然とした。
「まあ!トンクスが赤ちゃんを!?」
「うわー!素敵だわ!」
しかしすぐにハーマイオニーとソフィアが喜びに湧いた声で叫び、リーマスも「そうだ。そうなんだ、赤ん坊が生まれたんだ!」と破顔しながら叫んだ。
部屋中が喜びと祝福で満ち、最高の報告に安堵の吐息を漏らした。
「うわー!赤ん坊かよ!おめでとう!」
「そうだ──そうなんだ──男の子だ」
ロンは今までそんな言葉は聞いたことがないというように目を見開き驚きと喜びから口笛を吹き手を叩く。リーマスはその言葉を聞き、噛み締めるように何度も呟いた。その顔は多幸感で夢心地であるかのように緩み切り、ソフィア達までも幸せな気持ちになるほどだ。
リーマスはふらふらとソフィアに近づき、力強く抱きしめた。
「ソフィア、ありがとう。君があの時私の背を押してくれなければ、きっと向き合えなかった」
「決めたのはあなたよリーマス。本当におめでとう!」
ソフィアは心から祝福した。
トンクスが妊娠した当初、リーマスは人狼として彼女達の人生に深く関わっていく覚悟がなかった。受け入れられるわけがないと心を閉ざし目を逸らしていた──しかし、ソフィアと、そしてハリーの言葉を受け、親ならばどうするべきなのかをよく考えた上で心を決めたのだ。
愛する女性と、生まれてくる我が子に誇れる親に──人狼だとしても──なろうと。
ソフィア達が祝福している間にビルがワインを取りに走り、ワイン瓶と人数分のグラスを浮かせて笑顔で居間に戻る。ビルは遠慮するリーマスに「一緒に飲もう!」とニコニコと笑いながら浮かんでいるグラスの一つを渡した。
「あまり長くはいられない。戻らなければならないんだ」
そう言いつつも受け取ったリーマスはにっこりと笑った。最後に見た時よりも白髪は増えていたが、それでも皺が刻まれた顔は今までよりも何歳も若く、何よりも幸せそうに見えた。
「ありがとう、ありがとうビル」
ビルはすぐに全員分のグラスをワインで満たし、皆が立ち上がり盃を高く掲げる。
「テディ・リーマス・ルーピンに」
「未来の偉大な魔法使いに!」
リーマスが音頭を取り、ロンが囃し立てながら叫ぶ。かちゃん、とグラスがそこかしこで乾杯され新しい生命の誕生を祝った。
「赤ちゃんは、どっちに似てるの?」
「私はドーラに似ていると思うんだが、ドーラは私に似ていると言うんだ。髪の毛が少ない。生まれてきた時は黒かったのに、1時間くらいで間違いなく赤くなった。私が戻る頃にはブロンドになっているかもしれない。アンドロメダは、トンクスの髪も生まれた日に色が変わり始めたと言うんだ」
「うわぁ!すごいわ!」
ソフィアの言葉にリーマスは興奮を抑えながら饒舌に話し出す。並々と注がれたワインを飲めば、すぐにビルが空いたグラスにワイン瓶を近づけ、リーマスは「ああ、それじゃいただくよ。あと一杯だけ」と上機嫌で受けた。
風が小さな家を揺らし、暖炉の火が爆ぜ、リーマスの幸福な報せは皆を夢中にさせ、しばしの間、世の中で起こっている不幸な事や自身に降りかかっている難題を忘れさせた。
ハリーは幸せそうにワインを飲むリーマスを見て、本当にあの時にトンクスの元へ帰るように言ってよかったと心から思った。やはり、あの選択は間違えていなかったのだ。
不意にリーマスとハリーの視線が合い、ハリーはにこりと微笑みグラスを軽く掲げる。途端にリーマスは明るく笑うと小走りでハリーに駆け寄り、かちゃんとグラスを合わせた。
「本当におめでとう、リーマス!」
「ありがとう、ハリー。──ところで、ここにシリウスは来てないかな?」
「う──うん。来てないけど、どうして?」
まさかシリウスに何かあったのかと、一瞬ハリーは表情を強張らせた。リーマスはすぐに「いやいや」と首を振り彼の不安を取り除くと、リーマスらしくない何かを企むような悪戯っぽい微笑みを見せる。
「シリウスに、テッドの後見人を頼んでいるんだ」
「え?──うわぁ!そうなんだ!」
「ずっと、考えていたんだ。それで、生まれたら正式な手続きをするために会いにくると言っていたんだが……まぁ、数日の間には顔を見せにくるだろうけど」
「すごくいい考えだよ!──シリウスは──その──」
何処にいるのだろうか、無事なのだろうか。
そんなハリーの不安な気持ちを読み取ったリーマスは心配させまいと朗らかに微笑み、「大丈夫」と答えた。
「私も何処にいるのかは知らないが、敵に捕まるような事は無い。この前は南の方に向かうと言っていたね」
「そっか……」
「万が一、捕まったとしたら新聞で大々的に報じられるはずだよ」
リーマスの言葉にハリーは安堵し、やや苦い赤ワインを一口飲んだ。
そうだ、きっと、絶対に無事に決まっている。シリウスは今まで何年も逃げおおせていたし、優秀な人なんだ。ハリーはまだ胸の奥で燻る不安感にうじうじとしてしまいそうな自分自身をそう納得させた。
「そういえば、シリウスの両面鏡って今誰が持ってるの?」
「両面鏡?」
不思議そうにするリーマスに、ハリーはマルフォイの館で囚われていた時に起こった事を簡潔に伝えた。リーマスはその話を真剣な眼差しで聞き、しばらく悩むようにワイングラスを回しゆらゆらと動く赤い水面を見ていたが、残りを一気に飲み干した後で申し訳なさそうに肩をすくめた。
「私も両面鏡の所在はわからないんだ。あの後、隠れ穴には近づけなくてね。もちろんアーサー達も探してはくれたんだが……何処にいったのか──誰かが持っていったのか──誰の顔に見えたんだい?」
「わからないんだ。シリウスや──何回か見た事がある騎士団員なら、きっとわかったと思うんだけど。それに一瞬だったし……」
「そうか……。まあ、私の方でも探してみるよ。助けに来てくれたということは、敵では無いのは確かだしね」
リーマスはハリーの肩をぽんと軽く叩き、空になったグラスを机に置いた。すぐにビルが気付き、もう一杯と勧めたがリーマスは朗らかにそれを断り旅行用マントを羽織った。
「もう本当に帰らなければ──さようなら、ありがとう。二、三日のうちに写真を持ってくるようにしよう──家の者たちも、私がみんなと会ったと知って喜ぶだろう」
リーマスはマントの紐を締め、別れの挨拶に女性を抱きしめ、男性とは握手をして晴れ渡った幸福そうな笑顔のまま扉へと向かった。
「私、そこまで送ってくるわ!」
ソフィアは椅子に掛けていたカーディガンを掴むと扉に手を掛けているリーマスの元へと駆け寄る。一瞬、リーマスは驚いたような顔をしたが拒否することなくソフィアが隣に来るまで待ち、もう一度家の中を振り返って「さようなら」と皆に挨拶をした。
強く寒い風が吹く中、ソフィアは舞い踊るように靡く髪を押さえリーマスを見上げる。
「あの──」
「──セブルスとルイスの事かい?」
さらりと言われた言葉に、ソフィアは少し息を飲んだがすぐに小さく頷いた。
「ええ──その──向こうは、どうなっているのかしら……?」
「私の方に全ての情報が入ってくるわけではないが、二人はホグワーツの生徒を陰で護ろうと、必死に頑張っているよ」
リーマスの言葉にソフィアはほっと胸を撫で下ろし、肩に入っていた力を抜いた。
ホグワーツの情報は殆ど入ってくる事がない、通っていたルーナならば現状のホグワーツのことをよく知っているだろうが、ソフィアが知りたいのは
セブルスが校長となり、マグル生まれはまともに通うこともできなくなったホグワーツで、半純潔の者は肩身が狭い思いをしているだろう。──それだけならばまだ良い方だ。
死喰い人が入り込んでいるホグワーツで生徒達を護ることができるのは、騎士団員であるセブルスやマクゴナガルだけだ。きっと、彼らは敵に知られないように生徒を護り、そしてルイスも──不穏の種を取り除いているはず。
そうソフィアは信じていたが、確証は無く、こうしてリーマスの言葉を聞いてようやくほんの僅かに憂いや後悔を薄れさせることができた。
「大丈夫。私たちは同じ方を向いているからね。──さて、ここまでで良いよ、かなり冷えるし、この先を出ると君は戻れなくなってしまう」
「ええ、ありがとう、リーマス」
ソフィアの言葉を聞き、リーマスはにっこりと微笑むと荒れた夜の奥へと足を進め、ふっと姿を消した。
ソフィアは暫くリーマスが消えた後を見ていたが、一陣の突風が唸り、細い体を切り裂いた途端ぶるりと体を震わせ足早に暖かな家へと戻った。